アニーの歌

 才能に恵まれ、人一倍の努力家でもあった彼女の思い出について、私はこれから語ろうと思う。これは、私が彼女と出会い、悲しい別離を迎えるまでの物語だ。そして、ずいぶん昔のことである。
 
 
 私は神奈川の高校から都内の大学の理学部に進学した。
 大学で、私は謹厳実直を絵に描いたような学生だった。授業には欠かさず出席し、教室の一番前の席で熱心にノートを取り、分からないことは納得がいくまで質問した。そんな私のことを友人たちは「(ひろし)は勉強し過ぎだよ」と呆れたようにいったが、勉強したくて進学したはずなのに授業をサボってパチンコやマージャンで暇つぶしをする彼らの気持ちが私は理解できなかった。
 大学が長い夏休みに入ると、私は神奈川の実家で毎日本を読んで過ごした。暑い夏の盛りには、冷房が効いた大学の図書館に通って本を読むことも多かった。私が主に読んだのは科学関係の専門書や新書だったが、それ以外にも面白そうな本は片っ端から読んだ。大学の最初の三年間は、ともかく暇さえあれば本を読んでいた。だから友達付き合いは悪かった。同期の学生たちは多分私のことを、ちょっと変わった取っつきにくいやつだと思っていただろう。そう思われて一向に構わないと私は思っていた。
 四年生になると研究室に入った。私は有機化学研究室に在籍し、今度は卒業研究に没頭した。研究テーマは「金属|触媒(しょくばい)の物理構造と反応速度」というものであった。毎日遅くまで研究室に残り、時には泊り込んで実験をした。海外の研究論文もたくさん読んだ。私の熱心な様子を見て、同期の学生や研究室の教授までもが、私が大学院に進むものだとばかり思っていたようだ。しかし、ようやく十月も終わりになった頃、私は数社の会社訪問をしてさっさと就職先を決めてしまった。私が就職することにした理由は、ある分野で一人前になるにはいつまでも学生というぬるま湯に浸かっているよりもそれを仕事とするのが手っ取り早いと考えたからだ。それに、私はどこに行っても自分のやりたいことをやり続けてやるという変な自信があった。就職が決まっても、大学の卒業研究は手を抜かずやり遂げた。

 就職先は製薬会社であった。私が配属になったのは千葉県のA市にある研究所だった。
 A市は、市とは名ばかりの田舎町で、JR(私が研究所に配属になった昭和六十一年にはまだ「国鉄」だった。)のA駅があるのだが、停車する列車の本数は普通列車のみ一時間に一、二本と不便な場所だった。
 遊びたい盛りの若い社員には、こんな田舎の研究所にいつまでも居たくない、早く都会に転勤したいという者が多かった。会社自体は本社が東京にあって、私も本社の研究開発部などに異動の希望を出すことはできたのだが、私はこのA市の研究所から暫く動きたくなかった。都会で遊ぶことよりも何よりも、当時始めた新しい研究の方がずっと面白かったからだ。
 私の新しい研究対象は酵素であった。酵素というのは生物が作る一種の触媒だ。酵素を用いて医薬品などを工業レベルで連続的に大量生産するにはバイオリアクターと呼ばれる装置が用いられる。バイオリアクターでは、酵素は担体(たんたい)と呼ばれる高分子物質に結び付けて保持されている。私に与えられたのは、どのような物質を担体として用いれば反応の効率が上がるかという課題であった。
 大学で研究した金属触媒が生体(せいたい)由来の触媒である酵素に置き換わったような研究であったが、今までの研究とは少し畑違いの生化学が中心となって、新鮮で面白かった。酵素は金属触媒と違って乱暴に扱えば簡単に変性(へんせい)してしまうため、デリケートな操作が必要であった。そのような難しさがある分、よい結果が得られたときは嬉しかった。
 上司からはあまり残業をするなといわれた。しかし私は少しでも多く自分の研究がしたかった。新しいことを知りたい、そしてこれまで誰もやらなかったことを自分が最初にやり遂げたい、そんな気持ちが私を動かしていた。
 研究所は本社などと違って、学生時代の延長のような自由な空気があった。五時半に勤務時間が終わり、職場の近くの独身寮に帰って食堂で夕食を食べた後、また職場に戻って実験の続きをするといったことが度々あった。一度帰宅してもう一度職場に戻ってするヤミ残業は、上司も黙認していた。週末は洗濯や部屋の掃除を済ませると、いそいそと職場に出て実験を始めたり、コピーしてためてあった海外の新しい論文を読み耽ったりして過ごした。連休でもない限り実家には帰らなかった。

 入社して三年目の五月のある日、ちょうど実験に一区切りがついたので、勤務時間後にカラオケに行ってみようと私は思った。一年ほど前、A駅近くの県道沿いにカラオケボックスができてちょっとした話題になっていたのだ。
 当時はまだ、カラオケといえばスナックなどに置いてあって、職場の同僚などと酒を飲みながら順番にマイクを回して歌うのが普通だった。しかし数年前から、歌うこと自体が目的のカラオケボックスという新たなタイプのカラオケ店が出店し始め、若者を中心に人気になっていた。
 今でこそ「一人カラオケ」などという言葉もあるくらいだが、その頃は一人でカラオケボックスに行く人など殆どなかったと思う。にもかかわらず私がわざわざ一人で行ってみようという気になったのには訳があった。実は、職場のみんなで飲みに行った時、同僚がみなカラオケで上手に歌うのに私にはうまく歌える曲がなかった。それを知った職場の先輩が、「社会人はカラオケくらい歌えなきゃなあ。実際にマイクを持って場数を踏まないと上達しないよ。カラオケボックスで練習してみたら?」とアドバイスしてくれたのだ。
 私は勤務時間が終わるとすぐに職場を出て、県道沿いの歩道を駅の方に向かって歩いた。暫くすると辺りは少しずつ賑やかになり、やがて私の目指すカラオケボックスが見えてきた。私は急ぎ足で店の入り口に向かった。
 その時、反対方向からやって来た一人の若い女性に気がついた。細身の体に白いブラウスと紺色のスラックス、右肩には若い女性には不似合いな大きなベージュの布製のショルダーバッグを掛けている。髪はショートカット、茶色のセルのフレームの眼鏡を掛けた顔を真正面に向けている。
 彼女は私とほぼ同時に店の入り口に着いた。私たちは一瞬顔を見合わせたが、彼女が「どうぞ」といって、私に先に店に入るよう促した。私は少し躊躇してから、「すみません、お先に」といって先にドアを押して店に入り、ドアが閉まらないように後ろ手で支えた。そして私に続いて彼女が入った。
 店の中は明るかった。店の奥のいくつもの部屋から漏れる伴奏や歌声が混ざり合って、賑やかなような、少し寂しいような、不思議な音となって響いていた。カウンターの女性店員が、「いらっしゃいませ。お二人様、いま満室なので、おそれいりますが少々お待ち頂けますでしょうか」と私たちに声を掛けた。その日は金曜日だったので、いつもより少し混んでいるようだった。
「たまたま一緒にお店に入っただけで、私たち、別々なんです。こちらのかたが先ですから」彼女が、よく透る声でいった。
 店員は「すぐに二部屋空きますから。お名前をお伺いできますでしょうか」と促すので、先ず私が「富田です」と答え、続けて彼女が「松井です」といった。
 店員は二人の名前を控えると、カウンターの横の椅子の方を指し示しながら、「暫くそちらでお待ち頂けますでしょうか」といった。二人してその小さな椅子に並んで座った。一分ほどは黙って座っていたが、いつまでも黙っているのは気詰りだったので、私は彼女に、「よく来られるんですか」とあたり障りがないと思われることを尋ねてみた。
「ええ、たまに」
「私は初めてです」
「そうですか……。でも、私たちみたいにカラオケに一人で来るという人は珍しいですよね。二人連れと間違われるのも当たり前ですね」といって、彼女は私の顔を真っ直ぐに見て少しだけ微笑んだ。
 彼女の声は柔らかで、それでいて一つずつの言葉が隅々まではっきりとしていた。私は彼女の喋り方を聞いて、生まれたばかりでありながら明瞭な輪郭を持った五月の欅の若葉を連想した。そして、美人ではないけど感じのいい人だなあと思った。
 その時私の名前が呼ばれ、私はもう少し彼女と話がしたいなと思いながらも先にカウンターに向かった。
 私が案内された部屋は十八号室だった。部屋の真ん中にテーブルとその周りにソファがあり、その横にカラオケの機械とマイクが置いてあった。私は機械の操作方法がすぐには分からず手間取った。
 私が何とか一曲目を歌い終わった時に、隣の十七号室の部屋のドアが閉まる音がした。するとすぐにカーペンターズのTop of the Worldの軽快なイントロが流れ始め、それに続いて先ほどの彼女の歌声が聞こえてきた。先ほどカウンターの横の席で話した時と同じように、明るく歯切れの良い声だった。そして、とてもきれいな英語の発音だった。私は次の曲を選ぶのも忘れ、暫く彼女の歌声に聞き入った。
 その後私は、そのころ流行っていた曲や知っている曲で歌えそうなのを探したがなかなか見つけられず、曲を選ぶたびに手間取った。しかも、知っているつもりの曲でもいざ歌ってみるとうろ覚えで、カラオケの伴奏が流れ始めても正確なメロディーが頭に浮かんでこずに立ち往生し、すぐに伴奏を停止しなければならなかった。
 しかし、隣の部屋からはほとんど切れ目なく彼女の歌声が聞こえてきて、時々私は彼女の声に耳を澄ませた。知らない曲もあったが、知っている曲がみなカーペンターズの曲なので、彼女はカーペンターズの曲ばかり歌っているのかなと思った。
 やがて、あと少しで三十分になるというところで、先に彼女の歌が止んで、隣の部屋のドアが開く音が聞こえた。暫くしてから私も、もう歌えそうな曲がなくなってしまったのでマイクを置いて部屋を出た。
 私がカウンターに到着したときには、彼女の姿はもう見えなかった。おそらく今頃は次の目的の場所に向かっているのだろうと私は思った。彼女が大きなバッグを肩から下げ、真っ直ぐ前を向いて颯爽と歩く姿を私は想像した。その想像は私を愉快にさせた。

(とみ)ちゃん、英語得意だろ。もうちょっと勉強してみたくない?」
 カラオケボックスに行った日から十日ほどして、私はチームリーダーの原口さんから、こう声を掛けられた。原口チームリーダーは私より十年以上先輩で、この研究所に来て九年目になる。後輩に対する面倒見がとてもいい。家族は鎌倉に住んでいて、週末だけ自宅に戻り、月曜から金曜までは研究所の近くのアパートで一人暮らしをしている。
 私の勤める会社では、年に一度、英検や|TOEIC《トーイック》などの検定試験を若手社員に受けさせてくれるのだが、最近受けたTOEICが七八〇点という成績だったことから、研究所内で私は「英語のできる人」というふうに見られていた。
 私はそれまで特別、意識して英語を勉強してきた訳ではなかった。しかし、大学で研究室に配属になった頃から、自分が行う研究に関しては最新の知識を持っていたいと考えて、論文や科学雑誌など海外の文献をたくさん読んでいた。就職してからも、研究所に毎月送られてくる英文の学会誌や科学雑誌には必ず目を通し、自分の研究に関係のありそうな部分はコピーして、マーカーで線を引きながら詳しく読んでいた。そのせいで、少なくとも自分の専門分野に関する英文であれば、辞書なしですらすらと読むことができた。そんなこともあって、TOEICもそんなに勉強しなくてもそれなりの成績が出せたのだろう。
「もうちょっと勉強するって、どういうことですか?」
「今年から、英語の成績が優秀な若手職員を選んで、研修を受けさせてくれるそうなんだ。うちの会社もこれからは、海外で事業所を展開したり新しい取引先を見つけたりしていこうという方針なんだけど、そのためには特に若手の英語力を鍛えなければいけないというのが幹部の考えらしいんだ。富ちゃんの成績なら今でも海外出張の資格だってありだよ。だけど、今以上に成績を上げて認められれば、海外赴任したりできるかもしれないよ」
 私は興味を持って、チームリーダーに尋ねた。
「どこで、どんな研修を受けられるんですか」
「ここだと、千葉駅まで出ればちょっとした英会話学校なんかがあるから、そこに通わせてもらえるということらしい。時間は勤務時間外にということだけど、費用は会社が七割まで負担してくれる。私から所長に、富ちゃんを推薦することをお願いしてみようと思うんだけど、いいかな」
 私は「ぜひお願いします。頑張りますから」といって頼んだ。これからは英語で論文を書いたり、海外の学会で発表したりといった機会がたくさんあるだろう。また、研究所に海外からお客さんが来たり、場合によってはアメリカや東南アジアなど海外の事業所に出張したり赴任したりする可能性もあるので、英語を学ぶことはとても大事なことだと思えた。また、私を推薦するように所長に話したいということは、チームリーダーが私をやる気と見込みのある部下とみなしてくれているということだろうという気がして、そのことも私の誇りになった。
「よし分かった。富ちゃんは仕事も勉強も本当に精一杯するからなあ。頑張ってね」
 それから暫くして、所長はチームリーダーの進言を受けて、私を本部の人事課に推薦してくれた。
 
 六月の第一週の水曜日から、私は研修に参加することになった。その日、私は勤務時間が終わると直ぐに職場を出て、六時前の電車に乗って、片道およそ四十分掛けて千葉駅近くの英会話学校まで行った。電車の中ではいつものように、英語で書かれた論文のコピーを読んでいた。
 参加するのは企業研究者向け英語セミナーと銘打った半年のコースだった。受付で書類を出して、コース名と名前を告げると、受付の女性が名簿を確認して、「二〇三号教室に行って下さい。二階の一番奥の部屋です」といった。私は教えられた部屋に行ってドアを開けた。
 中は小さな会議室みたいな教室で、ロの字型に机が並べられていた。生徒は私を含めて六人だった。いずれもあちこちの企業から研修目的で来ている人たちらしい。中に一人、M市にあるうちの会社の千葉工場の人がいたので挨拶した。
 再び鞄から論文のコピーを取り出して、読みながら暫く待っていると、女の先生がやって来た。私はその顔を見て驚いた。カラオケボックスで会った彼女だった。彼女も私のことに気付いたようで、眼があった時に互いに軽く会釈したが、その時は何も話さなかった。
 授業が始まり、彼女が「このクラスを担当する、松井|綾野(あやの)といいます」と自己紹介をした。この前と同じように、はっきりとした喋り方だった。
「もう一人、米国人のスチュワート先生が英会話を担当しますが、今日はガイダンスなので私から全体の説明をします」彼女はそういって、これから六か月、合計二十四回の授業の予定を説明した。授業は半分の十二回が職場での話題をテーマとした英会話、五回がTOEIC対策、四回が英文法とビジネスレターなどの仕事上の文書の書き方、残り三回がこの日を含めたガイダンスとテストということだった。英会話はスチュワート先生、それ以外は彼女が担当するということらしかった。
 一通りの説明を終えてから彼女は、「今日は皆さんの実力を調べるために、これから簡単なテストをさせて頂きます」といって、用紙を配った。テストは筆記試験と、カセットテープを使ったリスニングテストだった。
 一時間三十分でテストは終わった。それでその日は終わりだった。来週からは水曜日毎に七時から九時まで二時間の授業がある予定だ。
 授業が終わりみなが帰り支度を始めたとき、私は彼女に近づいて小さく頭を下げた。
「この前はどうも失礼しました。英語の先生でいらしたんですね。またお会いできるとは思いませんでした」
「富田|(ひろし)さん、でしたね。これから半年間よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。歌、お上手でしたね」
 彼女はちょっとびっくりした顔をして私を真っ直ぐに見たが、少し間を置いてからにっこり笑って、「有難うございます」といった。
 彼女があまりに素直に真っ直ぐに私を見るので、私は何故か慌てしまい、何かもっといわなければいけない気がして、すぐ「すみません、実はこの前、先生が歌ってられる隣の部屋にいたんで、たまたま聞いちゃったんです。カーペンターズがお好きなんですね」と付け加えた。
 彼女は眼鏡の奥の目がちょっと泳ぐように上の方を向いて、一瞬、考えるような表情になってから、「そうですねえ。カーペンターズはどちらかといえば、好きですね」と、初めて少し曖昧な返事をした。そして私と同じように、何かもっといわなければいけないような気がしたみたいに、「今度は他の歌手の歌も練習しないといけないですね」と付け足した。
「それじゃあ、これで失礼します」
「お気をつけて」と彼女はぺこんと頭を下げた。
 帰りの電車の中で、私は吊り革につかまって、この前のカラオケボックスでのことや今日の彼女との会話のことを頭に浮かべて、一人、思い出し笑いをした。電車の窓の外は街の夜景から、いつの間にか静かな郊外の夜の景色に変わっていた。

