先人達の珠玉の言葉から人生観を観る
明代の崔鉄に六然訓というのがある。
すなわち、
自処超然 処人藹然 有事斬然
無事澄然 得意淡然 失意泰然
である。
自らの処遇のされ方には超然としていなければならない。それはいわば自らのこれまでの全行為の結果であり、また新たな出発でもあるからである。失意のときには特にそうであって泰然としていなくてはならない。ここに書かれていることは、人生における流れの節目節目のときを述べているのであって、その奥にある人生観は、次の白楽天の詩にも通ずるものである。
窮通は己に由らず
歓戚は天に由らず
窮通とは運命における幸、不幸であり、歓戚とはそれを悲しみでもって受けるか歓んで受けるかといったことである。人生の幸、不幸は天が決めるものであって、問題はそれを受ける心の働きであるといっている。ある種の諦観をそこにみるわけであるが、人生を全く諦めたわけではない。いかなる不幸にも立ち向かっていく強さも感じ取れるのである。まさに失意泰然であり、自処超然である。
世のため人のためという言葉ががある。たしかにある年齢を越えると、世のため人のためと思うことが若い頃よりは多くなる。この世のため人のためという話を私の敬愛する人と交わしていたら、彼が「しかしやぱり自分のためだよなぁ」とおしゃった。
このことに関して、先人は何と言っているか。最澄は「忘己利他」(もうこりた)といっている。利他を行うのが、もう懲りたのかと思ったら最澄は本気で「忘己利他」と言ったようである。しかし、お釈迦様は、「忘己利他」ではなく「利自即利他」とおしゃった。まず利自があり、その行為が利他であらねばならないといっている。人間の理想の姿を極め尽くした言葉である。
お釈迦様の説法のなかに、輪廻転生がある。生まれ死に、生まれ死に、しながら人間は進歩していく。その法則は、自ら作り出していく人生の中にあり、因果応報である。この人生観を持つとどうなるか。人によりそれぞれ言い方は変るかもしれないが、先に述べた六然訓も、白楽天の詩もスーッと理解できる。
坂本竜馬は、この辺りを何と言ったかというと、「人の命は天より与えられしもの、死ぬときはそれを返すのみ」となる。人生は、こういった観方をしていくと、軽々に歓んだり悲しんだりすることがなくなっていくわけだが、清代の曽国藩などは意志すこぶる強固で「四耐」、「四不」なる人生訓を残している。軟弱な小生にはいささかまいる。
耐冷、耐苦、耐煩、耐閑
不激、不躁、不競、不随
耐冷、耐閑などはなかなか味わい深いものがある。
孔子の言葉にも「小人閑居して不善を作す」とある通り、閑に耐えるのは小人には難しい。
六然訓は人間の感情の抑制=コントロールを述べているが、欧米になると、フランクリンは「抑制するのに最も難しいのは、自負心である」と言っている。又、旧約聖書の「箴言」には、{自らの感情を支配するものは、都市を奪い支配するものよりもすぐれている}とある。欧米の哲学には、必ずこの自負心あるいは気概について触れる箇所がある。古くはプラトンであり、人間の魂には三つの面があり、欲望、理性、気概と分析している。この気概にあたる部分の表現の仕方でそれぞれの哲学者の個性がわかる。以下次の通りである。
ジェームズ・マジソン =野心
ルソー=自負心
ホッブス=誇りや虚栄
マキャベリー=栄光を求める欲求
ニーチェ=赤い頬した野獣
ヘーゲル=認知を求める闘争
いずれにしても、この部分の野放しは人格を高めてはいかない。必然的に、キリストの愛の思想が生まれ、一方の欠陥を補う役目を担うことになる。
ところで、気概という魂の部分であるが、戦前は大和魂などといって、やたらとこの面の大切さを強調していた。武士道や騎士道などもこの面の強調であろう。アメリカのやり方をみていると、自分の考え方に合うものは寛容であるが、合わないとなると、この気概を丸出しに闘いを挑む。また、挑むことが人生に最も大切だといった感がする。もっとも、世界中どこの国へ行っても自国を誇る気持ちは変わらずにあるわけで、これは哲学者の分析を待つまでもなく人間の本質に根差したものであろう。むしろ、この気概の抑制をどのようにするか、という事の方がより困難であり、また重要である。
