連れの彼女は高級食材

カニバ有です。苦手な方はお控下さい。

第一章 旅路

 プロローグ

ここは帝国の北部に位置する地方都市カラトス。南に広がる平原と、北の森林に挟まれる形で存在している。
畜産を主とするこの町では過疎化が進み、閑散としたもの悲しい雰囲気が町全体を包んでいる。
俺はそんな静かな街の酒場で一人、酒を飲んでいた。
昼間は見ているだけでもセンチメンタルになるほど寂れた酒場だが、夜になるといくらか賑わいを取り戻す。
陽の昇っている昼間よりもなぜだかほっこりと暖かい空気で満ち、次第に明るい笑い声が灯っていく。
俺がこの街に来たての頃は、殺伐とした空気を好んで気取っていたが今は逆だ。人肌がすっかり恋しくなってしまった。
俺は昔から人付き合いが苦手だったから、今も、仕事では割とストレスが溜まる。
最近ではそのストレスも、すっかり酒で流し込むことが癖になってしまったが。
チリリン、と鈴が鳴って古びたドアが開くと、大柄な男がぬうっと姿を現した。縦横に伸びた幅広いその体躯は圧倒的な重量感を誇っている。
彼の名はアイン。見ため通りの豪放な性格で、どんな話題を振られても、最終的には豪快に笑い飛ばしてしまうような、そんな男だ。
アインは酒場の隅に座る俺を見付けると、ドカドカと歩み寄り、テーブル越しの椅子に腰掛けた。彼が座った衝撃で、テーブルの上の料理がもれなく垂直にジャンプする。
「お前、今椅子メギョッていったぞ、大丈夫なのか?それ」
俺が呆れ半分、心配半分でアインに問うと、
「バカ野郎、酒場の椅子はそんなにヤワじゃねぇ」
と、アインはあごひげをジョリジョリと擦りながら笑みを浮かべた。
それから少しばかり世間話をしていたが、話は、俺が過去に何をしていたか、ということに移った。
 俺は凄惨な自らの過去を他人に打ち明けることを躊躇ったが、アインがもったい付けずに早く喋れとせかすので、俺は仕方なく己の過去について語り出した。
「あれは今から十年も前のことだ……」
俺は酔った勢いもあいまって饒舌に口を動かし始める。
本当は誰にも明かせないような過去なのだが、アインにならば話してしまっても良い、何故だかそんな気がした。

 俺の生まれ育った村は、森の北西にある小さな貧しい集落だった。
 若者から中年の世代はもれなく都市部に流出し、村に残されたのは、ろくに動けない老人と、俺ただ一人。つまり、働き手はほぼ俺だけだ。
 母は死に、父は幼い妹を連れてどこかに行ってしまった。
 だか、それでも俺は、村を守るため必死で森中を駆けまわり、国からの配給も合わせて何とか食糧を確保していた。
 しかし、それでも次第に供給は追い着かなくなり、需要もそれに呼応するように、ポツリ、またポツリと、飢えて死ぬ者が現れた。
 そして、帝国はついに、死にかけのこの村を見捨てた。
何の特産物もなく、経済効果も期待できないこの村に、国は肉を撒き続ける理由はないと判断したのだ。
だから俺は、この村の危機を何とかしようと禁断の狩りに手を出した。

俺はあの日、いつものように狩りに出かけた。あれはよく晴れた日の朝だった。空気は清涼に澄み渡り、小鳥はチキチキと朝の音楽を奏でていた。
二十分ほど、あちこちに仕掛けた罠の状態をチェックしつつ、村周辺の森を探索していると、針葉樹の合間を縫うようにして二匹のエルフが現れた。
こんな所に珍しいと少し驚きつつ様子をうかがっていると、何かにおびえているのか、二匹で肩を寄せ合うようにして歩いているのが見て取れた。

周囲を警戒しているようだが何かあったのだろうか? 俺は考えた。
国営のハンターに追われている? いや違う。前回、大規模な猟が行われてからそう日は経っていないし、緊急猟の情報もない。大丈夫なはずだ。
密猟者の立場からすれば、少々危険な香りもしたが、何にせよ、こんな大物を放っておくほど俺をバカではない。
天然物のエルフは大きな金になる。
俺は、父から受け継いだ古ぼけた弓に手を掛けた。弦を引く手に力を入れるたび、ギィギィと苦しげに音を立てる。大物を前にした緊張からか、ターゲットに向けた矢先がプルプルと震える。
目視でのエルフとの距離はおおよそ20m。大丈夫、外す距離じゃない。
ひょう、と音がして矢が弓から飛び立った。モミの木の幹をわずかにかすめて、矢は雄の脳天に突き刺さった。雄はその場で2,3歩ふらふらとよろめくと、雌の体をなぞるようにずるずると地面に崩れ落ちた。
エルフの雌はたおやかな金髪を乱しながら、雄のもとへへたり込んだ。
やがて雄も俺の矢の前に倒れた。二人の血は混ざり合って流れ、大地を潤した。
俺はその高価な肉塊のもとに駆け寄ると、首元を裂いてすぐに血抜きを始めた。肉を部位ごとにおろすと、可能な限りリュックに詰め、残りはここで頂くことにした。
火を起こし、肉を炙ると、野性味あふれる濃い匂いが辺りを包んだ。
パチパチと肉が音を立てて肉汁を垂らしている。
ドクン、と俺の脳の奥から原始的な衝動が沸き起こった。
程よく焦げ目の吐いた肉塊に俺はむしゃぶりつく。
成熟したエルフのもも肉は身がギュッと引き締まり、コクのあるうまみがたっぷりと蓄えられている。
歯を押し上げるようなしっかりとした噛みごたえと共に、肉の奥から奥から止めどなく味があふれてくる。
まるで、既に味付けされてあるかのような濃厚な味わいで、そこらの動物の肉とは格が違う至高のテイストだった。
エルフの肉を食べた後は、生命力が満ち溢れてくるような不思議な感覚が体を巡っていく。
この「生きている」という実感に俺は思わず身震いをした。
腹が満ち、すっかり気が緩み切った様子でしばらく呆けていると、後方からふいに物音がした。ピリピリとした敵意が俺に向けられている。
「誰だ!」
声を張り上げて威嚇しながら後方を振り返り、同時に弓を構える。
密猟監視官だろうか?もしそうならば、捕まれば死刑は免れない。だが、屈強な監視官相手に力で圧倒できるとは思えない。
聞こえた足音は一人。なら二人組で行動する監視官はもう一人がどこかに隠れているに違いない。
まずいまずい。抵抗すればあちらは即、命を奪いに来るはずだ。
いっそシラを切るか。一応死体の処理は済ませてあるから、何とかごまかせるかもしれない。飛び散った血もシカ狩りの現場だとか何とか言えば案外信じてもらえるかも。
俺はすぐに役作りに取り掛かった。「森でのんびりシカを狩っていたら、エルフ狩りに間違われてワォ!災難」な猟師役を。
心臓が高鳴る。そして一瞬間をおいて姿を現したのは、エルフの少女だった。
「うえ?ん?おお!?」
 入念に役作りを脳内で構築していたばかりに、予想外のハプニングに対処をしあぐねる。
 なぜこうも今日はエルフに会うというのだ。
 しかし、眼前にいるのは純然としたエルフであり、そのことに疑いはなかった。
 つややかな銀髪を惜しげもなく腰まで垂らし、碧眼の瞳は不安に満ちていた。
 身を包む純白のローブには金の刺繍が施されており、まるで貴族の娘のような高貴さを醸していたが、鋭利に伸びた長い耳を見るとそれが人間ではないということを認識させられる。
 その美しい容姿は俺を危うい境地へと誘うが、辛うじて理性がそれを止める。
 さて、こいつは金になる。闇で取引されているこの手のエルフは先程の成体の3倍の値が張る。歩く宝石レベルだ。
 だがあいにく、俺のリュックは成体の肉で一杯だ。とてもじゃないが、もう一体仕留めて持ち運ぶのは無理がある。
 くそ、しかしここで逃がしてしまうのはあまりに惜しい。
 どうするか……!待てよ、持ち運ぶのが無理なら、持ち運んでもらえばいいじゃないか!こいつに自ら歩いてもらえば問題解決だ。
 俺は自らの閃きに思わず高揚してしまった。そうと決まればさっそく警戒を解きにかかる。
「っと、なんだよ、びっくりさせないでくれ、こんなところでどうしたんだい?狼でも出たかと思ったよ」
 俺はおどけた調子で話しかける。エルフ語はそこまで流暢ではないが、話せないわけではない。意味は伝わっているはずだ。
「こないで!」
 少女は大木を盾にすると、裏から声を張り上げる。可愛らしい声で、それでも精いっぱい威嚇していると思うと、……なんか和む。
「そんなこと言わないでくれよ、俺は取って食ったりなんてしないぜ?」
 そう言って、俺は自分が敵ではないことを伝えるために、弓矢を放り捨てた。
「で、でも、人間には近づいちゃダメだって、パパとママが」
「そうか、でも人間も悪いやつばかりじゃないんだ。俺は君の味方だよ、安心して。それに俺はエルフに命を救われたこともあるんだ」
 不安げにこちらを覗くこの子に、俺は優し気な口調でそう諭すと、にっこりと笑顔を見せた。
「あう・・・・・・えと」
「だから、俺はエルフに恩返しをしたいとさえ思ってるんだ、大丈夫、こっちにおいで」
 しどろもどろな彼女の惑いを断つように、俺はゆっくりと手を差し伸べる。
 するとようやく彼女は恐る恐る、差し出されたての小指を軽くつまむと、ひょっこりと姿を現した。
「俺の名はレイ・フリークス。レイって呼んでくれ。君の名は?」
「……リリア」
 彼女はそうポツリとつぶやいた。まだ完全に信用されているわけではなさそうだ。まあ、当たり前か。
「リリアちゃんか~。可愛い名前だね。そういえばリリアちゃんはどうしてこんなところに?」
 それらしく尋ねてみる。不自然な流れではないはずだ。
「あのね、パパとママが……見当たらないの。今探してるんだけどお兄ちゃん、知らない?」
 なるほど、つまり俺がさっき仕留めた二匹のエルフが、この子の親だったという訳か。いやはや可哀想に。でも、狩っちゃったもんはしょうがない。
 2匹の様子がおかしかったのは、子とはぐれて動揺していたのだろう。
「そうか、はぐれてしまったんだね。あ!
ひょっとして君のお母さんは金色の髪で、くびかざりをしていた?」
 とりあえず、思い出したかのように振る舞い、様子をうかがう。
するとリリアは驚いたような表情と共に、喜びをあらわにした。
「そうなの!もしかして見かけたの!?どっちに行っちゃったかわからない?」
 彼女はまた少し不安そうな顔に戻り、俺に回答を求めてくる。
「ああ、確かに見かけたよ、だが……」
え?と、リリアの表情はさらに悲壮に満ちる。
 俺が殺してしまったよ~、と言いたい衝動に駆られた。
 さぞ痛快であろう。相談に乗ってくれる優しいお兄さんがまさか親殺しだったなんて。
知ったらどんな顔をするのだろうか。
 だが俺もバカではない。さすがに今そんなことをすべきでないことくらい理解できる。
「だが、連れていかれてしまったんだ……国営のハンター達に」
 国営のハンターたちがエルフを殺すことはない。あくまで捕獲に専念する。
もちろん高級食材として貴族たちの食卓に並べるためにも肉の鮮度はなるべく保った方がいいし、そもそも食材として狩られるエルフはごくわずかで、他は圧倒的にエルフ養場に入れるために捕まえるケースが多い。
「でも、殺されることはないと思うんだ、安心して。奴らはその場で殺すような真似は絶対にしないから」
「でも……そんな……」
 言いたいことはわかる。死んでないといわれても、連れ去られたことには変わらない。依然として心配は残るだろう。
「ごめん、助けようとは思ったんだけど、奴らの手際が思った以上に良くてね……」
 リリアは今にも泣きそうだ。よほどショックだったのだろう。唇を噛んで必死に涙をこらえている。
 俺はその様子を見ながら、唇を噛んで必死に笑いをこらえる。いや、ホント御愁傷様です。
「リリアどうしたらいいかわかんないよ……」
いたいけなエルフの少女はしゃがみ込み、とうとう泣きだしてしまった。
え?何この俺が泣かせてしまった感。俺は悪いことなんて何もしてないのに。
とはいえ、これ以上この子にストレスを与え続けるのは体に毒だ(肉質的な意味で)。そろそろ安心させてやることにしよう。
「大丈夫だよ、リリアちゃん。連れ去られてからまだそんなに時間は経っていない。全然間に合うよ。方向的には……そうだな、リシオ村か、カラトスの街だろう。そこでエルフ収容所があるとするならまずカラトスの街だと思って間違いない。さて、君はどうしたい?」
 少しの沈黙の後、リリアは目尻に涙を溜めつつも胸の前に両手を握ると、
「パパとママ、追いかける」
と、勢いよく答えた。
「よし、いい子だ」
 俺はポフポフと、リリアの頭を軽くなでると、笑顔を見せた。

 カラトスの街には、いつもお世話になっている馴染の闇商人がいる。そいつは、表向きは至って普通の養殖業(エルフ養殖)を営み、加えてブリーダーの仕事もこなしている。
 しかし、裏では天然エルフの肉や、個体そのものを俺のような密猟者から安価で(と言っても相当値は張る)買い取ったり、またそれの転売などを行っている。
 俺はこれからそいつに、このリリアちゃん一家を売りに行くというわけだ。

