緞帳 普賢岬の怪異
登場人物
① … “遠田明”
② … “小谷豪”
③ … “遠田明(2)”
④ … “普賢岬の怪異”
⑤ … “定食屋の主人”
0.梗概
ともかづき
わたくしの仕業でございます。
確かに、この私が、小谷を殺しました。
二人で海の見える宿へ行こう、と。
わたくしもこのようなありさまですから、
もう最期の旅になるかもしれないと思ったのです。
ずっと、あの人はこんなわたくしを支えてくれました。
いえ、辛かったのではありません。
忘れてしまったのです。
あの時、わたくしはあの人が誰だか解らなくなったのです。
信じていただけないでしょうが、本当なのです。
それで、あの部屋で話をしました。
どこの誰ともわからぬ群青のかげと。
得たいの知れぬものと話すなど、奇妙に思われるでしょうが、
なぜかあの時、とても気が安らいだのです。
それで、わたくしはそのかげが、かわいそうになったのです。
いいえ、ちがいます。
うそではありません。
いいえ、いいえ。
…私が、わたくしの姿と全く同じなにかが、
海の底に居たのです。
私ではありません。まったく同じ姿をした、わたしが。
それに小さな貝を手渡されました。
体がしっかり動きましたから、
哀れなかげの耳元にあてて遣りました。
かげの命を奪ったのは、あの貝の毒でしょう。
ですから、小谷を殺したのは、間違いなくわたくしでございます。
償いを致したく存じます。
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誰もいない舞台があります。
上手から“遠田明”が乗った車椅子を“小谷豪”が押して、
中央へ向かいます。
台詞が終わると、“遠田明”と同じ格好をした人物が下手から
中央へ向かいます。
二人の“遠田明”が入れ替わります。
そしてそのまま上手へさがります。
舞台の明かりが消えます。
※
1.普賢岬の怪異
時化
割れた陶磁、雲丹の殻。
さびしい岩肌、汚れた海草と。
テトラポットへ船虫がざあと逃げる。
砂にすがりつく藻屑、
半分に割れて死んだ蟹。
曇った空の残り香。
ああ、思い出せそうな気がする。
とぼとぼ、もっと向こうまで歩く。
あれは海鳥だろうか。
もうすぐ日が落ちる。
空が、あおくなって、くろくなって、夜になるのだろう。
生臭い磯と、海の境がなくなる。
次は忘れないように、書き留めておくことにする。
迎えが来る、大勢で来る。
静かなところへ行こうという。
波音が止む。
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舞台にはあらかじめ車椅子が置かれています。
下手から可能な限り大勢の“普賢岬の怪異”が中央へ向かいます。
“普賢岬の怪異”は大きな貝殻で顔を隠した背広姿の男です。
中央につくと、執拗に車椅子を撫で回します。
台詞が終わると、車椅子を集団で隠すようにして下手へ下がります。
舞台の明かりが消えます。
※
2.水字貝
まぁ、ゆっくりしていきなさい。
えぇ?いいのいーの、んまぁんまぁ座ってすわって。
んで?なんだっけ?岬の民宿だっけか。
あそこはねー、結構古いよの。
この店の前の主人がね、この辺の人なんだけど。
その人が子供の頃にはもうあったって。
ここに店出すときには相当なお年だったし、
うちもー、そう、もう…30年くらいになるからさ。
うーん、そうだね、まーこのあたりなにもないでしょ。
だから物好きな釣り人くらいかなぁ、あんなとこ泊まるの。
それでもやってるんだからすごいよねぇ。
でね、さっきのあれだけど。
そうなのよ、実はね。
いやいや出るっていうのじゃないんだけどねぇ?
あの宿はね、海の中に沈むのよ。
うふふふ、ホントに沈むわけじゃあないのよ。
だいたい聞く話はね、
あの宿に泊まって、いつまでも眠らずいたりとか、
ま、なんかの拍子に部屋が急に海水で一杯になるんですって。
もちろん夢かなにかなんでしょうけど、
みんなそろって同じなんだからちょっとヘンよねぇ?
でもおぼれて苦しいとかじゃなくて、
懐かしい人にあったり、失くしたものの場所がなんとなく
わかったりするんだぁ、って聞いたのよ。
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上手から“定食屋の主人”が中央へむかいます。
やや太った女性が演じます。
台詞が終わると、上手へ下がります。
舞台の明かりが消えます。
※
3.骨貝
うねり
あの人は、いい宿だな、といった。
わたしは、そうだね、といった。
それから、ふたりでずっと海を見ていた。
荷物の用意で慌てたことや、電車の中の変わった乗客のこととか、
つまらないことをずっと話していた。
布団に入っても波の音を聞いていた。
うとうとしていると、部屋が水の中に沈んでいた。
苦しくなかったから、これは夢なんだ、と思った。
そこであの群青のかげがそばで泣いていた。
「ねぇ、どうして泣いているの?」
「 」
「そうなの、つらいんだね」
「 」
「どこへも行かないの?」
「 」
だんだん水が深くなってくる。
痛みはないが、体がゆっくりとつぶれるのがわかる。
「つらいのなら、そう伝えるべきだよ」
「あなたが背負う荷ではないと思うよ」
「でも、それはあなたのせいじゃない」
「あなただって」
「あなただって、きっと幸せになってもいいよ」
もうきっと海の底である。
骨がみしみしという。
そこで私じゃない私が海面からふわりと降りてきて、
小さい貝を渡してくれた。
指が動くのがわかった。
なら、自分で忘れさせてやりたいと。
とても、そのかげが、哀しく思えたから。
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上手から“遠田明”が歩いて中央へ向かいます。
青いスポットライトに向かって、台詞を発します。
台詞が終わると、あらかじめ床に置かれた小さな貝を拾い上げます。
そしてそのまま、上手へさがります。
舞台の明かりが消えます。
※
4.回想
普賢岬に程近い民宿の一室で、不審死があった。
死亡した小谷豪氏は、布団の上で溺死していた。
睡眠中になんらかの方法で溺死させられたと見られている。
しかし風呂場など水周りに異常はなく、室内に濡れた形跡は発見されなかったが、
同室内の畳には、凄まじい人数の革靴の足跡が大量に残されていた。
死亡した小谷氏は同室に氏を含め二名で宿泊をしていた。
もうひとりの宿泊者であり、遺体の第一発見者でもある遠田明氏は、
病気のため身体が不自由であり小谷氏から介護を受けて生活をしていた。
遠田氏は自身が犯人であると主張しているが、
症状は重く、一人では移動することも難しい状態での
小谷氏殺害は疑問視されている。
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これでこの物語はおしまいです。
舞台に明かりがつきます。
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緞帳 普賢岬の怪異