日本は歴史上早くからこの点にたいする関心を持った人物が出た。聖徳太子である。あの有名な十七条の憲法であるが、第一条に、
「和をもって、貴しとなす。さからうことなきを宗とせよとある。この考え方は、日本人を他の国の人と大いに異なる民族にした根本的思想である。無論、常に例外的人物、事象は歴史上いくつか出てくるが、大きな流れとして常に日本人を規制したモラルである。日本の大会社においては、意識されない内な
るモラルとして、依然として現存している。
どんなに素晴らしい思想も、その一面だけをとらえて論じては正鵠を射ない。聖徳太子の思想も、議論を全面的に抑えたものと捉えると意味が違ってきてしまう。当時の状況は、ある意味で自由に物が言えたからこそ出てきた思想であって、自由に物が言えるということが前提となっている。
そのことを示す好例が、当時、仏教国となるか、儒教国となるか、の激論である。まさに談論風発であまりにも激しい議論が交わされ過ぎて、国が二分しかねない状況であった。そうした状況を踏まえた中から出てきたのが、「和を持って」の思想なのである。
さて、しかしながら、長らく「和をもって」の思想でやってくると、その前提となっている自由に議論した上での部分が忘れられてくる。やがて、逆らうことなき状態が無前提によしとされ、その方法論として、事前の根回し、暗黙の了解、あるいは腹芸なるものが出てくることになる。それでも、その影響が国内にとどまっているうちはよかったが、国際化が進み、さまざまな国と付き合わねばならなくなってきた。物言わぬ日本人では公の場ではすまなくなってきた。
しかしながら、長いこと議論を控える風土で育った日本人は、欧米文化の気概を丸出しにする文化に接すると気圧されがちになる。このあたりのところは民族の歴史に関わるところであり、今すぐ修正がきくものでないし、また、明らかにどちらが一方的によいというわけでもない。むしろ双方の中間点あたりに求められる理想の姿があるのであろう。
中間点といえば儒教では中庸という思想があり、仏教では中道という思想がある。一見同じ思想に思えるが、もともと思想が違うわけであるから同じであるはずがない。 儒教にいう中庸とは、その前提として、人は理性と感情があり、それがセットになってはじめてじ立派な思想が出来上がるというものである。仁義礼智信は代表的徳とされているが、智にいたっても理想とする状態は、理性と情とのバランスの上にある。したがって、中庸とは情に流されず、理性に過ぎずの状態をいうのである。
こう言ってしまうと、儒教も当たり前のことをいっているようだが、この辺りのことを王陽明は、
「人生は万般といえどもそれに応ずるところは喜怒哀楽のうちにあり」と言い切っている。さすが行動学の大家であり、理性、特に智に過ぎることを箴めている。
ところで、仏教の云う中道とはどういうものであろうか。仏教の思想の中核は、煩悩からの脱却である。中道の思想はこの人間の欲望とのからみから出ている。あるひとつの欲望をなくそうとすると、それに拘らざるをえなくなる。ところがそれに拘り過ぎるとまた新たな困難が発生する。これではいくら行っても解決が出来ない。人間は肉体という煩悩の塊を持っている以上、所詮煩悩から逃れることは出来ないのである。これでお終い、となってしまっては宗教でもなんでもなくなってしまう。逃れられない肉体から出てくるさまざまな煩悩はいたしかたないが、それに余り囚われるな、と言っているのである。つまり、執着するなと言っているのである。無く無くそうと執着すれば、新たな執着が生まれてしまう。その執姿がある、としたのである。これが仏教で言うところの中道である。
中庸にしても、中道にしても単にたして二で割るのとは、違うことがわかるであろう。いずれの思想も凡人にはなかなか出来ることではない。 欧米における自負心と愛他のバランスもまた、凡人にはなかなか困難であるのはまた同様である。
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