The cute sister who wears the white ribbon.
どの作品もデート・ア・ライブに登場するキャラクターの魅力を最大限お伝えできるように執筆しました。
15の誕生日
私がまだ小さい頃、五河家に年上の男の子が引き取られてきた。その人こそ、私の大好きなおにーちゃんだ。
五年前の天宮市を襲った大火災の時、その日は私の誕生日で、おにーちゃんに黒いリボンを貰ったのだ。“このリボンをつけている間は、強い子でいるんだぞ”という言葉と共に。
それからというもの、私は白いリボンの時と黒いリボンの時とでマインドセットを掛けるようになった。
これは、フラクシナスでの任務はとても過酷で、到底白いリボンの私ではこなせないからだ。そのためには“強い子でいられる”黒いリボンを身に着けるほうが良いのだ。
朝起きてから、学校のある日は白いリボン、無い日は白をつけたり黒をつけたりする。しかし黒いリボンをつけすぎていると時々精神に綻びが出ることがあって、そんな時は白いリボンをつけて無邪気な妹の性格にするようにしている。どちらもおにーちゃんを慕っていて――なおかつ大好きな事には変わりは無い。
そんな私の、十五歳の誕生日が迫っていた――――。
学校から帰り玄関で靴を脱いでいると、おにーちゃんがひょっこり顔を出す。エプロンを身に着けているあたり、夕食の準備をしているらしい。
今となっては美九や折紙、それに狂三といった精霊を除いたすべての子の分の食事を作っているのだから、苦労していると思うけど、おにーちゃんは全く気にしていない様子だ。おにーちゃん、家事全般をこなしているから、そういうのが苦に感じないんだろうな。
ひょっこり顔を出したおにーちゃんに、白いリボンの時のとびっきりの笑顔でただいまを言うと、ちょっと照れた様子でおかえりと言ってくれる。白いリボンの妹には目が無いようだ。そんなおにーちゃんもとても可愛い。
自室で着替えてからリビングに降りると、おにーちゃんがキッチンでトットットットッと包丁を叩いているのが目に入る。
「ねえおにーちゃん、今日のごはんは何になる予定?」
キッチンのほうを向いて聞くと、こちらを向かずに答える。
「そうだな。今日は野菜炒めとか作ろうかって考えてる」
「おお、おいしそうだねー」
私の好物には、ハンバーグのほかにおにーちゃんの作る野菜炒めがある。調味料のさじ加減が絶妙で、野菜の大きさもちょうど一口サイズで、味も見た目もとても食欲をそそるのだ。
「おにーちゃんがお夕飯作ってくれている間に、お風呂に入ってくるね」
「お湯は沸かしてあるから」
「ん、ありがと」
湯船に浸かると一日の疲れが溶けだしてゆく。その感触は、まるで、人の皮膚のよごれを食べてくれる魚に癒されているような感覚に近いかもしれない。
長い髪がお湯に浸かり、水面に広がる。
小学校の頃は、おにーちゃんが丁寧に洗ってくれていたっけ。最初は手つきがぎこちなくて、こする力が強すぎて、泣きそうになったこともあった。
一緒にお風呂に入ったり――おかーさんとおとーさんと家族で出かけた時も、いつもおにーちゃんと手を繋いでいて、おかーさんたちには仲睦まじい兄妹と言われていた。今でも全然変わらない。
そうやって想い出を一つ一つ振り返っていると、何だか胸のあたりがぽかぽかしてきて、同時にちょっと切なくなる。義理のおにーちゃんだけど、とーっても大好きだ。
夕食を摂っていると、ふとした疑問が私の頭をかすめる。それは、普段なら考え付かないであろう、ちょっと踏み込んだ事。
「おにーちゃんって、どうして家にきたんだっけ」
もちろんこれに関して聞きたいわけではない。あくまで会話の糸口に過ぎない。
てっきり何を聞くんだと怒られるのかと思ったけど、おにーちゃんは難しい表情をして唸る。
「……その時はものすんごい小さくて、物心つくか否かって頃だったからな。唯一分かってるのは、両親に捨てられたって事くらいだ。正直言って両親の事とか、前の家で暮らしていた事って全然覚えていないんだよな」
「そっか――変な事聞いてごめんね。今更分かり切ってることなのに……」
「いいんだ。両親に対しては思わないところがないといえば嘘になるけど、でもそこには何か理由があったはずなんだ。だからそれ自体は嫌な事とはあまり感じていない。むしろその原因を作った。その何かに対しては……悪い。この話はやめよう」
「うん……」
結果的におにーちゃんを落ち込ませることになって、ちょっと胸が痛い。いくら言葉の上で大丈夫と言っても、おにーちゃんにとっては辛い過去なのだ。無神経に質問した私を責めたい。
ご飯を食べ終えて自室から再びリビングに戻ってくると、おにーちゃんはソファに座り、ケータイをいじっていた。
私はその隣に座る。最近ではこうして間近に私が行くことが珍しくなったおかげか、おにーちゃんはちょっとびっくりしている。
「どうした、琴里」
「……さっきはごめんね。物凄く無神経だった」
「何言ってるんだよ。ウェストコットとかだったら激昂するところだけど、妹だったら別に何とも無いからな? 落ち込むなって」
頭を優しく撫でてくれる。おにーちゃんは優しい。おにーちゃんを好きな理由の最大の点はここだ。
髪をほどいているため、おにーちゃんの手にも私の髪がかかる。それをおにーちゃんはそっと梳く。ちょっとくすぐったい。
おかーさんとからおとーさんに触られるとはまた違った感覚だ――何だかむずむずして、落ち着かない。そして、さらに私の頬が染まるような言葉を掛ける。
「……シャンプーの香りがする」
「お風呂入ったからだよー。というかおにーちゃん、ちょっとえっちだよ?」
「どうして?!」
「えー。だって、普通、中学生の年頃の女の子にそういう事を言う?」
「そ、それは……」
おにーちゃんは困ったような表情になる。ちょっとからかいすぎたかな。
「……でも、おにーちゃんには甘いところあるからねー」
「そりゃどうも」
明日も学校があるため、ほどほどにして歯を磨くなどしてベッドに入った。
次の日。中学校から帰宅。
玄関で靴を脱ぎながらおにーちゃんを呼ぶが返事は無い。まだ学校があるみたい。とりあえず着替えてから、リビングでお気に入りの雑誌を読んで暇をつぶす。
――しばらくして顔を上げると、外は土砂降りと化していた。
「えっ!! なにこれ、おにーちゃん大丈夫かな。朝出るとき傘持ってなかった気が……」
不安になって携帯を確認すると、案の定おにーちゃんからLINEでメッセージが届いていた。どうやらまだ高校にいるらしく、にっちもさっちもいかないみたいだ。
リボンを付け替えると、フラクシナスに連絡して、士道を迎えに行くことにした。
――――夕飯も食べ終えて、ソファでゆっくりしていると、おにーちゃんが隣に座る。
「琴里。さっきは悪かった。俺だけなら、琴里に直接迎えに来てほしいって言うべきだった……ごめん」
私の方を向いて頭を下げるおにーちゃん。精霊の事に関してはあれほど周囲を驚かせるほど冷静に対処するのに、普段はこんなに抜けているところがあるのはどうしてなんだろう……。
このまま許してもよかったけど、どうせならとおにーちゃんにある提案をすることにした。
「……ねえおにーちゃん。来月、何かあると思わない?」
「来月っていうと――八月か。なんかあったけかな……」
この時点で、心の中では“おにーちゃんのばかっ‼”と叫んでいたが、何とか押しとどめて続きを待つ。
「八月。八月。八月――ああ、琴里の誕生日。もうそんな時期か」
「ん。だからさ、許してあげる代わりに、誕生日に、私と一緒にデートしてほしいの」
「それは構わないけどさ。皆に祝ってもらわなくていいのか?」
「もちろん、皆が祝ってくれるならそれも喜んで受け取るよ。でも、おにーちゃんとデートがしたい――白いリボンの私で」
「そっか」
『白いリボン』とあえて言ったのは、フラクシナスの活動において、私は“司令官”としていつもおにーちゃんに無理難題を押し付けたり毒舌を吐いたりして、すっかり白いリボンの私をおにーちゃんに見せる機会が無くなっていたからだ。
「分かった。じゃあ当日は、琴里の誕生日会の前に、デートに行こう」
「うん。愛してるぞ、おにーちゃん‼」
夜も段々と更けてきて、寝る準備をする。
今さら言うまでもないけど、私はマインドセットをリボンごとに掛けていて、リボンを外した場合それまで括っていたリボンの性格が引き継がれるので、黒であれば黒、白であれば白という具合。
ベッドの中でおにーちゃんとのデートの事を想像してしまって、思わず胸が高鳴る。胸のあたりがぽかぽかして、おにーちゃんへの気持ちが溢れる。――体温が僅かに上昇するのを感じる。
「おにーちゃんとデート。楽しみだな……」
あれやこれやと乙女の妄想をしているうちに、いつのまにか眠りについていった。
翌朝。起床して、長い髪を丁寧に梳かして洗面などを済ませる。本当は制服に着替えてもいいのだけれど、いつも家事をしてくれているおにーちゃんのことを考えると汚したりしたくないので、やはりご飯前に着ることは出来ないのだ。
「おはよー、おにーちゃん」
「おはよう琴里。朝飯出来てるから先に食べていいぞ」
「ん、ありがとおにーちゃん」
お言葉に甘えて先に食べることにした。
ごはんに味噌汁。スクランブルエッグとハム。少量のサラダというラインナップ。さすがはおにーちゃん、ヘルシーなメニューを考えている。
お行儀悪くない程度に手早く食べて、食器を流しに戻す。
部屋に戻り制服に着替えて、最後にもう一度身だしなみに乱れが無いかチェック。念のため髪を梳かして、リボンで括る。
「おにーちゃん、私は先行くね」
「ああ、気をつけてな」
「はーい、行ってきますだぞー」
玄関を出ると、七月特有の蒸し暑さが襲ってくる。半袖を着ていてさえ暑いのでは、八月が思いやられて仕方がない……。
学校に着いて教室に入ると、友達がおはようと挨拶してくれる。それに返事すると、そのうちの一人の子が尋ねる。
「そういえば、琴里ちゃんもうすぐで誕生日だけど、どうするの?」
「うん。おにーちゃんが友達を呼んでパーティしてくれるって言ってたよー」
「いいなあ。琴里ちゃんのお兄さんって、確か料理が物凄い上手って聞いてるよ」
「まあね」
今度は別の子が質問する。
「それって私たちも行っていいのかな?」
「あー……ごめん。ちょっと特別な場所でするから。ごめんねー」
「そうなんだー。あっ、でもプレゼントは用意するからね」
「うん、ありがとー」
友達を呼べないのはとても申し訳ないが、精霊は一般人には秘匿存在であるため、無用な接触は避けるべきなのだ。こうして断ってもプレゼントを用意すると言ってくれる友達は大切にしないといけない。
中学校から帰ると、その日はフラクシナスでの仕事のため、司令官モードに変身する。
いつもの艦橋に入ると、そこにはクルーの面々が座り、職務に就いていた。それぞれに特異な過去を持つ彼らだが、仕事に対しての熱意は人何倍もあるので信頼できる部下である。
「そういえば司令、もうすぐ誕生日でしたね」
細身の金髪の副司令・神無月が話しかけてくる。
「そうね」
手元の書類に目を落としながら、そちらに視線を向けずに返事する。
つれない態度を取ったおかげか、彼は「司令に無視されるとは……ハアッ」とか喘ぎ声を上げている。気持ちが悪かったので、膝蹴りを一発お見舞いしてやる。
しばらくして元の状態に戻りやって来た神無月は、もう一度同じ質問をしてきた。
「司令の誕生日、もうすぐでしたね」
「ええ」
「司令は、今年で何歳に?」
クルーの一人≪ネイルノッカー≫椎崎が質問する。
「十五ね」
椎崎への返答になぜだか色めき立つ艦橋。何か変なことを言ったのか……少なくとも心当たりが無い。
その疑問に答えたのはやはり神無月だ。
「十五という、大人への階段を着実に登っているものの、未だ大人に成りきれない中途半端さ――つまり青春期のモラトリアム……‼」
「あーはいはい。皆祝ってくれてありがとう」
「当日はどんな風にお過ごしで?」
こう質問したのは≪シャチョサン≫幹本。
「ええ。精霊のみんなと士道とでパーティーをする予定――――あとは士道とデート……」
最後の方は恥ずかしくなって声が小さくなってしまった。
だが、幸いそれを聞いた者はいなかったようで、「パーティー羨ましい」「パーティーといえばやっぱりプレゼント交換ですね」「パーティー……そういえば出て行った妻たちはどうしているのか」などと各々パーティーへの思いを語っている。約一名全く方向性の違うことを言っていたが気にしたら負けだ。
フラクシナスから帰還し、お風呂に入る準備をする。
「士道、先にお風呂に入らせてもらうから」
「ああ、分かった。湯船に琴里の好きな入浴剤でお湯張っておいたから」
「ありがとう」
会話を終えて向かおうとした私を呼び止める士道。
「そういえば……髪を下ろしたお前も可愛いな」
「んなっ。い、いきなり何言ってるの?!」
「いや……。ほとんどリボンで括った琴里しか見てないから、そういうお前も可愛いなって」
士道は頬のあたりをぽりぽりとかきながら言う。
これが白いリボンの私だったら余裕で「ありがとうだぞー」とか言って受けられるのだろうけど、黒いリボンの私にはとてもじゃないけどそんな余裕は無い。
「――もうバカなこと言って。お風呂冷めないうちに入ってくるからね!」
湯船に浸かっていると、一日の体の疲れが溶けだしていくようで、何とも言えない気分に浸れる。
すると、先ほどの士道の思いがけない(褒め)言葉が思い出されて、頬が赤く染まったような気がした。
士道はいつもそうだ。それは精霊に対してもそう。自分の正直な気持ちを伝えることは、精霊保護という点で最も有効な手段ではあるけど……本当は、ちょっぴりもやもやするというか。士道がどの精霊に対しても言っていると考えただけで、ちょっぴり胸が痛いのだ。
でも、いざそれを言われると、途端に余裕を無くしてしまうあたり、いくらマインドセットで強がっていても――所詮は、中学生の年頃の女子に過ぎないのだなと自覚する。無邪気な私でも、それを言われて冷静でいられたかは甚だ疑問ではあるのだけど。