「そういえば、リリアちゃんは何歳なの?」
 平原に出るべく森の中を足早に進みながら、俺はふと疑問を口にする。
 リリアというこの少女、胸も尻もそれなりに出ていて、人間でいうところの15~16歳くらいの発育はみられるのだが、如何せん言動は幼さを残している。まあそのアンバランスさも可愛いと言えばそうなのだが。
「ん~?4歳だよ?」
 割と衝撃的だった。当の本人はそれがどうしたの~、といった感じで相変わらずほえほえしている。
 いや、確かにエルフは寿命が短いから、体の成熟は早いと聞くが、精神的な成長具合は人間とはこんなにも異なるとは。
「いや、そうか4歳かぁ……おっぱい大きいね」
 しまった、何を言っているんだ俺は。これではまるで俺が幼女趣味のある変態さんみたいではないか。いやまてよ、体はもう成熟しているからセーフか?セーフなのか?
「お、お兄ちゃんはデリカシーがないね」
 アウトでした。しかも何、わりと毒あるんですけどこの子。将来が心配だよ全く……。って、将来なんてないのか、あははは。
「ごめんごめん、悪気はなかったんだ。いや……それだけリリアちゃんが魅力的だってことだよ」
 何とかうまくごまかせたかと思ったが、お年頃?なエルフの少女はむぅ、と言ってそっぽを向いてしまった。
 旅路はおおよそ半ばに差し掛かり、帝国領内最大の湖、レヴェ湖のほとりに着いた。
「少し休んで行かないか?」
 俺は手を膝につきながら息を切らし、エルフの少女に頼み込む。
 情けない話だがもう体力が持たない。いったいこの子のスタミナはどうなっているのだろうか。
 もう20キロも走り続けているのにピンピンしている。
 いや、確かに俺の認識が甘かったのは認める。まさかこんな可憐な女の子が、インフィニティー体力の所持者だとは思うまい。
 可愛らしい顔で一緒に走ろ?何て言ってこられたら、よしよしってなるじゃないか。     
それがもう、速え~のなんのって、俺はこのザマだよ。この有酸素運動の鬼め。
「え?間に合わなくなちゃうよ……」
 リリアは切実な表情で俺に訴える。
「ごめんね、お兄ちゃんは人間だから、そんなに走るのは無理なんだ」
そして俺は、力なく湖畔の芝生に寝転がる。
あ~、と呻きをあげて無気力に空を仰いだ。
湖を照らす陽光は燦然ときらめき、湖の美しさを際立てている。俺は心地よいそよ風に涼しさをもらいながら、ウトウトと睡魔に身を委ねかけていた。
ザパン、という音がして、俺の体に水が撥ねた。上体を無理に起こし、何事かと目をやると、退屈に耐えかねたのか、リリアが湖に思い切りダイブしていた。
「きもちいい~」
 ザバザバと水を手で掻き回しながら、水との触れ合いを堪能するリリア。
 確かに、こんなに澄んだ湖を目の前にして飛び込むなと言う方が間違っているのかもしれない。
気持ちよさそうに湖を遊泳するリリアを見ていると自らも清澄なこの巨大な水たまりに飛び込んでみたくなった。
「オルァァ!!」
ザッパァァン。エルフの少女よりも数倍豪勢な水しぶきをあげて俺を湖に身を任せる。
 全身をひんやりとした水が包み、汗が流れていくのを感じる。
「わあああ!なんでお兄ちゃんが入ってきてるのっ!?バカバカぁ」
 リリアはバタ足で俺にあらん限りの水をぶつけながら、全力で俺から逃げていく。フォーとかいう奇声を上げて俺は負けじとリリアを追いかけてゆく。
 恥ずかしさと怒りが入り混じった表情を浮かべながら、必死に俺の魔の手から逃れようとするリリア。
 俺にはその表情がほんの少しだけ、なぜだか嬉しさを孕んでいるように見えた気がした。
 紆余曲折の末、ようやくリリアは岸に上がることができた。

「だからさー、あれは俺が悪かったって」
 休憩も終え、再び湖沿いに林道を移動しながら、俺は先程から非常にご立腹らしいこのエルフの少女に、ただひたすら平謝りを続けていた。
「ねえ、リリアちゃん、あれは事故なんだって」
 きっ、と色白の顔を紅潮させながら、険しい表情でこちらを振り向くとリリアは、
「事故なはずないもん、リリア入ってるの知ってて入ってきてたもん!」 と、大声で俺に可愛らしい怒声を浴びせてきた。
「わかったよ、街についたらリリアちゃんの欲しいもの、何でも買ってあげる」
 下衆い方法だが、これ以上追及されては俺の心が持たないので、奥の手を使う。
 しかし、あれは何だったのだろう。湖に入った時、俺は偶然見てしまったのだ、リリアのその一糸まとわぬ裸体と……背中に4つほどあった火傷の痕を。それはさながら熱した鉄棒を押し付けられたかのような、痛々しい痕であった。
 だが、そんな俺の思案も、「本当?」という嬉しそうなリリアの声で掻き消されてしまう。
「ああ、でも一個だけだからな」
 俺は目を輝かせるリリアにそう答えながら、些末な疑問を気にしないように頭の隅へと追いやった。
 まあとにかく、男としての窮地は逃れることができたようで一安心だ。
 そしてリリアが相変わらず鬼のようなペースで移動を続けるので、その日の夕方にはカラトスの街に着くことができた。

 街にはすでに街灯がともり、夕闇に映えて幻想的な雰囲気を醸していた。
「そら、このコートを被って。耳を隠さないとすぐにエルフだってバレてしまうから」
 そう言って俺は雨天用に控えていた茶色のコートをリリアに放った。
「うぅ……なんか変なにおいする……」
「ぐっ。……まぁ、死にたいというなら俺は止めないよ。丁度酒場も盛り上がるころだ。酒の肴にしてもらいな」
 いや、自分でも薄々気が付いてはいたのだが、いざ指摘されると傷つく。だが、着てもらわないと困る。俺が困る。
「……んぅぅ、ぐすん」
リリアは鼻をつまみながらしぶしぶコートを羽織った。泣くことはないと思う。泣きたいのはこっちだ。
「……フゥ。まぁいいや、とりあえず宿に行こう。親を探すのは明日にして」
 反対されるかと思ったが、意外にもリリアは承諾してくれた。
まあ、流石にこんなに人間が多い中を歩き回るのは、エルフからすれば怖いのだろう。
レンガ造りの大通りを進みながら宿街を目指す。
大通りは様々な屋台や屋外レストランなどで彩られ、夜の喧騒も相まって非常ににぎやかだ。香ばしい焼き飯の匂いが食欲をそそる。
が、今はともかく、このエルフを隠すことが先決だ。とりあえず宿の部屋に入れておけばバレる心配はないだろう。
リリアの頭のフードが脱げたりしないかと内心ビクビクしながら足早に先を急いでいると、ふいに俺の服が後ろに引っ張られた。
憲兵か!?いやもしくは他の誰かにバレた? 鼓動が早くなるのを感じる。
恐る恐る後ろを振り向くと、リリアが俺の服をつまんでいた。そして、なぜだか恥ずかしそうにうつむいている。
「なんだ……リリアちゃんか。びっくりさせないでくれ」
 俺は、安堵とともに胸をなでおろす。
「で、何だ、どうかしたの?」
「……何でも……ない」
「そうか?じゃあ早く宿に……」
 言いながら俺が再び前を向こうとすると、
リリアもまた、くいっと服を引っ張ってくる。
「……ん」
 リリアの視線の先には揚げパンの屋台があった。
「……揚げパン、食べたいの?」
 俺が呆れた口調で聞き返すと、リリアは小さくコクリと頷いた。
 買ってきた揚げパンをリリアに与えながら、俺はその様子を微笑ましく眺める。
「んむ。もいひい」
 口いっぱいにパンを詰めながら、リリアは幸せそうな笑顔を浮かべる。
 全く……、本当に両親を取り戻すという目的を覚えているのだろうかこの少女は。
 いや、程良く発育した見た目であっても、中身はまだ4歳の少女なのだ。むしろこれが普通なのかもしれない。
 こんな無邪気な笑顔を見せつけられ続けると、情が移ってしまいそうになる。俺だって、こんな少女を騙して売ることに罪悪感が無い訳ではない。手遅れになる前に売らないといけないということを俺は改めて実感した。
 さて、いくらか道草を食ったものの、どうにか寂れた宿を見定めて、チェックインを済ませた。
二階の個室に入り、ランプを灯す。
「よし、じゃあ俺は収容所を偵察してくるからリリアちゃんはここで待っていてくれ。もし人が来ても、部屋に入れてはダメだ。わかったね?」
 俺はリリアにそう釘を刺すと、入ったばかりの部屋を後にした。
 宿を出て、ふと二階の部屋を見上げると、何とリリアが窓から身を乗り出して手を振っていた。
「いってらっしゃ~い」
……あのバカ。それがどれだけ危険な行為か理解しているのだろうか?全くこれだからエルフは……
 まあいい。この場合、諭すよりも視界からとっとと消えた方が手っ取り早くあいつを引っ込ませることができるだろう。
そう思い、俺は足早に宿街を通り抜けた。
南地区を過ぎると、街と草原の狭間に位置する草原に出る。
 こここそが、例のエルフ養殖場でもあり、闇取引の場でもある牧場だ。
 広大なこの牧場に放たれた牛の数はゆうに二千を超え、この街の乳製品や牛肉の需要を一手に担っている。
 暗闇に響く不気味な牛たちの鳴き声に出迎えられながら、俺は取引所へと向かう。

 取引所で待っていたのはえらくガタイのいい男だった。
「あの……こんばんわー。肉を売りに来ました~」
 俺は恐る恐る話しかける。
 すると大男はカウンターから身を乗り出すと、キスするんじゃないかと思うほど顔を近づけてメンチを切ってきた。
「なんだテメェ、牧場に肉を売りに来るたぁいい度胸してんじゃねーか」
 男はカウンターの机をドン、と叩く。その衝撃で、大型の秤がグワングワンと揺れる。
「いや……あの……」
 俺がたじろぐと、すかさず追い打ちをかけてくる。
「おおん?何だったらテメェが肉になるか?それだったら買ってやるぜ」
 そう言って男意地悪そうな笑みを浮かべる。
「違うんですよ、肉になるのは俺のツレでして」
 男は少し意外そうな顔になった。
「……テメェ、まさか」
「まさか、ですよ」
 俺も負けじと悪どい笑みを浮かべて見せた。
「あ~ちょっと待ってろ、今ロメリを呼んでくる」
 そう言って大男は店の中に入って行った。
「おいロメリィ、客だ!起きろオルァ」
 ゴッ、と、鈍い音が聞こえる。あれは絶対痛いだろうな……。
 殴られてもまだ眠たげな目をこすりながら、ロメリと呼ばれた女が、のれんをくぐって姿を現した。
「んん……、誰よこんな時間に。私の貴重な睡眠を妨げておいて、しょうもない用事だったらタダじゃおかないんだから」
 女は眠そうな表情のままこっちを睨んできた。
「おい待てロメリ、俺だ俺。レイだよ、お前のお得意様だぞ!」
 俺はあわてて金髪紅眼のこの少女に自己紹介をする。
「……見りゃわかるわよ」
 ロメリはぶすっとした表情でそっぽを向いた。寝ぼけているかの判別が難しい。
「まあ、とりあえずその枕置けよ。お前何歳だ?」
 パジャマ姿に枕を携えて交渉に臨むこの闇商人に俺は呆れつつ、エルフ肉の詰まったリュックをカウンターに置く。
「う、うるさいわね!これは、その……あれよ、カドにぶつかったりしたら危ないからクッション代わりに……って、そんなことより何の荷物よこれ!」
 先程まではあれだけ眠そうだった目をカッと見開いて、俺に枕の正当性を訴えるロメリ。
「うん、とりあえずこれは鮮度マックス、とまではいかないが、今朝獲ったばかりの新鮮エルフ肉だ」
 そう言って俺はリュックを開いて見せる。
「へぇ、今回は割と多いじゃない、アンタにしてはやるわね」
 ロメリの表情が綻ぶ。上機嫌そうで何よりだ。
「まとめて金貨30枚でどうだ?」
出来るだけロメリの機嫌がいい内に交渉を済ませたい。
 下手に機嫌を損ねると、銅貨3枚とか言い出しかねん。
「う~ん、まあいいわ、今回はその量に免じてその値で買ってあげる。で、そのおツレさんとやらはどこにいる訳?」
ロメリは思い出したように辺りをキョロキョロと見渡す。
「ああ、そいつはもう少し待ってくれ。今日持ち込むのは流石に危険だと思ったんだ。明日の早朝、まだ人目の少ない時間帯に連れて来るよ」 
 リリアは、このリュックの中のエルフと違って腐敗することが無いので、鮮度を気にする必要もない。そう思っての判断だった。
「ふぅん、そう。ま、見つからないようにせいぜい注意しなさいよ」
「ああ、わかってる」
 ロメリは俺に金貨を渡すと、のれんの中に消えていった。
 消えて行って5秒もたたないうちに聞こえ始めた寝息を背に、俺は宿に向けての帰路についた。

 「やあ、待たせちゃったかな、って、あれ……」
 愛想のいい顔を作りながら部屋のドアを開けると、そこにリリアの姿はなかった。
 薄暗い部屋の中に、備え付けのランプだけが煌々と光を放っている。
「おい、リリア?どこに……」
 俺はにわかに焦りだした。様々な思案が頭の中を巡ってゆく。
 まさか売られることに気付いて逃げ出したのか?宿の主人が通報した?……くそっ、わからない。どうすればいいんだ。
 こんな大物逃がしてたまるかよ!
 俺はともかくリリアを探しに行こうと、乱暴に部屋のドア開け放った。
 すると、ドアの外ににはびっくりした顔のリリアが立っていた。
「あっ!おい、何だよ……一体どこに行ってたんだ……」
 張り詰めた緊張が解き放たれ、どっと安堵の波が押し寄せてくる。顔の筋肉がほぐれていくのを感じる。
「ごめんなさい、お兄ちゃんなかなか帰ってこないから心配だったの。何かあったんじゃないかな~って思って」
 余程気がかりだったのだろう。涙でウルウルしている。
「バカ!奴らに気付かれたらどうするつもりだったんだ!人間はお前をエルフだと知って見逃してくれるほど甘くないんだぞ!」

直訳するならば 「他の奴らにとられたらどーすんだ!利益も今までの苦労も全部台無しじゃねーか!」 といったところだろう。
 だが、心配していたのは確かだし、それはリリアにも伝わっていると思う。
「う、お兄ちゃんだって! なんでリリアのことそんなに心配してくれるの? リリアはエルフでお兄ちゃんは人間なんだよ? リリアと一緒にいたらお兄ちゃんまで危険な目にあっちゃうかもしれないんだよ!?」
 つい声を荒げた俺に呼応してしまったのか、リリアも負けじと感情に声を乗せる。
「それは、俺がリリアちゃんを守ってあげたいと思うから……(商品価値的に)」
 くそ、恥ずかしいこと言わせやがって。しかもなんだよその沈黙は! 顔赤らめてうつむいてんじゃねーよ。
「……そ、それでだな、偵察の報告をしよう。
収容所は見立て通り、明け方には警戒が弱まるようだ。そこをついて連れ出そう」
 とりあえず俺は、この変な気まずさを紛らわすとともに、明日への口実を作ることにした。
「うん……」
 そう言ってリリアは小さく首を縦に振った。
「……今日はもう寝よう。明日も早いし」
 俺は上着を棚のハンガーに掛け、勢いよくベッドに倒れ込んだ。
「おやすみ」
 その言葉と共にランプを消し、ベッドの中にもぐり込む。
 長い一日が終わった。俺はたったの一日でエルフの一家を壊滅させ、大金を得たのだ。言いようのない達成感が俺を包む。
 俺はそんな感慨にふけりながら、ごろりと寝返りを打った。
 するとふいに、背中に温かいものが触れた。
 リリアが俺のベッドに入りこんできているようだ。
「な、おい、どうしたんだよ」
 俺は動揺を抑えきれずに言う。
わざわざ気を利かせてツインベッドにしてあげたというのに何で?
「あのね……リリアこわいの。一人はいやなの……だから、おねがい……」
 背中に柔らかい胸が当たる。リリアの吐く息が首筋を撫でる。
 というか、なんていい匂いがするんだ……。
「な、なぁ、俺は人間だぞ?怖くないのか?」
 これはキャラ作りとしてではなく本当に疑問だった。
「ん~ん、こわくないよ。だってね……お兄ちゃんの背中……あったかい」
 なんだよそれ……。俺はお前の親の仇だぞ? お前をこれから売るんだぞ? わかってんのかよ? …………。
 こういう無邪気な言葉こそ、俺の良心を痛めつける。俺はリリアに悟られないよう、小さく溜め息をついた。
 やがて寝付いたのか、後ろからすぅすぅと規則正しい寝息が聞こえ始めた。
 その可愛らしい寝息からは、人間味さえ感じさせられる。
 いやむしろ、ここまで人間味のある動物などいないだろう。
 姿形はもちろんそっくりだ。言語を有し、二本足で歩き、文明を持つ。特徴的な個所を何個か外せば、人間と呼べなくもないかもしれない。
 だが獣だ。いかに人間に似せようと、所詮はまがい物に過ぎない。猿やチンパンジーと同じで、人間とは似て非なるものだ。