 
 翌日、チームリーダーから「セミナーはどうだった?」と訊かれたので、私は「先生は一度会ったことのある人でした」といった。そして、この前のカラオケボックスの話をしたら、チームリーダーは大笑いして、「じゃあ、今度先生を誘って、カラオケボックス行くかい。でも、英会話学校の先生が日本人だなんて、どうなのかね」といった。
「でも、先生のカーペンターズは本当に上手でしたよ。それに、アメリカ人の先生も来週から担当するんだそうです」
「でも、(とみ)ちゃんが一人でカラオケに行ったなんて意外だなあ。仕事と勉強のことしか頭にないのかと思ってた。少しは遊んだほうが良いけど、いままで遊ぶことを知らなかった分、遊びに目覚めて深みにはまらないようにしてね」と、チームリーダーは冗談とも本気ともつかないような口調でいった。
「遊びじゃなくて、飲み会でカラオケのマイクが回ってきたときに困らないように練習に行ったんです。でも、一人だけでカラオケで歌ってもあんまり上達しそうにないから、多分もう行かないです」
「それもまた残念だねえ。富ちゃんは真面目すぎるよ。もうちょっと仕事以外の趣味とか、余裕とか、持ったほうがいいよ。今、ものすごく研究に熱中してるけど、どこかで息抜きしておかないと、いつかバテてしまうんじゃないかって思うよ。そうだなあ、やっぱり英語の先生を誘ってカラオケに行ったらいいよ」と、最後はまた冗談に戻ってしまった。
 次の水曜日はスチュワート先生が担当の英会話だった。私は、できるだけ積極的に会話に参加し、質問もした。スチュワート先生は、お腹の底からのよく通る大きな声で、いろいろなことを誤魔化さずに相手が理解するまで、平明な英語で熱心に説明してくれた。しかし、私が英語の文法に関して少しややこしい質問をした時は、先生は一生懸命説明して下さるのだが、どうも腑に落ちなかった。
 私の質問のせいで授業が難しい話になってしまい、他の人たちに悪いことをしたかなと思った。しかし、授業の終わりにスチュワート先生が英語で、「今日はミスター・トミタが積極的にたくさんの質問をしてくれたので実りの多い授業となりました。私はどちらかというと文法を教えるのがあまり得意ではないです。来週はアニーが教える予定なので、今日の質問の中で文法に関することは、アニーから補足説明してもらいます」といったので、私は嬉しかった。嬉しかったのはもちろん、私が質問したことを評価してもらえたからだ。
 でも、アニーって誰だろう。私が怪訝な顔をして、「Who is Annie?」と尋ねたら、スチュワート先生から、「ミス・マツイを知っていますね?」と訊き返された。それで、彼女がこの学校で、アニーという愛称で呼ばれていることが分かった。きっと日本語の綾野(あやの)という名前が他のネイティブの先生たちには覚えにくいので、そのようにしているのだろう。そのことが分かって私はなんだかますます嬉しくなった。

 私は次の週の水曜日が待ち遠しかった。セミナーに間に合う時間に職場を出られるよう、一週間の実験のスケジュールは水曜日に余裕ができるように組んだ。水曜日に私が喜んでセミナーに出掛けるのを見て、チームリーダーは満足そうだった。
 私が教室に到着した時、彼女とスチュワート先生が入り口前の廊下で立ち話していた。私は二人に挨拶して教室に入った。そして椅子に座って机の上にテキストと辞書を出した所で、彼女が教室に入ってきた。
「富田さん、とても勉強熱心なんですってね」と、彼女から私に話し掛けてきた。多分、スチュワート先生から先週の授業のことを聞かされたのだろう。
「いろんなことが分からないから、迷惑かなと思いながら、つい色々と質問してしまうんです」
「質問が迷惑っていうことはないですよ。説明する側にとっても、いい質問が出るとすごく励みになります」
「じゃあ、これからも一生懸命考えて、いい質問をします」
「是非そうして下さい」
 その時、私は何故か急にこの前のスチュワート先生のいったことを思い出して、「ところで、先生のことを授業中にアニーってお呼びしてもいいですか?」といった。
 彼女はまた驚いたような顔をして、それから少し照れくさそうに、「いいですよ。けど、それじゃあその代わりに、私は富田さんのことを何てお呼びすればいいですか」といった。
「私は職場では富ちゃんと呼ばれているんです。『富ちゃん』でも『トミー』でもいいですよ」
「じゃあ、『トミー』にします」
 それは授業の始まる前のほんの冗談のつもりだったのだが、その日の授業で彼女は私のことを真面目な顔をして「トミー」と呼んだ。また、彼女は他の生徒の一人一人にもなんと呼べばいいかを尋ねた。みんな恥ずかしそうに自分の愛称をいったり、苗字にミスターを付けて呼んで欲しいといったりした。私は、最初照れながらも彼女を「アニー」と呼んだ。他の生徒たちも彼女のことを「アニー」と呼ぶようになった。
 彼女の話す英語は、日本語と同じように輪郭がくっきりとして聴き取りやすかった。かといって日本語訛りのカタカナ英語ではなく、聴き取りやすいのは口を大きく開けてゆっくり、はっきり発音するためらしかった。彼女は説明が上手で、先週のスチュワート先生の説明で今一つよく分からなかったことが、一つ一つ、明確に理解できた。その理由の一つは多分、彼女が英語の文法について日本人の感覚で、日本語で解説してくれたからだと思うのだが、そのことで、それまでは英語はネイティブから学ぶべきと思っていたのが、どうもそうとは限らないのではないかというふうに思えてきた。
 授業の後で、彼女は帰り支度をしている私に、「富田さん、日本人は会話するときにあまりお互いの名前や愛称を呼び合わないですよね。こんなふうにクラスのみんなで愛称を呼び合えるようになったのは初めてです。富田さんのお蔭です」と嬉しそうにいった。
 私は「アニー先生の授業はとても楽しかったです」と、このときだけはさすがに「先生」を付けて呼んだ。そして、「ところで、カーペンターズ以外にも、あれから何かカラオケの練習しました?」と尋ねた。すると彼女は、「実は、」といってから、秘密を打ち明けるような口調で、「カーペンターズは好きですけど、カラオケに行くのは英語の勉強のためなんですよ」といった。
 私は思わず、「さすが、英語の先生は違いますね」といったが、いい方が厭味に響かなかったかと口に出した後ですぐ心配になって、「勉強熱心なんですね」と付け足した。そして、「カラオケで歌うことって、そんなに英語の勉強になるんですか」と尋ねた。
 すると彼女は先生らしい真面目な顔に戻って話し始めた。
「ただカラオケにあわせて歌うだけじゃ、あんまり勉強にならないでしょうけど、やり方次第でとても勉強になりますよ。私の場合、先ずCDを何度も聴いて、耳から聴き取った歌詞を紙に書いてみるんです。歌詞を見たくなってもできるだけ我慢して、もうこれ以上はいくら耳で聴いても分からないと思ったら、初めて歌詞カードと照らし合わせてどこが聴き取れているのか、聴き取れなかったのかを確認しながら、歌詞を清書するんです」
「最初は歌詞を見ない方がいいんですね」
「そうです。最初に歌詞カードを見てしまうと、そのとおりにしか音が聞こえなくなってしまいます。それでは耳の訓練にはならないんです。これはどんな教材でリスニングの訓練をするときも気をつけるべきことですよ。先ずはテキストを見ずに耳だけで聴き取る努力をして、その後でテキストを見るから、『こんな単語を喋っていたんだ。この単語はこんなふうに発音されるんだ』っていう発見があるんです。こういう発見を繰り返して、少しずつ聴き取れる英語の音が広がっていくんです」
 私は感心して、「なるほど」とつぶやいた。
「それで、歌詞を清書したら、次はそれを見ながら何度もCDを聴いて、強く発音する音節にマーカーで印をつけて強弱が分かるようにするんです。そうしているうちに、英語のリズムと歌詞が大体頭に入ります。それからようやくカラオケボックスで、印をつけた歌詞を見ながら歌うんです」
「一曲カラオケで歌えるようになるまでがたいへんですね。でも、最後にカラオケで歌うと、なにか効果があるんですか? 家でCDを聞きながら口ずさめば十分のような気もしますけど……」
「スピーカーを通じて、自分の声をはっきり聞きながら歌うのがいいんですよ。それに、英語を大きな声でしっかり発音する習慣が身につくんです。カラオケで歌うときは、腹式呼吸で、少し大げさなくらい口を動かして英語の音を意識しながら発音するように気を付けるといいと思いますよ」
 彼女は、英語の勉強の仕方についてならいくらでも話すことがあるみたいだった。
「クラスでもよく小声でぼそぼそと話す人がいるけど、英語は日本語と違ってお腹から声を出して話す言葉です。他の人も富田さんみたいに恥ずかしがらず大きくはっきり話すだけで、ネイティブにもよく通じるようになるんですけどね」
「私は、勉強する途中では少しくらい失敗しても恥ずかしくないって思ってるから、いつも大きな声で話すようにしているんです」
「いいことですね」
 私は彼女から褒められて単純にうれしかった。
「ところで、先生が歌うのは、どうしていつもカーペンターズなんですか?」
「カーペンターズは発音がはっきりしていてきれいだし、ゆっくりと歌う曲が多いから、聴き取りやすいし歌いやすいです。でも、男の人にはちょっと合わないかもしれないですね」
「カラオケで英語を勉強するなんて、何だか楽しそうですね。男性向きの曲ってないんですか?」
「そうですね、ビートルズや|PP&M《ピーピーエム》は男女問わず歌えるし、男性向きということならジョン・デンバーなんか良いでしょうね」
 私は、「一度、試してみます。有難うございました」といって教室を出た。
 次の土曜日の朝、私はレンタルレコードの店に行って、ビートルズとジョン・デンバーのCDを借りた。そのころCDは、それまでのレコードに代わって急速に売り上げを伸ばしており、レンタルレコードの店でも次第にCDが主流になっていた。
 私は借りてきたCDをカセットテープにダビングした。歌詞カードもコピーしておいた。そして何度もテープを掛けて、歌詞を聴き取ろうとした。しかし、ほとんど分からなかった。
 それからは毎日、テープを聴くようにした。でも、一週間しても歌詞は半分も聴き取れなかった。私はコピーした歌詞カードを見ようかとも思ったが、「できるだけ我慢して」という彼女の言葉を思い出して見ないようにした。
 二週間目に、分かる範囲でノートに歌詞を書いてみて、そして初めて歌詞カードを見た。その時、ジョン・デンバーのCDに、Annie’s Songというタイトルの曲があることに気がついた。しかも、その曲が、メロディーが美しいのでテープで聴いて特に気に入っていた曲だと知った。そしてその曲に「緑の風のアニー」という邦題があることを知った。私は歌詞を訳してノートの英語の横に書いてみた。すると彼女にラブレターを書いているような気分になって、胸の奥がちょっと熱くなるのを感じた。日本語のタイトルは、一度「緑の風のアニー」と書いたのを、少し迷って、最後に消しゴムで消して、「アニーの歌」と書き直した。私は、彼女が、この曲があるからジョン・デンバーのCDを私に勧めてくれたのだったらいいなと、勝手なことを考えた。

 それ以降、ほぼ隔週で、スチュワート先生の英会話と彼女の授業を受けた。彼女とも、スチュワート先生とも、授業が終わって帰りがけに、ちょっとしたおしゃべりをした。
 七月も終わろうとするころ、彼女の授業が終わった後で、廊下で彼女から、「富田さんはA駅の近くの研究所で仕事してるんですよね。一度カラオケボックスで一緒になった、あの直ぐ近くでしょ?」と話しかけられた。どうやら、勤め先の名前から調べたらしかった。
「そうです。あそこから歩いてほんの二十分くらいです」と、私は勢い込んでいった。彼女が私のことに関心を示してくれたことが嬉しかった。そして、「先生は、あれからあそこのカラオケボックスに行かれました?」と訊ねた。
「先生っていうほど、歳は離れてないですよ。アニーで良いですよ」と、彼女は笑った。
「授業中はそう呼べても、普段は照れくさいから。ちょっと失礼な気もしますし」
「他の先生からはいつもアニーって呼ばれてるから、全然気にしないですよ」彼女はそう断ってから、「あれからはまだ、あそこには行ってないです。実は私、週に一日だけあの近くの塾の講師をしていて、高校生に受験英語を教えてるんです。だから、授業のある毎週金曜日はA駅で乗り降りするんです。いつもは五時過ぎまで塾で教えて、六時前の電車に乗って家に帰るんですけど、あの日は質問を受けたりしていたらいつもの電車に間に合わなくなってしまって、次の電車までの空いた時間にたまたまあのカラオケボックスに寄ったんです」といった。
「ここに勤めながら、毎週、塾の先生もしてるんですか」
「実はここも、そっちも非常勤なんですよ。こういう学校は常勤の先生を増やしたがらないんです。それで、他にもアルバイトやったり、どの先生もみんな結構掛け持ちしてるんですよ」
 彼女の教え方があまりにも立派なので、すっかり常勤で専属の先生だと思っていた私は驚いた。それにも増して、彼女が毎週のように私の住むA市に通っていることに驚いた。
「毎週直ぐ近くまで来られてるんですね。じゃあ先生、今度は一緒に、あのカラオケボックスに行ってみませんか。あれから私も、ビートルズやジョン・デンバーの曲を何回もテープで聴いてみたんで、少しは歌えると思います」廊下で二人きりだったこともあって、私は思い切って彼女を誘ってみた。
 忙しいといって断られるかと思ったが、彼女は「七時過ぎの電車に間に合う時間までならいいですよ」と快く了解してくれた。そして、その週の金曜日の六時にカラオケボックスのロビーで待ち合わせる約束までした。
 実は私はその次の週の月曜日に、それまでの実験結果を職場内で発表することになっていた。だから金曜日は夜遅くまで実験して、次の土曜日に結果をまとめるつもりでいた。しかし彼女と会う約束をしたので、予定を変更して金曜日の夕方は早く職場を出ることとし、その分、朝早くから職場に出て実験を始めた。
 原口チームリーダーが出勤した頃には、私は一仕事終えていた。
「富ちゃん、早いね」
「来週の月曜日は発表ですから」
「富ちゃんの発表は、いつも気合が入っているよね。でも、金曜日くらいは夜遅くまで残業しないほうが良いよ。どう、今晩、久しぶりに飲みに行く?」
「ちょっと、今日は予定があるので」そういって私は、彼女との約束について話した。
「やっぱりカラオケに誘ったんだ。初デートだね。頑張ってね」
「デートかどうか分かりません。済みませんけど、今日は五時半になったら直ぐに帰らせて下さい」
「どうぞ、どうぞ」

 私はその日、終業と同時に職場を出て、急ぎ足でカラオケボックスに向かった。カラオケボックスに着いたのは、約束の時刻の数分前だった。彼女は、先に来てカラオケボックスのカウンターの横の席に座って熱心に本を読んでいた。私がドアを開けて店に入ると彼女はちょっとだけ顔を上げて、私だと分かるとにっこり笑って本を閉じ、いつもの大きなバッグの中に仕舞った。
 カウンターにはこの前と同じ女性店員がいた。「二人でお願いします」といって、一緒に受付をした。店員から部屋番号を告げられ、二人で部屋に向かった。
 私は彼女に、「先生から先に歌ってください」と勧めた。彼女はカーペンターズのMaybe it’s youという曲を選んだ。その曲の伴奏は静かなピアノのイントロで始まったが、彼女はそのピアノに負けないほどきれいに澄んだ声で、とても上手に歌った。歌が終わると私は拍手して、「本当に上手ですね」と心の底からいった。
「有難うございます。いつも一人でしか歌わないんで、カラオケで歌って上手だと誉めてもらったのは今日が初めてです」と、彼女も心から嬉しそうにいった。
 その次に、私がビートルズのYesterdayを歌った。本当は「アニーの歌」を歌いたかったのだが、恥ずかしくて選べなかった。
 歌い終わると、彼女は拍手して私の歌を誉めてくれたけど、私は何だか自分自身で少し物足りない気がして、思わず「もうちょっと練習しないとだめだよね」といった。すると彼女も、「そうね。でも、練習すると、私よりも絶対上手くなると思うよ」と、柔らかな喋り方になった。
 それから彼女はカーペンターズのI Need to be in Loveを歌った。これもとても上手だった。特に曲が盛り上がるところでは、気持ちを込めて胸に切々と迫るように歌った。
「本当に上手だね。よっぽど練習してるんでしょ?」
「うん、かなり練習してるよ。でもね、これまで人に聴いてもらうつもりなんかなかったから、こんなに誉めてもらえるなんて思ってなかった。カラオケに二人で来るとこんなに楽しいんだって、初めて分かった」と、もう打ち解けてずっと昔からの友達同士のような喋り方で会話が弾んだ。結局、一時間弱の間に彼女が五曲、私が四曲を歌った。彼女は私が一曲歌う毎に、その曲の歌い方のコツを簡単に教えてくれた。
「ほんとに楽しかったけど、そろそろ帰らないとね。今度は再来週、教室でね」と、ここで彼女は英語の先生に戻った。
 それから電車に間に合うようにと、二人で慌ててカラオケボックスを出て駅に向かった。夏の夜風が気持ちよかった。彼女が乗る電車が出発する五分前に駅に着いた。
「聞いてなかったけど、先生の家はどこなの?」
「また、先生だなんて……。家はここから千葉行きの電車に乗って、五つ目の駅で降りて、そこから歩いて直ぐ」
「家まで送って行くよ」
「有難う、でも送ってくれても直ぐには戻りの電車がないし、ここまで戻ってきたら九時頃になってしまうんじゃない?」彼女がそういって止めるのをきかず、私は二人分の切符を買って電車に乗り込んだ。
 電車は結構混んでいて、私は一人分空いていた席に彼女を座らせ、自分はその前に立って吊り革につかまった。彼女のショルダーバッグは私が網棚に載せた。バッグはずっしりと重かった。
「ところで、どうしてカラオケで英語を勉強するようになったの?」
 彼女は私の顔を見上げて、「おかしい?」といって笑った。そして私の質問には直接答えず、「私の英語の勉強は、実はほとんど自己流なのよ。今は通訳者養成の通信教育も受けてるけど、それ以外はほとんど独学。留学経験どころか、海外には家族旅行で一回行っただけ。でも、いろんな工夫をしてきたから結構喋れるでしょ。カラオケもそんな工夫の一つなの」といった。
「でも、もちろん学校でも勉強したんでしょ?」
 すると彼女はいきなり、「ねえ、聞いてくれる? 実は私、大学は工学部の機械工学科なの」といった。
「へえ?」と私は本当に驚いて、おかしな声を出してしまった。
「て、思うでしょ。これいうと、誰でも驚くのよ」
「で、どこの大学?」
「K大」
「えっ、ほんと? 何年卒業?」
「昭和五十八年」
「実は僕もK大なんだ。理学部化学科の昭和六十一年卒業。そしたら、僕の先輩じゃない」周りに他の乗客がいることも忘れて、私の声はかなり大きくなっていた。
「ほんと? 理学部なの? 理学部と工学部、すぐ近くじゃない。三年違いだから、どこかですれ違ったりしてたかもしれないよね」
 この後二人で、大学の周りのどこの店の食事が美味しかったとか、どの教授の講義が面白かったとか、大学時代の話題で暫く盛り上がった。
「工学部って、女子はほとんどいなかったでしょ?」
「せいぜい一、二割くらいだったかなあ。中でも機械工学科は少くて、女子は二十五人中、私一人だったのよ」
「もてただろうね」
「いえ、いえ。女の子扱いされてなかったから」
「みんな見る目がないんだなあ」そういってから、私はさっきから感じていた疑問を口にした。「でも、なんで機械工学科を出て英語の先生になったの?」
「英語はあくまで目的と違って手段だと思ってたから、大学で英語関係の学科には入りたくはなかったの。英語を喋ること自体は学問として大学で勉強するようなことじゃなくて、英語で何を喋るかを学ぶことのほうが大事だと思って、その喋る中身に機械工学を選んだんだと思う。父が町工場の経営者だから、機械を見たりいじったりするのも好きだった。機械のことをいろんな人と話したかったんだと思う」
「ということは、本業は英語と機械工学と、どっちなの?」
「今は英語が本業ね。英語は中学、高校とずいぶん勉強したし、大学でも一生懸命だったわよ。卒論は英語で書いたしね。それから、勉強とアルバイトを兼ねて、外国観光客の通訳や塾の英語講師を大学時代から始めたし、大学を出てからは今の英会話学校の先生になったり観光通訳ガイドの資格も取ったし、通訳の派遣会社にも登録して企業関係の通訳なんかもやったよ。機械工学を専門にしたお蔭で技術的なことの通訳や翻訳もわりと得意だからね」
「でも、大学生や大学出たての人に、そんな難しい仕事をよく任せてくれるもんだね?」と、私は何となく感じた疑問を口にした。
「やっぱり資格と違うのかなあ。英検一級に合格したり、|TOEIC《トーイック》で九百点以上取ったりすると、どこでもわりとすんなり受け入れてくれるのよ」
 私は驚いた。英検一級やTOEICで九百点以上なんて、雲の上のまた上の話だと思っていたのに、そのことをなんでもないことのように彼女が話すからだ。
「先生、英検一級って、いつ合格したの?」
「富田さんから先生って呼ばれると、なんか恥ずかしいな。ほんとに、アニーって呼んでくれたらいいんだから……」
「ごめん……。でも、『アニー』って呼ぶのはこっちが恥ずかしいよ。『松井さん』じゃあだめかなあ」
「それでもいいけど……」
「じゃあ……、松井さんは、英検一級にいつ合格したの?」
「英検一級は大学一年のときだったよね。最初に受けた時はぎりぎりで落ちて、すごく悔しかったの。それで不合格の通知の葉書を机の前にテープで貼って、毎日眺めながら勉強したの。そしたらやる気が出て、半年後には合格できたのよ」彼女はそういって笑った。
 私は、英語では彼女に絶対に歯が立たないと思った。私自身は大学三年のときに、ようやく英検準一級を受けて合格したのだ。TOEICに至っては、就職してから初めて受けた。でもその成績のお蔭で、今では社内で英語のできる人として通っているのだが、要するに英語に関して、彼女のレベルは私などとはよほど違うのだ。
 そうこうしているうちに彼女の降りる駅に着いた。A駅と千葉駅のちょうど真ん中あたりの、それほど大きくない駅だった。
 私は彼女のバッグを網棚から降ろし、それを自分の肩に掛けて電車を降り、二人で改札を出た。私は彼女を家まで送って行くといったのだが、「ここまで送ってくれて有難う。ここからは直ぐ近くだし、後は自分で帰るから、遅くならないうちに帰って」と彼女はいった。
 私は、自宅まで付いて行くのも失礼なので、そこで別れることにした。別れ際に私は彼女に、「今日は有難う。本当に楽しかった。今度また一緒にカラオケに行けるように、もっと英語の歌を練習しておくから」といった。
 