お風呂から上がって、私は何となく髪を白いリボンで括った。ただ、何となく。
「ねえ、おにーちゃん。ちょっとお話ししない?」
「ん、いいぞ。ちょっと待っててな」
洗い物をしていたらしいおにーちゃんは、手早く作業を終えて私の隣に座った。
「……私が小さい頃は、おにーちゃんの膝の上に座ってたよね」
「そうだな。俺が小学生で琴里が幼稚園くらいの頃だったか?」
「うん。その時も、こうしていっぱいお話ししたよね……それを思い出して、何だか久しぶりに、おにーちゃんと」
「なるほどね」
そう返事をして、頭を撫でてくれる。優しい妹想いのおにーちゃんの手のひらだ。温かい。
「それで。話したいことって何だ?」
それからいろんな思い出話や、お互いの学校でのこと、さらには精霊のこれからのこと――その中に、去年の夏出会った、金髪の女の子の事もあった。とにかく色々お話しした。
一通り他愛もない話をして、おにーちゃんにある提案をする。
「おにーちゃん、誕生日のデートの事なんだけどさ……今まで精霊のみんなと出会った場所を巡るのはどうかな?」
「良いと思うぞ、そうやって皆との思いでを振り返る機会無かったからな」
「じゃあそれで決まりだね!」
――ちなみに、その夜、デートのことで胸の中と頭の中がいっぱいになって、なかなか眠りにつけなかったのは言うまでもない。
そして、私の十五歳の誕生日の日がやって来る。
精霊のみんなと出会った場所を訪れるため、移動の時間などを考えると朝早くに出ようという話になっているのだ。
ちょっと眠気が残るなか、洗面をして髪を入念に梳かしていく。これからおにーちゃんとデートなのだ。身だしなみが整っていないと恥ずかしくて隣を歩けない。
女子としてのプライドを総動員して整えていき、そして唇にナチュラルに口紅を引く。あまり派手すぎてもいけないので、中学生にも似合うようなラメの入ったやつだ――実は、こういう日があるだろうと考えてこっそり買っておいたものだということは、おにーちゃんには内緒だ。
メイクや服装選びなどをしていると、あっという間に出発の一時間前になった。
おにーちゃんは先ほどからせっせと朝ご飯を作っている。その間に机を拭いておくなどしておく。できたら呼んでくれるとの事なので、自室に戻り、今日のデートのルート、持ち物を確認して、不備が無いことを確認。
リビングに行くと、ちょうど朝ご飯を作り終えたおにーちゃんに呼び止められる。
「琴里、悪いけどお皿とか運ぶの手伝ってくれないか」
「おっけー」
手早く食卓に料理を運び、いただきますして食べる。
気象予報によれば、今日は終日晴れらしく、気温も十度台後半と過ごしやすい一日になるらしい。
「どうやら晴れるみたいだな」
「だねー。気温も高すぎず低すぎずで、絶好のデート日和だね、おにーちゃん‼」
「妙に張り切ってるな。やっぱり……その、今日のデート楽しみか?」
「うん‼ だって、私の誕生日におにーちゃんとデート出来るんだよ? これ以上に嬉しいことってないぞー」
「そっか。琴里がそこまで楽しみにしてるなら、おにーちゃんもお前を楽しませられるように、精一杯頑張るからな」
二人で協力してお皿などを洗い、ほどなくして出発した。
最初に向かうのは、順番では十香との出会いの場所『来禅高校』だが、どこよりも最初に行きたい場所があった。
家から十五分ほどの、天宮市を一望できる展望台にやって来た。おにーちゃんは、ここが誰と出会った場所なのか理解できていなかったのか、首を傾げていたが、その答えが分かると強く唇を噛んだ……おにーちゃんにとっては、忘れられないであろうこの場所――
「――ここって、万由里と俺が初めて出会った場所……」
「そうだよ。フラクシナスからモニタリングしていたら、急に、あらぬ空間に話しかけるからどうしたのかって思ったんだぞ」
詳しい経緯は……私にとっても辛い出来事なので割愛させてもらうが、その後暴走した万由里の天使とその当時いた精霊――その頃に『七罪・折紙・二亜』たちはいなく、また『狂三』もいなかった――で天使を消滅させた。
しかし万由里は精霊の皆の霊力から編み出された存在で、天使の消滅とおにーちゃんと彼女のキスという二つの要因により、万由里は存在が抹消されてしまった。
彼女が消える直前、おにーちゃんは、万由里から「生まれた時から、ずっと愛していた」と言われたらしい。十香に支えられながらも、おにーちゃんはその場から動くことは無かった。
その後何とか帰宅しても、ずっと部屋にこもって、人知れず泣いていた。
私がおにーちゃんの部屋に入りそばに寄ると、ぎゅっと抱きしめた。でも私はそれを避けようとはしなかった。その時のおにーちゃんは、かけがえのないものを失って悲惨なくらい弱弱しくて、妹の私がいないと、今にもどこかに行ってしまいそうだったから……そっと背中に腕を回すと、私の胸の中で大声をあげて泣き叫んだ。その時叫んだ言葉は今でも鮮明に覚えている。
今この瞬間も、空の遠くを見つめながら「万由里……万由里……万由里」と呟いているのも、見ていて胸がぎゅっと締め付けられる。
そっと後ろから抱きしめてあげると、泣き叫んだりはしなかったけど、目元を拭い私のほうを向く。
「……ごめんな琴里。ちょっとその時の事思い出してた、心配かけたな」
「本当に大丈夫なの、おにーちゃん……」
おにーちゃんははにかみ、頭をわしわしと撫でてくる……んむぅ。せっかく整えた髪が……。でも、その感触さえ心地よく感じられて、成されるがままになる。気が紛れたのか、にかっと笑う。
「次行こうか、琴里」
「うん。次いこー‼」
次にやって来たのは、おにーちゃんたちが通う来禅高校。ここは十香や狂三たちと出会った場所だ。
十香はある時の空間震の直後に、狂三にいたってはおにーちゃんのクラスに転入してきた。
「十香と話してその後デートする約束したのも驚いたけど、同じクラスに転入してきた女の子がまさか精霊で、人殺しの精霊だって知った時も物凄く驚いたな」
「だねー。狂三と高校の屋上で戦ったとき、これは確かに『最悪の精霊』と呼ばれるだけあるなあと思ったもんね。私が砲(メギド)構えたら、おにーちゃんが狂三をかばったからびっくりしたんだよ? もし私の治癒能力が無かったら、おにーちゃんワンパンだよ?」
「う、ごめん……」
他愛も無い雑談をして、休日の学校に長居しても意味は無いので、次の場所へと向かうことにした。
お次は、四糸乃と出会った住宅街の隅にある神社。その日はちょうど雨が降っていて、四糸乃は一人で水たまりをぴちゃぴちゃして遊んでいたらしい。今日は打って変わって晴れ渡っていて、空には飛行機雲が一筋に浮かんでいる。
境内に設えられたベンチに座る。
「ちょうどこの神社を通りがかった時、だれか小さい子が一人で遊んでいるから、少し様子を見てみたんだよ。それが精霊の女の子だとは、最初は分からなかったけど」
「まあ、精霊って力を行使したり霊装を纏わなければ、普通の女の子だからね」
「あとは、手にはめたパペットがすごく喋るのが不思議でさ。一瞬腹話術でも使ってるのかって疑問に思ったな」
「その発想、おにーちゃんらしーね――貧困で」
「貧困で悪かったな……ったく」
ちょっぴり黒いリボンの私の口調でからかうと、おにーちゃんは唇を尖らせる。その姿が何だか、妹の私が思うのも変だけど、何だか可愛く思えて自然とおにーちゃんの方に頭を預けていた。
「……どうした琴里?」
「ちょっと眠くなって。ふぁ」
おにーちゃんが隣にいるという安心感からか、ぐっすりと寝ていて、一時間ほど後になっておにーちゃんに起こされた。夕方ごろには家でパーティーがあるので、その準備もしないといけない。
「とりあえず駅前まで戻って、どこかお店に入るか。暑いからそろそろクタクタだ」
「うん。さんせーい」
ということで、入ったお店は、私が前から気になっていた喫茶店だ。
噂によればランチのセットやデザートが充実しているとのことだ。中でもデザートのパンケーキは絶品のようで、生地はお店独自の作り方でふわふわ、掛けるハチミツもとても甘く、一口食べただけで天に上ってしまいそうな代物なのだそうだ。
いざそれがやって来ると、私のテンションはマックスになり、早速フォークで一口サイズに切り口に運ぶ。
「んんー、美味しいー!」
「琴里、リボンがぴょこぴょこしてるぞ」
おにーちゃんが言う通り、リボンを思わずぴょこぴょこさせてしまうほど、このパンケーキは絶品なのだ。
あまりにもはしゃぎすぎたのか、おにーちゃんが一口ほしいと言ってきたので一口運んであげる。
「うん。確かにこれは美味しいな」
「でしょー? 来て良かったー」
ご馳走様という事で、会計をするのだが、誕生日だからと言っておにーちゃんが全額払ってくれた。
「え、でも、そんなのおにーちゃんに悪いよ」
「何言ってるんだよ。今日は琴里の誕生日だろう? 可愛い妹に出してもらっちゃ、お兄ちゃんの名が廃れるからな」
引き下がろうとする私を、おにーちゃんは頭をわしわしと撫でてなだめる。その感触がどうしても気持ちよくて、それ以上反論することはできない。
その後は、美九・七罪・二亜・折紙と出会った場所を巡り、いよいよ帰るという頃合。
手を繋いでいると、恥ずかしさが何だかこみあげてきて、おにーちゃんの顔を見ることができなくなっていた。
「ちょっと待ってて」
「おう」
一旦立ち止まり、安全な事を確認して、髪を括りなおした。やはり白いリボンの私でも、まともにおにーちゃんを見られなくなることはあるのだと、我ながら苦笑いが漏れる。
「お待たせ、行きましょう」
手を繋ぎなおして再び歩き出す。数分歩いたところで、どちらからともなく、私から口を開く。
「今日はありがとうね。とても楽しかったわ。
やっぱり士道とお出かけしたり、一緒に何かするのって楽しいんだなって――それは幼いころから何となく分かってたけど、今になってもはっきりと分かるわ」
「……そっか。そう言ってもらえるなら、おにーちゃんを伊達にやってないこともないんだな」
恥ずかしそうに頬をかく士道だが、口元が緩んでいる。
「なに、士道。妹に褒められただけでそこまでにやつくなんて、どこかのライトノベルの無表情キャラも、もうちょっとクールでいるわね」
「うるせ。妹に褒められて嬉しくならないおにーちゃんなんて、この世のどこを探したっていないはずだ」
むきになって反論するおにーちゃんも、またとても愛おしく感じるのだ。
「……士道には感謝しているわ。幼いころから、か弱い私の面倒を見てくれて可愛がってくれて。
それで、リボンによって性格が変わるってことを知っても普通に接してくれて――あとは、白いリボンの私が色々手間を掛けさせてごめんなさい。自分で言うのもなんだけど、普段黒い方で気を張っている分、その……甘えたいんだと思うの。」
士道がちょっとだけ驚いた表情を見せると同時に――つま先立ちになり、士道の頬に唇を触れさせる。
目を開けて士道の様子を確認すると、目を見開いて、ただ私を見つめていた。不意の事態に思考が追い付いていない様子だ。
「琴里……?」
「――これが士道への、私の気持ち。これからも私のそばにいてね」
やっぱり、遠回しになってしまった……でも、今はそれを言うわけにはいかないのかも知れない。それを言ってしまうと、今まで通りの関係では居られなくなるかも分からないから……。
悶々としていると、士道が優しく抱きしめてくれた。おにーちゃんの腕の中。やっぱり落ち着く。
「ああ。そんなの分かってるよ。俺の大切な妹なんだから」
やっぱり私の意図しているところは分かっていないようだけど、それでも、おにーちゃんがそう言ってくれることが嬉しくて、私もそっと腕を回して、おにーちゃんのぬくもりを感じ取るのだ。
帰宅しリビングの扉を開けると、暗かった部屋が一瞬にして明かりを取り戻し、同時にクラッカーが鳴り響く。照明が一気に灯されたこともあり、目が慣れるまで数秒を要した。そこには精霊の皆がいて、一様にクラッカーを手にしていた。
突然の事に相当戸惑っているのだろう、おにーちゃんは私の頭を撫でてながら、笑顔で告げた。
「――琴里、十五歳の誕生日おめでとう。今年一年も、ラタトスクの司令官として――俺の妹として、元気にいてくれよな」
こんなに賑やかな誕生日は生まれて初めてかも知れない――と言っては言葉が過ぎるかも知れないけど、今までは家族でささやかに、それでいて楽しく誕生日を祝ってもらっていたけど……。
こんなにたくさんの人から、そうした温かい気持ちを受け取ったことはほとんど無かったから、私は思わず目に涙を浮かべてしまう。それを、おにーちゃんが優しく拭ってくれた。
ちょっと気持ちが落ち着いてきた私は、まず精霊の皆のほうを向く。
「……みんなのおかげで、過去に類を見ない楽しいお誕生日パーティーになりそう。ありがとうね」
「どうしようもなくなった私を助けてくれた琴里のためだ。それくらいしないと、受けた恩を返せぬ」
実に十香らしい考え方だ。でもそう思ってくれるならば、司令官として職務を全うする事に意義は十分見いだせるのかも知れない。
「琴里さんは……一人で遊んでいた私を、温かく迎えてくれました。そ、それに……喋るのが苦手な私を優しく相手してくれました。琴里さんは、『よしのん』と士道さんの次に大切な人です――ヒーローです」
当時、四糸乃は一人寂しく神社の片隅で、水遊びをしていた。直接保護に向かったのはおにーちゃんだったけど……でも、彼女がそう言ってくれるなら、素直に受け取るべきなのだ。
と、その時。フローリングから、恐らく狂三の分身体と思われる姿が現れる。何事かと身構える皆だが、一つの紙を渡し、ドレスの裾をつまんで一礼すると、影の中に消えていった。
『琴里さん。
お誕生日おめでとうごさいます。
普段わたくしとあなたは敵対する位置にいます。ですが、“敵に塩を送る”という意味で、今回このようなお手紙を書くことにいたしました。
琴里さん、次にお会いする時を楽しみしていてくださいませ』