だから人間はエルフに欲情しないし(まれにそういう変態的趣向の持ち主がいることはいなめないが)、つがいになることもない。
もし、猿やエルフと結婚したなんて輩がいたら、一生笑いものにされ、後ろ指を指されながらみじめに生活することになるだろう。
エルフなど、所詮単なる食材に過ぎないのだ。
だが、そう思ってはいても可愛いものは可愛い。
リリアを見ていると、なんだろう、こう、保護欲? のようなものがにじみ出てくるのだ。
俺は動物に弱いな、と改めて痛感した。

翌朝、俺が目を覚ますと、リリアはすでに起きて身支度を整えていた。
「早いね~まだ4時前だよ」
 俺は眠い目をこすりながら、もそもそと着替えを始める。
「ん~っ、早く早くぅ! パパとママ助けてあげなくちゃ」
 ピョンピョンとその場でジャンプしながら、俺の着替えを急かすリリア。
 あわてて支度を済ませ、寝室の窓を開け放つと、空はまだ濃い青色に包まれていた。
 宿のカウンターで朝食のパンとチーズ、干し肉を受け取ると、リリアを連れて宿の外へと向かう。
 外に出ると、朝の冷涼な空気が俺たちを包んだ。
 横を歩くリリアは意気込んでいるのか、真剣な眼差しだ。いや、単に緊張しているだけかもしれない。
「ねえリリアちゃん、手、つなごっか」
 リリアの返事を待たずに俺はリリアの手を取った。柔らかくて、すべすべしている。いい肌だ。
 リリアは少し驚いたような顔をして俺を見上げた。その眼には戸惑いが現れている。
 俺はそれに微笑んで返答し、再び目的地を目指して歩き始めた。
 しばらく、養殖場を目指して石畳の道を歩いていると、リリアがようやく違和感に気付き始めた。
「ね、ねぇ、お兄ちゃん。収容所ってあっちにあるはずじゃ……」
「そうかな~? 俺はこっちだと思うけど」
 リリアの手は俺に固く繋がれている。
「おっ、いい匂いだね~、さすがパン屋、朝が早い早い」
 リリアは立ち止まろうとするが、俺が強引に歩き続けるので、リリアも半ば無理やり歩かされる形になる。
「ねぇ、ねぇってば!お兄ちゃんどうしたの?リリアをどこに連れてくの?」
 俺は今までリリアに見せた中で一番の笑顔を作ると、奥に見える養殖場を指さした。
「え……、イヤ……どうしてっ!?」
 どうして、って……なんでそんなことを言わなければならないのだろう。
 自分の糧となる動物を殺すたびに、いちいち殺さなければいけない理由を説明しろとでもいうのだろうか。
「あのね、リリアちゃん。俺の村は老人しかいなくてさ」
 俺は無知で単純なこの少女に、気まぐれで説明をしてあげることにした。
 依然、歩みは止めない。
「何の特産物もない、閉鎖的なさびれた村だったんだ」
リリアは不安と焦りで息を乱しながら俺の話を聞いている。
「国はついに村を見捨てた。まぁ、国益にはつながらないし、当然かもしれない。そして肉の配給が止まった。そうだ、エルフ肉の配給がな!!」
 俺はついに声を荒げる。
「これがどういうことかわかるか? そうだよ、死ぬんだよ! だってそうだろ?俺たち人間は毎日エルフの肉を107グラム以上摂取し続けないと死んでしまうんだからなぁ!」
 リリアは目を見開いて唖然としている。本当に何も知らないんだな。幸せな奴め。
「だからね、俺には金が要るんだよ、小規模でもいい、村にエルフの養殖場を作り、永続的にエルフの肉を供給できるようにするためになァ!」
 リリアはただ怯えていた。口を開き、何かを言おうとしているが、恐怖で出てこないのだろう、「ァ、ァ」と、かすれた音だけをかろうじて発している。
「それには金貨250枚は要る。そしてお前を売れば300枚だ」
 そして俺はリリアを半ば引きずりながら、牧場に隣接した養殖場に辿り着いた。
「遅い! 1時間遅刻!」
 ロメリはすでに、レンガ造りのこの養殖場の、分厚い鉄扉を開けて俺のことを待っていた。
 入口にもたれ、腕組みをしながら怒気のこもった表情で俺のことを睨む。
「待て待て、時刻を詳しく指定した覚えはないぞ!?」
 俺はあわてて弁明する。
「うるさいわね、私が来た時間が待ち合わせ時間なの!当然でしょ?」
ここまで堂々と言われると、こっちが間違っているような気がしてくるから不思議だ。
「まあ、その謎理論はともかく、お前がこんなに朝早いとは思ってなかったぜ。お前、意外と凄いんだな」
「フフン、そうよ、早寝早起きが美容健康の秘訣だもの」
 そう言ってロメリは鼻高々に笑う。どうやら怒りはどこかに吹き飛んだようだ。
ちょろいな、と俺は内心鼻で笑った。

ドシンという音と共にきゃあ、という短い悲鳴が聞こえた。
俺がリリアを投げ込んだからだ。
養殖場の中には、木組みで等間隔に区切られたスペースがいくつもあり、その中にはブクブクに肥えたエルフたちが所狭しと並んでいた。
その壮絶な風景と、パンチの効いた悪臭で、思わず消化物をぶちまけそうになる。
養殖場で生まれ、養殖場で育った彼らは言葉を知らず、嘆きのように奏でるブモォブモォという鳴き声が、俺にはとても哀れに思えた。
「でさぁ、ロメリ。この子、何に使うわけ?ここのブタエルフと一緒に肉にしちまうの?」
 どうせ売るにしても、使い方くらいは興味がある。
「そんなもったいない使い方しないわ。養殖物と天然物は価値も味も段違いよ。たんに肉として太らせるなんて、そんなバカなこと出来ないわよ」
「肉にしないなら、それこそ何に使うんだ?」
 一狩人の脳みそでは、捕まえた獲物なんて肉にして食うくらいの考え方しか出来ない。
「この子は交配に使うわ。子供を産ませるのよ。養殖エルフ同士で交配させてもいいんだけど、だんだん味も落ちてくし、ビオロシンの含有量も減っていくの。だから定期的に天然の血を混ぜなきゃいけないのよ」
 ビオロシン、というのはエルフ肉に含まれる「人間が摂取し続けなければいけない成分」
のことだ。
 含有値は、養殖場の規模や仕入れ状況で多少は変動するものの、国が規定する最低含有量、23ミリグラムに達していれば、それは生存用エルフ肉として流通させることが可能だ。
 ちなみに、23ミリグラムのビオロシンが含まれる肉の下限値が107グラム、であり、それ以下の肉片は販売、配給を行うことができない。
 つまり、107グラム以上の肉であれば、どんなに含有量の減ったエルフ肉でも、生存に必要な1日の下限値、23ミリグラムを摂取することができるという訳だ。
「成程、要は空気の入れ替えみたいなもんだな!」
「うん、まあ間違ってはないわね。こうやって天然物との交配を多くすればするほど、良質なお肉ができるってわけ。もっとも、天然物のエルフはすでに国有化されているから容易には手が出せないんだけどね」
「だから俺みたいな密猟者から安く買う必要があるってことだな!」
 俺はわざと、「安く」の部分を強調させてみたが、ロメリが意に介する様子はなかった。
「そうね、国から公式に販売されてるエルフなんて、高すぎてたまったもんじゃないわ。畜産省の人間も、天然エルフたちももう少し私の懐事情を考慮して生活してほしいものね」
 ロメリは呆れた様子で、やれやれと肩をすくめた。
「だ、そうだよリリアちゃん」
 俺はそう言って、先ほどから沈黙しているリリアの方を見る。
 いや、沈黙しているのも当然で、この幼気な天然エルフの少女は口元に猿ぐつわをはめられ、柱に縛り付けられている。
 俺が先程リリアを投げ込んだ場所は、天然エルフ用の特別スペースである。
 養殖物のエルフと違って知性持つ天然エルフは、養殖物と同じところに入れておくわけにはいかない。逃げられてしまうし、襲われる心配だってある。
 リリアを入れるスペースは、天井までを木組みの柵で囲い切り、決して抜け出せないようになっている。まるで牢獄だ。
 つい先日までは別の天然物がここに入っていたのだという。
 リリアは目頭に涙を溜め、ん~っ、ん~っ、と何かを訴えようとしている。俺は中腰になって檻の中のリリアに視線を合わせると、目を綻ばせ、愛想よく手を振った。
「女の子はね、子供を産むのが仕事なんだ。だからその責務は果たさなきゃいけないよね」
 俺は柵の間から手を伸ばすと、リリアの顔を、真横にある種用の未去勢雄エルフのブースに向けさせた。
「ほぅら、男の子がいっぱい。この子らだって自分の子供が欲しいよねぇ、リリアちゃん。……クク、そうだよ、お前がママになるんだよォ!!フヒャハハァ!」
 種雄ブースでは発情期真っ盛りの雄が鼻息を荒げている。
「ほら、こいつなんてどうだ?」
 そう言って俺は柵越しに、「01」と肩に焼印を押されたエルフの首を持つと、ほれほれ、とリリアのいるブースの檻に顔を押し付ける。
 リリアは嫌そうな顔をしてそっぽを向く。
「おいロメリ、この01番、名前何て言うんだ?」
「え、名前?そんなものないわ。別につける必要もないじゃない、識別できれば問題ないし」
「んだよぉー、思いやりがねぇーなぁー、もー。じゃあ俺が名付け親になってやるよ。どうだお前たち、喜べ!」
 俺は両手を広げ、エルフの塊に向けてアピールする。
「……そんでもってこいつはツヴァイ、こいつはドライ、あの子はフィーア。フフフ、いい名前だろ」
「呆れた、番号順に言い換えてるだけじゃない」
 ロメリは俺の行動を冷ややかな眼差しで見つめている。
「……全く、可哀そうだからあんまりいじめてあげないでよ。この子たちだって生きてるんだから」
 ロメリは俺にそう釘をさすと、用事があるからといって先に外に出て行ってしまった。
 確かに今の俺はちょっと浮かれているかもしれない。だが俺は、そんなロメリの忠告にも耳を貸さず、今まで言えずにもどかしかったものをぶちまけ始めた。
「リリアちゃんさぁ、馬鹿すぎなんだよね、本当に。そんな都合よく親探ししてくれる人間なんている訳ねーだろが。しかもエルフなんかのさぁ」
 リリアはうつむきながら、口を固く結んで泣いている。よほど悔しいのだろう、憎いのだろう。俺は最低だ。虫をいたぶる子供と同じだ。でも言わずにはいられない。今まで我慢してきたんだ、ちょっとくらい、罰は当たらんよ。
「って、何?俺はエルフに命を救われたことがあるのでは?うんうんあるよ、ありまくるよ、そう毎日な!テメェらエルフの肉を食うことで生き続けることができてんだからなぁ!エルフは命の恩人だよ。って、人ではないから恩獣か!ハハァ」
 01番の頭をいじくり回しながら俺は、リリアに歪んだ笑みを浮かべる。
「まぁがんばりな、ココの子達も悪いやつらじゃないと思うぜ?異性との素敵な出会いを提供した俺に感謝止まらない?いい恩返しだろ、いっぱいエッチもできるんだからさぁ!」
 俺はここでふと、あることに気付く。
 そして、俺はずずっと鼻水を啜った。ぽたぽたと流れ落ちた水滴が、床に敷かれたワラを濡らす。
 俺は、泣いていた。
 違う、情など微塵も残ってない。未練が湧いたわけでもない。ただ……。
「……なあ、そんな目でこっちを見るなよ、俺が悪いやつみたいじゃんか。俺だってなあ、生活のために仕方なくやってるんだ。好きでやってるわけじゃないんだ!だからさぁ……しかたないんだよっっっ!」
 俺は吐き出すように言う。俺の叫び声はエルフの鳴き声と共に、養殖場の壁に反響し、俺の元へと帰って来た。

 さて、こんなもんか。

第二章 急変

 俺はリリアを悲哀に満ちた顔で一瞥すると、養殖場を後にした。

 「動くな!」
 鉄扉の外には3人の警官がいた。真ん中の偉そうな奴が書状を突き出し、両側の二人が俺に向けて銃を構えている。
真ん中の奴、どこかで……。
「警察が俺に何か用でも?」
 俺は冷や汗をかきながら、何とか笑顔を向ける。
「監視官から報告があった。エルフの密猟、及び密売の罪でお前を法的に拘束する」
 ベレー帽と灰色のコートがよく似合う真ん中は、これまた偉そうに、サイドの二人に向けてあごで示す。
 サイドの二人は手際よく俺の腕を後ろに回すと、縄できつく縛った。
「ちょっと待って、どこにそんな証拠が!」
 俺は焦っていた。もし本当にバレたのだとすれば死刑は免れない。村に養殖場を作ることなんて不可能になる。
 村に残されているのは、コツコツ節約し、保存していたエルフの干し肉、約一か月分。それが尽きれば全員死亡た。
「証拠か?ほれ」
 真ん中のお偉いさんが指パッチンをすると、養殖場の裏から2人の憲兵が現れた。俺のリュックを持っている。くそ! 宿に置いてきたのがいけなかったか。
「リュックの中にはエルフの血痕があった。そしてお前がこのリュックを背負っているのを街人たちは目撃している」
 何故そんなに捜査が早いんだ?俺はこの街に昨日の夜着いたばかりだぞ!
「やめろ! 来るな! ドントタッチミー!」
 俺の叫びもむなしく、俺は引きずられるようにして監獄へと連れていかれる。
 !! そして俺は気付いた。気付いてしまった。あの、やけに見覚えのある偉そうなおっさんの正体に。
「……父さん? 父さん! 父さんだろ!? ねぇ! こっち向いてよ! なんでこんな所にいるんだ?」
 そう、あれは俺の父親だ。あの深淵を見据えるような眼、ごつごつした拳、独特なリズムの息遣い。全部、思い出した。いくつもの感情が同時に込み上がってくるのを感じる。飽和した胸中を抑え、俺は叫ぶ。
「なんで俺を捕まえるんだ!? 俺はあんたの息子じゃないかッ、なぁ、聞きたいことが山ほどあるんだ! 言いたいことが山ほどあるんだ、こたえてくれよぉっ! なんで、なんで、なんで、なんでッ! 村を捨てて出て行っちゃっただよぉぉっ!」
父親と呼ばれたその男は、部下に任せ、去ろうとしていた足を止める。
 ゆっくりと振り返り、哀愁漂う目でこちらを眺めるとポツリと一言だけ、呟く。

「お前を作ったのは……間違いだった……」

「え? ……あ、がぁ……」
それはたった一言。たった一言で父に存在を否定された無残な息子の言葉だった。ただ、それだけしか感情を音声に変換できなかったのだ。そして俺は、抵抗をあきらめた。

