恋する短歌。
花の色は
花の色は
うつりにけりな
いたづらに
わが身世にふる
ながめせし間に
( 桜の花の色はすっかりと色あせてしまったし、私の容姿もすっかり衰えてしまった。桜の花に降る長い雨を眺めながら、物思いに耽っているうちに。)
『古今集』小野小町
春の雨は生暖かくて、傘もささずに桜の絨毯を歩けば現実なんて溶けだしてしまって、不思議な世界、
いや、
60年前のあの日に、
ふっと行けてしまうのだ。
「ねえ、」
呼ぶ声に振りかえると、私が常々太陽よりもまぶしいと思っている、あの人がいた。
あ、とも、え?、とも言えず、彼の名前を呼ぶこともなく、私は立ちすくんでいた。
「ねえ、傘、持ってないのかよ。」
「そうなの、雨降るなんて知らなくて。」
口を開いた彼に私がそう答えると、彼は彼が片手に持つビニール傘に少し困ったように目をやった。
そんな表情だって私にはまぶしい。
「俺、アイアイガサ、みられたら嫌。」
「え、」
悲しいとかの前に、衝撃をうける。
なんだそれ、私だって嫌だ。そんなこと言われても。
「でも、なんか、ほっとくわけにもいかないし。」
「はぁ」
太陽みたいな人は、発する言葉までまぶしいこと。
方向はよく見えないけれど。
「でも、傘を貸すのも癪。」
ちょっと待ってて、と言い残し、彼は視界の隅へ走って、
そして、彼の傘を、雨を眺めてぼんやりしている下級生の男の子にくれてやってしまった。
驚く私の視界の中央へ戻ってきた彼は笑って言った
「走ろう」
脚の速い春の太陽を夢中で追っ掛けて、
息をきらして、春雨に濡れて、濡れて、
さて、私の家ってこちらの方向だったっけ。
ここはどこかしら。学校からの帰り道で迷子になるなんて。
上の空の思考は太陽の声で戻された。
「ほらみてよ、絨毯みたい。」
桜並木の道であった。
春雨によって散った花びらが、一本道を埋め尽くしていた。
「俺ね、転校するの。」
「え?」
「誰にも秘密ね。」
春の太陽は、不思議だ。
暖かいのに、どこか遠いから。
少し大胆で、落ち着かない。
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しのぶれど
しのぶれど
色に出にけり
わが恋は
ものや思ふと
人の問ふまで
恋する人間は、すぐわかる。
私の特殊能力なのか、他人のそういうのに敏感すぎるのかはよくわからないけれど、とにかく私にかかればその人が恋してるか、してないか、なんとなくの感じで察知できてしまうのだ。
まあ、別にこんな能力役に立たないのだけど。
というより、むしろ、この能力のせいで最近の悩みがあったりする。
私がかねてから片想いをしているクラスメートの男の子が、いよいよ恋をしだしたのだ。今まで女の子に興味とか、抱いてこなかったくせに…!
私は片想いしつつも、両想いになれなくたって、誰かのものになってしまわなければいいや、と呑気でいた。だって彼は恋なんてしてなかったから。
「あーあ。」
「どしたの、ため息?」
思わずひとりため息をついた瞬間、背後から返事が聞こえた。この私が間違えるわけない、例の私の想い人、である。
「うん、なんか、ね。人生いろいろで。」
振り返ってやっぱり彼だ、と思いつつ、嬉しさと恥ずかしさを抱きつつ、わけのわからない返事をしてしまう。恋あるあるである。
「なんだそれ。人生、ねぇ。」
「そっちこそ、なんか、最近ふわっとしちゃって。恋?」
つい意地悪を言ってみる。答えは知ってる。君は恋してる。
「なんだよ、それ。俺だって人生いろいろなの。」
「ふぅん。」
「っていうか、お前こそ恋だろ。さっきのため息。」
「は?」
「は?って…わかりやすいからな、お前。」
不覚。
人の恋色には敏感なのに自分だってまるで隠せていないようだ。
「ねぇ、誰?好きなの。」
互いが互いを好きなことに気づくのは、まだ少し先の話。
明けぬれば
明けぬれば
暮るるものとは
知りながら
なほ恨めしき
あさぼらけかな
藤原道信朝臣 『後拾遺集』
夜、眠ることよりも君と過ごす時間のほうが大切なんだ、と言った彼は程なくして隣で寝息を立て始めた。
不満、などあるわけはない。
もう少しゆっくり、たっぷりと休息をとってほしいぐらいだ。
そうじゃなきゃ、倒れちゃうよ。
彼は比較的若くして会社を興した。
それ以来太陽の出ている時間は働き通しである。