頬を汗が伝う。一体これはどのように捉えれば良いのだろう……。まさか新たな宣戦布告なのか。とりあえずこの手紙の事は隅に置いておく。
流れから、次は耶倶矢と夕弦が一言を述べる。
「琴里、その、ありがとね。あの時、士道と十香が止めてくれて、琴里のところに保護されてなければ、今も私たちは延々と不毛な争いをしてたと思う。だから本当に琴里には感謝してるんだ。ありがとう」
「感謝。琴里には感謝してもしきれません。いつもいさかいをしてばかりいる私たちを、快く迎えてくれたことは、一生心に留めておきます。ありがとうございます」
或美島への修学旅行中に出会った彼女たち。どちらが『八舞』に相応しいかで勝負をしていた。しかし、本当はお互いをどうしようもなく愛しているのだ。その一途な愛情表現を、私も見習いたいのだけど……別に“誰に対して”とは言わないけどね。
「琴里さんには本当に感謝していますよー。今思えば、男の人が苦手な私に、あえてだーりんをスポークスマンに抜擢するなんて大胆ですね。
でもその荒療治のおかげで、だーりんというかけがえのない男性ができましたし。ということで琴里さん、だーりんをください!」
「おにーちゃんは誰にも渡さないもんっ!」
美九の唐突なプロポーズに反応してしまい、皆の視線が集まる。隣を向くと、おにーちゃんがびっくりした表情をしていた。頬が紅潮するのを感じ、こほんと咳払いをして次を促す。
「琴里。あんたには感謝してる。ネガティブな考えしかできない、正直言ってクズな私に、根気よく接してくれてさ。そのおかげで、今では心なしか霊力の逆流も収まってる気がする。ありがと」
他人が掛けてくれる言葉一つ一つを消極的に捉えてしまう彼女。最初は確かに対処しづらかったけど、素の自分に自信が持てないというのは、“白いリボンの自分=弱い”という意識を持つ私もとても共感できるのだ。
「琴里、あなたには感謝している。最初は、六年前に私の両親を殺した精霊が、イフリートであるあなただと勘違いしていた。思えば、あなたにとてつもない苦しみを与えてしまった。本当に申し訳ない」
「いいんだよ! 折紙がそうやって分かってくれただけで、私はいいから!」
折紙が頭を深々と下げるものだから、私は慌てて否定する。
確かにその張本人として扱われたのは不服だったけど、その疑いが晴れてほっとしているのもそうだけれど、真の理由を彼女が認識できて安堵しているのもまた事実なのだ。
最後は二亜。銀色の毛先をいじりながら、どこか恥ずかしさを堪えているような感じだ。
「……にゃはは。私の番か。
私がDEMに、反転した霊力を完全に吸い取られそうになった時の君の対処は、今でも素晴らしいと思っているよ。まあ、少年が何度も情熱的に呼びかけてくれたシーンは、今後の漫画のネタに生かしたいところだけどね」
「ちょっ、二亜。それだけはやめてくれ! めっちゃ恥ずかしいんだからなあれ!」
「あははは。分かってるよ」
からからと笑う二亜。
数年前。DEMに重要資料として監禁され、言葉にするのも憚られるような拷問を受け、心に傷を負い、二次元の恋愛に生きる少女――もとい、アラサー前の女性。
DEMの策略により、二亜の反転した際の天使――『神蝕篇帙(ベルゼバブ)』をほぼ完全に奪われてしまったものの、わずかに残った霊力を封印して、生還することが出来た。奇跡としかいいようがない。
皆が一言を述べ、最後はおにーちゃんが私の瞳をしっかりと見据える。
「俺は、幼い頃に両親に捨てられて、お前の家に来た。遥子さんと竜雄さんには、頭が下がる。それに、血が繋がっていないのにお兄ちゃんって慕ってくれている琴里にも、とても感謝してる。大好きだぞ、琴里」
頭を優しく撫でてくれる。その手つきは昔から何も変わっていない。
おにーちゃんの胸の中でひとしきり泣いてしまい、涙を拭う。私は、万感の思いを込めておにーちゃんに言った。
「愛してるぞっ、おにーちゃん!」
かけがえのないおにーちゃん
十六歳の誕生日を迎えてから、早くも二週間程が経過した。
一昨年、去年に引き続き、精霊の皆や令音を始めとしたラタトスクのメンバーも参加しての楽しい誕生パーティーが開かれた。
最初は皆の都合がつかないだろうからと、集めるのをやんわりと断っていたのだけれど、皆が”私のため”と言ってくれて嬉しかったし、その好意に甘える事にした。
流石に、私が十四歳の誕生日に経験した、いきなり停電に陥るなんてことは無く、つつがなくパーティーは進んでいった。相変わらず十香は食欲が凄まじくおにーちゃんに止められていた。
四糸乃はおにーちゃんと遊んでとても楽しそうだったな。
ラタトスクに保護されてから三年、彼女も随分と大人びてきて、感情の起伏が明らかになってきた気がする。当時は小声で呟くのが精いっぱいで極度の人見知りだった四糸乃。だけど、今となっては自分の意見をきっぱり言うようになり、周りの皆を驚かせている。
以前四糸乃にそれとなく心境の変化を尋ねてみたところ、
「……士道さんのおかげです。私がなかなか周りの人たちとおしゃべり出来なくても、士道さんは優しく話しかけてくれました。
――生まれたてのひよこは、最初に見たものを”親”と捉えるそうです。私にとっての”親”は士道さんなんですよ? それ以来、優しく接してくれる士道さんの事が大好きですし、ちょっと男の子として意識しています……」
四糸乃は頬を熟れたりんごをも凌ぐ程に染める。
「やっぱりおにーちゃんの事が好き?」
「はい……私にとっては、士道さんは良きお兄さんであり、異性として気にしている人なんです。ねえ、よしのん?」
「そうだねー。今も昔も四糸乃は士道くんにべた惚れだからさ」
「ちょっとよしのん……」
四糸乃がいよいよ顔を手で覆う。本人にとっては相当敏感な話らしい。
よしのんの表情は、パペットなので分からないが、これが人間であれば多分に意地悪な表情をしているに違いなかった。
少し胸の内にもやもやとしたものを感じ、そっと手のひらをあてる。トクン――トクンーートクン――トクン……と規則正しく拍動している。
「……琴里さん? どうかしたましたか?」
「ふえっ?! いやいやいや、何でもないぞー。ちょっと考え事をしててね」
「それだと良いんですけど……」
四糸乃が見るからに心配そうな顔をしているので、そっと頭を撫でてあげる。
もやもやとした気持ちが軽くなってほっと一息を吐いたのもつかの間、四糸乃が某剛速球投手も青ざめるほどの球を投げる。
「————琴里さんは、士道さんの事が好きなんですか?」
「おにーちゃん?! おにーちゃんと私は義理とはいえ兄妹で、恋愛感情なんて湧かないぞー……」
「でもさでもさ。前に真那ちゃんから聞いた話なんだけど、琴里ちゃんが真那ちゃんとけんかした時、「実妹じゃ結婚だって出来ない」って言ったらしいじゃん?」
「それは違うの‼ ただ、真那があまりにもとんちんかんな事をいうから、事実を言っただけだよ!」
「それでもさー。士道くんの事を本気で好きになっていなかったら、別の言葉を言ってたんじゃないかなって、よしのんは思うわけよ?」
余計な事を吹聴した真那には後でたっぷり説教しておくとして、このままだとあれやこれを話す事になりそうなので、渋々降参する事にした。
「……そうだよ。私はおにーちゃんの事が大好きで、将来”結婚したい”って思ってるの‼」
やけっぱちになって事実を告げると、よしのんが「わぁーお、琴里ちゃんダイターン」、四糸乃に至っては口をぱくぱくさせて言葉を発せずにいた。
その後、小二時間ほど、おにーちゃんのどんなところが好きなのかなど、沢山話して聞かされたのだった。
その日の夕食。この日は久しぶりに一家揃って食卓を囲む事が出来る。
ルンルンで料理の盛り付けられたお皿を運んでいると、おとーさんが新聞紙から顔を上げて言う。
「琴里、上機嫌だな」
「そーお? 別に普通だと思うけどなー」
するとキッチンでおかーさんのお手伝いをしていたおにーちゃんが重ねる。
「リボンがぴょこぴょこ動いてる」
「……あ。確かに」
「何か良い事でもあったの、ことちゃん?」
「んーん。内緒」
そうして和やかに雑談を交わしながら全ての食器を運び終えて、皆でいただきますを言う。しばらくお箸を進めていると、最初に口を開いたのはおとーさんだ。
「琴里は今年で何歳だ?」
「もー、実の娘の年齢忘れたの? 今年で十六だぞー」
「そうか。月日の流れるのは早いものだな――――あれだけ小さくて、しょっちゅうお父さんと言って慕ってくれていた頃が懐かしいなあ……」
「おにーちゃん、黒いリボン取ってくれる?」
「だぁ、待つんだ娘よ‼ あれを聞かされたら、無邪気な琴里の姿とミスマッチして、三時間くらいは再起不能になるんだ……」
「全くもう。おとーさんの親バカなところは昔っから治らないよねー。物心ついた頃から分かってるぞー?」
「嘘だ……」
おとーさんが余計な事を言って、私がそれをおさめる。いつもの光景に、おにーちゃんやおかーさんが苦笑いを浮かべている。
その後、夕食は私の昔話に花が咲いて、終始楽しく進んでいった。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「おにーちゃん、ただいま~」
「おう、お帰り」
玄関からただいまを言うと、おにーちゃんの声がリビングの方から聞こえる。
おかーさんとおとーさんが海外出張から帰ってきた今でも、おかーさんたちの都合がつかない時は、こうしておにーちゃんが食事を作っている。両親は、日本に帰ってきても日本の本社での仕事があるので、忙しさという面でいえば、以前とほとんど変わりが無いと言っていた。勤めている所が、ラタトスクなどに顕現装置(リアライザ)を納品している組織という事も深く関わっているのだけれど。
部屋で着替えなどを済ませ、髪を結わえていたリボンを解く。家では基本的にリボンは外すのが習慣となっている。結んでも良いけど、おにーちゃんが「髪を解いた琴里も可愛い」と言ってくれたので、それ以来日常化している。
ちなみに、その時は黒いリボンの方だったので、私は相当罵詈雑言を浴びせてしまった……。
リビングのソファでお気に入りの雑誌を読んでいると、ひと段落したのか、おにーちゃんがやって来た。私をまじまじと見つめた後、
「やっぱり、琴里の髪を結んでいない時の姿も可愛いな」
「もぉ。それは前にも聞いたぞー?」
「最近、また黒い方でいる事が多かったしから。それに、髪を解いている時も黒い方の性格だったから、白いリボンの性格でその姿だと何だか新鮮」
「仕方ないじゃん。ラタトスクでのお仕事が片付かなかったり、黒い方で集中したい時もあって……もちろん、白い方でおにーちゃんに甘えたいって思ったこともいーっぱいあったよー?」
私は知らず知らずのうちに頬を膨らませて、おにーちゃんを見る。私の表情をどういう風に捉えたのか、おにーちゃんはぽりぽりと頬をかき、どこか照れくさそうに口にした。
「……そっか。甘えたかったらいつでもいいからな?」
「はーい! 愛してるぞっ、おにーちゃんっ!」
お決まりのセリフを元気よく言うと、おにーちゃんは分かりやすくうろたえる。今では高校生の私がこれを言うせいなのか、おにーちゃんはいつも取り乱すのだ。
「琴里が俺の事を好きなのは十分分かってるから!」
「——私が言ってるのはそういう意味じゃ無いんだけどな」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん。何でもないぞー。それより、そろそろお料理に戻った方がいいんじゃない?」
「お、そうだな」
そう言い残して、おにーちゃんはキッチンに戻って行く。
おにーちゃんが料理を再開したのを見届けて、私はソファに身体を投げる。『ぼふっ』という音が立つ。
私だって中学生の頃に言っていた”愛してる”の中に、そうした気持ちを含ませているなんてこれっぽっちも意識していなかった。だけど、高校生になった今、同じ”愛してる”を言う時でも、如実に私の気持ちが変化している事に、薄々気づいていた。
ぎゅぅとクッションを抱き寄せる。それと同時に胸が締め付けられるような感覚に気づく。きっとこの感情をどこにも吐き出せないもやもや感がそうさせているのだろう。
日本の法律では近親者の婚姻——要するに兄妹などの婚約が禁止されている。しかしそれは、あくまで”戸籍上、血縁関係がある”人に限った話だ。
しかし、五河家に引き取られたおにーちゃんと私との間には、戸籍上の血縁関係は存在しない。つまり婚姻は可能だという事だ。この事を知ったのは中学三年生の時だ。
実は、この事を知った時、おかーさんに私の気持ちを打ち明けている。その時は私が中学生という事もあり、「よく考えてみなさい」としか言われなかった。
色々と考えていると、ますますもやもやとした胸のうちのしこりは拭えなくなってきた。そうして悶々と考えていると、おにーちゃんが私に「夕飯出来たぞ!」と声を掛けた。
おかーさんとおとーさんが帰って来たのは午後十時を過ぎたあたりだ。
「おかえりなさいー、おかーさん、おとーさん!」
「ただいまことちゃん。寝なくていいの?」
「んーとね、実はおかーさんとちょっとお話ししたいことがあって……」
「そっか。ご飯食べてからでも良いかしら?」
「うん。お願いね」
「相談か? 何かあるのか?」
「お父さんには関係無いの」
「そう。乙女の秘密だぞー」
「そうか……妻に続いて娘にも愛想を尽かされたのか私は」
おとーさんが目に見えて落ち込む。それを見かねて、おとーさんの頭を軽く撫でてあげた。これをしてあげるとおとーさんは元気になるのだ。私が小さいころからそう。
「いつもお仕事お疲れさま、おとーさん」
「——ああ、ありがとう。琴里」
不意の感謝の言葉に驚きを隠せずに、目じりに涙を浮かべるおとーさん。
普段あまり言えない事を伝えたおかげで恥ずかしくなってしまった私は、足早に自分の部屋に戻る。そして、なぜかおにーちゃんを想像してしまって、余計にドキドキは抑えられなくなっていった。
およそ一時間後。おかーさんがご飯を食べ終わったらしいので、早速おかーさんとおとーさんの寝室にお邪魔する。おとーさんは書斎で作業をしているとおかーさんが教えてくれた。
