スコップを手にとって

 昼、下宿の玄関を出て100mほど歩いた時、大地がユッサ、ユッサと揺れた。大変だ、倒れないように体のバランスをとるのがやっとだった。
学校が3日間休みになったので、次の日に街の被害状況を見に出かけた。物見遊山の不謹慎な気持もあった。
私の下宿は断水も停電もなく無事だったが、ここはひどい、広いバス通りなのに足元にガラスや木片が散乱して歩くのが大変だ。地割れもしている。液状化現象で大量の砂が建物の中まで入っている。
革靴を履いて歩いている私は明らかに見物人の格好だ。後ろめたい気持でUターンしようとした。丁度その時目が合ってしまった。小太りのおばさんが頭から湯気をたて顔を真っ赤にして汗を拭いていた。「手伝いますッ」、咄嗟に私はかたわらのスコップを手にとった。砂は重かったが心は軽くなった。
昼食に下宿に帰り、午後は長靴で戻った。
次の日も来て、夕方に終わった。
三日目は隣のスナック店も知らぬふり出来なくて手伝った。私が帰るときそこのおじさんは、電源が切れて生温かくなったビールを注ぎながら「この店もたたもうと思ってます」と寂しそうに言った。
 授業が一段落して夏休みになった頃に様子を見に行ったら、おばさんは小さいラーメン屋を再開していた。「おや、あの時の学生さんね、さあさあどうぞ、あの時は助けていただき有難う御座いました」と歓迎し、おいしい豚骨ラーメンを作ってくれた。スナックのおじさんを心配して聞いたら「東京に出ていったわ、学生さんに宜しくと言っていたわ」と教えてくれた。
少しばかり手伝って恩きせるつもりはない。固辞されたラーメン代を丼の下に隠して店を出た。                                          その後は立場が逆転したように、他県から来ていた私はこのおばさん一家に、生活面で何かと世話になった。下宿のこと、引越しのこと、家庭教師のこと。おせっかいもされた。将来の嫁さんにどうかと写真を見せられたり、それとなく合わせられたりした。青春時代の懐かしい思い出だ。
おばさんはもう90歳をこえただろう。店も無くなった。
私は65歳すぎにも、姉の住む水害地に妻と行き、床上浸水で泥水をかぶった畳を運んだことがある。その重さで体力の限界を知り、もうお手伝いは無理だと思った。
 「ボランティア」は災害時でなくとも何かしらで多くの人達が経験している。昨今では阪神、東北、熊本と災害が続きその重要性は一層増してきた。何百人、何千人と押すな押すなで集まってくる。結構なことだ。しかし、ボランティア受け入れ中止のニュースが流れた。私にも除雪作業の経験があるが、毎年屋根の雪下ろしで苦労する豪雪地帯の人々はこれを聞いて勿体無いと思っただろう。奉仕を提供する方にとっても、受ける方にとっても残念なことだ。
 今思えば、私は若い時に、役に立ったかどうかは別として自由な立場で砂出しを手伝って喜ばれたのはよかった。貴重な経験であった。
                                                                                        2016/07/07

スコップを手にとって

スコップを手にとって

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-01

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