 その夜は彼女との会話を思い出して、暫く眠れなかった。
 当時は土曜が隔週出勤で、その週は土曜日が休みだった。しかし私は、前々からその土曜日は出勤して、月曜日の発表のためにレポートを纏めるつもりでいた。
 金曜日の夜に眠れなかったせいか、土曜の朝は少し寝坊してしまった。しかしその後、彼女に負けてはおれないという気持ちがむくむくと湧いてきて、私は俄然やる気になって、朝御飯もそこそこに職場に出て、月曜日の発表の準備を始めた。お昼は外に食べに行ったが、その後も夕方の七時ころまで机に向かって仕事をしたので、自分でも気に入る良いレポートが書けた。
 月曜日は研究チームのメンバーだけでなく、所長も発表を聴きに来た。私が発表したのは、酵素の担体であるポリマーの架橋の程度がバイオリアクターの製品回収率にどのような影響を及ぼすかということについての実験結果であった。私の発表を聴いて、原口チームリーダーは所長の前で、「努力している分、いい結果が出てるね。努力は報われるということだね」と誉めてくれた。私は嬉しかった。
 その週の水曜日は、スチュワート先生の英会話の授業のある日だった。私は張り切って、熱心に授業に参加した。いろんなことで気持ちが高揚していて、自然と体にも力があふれてくるような気がした。
 授業が終わって先生に別れの挨拶を済ませ、玄関を出ようとしたら、彼女がいた。彼女もちょうど帰るところのようだったので、「晩御飯食べた? まだなら、一緒に行かない?」と誘ってみた。でも彼女は、「ごめんなさい。予定があるから」といった。この前のカラオケのときも彼女は一時間ほどしか付き合ってはくれなかったことを思い出した。
「ごめんね。私、毎日、夜の九時半までには必ず家に戻りたいの」
「門限、厳しいの?」
「そうじゃないんだけど……」
「それだったら、今度の金曜日に、もっと早い時間に食事しに行かない?」
「この前の時間だったらいいよ」
 こうして私たちは、その週の金曜日の晩に、例のカラオケボックスの前で待ち合わせて食事に行くことを約束した。

 金曜日に、私は約束の時刻より十分前にカラオケボックスの前に到着した。昼間は日差しが厳しく、夕方になっても暑い日だった。彼女はもう先に来て、カラオケボックスの入り口横に植えてある樹の木陰に立ったまま本を読んでいた。
 近づきながら「お待たせ」と声を掛けると、顔を上げてにっこり笑ってバッグに本を仕舞った。
「どこ行く?」と私は尋ねた。
「どこでもいいよ」
「駅の方にイタリアンの店と中華料理の店があるけど、どっちがいいかな?」
「あっ、中華料理の店、私行ったことある。あそこの点心は美味しかったよ。もう一回行ってみたいなあ」
 その店は、安くて味のいい、庶民的で良心的な店だった。店には入り口を入って直ぐのところに四人掛けのテーブル席が五つあり、奥に十人ほど座れる円卓の置かれた個室が三部屋あった。二人で中ほどのテーブル席に座った。店の入り口近くの壁には棚があって、その上に古い白黒テレビが置いてあった。テレビにはどこか外国で行われているらしい、男子マラソンの中継が映っていた。
「何時までなら大丈夫なの?」
「八時前の電車に乗りたいな」
「やっぱり、門限厳しいの?」
「そうじゃないの。うちの親は昔からなんでも私がやりたいようにさせてくれるの。私の帰るのが遅くなったら両親は心配してるとは思うけど、『何時までに帰れ』とは絶対いわないと思う。だいたい、もうそんなこという歳じゃないもの。親にしてみたら、たまには外泊くらいしてくればっていう気持ちかもしれないわよ」
 私は八月六日に誕生日を迎え二十六歳になったばかりで、彼女はあと四ヶ月で誕生日を迎え、二十九歳になるところだった。
「たまには外泊して欲しいなんて、いくらなんでも思わないだろうけどなあ。でも、門限もないのに何で毎日早く帰るの?」私は不思議に思ってそう訊ねた。
「塾や英会話学校で教えることの予習をしないとね。それに実は……、夜は自分の勉強もするって決めてるから」
「勉強って、英語の? どんな勉強するの?」
「家事をしながら、英語のカセットテープに合わせて発音の練習とかするの。これだとテキストを見る必要がないから、ながら勉強に最適でしょ。それ以外にも通信教育のレポートを書いたり、寝る前に毎日最低二時間は英語を勉強することにしてるのよ」
 後で知ったことだが、テープに合わせて発音する練習方法はシャドウイングとよばれ、彼女は家の中では絶えずラジカセを聴きながら、家の近くの公園を散歩するときも当時流行っていたカセットテープ式のウォークマンを聴きながら、この練習を続けているらしかった。
「これから帰って勉強するんだったら、お酒は止めといたほうがいいかなあ?」
「中ジョッキ一杯位までなら大丈夫」
 そこで、私は中ジョッキ二つと、彼女がお奨めの点心を注文した。
「この前も、本読んでたよね。いつも何の本を読んでるの?」
「私、面白そうなのは何でも手当たり次第に読むの。さっき読んでたのはこれ」といって彼女はバッグから一冊の本を出した。それは英語で書かれた社会学の本だった。彼女の大きなバッグにはいつも何冊かの本と、辞書と、塾や英会話学校で教えるテキスト、小型のテープレコーダーなどが入っていた。そして、待ち合わせの時間や電車で移動する時間など、ほんの少しでも隙間の時間があれば、本を読んだりカセットテープを聴いたりするのだ。
「本の虫だね。勉強家なんだ」
「そうかも。でも、富田さんもいつも論文を持ち歩いて、暇さえあれば読んでるでしょ。富田さんと一緒にいると、私ももっと頑張らないとって、いつも思うのよ」
 その時急に、テレビからアナウンサーの声と歓声が大きく聞こえてきた。誰かがテレビの音量を上げたらしかった。私たち二人はテレビの画面の方を振り向いた。
 そこでは二人のマラソンランナーがゴールを目前にして競り合いを演じていた。スタジアムのトラックの上を、二人の選手が並んで、必死の形相で互いに相手を引き離そうとして走っていた。そうやってトラックを半周ほど並んで走ったが、やがて一方の選手が少しだけ前に出て離れ始めると、もう一人の選手はとうとう我慢できなくなったかのように僅かにスピードを落とした。観衆からはどよめきが起こった。そして直ぐに、前に出た選手が優勝のゴールテープを切り、ほんの数秒遅れで後の選手が二位でゴールした。優勝した選手と二位の選手はゴール直後にしっかり抱き合い、互いの背中を手のひらで叩き合ったが、その後力を使い果たして二人ともその場に座り込んでしまった。暫くして二人の選手は、それぞれが二、三人の人に肩を支えられてようやく立ち上がった。スタンドからの歓声と拍手が続いた。
「私、マラソンって好きだなあ。目標がはっきりしてるしルールが単純で、それになによりも、最後まで頑張った人が勝つ競技っていう感じがするから」と、彼女は画面を見ながらいった。
 その後は、それぞれ好きなものを注文して食べながら、最近読んだ本で何が面白かったか話をした。そして、互いに持っている面白い本を交換しようという話になった。彼女が「読み終わったら感想聞かせてね」というので、私は「松井さんもね」と答えた。そうしているうちに、いつの間にか彼女が帰る電車の時間になっていた。
 ほんの少し酔って、二人そろって店を出た。ようやく太陽が沈んだ夕焼けの空高くに、早くも星が姿を現し始めていた。
 A駅は店を出たすぐ目の前だった。いくら小さな駅だとはいえ、その時間は本数の少ない電車に間に合わせようとする通勤帰りの人たちで少し込み合っていた。その日も私は彼女の降りる駅まで送って行くといったのだが、彼女が「富田さんの大事な時間を無駄にしたくないから」といって、私が一緒に電車に乗っていくことを断った。だから私は駅の改札の外に立って彼女を見送ることにした。
 彼女は改札を通って上りのホームに渡るための階段を登り、途中でちょっと私を振り返ってにっこり笑って小さく手を振り、そして人ごみに紛れ姿を消した。

 その年の夏、私の研究に一つの進展があった。私が大学生時代に扱っていた金属触媒を使ってポリマー合成の際の架橋の程度をコントロールすることによって、バイオリアクターの担体として最適な構造のポリマーを作成できる目途が立ったのだ。
 この研究を完成させることは、会社にとっては製品の製造コストを削減できるというメリットがあった。また、私にとっては大学時代の研究と企業に勤めてからの研究が繋がるという点でも大きな意味があった。私は結果を纏めるため、夏休みも取らずお盆の間も夜遅くまで職場に出た。
 八月二十日に、私はそれまでの実験結果を、夏休みから戻ってきたチームリーダーや所長に報告した。二人とも私が出した結果の重要性をよく理解してくれ、たいへん誉めてくれた。しかし私はチームリーダーや所長だけでなく、彼女にも自分の出した成果を早く話したかった。その週は英会話学校がお盆休みで、彼女と教室で会えなかったのだ。
 私は思い切って、彼女の自宅に電話してみることにした。彼女とは、八月上旬に会ったときに電話番号を交換していたのだ。そのころ携帯電話などというものはなかった。それどころか、私の部屋には電話機がなく、寮の玄関にある共用の電話機を使っていた。この電話機に誰かから電話が掛かってくると、管理人か近くにたまたまいた人が受けて取り次ぐのがルールになっていた。私はこの電話機の電話番号を彼女に渡したが、その日まで彼女から寮に電話が掛かってきたことはなかった。
 私は夕方に寮の電話から彼女の家の電話番号に電話を掛けた。呼び出し音が三回、四回と鳴るたびに緊張した。五回目の呼び出し音の途中で受話器が取られ、「はい、松井です」という若い男性の声がした。私は一瞬、彼女とどういう関係の人だろうかと思いながら、「英会話学校でお世話になっている富田といいます。綾野さんはいらっしゃいますでしょうか」といった。
 「少々お待ちください」男性はそういって受話器を置いた。そして、明るい声で「お姉ちゃん、電話。富田さんから」というのが聞こえた。それで、最初に電話に出たのが彼女の弟であることが分かった。それにしても彼女の弟のしゃべり方が、まるで私の名前を知っているかのようだったので、私は少し驚いた。
 その後、直ぐに彼女が電話に出た。私は彼女に、「明日は金曜日だけど塾の仕事はあるの? もしこっちに来るんだったら、夕方会わない?」といってみた。
「塾はあるんだけど、今は夏休みの特別授業でいつもより終わりが一時間半も遅いから、夕方は会えないなあ」彼女は少し残念そうにそういった。
「そうなの? 大変だね」
「うん」
彼女はそう返事してから、暫く考えた後に、「でも土曜日だったら時間あるわよ。せっかくだから、二人でちょっと懐かしい所に行ってみない?」といたずらっぽくいった。
「懐かしい所って、どこ?」
「大学」