おかーさんの隣——ベッドに腰を落ち着けると、おかーさんが優しさに満ちた表情で尋ねる。
「それで。ことちゃんの相談したい事って、もしかしてしーくんの事?」
「……うん」
「そっか。それくらいしーくんの事が大好きなんだ。確かにしーくん、料理も出来るし、優しいし。ことちゃんの理想の男性像よね」
「私だって、最初からおにーちゃんの事を”異性として好きだぞー”とか思ってなかったよ? でも、ラタトスクの任務の中でおにーちゃんと関わっていくうちに、普段とは違うおにーちゃんの姿を見るようになって……それで、妹としておにーちゃんを好きな気持ちが、いつの間にか……」
おかーさんが私の頭を優しく撫でてくれて、髪を手でそっと梳かしてくれる。安心感を覚えて、おかーさんにもたれかかる。今日ばかりはおかーさんに甘えていたい。
「——ことちゃんのその気持ちはとても尊いものだと思うし、素敵な事だと思うわ。でも、世の中の結婚というのはとても難しい。結婚してからもいろんな困難が待っているの。今はそれを言わないでおくけど、そのうちことちゃんも実感すると思う。
結婚するという事には『責任』が伴うの。ただおにーちゃんの事が大好きというだけではダメ。一生を掛けてその人を支えて守ってあげたいーーそういう覚悟をしないと、到底夫婦生活は営めない」
おかーさんは真剣な眼差しで、でも怒った表情や声音では無く、言い聞かせるように言葉を紡いでいく。過去のおかーさんの経験が身に沁みて分かるような気がした。おかーさんとおとーさんだって、境遇こそ違えど、結婚する時に同じ道を辿っているのだ。
「……私、もう少し考えてみる。色んな事」
「そうね。ことちゃんはまだ高校一年生だし、時間はたっぷりあるわ。その間に他の素敵な人が見つかるかも知れない」
「おにーちゃん以外に素敵な人なんていないもん」
拗ねたように返事をすると、「そうね」とおかーさんは微笑み、昔してくれたような手つきで頭を撫でてくれる。それがきっかけとなり、私は眠りに落ちていった。
翌日。目のあたりが妙にごろごろする感覚で目が覚める。そういえば、昨日の夜遅くにおかーさんに悩みを聞いてもらっていたんだ。これは、もしかしたら、その後に無自覚に泣いてしまった事が原因なのかも知れない。
今日は日曜日だ。学校の課題は大方片付いているから、今日は羽を休める事ができそうだな。
洗面所で顔を洗い、髪を丁寧に梳かしていく。私が幼稚園から小学校中学年にかけては、長い髪のお手入れに慣れなくて、おかーさんやおにーちゃんにしてもらっていたのを思い出して、どことなく懐かしい気持ちになる。
部屋で着替えを済ませてからリビングに入る。日曜日の早朝という事もあり、まだ誰もいなかった。普段は五時起きの両親ですら、この曜日に限っては、起きるのは七時半くらいだ。
ソファに腰掛ける。本当は見たい番組があるのだけれど、まだ六時だ。こんな時間にテレビを点けたら迷惑になってしまう。だから、あらかじめ録画予約をセットしてあるのだ。
ぼーっとしていると、おにーちゃんのはにかんだ笑顔とともに、昔一緒に遊んだ記憶が思い起こされる。その一つがどれも宝物で、私にはかけがえのない、おにーちゃんとの繋がりを示す大切な想いで……。
「って、私ってば何言ってるのかな!!」
その気持ちに真正面から向き合おうとすると、思春期の一人の女子には刺激が強いみたいだ。心臓のドキドキが止まらない。
電源の点いていないテレビの画面に、自分の姿が映り込んでいる。天宮市を巻き込んだ火災の頃より、一段と大人びた顔立ち、中学生より少し伸ばした長い髪。胸は……成長していると、思うな……。
中学生の頃も男の子から想いを告げられる機会は多くて、それは高校に入学しても変わりは無かった。入学式でクラスメイトに告白されたのを皮切りに、男子からの告白は後を絶たなかった。最初はやんわりと断っていたのだけれど、段々と相手も粘るようになって来て、一時期は仲の良いお友達に助けてもらった事もあった。
断る時、もちろん「おにーちゃんの事が異性として好き」とは言えないし誤解を招くので、「将来を考えている男性がいる」と告げた途端、男子からの告白はぴたりと止んだ。
色々な事を考えていると、私は、少しは成長できたのかなと実感する。
でも、私の中で”白いリボンは弱い私”という考え方は変わっていない。
おにーちゃんには迷惑を掛けてばかりだし甘えてばかりで。おかーさんやおとーさんには、ちょっと子供っぽい仕草で関わっているし……いくら”無邪気で快活な自分”でも、いつまでも誰かに頼っていられないと、心の奥で焦りを感じているのだ。それは白黒に関わらず、私自身が成長する事にも関係する事。
おにーちゃんと幸せな未来を築くため——おにーちゃんの隣に立てるようになるためには、私にはやるべき事が沢山ある事を痛感した。
「……でも。成長するって、どうすればいいのだー……」
そういう一つ一つの言葉選びもでしょ?、ともう一人の自分が問いかける。
「確かにそうだね」
どこかの自分に相槌を打つと、急に心細くなってクッションを抱きしめる。やはり、胸が締め付けられるような感覚が襲う。
「おにーちゃんの事は大好き。いっつも遊んでもらって、甘えさせてもらって……楽しい事もいーっぱいしてきたぞー————」
ふと、頬を涙が伝うのを感じて、それを指でそっと拭う。とても温かくて、それが何故だか無性に心地良い。
クッションに顔を埋めて人知れず泣いていると、どれくらい経ったのだろうか、そばに人の気配を感じる。誰かと思って顔を上げると、心配そうに私の顔をのぞきこむおにーちゃんがいた。
「琴里……? どうしたんだ?」
「おにーちゃん……」
「琴里が早起きしてたからびっくりしてさ。そしたら何だかすすり泣く声が聞こえたから……」
「……聞いてた?」
「あ、ああ。ごめんな」
「ううん、おにーちゃんは何も悪くないぞー……おにーちゃん、ちょっと隣に座ってくれる?」
「いいけど」
私の様子がおかしい事を気にしつつといった様子で、おにーちゃんが隣に腰を下ろす。若干隙間が空いているのを詰めて、ゼロ距離で密着。
おにーちゃんの肩に頭を預ける。
「琴里?」
「——何だかおにーちゃんに甘えたくなって。最近悩みがあって、その事で頭がいっぱいになって、もやもやするんだー」
「そっか……琴里自身の事だからおにーちゃんは何も聞かないけどさ。とことん悩めば良いと思う。こういう言い方は語弊を含むかも知れないけど、悩んだ分だけ良い結果が待ってるんじゃないかって思う。
もしそれでも、どうしてもだめだったら、おにーちゃんでもいいし、それか母さんとか父さんに相談してな」
「……もしもその時が来たら、おにーちゃんの所に真っ先に行くぞー」
「おう」
おにーちゃんは私の頭を優しく撫でてくれる。それで、体をそっと抱き寄せて来る。一瞬びくっと反応してしまったけれど、体の力を抜いて身をゆだねた。
「おにーちゃんも、妹に大胆な事するねぇ」
「んな……! ただ、妹の気持ちを落ち着かせようとしただけだからな」
「ふふっ。ありがとう——愛してるぞっ、おにーちゃん」
————そっとキスをした。
どうしても恥ずかしくなってきて、その後は逃げるようにリビングを離れた。おにーちゃんとのキスなんて、中学生の時、私の霊力を封印して以来だった。
あの時は切羽詰まってたから、おにーちゃんとキスする事への恥ずかしさしか無かったけど、今回はまるで違う。しっかりとキスしたおかげで、おにーちゃんのドキドキとかが伝わってくるようで、妹として、それが何だか嬉しい。
朝ご飯を食べるときはさすがに話すらまともに出来なくて、私がお出かけする時まで続く。
「出かけるのか? 気を付けてな。帰る時はメールくれな」
「りょーかいだぞー! 行ってきまーす!」
びしっと手を挙げて玄関を出て行こうとする私を呼び止めるおにーちゃん。
「なあに、おにーちゃん?」
「……さっきの事は、母さんや父さんには秘密だからな?」
おにーちゃんは頬をかき、切実に訴える。確かに両親にバレたらマズイかも知れない。
特におとーさんの場合、家族といえども、容赦はしないだろう。昔から、私に対して親バカなところがあるからなぁ……一人娘だから仕方ないのかも知れないな。
ともかく、これでおにーちゃんの弱みを一つ握れたと、黒いリボンの私も真っ青な事を考え、
「うん。おにーちゃんと私の間の秘密だぞー」
そうして玄関を出る。
今日は、中学のお友達とショッピングをする予定だ。お昼には、最近出店した、パスタが絶妙と評判のお店でお昼を食べる。そうした今日の予定もさることながら、中学のお友達と久しぶりに会えるので、ワクワクと胸の高鳴りが止まらない。
集合場所のこの駅は、大手私鉄と全国区の鉄道会社が乗り入れるだけあり、往来する人の数が半端なく多い。
加え、駅前には多くのデパートなどが立ち並び、私達のようにショッピング目的で訪れる人も少なくない。
というわけで、とあるデパートの待合スペースで待っていると、お友達の一人、未來ちゃんがやって来た。
彼女はクラス委員を三年間勤め、成績も優秀。名実ともに優良な生徒と評されていた。気さくな人柄でクラスの人望を集め、特に行事関係でその才能を如何なく才能を発揮した子だ。
「ことりゃーん、久しぶり~‼」
「久しぶりだね未來ちゃん‼ 会いたかったよぉ」
「私の方こそ、ことちゃんと離れ離れになったら、もう会えないんじゃないかって思ってさ。夜も眠れなくなった事も……」
「そんなに?! でも、それだけ私の事を大事に思ってくれてるんだよね。ありがとう‼」
ひとしきり再会を喜び合っていると、未来ちゃんが意地悪な色を瞳に映し、
「そういえばさ、お兄さんとはどんな感じ? やっぱりいちゃついてるの?」
「んな!? 普通に兄妹なんだから、そんな道徳的にまずい事はしてないし、しないよー?」
「とか言ってさ。中学校の頃に『おにーちゃんと将来結婚したい』なんて言ってたくせに~」
「んぎゃああああぁぁぁぁ‼ それは忘れてよぉ……所詮は中学生の妄想なの——そう、少女漫画的な」
「仮にそうだとしたら、漫画の読み過ぎね……」
未来ちゃんがげんなりした様子で言う。こういう風にごまかしでもしないと、いよいよ私の立場が危うくなる。
彼女は、すぐに元の悪戯っぽい表情を取り戻して、さらに追及してくる。
「ちなみにお兄さんのお名前は?」
「士道だよー」
「ありがとう。ことりゃんと士道さんは義理の兄妹だから、法律上では結婚できるのは、私もことりゃんも知ってる」
未來ちゃんは一旦深呼吸してから言葉を続ける。
「————どこかで聞いた話なんだけどさ。」
血縁のある家族————兄妹姉弟ってさ、恋愛感情を持つことが無いらしいんだ。その詳細を説明するには、専門的な知識が必要だから省くけど。
だから、要するに、ことりゃんが士道さんに恋するのはある意味当然の事なのかも知れない」
「……おにーちゃんは、物心付いた時に私の家に引き取られてきてね。
最初は————今思えば————人に対して過敏になってる部分があったと思う。
でも、私が幼稚園に入ったくらいから、一緒に遊んでくれるようになって。その時から、私は”おにーちゃん”って呼ぶようになったって覚えてる。
それ以来、私とおにーちゃんは、おかーさんたちに仲の良い兄妹って言われるようになったんだー」
「なるほどね……つまり、その頃から士道さんを『異性』として好きになる下地は出来ていたと」
「むぅ! 話は最後まで聞いて‼」
「へいへい」
ひらひらと手を振って応える未來ちゃん。
「全くもう……でも、中学生になってからね。おにーちゃんをより身近に感じるようになったんだ。
それまでは兄妹だったのは、”ずっとそばにいて欲しい人”みたいな……でさ、それと同時に、おにーちゃんと結婚したいなって思ったの」
「その事はさ……ご両親には相談した?」
「おかーさんには、実は、中学二年生の時にしてあるんだ。”ゆっくり考えなさい”って」
「――――優しくて良いお母さまだね。ことりゃんの想いを頭ごなしに否定しなくて」
「うん。おかーさんは、そういう意味でも、憧れの人で理想の女性像」
すっかり未来ちゃんと話し込んでいるけど、集合時間の三十分前。他の子達が来る様子も無いので、未来ちゃんとさらに雑談に花を咲かせる。
そして十分前になったところで、他の子達が、待ち合わせをしていたのだろうか、一気にやって来る。挨拶などを済ませたところで、早速デパートに足を踏み入れる事にした。
午前中は、流行の服やアクセサリー・化粧品などを見て回り気に入った物を購入する形で、時間はあっという間に過ぎる。
そして、お昼は、今話題沸騰中のパスタが美味しいお店だ。内装は木をふんだんに使ったログハウスを思わせるつくり、天井にはシーリングファンが取り付けられており、雰囲気作りに凝った印象を受ける。
「結構雰囲気良いお店だぞー」
「だね。客層は大体若い人が多いみたいね。カップルで来照る人もいるよことりゃん」
「ふえ?」
未來ちゃんに言われた周りを見渡すと、確かに数組のカップルの姿が散見される。しかし、それがどうしたと言うのだろう……いや。私は彼女の言いたい事が分かった気がして、彼女を睨む。
「……もう。余計なお世話だぞー? 別に、私は誰かと来たいとか、そんな事思ってないもん」
「え、何々。琴里ちゃん、行く相手でもいるの?」
「誰?」
「皆まで。だからこの話は嫌なのに――」
――出来れば私の心の中だけに留めておきたい、大切な事なのに。他の子に知れ渡ると、何だかおにーちゃんとの大切な想いに土足で踏み入れられるような感じがして、胸の中がもやもやするのは確かだ。
「そんな相手なんていたら、私だってどんなに良い事かって思うよー」
「ええぇ。だって琴里ちゃん、中学の頃、男子に何度も告白されてたじゃない。その中にお眼鏡に適う人はいなかったの?」
「うん。その頃には、とっくに好きな人がいてね……」
