ある日の僕の一日(テンプレート)
三題話
お題
「毎朝の習慣」
「コンパス」
「几帳面」
毎朝の習慣というものは、一日の始まりを告げる一連の行動であり、多かれ少なかれ順番や時間が厳密に定められている、と僕は思う。
目覚ましのアラームでベッドから出て、トイレへ行き、洗面所で顔を洗い、朝食を準備しつつテレビの電源をつけて朝のニュースを流し聞き、朝食を摂りながら新聞に目を通し、歯を磨いてからもう一度トイレへ行って、服を着替える。
所要は約一時間。たまに寝過ごして慌ただしいこともあるが、基本的に朝はゆったりとしている。
このように、誰でも朝の行動は決まっているのだと思う。もちろん全員が、とは言わないが、ほとんどの人は毎日同じことを繰り返しているのだと、僕は思う。
それは朝に限らず、昼も夜も、平日には平日の生活を、休日には休日の生活を、当たり前のように反復しているのだと思う。
それが生きてゆくということ。
定規を使って引かれた線のように真っ直ぐに、コンパスで描かれた円のようにぐるぐると同じ場所を巡る生活をしている。
朝起きたところから始まり、夜眠るところで終わる。
始まりの場所は、終わりの場所でもある。
始点と終点はいつだって同じ。
人生は螺旋ではなく円なのだ。
収束も発散もしない、定められた生活。
寸分違わず同じとは言わないが。
人間は選択肢を出来るだけ少なくする方へ向かうため、その行動はかなり制限されていることになる。
自然はエントロピーが増大する方向へ進むが、人間は非平衡で開放系な散逸構造。
無秩序よりも秩序を好む。
論理的な話じゃないと何事も納得出来ないだろ?
そう、だからこそ、人間は、感情的に動いているように見えてもその実論理的に行動しているのだ。
無意識に意識的な行動。几帳面なほど忠実に己としての役割を果たす。
これだから人間は面白い。
僕は、夜になると風呂へ入って歯を磨いて、適当にテレビ番組を観て適当に時間を浪費して、日付が変わる頃に布団へ入る。
毎日同じように始まり、毎日同じように終わる。
それが僕の一日。
目を閉じて、ぼんやりとした頭で今日のことを反芻する。
幾らか時間が経過して、目覚ましのアラームが聞こえてきた。
長いような短いような、前日からの連続性を感じられない睡眠からの目覚めの後、僕はまた同じような一日を過ごすのだった。
ある日の僕の一日(テンプレート)