旅人

ひとつの名言に出会い、そこから物語をつくりました。

「もう無理だ」



一人の旅人はこうつぶやいた。


そしてその場に尻をついた。


この旅人は、目的地へと足を運んでいたがその途中、ついに大きな壁に行く手を阻まれてしまったのだ。


これまでの行路の中で、このような大きな壁はなかった。


答えは簡単。


彼が楽な道ばかりを選んでいたからだ。


しかし今回の目的地に辿り着くためには、この道を行くしかない。



「引き返そうかな………」



すぐに諦める。


彼の悪いくせ。


ため息まじりに旅人は、くるりと振り返り来た道を歩き出そうとした。


するとその旅人の横を、一人別の男が走り去った。



「なぜ戻る、忘れ物か?俺は先を行くぞ」



そう言い放った男は、旅人のライバルでもある勇者だった。


旅人とは違い力もあり知恵もある勇者は、するすると壁を登っていった。


普段は気にもとめないが、自分があっさりと越えることを諦めたこの大きな壁を、またしてもあっさりと突き進んでいった勇者にある思いが芽生えた。



「負けてたまるか」



旅人が勇者をあんなに大きく感じたことは初めてのこと。


もうこれ以上差をつけたくない。


その一心であとを追った。


すると勇者が



「旅人よ、お前にこの壁が越えられるか?いいや、今のお前じゃ無理だな」


と言い放ち、自分は楽々と旅人との距離を離していった。



「俺は、………自分のペースでいけばいい…」



ライバルに距離を離されていることを自覚しているが、こう言い聞かせることで自分の心を落ち着かせた。


しかし彼の心には、「今のお前じゃ無理だ」という勇者の言葉が何度もこだました。


今の俺じゃこの壁を越えることはできないって言ったよな。


そりゃそうか。


今まで危険な道は避け、楽な道しか選ばず少しの困難でもすぐに諦めていた。


そんな俺をよそに勇者はあらゆる困難に立ち向かっていった。


いつも間近で勇者のレベルアップを見ていた、そんな勇者が羨ましかった。


今までの俺ならここで諦めて違う道を選ぶだろう。


でも、変わるなら「今」しかない。


それにこの壁を越えないと、二度と勇者に会えないような気がするから。


二度と勇者に追い付けないような気がするから。


人が生まれ変わるなんて案外こんなちっぽけなきっかけなんだ。


今の俺じゃ確かにこの壁は越えられない、でも「今」生まれ変われば可能性だってでてくる。


彼の腕には力が込められ、一歩ずつ確実に壁を登っていった。


そしてそれから幾時間が立ち、旅人は壁の上まであと少しのところまできた。



「俺、やればできるじゃん…」



そう思った旅人だが、すぐに撤回した。


やればできるは、やらなかった自分への言い訳に他ならない。


しかしそう思えたのも、彼が大きく成長したからである。



「もうちょっとだ…」



もちろんまわりに勇者などは見当たらない。


おおかた壁を乗り越えとっくに道を歩んでいるだろう。


それでも旅人は最後まで慎重に確実に手を伸ばし、壁の頂上に指をかけた。


もうほとんど腕の力は無くなっていたが、ここまできたらやるしかない、否、やりぬくためにここまできた。



「うおりゃあぁぁ!」



精一杯力の限りを尽くし、旅人は登りきった。


彼は生まれ変われた、いや、生まれ変わったのだ。


旅をはじめてから1ゲージも上がらなかった経験値が、ついに初めてたまった。


数字上ではわずかな成長かもしれないが、彼にとってはとても大きな成長となった。


そして旅人は初めて身体を休めることができた。


一時の安らぎ。


至福の時間。


それから旅人は、疲れきっていたが下を見渡すためにゆっくりと起き上がった。



「………!!」



旅人は言葉をなくした。


壁の上から見る景色は、今までの苦労を全部吹き飛ばしてくれるくらいに綺麗だったのだ。



どんなにはやくても、どんなに遅くても、登りきれば誰しもが見ることのできる景色。


それに旅人は少しの間疲れを忘れ見入っていた。



「今まで努力しないで、この景色を避けてきたのか、なんてもったいないことをしてたんだ」



努力することの意味ややりがいにもっとはやく気づいていれば。


その後悔すらも、今の彼には成長につながるのだ。



「よし……最後のつめだ」



そう、最後のつめとは壁を降りること。


下はコンクリ、飛び降りるわけにはいかない。


しかしすぐにその問題は解決した。



「あいつ……」



そこには下まで続く縄はしごがかけてあった。


しかも金に輝く勇者マークがついており、紛れもない勇者のものだった。



「俺のために………」



嬉し涙をこらえ、ライバルである勇者の優しさである縄に足をのせる。


降りるときも気を抜かず一歩一歩、最後まで慎重に。


ゆっくり自分のペースで降りていった。



「おーい!」



すると下から聞こえたのは、何十時間ぶりかに聞いた勇者の声。


旅人に両手をふりながら叫んでいる。



「もうちょっとだぞ!」



旅人はその言葉を聞き、速度を速めた。


はやく勇者に会ってお礼をしたかったからだ。



「最後の一歩だ………」



旅人はとうとうやり遂げた。


生まれて初めてこんなにも大きな壁を乗り越えた。


そして生まれて初めて達成感というものを知った。


それから旅人は溢れる涙を抑えながら、勇者に深く頭を下げて感謝した。



「俺のために……ありがとう!」



「お前なら必ずやりとげると信じていたよ、じゃねえとあんな高価な金の縄はしごなんかおいてかねえ、もったいない」



勇者の精一杯の優しさ。


その言葉のあと、勇者は歩きだした。



「勇者!本当にありがとうな!」



勇者のおかげでここまでこれた。


絶対にひとりじゃ乗り越えられなかった。


しかし、最後はやはり自分の力。


旅人は生まれ変わったのだ。


いつのまにかレベルも6になっていた。


しかしまだまだ道は続く。


この先の道は三つに分かれており、勇者は右の道を行った。


だが旅人は真ん中の道を行かなくてはならない。


どの道も長く困難な道だ。



「また逢おうぜ!旅人!」



この言葉を最後に勇者は遠くに消えた。


それを確認した旅人は歩き出した。


もう旅人に恐れるものなどなかった。


あれだけ大きな壁を乗り越えた確かな「力」と、別れはしたものの信頼できる真の「仲間」ができた。


一番大きなのは、たとえ今より大きな壁や困難が立ちはだかったとしても乗り越えられるという強い「自信」ができたこと。


それに…………



「あ……………」



歩きながらふと後ろを振り返った旅人の目から、抑えていた涙が溢れ出そうになった。


登る前に見た壁は、本当に悪魔のような邪魔でしかなかった存在だった。


しかし今は輝いている。旅人が行く道を後ろから誰にも邪魔されないようにしっかり守ってくれている。


大きな壁を乗り越えればその後、それだけ大きな砦となって我が身を守ってくれるのだ。



「うしろ任せたぞ」



そうつぶやいたあと、旅人は前を向いて歩き出した。


その表情は、登る前のそれとはうって違っていた。


そしてもう二度と後戻りすることはないだろう。


すると彼のうしろからはっきりとこう聞こえた。



「もうふり返るなよ、ここは俺が守っておいてやるからな」



旅人は最初で最後の涙を流した。




終わり

旅人

心のすみにでもおいて頂ければ幸いです。

旅人

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-06-16

Copyrighted
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