急に色めき立つお友達たち。本当に女の子って、恋バナになるとテンションが高くなってしまう性にあるみたいだね……その様子に心の中でため息を吐く。ここまで来てしまったんだ。ちょっとは話題を提供しておこう。これから先相談する時に楽かも知れないし。
「その好きな人ね――年上なんだ」
「マジで?! 何歳?」
「20だぞー」
「ということは大学生って事か。琴里ちゃんって、案外年上が好みなんだね~」
その後もお友達による私の好きな人についても質問が止むところを知らず、かれこれ二時間ほどたっぷり話して聞かされた。
家にやっとの思いで帰り着くと、玄関先でおにーちゃんが遠くの夕焼け空を見ながら立っていた。
「おにーちゃんお帰り! まさか鍵忘れたの?」
「ああ。持って出かけたと思ったんだけど、実は忘れててな」
「もしフラクシナスに連絡してくれれば、神無月とか令音に取りに行ってもらう事も出来たんだぞー?」
「まあ、それは迷惑掛かるからな」
鍵を開ける。靴を脱ぎ、洗面所で手を洗い、自室で着替えを済ませてからリビングに行く。
ソファに座るとおにーちゃんがジュースを持ってきてくれた。半分ほどまで飲む。火照った体に染み渡るこの冷たさがとても心地良い。
「今日のお出かけはどうだった?」
「うん。お昼ご飯は、最近出来たパスタのお店に行ってきたんだけど、ここがとても美味しくてね‼ 今度、おにーちゃんも一緒に行こうよ!」
「そうだな。琴里とお出かけ出来るなら、それも良いかもな」
「約束だぞー?」
「ああ、約束だ」
そして今更ながら、おにーちゃんと”デート”の約束をした事に気が付き、頬が火照るのを自覚した。
「琴里、顔が赤いけど、どうした?」
「ううん! 何でもない!」
おにーちゃんは私の様子を不思議がりながらもリビングを出て行く。
さっきお友達と話した時の余韻が色濃く残っていた。もしかしなくても、完全におにーちゃんのことを意識しちゃってる。
ソファの上で体育座りになり、ぎゅっとクッションを抱きかかえる。この時も、やはり、胸が締め付けられるような感覚に襲われるのは変わり無かった。だけど、その強さが上がっている気がして、よりおにーちゃんへの愛情は深まっていく一方だ。
夕食後。お風呂に入り、ソファで録画した番組を観ている時の事。おにーちゃんが隣に腰かける。
「どうしたのおにーちゃん?」
「……いや。ただ、夕方帰って来た琴里が疲れたような顔してたからさ。ちょっと気になったんだ」
「そっか……愚痴聞いてくれる?」
「もちろん」
ありがとうと、小さく呟き、おにーちゃんに体を預ける。おにーちゃんが頭をそっと、優しく撫でてくれる。いつも変わらないこの手つき。
私はとにかく色々な悩みをおにーちゃんに打ち明けた――もちろん、結婚したい云々は抜かしているけれど、八割程話すことが出来たと思う。
すべて話し終わったところで、おにーちゃんが微笑む。
「—————————そっか。琴里も女の子なんだな。昔は無邪気でそつなく人間関係を築いているとばかり思ってたけれど、ちゃんと悩んで、そのたびに答えを出して……琴里も立派になったんだな」
おにーちゃんの頬を涙が伝うのを、私は見逃さなかった。
「どうして泣くのだー? 大丈夫、おにーちゃん……?」
「……ああ。ただ、昔は母さんや父さんの後ろに隠れてて、引っ込み事案で。”白いリボンは弱い自分”って言ってて。結構心配だったんだよ、俺。ちゃんと琴里がしっかりとした女性になれるか――でも、繊細でコンプレックスを抱えてても、そうやって前向きに物事を捉えられるようになったんだから、琴里は、人一倍素敵な女性だよ」
「おにーちゃん……」
「だからさ。もしかしたら、今でも”白いリボンの私は————”なんて思ってるかも知れないけど、全然そんな事無いぞ。
むしろ、白いリボンのお前も、もちろん黒いリボンのお前も、どんな風なお前でも、おにーちゃんは大好きだぞ、琴里」
心の中の靄が急速に晴れていくような気がした。
八年前の天宮市を襲った大火災の日――私の誕生日、おにーちゃんは私に黒いリボンを渡して、こう言ってくれた。
”ん……やっぱ俺、笑ってる琴里の方が好きだぞ”(注1)
”ほんとう……?”(注2)
”ああ。――だから、兄ちゃんと約束できるか? 最初は……それを着けてる間だけでいい。それを着けてるときは、琴里は……強い子だ”(注3)
この時から私は、強い自分である事を意識して生活するようになり、やがて、白いリボンの私に対して極度のコンプレックスを抱えるようになったのは言うまでもない。
それ以来、弱い自分をどう受け入れて良いのか沢山悩んできたけれど……その答えをおにーちゃんがくれた。
『どんな風なお前でも、おにーちゃんは大好き』————————気づくと、私は声を上げて泣いていた。なりふり構わず、感情に流されるまま、ただ、ひたすらに。心の中のつまりが溶け落ちて、一気に肩の荷が下ろせた気がした。私は安堵感を覚えた。
こんなにか弱くて繊細な妹を、優しく受け止めてくれるおにーちゃん。そんな人を大好きにならないはずが無いのだ。
おにーちゃんが背中を優しくさすってくれる感覚に身を委ねて、私は、ひたすらに涙を流し続けた。
=====================================================================================================================
★参考文献
(注1)富士見ファンタジア文庫・刊 著:橘公司/イラスト:つなこ 『デート・ア・ライブ』(2011.09~) ※第4巻(2012.3.17)より
(注2)(注1)に同じ
(注3)(注1)に同じ
=====================================================================================================================
デート・ア・ライブ アニメ新シリーズ記念
士道はリビングで、珍しくコーヒーを飲みながら、お気に入りのテレビアニメを見ていた――おやつにチョコレートケーキを食べながら。
今見ているのは、精霊と呼ばれる女の子たちが沢山出てくるアニメだ。
要するに、『デート・ア・ライブ』だ。
どうして“自分たちの出るアニメを見ている”のか? それはメタ発言になりかねないので、ここでは差し控えさせていただく。
さて。そんななか、一つの足音がドタドタと階段を下りてきたかと思えば、その主はリビングの扉を開け放つなりこう言った。
「おにーちゃん! 『デート・ア・ライブ』のアニメシリーズの新作が制作決定だぞー‼」
声の主は琴里だった。彼女はスマホを握りしめ、興奮気味に士道にタックルをかました。
「ぐふぅぅぅ!」
「あははー、ぐふぅだってー。陸戦用だー!」
「この流れどこかで見た事ある気が……」
士道は既視感と突撃による痛みに頭をおさえつつ、琴里をなだめてから尋ねる。
「えーと……『デート・ア・ライブ』が新アニメシリーズ制作決定だって?」
「そうだぞー! おにーちゃん、これ見て!」
そう言って、琴里はスマホの画面を見せる。士道がその内容を確認すると、そこにはキャッチフレーズとして、
“さあ――私たちの新たな戦争(デート)を始めましょう アニメ新シリーズ企画進行中――(注1)“
というような事が書かれていて、背景には霊装を身にまとった十香と折紙がポーズを決めている姿があった。
「こりゃ凄いな。だけど、あくまでアニメ新シリーズだから、三期かどうかは分からないよな?」
「そうだねー。でも、私たちの活躍がアニメになるんだから、ちょっと嬉しいぞー。ね、おにーちゃん?」
「そうだな。琴里がラタトスクの司令官として頑張ってる姿、アニメ版でも是非見てもらいたいしな」
そんな士道の言葉に琴里の頬が赤く色づいたのを、彼は見ていなかった。
しばらくすると、玄関の開く音がして、どやどやと精霊たちがリビングに集合した。
“精霊オールスターズ”といった様相だ。
「シドー、アニメ新シリーズおめでとうなのだー‼」
「士道さん、おめでとうございます……」
「うふふ。これでまた、士道さんとの愛を皆様にお届けできるのですね」
「かか。我が従属にしては大した功績だ!」
「賛辞。このような結果も士道の努力のおかげです。ちなみに耶倶矢は“士道本当に凄い。大好き”と言っています」
「そんな事言ってないし! 士道も本気にするな!」
「あはは……分かってるって」
約一名不穏な事を言う者がいたり、思わぬところで本音を暴露されて狼狽える者もいたが、士道へのお祝いの言葉はまだ続く。
「おめでとうございます、だーりん。さすが私のだーりんですぅ。これを機に七罪さんと百合百合な関係を築きたいです‼」
「はあ⁉ 藪から棒に何言ってんの⁉」
美九のお祝いが思わぬ方向へと逸れていった。それを受けて七罪は素っ頓狂な声を上げて反論したかと思えば、士道の方を見て
こほんと咳ばらいをすると、恥ずかしそうに頬をかきながら口を開いた。
「……まあ、なに。とにかくおめでとう、士道。あんたのおかげじゃないの?」
「あはは……ありがとう、七罪」
士道は彼女の瞳を見つめて、素直に礼を述べた。対する七罪はやはり恥ずかしそうに目線を逸らすのであった。
――――その後も精霊の皆からお祝いの言葉を言う時間が続き、それが終わると、ささやかなお祝いパーティが開かれた。
食事をした後はゲームの時間だ。
人生ゲームに王様ゲーム。さらにはホラー映画鑑賞。これに至っては、(白リボンの)琴里は終始士道にしがみついていた。
士道は妹に甘えてもらっている嬉しさと、他の精霊からの視線による気まずさで、終わる頃には冷や汗をだらだらと流していた。
そんなパーティもお開きとなり、精霊の皆で最後に集合写真を撮影した。
士道と琴里が中央に座り、その他の精霊がその周りを囲むように位置する。
琴里がさりげなく士道にくっついているのを見て、七罪が食って掛かろうとし、それを四糸乃がなだめた。
――その瞬間、シャッターが下りた。
精霊の皆がそれぞれの場所へ帰った後、士道と琴里は後片付けをして、ソファで隣り合って座り、兄妹らしく他愛も無い話をしていた。
「今日はとても楽しかったね、おにーちゃん」
「ああ、そうだな。俺たちの活躍がまたアニメになるって知ったのも嬉しかったけど、何より、精霊の皆がお祝いしてくれたのが嬉しくて。
今まで俺が精霊の皆にしてあげてきた事は間違いじゃなかったんだなって思ったよ」
「そうだねー――私もラタトスクの司令官として、精霊の皆がどうしたら気持ちよく暮らせるかをいつも考えて行動してた。
時々どうしようも無くなって助けてもらった事もあったけど、今日の皆の笑顔を見たら、私のしてきた事は正しかったなって思えた。
――それも、おにーちゃんが頑張ってくれたからだぞー」
琴里はそう言って、士道に寄り添って上目遣いに顔を見上げる。
いつにも増して可愛げのある妹を目の前に、心臓の高鳴りを感じつつも、士道は頭を撫でて応える。
「俺が頑張ってこれたのはお前のおかげだよ。琴里の努力が無かったら、今頃俺は挫折してた。ありがとう、琴里」
「どういたしましてだぞー!」
琴里は中学生だとは思えない、とても大人びた表情を見せて、笑うのだった。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
(注1) 『デート・ア・ライブ DATE A LIVE』アニメ公式サイト 2017/10/22参照
http://date-a-live-anime.com/
デート・ア・ライブ 琴里インタビュー
ある日、フラクシナスの応接室にて。私は白いリボンを身に着けて、ここに来ていた。
フラクシナスに向かう時はほとんどが司令官の任務のためだ。その時はいつも黒いリボンを付けて来るので、なんだか落ち着かない気分だ。
リボンが違うだけでここまでフラクシナスから感じる雰囲気が違うのかと思った。
さて。白いリボンの状態でフラクシナスに来た理由を話すには、時間をやや前に戻さないといけないのだ。
――一週間前。私がリビングでお気に入りの雑誌を読んでいると、携帯が着信を知らせたのだ。
私の携帯に着信を入れる人は、大抵おにーちゃんやおかーさんとおとーさん、学校の友達。そして――。
「もしもし、琴里です」
「……ああ、琴里かい?」
「令音?」
そう。最後の一人とは、フラクシナスの解析官であり、ラタトスクにおいて信頼のおける令音なのである。
何かラタトスクの業務に関する事なんだろうか。私はポケットから黒いリボンを取り出して長い髪を括った。
「――お待たせ。それで、何の用?」
「……ああ。今回、折り入って琴里に頼みたい仕事があるんだが」
「それはラタトスクとしての業務かしら?」
「いや……琴里に対して、なんだ」
「へえ。直々にオファーなんて珍しいじゃない――それで、何の仕事なの?」
私がそう尋ねると、令音は一瞬間を置いてからその内容を口にした。
「雑誌のインタビューなんだが、やってくれるかい?」
「雑誌ねぇ……ものによっては考えないでもないけど、それってどこの出版社? まさか、DEMが裏で一枚咬んでるとかじゃないでしょうね?」
「……それだったら、私の方で握り潰しているさ。至って真っ当な会社だ。ちなみに、雑誌の名前は『ドラゴンマガジン』というらしいが……」
「ドラゴンマガジン――聞いたこと無いわね」
「そうか……」
名前に聞き覚えも無ければ、むしろ初めて耳にする名前なのだが、何故か妙な既視感を覚えてしまうのは何故だろうか――。
そして、これ以上突っ込んではいけない気がして、私は令音に返事をすることにした。
「まあいいわ。私のラタトスクでの活動を世の中に知ってもらう良い機会だわ。その仕事の依頼、承諾しておいてちょうだい」
「分かった。――ああ、そうだ。琴里に一つ言っておかなければいけないな」
「ん、何、令音?」
「詳しい内容は決まり次第、後日話すが――当日は白いリボンで来てほしいんだ」
私はその理由が分からず、十数秒困惑した。
“白いリボンで来てほしい”というくらいなのだから、今回はラタトスクでの活動を取材する目的では無さそうだが……。
