闇オークション
ムゲンwarsのみんながわちゃわちゃしてるものです。
それはなんということはない、いつもの昼下がりだった。
とくに何かの異常があったわけではない。
本を読んでいたら夜が空け、人々が動き出し、それでも本を読んでいたら側近が食事を運んできたので、朝から珍しく食事をとったという半日を過ごしていた。
そんな半日の中に、彼にとっては特筆するべき非日常があったわけではなかった。
いつもと違うことの始まりは、きっかけと呼べるようなものは、それはよくありませんよ、という穏やかな声である。
とはいっても、その一言が何かの転機だったかというと、そんなことはない。
彼にとってはよく聞く声であり、そのたしなめるような言葉もよく耳にした。
はじまりだといえる明確なものはなかった。
だからあえて言うなら、という意味合いが強いきっかけは、けれど彼の日常を揺るがすには十分だった。
「そうだな、よくないぞ」
と、別の声が静かに同意する。
彼は己の先生2人に咎められ、そうか、と納得した。
(ぼくがやったことは、よくなかったのか)
と、少年は晴れた空のような目を伏せて思案にくれた。
現在、彼がいるのは、柔らかな日差しが差し込むホールだった。
広い室内には、人気がない。住居感のない、まるで夜会でも行われるような装飾のある広い部屋だった。
そこは温室のようなガラスで囲われた部分と、普通の部屋が合わさったような形をしていた。
天井のガラス部分からは、昼を過ぎた柔らかい日差しが差し込んでいる。
灯りはその日差しほどで、お世辞にも明るいとは言えなかったが、そのことに異を唱える者はいないようだった。
少年が住まう建物は図書館である。
空色の瞳をする少年はこの館の主だった。
本が好きなことで有名な彼のことを考慮すれば、この部屋は少々異質に映るかもしれなかった。
本来ならば本が埋め尽くされてもよさそうなのだが、実際この部屋以外はほぼすべての部屋に本が置いてあるのだが、この部屋には丸テーブルといすのセットや、柔らかなソファなど座るものが多い。
それでも、そこを交流所的なサロンとしてみるならば、少々いすの数が少ないような、そんな印象を与えた。
その中のひとつ、大きめの丸テーブルを囲んで、少年と2人、怪物がいた。
怪物、と称するような二匹は、見た目だけはどうつくろおうとも人間には見えない。
全体的に落ち着いた木目の調度品。
机の上に置かれた果実が乗ったケーキとお茶。
という、その景色だけ見れば、穏やかなお茶会である。
だが、参加者はどうにも奇妙なのだ。
一人は、えらく長身だった。
背は高く、腕の代わりにこれまた立派な緑の翼が生えている。緑の羽は黄色も混じっており、身じろぐたびにその色彩を変えていた。
美しい色彩と、見ただけでもわかるやわらかそうな翼は、まるで美しい鳥のそれであり、いつまでも目を引き付ける。
スーツのような礼服に包まれた体はどちらかというと細身だった。
それでもどこか不気味な、大きな印象を持たせる。
その一因の一つは間違いなく顔だった。
顔には可愛らしい鳥を模したような仮面をしている。
その仮面が、なんともファンシーで、礼服とのアンバランスさを感じさせるのである。
仮面にかかる髪は鮮やかな緑の翼によく似た色をしており、長めの後ろ髪はひとつに束ねてられていた。
身なりは気をつかっているようなのに、仮面とその格好のアンバランスさが、滑稽ゆえに不気味だった。
少年の何倍もある、人のような人でない生き物は、一般人からしたら怪物以外の何物にも見えない。
だが穏やかな物腰が、緑の翼を持つ彼を上流階級の人間のように見せていた。
そんな仮面の鳥人間は、うんうんと頷いた。
「…なんで、と、聞いてもいいですか?」
少年が仮面の鳥人間でない、もう一人の参加者に顔を向けて訪ねた。
もう一人は、おう、と鷹揚に頷いた。
しかしもう一人も、やはり人間とはいえなかった。
黄色と橙で覆われた体毛には、毛先にところどころ黒い部分がある。外見は狐と子どもを合わせたようだった。
それでもやはりその獣も毛並みが美しく、毛皮にと誰もがほしがりそうですらあった。
もちろん、そんなことを少年は考えるはずはなく、少年にとってこの獣は尊敬すべき先人だった。
そんな毛むくじゃらの生き物が、もう一人の参加者だった。
「お前がやったことは、命を蔑ろにすることだから、よくないんだ」
毛むくじゃらの生き物はつぶらな黒い瞳をして、器用にティーカップを手にしてお茶を啜る。
ほっこりと和む様子はずいぶんと可愛らしいものの、その口から覗く牙は外見を裏切るような獰猛さを感じさせた。
「…ないがしろ」
