人と、ネコと、食べ物と。

お題小説です。お題は、あとがきで。とりあえずネコと、人間と、それからちょっぴり食べ物との関わりに重点を置いてみました。

知らない街へ

 美咲が僕の前から消えてからというもの、僕の世界に、彩りは、ない。カツオブシの香ばしい匂いも、エノコログサのちょろちょろした感触も。全てが僕の表面をつたって流れていくような、そんな感じだ。
 別れは唐突だった。
「今度のマンションでは、ネコは飼えないんだよ」
温厚そうな顔をした美咲の父親がそんなことを言っているのを、どこか知らないところに行く車の中でかすかに聞いた。僕の頭でも、その言葉が何を意味するかは容易に想像できた。
 どこか知らない街に降ろされてからというもの、僕はあてどもなくさまよいながら、これからのことを考えた。僕の先祖はネズミをとったりミミズをとったりして自給自足をしていたようだが、都会の真中で餌をもらってばかりだった僕にはそんな高等テクニックは、ない。雑踏の中をさまよう僕に気をかけるものは、誰もいなかった。初めて味わう空腹という感覚の中で、僕は美咲と過ごした日々を思い出していた。
 物心ついた時には、ペットショップのケージの中に入っていた。美咲にあったのは、僕が二歳のとき。
「あのねこちゃんがいい!」
と無邪気に言っていた彼女を見たのが、つい昨日のことのように思われる。あれから四年。僕は六歳になり、美咲は、中学生になった。彼女が写っている写真には大抵僕も一緒に写っていたし、彼女との日々はとても楽しかった。別れるときは、僕が死ぬ時だとしか考えていなかった。
 そんな彼女との別れがこんな形でくるなんて、考えてもいなかった。美咲は別れのとき、どんな表情をしていたのだろう。僕は、怖くてみることができなかった。せめて美咲が悲しそうな顔をしてくれていることだけを願っていた。

新たな出会い

 きらびやかなネオンサインに、笑いながら通り過ぎる人の群れ。この街にきて一週間、この街の風景とは裏腹に僕の心は沈みきっていた。
「元気出せよ」
キジネコが言う。このキジネコはどこかの飼い猫らしいが、僕のことを気遣ってかご飯を分けてくれたり、話を聞いてくれたりする。僕は半ば自暴自棄になって
「いくら愛されていても、こんな気持ちになるなら最初から野良猫のほうが良かった」
という。いつものことだ。あの時捨てられてからというもの、僕は他人の優しさを素直に受け入れられずにいた。キジネコは
「でももらった飯はちゃんと食うんだもんな」
といって、優しく笑った。

