【黒歴史掌編シリーズ】夏の訪れ
夏の訪れ
霞んでいくユメ もうすぐ目覚めて
朝 笑顔でユメ語って いつもの日常
出来たらいい 現実はもっと単純
ユメの話なんて真っ白の花
右から左 水の流れのように緩やかにただ流れていくだけ 忘れるだけ
でも笑っていられるよ そう出来ているから
アクムだったら 忘れることは喜ばしいことだけど
イイユメだったら……フクザツ
霞んでいくのはユメだけじゃない
空、海、山、川も草も花も……ミンナ
でも消えない また元通り
また前を向き歩いていく 明日へと
でも忘れられないことがあるなら
それが君を縛ることになる
でもいつかはきっと……
* * *
(何を考えていたのかしら)
そう思い返し、彼女はクスリと笑った。
そんな彼女に気づいていないのか通行人はみんな彼女の横を通り過ぎていく。
(もう三年か……)
(忘れたくても忘れられなくてもう三年。私はいつまで彷徨えばいいのだろう……)
そして、毎年同じ場所に行く。
思い出したくもないのに行ってしまうそんな場所へと。
* * *
雨が降る。そんな予感をさせる濃い灰色の雲空だった。
春から夏へと移り変わる微妙なこの季節は、湿気も多く気温も高い。吹き抜ける風が妙に生温かい。
俺が通う小さな喫茶店。
特に綺麗というわけでもなく、通うほどの価値があるのか聞かれても答えに困ってしまうだろう。
だが、その心地良さはいいもので、自然に足が向く。
今日も久しぶりの休みだというのにすることもなく、何もやる気が起きないのを天気のせいにしてぶらぶらと所在なく真昼の街を歩いているところで、足は自然と喫茶店に向かっていた。俺は苦笑しながら喫茶店に向けて歩き出す。
全身から汗が吹き出す。じわりじわりと俺の体をむしばむかのような、そんな気持ちの悪い汗だ。みんなも俺と同じ。暑そうに歩いている。
喫茶店に入り、ウエイターにコーヒーを一杯頼んで、小一時間ほどゆったりと落ち着いた時間を過ごした。
「暑いですね」
ウエイターに話し掛けられ、「そうですね」と返す。こういう会話がまた、いい。
そろそろ外に出ようとお金を払い、外に出ると、曇り空はいつの間にか眩しいほど日差しが強くなっていて、俺はそれに目を細めながら、横断歩道を歩き始めた。
――女?
俺の横を反対方向に通り過ぎていったその女性に目を奪われる。
魅力的な白。
その女性は特に美人というわけでも目立つわけでもなく、髪の色は瞳と同じ淡い茶色。
これだけならわざわざ振り返らなかった。白いワンピースに白い靴、それに今にも消えていくような彼女の雰囲気が俺の心を惹きつけた。
「ねぇ、君……」
声をかけた。俺にとってそれはあまりにも信じられないもので、口に出てしまったことをすぐに悔やんだ。
その女性は、はっきりと俺の方を見てまた歩き出した。
俺は妙に後ろめたいような、何かに押しつぶされるような、そんな気分を引きずり、そのまま横断歩道を渡っていたことに気づいた。また振り返る。
もう彼女の姿はどこにもなく、信号は赤になるところだった。
ブーー……
はじめは何の音かわからなかった。でもそれがあまりにも近かったから反射的に振り返っていた。
反対側に渡っていたはずの彼女がこちらに来ようとしていた。大きなトラックに彼女は轢かれる寸前。
俺は自然と彼女を引き寄せていた。はっきりとしていたのは、どうしても助けなきゃいけないような気がしたこと。
何故か足に鈍い痛みが走ったのだが、そんなことは構っていられない。
そのまま俺は彼女を抱き寄せるような形で二人で後ろに倒れこんだ。
トラックは数回大きなクラクションを鳴らした後、数十メートル先でようやく止まった。
――冷たい?