それだとしたら、白いリボンを身に着けた時の私に用があるという事か。
「……ま、いいわ。令音が一緒に来るのであれば、白いリボンで行ってあげるわ」
「……分かった。先方にもそのように伝えておくよ」
令音との電話を終えて、私は一旦部屋に戻る。
そして机に近づき、昔撮影した写真が収められている写真立てを手に取る。
入っているのは、私がまだ幼い頃、おにーちゃんと一緒に取った写真だ。
――――この頃の自分はとても泣き虫だった。いつもおにーちゃんの後ろに隠れてばかりだった。
そんな幼少期の最中に、私がおにーちゃんの隣で満面の笑みを浮かべた、貴重な瞬間を写した一枚だ。
写真の中のおにーちゃんを、指でそっと撫でてみる。
“義理の兄妹”として一緒に暮らしてきた中で経験してきた楽しさ、辛さ、苦しさ……そういうのが一度に溢れてきそうで、
私は誰にともなく呟いた。
「……私はおにーちゃんの大切な妹だぞー…………」
――――というわけで、私はフラクシナスの応接室にいるという事であった。回想終わり。
黒いリボンを身に着けていれば、普段の私であればふんぞり返ってチュッパチャプスをピコピコさせているけれど、流石に白いリボンでそれをしてしまっては白のイメージが総崩れとなりかねなかった。
そわそわと辺りを見回していると、控えめにドアがノックされた。私の返事に、その声の主はゆっくりと入ってきた。
「あ、令音。今回のインタビューの人はいつ来るのだー?」
「……ああ。もうすぐ来るそうだ。じきにフラクシナスで回収する手はずになっている」
「ん、分かった」
程なくして今回の取材の人がやって来た。その方は女性で、思わず安堵の息を漏らす。
これで男の人だったら、白リボンの私は委縮してしまっていたかも知れないのだから。
「今回取材にいらっしゃる方が女性で、私安心しました!」
「男の人は嫌いですか?」
「うーん……何というか、目の前に来ると緊張しちゃう感じです」
「なるほど。私も、琴里さんと同じくらいの頃は、特にそうだったのよ」
というように女性の方と一しきり雑談を交えた後――今まで気になっていたのだが――一人の男の人が紹介された。
その男性は、とあるライトノベルの著者さんのようだ。
しかし、どこかで聞いたことのある名前に既視感を覚え、なにやら突っ込んではいけないものを感じて慌てて口をつぐんだ。
こうした私の戸惑いをよそに、至ってにこやかに、女性が切り出した。
「それでは、今回の取材のほう、始めさせていただきたいと思います」
「よ、よろしくお願いします……‼」
「まず初めに、今回の取材の目的からお話ししますね。
――今回は、ラタトスクの司令官として活躍される琴里さんのもう一つの素顔――要するに今のあなたですが、これに迫ろうという事が目的です」
「やっぱり」
「やっぱり、とは?」
「あ、いえ! ただ、“白いリボンを身に着けている私”を取材したいと伺った時、何となく察しがついていたので……」
「ああなるほど……琴里さんはラタトスクで司令官をされているだけあって、頭脳明晰なのですね」
「……よく言われます。だけど、それはあくまで司令官としての時限定で、白いリボンの私がそうかと言われると、決して無いと思っていて――」
その後は自分の考えを大雑把に話して、いよいよ本題へ入る。
「まず一つ目として、琴里さんの好きな男性のタイプについてお伺いしたいのですが」
「好きな人のタイプ、ですか……」
私はそっと目を閉じて、一番に浮かんだその人を思い浮かべて、女性の目を見て答える。
「――私には、実は兄がいるのですが、その人みたいな男性、です」
「お兄さんがいるんですね?」
「はい。高校二年生の兄がいます」
おにーちゃんについて、かいつまんでどんな人かを話す。
女性は、終始私の話に耳を傾けていて、頻繁にノートにメモを取っていた――びっしりと。
「――だから。“おにーちゃんみたいに優しくて、おにーちゃんみたいに格好良くて、おにーちゃんみたいに強い人(注一)”……です」
「ありがとうございます」
女性は何かに対して納得したように頷く仕草を見せた。
そして次の質問。
「では、恋人のお相手にプロポーズされるとしたらどんな言葉を掛けられたいですか?」
「……難しい質問ですね」
「そうかも知れません。例えば、お相手が琴里さんのお兄さんだと仮定して考えてみてはいかがでしょうか?」
女性のアドバイスにより、あくまで“そういうこと”だと仮定して考えてみる。
そっと息を吐く。心を落ち着けた。それだけ、私にとっては大切な想いだから。
「“派手でなくていいから、例えば、二人でテレビを見ている時「一緒になろっか」みたいな事を言われたらいいな(注二)”……と思います」
「ありがとうございます」
――――女性はどこまでもにこやかに私の話に耳を傾けてくれて、また、熱心にメモを取っている様子だった。
その後も何個かの質問に答えて、今回の取材を終えた。
帰り際女性にこう言われた。
『琴里さんは、お兄さんの事をとても愛しているのですね』
この言葉が印象的で、自室で寝転がっている今も心の中で反響している。
確かに私はおにーちゃんの事を――他の精霊の子達には申し訳ないけど――誰よりも好きだ。
幼い頃から兄妹として過ごしてきて、おにーちゃんと喧嘩したり泣いたり喜びあったり、色々な感情や時間を共有してきた。
私とおにーちゃんの間には確かな絆がある。ただ単純に“血が繋がっていないから”という理由で否定できないくらい。
その強さは自分でも自覚しているけど、果たして、“そういう日”が来るのかまでは、中学生の私には分からなかった。
そういえば、幼い頃、私はどうして泣き虫だったのだろうか。
おにーちゃんに言われたことがあるから恐らくそうだったのだろうけれど、自分では全く記憶が無いのだ。
もしかしたら、自分でも覚えていないトラウマを抱えていたりするのだろうか……。
考えても答えは出なくて、目をつむると、私の意識は夢の世界へと没入していった。
――――目を覚ますと、空は茜色に彩られていた。
体を起こしてふと机の上に目を向けると、一枚のメモが置かれていた。
立ち上がってそれを手に取ると、おにーちゃんからの伝言だった。
『琴里が起きてきたらご飯にするからな。 士道』
「……ありがとうだぞー。愛してるぞ、おにーちゃん……」
そう呟いて、私は部屋を出た。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
(注一) 『ドラゴンマガジン1月号』株式会社KADOKAWA発行 12月1日参照
(注二) (注一)に同じ
デート・ア・ライブ デート・ア・パーティ
これを読んでいる方々は、今日が何の日かご存じだろうか。
そう。世間でいう『リア充』が大挙として街中に押し寄せ、至る所でケーキや豪華な料理が売り出される光景が見られる日、クリスマスである。
その光景は実際にキリストを信仰している人々から見れば異質に過ぎる光景なのかも分からないが、当の日本人はそんな事はお構いなしにクリスマスを満喫するのが常となっているのである。
さて。御多分に漏れず、五河家においても、大々的なクリスマスパーティが催される事になっている。
士道は、皆で朝食を食べ終えた後、早速料理の準備に取り掛かっていた。
主なラインナップは、鶏のフライドチキン。様々な野菜を使った彩り豊かなポテトサラダ。温かいコンソメスープ。などなど。
今夜のために前日に食材を買い込んでおいた事に対して、士道はほっと胸をなでおろしていた。何せ作る量は精霊の皆の分、そしてラタトスクの主要メンバーの方々となっているのだから。使う食材の量はその多さを極めていた。
「さて……まずはチキンの下ごしらえからだな」
そう呟いてチキンを取り出したところで、白いリボンで髪を括った琴里がリビングにやってきて、そのままキッチンへと来た。
「なにしてるのおにーちゃん?」
「そろそろパーティの準備をしようと思ってさ」
「なるほどだぞー。あ、何か手伝える事があったら言ってねー」
「分かった――だけど、お前料理は苦手じゃなかったか? 前に作ったウサギ型のハンバーグがたぬきに見えた事もあったし」
「それは仕方ないじゃん! あれだって、私一生懸命作ったんだぞー」
「あはは……分かってるって。基本的には俺が進めるけど、琴里の手を借りたい時は呼ぶから」
「オッケー!」
琴里はビシッと手を挙げると、リビングに行きソファに腰掛け、録画しておいたテレビ番組を見始める。その様子を微笑ましく眺めながら、士道は料理の下ごしらえを進める。
――お昼の時間。
それぞれの住まいからお昼を食べにやって来た精霊が、五河家に集合する。
玄関をくぐりリビングに入ってきたどの精霊も、なにやら良い香りが漂うのに気づき、キッチンの方にやって来たのち、皆が料理について士道に尋ねるのだが、十香に至っては鍋の蓋を開けて匂いを嗅いで、蓋を閉めた後、よだれを垂らしていた。
はっと気づき、七罪に差し出されたティッシュでよだれを拭い、気を取り直すように士道に尋ねる。
「そういえば、今は何をやっているのだ?」
「ああ。今日のパーティの料理だよ。結構時間が掛かるから、今朝から作っているんだ」
「なんと! シドーの作る料理なのだから、さぞかし美味しいのだろう……」
十香は料理を食べている場面を想像しているのか、改めてよだれを垂らす。その様子を見て苦笑して、
「期待に沿えるか分からないけど、腕によりを掛けて作るからな」
「おう、楽しみにしているぞ、シドー!」
「頑張るんだぞー、おにーちゃん!」
昼下がりの事。一通り手間が掛かる料理の下ごしらえを終えて、士道はホットミルクを入れてソファで一息吐いていた。
聞こえるのは暖房を点けている空調の音と、時折走り去って行くバイクの音のみだ。
士道の住む住宅街は比較的閑静な場所にあるので、ことさら二時から三時ともなると人通りも車の往来も少なくなり、緩やかな時間が流れる。
まったりとした時間を過ごしていると、琴里がリビングにやって来た。朝から引き続き白いリボンで髪を括っている。
ここ最近は白い方が中心となっている彼女。士道が気になってその事を尋ねてみると、琴里はちょっと寂しそうな表情で、
「最近このリボンを身に着けておにーちゃんに甘える事が少なかったからだぞー……」
と、次には頬を染めて恥ずかしげに答えたのであった。
だから士道は、しばらくは純粋で無邪気な可愛い妹の相手をしてあげようと思った。
士道の元まで駆け寄ってきた琴里は、抱えていた問題集などをテーブルに置いて、士道の横に腰掛ける。
「おにーちゃん、ちょっと相談があるんだけど……」
そう言って、琴里は一枚のプリントを差し出した。それを受け取り、士道は文面に目を通した。そこに書かれていたのは、国語の課題として『自分の身の周りの人について』と題した作文だった。
その内容だけ見れば、中学生の課題としてはありきたりなものなのだが、琴里には頭を悩ませる点があるようだ。
「……その『自分の身の周りの人』っていう条件がね、家族とかじゃなくて、自分にとってかけがえの無い人とか、そういうレベルじゃないとだめなんだってー」
「この手の作文にしては珍しいよな」
「そうなんだよねー。だから迷ってるの……」
琴里が白いリボンで括られた髪を元気なさげに垂らしながら答える。どうしたもんかと思案し、士道はひとまず琴里の考えを聞いてみる事にした。
「琴里としては誰の事を書くつもりなんだ?」
琴里が士道をじーっと見つめる。その瞳には、期待・失望、そして若干の怒りが含まれているような――そう感じる士道。
瞳に映るその感情が、果たして“妹”としてか、はたまた“義妹”としてのものなのかは分からなかったけど。
琴里に見つめられて、士道は返答に窮し、ひとまず何かを発する事にした。
「……まあ。琴里がそうしたいなら俺でも良いぞ」
それに、と付け加えてから、
「俺なんてあまり人に評価してもらえるようなところ無いから、もしかしたら書くの大変かもしれないぞ?」
すると、今度は明確な怒りを滲ませつつ、琴里は士道からそっぽを向いて呟いた。
「――おにーちゃんは自分の良さを分かってないぞー……」
そのまま士道と目線を合わせないまま立ち上がった琴里は、リビングの扉に向かった。
「おい琴里、課題とか問題集とかは?」
「……部屋でやるからいい」
そう答えて、琴里は自分の部屋に戻って行った。
再び静けさを取り戻したリビング。士道は意外にも落ち着いていた。何て言ったって、こうして琴里の気持ちが読めない時は、幼い頃から何度もあったから。
妹とて、思春期の一人の女の子なのだ。小さい頃からの仲とはいえ、お互いに分からない事なんていくらでもある。だから、琴里が自分で整理をつけるまで、自分は待っていようと心に決める士道だった。
程なくして料理の準備を再開した士道。
料理のほとんどの準備が終わった頃、リビングの時計は五時半を指し示していた。
「そろそろ皆が来る頃だな……」
そう呟いて出来上がった料理を食卓に並べていると、リビングの扉が開き、黒いリボンで髪を括った琴里が姿を現した。
士道は先ほどのぶっきらぼうな(白いリボンの)琴里を思い出してちょっと寂しく感じたが、琴里が落ち着いて話してくれるのを待つと決めたので、そっとしておく事にした。
それに琴里自身も、白いリボンの時と黒いリボンとでは性格を完全に切り替えているので、下手に言葉を掛けて混乱させたくは無かった。
今目の前にいる琴里は司令官モードなのだから。
「あら、士道。もう準備をしてくれていたのね。手伝えなくて申し訳なかったわ」
「俺も今作り終えたところだからさ。全然問題無いって」
「……ありがとう、士道」
二人で協力して料理を並べていく。
その間に連絡を受けた精霊の皆、そしてラタトスクの主要メンバーなどが続々と集まってくる。五河家のリビングは、かくして賑やかな談笑の輪に包まれる事となった。
十五分ほど掛けて料理のセッティングを行った。その際、精霊の皆が囲むには食卓は狭いため、もう一つテーブルを持ってきてくっつけた。