ガチャン、という無機質な音が、薄暗い監獄に響き渡った。
牢の中には、小汚い便器と固い寝台が備え付けられているだけだ。地下牢だからなのか、ピチョンピチョンと上から水滴が垂れている。
俺はその水滴の落下を無気力に眺めながら、小さくため息をついた。
看守は俺に、辞世の句でも考えな、とか言ってどっかに言ってしまった。
口うるさい看守が消えたので今は静かだ。
地下牢を控えめに照らすローソクの灯はよわよわしくゆらめいている。とろとろと蝋が溶け、短くなっていく様は、俺の余生の短さを暗示しているかのようだった。

しかし、何故俺はあんなにも簡単に密猟がばれてしまったのだろうか。
俺が密猟を行っていたのは警察の組織とはかけ離れた森の中だ。密漁監視官には十分に警戒を払っていた。
しかし警察は俺の密猟を暴き、俺が通ったルートも、行く先の街がどこなのかも、更には泊まった宿がどこなのかすらも特定してみせた。こんなの警察のなせる業ではない。
そう、こんなことは不可能なのだ。常に、俺の行動、一挙一動を逐一把握していない限り。ハハ、馬鹿な話だ。
……ん? 監視……。
!いや待てよ、俺がもし常に監視されていたとすれば?
密猟の現場から、エルフの密売を行うに至るまで、常に監視を行っていた存在がいたとしたら?そんなことが出来るのは……。いや、まさかそんな筈は……。
「看守さん、お疲れさま~」
ふいに、上で聞き覚えのある声が聞こえた。カツカツと地下に向けて階段を下る足音
が鳴る。
その人物は機嫌よさげに鼻歌を歌いながら近づいてくる。
そして俺の牢の前で立ち止まるとにっこりと笑った。
豊かな銀髪を腰まで垂らし、白のローブで身を包んだその女の名は―――。
「リリア……ウソ……だろ?」
 俺は反射的にその名を口に出した。どくどくと鼓動が早くなるのを感じる。
「ちょっとぶりだねレイくん」
リリアは中腰になって、垂れた髪の毛を耳にかけ、鉄格子越しに俺に視線を合わせて来た。口調が今までと全然違う。
「お前……さっきまでロメリの養殖場にいただろ、どうしてこんな所にいるんだ?」
 まだ頭の整理がつかない。だが目の前にいるのはまごうことなきリリアだ。やはり俺の仮説は正しかったのだろうか。
「えへへへ、なんでだと思う?」
 リリアはいたずらな笑みを浮かべる。その笑みは今まで俺に見せたものと何ら変わらず、俺は逆にそれが怖かった。
「俺のピンチを悟って駆け付けてくれたんだよな?」
 我ながら何て白々しいのだろう。先ほどまであれだけリリアを罵倒しておいて。
「あはは。面白いねレイ君は。そんな訳ないよ。君の醜態を笑いに来たんだからさ」
 わかってはいても、リリアにそんな訳ないとか言われるとは。結構ショックだ。だってあのリリアだぜ?
「じゃあやっぱりお前が……」
「そうだよ、私が密猟監視官。まあ、まさかエルフがそうだとは思わないよね」
 説明するリリアは実に楽しそうだ。
「まじかよ……、今までの会話も態度も全部嘘だったってことだろ?」
「ん~?そんなことないよ、だって揚げパンは本当に食べたかったんだもん」
 自分の言ったことにツボったのか、ケタケタと腹を抱えて笑っている。
俺は平静を装ってはいるが、実際は、もうどうにかなってしまいそうだ。
 父が警察で、リリアが密猟監視官で、もう何がどうなのか理解できない。
「まいったな……、じゃあ、あのエルフ2匹は君の親じゃないってことか?」
「そうだよ~、あれはね、餌なんだよ、密猟者を釣るためのね。あの2匹はね、罪付きのエルフだったんだ。人間に反逆し、罪を犯したエルフ。罪付きのエルフは食用にはできない決まりだから、ああゆう風に有効活用するんだよ」
 リリアの表情が少し曇った。同じエルフとしてあまり気分がいいものではないのだろう。
「なるほど、でもわざわざ演技してまで無知なエルフの少女をふるまい続けたのはなんでだ? 普通にその場で俺を殺すなり、捕まえるなりすればよかったんじゃ?」
「あのね?あんな深い森の奥から人間一人持ち帰るのはすごい大変なんだよ。それにレイ君がどこに肉を密売するのか知りたかったから、レイ君自身に歩いてもらったって訳」
 驚いた、自分の足で自らを持ち運ばされていたのはリリアではなく俺だったとは。
「じゃあ昨日の夜、俺が偵察から帰ってきた時、宿にいなかったのは?」
「当然尾行していたからよ」
 リリアは何の躊躇いもなく答える。
「エルフのくせに異様に足が速かったのは?」
「監視官だから」
「俺のベッドに潜り込んできたのは!」
半ばヤケクソだった。
「あはは、キャラ作りに決まってるじゃない、ドキドキした?」
「お前は最低だな」
「レイ君にだけは言われたくないです」
 ぐぅ正論。
「あっ、お前、俺の涙返せよ。これでも俺は心苦しかったんだぞ!」
 どうだ、少しは心にくるものがあるんじゃないのか?俺は、良心と常に戦っていたんだよ。
 俺は悲しそうな顔を装いつつリリアのッ上に訴える。
「冗談よしてよ~。だってあれは、外でこっそりレイ君と私のやりとりを聞いていたロメリちゃんにアピールしてただけなんでしょ?」
 ……正解だ。何故なら俺はロメリのことが、その、……好きだからだ。
こんな腐れエルフなんかより100倍可愛い。動物的な可愛さで言ったらリリアも悪くはないと思うが、やはり人間が一番だ。

ちなみに、リリアが幼く振舞っていたのは、俺が騙しやすいように配慮してくれていたのだという。今世紀最大のありがた迷惑だ。
 確かに幼気な口調に俺は完全に油断していた。全く何て老獪な女だ。
「じゃあね、レイ君。密猟なんてしようと思うからこうなるんだよ。今度から気をつけようね。って、今度なんてないのか、あははは」
 リリアはひとしきり逆転した立場を楽しんでから去っていった。

 それから程なくして、俺は死刑の宣告を下された。
 執行まであと3日か……。
結局、俺のしてきたことはすべて徒労に終わったということだ。
俺はやるせない気持ちで一杯になる。村のみんなに土下座して謝りたい。まあ謝ったところで村の運命は変わらないが。
ポタポタと、薄汚れた床に涙がこぼれ落ちる。
誰にアピールしているわけでもない、本音の涙だった。
村での思い出が脳裏に浮かんでは消えてゆく。
「ごめんよ……俺はもう無理だ……無理なんだよ……」
 俺はこびるように呟く。しかし、村のだれにもその嘆きは届くことはない。俺はただひたすらみじめだった。
 たった一匹のエルフの為にすべてを失った。
 もう、何も考える気力は残っていなかった。
 力なくズルズルと、壁に沿ってへたり込む。後は死刑執行を待つだけだ。無気力に、時だけが過ぎていく。
 一日に一度、最低ランクのエルフ肉が与えられる。見たくもない忌々しい品だったが、いざ口にするとおいしく感じてしまう自分が実に情けなかった。

 執行日の朝。

前日にふるまわれたタバコを噛みしめるようにふかしながら、俺は静かにその時を待っていた。
 煙を孕んだ息を吐く度に、何故だか落ち着きは薄れていく。
 あと何本、あと何本吸えば、その時は訪れるのだろうか。
 優しいことに看守は2ダースもタバコをくれたが、そんなに吸い切れる気がしない。
 生と死の境目のタバコは、何本目だ?
 カツカツと、階段を下る音が聞こえる。
 遂にやって来たか……。
 タバコの煙が不規則にゆらめく。狭い牢の中に逃げ場はない。
 俺、マジで死ぬの? イヤだ! イヤだよ! なんで俺なんだよ、他に殺す奴なんていっぱいいるだろ、リリアとか、リリアとか、あとリリアとかぁっ。
俺は人間だぞ!! 猿やエルフみたいな下等種とは違う!
「違うんだよぉ……。エルフとはッ! 格も! 価値も! そうだろ? なぁッ」
 俺はガンガンと、冷たい鉄格子を拳で叩いた。返事はない。鈍い痛みだけが悲しく俺の手の甲を伝う。
 やがて、足音は俺の檻の前で止まった。
「俺は……死ぬのか……」
 拳を床に叩きつけ、うつむきながら俺はボソリと呟く。
「何よ? 死にたくなったの? 自殺願望? なら手伝ってあげるけど?」
! その生意気な声、ロメリか?
 俺は吸い上げられるように頭をあげ、視界を広げる。
 金髪、紅眼、ツインテール、貧乳。リリアとはまるで真逆の少女。不遜な佇まいが様になっている、ロメリだ。
「ロメリィ、会いたかったぜ! けど、何でここに」
 嬉しさのあまり興奮を隠しきれないが、同時に疑問もわいてくる。
「しっ! 静かにしてよ、ほら早く出て」
 ロメリは施錠された鉄格子の扉を開け放つと、くいくいと俺を手招きした。
 やばい、天使だ。
「助けに来てくれたのか!? わざわざ俺の為に。お前は本当にいいやつだな」
 死の恐怖から解放された安堵で顔をもろもろにさせながら、俺はロメリに感謝の意を伝えようとする。
「は、はぁ? べ、別にあんたの為じゃない、私が助かるためにしてあげただけなんだから! 勘違いしないでよねっ!」
 ロメリは顔を赤らめて反論する。全く、素直じゃないなぁ。
「でもどうして助けにこれたんだ?」
 ロメリだって追われる立場のハズだ。何故ロメリは捕まらず、逆に俺を助け出すなんて芸当ができたのだろうか。
「はぁ……。ホント馬鹿ね、ちょっとは自分が置かれた状況を考えて見なさいよ」
 俺には全く理解できない。見かねたロメリが説明を始める。
「いい? そもそもアンタがエルフの密猟をしているのはどうして?」
「……養殖場を建てるためだ」
 俺は数秒考えたのち、答える。それが、ロメリの行動と何が関係あるのだろうか?
「そうじゃないわよ、もっと根本的な原因のことを訊いてるの!」
 言うロメリは実にもどかしそうだ。
「それは……肉が配給されなくなったから?」
「そうよ、それが原因でしょ、国が肉を渋って配給を止めた。村単位で肉を配給するのは義務のハズよ、国はそれを怠った。法律違反よ。だったらそれは裁判所に訴えれるようなネタにならない?」
 なるほど、確かに裁判所なら国を裁ける、だが……。
「そうしたら、俺たちもヤバくないか?国のせいでこうなったとはいえ、俺は密猟をしてるわけだし、そもそもお前はそんな事情もない、ただの犯罪者だ」
「そう、だから裁判所には行かない。国を直接おどせばいいわ。私のパパは畜産省の大臣だから、権力もあるし、簡単な仕事だったわよ」
「でも、証拠はあるのか?」
そうだ、証拠が無ければ、ロメリの父親がどんなに偉かろうが「ご冗談を」、と一蹴されるのがオチだ。
国だってそんな権力者に弱みを握られたくはない。当然だ。
「証拠なんて幾らでもあるじゃない。アンタの村にそこらじゅう転がっている死体よ。みんなもれなくビオロシンの不摂取で死んでいたわ。体に紫色の斑点が浮き上がっていたから一目瞭然ね」
 ……今、何て言ったコイツ。死体が転がっている?ビオロシンの不摂取?
 村にはまだ一か月分の備蓄肉があるはずではなかったのか?
「おい……ロメリ……村のみんなは、死んだのか?」
 俺は悲痛に満ちた表情でロメリを見つめる。
 それを見て、ロメリは少しばかり驚くと、申し訳なさそうな顔になった。
「そ、そう、知らなかったの……それは悪いことをしたわね。でも、そうよ、一人残らずみんな死んでいたわ。本当は備蓄肉なんて無かったのね、あんたを心配させないように村の人がついた優しいウソよ」

しばし沈黙が流れる。ロメリは気まずそうに口を開き、また話し始める。
「……だから、証拠には困らなかったの。それで、私たちの悪事を免罪にさせたってわけ。
それにね……村の人間が死んでいなかったらアンタは助からなかった。皮肉なものね」
 ロメリは物憂げにつぶやく。
「……国は、俺が裁判所に訴えるとは思わなかったのか? 俺が、密猟をせずに、国の不正を糾弾するとは考えなかったのか?」
 俺は声に憤りをあらわにする。正当な手段ではなく、密猟によって村を守ろうと考えてしまった自分に対しての怒りだ。
 エルフを狩り続ければ、あわよくば裕福な暮らしができると高望みしてしまった己の強欲に対しての怒りだ。
 初めからこうしていれば……村を守れたかもしれないのにっ……。
「パパから聞いた話なんだけどね、5年前、帝国がアンタの村を調査した時、村の戸籍は老人と、生まれたての赤子しかいないことになっていたのよ。でも実際にはアンタがいた、調査ミスね。だから国は配給打ち切りを決行したのよ。5歳児の子供が国の不正を暴けるわけないし、他はろくに動けない老人だけだったからね」
 情けない話だ、俺はもう20歳にもなるというのに。行動を起こせなければ所詮5歳児と変わらないではないか。
 俺は愚鈍な己の存在を呪わずにはいられなかった。
 しかし、疑問なのは、俺が生まれた時にはまだ、俺の家族が村にいたはずだということだ。母はその後すぐ死んでしまったが、それもカウントされなかったのだろうか?
 まぁ、ずさんな帝国の戸籍調査など、あてにならないのも当たり前か……。
俺はそう思い直すことにした。

斯くして、俺は牢獄を脱した。手枷を外され、解放されたというのに、途方もない閉塞感と、締め付けられるような感覚が、俺の体を支配していた。
俺はこの新たな枷と共に生涯歩んでいかなければならないのだろうか? 先を歩くロメリの背中に答えは書いていなかった。

 「おーい、ロメリ、ツヴァイの嫁が産気づいた」
 俺は妊娠したエルフの腕を柱に括り付け、暴れないように固定させる。
 垂れてきた裾をまくりあげ、額の汗をぬぐった。
 産湯に使う水を汲もうと外に出ると、容赦ない日差しが俺の背中を炙ってゆく。
 疎らに点在する雲は、陽を隠す役割を果たさず、力なく流れてゆくばかりだ。
 俺は手で即席の日傘を作ると、忌々しげに空を仰いだ。
 ここに来てもう1年になる。
出所したあの日、ロメリは行く当てのない俺を家に迎えてくれた。
こき使える下っ端が一人増えた、などとロメリは言っていたが、実際は俺の身を案じてくれていたのだろう。全くロメリは本当に素直じゃない。だが、ロメリさまさまだ。
「産気づいたのはどの子って? て言うか、つがいのことを嫁とか婿とか呼ぶの止めなさいよ、気ち悪い」
 ロメリは足早にこちらに歩み寄ると、俺を睥睨し、一通り罵声を浴びせてから建物の中へと入って行った。
 まぁ、これがロメリだ、しょうがない。俺は軽めに諦めのため息をつく。
 するとロメリが、唐突に建物の中から顔を覗かせると、
「そうだ、もう産湯は私がやっといてあげるから、あんたは離れの屠殺場に行ってきてくれないかしら。罪付きの殺処分を依頼されたのよ。じゃ、お願い」
 思い出したようにそう言うと、俺の返事も待たずに、再び顔を引っ込めた。
 屠殺場には、ジミーと言う気さくな老人がいる。
昔は帝国の騎士だったらしく、老人に似合わず重量感のある頑丈な体格をしているが、お喋りなもんだから少々違和感がある。だが、その分会話が弾むので俺はジミーが好きだ。
屠殺の手伝いは初めてではないので、特に嫌がる理由もない。俺は足取り軽く屠殺場に向かった。