いろいろな食べ物


 「ほら、食べな」
僕の頭を、なんとなく懐かしいような感覚が包み込む。ちょっと温もりがあるけどどこか不器用な、か細い手。目の前には、いつもならお気に入りの「銀のスプーン」とかがおいてあるはずなんだけど、いま眼の前にあるのは真っ赤な切り身だった。口に含むとどろりと油がついていて、はっきり言って食えたものじゃなかった。
「そっか、君はマグロの切り身は苦手みたいだね」
そう言ってその女性は少しさみしそうな顔をして、帰っていった。
 翌日もその彼女は食べ物を持ってやってきた。今回僕の前に差し出したのは、白いパックに入った、ネバネバとした豆だった。四個くらい箸の上に載せて差し出されたそれを見て、あの時美咲がやっていたポケモンGOというゲームに出てくる「タマタマ」みたいだなと思った。
「これは『納豆』っていうんだ」
口に含んでみると粘り気が独特であるが、なかなかおいしい。僕はゴロゴロと、文字通りの猫なで声を出した。
「そっか、気に入ってくれたんだね」
そう言って彼女は微笑んだ。
それから毎日のように彼女は僕が食べたことがない奇妙な食べ物を持ってくるようになった。ある時持ってきてくれた『のり』という黒い紙みたいなものはあまり美味しくなかったが、あまり美味しくなかったが、食べ残しを拾った友達のキジネコは
「めっちゃうまい!!」
といって、全部持って行った。どうやら個人差があるようだ。一方でそのキジネコが酷評していたブロッコリーという緑の林みたいな野菜は美味しかった。余談だが、このキジネコは「うどん」というものが好きらしい。なんでも柔らかい棒のようになっていが、かんだらすぐに切れる感触がたまらないそうだ。
 ある日彼女が持ってきたのは、なんだか白くて、弾力性のある物体だった。上にのっているのは、カツオブシ。これはわかる。でもその下の白い奴はなんだ?そう思いながらも小腹がすいていたので、口に含む。
 うまい。
 かんだ瞬間にひんやりとした感覚が口の中を包み込み、かけられた茶色の液体の酸味が程よいアクセントになっている。これは、一体何だ。そんな僕の疑問を予想したように、先ほどの彼女が言う。
「トーフだよ」
とーふ。口の中で僕は静かに復唱してみる。面白い響きだ。今度は何もかかっていないものが目の前に出される。何ものってなくても、普通に美味しかった。これまでにも何度か食べ物をもらうことはあったが、こんなに満ち足りた気分になったのは久しぶりだった。
 そしてトーフをくれたその日から彼女は、パタリと姿を見せなくなった。

心の移り、そしてこれから見慣れる街に。

はじめは
「なんか奇妙なものを食わせる奴がいなくなった」
程度にしか思っていなかった。でも、毎日のように来ていた彼女が来なくなったせいか、僕は胸の奥をちくりと刺されたような気分になった。美咲がいなくなってからこんな気分になったのは、初めてだった。
 思えば彼女が来てくれてからというもの、毎日が楽しかった。今日はどんなものを持ってきてくれるのだろうか。今日はどんなことを話してくれるのだろうか。僕の生活は彼にあってからというもの、(食料面においてはもちろんだが、)精神面でも支えられていた。キジネコに
「最近、笑顔が増えたな」
と言われたのが何よりの証拠だろう。出会ってから自暴自棄になっていた時期にはキジネコにも色々助けてもらった。あの時キジネコがいなければ、僕は飢え死にしていただろう。彼女の存在によって、僕はようやく周りの優しさにも気づくことができたんだ。
彼女に、会いたい。
僕は強くそう思うようになった。でもどうすればいい。僕が彼女と合うのはこのスーパーの前だけだ。ここで待つしかないのだろうか。そんなことをおもいながら、僕は小さく鳴き声を上げた。そのときだった。
 「ごめん、待たせたね。」
そんな言葉が降ってくると同時に、僕の頭を、なんとなく懐かしいような感覚が包み込んだ。ちょっと温もりがあるけどどこか不器用な、か細い手。そうだ、僕の世界はこの手で触れられたあの時に彩りを取り戻したんだ。今の僕の世界をこんなにも鮮やかにしてくれたのは、彼女だ。僕は再びくうんと鳴き、彼女の腕に飛び込んだ。彼女はニッコリと笑い、か細い手で僕を抱き上げた。
「じゃあ、いこうか」
力強い彼女の声が聞こえる。僕はこれから新しい生活が始まることに胸を膨らませながら、腕の中で再び丸くなった。

〈完〉

人と、ネコと、食べ物と。

この作品のお題は「豆腐、ネコ、通行人」なのですが、わかっていただけたでしょうか。楽しく読んでいただけたのであれば幸いです。

人と、ネコと、食べ物と。

愛されて育っていたのに、捨てられてしまったネコ。そのネコはかつての思い出を主ににして、街をうろついていた。そんな彼に手を差し伸べたのは一匹のネコと、一人の女性だった。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-17

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 知らない街へ
  2. 新たな出会い
  3. いろいろな食べ物
  4. 心の移り、そしてこれから見慣れる街に。