ちなみに、ラタトスクのメンバーたちはリビングに設けられた特設スペースに座り、お酒などを交えるようだ。
当初は、精霊がいる手前お酒が入る事を心配した士道だったが、琴里から、
「令音がいるから大丈夫じゃないかしら? 彼女、ほとんどお酒飲まないから。ちゃんと制してくれると思うわ」
令音と旧知の仲である琴里に言われため、士道もお酒を許可したのであった。
こうしてパーティのすべての準備が終わり、各々がそれぞれの位置に着席し、手にソフトドリンクやお酒を持つと、琴里から声が上がった。
「じゃあ乾杯の音頭は士道に取ってもらいましょう」
「え? なんで俺が……」
「当り前じゃない。今回料理を作ってくれたのは士道ですもの」
「……まあ、そういう事なら」
渋々といった感じで士道が立ち上がり、皆の方を向いて口上を述べる。
「ええと。まずは精霊のみんな。今日はクリスマスパーティに来てくれてありがとうな。
いつも皆には助けてもらってばかりで、俺は何も出来ていないけど、こんな俺でよければこれからもよろしくな。
そしてラタトスクの皆さんも、俺をはじめとして、いつも精霊の皆をサポートして頂いてとても感謝しています。本当にありがとうございます」
士道が一礼すると、ぱらぱらと拍手が起きた。
拍手が鳴り止んだところで、士道が最後の言葉を口にした。
「というわけで、今日は楽しんで行きましょう。
――――それでは、乾杯!」
「「「「かんぱーい‼」」」」
パーティはつつがなく進行し、目玉のプレゼント交換も大盛況のうちに終了した。
来年もこうして楽しいパーティを開こうと心に決め、そのためにはこれからも精霊が安心して生活できるように、精いっぱい努力していくと決意を新たにした。
後片付けを済ませてから、士道と琴里はテレビ番組をただ何となく眺めていた。
士道はもちろんの事、琴里に関しても、精霊たちのまとめ役や、ラタトスクメンバー(主に神無月)のなだめ役として奔走したため、どちらも疲れが溜まっていたのだ。
琴里はリラックスの意味を込めてさきほどまで白いリボンで髪を括っていたが、それすら煩わしくなったのか、今はリボンを解いていて、長い髪はソファに零れていた。
琴里がリボンを解いた状態でいる場合、直前まで身に着けていたリボンの性格が引き継がれるため、今の彼女の性格は無邪気な妹モードであった。
しばらくして、琴里がぽつりと呟いた。
「……さっきはごめんだぞー、おにーちゃん」
「ん、何が?」
無論、士道は琴里が何に対して謝りたいのか分かっていない訳では無い。琴里が言葉を続けやすいように、あえてそういう風に相槌を打ったのだ。
「――さっきはね。私だけ気持ちが先走っていたんだー。当然おにーちゃんはその時の私の気持ちなんて分かるはずが無いのに、分かってくれているって思っていたから、ちょっといらいらしちゃって……」
それでね、と続ける。
「……私思ったんだ。私とおにーちゃんは義理とはいえれっきとした兄妹で、小さい頃から一緒に暮らしてきて、当然信頼関係もある。
だけど、その“当然”に甘えていてはダメなんだって。兄妹だからって――家族だからって分からない事はあるし、時々気持ちが分からなくて不安になる事だってある。
だから、信頼関係に頼りっきりな、自分のそういうところから変えていこうって思ったんだぞー」
士道は琴里の瞳をしっかりと見て、黙って話を聞いていた。琴里の話が終わると、おもむろに妹の頭をわしわしと撫でる。
その感触をくすぐったそうに受け止めながら、琴里は「おにーちゃん?」と上目遣いに見上げる。
「――実はな、おにーちゃんも同じような事を考えていたんだ。それで、今回の事は、おまえがちゃんと話をしに来てくれるまでそっとしておこうって思ってた」
そして、士道はさらに言葉を続ける。
「それはな……俺が琴里の“おにーちゃんだから”だ。
さっき琴里が言ったように俺らは兄妹で、今まで一緒に暮らしてきた時間なりの信頼関係があって。だから、きっと琴里ならちゃんと心の整理をつけて、いつか話に来てくれるだろうって思った。
自分の妹を信じてあげなかったら、おにーちゃん失格だろ? だからな――」
士道は照れくさそうに頬をかきながら、その言葉を口にした。
「だからな――お前が無理に変わろうとする必要は無いんだよ」
「おにーちゃん……」
琴里は感極まった様子で士道を見上げている。しばらくすると、士道の方に頭を預ける。
それを優しく受け止める士道。改めて、琴里は年相応の女の子なのだという事を実感し、そして自分がちゃんと見守ってあげようと心に決めた。
ちょうどその時、インターホンが鳴った。琴里はびくっと肩を震わせて士道にしがみついた。
それをなだめるように頭を撫でてあげた士道は、「そういえば……」とその主に見当をつける。
「琴里、多分父さんと母さんだと思うぞ。今朝、夜に帰るってメールがあったからさ」
「なーんだ……それを早く言ってよ、おにーちゃん」
ほっとした琴里は、士道にしがみついた恥ずかしさから若干頬を赤らめていた。
「私ちょっと羽織るもの取ってくるから、先におとーさんとおかーさんのところに行っててー」
「了解」
そして、玄関の扉を開けると、ぶるぶると震えている遥子・竜雄夫妻が立っていた。
「出るの遅かったじゃないしーくん。お母さんたち、危うく氷漬けになるところだったわよ?」
「そうだぞ士道」
「しょうがないんだよ。琴里がインターホンにびっくりして俺にしがみついてたんだから」
その言葉を聞いて、遥子と竜雄は、何故かにやりと笑って、
「やっぱりことちゃんって、しーくんにベタ惚れよね? ねえ、たっくん?」
「そうだな。むしろ昔から琴里は士道にべったりだったよな? なあ、はるちゃん?」
「「ねー」」
実に息の合ったコンビ――もとい夫婦である。士道は目の前で繰り広げられる夫婦漫才に苦笑して、ただその様子を見守る他なかった。
その時、二階から上着を羽織った琴里が下りてきて、そこそこのハイテンションで、
「おかえりなさいだぞー、おかーさん、おとーさん!」
「ええ。ただいま、ことちゃん」
「ただいま、琴里。さあ、昔みたいにお帰りのハグを……」
「嫌だ」
「おっふ…………」
竜雄、あえなく撃沈。決め手は、実の娘による明確な拒絶。
「まあ、たっくんは放っておくとして……そういえば、外に出てみて。雪が降っているわ」
「本当に⁉」
「マジで?」
「ええ。本当にマジよ」
遥子が二人の感嘆にまとめて返事をしたところで、士道と琴里は遥子に促されて外に出て行く。
するとどうだろうか。いつのまにか雪が積もり始めていて、今もしんしんと降り続いている。士道は琴里の横顔を眺める。空から落ちてくる白い結晶に感動して「うわぁ……」と声を上げている妹を、微笑ましそうに見つめる。
時折琴里の髪に結晶が舞い降り、燃えるような赤い髪に溶かされていくかのごとくすぐに消えていく。
その光景をじっと見つめていると、琴里が士道の方に向き直って、
「……おにーちゃん、最高の『ホワイト・クリスマス』になったね」
「ああ、そうだな」
そうしてどちらからともなく手を繋ぎ合う。そして、雪に降られているのも忘れて、しばらく雪景色に魅入るのだった。
我が子が、両親がいるのも忘れて仲良くしているその光景を、遥子と竜雄は玄関先から暖かく見守っていた。
「本当に士道と琴里は良い兄妹だな。あれだけ仲が良ければ、私たちが何も言わなくても、二人だけの力でどんな事にも立ち向かっていけると思う」
「ええ、そうね――母親としても、そうなってくれると嬉しいと思ってる。
でもね、たっくん。琴里があれだけしーくんにべた惚れなのは、何も“兄妹だから”だけじゃないのよ?」
「え? それはどういう意味だい、はるちゃん?」
すると、遥子は琴里が浮かべるような無邪気な笑顔を見せて、朗らかに言った。
「女の子には色々あるのよ!」
竜雄が手塩に掛けて育ててきた我が子の事も、そして、長年連れ添ってきた妻の事も、家族って分からない事だらけ、という事を知ったのはまた別の話である。
デート・ア・ライブ デート・ア・パーティ【Extra】
私の身の周りの人について
二年 五河琴里
私の身の回りには、沢山の人がいる。その人たちはいつも賑やかで明るくて、常に私を楽しませてくれる。また、辛い時も苦しい時も。困難に直面しても、私を支えてくれるとても信頼のできる人たちだ。
そして、私を一番支えてくれる人が、私の兄で、いつも“おにーちゃん”と呼んでいる。
おにーちゃんは、私の実の兄ではない。
小さい頃に元の両親に捨てられて私の両親が引き取った事がきっかけで、五河家にやって来て義理の兄妹となったのである。
義理の兄妹のため、最初は大変な事が多かったと、両親から聞かされている。
今も昔も私は人見知りが激しく泣き虫で、他人に対して消極的だった。だから、おにーちゃんともしょちゅうけんかした事もあったらしい。
だけど――いや、むしろというべきなのかもしれないが、小さい頃から一緒に暮らしてきた事で、兄妹の仲が急速に縮まるのも時間の問題だった。
それからというもの、私とおにーちゃんは仲睦まじく、一緒に遊んだり、お風呂に入ったり、お昼寝をしたり……これらは、今でも私の記憶にしっかりと刻まれている。
それ以来はほとんどけんかをした事が無い。ただ、時折価値観の違いで口げんかに発展する事もあるけれど、それは私がおにーちゃんを――そして、おにーちゃんは私の事を思い合っているからこその事だ。
そして、今では私のおにーちゃんに対する気持ちは、ただ単純に“兄妹だから”という範囲では足りないと実感する時がある。
小さい頃から同じ屋根の下で兄妹として暮らしてきて、心から触れ合っていれば、自然と気持ちは揺れ動くものだ。
一般的には、血の繋がっている家族の間では恋愛感情が芽生えないと言われているけれど、血が繋がっていなければ話は全く変わるのだ。
結論から言えば、私はおにーちゃんの事を“異性”として好きなのだ。これ以上の男の人はいないと思っている。
それを“どうしてか?”と問われたなら、きっと“理由は無い”と答えるはずだ。
私に芽生えたこの感情は、今までおにーちゃんと暮らしてきた中で積み重なったものなのだ。だから、極端な話、理由を問われたらそれ全部が理由になるのだ。私にとっては、おにーちゃんと過ごしてきたどの時間も掛け替えのないもので、優劣はつけられない。
このまま、感情に任せたまま思いの丈を告白すれば支離滅裂になる恐れがあるので、そろそろまとめに入ろうと思う。
今回、どうして私のおにーちゃんの事を取り上げようかと思ったのか?
もちろん両親の事は大好きだし、両親を含めて私の身の回りにいる人全員が掛け替えのない存在だ。
でも、それではこのテーマを考える上ではありきたりだと思うのだ。ならば、誰もが思いつかないような――肉親以外で、最も私の大切な人を取り上げてみようと考えたのだ。
義理の兄妹で彼らに恋愛感情が存在する。そんな事は往々にしてあるのかも知れないけど、私みたいにそれを大勢の人に知ってほしいと思う人はそうはいないだろうし、それ以前に公表しようと考える人もまたいないだろう。
私はどんな男性よりも、おにーちゃんの事が大好きだ。これは“兄妹”としても、“異性”としてもだ。
最後に、私がいつもおにーちゃんに言っている言葉で締めくくろうと思う。
“愛してるぞっ、おにーちゃん‼”
(引用元:東京都天宮市立中学校コンクール『自分の身の周りの人について』より)
デート・ア・ライブ ハッピー・オーバー・ザ・イヤー
十二月三十一日、午後十一時三十分。五河家のリビングには、すべての精霊が集合しており、皆がこたつに入るなどして暖を取っている。
約一名ほど、七罪に抱き着いて自然な暖を取っている者もいたのだが……言わずもがな美九である。
彼女は、女性同士が仲良くしているのを見て快感を覚える、いわゆる百合の性格を持っているのである。だから、度々精霊に過激なスキンシップを行っているのである。
そして、その被害を一番被っているのが七罪というわけであった。
さて。精霊が一堂に会しているその理由は何か。それは、みんなで年越しを祝おうという趣旨で集まっているからであった。好き好きにカードゲームに興じたり、テレビゲームで対戦したり、雑談に花を咲かせたりと思い思いに時間を過ごしていた。
その時、年越しそばの準備を終えた士道が琴里と一緒にリビングにやって来た。
「おーいみんな、そばの準備が出来たから食べよう」
「おにーちゃんのお手製だぞー!」
“士道のお手製”というフレーズに精霊の皆が反応し、一際特別なリアクションをしたのは、折紙と美九だった。
「だーりんのお手製のおそばですかぁ。何だかえっちな響きですぅ」
「何を言っているんだ美九⁉」
すると、美九の言葉に同意するかのように、頷きながら折紙が言葉を続ける。
「美九の言う通り。そこら辺のおそばと比べて、士道“が”作ったお蕎麦ともなれば話は別になってくる」
折紙はやけに“が”を強調して言葉を発した。士道はその真意を測りかねて頭の上にはてなマークが出てきそうだ。
そんな士道にはお構いなく、美九と折紙だけの世界は回っていく。
「おぉー! 折紙さん、意見が合いますねぇ!」
「士道を好きな者どうし、当たり前の事」
そしてがしっと固い握手を交わす。普段から、殊更士道の事においては緊密な関係を築いている二人であるが、よりその仲が深まったようであった。
その光景をいつもの事だと思い苦笑いする士道と、こめかみを指で摘まんで呆れた様子の琴里である。
「……全く、折紙と美九は仕方ないなー。ねえおにーちゃん?」
「あ、ああ。そうだな。――おっと、そばが伸びないうちに食べよう」
てきぱきと配膳をしていき、皆で頂きますをして、黙々とそばをすする。
――午後十一時四十分過ぎ。
大晦日恒例の紅白歌合戦の、結果が発表された。
今年は白組が紅組に大差をつけて勝利し、白組の司会を務めた人物が大げさに喜びを表していた。
最後に出演者全員による合唱が行われ、その後、総合司会が締めの言葉を述べる。
「今年の紅白歌合戦は白組の勝利でした、おめでとうございます!
