生け贄の餌
絶望の選択肢
兄の様子が異様だ。先週の休日、兄の恋人と登山から帰ってきてから、奇妙な言動が続いている。仕事も休み部屋に篭っている。顔も青ざめ、震えている。僕は話を聞こうと部屋に入ろうとすれば、何かに怯えているかのように頭を抱えてしまい、話せるような状態ではない。時より、「おれはやらなければならない、おれは最低な奴だ」と小声で言っているのが聞き取れる。兄は見えない何かに怯えている。兄の恋人に登山の日に何があったのか、聞こうとしたが一向に連絡がつかない。二人の身に何があったのか、未だに不明である。
兄が死んだ。以前登山した山中で発見された。首を掻きむしり、絶命していた。なぜ、兄が死ななくてはいけなかったのか、謎が続く。この惨劇になった過程がすっぽり抜け落ちている。第六感で関わっていけなと理解していたが、どうしても納得がいかなかった。僕は兄達が登った山を訪れ、調べることにした。
僕は山の麓に到着した。到着してすぐ、山から重い異様な空気が漂っていることを感じた。僕はこの山に何かあると直感した。
「まず、登山入り口を見つけよう」
僕は山に沿って歩いた。少し歩くと獲物を捕まえるため口を開けている食中植物ように入り口が待ち構えていた。入り口からは重い空気と異なり、甘い空気が流れてきているように感じた。登山者を山の奥に導いているのか、身体が引き寄せられそうである。僕は恐る恐る入り口に一歩踏み出した。
登り始めて一時間が経過した。登山道は山の上まで続いているが、甘い空気のような流れはその道から逸れ脇道から漂ってきた。普段では絶対に気づかないだろう場所に脇道が存在した。道が人為的に踏まれているため、獣道ではなさそう。おそらく兄達もこの道を通ったと確信した。
「この先に真実があるはずだ」
僕は底知れない恐怖を感じ、二の足を踏んでしまいそうになった。しかし、足に進むよう言い聞かせ重い足を前に出した。
雑木林を抜けると、村のような集落が眼前に現れた。畑が耕され生活感があるため放棄されてはいないようだ。家から村人らしき人が二人出てきたが、僕は木の陰に身を潜めた。村人の一人が話始め、「そろ…ろ…生け贄…式…じ…だ」と途切れ途切れだが聞こえた。”イケニエ”とはあの”生け贄”だろうか。僕はその言葉を聞き慄いた。ここは幻想だろうか。頭の中で恐怖が渦巻いていると、もう一人の村人が奥の地中に立てられた二本の柱に向かいだした。よく見ると一本の柱に何か磔にされているのに気がついた。そこには見覚えがある人物が磔にされていた。行方不明であった兄の恋人であった。手は柱に杭かなにかで打ち付けられ、胸は血で染まっていた。明らかにこの状況は現実的ではないことは理解できた。恐怖で萎縮して、思考も身体も儘ならない。
「い、生きているの…?」
恐怖で腰が抜けて動けなくなった。
「餌に釣られたか…」
背後には白装束を着た長髪の女が満面な笑顔で立っていた…。
兄達が訪れた山の奥には時代錯誤の村が存在している。世間から閉ざされた孤立集落であり、恐ろしい風習が残っている。その風習とは『生け贄』だ。それも若い女性を神に生け贄を捧げなければならない風習だ。一回に捧げられる人数は二人とされている。兄達が村に訪れた時期はちょうど生け贄を捧げなければいけない時期と重なってしまっていた。いや、訪れさせられたのが正確だ。その村は過疎化が進んでおり、若い女性が一人もいなかった。そこで村の祈祷師の力を使い、外部の人間を引き寄せ、その人を生け贄に捧げた。引き寄せられた兄達は村人に捉えられた。兄の恋人は生け贄に捧げられ、兄はもう一人の女性を連れてくることを命じられた。兄と家族の命を人質に。祈祷師は呪術を使い、命令を背いたら瞬時に兄と家族を呪い殺す力を持っていた…。
生け贄の餌