 土曜日の午後、私たちはK大学のキャンパスにいた。私が大学を訪れたのは二年ぶりのことだった。彼女は私以上に長いこと、大学には行っていないようだった。
 土曜日であるうえに夏休み時期中でもあって、大学の構内は閑散としていた。私たちは工学部の隣にある川口記念会館に向かった。この建物は、事業に成功して資産家となったOBからの寄付によって建てられたもので、会館にはそのOBの名前が付けられているのだった。
 中に入ると、かろうじて喫茶室が開いていた。私たちは一番奥の窓際のテーブルに着いて、アイスコーヒーを注文した。冷房が効いて涼しく、あっという間に汗が引いた。客は私たち以外には、文庫本を読んでいる女子学生が一人と、向かい合ってノートを開いて数学の問題について話し合っているらしい二人連れの男子学生がいるきりだった。
「私、よくここでコーヒー一杯だけ注文して、何時間も居座って本を読んだり友達と話をしたりしたんだよ」
「僕もよくここに来たなあ。研究室のメンバー何人かで来て、コーヒーだけで二時間近く議論をしたこともあったよなあ」
「懐かしいね」
「なんだか、まるで二人で一緒にこの場所にいたみたいだね」
「ほんとに一緒にいた時があったのかも知れないよ。隣り合わせのテーブルに座ってたりして」
 私はまるで以前にも、彼女とこのテーブルに二人して向き合って座って話をしていたことがあったかのような錯覚を感じた。
 それから二人で学生時代のことを一時間ほど話した。話すうちにお互いを苗字で呼ぶのがなんだか不自然に思えてきて、いつのまにか「アヤちゃん」、「ヒロくん」と呼び合っていた。
 会館を出ると、真夏の陽射しが厳しかった。アスファルトからは陽炎が上がっていた。会館と工学部の建物の間に植えられた欅からは、うるさく鳴く蝉の声が聞こえた。私たちは次に工学部の建物に玄関から入り、ちょっとだけ辺りを見渡してそこを出て、続いて隣の理学部の建物に寄り道した。そこから理学部の中庭を通り抜けて、図書館に向かった。途中、二人で辺りを見回し、「変わらないね」などといい合いながら歩いた。
 図書館の入り口に向かう道の両側には、大きな樹が何本も植えられていた。道はその樹の陰になっていて、涼しかった。そこを歩くと心地よいそよ風の中に、気持ちが落ち着くような、懐かしい不思議な香りがした。香りは、道の両側に植えられた樹から漂ってくるようだった。
「この香りは何なのかなあ。これを嗅ぐと夏休みを思い出すよ。夏休みにはよく図書館に来てたから」と私はいった。
「ユーカリの香りよ。ほら、この道の両側に植わってる樹。ユーカリの葉っぱには精油の成分が含まれていて、その香りがするのよ」
 そして彼女は、「夏休みは家にいると暑いから、私も一日大学の図書館で本を読んだりしたけど、今になって考えてみたら贅沢で貴重な時間だったんだね」といった。
 それから二人でそのまま図書館に入って、書架の間を本の題名を見ながら黙ってゆっくりと歩いた。その後で閲覧室を覗いた。閲覧室では何人もの学生が本を読んだり、勉強をしたり、中には熟睡していたりした。
 図書館を出ると、二人で駅のほうに向かって歩いた。時計を見ると三時過ぎだった。歩きながら彼女が突然、「ヒロくん、いわし屋って知ってる?」といった。「いわし屋」というのは、大学から駅に行く途中にある居酒屋の名前だった。この店は活きの良い鰯を仕入れ、刺身、てんぷら、焼き魚、つみれ汁などいろんな料理にして出してくれる。貧乏学生でもたっぷりと美味しいものを食べて飲めると評判だった。私も学生だった頃、研究室の歓迎会や学生仲間での忘年会などでよく利用した。
「知ってる、知ってる。学生のころ行ったよ」
「安くて美味しいよね」
「行ってみようか?」
「うん」
 店に入ると、まだ時間が早いこともあって、他にほとんど客はいなかった。店の入り口に大きな水槽があって、人工の照明に照らされてたくさんの鰯が泳いでいた。水槽の端では、ポンプで送られた空気が一番底から細かい泡になって、輝きながら水面まで立ち昇っていた。そのせいで生じる緩い水の流れに逆らうようにして、鰯たちはみな同じ方向を向いて、体に似合わない大きな口を同じように開け、静かに鰭と鰓を動かしていた。
 私たちは座敷の小さなテーブルに座り、生ビールのジョッキを二つと、鰯の料理を何種類か注文した。生ビールは、暑い中を歩いて来た体に吸い込まれていくようだった。
 私は彼女に自分の研究成果を話したくて彼女を誘ったのだったが、その頃にはそんなことはどうでも良くなっていた。彼女と学生時代の思い出を共有できただけで満足だった。しかし、ビールを飲み始め暫くすると、彼女のほうから私の仕事について訊いてきた。
「ヒロくんは今、何の研究してるの?」
「バイオリアクターって、知ってる?」
「うん、知ってるよ。日本では田中教授が第一人者だよね」
 田中教授はK大学工学部の教授だった。
「うん。田中先生、たくさん立派な論文や本を書いてるね。もしかして、アヤちゃんは大学時代に教わったことあるの?」
「少しだけね。田中先生は生物工学科だったけど、バイオリアクターの装置部分はどちらかというと機械工学科の分野にも近いから、私がいた研究室にも時々顔を出して、うちの教授ともいろいろ議論してたよ。ヒロくんは理学部出身だけど、今の仕事は応用だから、もしかしたら工学部で研究することに近いんじゃないかなあ?」
「大学でも理学部と工学部でやってることは大して違わないと思うし、会社に入ってからも出身が理学部だからとか、工学部だからとかいって区別して仕事を分けるようなことはないと思うよ」
「そうねえ。それで、ヒロくんは大学でもバイオリアクターの研究してたの?」
「大学ではバイオリアクターじゃなくて、金属触媒の研究をしてた」
「そうなの?」
「大学でやってたことと、社会人になってからやる仕事がぴったり繋がる人なんて、めったにいないと思うけどなあ」
「確かにそうね。私なんか、全然違うものね。でも、大学時代に学んだことって一生忘れられないし、特に研究者って、社会人になっても大学時代のテーマにつながる仕事ができたら幸せなんでしょうねえ」
 彼女のその言葉を聞いて私は、「実は会社の今の仕事が、だんだん学生のころの研究に近づいて来てるんだ」といった。そういってから、私は彼女に今取り組んでいる研究の内容について詳しく話した。
 彼女は私の話を頷きながら聴いてくれた。そして最後に、「それはよかったじゃない。研究成果は論文にできるんでしょ?」といった。
「企業秘密や特許申請なんかに注意する必要があるとは思うけど、きっと論文にできるよ。是非論文にしたいと思ってる。先ず大学の卒論をきっちりとした論文にして、その後に今の研究も論文にして繋げていけたら、良いものになるだろうと思うんだけどなあ」
「論文はもちろん英文でしょ?」
「そうしたいなあ。海外の雑誌に発表したいなあ」
「私で手伝えることあったら手伝うよ。原稿ができたら読ませて。そういえばうちの英会話学校の先生に、大学で化学を専攻した経歴の人がいるから、その人に私から原稿のネイティブチェックをお願いしてもいいよ」
 私は思わず彼女に、「有難う。でも、アヤちゃんは何でそんなに親切にしてくれるの?」と訊いてしまった。
「研究成果を論文にするのって、研究者の夢でしょ。それが実現できたら、ヒロくんはすごく幸せでしょ。私もヒロくんの夢の実現のお手伝いが少しでもできたら、幸せな気持ちになれそうだもん」と彼女はいった。私は彼女に感謝した。
 一時間半ほどで「いわし屋」を切り上げて、二人で電車に乗った。客の少ない車両でロングシートに並んで座って揺られながら、二人してまた他愛ない話をし、何度か乗り換えをしているうちに、あっという間に彼女が降りる駅に着いた。
 席を立ちながら彼女は、「今日は学生のころの自分を思い出すことができて、本当に嬉しかった。あの頃は自分が、生活やお金のことを考えずに好きな勉強を好きなだけできる恵まれた時間を過ごしてたんだっていうことに気がついて、私、涙が出そうなほど幸せな気分だった」といった。
 彼女が列車を降りると直ぐにドアが閉まった。彼女はホームの上で私の方を向いて微笑んだ。私も窓の外の彼女を見て、微笑んで静かに頷いた。

 九月になって最初の水曜日に、英会話学校での授業が終わってから、彼女は私に、小声で「ヒロくん、お願いがあるの。ちょっと廊下で話していい?」といった。
「なんなの?」と、私は廊下に出て彼女に訊き返した。彼女は小声ですまなそうに、「明後日、私の恋人役になってくれる?」といった。
「どういうこと?」
「私が高校生に英語を教えてる塾で、国語を教えてる男の先生がいるんだけどね。その人、私のこと気に入ってるみたいで、いろいろ誘われるの。その人とは一度だけお昼御飯を食べに行ったことがあるんだけど、なんだか考え方が合わないし、自分のことばっかり喋るし、私の方は何とも思ってないの。だから、いつも『また今度』とか『他の予定があるから』とかいって断ってたの」
 彼女は浮かぬ顔でそんなことを話し、「それで先週も映画に誘われたんだけど、やっぱり、はっきりお断りしたいと思って、『私、実は付き合ってる人がいるんで、済みませんがもう誘わないで下さい』っていってしまったの。でも、急にそんなこといっても信じてないみたいなの」といった。
「分かった。恋人役でもなんでも引き受けるよ。それでどうしたらいいの?」
「今度の金曜日の五時四十五分に、塾の玄関まで迎えに来てくれないかなあ? その人、私が帰ろうとするときに、いつも一緒に玄関まで出て来るし、生徒や他の先生方も帰る頃だから。それで、みんなの見てる前で、ヒロくんが私を待っててくれて、『カラオケに行こうか?』とか声を掛けてくれたら、私に付き合ってる人がいるということがはっきりして、その人も諦めると思うの」
「ちょっとその人に申し訳ないけど、いいよ。でもその後本当にカラオケ行こうね」
「うん。いいよ」
 
 その日は小雨だった。私は大きめの紺色の傘を差して、塾の玄関のすぐ外で立って、彼女が出てくるのを待っていた。玄関からは生徒たちがそれぞれいろんな色の傘を開いて、一人であるいは何人か連れ立って、雨の道に出て行った。
 五時四十五分を少し過ぎて彼女が玄関に出てきたので、私は右手を上げた。彼女はにっこりしてこくりと頷き、「お待たせ」といった。私は傘を差し出して、「今日はどうする? いつものカラオケ行こうか?」と、わざと回りに聞こえる声でいった。彼女は真っ直ぐに私を見て微笑み、「うん」と返事をしてから私の傘に入って来た。そして、二人でゆっくり駅の方に歩き始めた。
 彼女の後に続いて私より五つ六つ年上の男の人が出てきてこちらを見ていたが、暫く歩いてからそっと振り返ると、ちょうどまた建物の中に入って行くところだった。私は、もしかしたらあれが国語の先生かなと思った。他にも何人かの生徒や先生たちが私たち二人を見ていた。
 カラオケボックスに入るなり私は、「あれで良かった?」と訊いた。
「うん。でも、へんなこと頼んで、ごめんね。嫌だったでしょ?」
彼女がそういったので、私は思わず「恋人役じゃなしに、ほんとの恋人だったら良かったなあ」と素直な気持ちを口にした。
 すると彼女は私の目を見て一言、「有難う」といった。その言葉は私が恋人役を演じたことへのお礼としていったものなのか、それとも「恋人なら良かった」といったことへの感謝の言葉なのか、私には分からなかった。そこで思い切って、「アヤちゃん、ほんとの恋人になってくれる?」と訊いてみた。彼女は少し恥ずかしそうにしながら、「うん、いいよ」と、はっきりうなずいた。それでさっきの言葉が、「恋人なら良かった」ということに対するものであることが分かった。
 そして彼女は、「私、ほんとはもっと前にあの人に、『付き合ってる人がいますから』ってはっきりお断りしておくべきだった。でも、ヒロくんの気持ちが分からなかったから、いえなかった」といった。
 私はもっと早くに、彼女に自分の気持ちを打ち明けていればよかったと思った。それから二人でキスをした。
 カラオケボックスを出ると雨は止んでいて、夕暮れの空に雲の切れ間から月が見えた。どこからか虫の鳴く声が聞こえた。二人で駅まで歩く途中、枝を広げて立っている街路樹のハナミズキや、電信柱の間に撓んで架かる電線、道沿いに柔らかな色で灯る街灯、不動産屋の看板に書かれた文字など、それまで毎日見ていたはずの当たり前の景色が、初めて見るもののように新鮮に、そして優しく感じられた。
 
 それからは、毎週金曜日に必ず彼女と待ち合わせ、食事に行ったり、カラオケボックスに行ったり、たまには千葉駅まで出て映画を観たり、彼女の買い物に付き合ったりした。ただ、英会話学校で会うときは、他の生徒の手前、彼女と付き合っていることが回りに知られないように注意をした。授業中は相変わらず互いを「アニー」、「トミー」と呼び合って、まるでジャック&ベティーのような会話をしていたが、何かの拍子に「アヤちゃん」と呼びかけてしまいそうだった。たまに授業後に二人で雑談する時など、ついつい恋人同士としての会話の延長のような言葉遣いになりかけたり、話が盛り上がってお互いに笑みがこぼれ、他の生徒に見られなかったかと心配した。
 私は今まで以上に彼女のことを知るようになった。
 彼女はたいへんな読書家で、暇さえあれば幅広くあらゆる種類の本を読んでいた。そのおよそ七割が、英語で書かれたものだった。彼女はそれらの本を驚くような速さで読むのだ。英語の本を読んでいて分からない単語が出てきても、ラインマーカーで印だけしておいて辞書は引かず、文脈から意味を想像しながら最後まで読み通すのだそうだ。そして本を全部読み終わってから、改めてノートにそれらの単語を書き写し、辞書を引いて意味を調べ整理するのだそうだ。
「どうして本を読む途中で辞書を引かないの? それで大丈夫なの?」と私が尋ねると、「本を読んでいる途中で辞書を引くと集中が途切れるでしょ。それよりもやたら辞書は引かず、この単語はどういう意味だろうって心に引っかかったまま本を読み続けていると、読み終わったころにはその単語の意味は文脈から大体想像がつくの。そうしてその想像が正しいかどうかを最後に辞書で確認し、ついでに他にどんな意味があるのかだとか語源だとかを調べたら、その時点ですでにその単語とは顔なじみみたいになっているものなのよ」と彼女は説明した。
 時にはカラオケで歌う英語の歌詞の意味について、二人で熱心に議論したりもした。彼女は英語の知識を駆使して歌詞の深い意味を解釈するので、私はその歌に対する見方が変わって驚かされることが度々あった。
 彼女はまた、博識でもあった。夏目漱石の作品を年代順に並べるとどんな順番になるだとか、モーツァルトは一度耳にしただけの音楽をすっかり暗記しピアノで演奏することができただとか、カラオケボックスの入り口に植えられている樹が生きた化石と呼ばれるメタセコイアという種類だとか、クイズ番組に出れば間違いなく優勝するだろうと思えるくらいありとあらゆる雑学に通じていた。
「日本語で聞いて分からないことはいくら英語で聞いても分からないでしょ。私、日本語で聞いて分かることを増やすためにも本を読んで勉強しないといけないと思うの。うまい通訳をするコツの一つは、話の内容をよく理解することだから、人の話が分かるようにいろんな知識を蓄えておこうって思うの」
そう彼女はいった。
 彼女の話の中で、彼女がこれまでどうやって英語を学んできたのかという体験談は、聞いていて迫力があった。彼女はあらゆることを英語のスキルアップに結び付けて活かしていた。それは、呆れるほど徹底していた。
 彼女は、カラオケでは英語の歌しか歌わないと決めていた。映画は吹き替えなしで観るようにしていた。
 朝は英語のラジオ番組を聴きノートにできるだけ書き取るようにしていた。テキストは買うが放送が終わるまでは開かず、放送の後で自分の書いたノートと見比べて、どれくらい正確に書き取れたかを確認するのだそうだ。
 彼女はケネディー大統領やキング牧師などの有名なスピーチを完全に暗記していた。中でも得意なのは、キング牧師がワシントンDCのリンカーン記念館前で人種差別の撤廃を訴えたときのスピーチだった。最初は静かに始まり、次第に熱を帯びて、最後は高揚して感動的に終わる十五分以上にもわたるこの長いスピーチを、彼女はキング牧師の喋り方を真似て一言一句間違えることなく演じることができた。スピーチでキング牧師は「I have a dream.」という言葉を繰り返していた。その言葉が彼女の口から出るとき、熱心に学び続ける彼女の気持ちと重なっているかのように私は感じた。
 彼女が髪の毛をショートヘアにしている理由の一つは、お風呂上りに髪を乾かす時間がもったいないからだということだった。「私、おしゃれより英語に触れることに時間を使いたいってこれまで思ってたけど、これでも最近、金曜日は少し化粧してるのよ」といって笑うのだった。「アヤちゃんはショートカットが一番似合ってるし、化粧なしでも美人だよ」と私がいうと、「お世辞でも嬉しいよ」といって笑った。
 そんな彼女の話の中でも、音読のそれは傑作だった。
「私、塾で生徒の前でテキストを大きな声で音読するでしょ。すると生徒より私の方がどんどんテキストを覚えるの。音読はほんとに英語の勉強になるのよ。発音もよくなるし、リスニング力も付くから絶対お奨めだよ」
「カラオケでも、音読でも、大きく声に出すのが英語を身につけるのにいいのかなあ」
「そうなの。はっきり発音して、それを自分の耳で確かめるのがいいんだと思う。ところで、カラオケで歌うのはカラオケボックスとかでしょ? じゃあ、音読はどこですると思う?」
「音読するのに特別な場所があるの?」
「実はねえ、音読するのに私が一番好きな場所はお風呂なの。お湯に浸かっている間は他にすることもないし、ゆったりした気分で声を出せるでしょ。自分の声がいい声に聞こえるし。それに、お風呂は毎日入るから、音読も自然と毎日することになるしね」
「でも、本を持ってお風呂になんか入れなんじゃないの」
「それがね、とっておきの方法があることに気付いたの。ラミネーターって知ってるかなあ。紙を専用の透明なフィルムの間に挟んでこの機械を通して熱を加えたら、紙がフィルムで密閉されて、お風呂場に持ち込んでも全然平気になるの」
「すごい発見だね」私は感心してそういった。
「そうでしょ。それで私、お気に入りの文章を片っ端からワープロで打って印刷して、ラミネーターで加工したのを百枚ほど家のお風呂場に置いて、それを毎日お湯に浸かりながら少しずつ音読してるのよ」
「そうなの?」
「そしたらある時弟が、『お姉ちゃん、恥ずかしいからお風呂で大きな声出すの止めてくれる?』っていうのよ。うちの風呂場は家の裏手にあるんだけど、弟が夕方、家に友達を連れて来ようとしたとき、まだ玄関に着くだいぶ手前から私がお風呂の中で大きな声で音読してるのが聞こえ出したんだって」
「きっと、よっぽど大きな声で読んでたんだねえ」
「自分では気付かなかったけど、実はそうらしいの」と彼女は笑った。
「それで、弟さんはどうしたの?」
「それで、姉がお風呂の中で大きな声でなんか喋ってることなんか知られたくないから、友達に、『そうだ、今日はうるさい近所のおばさんが来てるんだった。家に行くの止めておこう』って、適当なこといって、家に寄らずに別のところに行ったんだって。私、近所のうるさいおばさんにされてしまったの。ひどいでしょ」
「お姉さんが頑張ってるのに、近所のうるさいおばさん呼ばわりはないよねえ」
「そうでしょ? でも弟がいうにはね、きっと町内の人が家の前の道を通るたびに私の声聞いて、『松井のお姉さん、いつも風呂場で大きな声でなんか喋ってる』って噂になってるから、近所では嫁の行き手がないんだって」
 私は、彼女の家のお風呂の窓から、彼女の声が聞こえている場面を想像して、ついつい笑ってしまった。
「それで、お風呂の音読は止めたの?」
「いいえ、まだやってるよ。それくらいのことで嫁に行けないような所には、行かないから」
「そうだね。それで弟さんは? 諦めた?」
「呆れてる」
「もしかして、お風呂の中でカーペンターズ歌うこともあったりして」と、私は少しだけ冷やかした。
「実は、たまにね」
「でも、ほんとに勉強になりそうだから、僕もさっそく真似してみよかなあ」
「でも、お風呂のお湯はぬるめにしておかないと、のぼせてしまうからね」
そんなことをいい合って、大笑いした。
「アヤちゃんの話を聞いてると、僕ももっと頑張らないとだめだなあっていつも思うなあ」
私はそういいながら、以前、自分が同じことを彼女にいわれたことがあるような気がした。
「そう? そういわれるとちょっと恥ずかしいなあ。確かに私、今まで一生懸命にやってきたけど……、最近、ヒロくんに支えられて頑張ってるのよ。もしヒロくんが私のライバルになってくれたら、これからもずっと頑張れそうな気がする」
「アヤちゃんと僕とでは、実力が違いすぎて競争にならないんじゃない? ライバルは畏れ多いよ」
「英語では意地でも絶対に負けないからね」彼女は笑いながらそういってから、急に真面目な顔になって、「でも、学ぶことにどれだけ一生懸命になれるかということでは、私、ヒロくんにかなわないような気がするなあ」といった。「私、勉強することはしんどいけど、その分、自分で決めた目標に到達できたらうれしいと感じてた。でも、今まではそうやって少しずつでも前に進んでることが分かったのに、最近だんだん、同じだけ努力しても、進む距離がちょっとになってくるような気がするのよ」
「まあ、進めば進むだけ、だんだん難しくなるだろからねえ」
「そうでしょ。それで、努力してちょっとだけ前に進んでも、少しさぼったらまた後ろに下がってしまうようになるでしょ。そんな時、私、自分が川で流れに逆らって泳いでるちっちゃなメダカみたいな気になるのよね。それで、川は遡れば遡るほど、流れが急になっていくんだから」
「アヤちゃんがメダカだったら、僕なんかミジンコくらいだなあ」
「そんなことないでしょ」
 彼女が魚のたとえ話をするので、私はこの前「いわし屋」で見た水槽の中で群れて泳ぐ鰯の姿を思い出してしまった。そして、もし彼女が仮に小さなメダカだったとしても、そのメダカは鰯のように他の魚たちと一緒に群れをなして泳ぐようなことは、決してしないだろうと思った。
「アヤちゃんのメダカは流れが急になるほど、頑張って勢いよく川を遡ろうとするんじゃないの?」
「それがね、そう思えるときもあるけど、たまに私、自分の一生の間にそんなふうにして川を遡ることにどれだけの意味があるのかなって考えてしまうことがあるのよ」
 彼女はほんの少しうつむき加減で話を続けた。
「私が泳いでいるその先にも、そのさらに先にも、もっともっと先のほうにも、一生懸命泳いでる魚たちがいる。メダカどころか鮎も、鯉も、もっと大きな魚もいる。なのに、私みたいなメダカに何ができるんだろうか、今日泳げるだけ泳いでも、明日急に夕立で川の水かさが増えたら、あっという間に海まで流されてしまうんじゃないだろうかって、そんなことを考えたら不安になって、逆にそれだったら川の水に流されてみるのもいいのかなっていうような気になるのよ」
「アヤちゃんらしくないねえ。心配すればきりがないよ。ミジンコなんか、ほんと何も考えないから平気だよ」
「ヒロくん、人間ができてるから怖いものがないのよ。私はそうはいかないわ」
「そうかなあ。簡単なことなんだけど。例えば人は、生きている限り、いつか死ぬんじゃないかって余計なこと心配するでしょ。いつか死ぬかもしれないっていう不安から完全に逃れるには、実際に死ぬしか方法がないと思うよ。一度死ぬと、二度と死ぬことはできないからね。でも、いつか死ぬのが怖いから今生きるのを諦めるなんて、それこそ本末転倒でしょ? お金を儲けるには先ず元手になるお金が必要だからってお金を儲けるのを諦めたり、勉強しようにも本を読めるだけの学力がないからって勉強をするのを諦めるのと同じじゃないかな」と、私は思ったとおりのことをいった。
「それはおかしな話よね。つまり、私は、どうせ無理だとか、やっても仕方ないとか、やる前に諦めてるっていうことなのかなあ?」
「アヤちゃんはそんな後ろ向きな人じゃないよ。まあ、誰でもいろいろと心配になることはあるだろうけど、心配してもしかたないよ。例えば、誰でもいつかは死ぬんだけど、どうせ死ぬんだから何をしても意味ないって思うよりも、いつ死ぬか分からない人間だからこそ、生きているうちにやれることをやろうって思う方がいいんじゃないかなあ?」
「ヒロくんはやっぱり前向きだなあ。私もそうなりたいんだけどなあ……。私が今やってる塾や英会話学校の講師とかも、いつまでも続けられることじゃないでしょ? 夜中にお布団の中でふとそんなこと考えて、自分は将来、どうなるのかなって思うことはあるよ。どんなに頑張って、今は手に入れたと思っても、いつかは全部手放さなきゃいけないのかもしれないなあって」
「いつかはね。誰だって死ぬときはみんな手放すんだよ。でも、今、自分が何をしているか、どれだけのものを持っているかが大事なんだよ、きっと。山に登る人は、山の頂上に向かうとき、『頂上まで行っても、どうせその後は降りてくるんだから意味ないよ』とは思わないよね? お腹が空いて御飯を食べるとき、『今食べても、何時間後かにはまたお腹が空くから意味ないよ』なんて、絶対に思わないよね?」
「そりゃそうよ。そんなことしてたら、死んでしまうし」と彼女は笑った。
「でも、御飯を食べようが食べまいが、人間、いつかは死ぬんだよ。早いか遅いかの違いだけだよ」
「そうねえ」
「誰だっけ、山に登る理由を尋ねられて、『そこに山があるからだ』って答えたのは?」
「探険家のジョージ・マロリーよ。『Because it is there.』って答えたのよ」
「学ぶことも、山に登ったり御飯食べたりするのと同じじゃないかな? 登りたいから、頂に立ってそこから新しい景色を眺めたいから山に登る、新しいことを知りたいから、とりあえず今何かを自分のものにしたいから、だからいろいろ勉強するんだ。先のことはどうでも良くて、いまやりたいから勉強するんだよ。そうやって学ぶことに、やりたいからという以上の理屈は要らないと思うよ」
「今分かったけど、ヒロくんは学ぶことの目的が何かなんて、少しも考えてないのね。ヒロくんは学ぶこと自体が目的になってるのよ。ヒロくんは楽しいから勉強したり実験したりしてるということでしょ」
「そうかもしれないね」
「今の話はよくわかった。本を読むのは、そこに本があるからだ。ヒロくんのいうとおりよ。ヒロくんの話聞いてたら、元気が出てくるよ」
彼女はそういってから、暫くして真っ直ぐに私を見て、突然こんなことをいい出した。
「人間の運命なんて分からないし、ヒロくんと私だって、なんかの事情で離れ離れになることがあるかも知れないよね。でも、もしそういうことがあったとしても、ヒロくんと私が一緒にいて、話をしたり楽しい時間を過ごしたことが無駄だったとか、意味がなかったとか絶対に思わないからね。それに……、ヒロくんといる間は、いろんな不安を忘れられるよ」
 私は彼女が何故いきなりそんな話題を持ち出すのだろうかと訝った。そして彼女の心にある将来に対する漠然とした不安が、彼女にそんなことまでいわせるということに、何となく気付いた。