来年も良い一年にしましょう。今日は本当にありがとうございました!」
その瞬間無数の紙テープが会場いっぱいに舞い、観客の歓声が上がったところで中継が終了した。
その様子を真剣に見つめている精霊がいた。アイドル歌手として絶賛活動中の美九だ。
「いつかは私も、紅白歌合戦に出てみたいですねぇ……」
ぽつりと呟いた言葉を、その場にいた全員が聞いていたであろう。しかし、ほとんどがそれに対してどう反応して良いか分からず黙っている。
士道はそっと問い掛けた。
「美九も、やっぱり紅白に出たいのか?」
美九は士道の方を向くと、力強く頷いて、答えた。
「それはもちろんです。私の本業はアイドル歌手ですから。こういった大舞台で、皆さんの前で歌ってみたいな、という気持ちは常にあります。
……こんな事も、だーりんに会っていなければ思いもしなかったと思います」
美九は溜まっていた涙を拭うと、その言葉を、噛みしめるように口にした。
「だから、愛しています、だーりん」
その瞬間、琴里をはじめとして、精霊全員の視線が士道に向けられた。
美九の思わぬ愛の告白と精霊全員の視線を一心に受けて、士道はたじろいでいた。
…………深呼吸をして、士道は美九を優しい微笑で見つめる。
「とても美九らしいと思うぞ」
「だーりん……‼」
美九がぱあっと顔を輝かせる。その様子を見て、他の精霊が言葉を漏らした。
「ねえねえよしのん。美九さんが士道さんに言ってる『だーりん』ってどういう意味?」
『えー? それはねー……四糸乃よりも、大人の階段を沢山上った先にある、そういう関係の事だよー?』
「そういう関係……?」
四糸乃はいまいちイメージできないのか首を傾げている。
他の精霊もそれぞれに美九と士道の様子について感想や愚痴を言ったりしているが、当事者たちには聞こえていないらしく、話が進んでいく。
士道は照れくさそうに頬をかいた。
「……だからこそ、あの時、お前を助けて本当に良かったと思ってる。ありがとうな」
「……いいえ。感謝しないといけないのは私です。ありがとうございます、だーりん」
その感動的な場面で、琴里が割って入るように声を上げた。
「ほらほらおにーちゃん、そろそろカウントダウン始まるぞー!」
琴里の言葉に、その場にいた全員がテレビ画面に注目する。
映っているのはどこかの古いお寺。それを背景にして、画面中央には大きな時計が表示されている。
秒針が、刻一刻と、新しい年へ時間を刻んでいく。そして――――。
「「「「――あけましておめでとうございます‼」」」」
五河家に元気な声が響いた。
そして、その場にいた全員が同じことを願った。
“今年も、精霊たちにとって良き一年でありますように”と。
~END~
デート・ア・ライブ ハッピー・オーバー・ザ・イヤー2
激動の一年が終わり、新たな日々がスタートした。
昨日――つまり去年の大晦日、年越しそばを食べながら年越しをした後、すぐに解散となった。
その際、夜遅くという事情もあり、精霊マンション組と自宅組の精霊をフラクシナスで送る事になった。
いくら強大な力を有する精霊とはいえ、やはり一人一人女の子である事には変わりないのだ。
だが若干一名ほど、女性と呼んだ方が相応しい者もいるようだが。……おっと。誰か来たようだ。
そんなわけで、自宅に帰還した時間が深夜になってしまった士道と琴里は、朝の八時頃にようやく目を覚まして、各々部屋から出てきた。出てきたタイミングがほぼ同時なところは、さすが兄妹と言うべきだった。
「あ、おにーちゃん。明けましておめでとうだぞー。今年もよろしくお願いします」
そう言って、琴里は礼儀正しく頭を下げる。妹の普段とは違う仕草に戸惑う士道。
「そんなにかしこまるなって。――それは置いておいて。こちらこそ、明けましておめでとう。そして、今年もよろしくな」
「うん!」
新年に相応しい清々しい笑顔を浮かべると、琴里は士道の腕に自分の腕を絡めた。義理の兄妹だからこそ成せるスキンシップであった。
そんな琴里の愛情表現も、士道にとっては日常の光景となっていた。士道は優しい笑みを浮かべると、琴里の頭を撫でた。
朝食は士道お手製のお雑煮だ。ダシの効いた汁に、適度に焼き色の付いたお餅が浮き、様々な野菜が彩を添えている。
静かな朝。士道と琴里は黙ってお雑煮を食べる。時折聞こえてくるのは、スープをすする子気味良い音だけだ。
朝食を食べ終わり、士道は使った食器を洗いにリビングへ、琴里が自室に戻って行った。しばらくして玄関のチャイムが鳴らされる。士道はエプロンで軽く手を拭き玄関に向かう。
「はいはい」
扉を開けると、そこには美しい着物を着た精霊が数人立っていた。四糸乃と七罪である。
四糸乃は淡い水色を基調とした水玉をあしらった柄で、七罪は若葉のような鮮やかな緑色をベースに、可愛らしい柄が描かれている。
「ちょっと! どうして私の時だけ説明が雑なのよ!」
「な、七罪さん。誰に突っこんでいるんですか……?」
唐突に声を上げた七罪を警戒するように四糸乃が恐る恐る尋ねる。七罪にとって、四糸乃は心の友である。その彼女が警戒するような視線をこちらに向けているとなれば、慌てる他無かった。
「あ、えと……何だかそう言いたくなっちゃって。べ、別に四糸乃に対してじゃないから!」
「そ、そうなんですか」
七罪の言葉に四糸乃はほっと胸を撫でおろした。
『ほらほら、四糸乃。士道くんにあれを言わないと』
よしのんがにそう言われて、四糸乃ははっとしたように士道の方に向き直り、そしてぺこりとお辞儀する。
「明けましておめでとうございます、士道さん。今年もよろしくお願いします」
「ああ。こちらこそよろしくな、四糸乃」
士道は四糸乃の頭を優しく撫でる。士道を上目遣いに見上げる四糸乃だったが、良きお兄さんと慕っている士道に撫でられる事が嬉しいのか、目を細めてその心地よさに身を委ねていた。
すると、その陰で、七罪が何やらぶつぶつと呟いている。
「……どうせ私なんか気にも留められない人間なのよ。どうせ存在感の薄い女よ」
どうやら、心の友である四糸乃ばかりちやほやされてやきもちを焼いているようだった。七罪はネガティブ思考が強く、ほんのちょっと自分に嫌な事があると極度の不信感に見舞われるのだった。
「ほら七罪も。明けましておめでとう。今年もよろしくな」
士道が優しく語り掛けても、七罪のネガティブは止まらない。
「……あの言葉も、『あいつ一人ぼっちだから仕方なく声掛けてやるか』みたいに考えた上でなのよ。私の事を気遣っているつもりだろうけど、絶対そんな事ありえないわ」
もしかして、これは自分が想定していたより事態は深刻なのではないだろうか。そう考えた士道は四糸乃のほうを向く。四糸乃は士道の考えている事が分からなかったのか、ただ首を傾げるばかりだった。
「そろそろ立たないと、その着物が傷んじゃうぞ?」
「……何よ」
涙目で士道を見上げる七罪であったが、ようやく重い腰を上げる。そしてしわが無いかをチェックして、軽く手ではたく。
「どうせ『こいつ、似合わない着物着てやんの!』とか思っているんでしょ? 分かってるんだから」
「あのなぁ……どうしてそこまでネガティブなんだよ。そもそも、俺はまだ何も言ってないぞ」
「……! やっぱり似合わないって思ってるのね……」
いつまでも意地を張る七罪に対して、はあとため息を吐くと、士道はそっと頭を撫でた。びくっと肩を震わせた七罪は、士道をにらみつける。
「な、なによ!」
「その着物似合ってると思うぞ。だから心配すんなって」
「……。士道がそこまで言うなら納得するわ」
七罪はあれほどネガティブになっていた自分が恥ずかしくなったのか、士道から視線を逸らして、ぶっきらぼうに答えた。
「ほら。今更だけど、着物姿で立ち話も辛いだろうから、上がりな」
「は、はい……! お邪魔します」
「お邪魔しまーす……」
四糸乃と七罪が履物を脱いで、つま先を玄関扉の方に向ける。そして、おずおずと士道の後をついていく。普段の何倍もかしこまった彼女たちの様子に、士道は苦笑した。
「そんな遠慮するなって。いつも通りの感じでいてくれれば良いから」
「そ、それはそうなんですけど……」
「何だか落ち着かないのよね」
「「ねー」」
四糸乃の言葉に七罪が賛同し、そして見事な相槌を打つ二人。阿吽の呼吸に、改めて二人の仲の良さを感じた士道だった。
その後もどやどやと精霊が集合し、現在、五河家のリビングはとても賑やかだ。
七罪と四糸乃はトランプ。八舞姉妹はテレビゲームでバトル。折紙と美九は『百合について』を熱く語り合っている。そっとしておこうと考える士道であった。
そして、二亜と六喰は好きな漫画について話し合っている。
琴里はそれぞれのグループにちょこちょこ顔を出して、「何をしているのだー?」と尋ねて回っているようだ。ただ、折紙と美九の所には近づこうとしなかったけれど。
そうして賑やかな時間は過ぎていく。途中で士道の両親も加わり、さらに賑やかさが増す。
美九が遥子・竜雄夫妻に質問する。
「だーりんのお母様とお父様は、普段どんなお仕事をされているのですか?」
「ええっとね。あなたたちが保護してもらっているラタトスクという機関の、いわば母体であるアスガルド・エレクトロニクスで働いているの」
そこで、折紙が目ざとく反応した。
「アスガルド・エレクトロニクスといえば、顕現装置を開発している有名な企業では?」
「そうだとも。だから、ラタトスク――あるいはフラクシナスで使われている顕現装置の多くは、私たちのメーカーで開発したものが多いのさ」
竜雄が興奮気味に語った。彼の話を「おぉ……!」と興味深そうに聞く美九と、ただ真剣に耳を傾ける折紙であった。
昼食におせちを食べ、各自がまったりとした時間を過ごしていた昼下がり、琴里がリボンを黒に付け替えて言葉を発した。
「このまままったり過ごすのも良いけど、良かったら皆で天宮市をフラクシナスで回ってみましょう」
「お! 妹ちゃん、それナイスアイディア」
二亜がぐっと親指を立てると、琴里はそれに返すように誇らしげにほほ笑む。他の精霊も同じ意見のようで、頷いたり、良いねぇと声を上げている。
「良かったら、おとーさんとおかーさんも一緒に来ない?」
「もちろん行くわよ。ことちゃんが、ラタトスクでどんな活躍をしているのか。親として是非見学したいもの。ねえ、たっくん?」
「ああ。実の娘が司令官なんて、親として鼻が高いよ」
「そ、そう? ……なら良いけど」
琴里が照れくさそうに視線を逸らす。士道はそんな妹の様子を微笑ましく思い、声を掛ける。
「良かったじゃないか、琴里。父さんと母さんに見てもらえるなんて、またとない機会だぞ」
「分かってるわよそんなの……」
士道にとってはぶっきらぼうな司令官モードも、また愛おしい妹の一面だった。そこで頭でも撫でてやりたいが、どんなお仕置きを受けるか容易に想像が出来るため、あえてそっとしておく事にした。
士道はぱんぱんと手を叩き、その場にいる全員に呼びかける。
「皆、じゃあフラクシナスに行く準備しようか」
結果から言って、フラクシナスから眺める景色は最高というほか無かった。
計画的に区画された街並み、都市部を縫うように通う幹線道路、そこを行き交う車の数々。そして、中心部には大手私鉄のターミナル駅が見て取れる。電車が引っ切り無しに出入りする様は、見ていて飽きない。
高度一万メートルの上空のため、地上を通行する人々や車はまさに米粒だ。
空から見える絶景を前に、どの精霊もテンションが高い。その中で特に興奮していたのは、折紙と美九のコンビであった。
「見てくださいだーりん! 地上の人たちが、まるでありんこさんみたいですぅ!」
「そ、そうだな……」
「『フハハハハ! 見ろ、人がごみのようだ‼』と表現するに相応しい光景」
「折紙はどこでそんなセリフを覚えてきたのよ!」
折紙のあまりの豹変ぶりに琴里もが突っ込む。少なくとも、二人ともフラクシナスから見る景色に感動しているのは確か……なはず。
大盛り上がりのうちに、フラクシナスからの地上の光景鑑賞会は幕を閉じた。
その後夕食を全員で食べた後、精霊たちはマンションや自宅に戻って行った。今日は一日中盛り上がったため、一部のメンバーの疲れが凄まじかったのだ。特に八舞姉妹、四糸乃、七罪などはぐっすり寝ていた。
精霊たちを送り届け、家族全員で後片付けをした後、琴里は着替えとタオルを持ってお風呂を浴びに行く事にした。
お風呂を浴びる時は家族に一声掛ける事が、五河家のルールとなっている。以前、士道が中学生の頃、お風呂を浴びようとお風呂場の扉を開けたら入浴中の琴里がいて大騒ぎになった事があったのだ。
それ以来、お風呂に入る前には『誰がお風呂に入るのか』という確認を兼ねて、家族に声を掛ける習慣が出来たのであった。
というわけで、琴里はリビングにいる家族へ向けて、元気な声で呼びかける。
「私、先にお風呂入って来るねー」
家族全員が反応したのを確認してから、琴里はリビングを出て脱衣所にやって来た。
まず髪を括っていた白いリボンを解く。紅く燃えるような長い髪が重力に従って、自由に散らばる。
髪の内側に手を差し入れて、そして一気に外側へ押し出す。すると、長い髪が空中で舞い上がる。その仕草は、一見すれば中学生のものとは思えないほど手慣れていた。
そして脱いだ服などをかごに仕舞い、タオルを持ってお風呂場に入る。
腕から順に、柔らかいスポンジに石鹸を含ませて、それを泡立てて、優しく肌をこする。
腕を洗い終わり、体を丁寧にスポンジで撫でて、そして脚へ。伸ばしやすいように少し後ろに下がり、石鹸で泡立てたスポンジで優しく撫でる。
身体を洗い終えたら、いよいよ髪を洗う。
琴里が一番丁寧に洗う部分がこの長い髪である。幼い頃から士道に『綺麗だ』と言われている髪を、琴里は特に意識してお手入れをしているのだ。
おにーちゃんに言われているのだから、妹としては入念に洗う気持ちになるのも、容易に想像が出来る。
さて。どのように洗うかと言うと、至ってシンプルである。手で、シャンプーを髪になじませるように、時間を掛けてゆっくりと洗うのだ。琴里いわく、そうする事でシャンプーが髪に馴染やすくなるのだそうだ――とは、士道が琴里に聞いた話である。
身体も髪も綺麗に洗い終えた琴里は、湯船に身を委ねる。
今日は“白モード”や“黒モード”、両方で活発に動いたために疲労が溜まっていた。
司令官として精霊のバックアップを全力で行う事により疲れるのは日常茶飯事なのだが、無邪気な妹モードでここまで疲れるのはいつぶりだろうと、琴里は湯船から脚を突き出して、ぴんと伸ばしながら考えた。
ちなみに、琴里自身は恐らく無自覚なのかもしれないが、どうして琴里が様々な意味で自分を磨こうと努力しているのか――それは“女性として”という意味もさることながら、きっと、大好きな兄に見てもらいたいという気持ちがあるから……とも言えるのではないだろうか。
髪のお手入れに関しては並々ならぬこだわりを持っているし、きめ細かい肌からは、普段のケアを怠らない琴里の姿勢が見え隠れするようである。
そう考えると、琴里は人一倍頑張り屋さんな女の子なのである。
そんな琴里が落としたため息は、広いお風呂場に霧散する。
その瞳は憂いを帯びていたが、恐らく日常生活でいつも経験するようなストレスから来るものだと考えられた。
人はどこかでストレスを抱えて生きるものなのだ。ストレスを全く感じずに暮らせる人など、この世界でほぼいないだろう。
きっとその人なりに悩みを抱えているのだ。将来の事、人間関係、学校の事、はたま好きな人の事など……分類すれば沢山挙げられるが、琴里がどんな悩みを抱えているのかまでは推察する事は出来なかった。
お風呂を浴び終わりリビングに戻ると、士道がソファに座ってテレビを見ていた。琴里はその隣に腰掛けると、そっと頭を士道の肩に預ける。
妹のスキンシップ――士道は琴里をちらりと見ると、そっと髪を撫でる。
「お風呂あがりか?」
「うん。ほっかほかだぞー」
琴里はテレビに視線を向けたまま、びしっと親指を立てて見せた。その様子に苦笑したあと、士道は優しく声を掛ける。
「……今日はお疲れ様、琴里。司令官としても、妹としても」
「ありがと。……大変だったんだぞー。白の時はともかく、黒の時は精霊の皆をまとめないといけないし、あの時はみんなが好き好きに行動していたから、私疲れちゃった」
そう言って琴里は士道に、もっともたれかかる。密着した部分から伝わる妹の体温を感じながら、士道は言葉を続ける。
「……そりゃ大変だったな」
士道はしばらくテレビを見る事に集中していたが、隣に感じる重みが増したのを感じ、ふと琴里を見やる。
すると、琴里はすやすやと寝息を立てていた。これが黒リボンを身に着けた時であればともかく、白リボンの琴里の寝顔は、まだ年相応のあどけなさを色濃く残している。
妹の可愛らしい寝顔をここまで間近に見るのも久しぶりだなと、士道は微笑を浮かべる。
士道が、琴里の体勢をそっと変えて、自分の膝にその頭をのせる。士道が琴里を膝枕している格好だ。
琴里の寝顔を眺めながら、こうして妹と直に触れ合える時間がどれだけ貴重かを身に染みて感じながら、琴里のほっぺたに触れようとした時――。
「あらあら。しーくん、妹にオイタする気なの?」
「そんな訳無いって……」
「――冗談よ。しーくんがことちゃんにそんな事をするとは一ミリも思ってないもの」
士道にとって遥子の冗談は、それっぽく聞こえない事で恐怖を時々覚えるのであった。
遥子は今の士道と琴里の様子を見て、ぽつりとつぶやく。
「……しーくんがことちゃんのお兄ちゃんで本当に良かったわ」
「ん? 母さん、今何か言った?」
「――何でもないわ。ただの独り言よ。それよりしーくん、ことちゃんの事ちゃんと見ていてあげるのよ?」
「ああ。分かってる」
流石、琴里の母親と言うべきか、士道の返事に眩しい笑顔で応えるとキッチンへ向かった。
改めて、士道は琴里の寝顔を見る。
今もすやすやと眠る妹の寝顔は幸せに満ち溢れているようで、自分もその幸せを享受しているように感じる士道だった。
琴里が兄のために頑張っている事を、士道が知る日は来るのだろうか。そして、その琴里の努力が実を結ぶ日はやって来るのだろうか。
それは、まだ誰にも分からないのであった――――。
~END~
The cute sister who wears the white ribbon.
最初に掲載した作品から数えて三つ目までの作品は、私が小説の世界に入って間もない頃に書いたものなので、読み返してみると拙い箇所がありお恥ずかしい限りですが、最近掲載した作品と見比べて頂けたら幸いです。