かっぽれ

 今年の夏も暑いぞ! 取引先の中国人に聞いたら、中国はもっと暑いらしい。それを励みに頑張ろうとも思ったのだが、アッという間に挫けた。そうだ、今日は月末前の週末、毎年恒例の納涼慰労会が予定されていた。という事で俺は、それまで時間を潰すために、出来るだけ手間のかからない客を回る事にした。
 こういう思惑は得てして、仇になるものである。俺は、お得意先の会社に行くと、このクソ暑いのに事務所の机や棚の配置替えをしている最中に遭遇した。玄関を入るや否や、Uターンをして見なかった事にしようか? とも思ったが、従業員に声をかけられてしまった。『あっ、丁度いいところに来た』何が丁度いいのだろう? すると、すかさず事務所に二十年はいるお局様が『助かるわ、人手が足りなくて困っていたの』と目を輝かせた。お局様の要望は絶対命令に等しい。俺は、ワイシャツの腕をまくると、恐らく労力が軽減されるであろうお局様の近くにすすり寄ろうとしたのだが、お局様は『あのロッカーお願い』と顎で合図をつかわされた。転勤でコロコロ変わる支店長より遥かに権力を持たれるお局様の言いつけである。って、どこを持てばいいんだ? このロッカー背丈以上ある。握り手がないが、転がす訳にはいかない。俺は、若い男の子と二人で斜めに倒し、窮屈な事務所内を横断した。それから、中身も出していないやたら重いスチィール机やら、まだ使ってんのかよ! と言いたくなるディスクトップパソコンやら、でかいだけのプリンター、複雑に絡まったコード類、俺は運命の無慈悲を呪いながら、お局様にこき使われ続けた。俺は汗だくになりながらも、チラチラとお局様のご機嫌を伺う。それも終わらぬ苦悩ではないわけで、一通り終わり『ご苦労さん』とペットボトルのお茶をお駄賃に事務所を後にした。
 俺は、帰りの車の中『今日は、腹一杯、飲んでやる』と決意を固め、会社へ向かった。会社に着くと、今日は夏の慰労会という事で事務員は皆早めにあがっていた。女は大変だ、飯は作って出ないといけないし、風呂に入って、その後、化けなければいけない。特に、ババア連中からすれば、年に一、二度の外出の機会かもしれないし。うちの女性連中は鬼のように酒を飲む、ある時期が過ぎると、まるでヤマタノオロチが群れをなしてトグロを巻いて絡み合っているようでもある。神仏に近い生き物なので深入りしてはならない。
 例年、同じ宴会場を借りている。街中にある大きな居酒屋で、窓からはこれもこの時期恒例の花火大会が観れる。昔は、雑居ビル屋上のビアガーデンで行った事もあったのだが、生暖かい風で虫まで飛んでくるわ、雨は降りだすという劣悪な環境の為、僅か一回で元に戻った。中小とはいえ、百名近い従業員がいる為、会場は限られてくる、恐らく、どちらかが潰れて無くなるまでここで行われる事だろう。
 まずは人の良さそうなタヌキ社長の挨拶。続いて乾杯の音頭をカバ顔の専務がとって、宴会は始まる。俺は、何度もこの場を経験している為、後々、居心地が良いであろう場所を確保する事にしている。まず、社長や役員の近くには近寄らない、それから酒癖の悪い社員は避ける。入ったばかりの若い社員の近くは良い、まず、こき使える上にババアだけではなく若い女の子も近寄りやすい。よって会話も弾むというものだ。
 俺は、我が社のお局と下ネタ話で大笑いしていたのだが、隣のババア連中も若い男の子を冷やかしてははしゃいでいる。そのうち、お局が部長に絡み始めたので、俺はうちの従業員では希少な若い女の子と会話をする事にした。
「琴美ちゃんは綺麗だな。本当に掃き溜めに鶴だな」
 すると隣のババアが『誰が掃き溜めよ!』と突っ込む。
「何言ってんの、上原さんは白鳥よ。我が社のスワン!」
 と言いたくもないお世辞を言ってしまった。『なら、許す』と隣のババアは酒を呑み直した。琴美は笑っている。
「琴美ちゃん、会社はどう? 何か、悩みがあれば言ってごらん。何でも聞くよ」
「みんな親切だし、明るいし、働きやすいと思います」
 確かにこれだけ女がいて、イジメがないのはお局の器量かもしれない。お局は、結構、アウトロー女で、上司の男にも平気でくってかかる為、恐れられていた。俺の暴言、雑言
に女子社員が寛容なのは、お局と仲が良いおかげなのかもしれない。
「でも、若い子って仕事以外でも結構、悩みも多いんじゃない? まあ、飲んで、飲んで」
 と俺はビールを注いだ。早く酔わせて、年齢差という果てなく高い壁を乗り越えねばならない。
「彼氏とかいないの? かわいいのに」
 人によっては、そんな事を口走るとセクハラと訴えられるらしいのだが、元々、権化のような俺には通用しない。
「彼氏はいるんですけど……」
「そうだろうな、若いんだから彼氏の二、三人いてもおかしくはない」
「一人しかいませんけど……」
 いつから法令化されたのだろう? そんな訳ないか。
「結婚しちゃえば。うちなら結婚しても働けるし、子供も産めるし、心配ないぞ。おまけにご祝儀だって出るぞ」
「ですよね、結構、友達も結婚したら今の会社を辞めないといけないって言ってる」
「お局なんか、ここの取引先の社員を騙くらかして結婚して、子供も三人産んで、あんなでかい面してるんだぞ」
 聞こえたのか? 向こうから『誰が騙くらかしたんじゃい!』というお局の声が聞こえた。琴美は笑いながら、ビールに口をつける。
