古書の海
最近古本を読むのに凝っている。
古本を山にして、傷んだベッドに腰かけて読む。
こないだせどり本を50冊買ったら、なかなかいい本を入れてくれていた。
おかげで今じゃ古本長者である。
田辺聖子など、気にはなっていたがあまり読む機会のなかった大阪文学に触れて、ははーんとその文体の自由さを味わう。
小洒落た従姉なんかは私のこの癖を見て、「だっさー」とばかりにバカにするが、なるほど今どきの少女漫画なんか追いかけてるほうがよっぽど金の使い道がいいだろう。
しかし私も負けておらず、暇になると何でもいいから少女漫画雑誌など買っては読む性質で、なかなか流行を熟知している。
あれは数があるからいい。飽きが来ないし溜めれば何度でも面白かったところを味わえる。
少女漫画には文学に負けず劣らず良い面がある。
さて、私がいつものごとく古本を読み犬のはみ肉を摘まんで遊んでいたところ、ぴんぽーんとチャイムが鳴った。
見ると学生風の反笑いの男の子が、インターホンに映っている。
ははあ、名物女を見に来たなとピーンと来て、一応「はーい」と出ると、「産経新聞ですが」と嘘をこく。
「え、なんて?」
私は何度も「産経新聞ですがー!!」と叫ばせてから、「間に合ってます」とがちゃりとインターホンを切った。
こういうところ、遊びに近くて容赦がない。
一応相手の期待には応えてやった。
さて文学に戻ろう。
宮部みゆきや、見たことも聞いたこともないミステリー作家や、触るのも嫌な暗い本など色々あったが、なかなかどうして、捨てるには勿体ない。
要る本、要らない本、と山にしていたら、足の踏み場が無くなった。
犬がとっとっとと歩いて来て、本の山をすり抜け、本日初めての便をしだした。
私は「本もいつかは藻屑となる」と知ったかぶりをし、最近読む新しい本が面白かったことなど思い出しながら、「金さえあればなぁ」と、今月も小遣いが無い事を嘆いた。
嘆いてから、また本を読んだ。
音楽はただだ。
Jロックをかけながら、本を読む楽しみに目覚めた昨今の事である。
たまにテレビを見たり、ゲームのコインを貯めてガチャを回したりしながら、午前中、昼と時間はあっという間に過ぎて、犬の散歩へ行き、日々を終える毎日である。
しかし新しい発見はいつもあって、田辺聖子の女の幕の内弁当など知識人になりたい人にはぜひおすすめする。
私も舐めてかかっていた本だが、なかなかどうして、ドナルド・キーンは出てくるし、面白いことばっかりである。
本の本質は表には表れないものであるなぁ。
読んでみるまで分からない。
良書かどうかは、自分で判断するのみ。
とりあえず、もっぱら自慢できる趣味と言えばこれだけである。
古書の海
主に最近のお話。