茶店の謎(5) 須磨寺の怪
++++後年私が大学で理系学部を選んだのも、ひょっとしたら、この時の水飲み鳥のせいかも知れず、小学生の道草を大人は決して禁止してはいけない。
5.須磨寺の怪
学校からの帰り道は、他の生徒と群れるでもなく大抵一人で、先の水飲み鳥を眺めたりして、毎日ぶらりぶらりとした足取り。途中、第二の道草として須磨寺の境内に入り込むこともある。
ここは単独で総本山を張る名刹。ゆるゆる境内を歩く。松の枝振りに手をかざして眺め、こちらの銀杏(イチョウ)の大木を慈しむように撫ぜたりして、小二のくせに通ぶって風流を装うが、これが作戦。
こんな場合、大人は油断してはいけない。昆虫の保護色みたいに、極力目立たないように景色に溶け込み、こっちは擬態を謀っているからだ。辺りの警戒的な観察者、特に住職達を油断させる為である。
住職に犬や鳥も含めて、周りがこっちに無関心になったと見るや、私は素早くキョロキョロ四方へ目を走らせて、すぐさま池のそばへ走り寄る。池は四畳半くらいの大きさで、水深は精々六十センチ。
一抱えもある手近な岩石を拾って、赤や白の鯉を目掛けて殺害に及ぶのだ。近くで工事中だから、岩石が何時も豊富なのはラッキー。ドッブーン!と痛快な音が響く。大抵一つだが、気分によっては三つ投げ込む時もあって、これが私の密かな楽しみ。
けれども、ここの鯉は運動神経が好く、素早く逃げる。何度やっても殺せた試しが無かったから、結局は岩石の重さだけ無駄骨だった。投げ込み続けたのに、小学校六年間で池が埋まらなかったのは、総本山須磨寺の怪の一つだ。人の目を盗んでこそこそするタチは、この歳になっても変わらず、会社の経営に良く生かされている。
つづく 明日
茶店の謎(5) 須磨寺の怪