「でも、彼煮え切らないんですよね、本当に結婚する気があるのか」
 琴美はもう二十六になるらしい。そろそろ、急がないといけない歳なんだろう。
「ああ、結婚って決断だからな。二人一緒に決断なんて本当は難しいかもな」
「男の人が決断するってどういう時なんですか?」
「う~ん。そうだな、彼氏って金を貸してくれなんて言う?」
「え~! ちょこっとした事で貸す事はあるけど、すぐ返してくれますよ」
「じゃあダメだ。遊ぶ金でも何でもニッコリと貸すんだ。上限は設けずに。そうするとやがて男は借金で首が回らなくなる。よっぽど悪い男だとトンズラするかもしれないが、大抵の男は『結婚してチャラにしてもらおう』と思うはずなんだ」
「それってクズじゃないですか?」
「いや、クズ云々ではなく、結果オーライなんだ。結婚すれば数倍にして回収出来る。経験者が言うんだから間違いない。俺は、結婚してトイチ以上の金利を払っている気がする」
「経験談ですか……」
 おっと、いけない、この男とまともに話していていいんだろうか? という疑惑の表情だ。
「いや、突飛な話じゃなくて、男と女の機微が重要なのさ」
 と言い訳している。
「そんなもんかなあ……」
 と彼女は真剣なようなので、的確なアドバイスを試みた。
「結婚ってのは、当人同士というより親族、縁者を巻き込んでの契約、儀式なんだ。その為のレール敷きとして、とにかく彼氏を親族以外にもあらゆる関係の人々に認知させ、もし、結婚をしないものなら極悪非道な男と世間から蔑まれる域までもっていくんだな。出来たら彼氏の会社の社長や奥さんにも気に入られる努力も必要かもしれない。世間が大挙して結婚しろと言わせればいい。そして、子供でも作れば完璧だ」
「逃げ場をなくしていくんですね」
 おう、そうよ。琴美もだいぶテンションが上がってきたようだ。
「でも、本当ですか? 嫌われたりしないですか?」
「口に出さなきゃ、男なんて一生気付かないぜ。ニコニコしてりゃあ。結果オーライでどうにでもなる」
「それも経験談?」
 ギョッとする事を言うのはさすがに女である。
「何、講釈たれているのよ!」
 お局様のご生還である。俺は、怒られた猫のように尻尾を丸めて静まった。
「いやあ、かわいい後輩に誠実で適切な、人生のアドバイスをしていたところだ」
「ふん、何偉そうに言ってんのよ、ダメよ、こんなお粗末くんの話を真に受けちゃ」
 キャイン! 俺はマジに逃げようかと思った。
「よく言うな、二十数年も一緒に働いてて、なんて情の薄い女だ」
「はあ? 私が会社に入った頃、真っ先に口説いてきたくせに」
「マジですか!」
 と聞いてた若い男の子が声を上げた。
 ゲッ、こいつ酔って爆弾発言をしやがった。それが真実か虚偽かといえば、事実には違いないのだが。俺の、今までの人生で、酔った席で『この人に口説かれた事があるの!』と爆弾発言した女は少なくとも五人はいる、黙っときゃ分からないのにだ。女は何でバラすんだろう? 思わず『そういやあ、あの頃はメスなら猿でも口説いてたしな』と言いそうになったが、こいつを敵に回すのは危険だ、なんといってもこの女は今は『お局様』の地位まで登りつめていた。俺は、作戦を変更する。
「いやあ、あの頃は綺麗だったんだ。そりゃあ、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花って感じだった」
 フフフと不敵な笑いを浮かべたお局は言った。
「えらく古臭い事言うわね、もっとモダンな表現はできないの?」
 はあ? 言いたくて言っているのではない。俺の人生最大の汚点を、今後、公表しないで欲しいが為だ。
「君はジュリエットか、妲己だった。誰もが憧れた」
 俺は、褒め殺して全てをギャグにしてやろうと思っていた、そんな訳あるか! って。ところが……。
「妲己って悪女じゃなかったっけ?」
 と言った局はしばしの沈黙と共に。
「実は私たち出来てたの、でも、この人小心者だから何もなく、終わったけど」
 はあ~? 悪いが、手を出した覚えも付き合った覚えも全くない。ギャグだろう、多分。
「よく贈り物をされたけど、それが笑っちゃうの、和菓子とか菓子詰めばかりよ、ホホホ」
 それは誤解である。恐らく、客からの貰い物をみんなで食べてくれと渡したものだ。全部、お前に食えと渡した物ではあり得ない。ふと、悪寒が走った。そういえば、締め日の際でも、伝票の処理でもこいつは俺に随分、便宜をはかってくれていた。ひょっとして、一時でもこいつは俺と付き合っていたと思っていた時期があるのだろうか? では、どういう経過で破綻したというのだろう? 考える程、恐ろしい勘違いである。
 暑くて思考力も激減しているこの季節、この平凡でさりげなく終わるはずの宴会は、お局様の衝撃告白で衝撃風が吹き荒れ、大盛況のうちに幕を下ろした。真剣に『この会社、辞めようかな』と打ちのめされた俺だった。

かっぽれ

かっぽれ

毎年恒例の慰労会が催された。そこで初めて知る事実に驚愕してしまった。コメディ。

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更新日
登録日
2016-08-15

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