 その後も金曜日ごとに、私は彼女とどこかで待ち合わせた。秋は雨が降るたびに深まった。そして十一月に入ると直ぐに、その年最初の木枯らしが吹いた。駅前の歩道には街路樹のハナミズキの落ち葉が舞った。
 彼女の誕生日は十二月六日だったが、その時に彼女に何かプレゼントをしたいと私は思った。私は何を贈ればいいか全く思いつかなかったので、やっぱり本人の気持ちを訊いてみるのが一番いいと思った。それで、十一月の最初の金曜日に彼女とA駅前の喫茶店で待ち合わせしたとき、私は彼女に訊いてみた。
「十二月になったら、アヤちゃんに誕生日のプレゼントを贈りたいんだけど、何がいい?」
「私、ヒロくんの誕生日になんも贈らなかったし、私だけもらうのは悪いわ」
私の誕生日は八月だったが、そのころ私たちはまだ恋人としての付き合いを始めていなかったので、彼女は特別私にプレゼントをすることはなかった。
「そんなこといわずに、着るものとか、アクセサリーとか、何か欲しいものないの?」
 彼女はコーヒーカップを皿にもどし、いつものように私を真っ直ぐに見てから、「有難う、でも気を遣わないで。私、アクセサリーとか、他の人ほど興味ないの」といった。
 確かに彼女は服やアクセサリーなど身につけるものにあまり拘らないようだった。もちろん、いつもさっぱりとして清潔感のある身だしなみを心がけているようだったが、濃い化粧をしたり、高価な物やブランド品などを身につけることはなかった。
「気を遣ってるんじゃないんだ。アヤちゃんに贈り物をしたいっていう、僕の我が儘なんだ。だから何か贈らせて」
「そうなの? そしたら、物でなくていいから、二人で思い出に残ることしたいなあ」
「思い出に残ることって? 例えば旅行に行くとか?」
「それ、いいわねえ。私、海外から来た団体さんの観光案内で鎌倉や日光に旅行したことあるけど、今度はヒロくんと二人きりでどっか行きたいなあ」
「鎌倉だったら日帰りでいけるね」
「でも、鎌倉だったらいつでも行けるわね。それより、せっかくだから一泊くらいするところがいいかなあ?」と彼女が何気なくいったので、私は少しドキドキした。そして慌てて「まだ、日帰りでいいんじゃない」といった。
 私の慌て方につられるように彼女も慌てて、少し赤くなって「そんなつもりでいったんじゃないよ」といった。そして、お互いの慌てぶりが急におかしくなって、二人で顔を見合わせ笑った。
「アヤちゃんの誕生祝いだから、アヤちゃんの行きたいところがいいね」
「そしたら、冬だし、温泉みたいな所がいいなあ。近くでいいから、やっぱり一泊しない?」
「今から予約できるかなあ。それに、」と、私はちょっと躊躇したが、やはりはっきりさせておかないといけないと思い、「お父さんやお母さんには、旅行のことをなんて話すの?」といった。
「私、ヒロくんとのこと、今まで家族に全部話してるよ。どんな人かっていうことも、私がヒロくんのこと好きだっていうことも。そしたらお父さん、『もし結婚するんだったら、その前に連れてくるんだよ』ってうるさいの」
「そりゃ、そうだろなあ」といってから、私は急に、彼女と結婚するとすれば、物事の順番はどんなふうに進めて行けばいいんだろうか、それなら今回の旅行のことは、どうすべきなんだろうかと思った。
 私はいつの間にか、考え込むような顔をしたのだろう。彼女が慌てて、「ごめんね、急にへんな話して。こうやって付き合ってることと、結婚するかどうかなんていうこととは全然別の話だもんね。ヒロくんにはやりたいことがいろいろあるし、私がそれを邪魔したらいけないもんね。私、勝手なこといっちゃったけど、気にしないでね」といった。
 私は彼女が今度の誕生日で二十九歳になることを思い、彼女や御両親の気持ちのことを考えた。そうしたら、彼女になんといえば良いのかとっさに思い浮かばず、「考えてみるよ」とだけ答えた。
 彼女はその言葉をどう受け止めたのか、「ごめん。さっきいったこと、本当に重荷に感じないでね。別に私、親にヒロくんが特別な人だみたいなこといったわけじゃないからね。勘違いしないで。お願いね」と、くどいくらい念を押した。
 私は急に彼女の不安の正体を理解し、かわいそうに感じて、「別に重荷になんか感じてないから。心配しないで。来週、必ず返事するよ」と、旅行のことの返事なのか、それとも別の何かの返事なのか自分でも分からないままそんなことをいった。
 彼女がその後もちょっと気まずそうだったので、私はそれ以降その話は止めにして、最近の自分の研究の進み具合について話した。彼女は相槌を打ちながら一生懸命聞いてくれた。

 月曜日、私は原口チームリーダーに相談してみることにした。普通ならば職場の上司に相談するようなことではないだろうが、原口チームリーダーには遠慮せず話せた。
「実は私、英会話学校の先生に誕生日のプレゼントをしようと思って、何が欲しいかって訊いたんですけど、物じゃなくて記念になることが良いっていうんで、それじゃあ旅行に行こうかって話になったんです」
「良いねえ、婚前旅行?」
「それはどうか分かりませんけど……。で、どうしようかなあって思って。例えば……、鎌倉だったらどこかいい所あります?」と、本当はもっと別のことを訊きたかったはずなのに、私はチームリーダーの住んでいる鎌倉のことをつい訊いてしまった。
 するとチームリーダーは私の心を見透かして、試しているかのようにいった。
「鎌倉なら観る所はいくらでもあるよ。日帰りでもいいけど、せっかくなら一泊して、普段見られない所とかいってみたらいいと思うけど、どう? 今から宿を探すのは大変だけど、うちの近所の宿なら知ったところもあるし、何とかなると思うよ」
「実は、そのことなんですけど……」そういって、ようやく私は、彼女が鎌倉ではなく、近くの温泉でいいから一泊してはどうかといっていること、でも二人きりで泊り掛けの旅行に行っていいものか悩んでいることなどを打ち明けた。
「温泉は、なかなか今から十二月の宿をとるのは厳しいねえ。冬はシーズンだからなあ」
「そうですか」
「でも、なにをそんなに悩んでるの? 彼女が一泊したいっていってるんだし、富ちゃんもその子のことが好きなんだろ。それだったら、富ちゃんの行きたいとこに引っ張っていったらいいんじゃないの?」
「でも、それって彼女だけの問題だけではないと思いますし……」
「なるほどね、御両親か。彼女、一人娘の箱入り娘か?」
「そうじゃないとは思いますけど。兄弟は、弟さんが一人います。でも、私と一泊するなんて知ったら、御両親は心配されると思います」
「本当に富ちゃん、真面目だねえ。で、富ちゃん自身はどうしたらいいと思うの?」
「そうですねえ……」と私は少し考えた。そして、よく分からないまま、「二人で旅行に行く前に、彼女の両親が心配しないようにしなければいけないと思います」とだけいった。
「それにはどうすればいい?」
「私が不真面目で中途半端な気持ちではないっていうことを、彼女の両親に分かってもらえればいいのかなあ……」
「てことは、旅行の前に、彼女と婚約でもするってこと?」
私は呆気にとられ、「そういうことになりますか? でも、それじゃあ誕生日に間に合わないですね」と笑った。
「それ、何かおかしくない?」
「旅行するために婚約するみたいで、おかしいですね」
「じゃあ、どうすればいい?」
 「うーん」と私は考え込んで、ようやく「一泊旅行はもう少し先にとっておくということかなあ」といった。
「じゃあ、十二月の誕生日プレゼントはどうするの? 日帰り旅行にするの? 彼女の希望とは違うようだけど」
そういわれて私が困った顔をしていると、チームリーダーはようやく正解を明かすかのように、「彼女に、指輪を贈るって提案してみたら?」といった。
「指輪を贈ることを提案するんですか?」
「『提案する』って英語でなんていうんだっけ?」
 それで私はチームリーダーのいうことの意味を理解した。
「彼女が指輪を受け取るっていってくれたら、その後に御両親にも挨拶して、それからゆっくり旅行を計画して、何泊でも、なんなら海外でも行けばいいよ。そのときは少しくらい仕事を休んでいいから」といった。
 私はすっかり晴れやかな気になって、「アドバイス、有難うございます」といった。するとチームリーダーは突然、「千葉工場の吉川君、悔しがってたなあ」といった。吉川さんというのは、千葉工場からセミナーに参加している先輩である。「えっ?」と私は思わず声を出した。
「実は申し訳ないけど、富ちゃんが付き合ってる彼女がどんな人なのかと思って、一月ほど前に吉川君に電話で訊いて見たんだ。ちょっとおせっかいかもしれないと思ったけど、大事な部下の将来を左右する人のことを把握しておくのは上司の責任だ、なんて勝手な理屈でね。悪く思わないで」
「そうなんですか」
「彼女、吉川君より一つ下だってね? だから、今度の誕生日で二十九歳で、富ちゃんよりは学年で三つ上だよね」
「そうです」
「三つ上なら、しっかりしてるでしょ」
「はい、すごく勉強家だし……。でも、吉川さんは何を悔しがってたんですか?」
「アニー先生だっけ、とても素敵な人だっていってたよ。それで吉川君も一度くらい先生を食事に誘いたかったらしいんだけど、授業中はいつも富ちゃんが熱心に質問して独り占めにするし、そのうち先生のほうでも授業の後に富ちゃんと親しく話し込むようになって、二人でいい雰囲気だから、他の人はとても先生を食事になんか誘えないっていってたよ」
「そうなんですか」
「富ちゃん、隠すの下手だからなあ。二人が付き合ってるのは、あのクラスの全員が気付いてるって」

 次の水曜日、彼女のクラスの後で私は彼女と廊下に出て、今度の金曜は千葉駅まで買い物に付き合って欲しいとお願いした。
「ヒロくんの方から私に、買い物に付き合って欲しいなんていうの、珍しいねえ」と彼女はすこし不思議がったが、私が塾に六時に迎えに行くので、二人で一緒に千葉駅まで行こうということになった。
 金曜日に、千葉駅に向かう電車の中で私は、彼女をがっかりさせたくないと思いながらも、「この前の一泊旅行の話しだけど、やっぱりまだ一緒に行けないよ」といった。彼女はすこし残念そうに、「やっぱり、そう?」とだけいった。私は、「でもその代わり、今日は一緒に買い物に行きたいんだ。プレゼントしたいものがあるから」といった。
 千葉駅で電車を降りると、私は彼女と一緒に駅前の百貨店に入った。彼女を宝石貴金属の売り場に連れて行くと、彼女は少し困ったような顔をして、「プレゼントって、高いものは困るよ」といった。
 私は彼女に、「誕生日に、指輪を受け取って欲しいんだ。でも、どんなのがいいか分からないから、今日、一緒に選んで」といった。そして、売り場の女性に、「エンゲージリングって、どんなのがあるか見せてもらえますか?」といった。
 それを聞いた彼女は、びっくりするのと同時に嬉しそうな顔をしたが、しかしその後すぐに、「でも……」といった。私は後に続く言葉を待ったが、彼女はしばらく黙ってしまった。私は彼女のその先の言葉が怖かったが、訊かずにおれないので、「どうしたの?」と、できるだけ優しい声でいった。
 彼女は「あんまり突然だったから……」といって、暫くしてようやく、「指輪、今日は見るだけにさせて」といった。
 彼女は、売り場の女性の説明を熱心に聞いた。そして、「どのくらいの値段からあるんですか」と訊いた。
「それは贈られる方、受け取られる方のお気持ち次第です。いくらからっていうことはないですけど、でも大体みなさん、この辺りを選ばれますよ」といって、ダイヤモンドの指輪が並べられたケースを示した。
 彼女はそのケースから始まって、店中のいろいろな指輪を見たが、最後のほうに見た、落ち着いたアメジストの指輪が気に入ったようだった。しかしそれを欲しいとは一言もいわず、店員に「有難うございました」とだけいって仕舞ってもらった。そして、「ヒロくん、有難う。来週会うときに必ず返事するよ」といって店を出た。
 私は、先週、同じようなことを彼女にいったことを思い出した。だから、返事というのはどの指輪にするかなどということではなく、プロポーズを受けるかどうかの返事であるということが直ぐに分かった。

