天使のはしご

ツイッターのフリーワンライ企画(@freedom_1write )のものです

車はずっと走っていた。山の中を、ずっとだ。助手席の由莉は眠っていた。街灯の少ない、殆ど真っ暗な道を、車のヘッドライトだけを頼りに、梓の運転する軽四は走り続けた。時々、道に侵食した木の細い枝が、車の左側を擦ってカサカサとなった。道は整備されていたが、狭かった。目的地の海まで、この山を越えない道も、もちろんあった。しかし、由莉がどうしても山道がいいと言うので、少し遠回りになるが、こちらの道を行くことになったのだ。当の本人は寝ているが。
カーブのやたらに多い道だった。梓は昔のことを思い出していた。五年前に事故で死んだ両親と、スイスに留学している弟のこと。昔はよく父の車で山道をドライブしたものだった。私と弟は、真っ暗で、たまに霧が出る、いかにも何か恐ろしい物の出てきそうな山道を車で走るが好きだった。恐怖と好奇心で興奮しながら、母の座る座席に前のめりに寄りかかり、他愛もない話をしたものだった。山を下る頃には、2人ともぐっすり寝てしまっていて、気が付けば朝、ベッドの中にいた。ほっそりとした母と、逞しい父の腕が、優しく梓たちを抱え上げて、起こさないように、静かにベッドへ運ぶ。梓たちの寝顔を見て、微笑んで、母が指で、額にかかった髪をのけてくれる。梓は、もうほとんど二人の顔を思い出せないのに気が付いて、ふいに泣きそうになった。あたしは今一人ぼっちだ、と梓思った。由莉は寝ていて、弟の琢磨はスイスにいる。
ああ、今なら魔物が襲って来るかもしれない。そんなおかしなことが頭に浮かんだ。今、この一人ぼっちなときを見計らって、魔物があの、あの木々の間から、霧の中かな、襲って来るかも。
相変わらず道は狭くて、ヘッドライトだけが頼りだった。カーナビは、ひたすら曲がりくねった道をうつしていた。いつになったら下になるのだろう。早くこんな山下りてしまいたい。由莉は寝ていて、ラジオは電波が入らない。梓はチラと由莉を横目で見た。首をこちら側に曲げて、変な体勢で寝ている。起きた時が辛そうな体勢だ。栗色に染めた髪が、頬にかかっている。日に焼けた手は行儀良く、揃えて膝の上にあった。長い睫毛をぱっちり閉じて、眠っている。暗い車内で緑色に光る時計の文字は、午前四時すぎを示していた。
しばらくぼーっと何も考えずに走り続けていると、だんだん山を下っていることに気がついた。先ほど少し道の大きくなったところが頂上だったらしい。ラジオをつけてみると、電波が入った。街で聴いたことのある、人気のアイドルグループの曲が流れていた。
「うち、この曲嫌い」
隣からくぐもった声が聞こえてきて、梓が横を向くと、首元に手をやって、眉間にしわを寄せた、由莉がいた。
「今起きたの?」
「今起きた」
遠くの方に夜景が見えた。街灯が増えて、道が随分明るかった。
「ほら、夜景」
白やオレンジや赤い光がキラキラと光っていた。その夜景の街には何度か行ったことがあるが、上から見るとこんなに綺麗なのか。決して綺麗な街じゃなかった。観光客の置いていったゴミが、そこらに転がっていて、それを非難する看板が電柱についていた。こんな綺麗なのか、遠くから見ると。梓は不思議な気持ちになった。
「ああ」と、由莉は興味なさそうに呟いた。由莉はプラネタリウムや水族館や、人工のものを嫌っていた。
山を下りきった。住宅街だった。コンビニと街灯だけが場違いに煌々と光っていた。並ぶ家々は、まるで誰も住んでいないかのように真っ暗だった。
「窓開けていい?」
梓が頷く前に、由莉は窓を開けていた。海の香りが、冷たい風とともに入ってきた。目的地は近い。
由莉は座席に凭れて、目を瞑っていた。潮の香りが心地よかった。二人とも何も話さなかった。由莉はまだ微睡んでいて、梓はまた両親のことを考えていた。二人とも、海にはもう何年も行っていなかった。
目的地に着いた頃には、薄っすらと空が明るんできていた。車を適当に停めて、二人は降りた。由莉は靴を脱いで、先に浜辺の方へ駆け出していった。背が小さいので、子供のようだった。短い髪の毛が、弟を髣髴とさせた。梓はまた泣きそうになった。サンダルに砂が入って、気持ち悪かったので、梓もすぐに脱いでしまった。先にギリギリ波の届かない所に座っていた由莉の隣に座る。
海は黄色っぽいオレンジ色に輝いていた。水面は揺れるたび、キラキラと輝いて、さっき見た夜景より綺麗だと思った。丸い輝く太陽が顔を出して、海に一筋金色の道が出来ていた。二人はそれを無言で見つめていた。梓の胸には、なにか切なくて、優しいものが溢れていた。涙が溢れてきそうだったのを、必死で我慢した。
それははしごのように見えた。輝く太陽のその先に、両親のいるかもしれない、天国があるんだろうと、なぜか確信できた。梓はそれを由莉に伝えた。
「天使のはしごね」
起きてからずっとむっすりしていた由莉が、はにかんで言った。
「うちらは通れない」
二人は空が青く明るくなってしまうまで、そこに座っていた。

天使のはしご

天使のはしご

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-12

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