ここの屠殺場は家のような作りになっている。屠殺場が一般的にそうなのではなく、ジミーの個人的な趣味だ。
俺はジミーハウスと銘打たれた看板を上目に、ハウスの玄関に立った。
赤、白、黄色の三色で彩られた派手な外装も、看板の上で不敵な笑みを浮かべるドでかいピエロの作り物も、とても趣味がいいとは言えない。
こんなファンキーな館で、日夜エルフの殺戮が行われていると思うと、もはや恐怖すら感じる。
屠殺を行う庭部からは、定期的にズビィン ズビィンという重々しい音が響いてくる。
エルフは寝かしつけられているからいいものの、屠殺されるエルフの悲鳴まで聞こえてきたら、もうたまったものではないだろう。「ジミー、手伝いに来たぞ!」
庭で仕事をしているジミーにも聞こえるように、俺は大声で叫ぶ。
すると、定期的に聞こえていたズビィンという音が止まり、続いてドタドタという足音がジミーハウスの床を鳴らした。
ガチャリとドアが開くと、血まみれの老人が笑顔で前に現れた。
……これはホラーだ。小心な客なら錯乱して逃げ帰ってしまうだろう。
「お、レイ坊やん、よう来たな~。さ、はよ入り。茶ぁ、出したるわ」
 ジミーはボフボフと俺の背中を叩くと、俺を客間に案内してくれた。
「……あのさ、今日は一応手伝いってことで来てるんだけど……」
 俺は客間のソファーに腰かけながら、苦笑いを浮かべる。
 テーブルの上では、大量のお菓子と淹れたての紅茶が、俺の賞味を待っていた。
 ……こんなにもてなされても困る。というよりは、こんな所でもてなされても困る、といった方が正しいだろう。
 客間からは庭や、その奥に見える草原が一望できる訳で、それはつまり、エルフの屠殺がガラス越しに鑑賞できるという訳だ。
 エルフの首が跳ぶところを眺めながら、優雅にティータイムを楽しむなんてことができる筈もなく、故に、ジミーのせっかくのおもてなしを無下にも出来ない俺にとって、このジレンマは拷問にも等しいという訳だ。
 何とかして手伝えるような流れにしないといけない。
「今日はさ、罪付きの処分をするんだって?」
 俺は台所で包丁を研いでいるジミーに話しかける。
 もちろん研いでいる包丁は屠殺包丁だ。台所でやっているというのが笑えない。食われたりしないよね? 大丈夫だよね?
「せやねん、ホラ見てみ、よ~さんおるやろ、あれみんなエルフやで」
 ジミーはそう言って庭に所狭しと並んでいるエルフたちを指さす。
 ぶくぶくに肥えた養殖エルフとは違い、罪付きのエルフたちは痩せている個体が多く、絵面的には養殖場よりはましだ。
 それに、養殖場のエルフは雄雌問わず全裸だが、処分される罪付きたちは申し訳程度に麻の布が被せられている。
「でもさ、屠殺場は畜殺が仕事だろ?食用じゃない罪付きの処分なんてどうしてやってるんだ?」
 エルフの屠殺人は、ブリーダーや養殖場経営者などには及ばないものの、高給で、金には困らないはずだ。
わざわざエルフ収容所の仕事をジミーが請け負う必要なんてない。それとも、エルフ収容所の人間はそんなに人手不足なのだろうか?
「あんな、収容所の連中は人やないで。苦しんでるエルフをボコボコにしてな、飽きたら殺すねん。顔なんて膨れ上がって目も見えんようになっとった。あれは闇やでー。人間のやることとちゃう、エルフだって生きとんのや、あんなひどいことよう出来んわ」
 ジミーは、怒りと悲しみが入り混じった表情でしんみりと語る。
「せやから、せめて苦しまんように、楽に死なせたろ思てな、ここで処分を請け負うことにしたんや」
行為の対象が人間ではなくエルフなので、変な奴ら程度の認識で特に気に掛けたことはなかったが……、そうか、ジミーにはそれが道徳的にも許されないことだと感じたらしい。
 エルフの生殺に携わってきたジミーだからこそ、思うところもあるのだろう。俺のような一般的考え方の人間にはよく分からないが。
「エルフのおかげで俺たちは生きられている。感謝の気持ちを忘れてはいけないよな」
 確かに子供の頃、俺もそう教えられた記憶がある。だが、そんなことを言い出したら養殖というシステムは非常にエルフに対して思いやりに欠ける不遜なものにならないだろうか。
 感謝を忘れないように、などというのは、所詮、人間の残酷な行為から罪の意識を誤魔化すための文句に過ぎない。
 そんなにエルフが可哀想なら食べなければ良いじゃないか。収容所での暴力行為より、殺して食べる方がもっと酷くないだろうか? でも、食べ続ける。口では何と言おうと食べねば死ぬから。
 結局人間は自分本位にしか物事を考えることができない。なら、下手に人格者を気取るなよ、素で行こうじゃないか。あくまで捕食者は人間、エルフは家畜。家畜を家畜みたいな扱いして何が悪いんだ? どうせ最後は殺して食うというのに。
 俺はそう思う。だが、今はジミーに同調するしかない、取り敢えずステレオタイプな言葉で話を繋ぐことにした。
「そうか。レイ坊はよう分かっとるやないか。ほんま、偉い子やな~」
 うんうん、とジミーは満足げに頷く。
 偉い子、か……。エルフを尊ぶ素振りをすればそれは偉いのだろうか。
 俺は本心を笑顔で隠して返事をすると、紅茶を一気に飲み干した。
 結局、屠殺の手伝いはさせてもらえることになった。
 まあ、ジミーも俺の手伝いを咎めていた訳ではない。快く了承してくれた。
 庭に出て、ジミーから屠殺包丁を受け取る。
「ほれ、何でも経験や、こっちおいで」
 20匹近く並んでいるエルフの右端の個体の首にジミーは包丁をあてがう。どうやらレクチャーしてくれるらしい。屠殺を経験するのは初めてではないのだが、どうやら忘れているようだ。
 やれやれと、俺は手を振って、ジミーの方へと走り寄る。
 すると、視界の隅を、何やら見覚えのあるものが捉えた。右から数えて14匹目のエルフ。俺は慌てて走り寄る。
 汚れてはいるものの、光沢のある綺麗な髪の毛と、透き通るような白い肌、そしてこの可愛らしい寝顔は……リリアだ。
「おい、ジミー。この子は! この子はどうしてここに?」
 俺は鬼気迫る勢いで、ジミーに問う。
「え? 何、何? どないしたん?」
 ジミーも突然の俺の大声に困惑気味だ。
「この子だよ! こいつはリリアっていうんだ。一年前、俺はこいつに捕まった。密猟監視官だっんだよ、エルフのくせにな! 
 ジミーはどれどれと、リリアを眺めると、何かを思い出したように、手のひらを打つと、
「ああ! その子か、その子はなぁ~、アレや、二重スパイか何かやってん、どんな方法で監視官になったんかは知らんけど、国の情報をエルフ側に横流ししてたらしいで」
 二重スパイだと!? 一体何がどうなっている? くそ、ともかくこいつに訊いてみないことには……。
「なぁ、ジミー、俺はちょっとこいつに話があるんだ、起こしても問題ないか?」
 真剣な表情でジミーを見つめる。ジミーは弱ったな、という顔をして目を逸らした。
「え~、あ~、う~ん、まぁ、ええけど、もうあんまり時間ないで? そろそろ来んねん、役所の兄ちゃんがな、ちゃんと処分してるか確認せなあかんねんて」
 充分だ、と俺は頷いて応えると、リリアを起こしにかかった。
 屠殺されるエルフ達は、ジミーの意向で眠らされている。他のエルフの首を落とす音などで、目を覚ましてしまわないように、並大抵のことでは起きないようになっていた。
 俺がリリアの頬をぺちぺちと叩いた程度では、とてもじゃないが意識は戻らない。
「おい、ジミー! どうやって起こせばいいんだ!?」
 俺は声を荒げて言う。
「キスでもしたら、ええんちゃう?」
 ジミーは下唇を突き出し、おどけた調子で言う。
「茶化すなよ、真面目に答えろ」
 次第に己の声に怒気が籠もる。
 ジミーも流石にまずいと思ったのか、真顔に戻る。
「……あんなぁ、あんま起こしたくないねん。恐怖に怯えながら死ぬなんて、可哀想やん、眠ったま殺したるのが優しさってもんやで―、ほんまに」
 ジミーは悲しそうに呟く。
 だが、俺はそんなジミーの嫌そうな態度も無視し、ただジミーを睨み続ける。
「ふっ、も~、そんな恐い目で見んといてぇや。レイ坊モテへんぞ~、……まぁええわ、ワシの負け負け、ほい」
 そう言って、ジミーが渡してきたのは”炭酸アンモニウム”とラベルが貼られた小瓶だった。少し嗅がせるだけでガッツリ意識が戻ってくるのだという。
 早速、俺はキュポンと蓋を外すと、リリアの鼻元に持ってくる。
「ヴゲェッ、ボォ、エェッホ、ケヘケヘェ」
 この世のものとは思えないような声を上げながらリリアはようやく目を覚ました。
「うう……。何……コレ」
 まだ状況が読み込めていないようだ。先程の刺激に目に涙を溜めながら戸惑っている。
「やあ、久し振りだね、リリアちゃん」
 俺は険しかった表情を緩め、軽く笑む。
「え? レイ君? なんで?」
「何でだと思う~?」
 俺はわざとらしく問い返してみる。その一言でようやく状況が見えてきたようだった。
「私のピンチを悟って駆け付けてくれたんだよね」
 軽口を叩く余裕はあるようだ、いや、無いからこそなのか。
「俺は屠殺の手伝いに来ただけだ」
「そっか……、そうだよね。……私、捕まっちゃったんだ……」
 リリアは自分に言い聞かせるように呟く。
 悔しそうで切ない、そんな雰囲気をリリアは纏っていた。
「なあ、教えてくれリリア。どうしてお前は二重スパイのようなマネしていたんだ? 人間に逆らうようなマネをさ」
 俺はその場に腰をおろすと、あぐらをかいて膝の上に頬杖をついた。
 自然と視線が重なる。彼女の青い瞳に何が映っているのか、俺には分からない。単なる人間としての俺なのか、レイ・フリークス個人としてか、あるいは……。
「人間に逆らう? あはは、レイ君は面白いこと言うね。別にエルフが人間に逆らったわけじゃないよ」
「はぁ? 現にお前は反逆罪で囚われの身、もうすぐ処分されるじゃないか」
 まったく何を言っているのだろう。
「違うよ、だって、人間がエルフに逆らっているんだからさ」
 なんと! その発想は無かった。確かにものは言い様だ。リリアは言い訳の天才かも知れない。
「お前こそ面白いな、よく言うよ、支配されてる分際でさ」
 所詮エルフの戯れ言だ。だが、そう分かってはいても、何故だか胸糞が悪かった。
「いつか人間の圧政が終わる日が来るよ。私はそのために背中に焼き印を打たれてまで人間の飼い犬なったんだから!」
 はぁ、いつになっても人間に反抗するエルフは絶えはしない。数も少なく、力も弱く、絶滅しかねないから、保護・養殖までされている存在なのだ。そんな存在であり、散発的な抵抗しか出来ない立場で何を言うか。エルフが何を言おうと何の脅威ともならない。
 しかし、そう言えばそうだ、リリアの背中には鉄の棒を押し付けられたような痕があった。あれ密猟監視官になるため、忠誠の証として押されたものだったのか。成程、本来なら人間に寝返ったエルフなど、エルフ側は再び受け入れてくれはしないだろう。だから、リリアには寝返った決定的証拠を残す必要があったという訳だ。
 まあ、二重スパイであるリリアにはあまり意味がなかったが。
 しかし、リリアもよく考えたものだ、確かに密猟監視官になれば、森の中と都市部を頻繁に往復することができる。それはつまり、情報をエルフの里に届ける好機が増えるということだ。二人組で行動していると言っても、そいつは何らかの方法で買収してしまえば良い。
 さらに密猟はエルフ側にとっても困る案件だ。それを監視できるという面でもこの職の役割は大きい。焼き印を打たれてでもなる価値はある。人間側がリリアを雇った意図としては、エルフなので密猟者に警戒されにくい、もしくは、釣られるということや、高給取りな密猟監視官の人件費削減(タダ働き)、万が一失態を演じてしまった時の責任逃れなどの用途にも利用できる、そんなところだろう。
 だが、リリアの方が一枚上手に立ち回っていたという訳か。全くもって小賢しい。
「そうか、そんな日が訪れるといいな。しかし、何でお前は捕まったんだ? 今まで上手く遣り繰していたんだろう?」
 激昂するリリアに釣られることもなく、冷静に俺は質問を続ける。
「……そう、密猟監視官なれてリリアもウハウハだったんだだけどね。レイ君のせいだよ、レイ君いたから私は責任を押し付けられちゃったんだから」
 リリアの言うことには、つまり、俺が捕まったまでは良かったが、国の弱みをロメリに突かれるは思っていなかった。だから、そのはけ口がリリアに回ってきた、ということらしい。ロメリの存在は誤算だったのだ。
 まあ、それもそうだ、ロメリが取り計らってくれなければ、今頃俺は予定通り死んでいただろう。そう思うと俺は染み渡るような生の実感を覚えずにはいられなかった。
「フン、そういうことだったのか。分かった。もういいや、じゃあな、リリアちゃん」
 そう言って、俺はジミーにOKの合図を出すときびすを返そうとした。
「待ってよ!」
 ふいに、俺の服が引っ張られ、少しバランスを崩す。振り向いて目をやると、リリアは両手を縛れたまま、俺の服をつまんでいた。
 ふと、一年前の記憶が脳裏で重なる。揚げパンが食べたい! しょうがないな……        
おいしいか? うんもいひい。
 服を引かれ、かすかに首元が締まる、あの感覚だ。何かしらもどかしい感情がこみ上げてきた。これは何だ?
「おい、まだ俺になんかあんのかよ」
 俺はほのかな邪念すらも振り払おうと、荒々しく声を立てる。
「……ねぇ、私、死んじゃうの?」
 リリアの目尻にぷっくらと浮かぶ水溜まりは、先ほどの気付け薬の残滓ではなさそうだ。
「そりゃあな。そういう運命だ」
 俺は苦い顔でそう告げる。そんな顔されたら心が痛んでしょうがない。 
「私ね、今まで生きてきて良かったことなんてなかった。エルフだってだけでいじめられて、貶さて、迫害を受けて、エルフの密猟監視官だってバカにされて! でも生きてた、耐えて耐えて情報送り続けて、いつか報われるって、きっと信じてっ!」
 言葉に感情が灯る度に、俺の服を引く手にも力が籠る。
「それなのにぃっ、もう終わり? こんなに抗ってきたのに、もう終わりなのぉっ! いやだよ、生きたいよ、まだ、いっぱいやりたいこと、あるんだからあっ!」
 だが俺は後ろを振り返らない、ただひたすら背を向けて、リリアの慟哭を聴いていた。
 もうええか~、とジミーの急かす声が聞こえる。エルフ語の分からないジミーには、俺たちの会話が理解できない。
 エルフが喚いているようにしか……いや、俺がいじめているようにも見えるかも知れない。
「いいよー。もうやってくれ」
 俺はリリアの手を無理矢理解き、離れ出しながら言う。
「酷い、酷いよ……レイ君。レイ君だって私と同じ、同類でしょ」  ああ、確かに、騙し、騙されやっていた俺らは同類かも知れない。俺は愛しき村の為、リリアはエルフの尊厳をかけて戦った同志だ。ささやかなリスペクトの意を表しよう。
 俺は一歩、また一歩と、リリアとの距離を広げる。たった一m、二m、その程度の距離。しかしもう決して縮まることのない距離。俺はその歩幅の重みを踏み締めるように歩き、次第にリリアから遠退いていった。
「ねぇお願い、お願いだからぁっ……助けてよ……お兄ちゃん」  
 腹の底から振り絞るようなリリアの声が俺の鼓膜を劈いた。
 思わず俺は振り返る。慌てて視界を捉えたのは今まさにリリアを殺さんと包丁を構えているジミーの姿だった。血の付着した生々しい屠殺包丁を右手に天高く振り上げ、左手で十字を切っている。
 リリアは振り向いた俺に、分かり易過ぎるくらい無理矢理笑顔を浮かべた。はかなさを増すばかりの涙化粧は、陽光を反射させて煌びやかに輝いている。
「えへへ、ごめんね、リリアもう大丈夫だからね、お、あ、お兄ちゃんはね、い」
 言い終わらないうちに、ジミーの逞しい右腕が空を切る。
「おい! ジミー、待っ」
 声に出すと同時に俺の足は動いていた。何故だろう、情にほだされたのか? いや、違う。もっと重大な、取り返しのつかないことがある気がして。
 ビィィィン! パタタタッ。
 駆け寄った俺の眼前にリリアの姿はなく、代わりにただの有機物の塊と成り果てたエルフの頭部が足元へと転がっていた。
 頬にぬるりと付着した生温かい返り血が、生命の名残を感じさせる。ああ、リリアは、死んだのか。
漠然とした虚無感が俺を襲った。リリアが死んだ傍らで、ジミーは何事もなかったかのように、作業を続けている。
 ぼうっと頭が眩む。一体さっきのは何だったというんだ。本能的に俺はリリアを助けようとした。いや死なせてはダメなような気がした、の方が正しいだろう。何かが引っかかる。いや、今ではもう遅い。リリアが死んで困るようなことはない、もう良しとしよう。多分、一時の気の迷いだったのだ。俺は終始、リリアに惑わされ続けていたのだから。   
 俺は小刀でリリアの首元の肉を少しだけ削ぐと、何も言わず、ジミーの屠殺場を後にした。