 次の金曜日、私たちは再び駅前の喫茶店で待ち合わせた。彼女は会うなり、「ヒロくん、本当に私たち、結婚していいのかなあ」といった。
「私、家事とかほったらかしで、自分のやりたいことしかしないかもしれないよ。食事作るのとか今は親に任せっきりだし、結婚してもどれだけのことができるか自信ないよ」
「でも、いつまでもそうしてるつもりじゃないだろ」
「私が一緒にいることで、ヒロくんの勉強の邪魔にならないかなあ」
「そんな訳ないじゃない。僕の方こそ、アヤちゃんの勉強の邪魔にならないように気をつけないとね」
「お互いに相手の邪魔にならないようにって気を遣うんだったら、結婚しないである程度の距離で付き合っていくっていうことでもいいんじゃないの?」
「僕は、アヤちゃんと一緒にいないと勉強が手に付かないようになるかも知れない。アヤちゃんは結婚したら、僕が勉強の邪魔になると思うの?」
「それは逆よ。ヒロくんと一緒にいたら、きっと、自分ももっと頑張らなきゃいけないなあって思うよ。ヒロくんと毎週金曜日に会うようになってから、私、前よりも一生懸命勉強するようになったのよ」
「もしかして、僕と付き合ってくれてるのも勉強のためだったりして?」私は、彼女がどんなことでも自分の勉強の材料にしてしまうことを思い出して、軽い冗談のつもりでそういった。
 ところが彼女は意外にも真面目な顔をして、「そういう気持ち、確かにあるかもしれない。ヒロくんと一緒にいると、マラソンで並んで走ってるみたいな気分だからね。でも、ヒロくんは私がそんな気持ちでいるって知ったら、嫌かなあ」といった。
 私はいつかテレビで見た、ゴールを目指して競い合うマラソンランナーの姿を思い出した。二人の選手は、全力を出し切ってゴールした途端、互いの健闘を称えあうように背中を叩きあっていた。すると、私自身の心の中にも、彼女と一緒にいることで自分が励まされ、鼓舞され、高められると感じる気持ちがあることに気付いた。そして、彼女といつも一緒にいたいという私の思いの一部分は、あるいはそのような気持ちから生じているのかも知れないと思った。
「嫌じゃないよ。僕自身も、そういう気持ち、あるような気がするし」
「私、ヒロくんのお蔭で、今まで以上に、学ぶことの楽しさを感じられるようになったみないな気がするのよ。だから、もしヒロくんが一緒にいなくなったらどうしよう、そうなったら私、今までみたいに頑張れるだろうかって思ってしまうの」
「そうなんだ?」
「でもね、もし結婚したらヒロくんが私に対してへんに責任感じて、今までみたいに自分のやりたいことを好きなだけやれなくなると困るなあって思うの。私、ヒロくんを邪魔するようなことは、少しもしたくないんだから」
「それだったら、一緒に暮らすようになっても、お互い自分のしたいことは自分の責任でする、相手のしたいことは邪魔しないって約束しようよ。結婚してからあいつはダメになったなんて、自分もいわれたくないし、アヤちゃんがそういわれるのもいやだから」
「でも浮気したいっていうのは駄目だからね」といって彼女は少し笑った。
「もちろん」
「それなら約束します。それで、」と彼女は少し恥ずかしそうに、「プロポーズ、お受けします」といった。
 そのあと彼女は小さな声で、「指輪だけど、この前、最後に見てたのがいいなあ」といった。
「アメジストの? もしかして、遠慮してる?」
「ううん、あれが気に入ったの」
「分かった。それじゃあ明日指輪を買って、そのまま御両親に挨拶に行っていいかなあ?」
「気が早いね。親には先ず私から話すから。絶対、反対はさせないよ。その後でいいから一回、会ってくれる? 明日じゃなくて、来週の土曜日でどうかな? その後で、今度は私をヒロくんの御両親のところに連れてってくれる?」

 次の週の土曜日、私はスーツを着て千葉駅で彼女と待ち合わせた。そして二人で百貨店の貴金属売り場に行って指輪を買った。彼女はすごく嬉しそうだった。それで私も嬉しかった。千葉駅前でお昼を食べてから、彼女の家に行くことにした。
 彼女の自宅はJRの駅から歩いて十五分程度の静かな住宅街にあった。家に近づくに連れて、私はかなり緊張してしまった。玄関を開けて彼女が「ただいま」というと、待ちかねたように直ぐに御両親が出てこられた。そして、私に「どうぞ、上がって下さい」といった。彼女もいつもと違って妙にかしこまって、「浩さん、どうぞ上がって」といった。
 彼女と私は、居間で彼女の御両親と向かい合わせに座った。座ると直ぐ、彼女が私のことを御両親に「いつも話している、富田浩さん」と、紹介した。私は、次は自分の口から、彼女と結婚させて欲しいということを御両親にお願いする順番だと思った。ところが、私が口を開くより先に彼女のお父さんが話し始めた。
「富田さんが娘にプロポーズされたこと、それから娘もプロポーズをお受けすると返事をしたことを、娘から聞きました。今までも娘から富田さんがどんな人か、十分聞いています。今回のことは、もちろん娘も富田さんも、十分に考えた上でのことだと思いますし、私たち両親は娘が素敵な人と結婚できることを喜んでいます。今日はわざわざ来て下さって有難うございます」
 それで私は、「有難うございます。よろしくお願いします」とだけいって、深々と頭を下げた。彼女も、彼女の御両親も頭を下げた。
 それから四人でいろんな話をした。彼女の御両親は、彼女と私との間にあったいろんな出来事をほとんど残らず知っているようだった。途中から、彼女の四歳下の弟の智君が外出先から帰ってきて、話に加わった。
「姉は風呂に入って大きな声で歌を歌ったりする人ですけど、それでも大丈夫ですよねえ?」
「ええ、その話はお姉さんから聞いてます。私も見習いたいけど、寮のお風呂ではちょっと他の人に迷惑なんで、今のところは我慢してます」
「ちょっと、私が風呂場で歌を歌ったことなんて二、三回でしょ? ヒロくんが誤解するじゃない」
「お姉ちゃん、最近は自分でも気付かないうちに、しょっちゅう鼻歌が出てるよ。富田さん、姉をよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。二人で幸せになるようにします」
 本当に気さくな家族だと思った。このような家族に祝福される私たちは幸せだと思った。
 次の日、私は彼女を連れて久しぶりに実家に帰った。その前の晩、私は両親に電話をして、彼女の実家で彼女の家族からどれだけ親切にしてもらったかを話した。そして、その分、明日は彼女に失礼のないようにして欲しいという意味のことをいった。
 電話の向こうで父は、「よっぽどいかれてるな? まあ、どんな人かよく見させてもらうよ」といったが、いざ彼女を連れて行くと、彼女の明るい気さくな性格のお蔭で話が弾み、私の両親も彼女のことをすごく気に入ってくれた。
 こうしてお互いの両親への紹介は無事済んで、後は二人でこれから先のことをじっくり考える時間を持てるようになった。
 十二月二十日には英会話学校でのセミナーが終わり、授業で彼女と会う機会はなくなったが、毎週金曜日には必ず会い、都合が付けば土曜日、日曜日にもどこかに二人で出掛けた。
 クリスマスイブには、レストランを予約して二人で少しだけ豪華な食事をした。除夜の鐘も二人で聞いた。年が明けて初詣には浅草寺にお参りし、これからの幸せを祈りおみくじを引いた。
 二人で会うたび、私達はこれからのことを話し合った。私たちが出会って一年になる五月に結婚式を挙げてはどうか、五月の第三日曜日が日も良いので、その日にしようということになった。結婚してから住むアパートを探しに、JR沿線の気に入った駅で降りて街を歩いたりもした。
 二人で過ごす時間は以前に比べて確実に増えていった。彼女が私と夜遅くまで過ごし、かつて必ず守っていた帰宅時間よりも遅くなることもたまにあった。しかし、彼女は自分の勉強は今まで以上にしっかりとしているようだった。私も彼女に負けまいと一生懸命勉強した。
 そのころ、それまでの研究成果を纏めた論文の原稿ができあがり始めていた。そこで私は、原稿を彼女に読んでもらった。
 彼女は単に英語のチェックだけでなく、「専門的なことはよく分からないけど」と前置きしながらも「実験方法の説明がちょっと分かりにくいね。測定の手順をもう少し詳しく書いた方がいいと思うよ」とか、「ここの考察に少し飛躍があるような気がするよ」などと、論文の内容についても丁寧に読み込んで問題と思う部分を指摘してくれた。その指摘がどれも的を射たものなので、私は彼女の理系の素養に驚いた。そして、彼女とのやり取りによって私自身の頭の中が整理され、自分が伝えたいことが読んだ人にきっちりと伝わるような形に論文が整理されていくのがよく分かった。
 
 二月半ばの金曜日に彼女と会ったとき、彼女のほうから相談したいことがあるといってきた。
「私、通訳の派遣会社に登録してるでしょ。その派遣会社に、テレビ番組の製作会社から連絡があって、私に仕事を依頼したいっていうのよ」
「どんな仕事?」
「千葉のローカル局のS放送で、海外の観光地をレポートする番組を日曜日にやってるの。その番組で、今度、ニュージーランドを取り上げるんだけど、そのレポートをする英語が話せる人を探してたんだって。その仕事は単なる裏方の通訳と違って、テレビでレポーターとして表に出るらしいの」
「うん、それで?」
「そこから先がちょっと可笑しいんだけど、番組制作会社から通訳派遣会社のほうに、若くて美人で英語のできる女性のレポーターを探してるから、いい人があったら写真付きの履歴書を送って欲しいっていってきたらしいの。それで、通訳派遣会社の人が何人分か履歴書のコピーを送ったんだけど、その中に八年ほど前の写真を貼った私の履歴書のコピーが入ってて、それ見た番組制作会社の人が私を指名してきたそうなの」
「よかったじゃない」
「私、そんなに若くないし、美人じゃないでしょ」
「そんなことないよ」
「私、番組制作会社の人の勘違いだと思ったから、派遣会社の方にお願いして、『写真は八年前のもので、本人はもう若くありません』ってわざわざ連絡入れてもらったの。そしたら、番組のディレクターから、『そのことは分かったけど、一度八年後の本人に会いたい』っていう電話が会社にきて、それで昨日、面接に行ってきたの」
「そうなの?」
「そしたら、ディレクターが『あなたはテレビに出たら、絶対人気出るよ。請け負う』っていうのよ」
「その通りだよ。さすがプロだ。見る目があるよ」
 確かに彼女は特別の美人ではないかもしれないけれど、充実した内面が外に溢れて、笑顔などきらきらと輝いているようだった。そのことをディレクターが目ざとく見つけて、磨く値打ちのある原石だと思ったのだろう。
「冷やかさないでね。おまけにね、そのディレクター、私の履歴書見ながら『独身ですか。良かったら、これからちょっと一緒に飲みにでも行きませんか』っていうのよ。女の人と会ったら、誘うことが礼儀だと思ってるのかも知れないけど」
「それで、どうしたの?」
「『私、もうすぐ結婚します』っていって断ったら、誘わなくなったわよ。でも、そのディレクター、飲みに行くのはともかく番組のほうは是非出て欲しいっていうのよ。どうしよう」
「ニュージーランドに行けるなんていい話じゃない。いつなの?」
「三月二十日から一週間ほど。私、行くならヒロくんと一緒に行きたいよ。でも仕事で行くんだから今回は一緒になんか無理だし、第一、ヒロくんその頃、予定入ってたもんねえ」
 彼女がいうとおり、私はそのころ、学会で研究成果を発表するために仙台に出張することになっていた。
「一緒に海外に行く機会はまたあるだろうから、今回は一人で行ってくればいいじゃない。せっかくの話を断る理由なんかないだろ」と、私は彼女に勧めたが、そのことを後になって悔やむ結果になろうとは、その時の私には思いもよらなかった。
「私、通訳っていっても駆け出しでしょ。今も通訳するときはできるだけ録音して、後で自分で聴くんだけど、ああ、ここはこっちのいいたいことがうまく相手に伝わってないなあ、ここはこういえば良かったなとかいっぱい反省することがあるし、時々はひどい誤訳に後から気付いて、恥ずかしさで頭の中が真っ白になるのよ。それがテレビで流れるのはちょっとどうかなあって、心配なのよ」
 確かに、彼女は自分の通訳を録音して聴いていることが時々あった。当時は今みたいな小型のヴォイス・レコーダーなどという便利なものはないから、録音には小さなテープレコーダーを使っていた。そして録音するときはちゃんと、相手の人にお断りするということだった。私は勉強用に欲しいといってせがんで、彼女が聴き終わったテープを貰ったことが何回かあるが、彼女の通訳はなかなかたいしたものだった。
「アヤちゃんの録音したテープ、何本か聴いたけど、僕が聴く限り通訳は殆んど完璧だと思ったよ。僕ら、日本語で喋っても間違うことあるし、勘違いもあるじゃない。ちょっとくらい間違えても大丈夫だよ。自信持って行ってきたらいいよ」
「それがテレビでみんなに知られるとなるとねえ、ちょっと困るなあ」
「大丈夫、間違えたってテレビ観てる普通の人には分からないよ。録画はいろいろ編集もできるみたいだしね。楽しんできて。僕には土産なんか買わなくていいから、写真撮ってきて。それから、テープレコーダー持って行くんだったら、また後でテープ欲しいなあ」
 

 結局、彼女はニュージーランドに行くことになった。彼女は三月二十日の夜の飛行機で出発したが、私は学会の会場である仙台のT大学に行くために二十日の早朝には新幹線に乗らねばならず、彼女の出発を見送ることはできなかった。その代わり、翌日の夜に、私は泊まっていた仙台のホテルから彼女の宿泊先のオークランドのホテルに電話をした。
「日本から長電話すると電話代がかかるよねえ。こっちから掛ける方が電話代が安いみたいだから、今度は私が掛けるよ」そういいながら彼女は、今朝早くにオークランドに着いて、午後は撮影でマウント・イーデンという丘に上ったり教会や博物館を訪れたりしたこと、オークランドが緑の多い美しい港町であること、夕食には海の近くで名物の新鮮な牡蛎を食べたことなどを話した。
 彼女は「ヒロくんの発表は明日だね。がんばってね。明後日の夜は寮に戻ってるんでしょ。私の方から明後日の夜八時ごろ寮に電話するよ」といった。私は、「仕事、がんばってね」といった。それからお互いに「おやすみなさい」といって、受話器を置いた。
 翌、二十二日の学会発表では、私は十分練習していたのでほとんど緊張しなかった。スライドを使った説明の後で質問を受ける時間があったが、これにも的確に答えることができた。研究成果を纏めた論文の原稿を彼女に読んでもらったおかげで私の頭が整理されていたことも、発表が上手くいった理由の一つであったかもしれない。そして、発表の後、ちょっと驚くようなことがあった。私が休憩時間に廊下に立っていると一人の男性が私に近づいてきて、「とても良い発表だったですよ」と声を掛けてくれた。その男性は、K大学の田中教授だった。私は「有難うございます」といって名刺を交換した。
 彼女は、二十二日にオークランドからクイーンズタウンに移動し、二十四日にはそこからセスナ機に乗って日帰りでミルフォードサウンドという美しい湾にまで足を伸ばしたあと、二十五日にクイーンズタウンから再びオークランドを経由して日本に向かい、翌二十六日の早朝には日本に戻ってくるという予定になっていた。彼女が日本に帰ってくる日は、私は午前中だけ仕事を休んで空港まで彼女を迎えに行くつもりでいた。彼女はきっと、笑顔で到着ロビーから出てくるだろう。それが待ち遠しかった。
 彼女が寮に電話を掛けてくる約束の二十三日、私は早めに寮に戻り、約束の時間の一時間前から玄関の椅子に座って、論文を読みながら彼女からの電話を待っていた。
 論文がなかなかすんなりと頭に入らず、同じところを何度も読み返した。別の人から二回、電話があり、私が取り次いだ。
 八時十分頃、ようやく彼女から電話があった。電話で彼女は、クイーンズタウンという街がいかに素晴らしい場所であるかを一生懸命話した。ワカプティ湖という、昔の氷河で削られた谷に水が溜まってできた大きな湖があって、山々を背景にその湖が青空を映してまるで宝石のように青く美しく見えること、その湖には古い遊覧船が浮かんでいること、湖に突き出した小さな半島の上に静かな公園があって湖畔を散策できること、街の真ん中のモールには様々な店が軒を並べ賑やかなことなど、いくらでも話したいようだった。
 私ももっと彼女の話を聞きたかったが、私の後ろに、電話機を使いたい様子でいつの間にか別の人が順番を待っていた。それで、私は彼女に、「ごめん、もっといろいろ聞きたいけど、電話代がかかるだろうし、寮の共同の電話機だから、続きは帰ってきてからゆっくり聞かせてくれる?」といった。
「分かった。じゃあ、これから葉書を書くことにするからね。葉書がヒロくんのところに届く頃には、私もヒロくんのところに到着してると思うけどね」
「うん。有難う。気をつけて旅行、続けてね。楽しんでね」
「有難う。次はヒロくんと二人でもう一度来たいなあ。素晴らしい景色を一緒に見たいなあ」
「うん、次はそうしようね。月曜日は空港まで迎えに行くからね」
「無理しなくていいよ」
「無理じゃないから」
「じゃあね、またね」
「うん、またね」
そういって、受話器を置いた。

