冬の桜は咲き誇り
冬に咲き誇る見事な桜。花吹雪は鉛の雲と奇妙に混ざり合い、白雪の上に花びらを散らす。
散らすけれど桜花が全て枯れ落ちることはなく、むしろより際立ち咲き誇る。白雪に積み重なる桜の花。ここはほとんど人間に知られていない、ヒミツの場所。
人里からは遙かに遠く、知っているのはごく一部の人間だけ。森の奥に、鬱蒼と茂った背の高い木々の間、そこだけが常に太陽の光が届いている。
木の葉が隠してしまうこともない。季節や時間帯によって影になってしまうこともない。私はこの桜、この桜は私。
冬でさえ咲いているのは私がこうして生きているから。ただたこうして森の奥、人の姿を保ちながら桜と共に生きてきた。
桜色の着物。これはここにやってくる世話役が届けてくれたもの。その世話役は、もうかれこれ十人目にもなる。
何十年か前にはじめに私が見つけられて、たまたまその人が富豪で優しくて、そして私を大切に思ってくれたから私はここにこうして居続けている。
食べ物はいらない。桜の木が生きているから。本当は衣服もいらない。でも女の子が衣を纏わずにいるのはダメだから、服は着ている。
寝る必要はない。きっと桜が寝ているのだろう。誰も必要はない。私にはこの桜と一緒にいるのだから。
足音が聞こえる。誰だろうか、どんなお話を聞かせてくれるのだろうか。この何十年かで私にも人間の友達が増えた。
中には私をここから連れ出そうとする悪い人もいた。中には私に襲いかかる愚かな者もいた。
けれども、連れ出そうとした者は森から出ることができず、襲いかかった者は逆に襲いかかられる。森が私を守ってくれる。森が私を繋ぎ止めている。
私は別に、それでも満足だった。どうせ私はこの桜。冬にも咲き誇る、桜の木なのだから。
「まぁ、そう言わずに」
雪の踏む静かな足音と共に現れたのは、年齢は十代半ばぐらいだろうか、私の世話人だった。髪は唐草に隠され、あまり背は高くなく、あまり身体も大きくはない。
整った表情も笑えば可愛いと言えるだろう。少年だった。
「なんの話?」
地表にまで露出した桜の根に腰を掛け、枝に降り積もった淡雪を指先で弾きながら、その少年の言葉の意味を尋ねる。
「人里も良いところですよ」
少年が私の隣に座る。かなり重ね着をしているのだろう、雪で白く染まっている灰色の着物が一回りほど大きく見える。顔を上げると、笑顔が雪に焼けていた。
「毎日ご苦労様」
この少年は、私のために生きているらしい。誰に仕えているのか、誰の命令なのか、聞いたはずいだけれど忘れてしまった。
ただこうして毎日、私に会いに来ては何かしらのお話をお喋りするか、本を手渡してくれる。私がこの世界に飽きないように、らしい。
今日は、本を手渡された。歌集、らしい。
「これは、後で見る」
どうせこの少年が帰ってしまったら、私一人の時間になる。
また明日、この少年がやってくるまで木の葉の間から空を見上げるか、目を閉じるか、渡された本を見るかぐらいしかやることはない。今は、話したい。
「妹は、元気?」
この少年には病弱な妹がいる。両親はいないらしい。その両親は私も知っている。母親の方が、この少年の前の世話人だったから。
とても優しい女性で、折り紙が好きな人だった。私もたくさん教わった。
決して病弱な人ではなかったけれど、少年の妹を産んだ際に感染症に掛かってしまい、十年も生きることができず亡くなってしまったと聞いた。
そしてその死体は、私の側に植えられている。墓標はない。もう、何人が私の側で眠っているのか数えることはできない。
何十年も同じことが続いているのだから。父親も、既に他界した。私の世話人はそういう運命らしい。世話人ともう一人、子どもか妹か弟か。
次の世話人になる人を除いて全員が何かしらが原因で死んでしまう。世話人自信も、次の世話人が成熟したらすぐに死んでしまう。
「元気ですよ、貴方のおかげです」
少年が歯を見せて笑う。私は別に何もしてはいない。ただの挨拶みたいなものなのだろう。少年が上を見る。つられて私も顔を上げる。
桜の枝から落ちた淡雪が、鼻頭に降ってきた。
「……やっぱり、もっと服を着込みませんか?」
心配そうな声も無理はない。あまり私は服を着込んでいないのだから。それどころか、身体を纏っているのはこの桜の着物一つぐらい。
それ以上はただ動きにくいだけだから、必要ないって拒否している。
「寒そうに見える?」
鼻頭に積もった雪を払いのけながら、首をかしげる。少年は、いつの間にかとっていた唐傘の雪をはたき落としながら、私を見ていた。
「とても、寒そうに見えます。昨日からの雪で、よりいっそう」
雪が降ると、いつもこの少年はそうという。かれこれ五回も、同じ言葉を聞いた。そしていつも同じ言葉で返す。
「寒くないって、知ってるでしょ?」
桜を見上げる。雪を被り、けれども見事に咲き誇る。桜の花が雪で煽られ、また一つの花弁を落とした。
「木々が、寒いって感じると思う?」
そう尋ねると。
「はい、寒いと思いますよ、やっぱり」
少年は決まってそう言い返す。きっと優しいのだろう、母親と似て。
けれども、木々も寒いと思うと、こんなにも真剣な目で言われたのは初めてだったから、驚いてしまうと同時に嬉しく思う。本当は、本当に寒くはない。
桜は寒がっているのだろうか? 私は寒くないのだから、きっと寒くないのだろう。
「……じゃあ、きっと寒いのかな」
寒いのでしょうね。微笑みながら、そう返した。
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「それじゃあ、そろそろ」
少しだけお話をして、少年が立ち上がった。冬だから日も暮れやすく、ここは森の奥だから少年もお話はほどほどにすぐに帰ってしまう。
妹が待っているらしい。十歳ぐらいにはなっただろうか。私の次の世話人。
「明日も、同じぐらいの時間に?」
尋ねる。この子と話すことは、単純に楽しいから本当は離れたくない。けれども、妹のことがあるのだから仕方はない。
「そうですね。管理人が話があるとのことでしたので、少し遅れるかも知れません」
当然、この森にも地主がいる。少年は管理人と言ったけれど、私はその男に一度も会ったことはない。なぜだか、会いたくもない。
会いたくないからその男が森に入るのを拒否している。だから、会うこともできない。
「明日は、私が何かあげる」
少年の妹の桜の髪飾りでも作ってあげよう、そう思っていた。
「良いのですか? ……喜んで」
そうとだけ言って、少年は手を振り、森の出口へと歩み始める。
途中で何度か振り返って、大きく手を振って、私もその手を振り替えして、姿が見えなくなるまで手を振り見送った。
冬の桜は咲き誇り