 養殖場の外れにある小さな雑木林の切り株に、俺はゆっくりと腰を降ろした。
 誰にも邪魔されずに憩える俺のお気に入りのスポットだ。枯れ木の枝を重ね、火を灯す。バチバチと痛々しい音を立てて炎がその場を包み込んでゆく。
 俺はスライスしたリリアの肉を炎の上にあてがう。じゅうじゅうと肉汁を垂らしながら、濃厚な匂いが辺りに放たれてゆく。
 俺はムラのないように肉をくるくると回転させながら、初めてリリアに会った日のことを思い出していた。
 俺が肉を食べ終わるのを見計らって、ひょっこりと顔を出して、でも最初はおどおどしたりしてみせて。老獪で、小賢しくて、それでいて可愛らしい、そんなこのエルフの少女のことを。
 肉をゆっくりと咀嚼する。これが……リリアの味、か。
 噛んで、噛んで、よく噛んで、歯で、舌で、五臓六腑で、全身で。体を余さず駆使してリリアの肉を堪能する。
 ああ、おいしい。思わず涙が零れ落ちた。肉を食まんと顎を動かす度に、行き場のない感傷が胸奥から溢れ出してくる。
 俺はその時痛感した。とっくの昔に、俺はリリアに情でほだされていたのだということを。
 ゆらゆらと立ち込める煙の糸をぼんやりと眺めながら、俺はいつしか聞いた科学者の言葉を思い出していた。


 絶対に元に戻らないものを二つ挙げるとすれば、

                  そうだな、

     それは過熱してしまったタンパク質と、

                        時間だ。



 

第三章 真相

「そして俺は、この後まもなくロメリと結婚し、今に至るという訳だ」 
俺は長々しい自らの過去話をそう言って締めくくった。
 アインは俺の話を終始真剣に聴いていてくれた。ただ、その顔が不機嫌そうにも見えたことに、一抹のわだかまりが残った。
「そうかい、じゃあ今もエルフの養殖を続けてるってぇことか?」
 アインは俺の目を見据えて俺に問いかける。
 何故だか俺は、尋問される容疑者になっているかのような錯覚に陥った。
「ああ、そうだな」
 目を細めて笑顔を繕いながらも、アインの眼底に潜む凍て付くような眼差しに恐怖を覚えずにはいられなかった。
俺は反射的に視線を逸らす。
「な、なあ、アイン。そろそろ店を出ないか?」
 俺はこの変な気まずさを何とか紛らわそうと、親指でクイクイと出口を指した。
「……あぁ」
 アインは何か別のことを考えているような、無意識な返事をする。腹の底から湧き上がるような高揚と緊張を俺はわずかに感じた。それは次第に違和感となって俺を包む。
 逃げ出すように開け放った店の扉は重々しくギィギィと音を立てた。
 外に出ると肌寒い空気が頬を叩いた。あれだけうるさかった夜の喧騒も、いつの間にか消え、普段通りの冷たい雰囲気が街全体を支配していた。
 闇夜を照らす明かりは、疎らに点在する街灯と、一番閉店の遅い先程の酒場の灯し火だけだ。
 ふっと悪寒が走った。外気温とは裏腹に汗は留まる所を知らず、背中を、頭を、首元をじわじわと濡らしていった。
 ドスッと鈍い音が響いた。異物が侵入する不快な違和感と共に、神経を抉るような痛みが全身を巡っていく。背中を濡らす液体は、今度は汗ではなさそうだ。
「ぐぅ、あっ、はぁぁ、あ」
 体を無理に捩り、後ろを振り返る。
 そこには、至極無表情のまま、ナイフを前に突き出しているアインの姿があった。
「く…そ、アイン、てめー」
 プルプルと痛みで震えながら、精いっぱいの怒りを宿した眼差しで、俺はアインを睨む。
 アインは動じないどころか、今度は、空いた左手で首を絞めてきた。……ぼうっと、する。クソ、意識が……、ああ、死んだ……。薄れゆく意識の中で俺の目が最後に捉えたのは、冷ややかに笑うアインの憎たらしい表情だった。

「おい! 早く来るんだ! お前は仕事をしなくてはならない」
男は幼い少女の手を引くと、靄の中に連れていった。
「嫌! 放して、お父さん! 私……ここにいたいよ! 助けて!」
 俺は少女を助けるべく猛然と走り出す。
「そいつを! 放せよ!」
 男は少女を連れて悠々と歩いてゆく。手を引かれながら少女は寂しげな顔でこちらを見詰める。どうしようもできない諦めが入り混じった、でも少しだけ助けをまだ求めているような、そんな複雑な顔だった。
 二人はゆっくりと歩きながら白みがかった靄の中へと消えていく。どんなに走っても決して追いくことができない、どうしようもない無力感に俺はついに足を止めた。
 いや、もし俺が足を止めなければ、追いつけたかも知れないのに。



 目を開けると、目の前には木組みの天井があった。初めて見るものだ。少なくとも自分の家ではい。
 状況の把握をするため、とりあえず上体を起こし、辺りを見渡そうとする。
 すると、ジャリンという音が、首元から響いた。慌てて自分の体を確認する。
 首輪が付けられていた。次いで俺の脳が認識したのは、自らが全裸であるという事実だ。
どういうことだ? 何故俺は全裸で首輪に繋がれている? 
 首輪から伸びる鎖は一m程の長さしかなく、床に刺さって完全に固定されているため、ほとんど動きがとれない。
 どうやら歓迎されている訳ではなさそうだ。
 だが、そもそもここはどこだ? 俺は自らの記憶を細緻に掘り起こしていく。
 昨日の晩、俺はアインと酒場で会い、話の流れでアインに自分の過去を語った。そこまではいい。それから俺は店を出て、アインに……刺された……!
 そうだ! 傷は!? 俺は瞬時に背中に手を回し、刺された場所を確認する。
 傷は、無くなっていた。だがまだ痛みは残っている。そこまで深く刺された訳ではなかったらしい俺はほっとため息を吐く。
 だが安心している場合ではない。どうすればここを脱出できる? 考えろ。俺は周りを見渡す。そして、俺は愕然とした。
 俺は3m強四方の木の柵で囲われた空間におり、横1mの場所に、同様に全裸で鎖に繋がれたエルフの雌がいたのだ。
 薬でも打たれたのだろうか、充血した目を見開き、口からは止めどなく涎が垂れ、アァー、アァーと掠れた声を上げている。
 一体、何がどうなっている。疑問は膨らんでいくばかりだ。
 しかし身動きがとれない以上、何らかの接触を行う他ない。
 状況が変化するのを見極めるために、俺はじっくりと接触する機会を待つことにした。
 しかし、その日も、その次の日も、小屋を訪れる者はいなかった。
 俺はにわかに焦り始める。このまま誰もここに来なかったら俺はどうなってしまうんだ? 死ぬのか? しかしそんな俺の焦燥も嘲るかのように、エルフの雌の笑い声だけが闇夜にむなしくこだましていた。
 三日目の朝。少しだけ状況に変化があった。小屋の外からエルフの子供がこちらの様子を窺っていたのだ。
 何でもいい、手掛かりが掴めるかも知れない、そう思った俺は、エルフの少年の警戒心を解くため、にっぱりとした笑顔を少年に向けた。
 すると少年は恐る恐る藁敷きの床に、足を踏み入れる。
 思えば、俺がリリアと出会った時もこんな感じだっただろうか。おどおどしている少年と、リリアの面影が、ふいに脳裏で重なった。
 同時に、ほのかな感傷と情けなさが胸中に芽生える。
 俺はそんな感情を浮かべてしまった自分に腹が立って、吐き捨てるように小さく舌を打った。
 少年は俺の前で立ち止まる。しばらくは親指をくわえながら、俺を興味津々に見詰めていたが、やがてその場にしゃがみ込むと、俺の頭を撫で始めた。俺の頭に手が届くように短い腕を懸命に伸ばし、可愛らしい掌で。ぎこちないなでなでの所作があどけなさを感じさせる。
「いいこ、いいこ」
 屈託のない笑顔で俺の頭を撫で続ける少年は、俺をどのように認識しているのだろうか。人間?動物? もしかして家畜? 
 いずれにせよ、無邪気で無知な子供だからこそ、そういう行為に対して腹が立つものだ。
「おい、あんま調子乗ってっと……ブチ殺すぞクソガキッッ」
 俺はあらん限りの気迫を顔に乗せ、エルフの幼い少年にぶつける。
 少年は驚いて尻もちをついてしまった。そして一瞬間を空けて、顔をしわくちゃに歪ませると、とうとう泣き出してしまう。
 何度かよろめきながらも立ち上がると、とてとてと小屋の外へ泣きながら駆けていった。
 遠巻きに「びぇーん、おにいちゃーん、ヒト怖いよ~」という少年の声が聞こえた。
 続いて、「よしよし、恐かったな、だけどヒトの小屋に行っちゃダメって言ったじゃないか。ヒトは野蛮で凶暴なんだ。近づいたらダメだぞ」
 とエルフの少年を諭す声が聞こえる。
 それはまごうことなきアインの声だった。
 少し間が空いてアインがドカドカと小屋の中に入ってきた。
「レイよォ、幼い少年をあんまいじめるもんじゃねぇぜぇ」
 アインはいつものノリで、白々しく俺にそう話しかけてきた。
「オィ! ふざけんなよテメー! どういうことだ、これはッ? 早く出せ、コラ、オイ人権の侵害だッ、絶対訴えてやるからな!」
 俺は二日間も留めに留めた憤慨を、ここぞとばかりに喚き散らす。
「ダハハハァ、人権だぁ、笑わせてくれるなよ、レイ君。じゃあよォ、お前が今まで養殖してきたエルフ達は、一体何権を侵害されていたのかなァ?」
 アインは豪快に笑いながら俺に問い返す。目は笑っていない。
「あぁ? あいつらだって人間様の役に立てて死ねるんだから本望だろうよ! 僕の肉、食べてくれてありがとう、って言ってるよ! きっとな!」
 俺も負けじと言い返す。MAXになった怒りのボルテージが俺の言動を加速させていく。
「そもそもお前は何なんだよ、いきなりこんな仕打ちをしやがって、ふざけんのも大概にしろよ、お前一体何もんだ?」
 するとアインは不敵な笑みを浮かべると、
「俺が何もんか? ハハァそりゃないぜ、レイ君。あんたが俺の名前、付けてくれたんだろォ?」
 何を言っている? 俺が名付けた? 俺とコイツが出会った時にはもう、コイツにはアインという名前が付いていたじゃないか。
「馬鹿を言うな、俺は誰かの名前を付けたことなど……」
 そこで俺は少し違和感に気付く。名付け……どこかで……あ! 
「お前……まさか……」
「そう、そのまさかだよ。アイン、ツヴァイ、ドライ、フィーア……全部お前が名付けてくれたんじゃねーかよォ」
 確かに俺は昔、養殖場の種エルフに名前を付けて遊んでいた。だが、まさか養殖エルフが市井に紛れているとは思うまい。
「そうさぁ、俺はロメリの養殖場で養殖されていたエルフ、整理番号«01»番だよォ、まァ、正確には種付け用だったがなァ」
 そう言ってアインは身に着けていた作業服の袖を肩まで捲る。すると、01と打たれた烙印の痕があらわになる。熱で変色した肉の隆起が、痛々しさを主張していた。
 続いて、アインは首元まで伸びた癖のある金髪を両手で持ち上げる。するとそれまで隠れていた耳が俺の目に映る。その耳は、エルフ以外にはあり得ない耳だ。再び怒りが込み上げてくる。
「ふっざけんなッ! じゃあテメェはエルフの分際で俺を騙してたってことかよ! 死ね、クソが! 何調子こいて人間様とちゃっかり会話しちゃってる訳? テメェはおとなしく養殖場で雌とパコついてりゃぁいーんだよ! アア? オイ!」
 激しく体を動かし、全身で憤りを表現する度、それに合わせて鎖をガチャガチャと音を立てて揺れる。俺の生命がアインに握られている証拠だ。喚けばそれだけ虚しくなる。だが、それ以上に今は怒りが勝っていた。
「あぁ、そォかい、人間様に逆らってそりゃあ悪うござんした、だがよォ、それならお前に謝る道理はねェぜ? だってよォ、お前はそもそも人間じゃねェんだからなぁ!」
 そう言ってアインはガハハァと笑う。
俺は思わず耳を疑った。人間じゃない? 俺が? 比喩か何かだろうか。もしくは、俺のしてきた行いが非人道的であるということを言いたいのか?
「どういうことだ? まさかそのままの意味だと言うんじゃないだろうな?」
 俺は訝しみながら聞き返す。
「まさかだぜェ、レイ君。そのままの意味に決まってんだろォ」
 むしろ、俺が何を言っているんだ、といった口調でアインは答える。
「あははは、そうか、俺は人間じゃないのかぁ、じゃあ俺は一体何だって言うんだ? エルフだとでも言うつもりか? 耳、伸びてねぇーぞー」
 俺はアインを煽るように言う。アインは所詮養殖場で育ったエルフだ。どうやって言語を習得できたのかは知らないが、知能指数は人間の半分、いやそれ以下しかないのだろう。現にアインは目の前にいる俺が人間かそうでないかすらも判別できていない。
 この程度ならば脱出も割と簡単にできるかも知れない。そう考えると、少しだけ楽観することがきる。俺は次第に心に落ち着きを取り戻していった。
「違えな、エルフでもねぇ。正解はハーフエルフだ。忌まわしき、人間とエルフの息子。禁断の愛ってヤツだなぁ、ガハハハァ」
 アインはそう言って下卑た笑みを浮かべる。的外れなことを言っているとは分かっていても腹は立つ。エルフ如きが俺を笑うな!
「へぇ、じゃあ証拠はあんのかよ、証拠は! えぇ? オイ」
 俺は高圧的にアインを睨む。下から見上げている形になるが、位置的に仕方がない。
「お前の話によるとよォ、ロメリはお前の村の戸籍が老人と五歳児しかいなかったと言っていたよなァ? あの五歳児はお前だ。お前はまだ五年ちょいしか生きていねぇんだよ」
 何を言っているのか理解できない。俺が五歳? 俺は今年で二十一歳だぞ。もうアインの知能が過ぎて話にならないのか。俺は露骨に呆れた表情をする。アインが意に介する様子はない。
「なぁ、レイよォ、一年は何か月だ?」
 今度はいきなりどうしたんだ、まあいい。呆れついでに答えてやろう。
「はぁ……全く、そんなことも知らないのか。人間と話がしたいなら、このくらい勉強してきてくれよ。あのな、一年は三か月でな、春の年、夏の年、秋の年、冬の年の四ヶ年があるんだ。それをな、四節周期というんだよ、分かったかなーアイン君」
 俺は馬鹿にするような口調で言う。アインはそれを見てフッと笑う。それには明らかな侮蔑の色が混ざっていた。
「あのなァ、一年はな、十二か月あるんだよォ。春夏秋冬はセットでな、一年に全部含まれてんだなぁ、これが。四季って言ってな、てか、一年ごとに季節が変わる訳ねーだろォ。毎年変化してったら『年』でくくる意味ないだろーがよォ、馬鹿かおメェ」
 そんな馬鹿な! 幼い頃にみんな習う常識のハズだ、それともエルフは『年』の概念が違うのだろうか? アインは続ける。
「お前の村の住人は優しい人ばっかりだったんだろうなァ、あくまで人間と同じように育てようとしてくれたんだからなァ!」
 アインが言うには、つまりこういうことらしい。
 ハーフエルフの成長スピードはエルフと同じで人間の約四倍だ。ということは、実際の一年の四分の一の日数を一年だと教え込めば、表面上は人間と同じペースで歳を取っているように見せかけることが可能だ。
「じゃあ、何故村人たちはそこまでして俺を人間だと思い込ませようとしたんだ?」
「本当おめぇは馬鹿だな、ハーフエルフがどんな扱いを受けてるのか知らねぇのか? エルフの血が人間の血が混ざりゃあよォ、両サイドから迫害を受けることなんざ自明の理だろうが。
 エルフの肉を食べさせ、エルフを家畜と見なす価値観を教え込んでまで、お前を人間として育て上げたのは、お前を愛していたからに決まってるだろうが! 村の老人はお前が可愛くて可愛くて仕方なかったんだろうよ! ハーフエルフとして一生惨めに暮らさせるなんて、とてもじゃねえが出来ないだろうさ」
 うそだよ。村のみんなは俺にウソついてたってこと? そんなアホなァァ。俺は人間だろ? 汚らわしいエルフの血なんて混じってないだろォー。……いや、待てよ、アインが出まかせを言っているだけかも知れない。諦めるのは早過ぎる。惑わされるな! 
「でも、それじゃあ、証拠としては不十分過ぎるだろ? 確かに俺は一年が三か月だって教えられたさ。でもエルフは嘘つきだってことも教えられた。一年が十二か月だってことも、そもそも俺がハーフエルフかどうかだって、お前が出まかせを言っているだけかも知れないじゃないか!」
 耳は長くも尖ってもいない。眼の色だって普通に黒だ。大丈夫。俺は人間だ。
「ふん、そうか。ところでよォ、お前、腹減ってねぇか?」
 何の脈絡もなく、アインは話題を切り換える。言い返せなくなったようだ。俺はニヤリとわずかにほくそ笑んだ。
 だが確かに、俺はもう二日間も飲まず食わずだ。このままでは身が持たない。アインは俺を餓死せるつもりなのだろうか?
「そうだな、確かに腹はペコペコだよ、ようやく何か食わしてくれる気になったのか?」
 俺はすました顔で言う。さっきは少しだけ動揺してしまったが、所詮エルフの浅知恵などこの程度だ。戻ってきた余裕が表情に出る。
「そうだよなァ、腹減ってるよなァ。二日間何も食っていないんだからなァ」
 アインは、同情を寄せるようにうんうんと頷く。何か含みのある言い方だ。一体それがどうかしたのだろうか?
 するとアインは突然目を見開いて驚いたような顔をすると、わざとらしく「あれぇ?」という素っ頓狂な声を上げた。
「じゃあよォ、じゃあよォ、何でお前は生きているんだ? あれれぇ? おかしいよなァ、人間は1日107g以上のエルフの肉を食わなきゃ生きていけねぇんじゃなかったのかァ?」
 ア、……。一瞬、俺の思考が停止した。すべてを知られてしまったような気分だった。心の奥の秘密まで何もかもこじ開けられてしまったような。眼前の景色が白に帰ってゆく。意識が朦朧とする。 