 次の土曜日は彼女がセスナで、ミルフォードサウンドに行く日だった。私はそれまでセスナに乗ったことはなかったが、結構スリルがあるということは乗ったことのある人から聞いていた。私はもしかしたらセスナに乗る前などに、彼女が不安になって空港かどこかから電話してくるかもしれないと思い、一日寮に居ることにした。
 昼前に、玄関の電話を取った人から、「富田さん、電話ですよ。松井さんって方から」と呼ばれた。私は待ちかねたように玄関に出て行き、弾んだ声で受話器に話しかけた。「アヤちゃん?今どこ?」
 しかし、受話器からの返事は、思いがけず男性の、沈んだように静かな声であった。
「富田さんですね」
「はい」
「松井です」
 電話の向こうの声は彼女のお父さんであった。私はその声を聞きながら、もしかしたら何か良くないことが起こったのではないかといういやな予感がした。
「実は……、綾野が事故に遭ったみたいで、富田さんにもお知らせしておかないといけないと思って」
 私はその言葉をどのように理解していいものか分からず、ようやく「綾野さん、無事なんですか」といった。
「まだはっきりしないんですが……」そこで彼女のお父さんは言葉を区切ってから、苦しげに残りの言葉を吐き出すように、「飛行機事故なんです」といった。
 私は足元がぐらぐらするように感じた。そして、受話器を持ったままそこに座り込んだ。私はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。直ぐには声が出なかった。しかし、私はやっとの思いで、「これから、御自宅に伺っていいですか」とだけいった。
 その後、私はどうやって電車に乗り、どこをどう歩いて彼女の家にたどり着いたかよく覚えていない。気が付けばいつのまにか自分が、不意に彼女の家の玄関前に立っていたような気がする。玄関の戸には鍵が掛っていなかった。私は玄関を細めに開けて、「富田です。失礼します」と遠慮しながら声を掛けた。中からお父さんが現れた。眼が赤かった。
 暮れに挨拶に伺ったときと同じ居間に通され、座るように勧められた。彼女のお母さんと弟の智君は奥の座敷にいるようだったが、そこから出てこなかった。
「富田さんが来られる少し前に外務省から電話があって……、飛行機が墜落して……、乗っていた全員が亡くなったということです」といったきり、あとは涙があふれるばかりで、声にならなかった。
 その時まで、私は心のどこかで彼女の死を否定していた。何かの間違だと思っていた。しかし、彼女のお父さんの涙を見た途端、彼女の死が本当だったんだと悟った。そして居間のテーブルを挟んで彼女のお父さんと向き合いに座り、黙ってただ俯いてハンカチで目を押さえた。
 しばらくしてようやく私は、「私のことまで気遣って下さって、電話を頂いて、本当に有難うございました」ということができた。そういいながら、私は深々と頭を下げた。
 私はこの大変な時に、彼女の大切な家族のために何をしてあげることもできず、ただ一緒に泣くことしかできない自分の無能さに腹が立った。私はこの後、自分が何をどうすればいいのか少しも考えがまとまらなかった。
 その後、また外務省から電話があった。受話器を置いてから、彼女のお父さんは暫く考え込んでいたが、「富田さん」と私に話しかけた。
「外務省から、ニュージーランドまで娘の身元確認に来て欲しいという電話でした。私は家内と二人で、綾野に会いに行かねばと思います。外務省にお願いすれば、富田さんにも一緒に来て頂くこともできるでしょう。でも、私はそうしない方が良いと思うんです」
「どうしてですか」
「富田さんはまだ若い。娘と婚約されたといっても、その娘はもういないのだから、あなたがそのことに縛られる必要はないと思うんです」
「縛られるなんて……」
「もしあなたがニュージーランドまで綾野に会いに行けば、あなたは一生、綾野の婚約者だったことを忘れられなくなってしまうかもしれない。それが私のいう、縛られるということの意味です」
 私は、自分も一緒にニュージーランドに行って、彼女に会いたいという気持ちが無性にした。しかし、彼女はもうニュージーランドにはいないのだ。彼女が昨日見た通り、今日もクイーンズタウンの空は青く、湖は宝石のように美しく、街は賑やかで、人々の生活は続いているだろう。しかし、彼女はもうそこにも、この街にも、世界中のどこにもいないのだ。この家にも、私の部屋にも、そしてみんなの心の中にも、彼女の思い出はたくさんある。しかし、彼女自身は死んでしまって、私たちの住む世界から別のどこかに行ってしまったのだ。あってはならない、とんでもないことが起こってしまった。そう思うと私はとても辛くて、気が変になりそうだった。
「私も、家内も、娘の死に顔を見るのは辛いです。でも綾野は私たちの娘だから、会いに行く必要があります」
 彼女の御両親が静かに彼女との最後の別れを惜しむのに、私が横にいてはいけないのだろうか。
「息子はできればここに置いていきたいと思います。息子には、ニュージーランドまで行って綾野に対面することは辛過ぎると思います」
 いなくなってしまった彼女のために、私に何ができるのだろうか。残された彼女の家族のために、私はどうすればいいのだろうか。
「分かりました。私はこちらに残ります。ただ、厚かましいお願いなんですが、留守の間、この家にいさせてもらえませんでしょうか。掛かってきた電話の取次ぎくらいはできると思いますから」そう尋ねるのが精一杯だった。ここにいて私に何ができるのだろうか。しかしこの場所を離れても、彼女のことは私の頭から離れず、苛立たしさだけが残るだけだろう。
「富田さんが息子と一緒にいて頂けるなら、心強いです」と彼女のお父さんはいったが、それは私が寮に帰らなくてもいいようにという、私に対する気遣いだったのかもしれない。
 私は電話をお借りして、原口チームリーダーに事情を話し、暫く仕事を休みたいと伝えた。
「テレビのニュースで観たよ。本当に気の毒で、なんといって良いか分からない。体調を崩さないようにね」
 テレビは全く観ていなかったので、彼女の事故についてニュースが流れていたことに気付かなかった。
「有難うございます。御迷惑をおかけします」そういって私は静かに受話器を置いた。

 その日の夜遅くの便で彼女の両親はニュージーランドに向かうことになり、午後五時頃には家を出た。その晩、智君と私は二人きりになった。時々、親戚や知人からのお悔やみの電話や、マスコミの取材の電話があった。私はお悔やみの電話には丁寧にお礼を述べて、御両親が不在であり電話を頂いたことは後ほど御両親にお伝えする旨をお知らせした。マスコミには、取材を御勘弁頂きたいと伝えた。それは私自身の気持ちであったし、彼女の御両親の気持ちでもあったろう。
 電話の対応以外には、特別することもなかった。何かしていないと悲しくて仕方なかった。二人とも食欲はなかったが、それでも何か食べなければいけないと話し合って、近くの店に出かけて簡単に食事を済ませた。二人とも黙って食べた。
 部屋に戻り二人で向かい合って座ると、自然と彼女の話になった。
「姉は、僕の自慢でした。本当にいつも勉強ばかりしている人でした。富田さんと知り合ってからは、『富田さんに負けられない』といって、それまで以上に一生懸命に勉強していましたよ。富田さんは、姉をどんなふうに思っていたんですか」
「お姉さんのことは尊敬しています。到底私が追いつけるような人じゃない。でも、お姉さんのお蔭で、自分の専門分野では、他の人に負けないように頑張るんだと、ずっと励まされてきましたよ。もっといろいろ、お姉さんの思い出を聞かせてくれないかなあ」
 それで、智君は二人が小さかった頃からの思い出を聞かせてくれた。話している間、時々涙声になって下を向いた。私はそのたび、悲しみが伝染したようになって目頭を押さえた。しかし、そうやって姉の記憶を反芻し語ることで、少しずつでも智君の気持ちが整理されていくに違いなかった。それしか、悲しみを乗り越える途はなさそうに感じられた。
 彼女の話を一通り終えたとき、智君が私に尋ねた。
「富田さんはこれから、どうするんですか」
「どうするって?」
「両親は、富田さんが姉と婚約していたということに、これからの一生を縛られはしないかととても心配しています」
「お父さんからお聞きしました。婚約していようが、していまいが、お姉さんのことは一生忘れられないです」
「姉だったらそのことをどう思うかな……」
「どう思うって?」
「自分が富田さんのことを一生縛ってしまうかもしれないっていうことについてどう思うかなって。姉はずっと自分のことを忘れないでいて欲しいって思うのかなあ。それとも、富田さんのことを縛ってはいけないと思うのかなあ」
 私が黙っていると、智君は急に慌てたように、「でも、姉は死んでしまったんですよね。死んでしまった人は何とも思わない。思うことができないんですよね。だから、死んでしまった人の気持ちではなくて、生きている人のことが大事なんですよね」といった。
「とてもそんなふうに割り切っては、考えられないですよ」と、私は正直にいった。
 その日は夜の二時頃までそうやっていろんな話をした。どうせ眠ろうとしても、一人彼女のことを考え続けてしまうに違いない。それよりは智君と二人で話しているほうが、まだ気持ちが落ち着いた。彼女のことを口にするたび悲しくなって涙があふれた。泣くことで、胸の中で重い石のような塊になって私の心を押しつぶそうとしていたものが少しずつではあるけれどほぐされ、涙となって流れ去っていくように感じた。
 次の朝、私は台所で二人分の簡単な食事を作り、智君と一緒に食べた。午前八時頃、彼女のお父さんから、オークランド空港に到着し、これから飛行機を乗り継いでクイーンズタウンに向かうという連絡の電話があった。私は、いくつかお悔やみの電話を頂いたこと、電話を頂いた人の名前はメモしてあることだけ伝え、気を付けて旅行を続けて下さいといって受話器を置いた。
 昼過ぎに、再び電話機が鳴った。私は、彼女のお父さんからの電話だろう、時間からすれば多分、身元確認が終わったということの連絡なのではないかと思った。そう思うと受話器を取るのが怖かった。ベルが五回鳴ったところで、ようやく意を決して私は受話器を取って耳に当てた。やはり彼女のお父さんからであった。
「今、クイーンズタウンです。領事館の人の立会いの下で、身元確認をしてきました。確かに……、綾野でした」
 覚悟はしていたつもりだったが、その言葉を聞いた途端、私は目頭がかっと熱くなった。彼女のお父さんは、彼女のことについてそれ以上一言も喋らなかった。私も、一言も訊かなかった。訊いてはいけないと思われた。彼女の様子を口にしないことが、お互いに対する思いやりのように思われた。暫くは電話機の向こうとこちらとで、彼女のお父さんも私も、黙ったままだった。
「わかりました……。智さんに代わります」
 ようやくそれだけいって、私は智君に受話器を渡すと、耐え切れず直ぐに部屋から廊下に出た。部屋の中から智君の絞り出すような泣き声が聞こえた。電話の向こうでお父さんも泣いているのだろう。私も廊下で、初めて声をあげて泣いた。
 二日後の火曜日の午前中に、彼女の両親は帰ってきた。とても疲れているように見えた。私は、それまで家に居させてもらったお礼をいった。彼女の御両親は、「こちらこそ、本当にお世話になり有難うございました」と頭を下げた。私も御両親も、それ以上何も話せなかった。
 
 そして私は一人、寮に戻った。私は寮の電話機から原口チームリーダーに電話をして、明日から職場に戻りますと伝えた。原口さんは、「無理しなくていいよ。もう少し気持ちが落ち着くまで休んでいいから」といってくれたが、私は「明日から職場に出させて下さい」といった。職場に出ても、まともに仕事ができるか自信はなかった。しかし、寮の部屋に一人で居ると気持ちがおかしくなりそうだった。職場に出た方が、少しでも悲しみを忘れられるかもしれないと思った。
 翌日はつらい一日だった。日中は職場にいても、彼女のこと以外、何を考えることもできなかった。夕方、職場から寮に戻ると、彼女からの絵葉書が届いていた。絵葉書には美しい湖の写真が印刷されていた。そして彼女の懐かしい文字で、「今日はホテルの近くの丘にリフトで上って、ワカプティ湖を見ました。湖は不思議な青い色をして、ひっそりと眠っているみたいでした。ヒロくんと一緒に来たかったなあ。今度来るときは丘の上で二人並んで、いつまでも湖を眺めていたいなあ。早く日本に帰ってヒロくんに会いたいなあ。さっき電話で話したら、余計会いたくなったよ」と書いてあった。私は、もう二度と私に会えなくなってしまった彼女が、葉書の中から、私に会いたいと必死に叫んでいるように感じ、心が痛んだ。私は、あの時、彼女にニュージーランドに行けばいいなどと何故いってしまったのだろう。彼女にニュージーランド行きを勧めるなら、自分も何としてでも彼女と一緒にニュージーランドに行くべきではなかったかと思った。
 私が彼女と一緒にニュージーランドに行っても、私は番組制作会社がチャーターしたセスナには乗れなかっただろう。でも、私が一緒に行くことで、いろんなことの歯車がちょっとずつずれて、運命の方向が少しでも変われば、彼女は事故に遭わなかったかも知れない。もしかすれば私もセスナ機に同乗することになって、少なくとも彼女一人きりで死なせずに済んだのかもしれない。仮にいずれも叶わなくても、少なくとも彼女が亡くなる前の日に、彼女と私で丘の上に二人並んで座り、少しの間だけでも一緒に湖を眺めることができたかもしれない。しかし、そんなことをいくら考えても、過去を変えられる訳ではなかった。
 
 それから私は考え事をすることが多くなってしまった。職場の誰もが、事故のことを知っていて私に気を遣ってくれた。しかし、そのことも私を悲しくさせた。私は一生懸命仕事をしたり勉強したりすることに、何の目的も見出せなくなってしまった。かつて私は、勉強することはそれ自体が目的だと信じることができたはずなのに。私はもう、自分がなんのとりえもない人間になってしまったように感じた。自分は何のためにここにいるんだろう。
 ある晩、見かねたように原口チームリーダーが、「ちょっと飲みに行かないか」と私に声を掛けてくれた。それで、彼女と何度か行ったことのある中華料理店の名前を私は口にして、そこの店に行きたいといった。
 テーブルに着いて原口さんがビールのジョッキを頼んだころから、もう私の目には涙が溢れていた。原口さんは、「富ちゃん、泣くなよ」といってから、「でも、まあまだ事故から二週間ほどだもの、仕方ないかなあ。時間が癒してくれるまで待つしかないか」といった。
「私は、彼女がニュージーランドに行こうかどうしようかと迷っているときに、行けば良いといってしまったんです。それで私だけ日本で生き残り、彼女だけが亡くなってしまったんです」
「もしかして、富ちゃんは毎日そんなこと考えて自分を責めてるの? それだと僕にはもっと大きな責任があるなあ」
「何故ですか?」
「富ちゃんに、英語の研修を受けるように勧めたのは僕だ。そのせいで富ちゃんは彼女と知り合いになって、そのせいで彼女は富ちゃんに勧められてニュージーランドに行って事故に遭い、そのせいで彼女や、彼女の御家族や富ちゃんの人生がめちゃめちゃになった」
「それはいくら何でも、こじつけじゃないですか?」
「でも、富ちゃんが自分を責めているその理由が、僕には同じくらいこじつけに思えるよ」
「そうですか」
「そりゃそうだよ。僕は預言者でも未来予知能力者でもないから、富ちゃんに英語の研修を勧めるとき、一年後にこんなことになるとは思ってもみなかった。富ちゃんも同じだろ。それに、こんなことがあっても、もしまたうちの職場で優秀な若い人がいたら、僕は研修を受けるよう勧めるし、部下がニュージーランドに行きたいといっても、『危ないからやめとけ』とはいわないよ」
「でも、私が勧めなかったら彼女はニュージーランドに行かなかったかもしれないです」
「そうかもしれない。でも、その次が違う。彼女がニュージーランドに行って事故に遭ったというのは事実だけど、ニュージーランドに行ったから事故に遭ったというのとは違う。富ちゃんが勧めた時点では、ニュージーランドに行って事故に遭わない可能性も、ニュージーランドに行かずに、日本で事故に遭う可能性も同じようにあったんだよ。ニュージーランドに行ったことと事故に遭ったこととの間に、因果関係はないよ」
「因果関係、ですか?」
「そう。蛙が鳴くと雨が降るっていうだろ。でも、蛙が鳴くことが原因で雨が降ってる訳じゃないよ。蛙が悪くないのと同じように、富ちゃんも悪くない」
「慰めて下さって有難うございます」
「僕は事実をいっているだけだよ。彼女のことを忘れろとはいわないけど、いつまでもそのことを引きずって落ち込んでいるようだと、怠け者だといわざるを得ないよ」
「実は彼女が、事故に遭う前の日に旅先から絵葉書を送ってくれたんです。そこには、二人で一緒にニュージーランドに来たかった、早く日本に帰って私に会いたいって書いてあったんです。それを読んでから私は、ニュージーランドから永久に戻れなくなってしまった彼女が、いつまでも向こうで寂しく一人、私のことを待って悲しんでいるような気がするんです」と、私は涙声で打ち明けた。
「それは辛いね。でも、ひどいことをいうように思えるかもしれないけど、亡くなってしまった人が悲しんだり苦しんだり、何かを感じたりすることはないよ。彼女が悲しんでいるかもしれないと思っているのは、生きている富ちゃんだけだよ」
「確かに、亡くなった人は悲しんだりしませんよね……。でも、どうしてもそう思ってしまうんです。そうしたら、何で今、自分がここでこんなことしてるのかなあ、何故彼女と一緒にニュージーランドに行かなかったのかなと後悔ばかりしてしまって……」
「そんなふうに後ろ向きに考えるのじゃあなくて、亡くなってしまった彼女の分も頑張ってやろうという気になって欲しいなあ。富ちゃん、これまで、もっと何でも前向きだったよ。彼女も富ちゃんの前向きなところに惹かれたんだと思うよ。今のような富ちゃんを見たら、天国の彼女はきっと悲しんで、『もっと元気出して、私の分まで頑張ってよ』っていうよ。あれっ、もしかしたら、さっき自分でいったことと矛盾してるね」
 原口さんのその言葉に、私は「確かにアヤちゃんなら、それくらいのことはいうかもしれないな」と考え、初めて少しだけ笑った。でも、依然として前向きに頑張れる自信があるわけではなかった。

 それから三日ほどして、私宛に厚めの茶色い封筒が届いた。差出人は、彼女のお父さんだった。私は何だろうと思って封を開けてみた。中には簡単な手紙と、ケースに収められさらに別の封筒で大切に包まれたカセットテープが一つ入っていた。私は、彼女が通訳するときにいつも使っていたテープレコーダーのことを思い出した。
 手紙は几帳面な文字で書かれていた。
 
 
 
