ソーダの泡

とあるおじさんの話。

疲れた人に、一等賞。

はい、と差し出されたソーダ水を手に、私は土手に座り込み、その光景を眺めた。

ボランティア活動に参加した人たちおよそ500人、皆労働の末、へとへとである。

世の中に貢献したいという人は意外とたくさんいて、人に感謝されたり、ただ働きたい欲を行使したりと、用途は様々である。
最初、ペットボトルの蓋を洗うという地道な作業をしていたころには、皆黙々としていて、大変集中できた。
ただ、こちらの体調不良が原因で止めざるを得ず、職員の人と話しては、「今はご自愛されたほうが良いのではないでしょうか」と言う、いわゆる一人行動をとれ、という選択肢の元、欝々とした。

が、その後読書に目覚め、ブログ上などで思想について語る機会にも恵まれ、仲間こそできないが訪問者数は増え、その数が多いほど自信につながった。

私は潔い人間である。真人間である。

そういう自信だ。
私の病は精神病なので、誤解されることが多い。
少なくとも人を殺したい願望などないし、気持ちの悪い想像などしていない。ただ頭痛がしてふらつく程度だ。ひ弱なのだ、よく言えば。
声がエコー掛かって聞こえる。幻聴なんてその程度。
そうだけれど、差別は未だメディアのせいで止まず、明らかに悪人の相をした人間もいるにはいるので、私はそんなもんと一括りにされちゃたまらない、と鍛えるつもりでジョギングに出かけては、近所の掃除をし、声掛けをした。

おかげで気楽に話せる人、という称号は得たが、どうにも腹黒い連中もいて、そういうのには手を焼いたが、まあ今日まで水面下での足の蹴り合いのような日々は続いている。

こんな身に生まれたせいで、なんて様だ。

冷たいビールは飲めないし、心の問題で恋など支障がありすぎてできないし、真面目に生きるしかない。
しかし、幼いころから宮沢賢治の小説などに感化されてきた自分としては、この生き方で正解であるという気もしないではない。

元から、ないのだ。不良になりたい願望など。
それに相手の冗談に合わせて笑うくらいなんてことはないし、幸い仲の良い人は皆社会的に力を持っている。
しかし頼るわけにはいかない。

そこで、身を立てようと思った先が、ボランティアである。
たまの参加だと、やはり孤立しやすい。
しかし、どこか誠実さのにじむこの空気はとても吸いやすい。

健康づくりは成功し、なんとか平穏な日々を送っているが、どうにも私は仲間ができないな。
しかし人間、一人になった時こそ真価が問われる。
その線で言えば、私は実に合格点である。

「真面目さんには、一等賞ね」

そう言ってボランティアの女性が渡してくれたサイダーを飲みながら、「クァーッ」と私は声を上げた。

生きてるって感じがする。

今日のご褒美のこのサイダーが、私の今を如実に物語っている。
これからも、まい進するのみ。

私は決意を新たに、「よし」と膝を叩いて立ち上がった。
「ごみはこちらに集めてくださーい」と言う声に従って、皆の群れに入っていく。

暑い日差しの中、散々バラバラに散り、私たちは帰っていく。
スーパーでレバーを買って、その日は一人焼き肉をした。

「焦げ臭ー」

隣の腹黒名人がそうごちたが気にも留めずに、野球を見て「おーし!」と声を上げた。

ソーダの泡

私がこんな感じです笑。

ソーダの泡

今日も一人、真面目ぶっている。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-06

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