ナゼ、オマエハイキテイル?

それは、人間では、ないから。
 いくら否定をしようと試みても、自らがそれを証明してしまっている。
 俺は丸二日間も、エルフの肉を食わずに生存した。生きてしまった。
「うぅ、あぁぅ、あぁ、……うそだあぁぁ……」
 先程の虚勢も醜くすべて消え去り、後には全裸ですすり泣くハーフエルフの雄だけが残った。ちなみに、アインに刺された傷が治っていたのはハーフエルフの治癒力によるものらしい。
 アインはいつから取ってきていたのか、木の丸椅子に腰かけ、俺の姿を鑑賞している。
 見世物にでもなった気分だ。いや、実際そうなのかも知れない。
「くそ、こんなことになったのも、全部リリアのせいだ。あのアマさえいなけりゃ、俺はもっと順風満帆な人生を謳歌できていたのにィ」
 俺はついに責任転嫁をし始めた。もうそうでもしなければ、惨め過ぎてやってられなかった。リリアよりも本当は自分が憎かった。
 こんなみっともない俺をアインはどうせ笑って……パァン。叩かれた。
 アインは先程までの侮蔑的な表情から打って変わって、怒りと悲しみを孕んだ真剣な眼差しで俺のことを睨んだ。
「おい、レイ。それだけはマジで洒落になんねぇぞ。いくら現実から目を逸らそうと、それだけは俺が許さねぇ」 
 もう、ダァとか、よぉとかアインは言っていなかった。ただでさえ惨めな気分だったのに余計に情けない気分になる。
 叩かれた頬が熱を帯びてジンジンと痛んだ。
「なんだってんだよぅ。あ、あんだけおれのことばかにしてぇ、こんどはぼーりょくかよぉっ! ズズッ……死ねよぉぅ……ううぅ」
 俺は涙で歪む視界をぐりぐりと擦りながら、しねしねと連呼する、さながら幼児のように、喚き泣き散らす。
「なあ、レイ、お前、曲がりなりにも一緒に旅してきたんだろ? リリアに森で会って、カラトスの街に着くまで、片時も離れずに行動していたじゃないか。なら、何故お前は気付かない? リリアに会ってからリリアはお前のことを何と呼んでいた? 命果てようとするまさにその時、お前のことを何と呼だんだ! 答えろ、レイッッッ!!」
俺は何がどうだか分からないまま、リリアと会った日の記憶をもう一度呼び起こす。リリアが俺を何と呼んだ?

あのね、パパとママが見当たらないの、お兄ちゃん、知らない?

お、お兄ちゃんはデリカシーがないね。

お兄ちゃん、あったかい。

リリア、もう大丈夫だから、お兄ちゃんは、い……
 お兄ちゃん。お兄ちゃん、お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん、あれぇ?
「リリアは、お前の妹だ」
 アインは、ただ、呟くようにそう言った。
「違う」
 まず俺の口をついて出てきたのはその言葉だった。
「違う、違う違う、違う違う違う違う違うッ! だって、あいつは密猟監視官で、俺を騙して貶めてそれで俺は処刑されそうになって、それなのにあいつが俺の妹な訳ねぇーだろっ!」
「密猟監視官は密猟者を逮捕したりなどしない。その場で殺すのが規則だ。だがお前は生きている。リリアがその気なら、お前は既に死んでいるんだよ。だがリリアはお前を殺さなかった。これがどういうことか分かるか?」
 アインは毅然と俺を見つめて言う。閉口した俺に、アインは続ける。
「いいか、真相はこうだ。お前がまだ幼い頃、リリアは義理の父親の手によって、密猟監視官に仕立て上げられた。それは義理の父親であり、レイの実父でもある彼が、リリアを人間に殺されたくないと望んだからだ」
 俺とリリアは、母が同じで父が違うらしい。母がエルフで、父が人間なのが俺。父がエルフなのがリリアなのだそうだ。
「彼はリリアが密猟監視官として生きていて欲しいと願っていた。人間にとって唯一エルフの利用価値がある職業が、密猟監視官だったからだ。しかし賢しいリリアは、密猟監視官という自らの立場を利用し、エルフの自治区とコンタクトを取り、二重スパイとなって帝国の情報をエルフ側に送り始めた。エルフ達は密かに、支配からの脱却を目論んでいたのだ。
 そしてリリアは幸か不幸か、帝国が自分の故郷の村に対し、肉の配給を止めるという情報を入手してしまった。そこで彼女は村へと急いだ。途中、エルフ自治区に住んでいたリリアの父と母を連れて。親族を集めて話し合いをするためだ。
 しかし、村の周辺で少し目を離していた間に、愛する父と母が殺されてしまっていた。そしてリリアは驚愕した。そうだ、我が父母の肉を揚々と食しているのが実の兄だということに気付いたからだ」 
 アインは俺を責めるように語気を強める。
 俺は思わず目をつむり、肩をすぼめる。俺という存在は、アインの眼前にただひたすら矮小に映ったことだろう。

「リリア・フリークスは強い子だった。父と母を殺され、食されてなお、村を、お前を救おうとしたんだ。打ち拉がれそうになる心を堪えてなお、だ。村を救うには国の不正を糾弾するしかない。だがいくらリリアが機密情報を押さえていたとはいえ、エルフであるリリアが国を相手に交渉できる訳がない。当事者である村の誰かに代弁してもらう他なかった。村で動ける者は兄であるレイ・フリースしかいない。
 しかし、兄はエルフである父と母を躊躇なく殺した。ということは、エルフの肉を狩り、そのお金で養殖場のエルフの肉を買って村に持ち帰る、もしくは、村に養殖場を建てるための資金集めとしてエルフを殺している、ということだろう。
 つまり、兄は国に不正を糾弾せず、あくまでエルフの密猟によって村の救済をしようとしているのだ、とリリアはここで理解した。
 だがそれは、非常に危険な方法だ。リリアの他にも密猟監視官はウヨウヨいるし、街でも憲兵が目を光らせているだろう。見つかれば明日はない。このままでは、村の存続も、兄の身も危ない。
 そこでリリアは一計を案じた。自らを無知なエルフの少女だと偽り、兄に街まで売りに行かせようとしたのだ。そして兄に、道中でそれとなく国に糾弾させるように誘導しようと考えた。そうでなくとも、街に向かう途中で兄がその可能性に気付いてくれるだろうとも思っていた。ともかく兄に行動することで何か糸口くらいは掴めるだろうと。
 それに街には、自分を密猟監視官に仕立て上げた義理の父がいる。密猟監視官をまとめる立場の父ならば息子のお前を守ってくれる、そうも考えていた。お前が、街で殺されなかったのは、お前の父がそう命じたからだ」
 ! 俺はそこで思い出す。街で俺を拘束したのは、実の父親だったということを。幼い自分と、老人たちを残して、村を去ったあの父だったということを。
 では、最初から処刑させるつもりはなかったということか? 俺を捕まえるのには何も躊躇いが無ったのに?
 もう訳が分からない。しかしあの時、父は確かにこう言っていたのだ。
「お前を作ったのは間違いだった」と。それも、それさえも、俺を救うための演技だったというのだろうか?
アインは、頭を抱える俺を楽しそうに眺める。そして、知りたくもない真相を止めどなく語ってゆく。
「だがなぁ、お前の態度はリリアには誤算だったんだよ。それは自分が想像以上に商品として兄に見られていたという事実だ。表面上繕ってはいたが、兄の眼差しは、頭の毛から足の先までを金として換算し、悦に浸る者のそれだった。リリアはそこで、自分の言葉が兄に届かないことを悟ったんだ。兄を、国の不正を糾弾するように誘導することなど、出来っこないのだと。
 だが、このままでは国の不正を糾弾することができない。そうなれば、兄はこれからも密猟を続けるだろう。
 悩み果てたリリアはロメリを利用することにした。
 リリアは父にまず、レイをかくまってやってほしい、但し、表面上は密猟者の逮捕という理由で拘束してくれ、という旨のことを伝えた。レイが、宿に自分を置いてロメリの養殖場に肉を売りに行った時のことだ。あの時リリアは、実は父と連絡を取っていたのさ」

 !!俺がロメリの養殖場から帰ってきた時、確かにリリアは姿を消していた。あれは父とコンタクトを取っていたのか!クソ!なまじリリアがすぐ見つかったから、あまり気にしていなかった。何て俺は馬鹿なんだ!
 俺は自らの注意力の無さを嘆き、低く唸る。