彼女の体は外の気温とは裏腹にとても冷たかった。まるで人間じゃない体温だった。
そこまで背中が痛くなく起き上がれそうだったので、彼女に降りるように伝えて俺は上半身を起こした。
出てきた絶望な顔の運転手が俺たちの元にやってきた。
「大丈夫か!? 死ぬつもりか!」
「いえ。俺は彼女を助けようと……」
「え?」
「え?」
「君一人じゃなかったのか!?」
「え?」
「俺の気のせいか……? それより、君。怪我はないか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「大丈夫ならいいんだが……あとで違和感感じたりしたら、この番号に連絡してくれ」
おじさんに名刺を渡された。
そのおじさんはトラックに乗って走り去っていった。
* * *
「ありがとうございました。それにごめんなさい……」
小さな公園。俺たちはベンチに座っていた。
やがてその女性は、今にも消え入りそうな様子で頭を下げた。
「気にしなくていいよ。俺がヘマしただけだから」
情けない話だ。助ける拍子に俺は左足首を捻挫していた。
「俺は有紀。君は?」
名前を聞いたところで、意味のないことだとすぐに気づいた。
しかし、一度口に出てしまった言葉を消すことも出来ず、俺はただ黙り込むしか出来なかった。
「霞です」
――おいおい。何も名前まで消えそうな名前じゃなくてもいいじゃないか。
そんなことを考えているうちに、俺は風が涼しくなってきているのを感じた。
「あの……」
「何?」
不意にその女性が言いにくそうに俺に声をかけた。
俺はその女性にあまり気を遣わせちゃいけないと、さりげなくその女性の方へと向く。
「来てほしいところがあるんです」
「わかった。先に薬局でシップを買ってきてもいいかな?」
「はい。このすぐ近くに薬局がありますよ」
日が少し傾く頃、俺とその女性は滑り台と砂場しかない小さな公園からほんの少し歩いたところにあった小さな墓場へと来ていた。
「ここね……私の墓なの」
「え……?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「私の墓だって……? だって今、ここにいて……」
墓の名前を見る。そこには『上村 霞 享年 十八歳』と刻まれていた。
「私ね、三年前の交通事故で死んだの」
突然の告白。
――十八歳の若さで……まだまだ人生半ばだろ。俺だってこうして立派にフリーター……まあ俺のことはどうでもいい。この告白を信じろという方が無理だ。話が滅茶苦茶すぎる。
その女性が言うには、事故に遭ったその日、大切な人は海外に留学していなかったそうだ。
だから信じれるわけないだろ。そんなどこかの三流ドラマみたいな、ありえない話……誰が信じるもんか。
そう思って俺は帰ろうとした。
「助けてくれてありがとう。とても嬉しかった。あなたが……大切な人だったらよかったのにね……」
空気が急速に冷えていく。傍にあった何かが、突如失われていくような、そんな肌寒さが俺を支配する。
俺はその空気に、金縛りにあったみたいに動けなくなってしまった。
「ありがとう。さようなら……有紀君」
俺の頬に何やら柔らかいものが当たったと思ったらすぐに離れていった。
その感触に俺が気づいた時には、その女性はまるで霞のように姿を消していた。
『最期』に見せたその女性の涙の光……俺は一生忘れないだろう。
* * *
その後のことだ。
俺は自分でも信じられないことをした。帰る途中で見つけたかすみ草。俺は見かけたかすみ草をを摘むとまた小さな墓場まで戻り、かすみ草を彼女の『墓』に添えて手を合わせたんだ。
――何やってるんだ俺は……馬鹿馬鹿しい。
でも、そうしたくて仕方なくて。
しばらく手を合わせた後に、やっと帰路についた。
再びあの横断歩道を通る。
夏の訪れを告げる風が俺のすぐ横を吹きぬけていった。
毎年思い出すんだろうか?
思い出したら俺は毎年彼女に『会いに』行くんだろうか?
それも悪くない気がした。
* * *
ユメはユメ
ユメは虚像
ユメは自分を映す鏡
そのユメを人は忘れていく
時間という ケシゴムが
全てを消してくれるから
それはやがて彼女の未練も……
でも彼女のことは霞ませないよ サビシイから
ユメはユメのままであり続けたい
ほら彼は今夜もユメを見る
キレイなフシギな
霞んでいく……そんなユメを
【黒歴史掌編シリーズ】夏の訪れ