   富田浩様
 
 綾野にはこれまで、いろいろとよくして下さり、本当に有難うございました。今回の事故で富田様に大変辛い思いをさせてしまいましたこと、綾野に代わって心からお詫びしたいと思います。
 実は一昨日、同封のカセットテープが領事館を通じて私たちの所に送られてきました。これはニュージーランドの事故調査団が墜落した飛行機の中から見つけたテープレコーダーの中に残されていたもので、調査団が事故原因の調査のために録音内容を確認した後、遺品として遺族に渡して欲しいと領事館に託したとのことです。
 今回の事故では、パイロットや撮影スタッフを含めセスナ機に乗っていた全員が亡くなってしまい、当時の状況を知る手がかりが少ない中で、事故調査団からはこのテープが事故原因の究明にとても役立ったと感謝されました。また、ニュージーランドの関係者も、領事館の方たちも、これを録音した綾野の勇気を称賛されていました。
 綾野は、最期まで私たち夫婦にとって、誇りにできる娘でした。
 このテープには綾野から富田様へのメッセージが録音されています。ですから是非、富田様がお持ち下さい。私たちもダビングさせて頂きました。
 飛行機に積まれていたテレビの撮影機材などはみな壊れて、ビデオテープもすっかり駄目になってしまっていたにもかかわらず、綾野のテープレコーダーの中のテープだけが何の傷もなく残っていたことは本当に不思議です。あるいは富田様に自分の気持ちを伝えたいという綾野の強い思いが、このテープを守っていたのではないかとさえ思ってしまいます。
 富田様には、ぜひこのテープに残された綾野の気持ちを汲み取って頂き、一刻も早く今の悲しみから立ち直って頂きたいと心から願っております。


 
 私は、受け取ったテープを宝物のように大切にテープレコーダーに入れ、静かに再生ボタンを押した。テープは彼女の少し緊張した声で始まった。後ろには飛行機のエンジン音と、英語で交信しようとしているパイロットのものと思われる声が聞こえた。



 飛行機は、クイーンズタウンからミルフォードサウンドに向けて、空港を九時三十分頃に離陸しました。ただ今、現地時間で十時五分です。これまで順調な飛行でしたが、数分前からエンジンの出力が低下し、停止しそうな状況です。原因は分かりません。パイロットは緊急着陸可能な場所を探すため、無線で地上と連絡を取ろうとしていますが、電波の状態が悪く満足な交信ができていません。天候は晴、少し南からの風がありますが機体が正常であれば飛行に支障があるほどではありません。現在、飛行機は山岳地帯の上を飛んでおり、このままエンジンが停止すれば山に衝突してしまうでしょう。

 
 その後、彼女とパイロットが英語でやり取りするのが聞こえ、続いて彼女が日本語で現在の位置、高度、機体の状況、考えられるエンジン不調の原因などについて簡単に説明をした。そして、暫くの沈黙の後に、彼女は落ち着いて、しっかりとした口調で恐ろしい言葉を口にし始めた。

 
 
 今、十時十二分です。エンジンが停止しました。
 お父さん、お母さん、これまで好きなことは何でもさせてくれて有難う。親孝行もできないうちに、こんなことになってしまって本当にごめんなさい。弟と三人だけの家族になってしまうけど、健康で長生きして下さい。
 ヒロくん。短い間だったけど、本当に有難うございました。暫くの間は私のことを思い出してくれたら嬉しいけど、その後は忘れて下さい。私は、死んでしまえば悲しいとか苦しいとか感じることもないはずです。だからヒロくんだけが私のことでいつまでも悲しんだり苦しんだりするのは不公平です。
 早く会いたいなんて絵葉書に書いて送ってしまったことを後悔しています。私のことは忘れて、新しい恋人を見つけて、私の分まで素晴らしい人生を送ってね。頂いた指輪は外して、バッグの中に仕舞いました。私が指輪を外したんだから、ヒロくんも自由になったと思ってね。
 勉強と仕事、頑張ってね。じゃあね……。


 その直ぐ後に、何かが押し潰されるような短く鈍い嫌な音がして、唐突に録音が終わっていた。それが彼女の最期だった。彼女は衝突の瞬間まで冷静さを失わず、気丈に喋り続けていたのだ。私の閉じた瞼の裏に、いつものように真っ直ぐに前を向いて、迫って来る山を睨みつけるようにしながら、テープレコーダーに向かって喋り続ける彼女の姿が浮かんだ。
 録音を聴き終えた瞬間、私は心臓をつかまれたような苦しさを感じた。それからすぐ後に胸の底が熱くなって、涙が流れ出し止まらなくなった。彼女が私のことをこんなにも気に掛け、私を力づけるために最後まで勇気を振り絞ってテープを残してくれたことを立派だと思った。彼女の両親が私に、これを聴いて早く悲しみから立ち直るようにとテープを送ってくれたことを、私はいくら感謝しても感謝しきれないと感じた。私は何としてでも彼女や彼女の両親の気持ちに応えなければいけないと思った。

 私はその日からまた、人が変わったように仕事をし始めた。無為に時を過ごすことは、彼女の誠実さに対する罪であるかのように私には感じられた。自分の専門分野だけではなく、彼女のやり残した英語の勉強にも、私は今まで以上に力を注いだ。彼女からのカセットテープのメッセージを私が受け取ったことを知らない原口さんは、「あの晩、中華料理屋で僕が一言いっただけで、富ちゃんがこんなに馬力を出してくれるとは思わなかった」といって喜んでくれた。でも、その後も私が、ふとした拍子に彼女のことを思い出しては隠れて泣いていることに、原口さんも職場のみんなも気付いていながら、知らない振りをしてくれているようだった。
 

 私が呆然として過ごしていた間、時間はゆっくり流れていた。しかし、一度私が必死に研究を始めると、時間は慌しく過ぎて行った。それから私は文字通り寸暇を惜しんで文献を読み、実験をし、論文を纏めた。私の心には、何かに没頭して悲しみを忘れたいという気持ちもあったのかもしれない。しかし研究に熱中する間も、依然として私は彼女のことを少しも忘れることができなかった。むしろ熱中すればするほど、自分が彼女の魂に突き動かされているような気分になった。いや、むしろ私ではなく私に乗り移った彼女自身が、全てのことを行っているような気がしたのだ。
 そして五月がやってきた。私たちが結婚の約束をしていた五月、しかしもはや彼女のいない五月、彼女がついに知ることのできなかった新しい五月だ。その五月に、K大学の田中教授から私たちの研究所の所長に電話があった。教授は仙台での私の発表に興味を持たれて、わざわざ連絡をしてこられたのだった。
 田中教授と所長は、その後何度も、互いの研究内容について連絡を取り合っていたようだが、そのことがやがて、田中教授の研究室と私たちの研究所の共同研究プロジェクトの話に発展していった。そして、田中教授の研究室のスタッフと、私たちの研究チームが初顔合わせをしたのは八月に入って間もない頃だった。私たちはK大学を訪れ、川口記念会館の中の会議室で打ち合わせをした。打ち合わせが終わると田中教授が、「プロジェクトチームの団結のため、親睦会をしませんか」と提案された。そして、「安くて美味しい店があるんです」といった。
 教授が我々を案内したのは、「いわし屋」だった。彼女とこの店に来た時と同じように、店の入り口の水槽では鰯たちが静かに泳いでいた。店では田中教授と所長がテーブルを挟んで真ん中に座り、教授の側に大学の研究室のメンバーが、所長の側に私たちの研究チームが座った。私は部屋の入り口に一番近い、テーブルの端の席に座った。
 最初に田中教授が簡単な挨拶をして、乾杯をした。教授の話し方は穏やかで、いかにも温厚な紳士というふうであった。乾杯の後、教授と所長は熱心に話をしていたが、突然所長から、「富ちゃん、ちょっと」と呼ばれた。
 私は所長の横に座らされた。田中教授は私のグラスにビールを注ぎながら、「富田さんはうちの大学の御出身だったんですね。理学部ですか?」といった。
「はい、有機化学研究室でした」
 それから二言、三言、言葉を交わした後、田中教授は突然、「しかし、松井さんのことでは、お気の毒でしたね」と私にいった。
 私は驚いて、「先生は彼女のことをご存知だったんですね?」と訊いた。
「もちろんです。彼女は機械工学科の学生でしたが、私のいる生物工学科の中でも、彼女のことを知らない人はいませんでしたよ。優秀で、驚くほど勉強熱心で、さっぱりした明るい性格の子でしたのに、これからというときに、本当にかわいそうなことをしました」
 私は本当にそのとおりだと思った。そして思わず、「先生、実は去年の八月に、私は彼女と二人でこの店に来たんです」といった。
「そうでしたか」
「彼女はそのとき、先生のことを話していました」
「不思議ですね。こうやって私が富田さんたちと一緒に仕事ができるようになったのも、縁というんでしょうか」
 私は心の中で彼女に「有難う」とお礼をいった。私が田中教授との共同研究に参加できるのも、何だか全てが彼女のお蔭であるように思えたから。

 共同研究プロジェクトが本格的に始まったのは十月だった。それに伴って会社の研究チームのメンバーにもそれぞれ新しいテーマが割り振られ、私も今まで以上に忙しくなった。そのような日々の中でも私の心の中心には、常に彼女の思い出があった。
 そして年が明け彼女の一周忌が近づくにつれて、今度は、自分もニュージーランドに行ってみたい、いや、行かなければいけないと思うようになった。何故だかわからない。ただ、そこに行って彼女が見たもの、経験したことに自分も触れてみたいという気がして仕方なくなった。それをしなければ、自分の気持ちはいつまでも整理できないのではないか、そんな気さえしたのだ。
 私は三月下旬に数日間の休暇を取ってニュージーランドに行くことにした。日本を夕方に出て、翌日の昼過ぎ、私はクイーンズタウンの小さな空港に降り立った。その日が彼女の命日であった。
 私は空港からタクシーに乗って、街の中心に向かった。空は彼女が亡くなった日と同じようによく晴れていた。南半球のニュージーランドの、季節は初秋だった。タクシーの窓から、青い空を背景に遠くの山脈がくっきりと見えた。あの中に、彼女をその懐に抱え込んでしまった山があるのだろうか。
 タクシーは交通量の少ない道をゆっくりと進んだ。車が大きなカーブに差し掛かったとき、左手に初めてワカプティ湖がきらりと光って見えた。その後、車は湖畔の道を進み、やがてなだらかな坂を一度上って再び下り、その日に泊まるホテルに到着した。私はチェックインを済ませると、彼女が上ったという丘に自分も上ってみたいと思った。
 その場所は、ホテルのフロントで聞けばすぐに分かった。クイーンズタウンは小さな街だった。丘の麓まで、徒歩でも二十分も掛からずに着いた。彼女からの絵葉書に書いてあったとおり、丘の上までリフトで上れるようになっていた。私はリフトで丘に上り、芝生に座って青い湖を眺め下ろした。
 そこから見る湖は、まるで宝石のようであった。あるいは鮮やかな絵の具で描かれた絵のようであった。不思議な青い水を湛え、青空の下で穏やかに眠っているようだった。向こう岸には険しい山々が、山肌も荒々しく空を切り取るようにはっきりと見えた。湖は私がいる丘と向こう岸の山の間に挟まれた谷底のような地形に沿って左右に広がっていた。その両端は空に溶け込むような水平線で終わっていた。
 小さく千切れた雲の影が一つ、丘の上から湖畔に至る間の斜面を動いていた。
 ふと、かすかなエンジン音に気付いて、私は空を見上げた。セスナが一機、湖の上を飛んでいた。湖とその向こうの山々があまりに大きいので、セスナはまるでオモチャみたいだった。翼が太陽との角度の加減で、一瞬きらりと光った。セスナ機はゆっくりと湖の上を渡りきり、そのまま山の方角に向かって飛び続けた。暫くしてエンジンの音が聞こえなくなり、そしてその姿もやがて一つの点になって、次に跡形もなく姿を消した。彼女の命も、あんなに小さく頼りなく儚げな翼で運ばれていったのだ。そう思うと胸が痛んだ。私はその機影を見送りながら、無事の飛行を祈らずにはおれなかった。秋の陽の中で小さなセスナ機が湖を越え空に吸い込まれていったその景色は、かすかなエンジン音とともに、それから何年経っても私の心から消え去りはしなかった。
 
 私はそれからずっと長い間、丘の上の芝生に一人で座っていた。やがて太陽は傾いて日差しが弱まり、湖を渡ってきた夕暮れの風が丘の上にまで届くようになった。私はいつまでもそこに座って、その優しい風に吹かれていたかった。どれくらいそうしていたのだろうか。私は不意に、「ヒロくん」と呼ばれたような気がして振り返った。しかし、そこに見たのは、風に吹かれ揺れる草の葉だけだった。私は、自分でも気付かないうちにアニーの歌を口ずさんだ。
 
 その夜、ホテルのベッドで私は短い夢を見た。
 私は丘の上の芝生に彼女と並んで座り、湖を見ていた。空は晴れて、私たちは明るい光に包まれていた。
 彼女は元気そうだった。
「ヒロくん、新しい恋人はまだいないの?」
「そんなこと、無理だよ。僕は一生、アヤちゃんのことが忘れられない」
 彼女は少し寂しそうに笑って、
「それは困ったわ。でも、最近は私の分も、英語の勉強を頑張ってくれてるのよねえ」といって、私の肩に頭を凭れかけてきた。
「もう、一生会えないと思ってた……。会いに来てくれて有難う。ずっとこうして一緒に座っていたい……」私は思わず涙声でそういって、彼女の肩に腕を回し引き寄せた。私は彼女の髪が、私の頬に触れるのを、確かに感じた。
 不意に、懐かしい不思議な香りが辺りに満ちていることに気が付いた。そしてその香りは、どうも彼女の髪からのものであるらしかった。これはいったい何の香りだったろう。私は少し考えてから、そうだ、大学の図書館に向かう道沿いの、ユーカリの樹の香りだと気がついた。私は一昨年の夏の日に彼女と二人でそこを訪れたのだ。
 しかし、そこで目が覚めた。枕は涙で濡れていた。夜は明けようとしていた。
 

 私はその後も彼女に負けまいと必死に研究を続け、いくつもの論文を書いた。そのうちのいくつかは学会でも評価された。
 英語も一生懸命勉強した。英語は私にとって、海外の研究動向をいち早く知り、自分の研究成果を世界に発信し、世界中の研究者とのネットワークを築く上での強力な武器になった。
 田中教授の研究室との共同研究プロジェクトの中でもいくつかの貴重な成果があった。田中教授は、かいかぶりではないかと思うくらい私のことを評価して下さった。
「富田さんは、研究者が立派な研究を成し遂げるために一番大事なことは何だと思いますか。私は、頭の良さだとか、アイデアの豊かさとかよりももっと大事なことがあると思います。それは、自分のやっていることがいつか実を結ぶんだと信じて黙々と仕事を続けられる、楽観的で前向きな性格です。富田さんにはそれがありますね。研究者というのは、自分の進むべき方向を見据えながら、たくさん本を読み黙々と仕事を続けてさえいればいいんです。そうすれば自然といろんなことが見通せるようになるし、アイデアなんてものも自然と湧いてきますからね」
田中教授はいつもそういって私のことを誉め、励まして下さった。
 プロジェクトは五年間続いた。プロジェクトが終了した翌年に、田中教授は神奈川県にあるT大学に移られた。
 そのうち、私は基礎研究にもっと力を入れたいと思うようになった。そして、会社の研究所での製品開発を主目的とした研究に限界を感じ始めていたころ、田中教授からT大学の助教授公募に申し込んでみないかという話を頂いた。私は喜んでその誘いをお受けした。
 既に私の業績は学会では広く知られていた。教授会での選考の結果、私はT大学に採用され、田中教授の下で研究を続けることになった。七年後に田中教授が退官され、私は後任の教授となった。
 大学に移ってからも私の研究への熱意は冷めることがなかった。それは絶えず彼女が、私の心の中からもっとがんばれ、もっとがんばれと声を掛け続けていてくれるからに違いなかった。
 彼女のご両親や智君とは、その後もたまにお会いした。東北の震災の時にも私は気になって駆けつけたが、幸いにも三人に怪我はなく、ご自宅にも大きな被害はなかった。
 
 私は今も、T大学の教授として若い学生たちを教えている。遠慮のない学生たちから私は、「先生はなぜ独身なのですか」などと訊かれることがある。そんなとき私は、「研究ばかりやっていたからね」とだけ答えることにしている。研究室や学部の学生たちに連れ出され、カラオケ店に行くこともある。そのとき私は必ず「アニーの歌」を歌う。そのことは学生たちの間でも有名になっている。しかし、私が何故その歌を歌うのかは誰も知らない。歌い終わったときに私の眼が涙で潤んでいる理由も。
 こんな話をすると、まるで私が学生たちと和気藹々と過ごしているように思われるかもしれないが、実は私は、学生に厳しい鬼教授として知られている。特に勉強しない学生たちを叱り付け、平気で落第点をつけることで有名だ。学生たちに私は、「自分がやりたい勉強をやれるということはとても幸せなことだぞ」といって教えている。しかし、学ぶことの大切さを教えているのは、本当は私ではなく、私の口を借りた彼女であると思う。
 
 私が彼女と過ごしたのは、もう三十年近くも前の話なのだ。そしてそれは、一年間にも満たなかった。彼女は、丘に吹く風のように私のもとを通り過ぎていった。しかしそのほんの暫くの間に、彼女の真っ直ぐな魂は、私のそれにはっきりと刻印され、一生消えることはないだろう。私は、彼女の思い出に背中を押されるようにして、研究者としてのこのマラソンのような人生を、ここまで走り続けてこられたのだ。
 今年もまた五月が巡ってきた。私はこれからいく度、五月を迎え、過ごし、そして見送ることができるのだろうか。私はこれからも二人分の五月を、そして二人分の一生を過ごしていくのだ。
 彼女が録音した最期のテープは、今も私の研究室の机の引き出しの中にそっとしまってある。でも、取り出して聴こうとは思わない。聴けば悲しい彼女の最期を思い出してしまうから。でも、もちろん捨ててしまうなんてできる訳がない。
 
 
 
(注)John Denverは一九四三年生まれの米国のシンガーソングライターである。Annie Martellと結婚したが、その後離婚。一九九七年、飛行機操縦中の事故で死去した。

アニーの歌

アニーの歌

レトロな恋物語を、ジョン・デンバーの歌声にのせました。人は目的を持って生まれてくる訳ではない、でも目標を持つことでより良く生きることが出来る。そんなことを伝えたいと思って書きました。

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更新日
登録日
2016-08-20

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