夏草や

軽い夏物語でも。

夏草や、橇が滑るわ子供の声に。

この句を指して、叔母は「あんまりよねえ、おじいちゃんの才能も」と言って笑っていた。
倉庫から何か袋を取り出しては、ばんばんと叩いて埃を落とす。

芳吉翁が没してから、実に10年経つ。
切りの良いここらで、形見分けをしようと妹が言いだして、普段から切れ者として知られる妹の声に皆が腰を上げて、今朝から働いている。

その句が書かれた墨の書は、額に入って壁に掛けてあった。
そんなに大業にも見えないし、粗末にも見えない。
ひとえに妹は、その珍奇な趣味からこの書が欲しくて形見分けなど言い出したように思える。

「なんか、形になってるからいいんだろう」

そう父が断じて、書は妹の手へと渡った。
妹は「やったー、ラッキー」と言って、早速部屋に飾っている。彼女は美大卒と言うわけでもないが、太宰治よろしく若いころに病気して、ちゃっかり働かずに才能を磨くという、いわば美術系ニートと言う地位を得て、大変なはずのその精神病とも仲良くして日々を過ごしている。
差し入れと称しては何かと食べ物をくれるので、邪険にされない。
自分も何か欲しい漫画があれば、その都度聞いてくる妹にリクエストして買ってもらったりしている。

この間妹が、貯金しに郵便局へ行くと、裏に住んでいるおばさんに「私たちの金で買い物して、良い御身分ね」的なことを言われて、あの言葉には大いに悟るところがあった、とそう語った。
語るところが良いのだ。腐るでなく、何か芸術的観点を見つけようとしている。常に前向きなその姿勢には、幾分か励まされる。

いるときはいるで、いらないときはいらない。妹はその性分が激しく、貯金できたりできなかったり、様々である。
妹が、「これ、金魚に見える?」と摩訶不思議な水彩画を見せてきて、「お前に才能はない」と言い切ると何故だか爆笑してその絵をくしゃくしゃにして捨ててから、「お昼どうする?」と聞いてきた。

千夏おばさーん、と声をかけ、頭に布巾を乗せた叔母と昼餉についてごにょごにょと話しながら、妹は自転車を出そうとしている。

父が、「ピザにしなーい?」といつものごとく無邪気に言い、母に「このメタボリック!」と大目玉を食らっている。

俺も行くわ、と村に唯一できたピザ屋に向かおうと家の前の土手まで歩いてくると、斜面を旅行者の子供たちが滑ってきたのに出くわして、「おっ」と二人そろってびっくりした。

すいませーんとまた斜面を登りだす旅行者を見て、翁もこのような心情であったのだろうと、家の前のその風景にしばし見入った。

夏草や、橇が滑るわ子供の声に。

「あんまりだな」
「そうでもないよ?」

やっぱりお前に才能はないよ、と断じてから、腹減ったなーと声を上げた。

青草の匂いが香る。風が芳ばしい。
丘の上から見える街の景色に、自分たちの家はなんて田舎方面にあるのだろうと半ば嘆いた。
日差しで何もかも、光っている。

夏草や

リハビリ代わりに。

夏草や

芳吉翁の残した書は、妹がさらっていった。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-12

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