「そしてリリアは、ロメリと接触を取った。養殖場に放り込まれ、レイが父に拘束された後のことだ。リリアはロメリにこう言った。 『捕まったレイを助けたければ、そしてあなたが捕まりたくないなら、村への国の不正を調べ、そして国を脅しなさい』 と。
 ロメリは密売をしていた。父の権力が大きいおかげで逮捕までは至っていなかったが、時間の問題だった。同時に、ロメリはレイのことが好きだった。レイも自分も助かるためには、リリアの言う通りにするしかなかったのだ。
 そしてリリアは、ロメリが村へ調査を向かわせている間、兄の安全を確認する為にお前の独房を訪れていた。心当たりがあるだろう? 兄に不信感を募らせないよう、わざわざ悪役を気取ってまでだ。
 そしてロメリは国を無事脅すことに成功し、お前は牢から抜け出した。これで村も兄も救われた、そう思ったリリアだが、リリアは一つ、大きな勘違いをしていた。リリアもまたレイと同じく、村に多少の備蓄肉があると考えていたのだ。初めはただの推測だったが、お前が備蓄肉があると言っていたことで誤った確信を抱いてしまっていたのだ。だが、実際には備蓄肉は無かった。さすがのリリアも村人が付いていたウソまでは気付けなかったのだ。
 リリアの努力虚しく村は滅び、後にはお前だけが残った。だが、それでもいいとリリアは思った。愛する兄が生きていてくれた、それだけでもリリアは堪らなく嬉しかったのだろう。その証拠にホラ、道中、リリアは常にお前に甘えていたし、死に際になってもリリアはお前に生きて欲しいと願ってたじゃないか」
 お兄ちゃんは、い……。きっと生きてと言おうとしたのだろう。そういうことだ。
「あぁぁぁっぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」 
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌ダッ。そんなのが事実なんて俺は認めナィィ!!リリアのあれは、キャラ作りだったんだろォ?全部全部嘘なんだろォ?
 俺は叫び、アインの会話を妨害しながら耳を塞ぐ。もう何も聞きたくなかった。もう何も知りたなかった。いや、俺はきっと、そんな醜い自分自身を肯定したくはなかったのだろう。
 だがアインは、そんな俺の胸中を見透かすかのように、俺の叫びが疲れて止むのを待つと、間発入れずに再び話し出す。
「ロメリは、リリアが村を、お前を救おうとしていたことをお前に伝えようとはしなかった。お前の気持ちがリリアに向いてしまうことを恐れたためだ。よく言えば乙女心というやつだろうな。そしてお前は最後までリリアの想いに気付くことは無かった。わかるか? 最後の最後までお前は何一つ理解できていなかったんだ。父の行為も、リリアの厚意も、ロメリの好意すらなぁ」
 アインはそう言って一つ溜息を吐く。長話を終えて単に疲れているのか、俺の愚鈍さを呆れているのだろうか、俺には判断する術はない。
「……ってんだ」
「あぁん?」
「何だってんだ! テメーさっきからごちゃごちゃ語り散らかしてよう、全部テメーの身勝手な推理に過ぎねーじゃねーかッ!何でお前なんかが真相なんて知ってるんだ!おめぇは養殖場のッ、単なる種エルフにすぎねぇだろーがよぉ! ああオイ? お前にリリアの何が分かる! 根拠のねぇ憶測だけで俺のリリアを汚すんじゃねえ!」
 俺の、最後の足掻きだった。自尊心を一かけらでも守りたいが為の最後の足掻き。だがそれも、アインに軽く一蹴される。
「はっははははぁ、お前、自分が何て言ったかもう一回復唱した方がいいぜぇ? だってよ、クク、可笑しいだろ、さっきまでは『リリアのせいで人生がっ!』とか言ってたクセによォ、今度は何だ? 『俺のリリアを汚すな』だァ? ころころ変わり過ぎだろォ、オイ、レイ君よォ?」
「う、それは……」
「まァいい。そんなに知りてぇなら教えてやるよ。なんで俺が真相を知っているのかをなぁ! いいか、まずよぉ、リリアは密猟監視官だったわけだよなぁ? じゃあよぉ、お前は疑問に思わねぇのか? もう一人はどこに行ったのかってことをよぉ」
 あ、と声が漏れる。そうだ、何故俺は今まで気づかなかったのだ、密猟監視官は、2人一組で行動するはずだろうに。
「そうだよ、あの時、お前らの旅を逐一監視していたもう一人の監視官がいたんだよぉ! 誰か、分るかィ?ビックリするぜぇ?」
「誰だよ……、誰なんだよっ!!」
 気付けば俺は、あんなに聞くのを拒絶しようとしたアインの話に聞き入ってしまっていた。我に返り、口元を手で押さえる。
「ジミーだよォ、屠殺人ジミー」
アインは満面の笑みで監視官の名前を発表する。
「う、嘘だッ !!ジミーがそんなことするはずない!俺の監視なんてするはずがないっ」
 俺は、根拠もなくただひたすら否定をする。認めたくない。
 次々に、自分の知っている人物が崩れてゆく。次々に、俺の知らない人物が現れてくる。俺はそれがただひたすら怖かった。だってそうだろ? リリアは無知なエルフの少女だ。ジミーは屠殺場のおっさんだ。父さんは村を見捨てて出て行った、ただの甲斐性なしだ。
 ……なんで、みんな違う人になるんだよぉ、戻ってよぉ。
「クク、ショックかぁ?ジミーはよぉ、昔、帝国の騎士だったって言ってたらしいがありゃあ嘘だ。実際は密猟監視官で、屠殺場に異動になったのはつい最近のことだ。だからこの真相は、全部お前らのことをずっと監視していたジミーから聞いたんだぜぇ」
アインはうつむく俺をツンツンと、指でつつく。俺には既に、それに反応する気力などなかった。

「そもそも、お前の昔話なんて聞いてやってたのは、ジミーの話との整合性を確かめるためみてぇなんだ。お前を拉致る前に、どうしても本人の口から喋ってもらう必要があったからなぁ」
 アインは手をひらひらさせながら言う。
 そうか、俺の長い長い昔話は、所詮単なる答え合わせに過ぎなかったという訳か。なら、俺は半ば自らこの状況を作り出してしまったようなものではないか。もう、笑うしかない。

「……なぁ、レイよぉ、ジミーはいやに、エルフの肩を持つと思わなかったか?屠殺なんて物騒なことしてる割にはよぉ。実はジミーもなぁ、エルフ側に通じていたんだよ、人間でありながらなぁ。まぁ、エルフの屠殺をやってりゃあ、エルフに通じてるとは思われないわな。だから、エルフ側もジミーが屠殺することに関しては黙認していたんだ。まぁ、情報を流してもらえるなら、それくらいは我慢するだろう。
 そしてジミーは、屠殺処分になったエルフを殺さず密かに育てていたんだ。勿論全部じゃない、数十匹に一匹、ロメリに気付かれないように、こっそりと、だ。そしてその中の一匹が俺だったという訳だ。ラッキーだったぜぇ、本来なら俺は、精力が弱まった種エルフとして一生を終える予定だっんだからなぁ!そして俺は、ジミーハウスで言語を習う傍ら、俺をおもちゃにして遊んだハーフエフ野郎の話を聞いた。そうだよ、テメェだよっ!
 ……俺ははらわたが煮えくり返る思いだったよ。俺の生きがいはお前への復讐になった。まぁ、今違うがな。アインを未だに名乗っているのは臥薪嘗胆ってやつだ。お分かりかな?」

 アインの口調はすっかり元の調子に戻っていた。もう、何も言い返すことはできなかった。
「まぁ、別にお前が信じようが信じまいが、本当はどうだって良かったんだ。お前がこれを聞いて何を思おうが、どうせ何も行動できやしないんだ。憤慨し、俺に殴りかかることも、リリアの墓を建て死を悼むことも、立って歩くことすらなァ!」
 そう言ってアインは悪どい笑みを浮かべる。俺は歪み切ったその笑顔に、本能的な恐怖を覚えずはいられなかった。
「これから……お前は俺をどうするつもりなんだ?」
 できるだけしたくなかった質問が、つい口をついて出てしまった。するとアインは、よく聞いてくれた、といったような嬉しそうな表情を浮かべる。
「なァ、知ってるか? エルフだってなぁ、生きるためにはビオロシンが必要なんだぜェ? 人間と違って摂取しなくても体内で生産することができるってだけでなァ! だがよォ、自分が生成してる量ほど、生きる為には必要ねえんだ、つまり作り過ぎちまうってことだな。だが、人間にはその余剰生産分も必要だ、だから人間はエルフを捕え、食し、養殖を行っている訳だ。しかしよォ、ハーフエルフは生存に必要な分しかビオロシンを生成しないんだ。興味深えだろ、つまり、肉の中にほとんどビオロシンが含まれていないハーフエルフは人間の捕食の対象にはならないってぇことだ」
そこまで言ってアインは俺の反応を伺う。俺は無言で先を促した。
「これがどういうことか分かるか? もし、エルフが人間と積極的に交配を続ければ、生育の早いハーフエルフは瞬く間に巷に溢れ返るだろう。人間とハーフエルフの個体数が仮に並んだ時、エルフ肉を毎日食い続けなければならない人間と、そんな必要もなく、人間から捕食される心配もないハーフエルフ、どっちの方が優位性が高いと思う? そう、当然ハーフエルフの方だ」
 アインは俺の回答を待たずに言う。
「そしてハーフエルフとエルフの交配も行われるようになり、そうなれば必然的にエルフの個体数は減少を始める。エルフの個体数が減少すれば、もちろん人間の個体数もどんどん減少していく。エルフの養殖は天然物の血が減っていくから次第にできなくなる。そうすれば、更にハーフエルフ同士での交配が進み、人間とエルフは淘汰され、ハーフエルフだけが残る」
 そうか、確かに、食う義務も食われる心配もないなら自分の子供をハーフエルフにしたいと思う親が現れても何ら不自然ではない。
「人間は当然この状況を危惧した。だから人間は、徹底的に異種間配合への弾圧嫌悪の思想を民に浸透させ、後世へと継承するように仕組んだ。ハーフエルフは生まれたと判明した瞬間殺され、その家族も過激な迫害を受け、共同体を追いやられた。そして今日でもその思想は人間全体に行き渡っている。だから今でも人間の安寧は揺らいでいない訳だ」
 アインは両手を広げ俺に意味ありげな視線を送る。
「何が言いたい?」
 俺は不安を隠しながらアインに問う。
 アインは仰々しく目を見開くとガタリと立ち上がった。
「俺には野望がある。エルフも人間もいなくなり、ハーフエルフだけが地上で豊かに暮らせるようになる世界の構築だ! 食う食われるの醜い関係であった人間とエルフが、ひとたび手を取り合い血混ぜることによって理想的な社会を実現することができるんだよ! これって素晴らしいことだと思わないか?」
 アインは目をキラキラと輝かせ、少年のように夢を語る。
 そして、いきなりクッと首の角度を変え、俺の隣をアインは見遣る。
 ゾクッとした。今までのアインの話で頭がいっぱいになり、その存在を忘れていたが、確かに俺隣には全裸で鎖に繋がれているラリッたエルフの雌がいたのだ。
「レイ君、俺の野望に、君は協力して、くれるよねッ?」
 いいとも! なんて言う訳がないだろうに。くそ、しかしどうせ逆らえば殺されるんじゃないか!
「マジで、言ってるの? じゃあ俺はずっとここで……」
 俺は懇願するような眼差しでアインを見詰める。
「ロメリに……もう、会えないのォ?」
 俺はアインにしがみ付こうとする。しかし無情にも繋がれた鉄の首輪によって引き戻されてしまう。
「あぁー、うん、しょうがねぇなぁ、じゃあ、10体、10体産まれるまでハーフエルフを作り続たら、ここから解放してやんよ!」
 アインは指でグッドポーズを作る。笑顔が眩しい。
 やった! 出られるの? ここから? 俺はにわかに高揚した。
 そういうことなら仕方ない。さっさとハーフエルフを10体、横のエルフに作らせて、こっから俺はおさらばだ。
 俺はアインに言われた通り、日課をこなすことにした。

      ◆

 朝、与えられた餌を食べ、セックス。昼にまた餌、セックス。そして夜になるまで交尾を続け、ゆっくりと眠りに就く。
 二日目も同じ、ご飯、セックス、ご飯、セックス、寝る。
 三日目。ご飯、セックス、寝る。
 その次の日もその次の日も、ご飯、セックス、寝る、ご飯、セックス、寝る。

 三か月経った。一人目が生まれた。うれしいなぁ。
 さて、もう一回だぁ……、おいしい、うん、あーきもちぃー、おやすみ。
 おいしい……きもちぃーおやすみぃ。
 えはぁ……あぱぁ……ん……ごごごぉ……。
 えほ……おぽ……あ。

 やばい、しこうがとまるるるる。りりあぁ……ろめりィ……。
 あいたい……よぉぉぉ……。 
 牧歌的な村の、のどかな風景の中に、パァンパァンという交尾の音だけが、長く、虚しくこだましていた。

 エピローグ

「ねえ、お兄ちゃん、ちゃんとハーフエルフの世話してよぉー」
 森林北部のエルフ自治区、ビリニュクス山のほとりにある盆地のハーフエルフ生産工場(仮)に、活発なエルフの少年の声が響いた。
 すると、遠くで薪を割っていたエルフの大男が手を振って少年の声に応じる。
「おうおう、坊主、様子はどうだー?」
 重量感のある体躯でズンズンと歩み寄るこの男の名はアイン。ハーフエルフによる社会構築を目的とした組織、『理想郷』のリーダーだ。
 ここ、フェノス村では、近年の大規模改革により、新たに二つ、ハーフエルフ生産工場が建築された。
 理想に向けての道のりはすこぶる快調だ。

アインは、自分がまだ若かった頃出会ったハーフエルフの青年のことを思い出していた。
 村を守らんと志し、だが、何もかも空回りして惨めな運命を辿った男。
 だが、あの男に出会っていなければ、こんな道には進んでいなかっただろう。
 醜く、汚く、でも懸命に生きたあの一匹のハーフエルフ。
 アインは不意に胸をついた郷愁の念から逃れるかのように、雲ひとつ無い大空を仰いだ。
 この先に待ち受けるだろうユートピアを目指して。俺たちの戦いはまだ始まったばかりだ!
 アインは理想の未来に向けて、強く気高く大地を蹴った。

 村を一望できる見晴らしの良い丘に、ハーフエルフの墓地がある。
 『レイ・フリークス 享年11歳』そう刻まれた墓石の下に、小さな花が植えられていた。
 アインがレイの死を悼み、添えたものだ。
 その花の横に、いつの間に咲いたものか、綺麗な白い花が鎮座していた。
 まるで寄り添う兄妹のように、一緒に風に身を任せながら、かすかに淡く、揺らめいていた。

                  END

連れの彼女は高級食材

ライトノベルは初めて書きました。
ファンタジーの定番エルフが、人間に捕食される世界の話でした。
もともとは人間が豚に養殖されるストーリーだったのですが、ありきたりだったのと、ギミックが盛りづらいのでやめました。楽しんでいただけたなら光栄です。 なお、コピペのせいで、段落がおかしくなったりしています。申し訳ありません。感想、批評お待ちしております!

連れの彼女は高級食材

これは養殖されるエルフと、人間の物語。 レイ・フリークスは困窮した村を救うため、エルフの密猟をしていた。 天然物のエルフの肉は美味で高くうれるのだ。 ある日、森で2匹のエルフを狩り、しばし休憩していると、親を探す一匹のエルフの少女と出会った。 レイは、そこで先程狩った2匹のエルフが、この子の親だということに気づく。 「親を探して欲しいの」 そうだ、こいつは生きたまま売ろう。 二人は街へと向かう。 しかしレイは、この時まだ気づいていなかった。この世界のからくりに。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-04

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第一章 旅路
  2. 第二章 急変
  3. 第三章 真相