そして、私は彼がそうなってからずっと、彼の恋人である。
彼の規則正しい寝息に耳をすませながら、好きってなんだろうなぁ、とぼんやり思ったりする。
彼が会社を興す際、ちょっとしたきっかけで私たちは知り合って、なんとなく、というより、当然のように恋人同士になった。
予定調和と言っていいかもしれない。
明日、彼が世界から消えたとしたら、私は泣くのだろうか。
好き、ってどういうことなのだろう。
私は別に、彼のことなんて、これっぽっちも好きじゃないのかもしれない。
「あ、」
目を覚ましてしまったらしい彼が声を発した。
「ごめん…起こしちゃった?」
「ううん。歯、まだ磨いてなかったなって思って。」
微笑む彼を疲れ目で眺めながら、彼といる限り、生活、という言葉は幸福に近い響きを持つな、と悟った気がした。
「何か考え事でもしてたの?」
歯ブラシを手にした彼が問うてくる。
うん。なんか、夜が明けなければいいなって思っちゃったの。
もう寝るね、おやすみなさい。
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筑波嶺の
筑波嶺の
峰より落つる
みなの川
恋ぞ積もりて
淵となりぬる
(筑波山の峰から流れ落ちるみなの川は、次第に水かさを増して、深い淵になる。あなたを思う私の気持ちもいつの間にか淵のように深くなっていた。)
陽成院
もしも本当の恋、というものがあったとして、それに飽きたり、ましてや忘れてしまったりなんて、する筈がない。
「好い場所だね。お母さんは、こんなところで小さい頃を過ごしていたんだね。」
「ああ。」
洋子と俺は血が繋がっていない。
詳しい事情は省略するが、彼女はまだ1歳の頃に俺の両親に引き取られてきた。
俺も彼女も血が繋がっていないことなんて知っているが、それを受け入れたうえで、本当の兄妹以上に仲良く育った。
そう、兄妹以上に。
今、その妹と一緒に親戚の葬儀のため、母親の田舎に来ている。
母親は親戚の家に泊まっているが、亡くなった人と関わりもなく、葬儀に参加するだけの俺たちは、ほとんど旅行気分で宿も別にとっていた。
「不謹慎なこと言っていい?」
「どうぞ。」
「すごく楽しい。お葬式最高。」
「同意。不謹慎ではなくない?」
「そっか。」
「そうだよ。」
さりげなく洋子の手をとると、なんとはなしに彼女も手を握り返してくる。
成人した男女が手を繋いで歩いていたら、傍目からは恋人同士にみえるだろう。
「嫁に行き遅れるぞ。」
「そっちから繋いできたくせに。そっちこそどうなの。」
「どうってなんだよ。」
俺たちは宿についたあと、ちょっと豪華にみえる美味しいのかはわからない料理を食べたり、各々温泉に入ったりして、やることもなくなってひと息ついていた。
夜も深くなり、ぼんやりつけていたテレビを消してしまって洋子は話しかけてきた。
「こんな風に隼人くんと旅行してるの、なんか不思議だよ。」
彼女は俺のことをいつも、下の名前にくんを付けて呼ぶ。
「じゃあ洋子ちゃん、折角だから、一緒に寝ようか。」
「何言ってんの。」
ふざけてちゃんを付けて呼ぶと、洋子はクスクスと笑った。
手は繋いでくれるのに添い寝は駄目みたいだ。
「布団敷いてやるから、そっち座ってな。」
俺は言うと、洋子は素直にちょこんと向こう側へ座った。
「ねぇ、不謹慎なこと言っていい?」
「どうぞ。」
「私にとって、勿論お母さんは他人じゃないけど、お母さんの親戚なんて、他人じゃない?」
血の繋がりは、不思議なものだ。
目に見えないのに、確かに存在するから。
洋子は偽悪を気取るけれど、心なしか横顔は寂しそうにみえる。
「敷けたよ、おいで。」
2枚きちんと並べて敷いた布団の、わざわざ俺のいる方へ洋子はすべりこんできた。
「ねぇ、変な気起こさないでよ。」
「起こすかよ。」
小さい頃から、可愛い妹への自分の感情になんと名前をつけて良いものか悩まされてきた。
恋、に限りなく近いと直感していたが、いつか消えると思っていた。
しかし、これが本物の恋、だとしたら?
幼い頃から脈々と続く
いや、降り積もるようなこの感情に、恋と名付けたら。
隣の俺よりひとまわり小さい身体を壊さないようにそっと、抱きしめながら思う。
君は不謹慎と笑うかい?
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恋する短歌。