緞帳 猿噛梍の怪異
登場人物
① … “けもの”
② … “子供の面” “壮年の面” “老爺の面”
③ … “男”
④ … “ましら”
⑤ … “じし”
⑥ … “ちどり”
⑦ … “猿噛梍の怪異”
⑧ … “袋の少年”
0.梗概
まだ若いけものは、しらないのです。
秋になると、糧が実ります。
でも、若いけものはまだしらないのです。
ぞよぞよと黒い長い実を垂らした、
あのさいかちの木の下を通ることを。
ざぎざぎととげからとげが生えた若枝の、
あのさいかちの木の下を通ることを。
おおさいかちのうろ穴の、
その深くには、畏れ多いものが棲んでいるのです。
ぶちりぶちりと実をちぎる
ぐさりぐさりととげを刺す。
破らねば、食えぬのです。
破れば、溺れるのです。
まだ若いけものは、しらないのです。
ぞよぞよと黒い長い実を垂らした、
あのさいかちの木の下を通ることを。
ざぎざぎととげからとげが生えた若枝の、
あのさいかちの木の下を通ることを。
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誰もいない舞台があります。
下手から人物が中央へ向かいます。
人物は“けもの”を模した面をつけ、
台詞を語ります。
台詞を終えると、上手へ向かいます。
舞台の明かりが消えます。
※
1.猿噛梍について
☆
御婆さんがこんな話を教えてくれたの。
家の裏山の雑木林に、大きな大きな木があって、
それはかみさまのほこらなんだって。
けもののほこらなんだよって。
けものっていうのは山に住んでいる動物のことで、
むかし、猟師がそのお弔いを、
その大きな木にお願いしたんだって。
☆
はぁ、祠ですか。
知りませんねぇ…うーん。
ふうん…ううむ、いやぁ、そんなものは…ないですよ、ええ。
うーんそうですねぇ、とにかく山に入られるなら気をつけてくださいよ。
いえ、山で妙な人を見たって話が多くて。
ええ、はぁ、妙といっても、まぁ、おそらく釣り人か何かでしょう。
実は私も一度だけ見たことがありまして。
詳しくですか、ううむ、詳しくといっても…汚い男がですね、
川の中の岩で、こう…白い棒みたいなものいくつも洗っていただけですよ、
釣り具かなにかでしょう、ええ。
☆
ほこらぁ?知らんねぇしらんしらん。
はい?あの山にぃ?さぁどうだか。
獣ったってそんなもの出やしない。今はただの山ですわい、やぁま。
でも、あーぁ、あれだぁ、あのぅ、梍があるわな、サイカチ。
ひぃじいさんによく脅かされたわな。
そらぁでかい梍の木よ、まだしっかりあるわいな。
あれは、ああと、あんだっけ…あぁ、思い出した。
猿だか鹿だかをとって食うんだと。
まあぁ、いやぁ子供だましよぉ、そんなもの。
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誰もいない舞台があります。
中央には三枚の面が置かれています。
上手から“人物”がそこへ進みます。
順に、“子供の面”“壮年の面”“老爺の面”
それぞれをつけ、台詞を語ります。
台詞を終えると、下手へさがります。
舞台の明かりが消えます。
※
2.仏法僧
砂利道にて
ハンドルが汗で滑りそうになっている。
体は暑いが、手先はひどく冷たい。
エアコンの噴出し口を、直接顔にむかないようにした。
甘くないコーヒーを買うべきだったと、今は思う。
もう数分で着くだろう。
そろそろ舗装路は終わる。
着けば、汗が拭える。
着けば、首元のシートベルトから開放される。
着けば、外の空気を吸える。
着けば、体を伸ばせる。
深夜である。
仏法僧が鳴いている。
木立が風でゆれる
男がその山の中深くで荷物を、降ろした。
裾も靴も泥だらけだ。
鋭い草葉で指を切ってしまった。
爪に泥が入ってしまった。
でも、あとは、一人で帰るだけだ。
家に着いたら、水を飲もう。
着いたら、手を洗おう。
着いたら、エアコンをつけよう。
着いたら、シャワーを浴びよう。
着いたら、布団をひこう。
着いたら、薬を飲んで眠ろう。
できるだけ、考えないようにしよう。
そう思った。
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舞台の中央で、“男”が台詞を語ります。
傍らには一抱えくらいのごみ袋があります。
台詞を終えると、袋をそのままにして下手へさがります。
舞台の明かりが消えます。
※
3.猿噛梍の怪異
☆かしこき かしこき さいかちよ
まをすこと まをすこと
きこしめせ きこしめせ
かしこみ かしこみ かしこみ かしこみ
ましらが かしこみ かしこみ まをすこと
じしが かしこみ かしこみ まをすこと
ちどりが かしこみ かしこみ まをすこと
きこしめせ きこしめせ
かしこき かしこき さいかちよ
★ぐう、ぐう、ぐう、ぐう、
よよよ、よ、よ、よよよ、よよよ、よ。
ぐぐう、ぐ、ぐ、ぐう、ぐう、ぐう、
ぎよぎよぎぃよ、ぎよぎよぎぃよぎよ。
ぐう、ぐう、ぐう、ゆう、ゆう、ゆう。
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舞台に明かりがつきます。
中央には三人が立ち、もう一人が仰向けに寝ています。
起立した三人はそれぞれ、
“ましら”猿を模した面をつけます。
“じし”鹿もしくは猪を模した面をつけます。
“ちどり”鳥を模した面をつけます
仰向けに寝ている人物は、
“袋の少年”です。
起立した三人はそれぞれ、
☆の台詞を三度、斉唱します。
台詞が始まると、
下手から“猿噛梍の怪異”が中央へ向かいます。
体から黒い帯を無数に垂らし、棘のある面をつけた男性です。
★の台詞を唱えながら、まわりをゆっくりと一周し、
起立している一人一人に覆いかぶさります。
覆いかぶさられた人物はその場に伏します。
三人ともが伏したら、“猿噛梍の怪異”は
次の人物を探す動作をします。
しばらくして、立ち止まります。
そして、“袋の少年”をじっと見つめます。
舞台の明かりが消えます。
※
4.回想
「山菜を採りに山に入ったのですがね、
木のうろで男の子が、ぐっすり眠っていたんですよ」
七月二十二日のこと、
山林深く、梍の古木の下で中田勇人くんは発見された。
軽い脱水症状があったが、命に別状はなかった。
すぐそばにはなにかを埋めた形跡があり、掘り起こすと
同年代の子供の白骨死体が袋に詰められていた。
身元は不明であったが、勇人くんと血液型が一致した。
父親の中田雄介が息子の捜索願を取り下げたあとのことである。
その後勇人くんは、入院ののち体調は回復したが、
それ以来、大きな木をみると耳を塞いでひどく怯えるようになった。
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これでこの物語はおしまいです。
舞台に明かりがつきます。
※
緞帳 猿噛梍の怪異