その言葉をかみしめるように繰り返す少年に、鳥の仮面は横に傾いだ。
「感情的に、好ましくないということでもありますが」
君はそのあたり、希薄ですね、と鳥の仮面の下から穏やかな声が続く。
「何かを蔑ろにすることは、やはり一般的には不愉快に思うでしょう」
うーん?と少年は首を傾げて、声もなく魔法を使い、カップを浮かせた。
「書館のにはわかりにくいか!」
理解できないという顔を見せる少年にその声に笑みを混ぜる毛むくじゃらの生き物は、歯を見せてと笑った。
少年は毛むくじゃらの生き物に、不服そうな視線を向けた。
「…一般に、命ある生き物は、みな死ぬのです。だから、生き物は今を精一杯生き、また次の命を紡ぐ。そういう循環があるので、命を蔑ろにするものは、いつか動揺の痛手を食らいます」
だからよくないのですよ、という仮面の鳥人間に、少年はちらりと視線を向けた。しかしそれは少しのことであり、少年はすぐに目の前の宙に浮いたカップに目を向けた。
そして手が隠れた長い袖で、魔法で浮かせたカップを手にとる。
「鳥さんの言葉も蛮さんの言葉も、ぼくには難しい」
無感情につぶやく少年に、蛮と呼ばれる毛むくじゃらの生き物はその鋭い牙を見せて笑った。
「書館の、お前が蔑ろにしたことは、誰かにとっての悪意なんだ。自然っていうのは、よくできてる」
気をつけろよ、と蛮は目を細めた。
黒い眼窩の中に輝く黄色い目が細くなれば、蛮はひどく恐ろしい顔をするのだった。
ただ愛らしいだけでの生き物ではない。食らい、奪うという弱肉強食の獣のなかでも、強者に立つ黄色い獣は幼い少年に言った。
「他人にしたことは、必ず自分に返ってくる。世の中ってのはそういうもんさ」
おいらでもそうなんだ、と言う、魔を統べる一国の王に、書館は本当に?と訪ねた。
「…だって、蛮さんは王さまじゃない」
よくわからないけれど、本の中でも、そして彼の少ない経験上でも、王様はえらいのではないだろうか、と彼はそのような意味を込めた。
けれど蛮はおかしそうに目を細め。
「王さまもいろいろあるのさ!だからいろいろ見て回ってるんだ」
と言う。
なあ、と蛮は鳥に視線を向けた。
視線を受けた彼は静かに首肯して、お茶を啜る。
「だからお前も外に出ていろいろ見た方がいい」
その言葉には正当性があり、そして書館の興味を惹く言葉でもあった。
いろいろなものを知りたいという知識欲は、彼とてある。
だがその知識欲は、彼が住まう図書館にいれば、すべて済んでしまう話だった。
彼は、はあと重たい息を吐き、両手で抱えたカップの中のお茶を飲み干した。
「…わかっているけど、ぼくはここを離れたくない。図書館ごと移動できる手段があれば別だけど」
それは無理だろう、と二人に言われずともわかっているのか、書館は小さく肩を落とした。
「…まかいの、本は、魅力的だけど…」
けれど自分で探しに行くまでもなく、聖界中のあらゆる本が毎日のように寄贈されてくる。
それを読むだけでも十分といえば十分なのだ。
「…まあ、無理をする必要はありませんよ、書館くん。それに、魔界の本が、一冊、どうやら聖界に流れているようですし、ね」
そうだなあ、とつぶやく蛮の声を無視して、書館はガタリと椅子から立ち上がった。
「そ、え、そ、な、なにそれ⁉」
目をきらきらと輝かせ、頬を赤らめながら身を乗り出すその仕草は、見た目通りの、年相応の少年のようである。
勢いあまってバランスを崩した書館はそのまま、べしゃりと床に倒れた。
鳥と蛮の二人はと言えば、滅多に見ることのない書館の少年のような一連の行動に、動くことを忘れていた。
はっと先に我に返ったのは蛮の方で、大丈夫か!と声を上げる。
「…だ、い、じょ、ぶ…」
ふらふらと立ち上がって、書館はもう一度椅子に座る。
しかし落ちつきなくそわそわとしている様子を、蛮と鳥はあっけにとられて眺めるのだった。
長い時間を生きる二人からすると、見た目と大差なく書館は子どもだ。
しかし彼はずいぶんと年相応とは言いがたい反応をするのである。
そのため落ちつきはらった言動しか知らない彼らは、一連の言動から書館も子どもなのだと思い知らされていた。
「…鳥さん、その魔界の本って、ほん、もの?」
その言葉に蛮はわずかに顔をしかめて、鳥は首を傾げた。
すべてにおいて受容的な書館にしては珍しい疑いの言葉だった。
蛮は鳥を疑うのかと顔をしかめたが、鳥は行動の通り、書館の行動が気にかかった。
鳥が知る限り、彼が人の情報を疑うような言動はすることがない。
だからこそ。
「どうしてですか?」
と、鳥は素直に尋ねた。
書館に表情を読めといっても無理な話なのは、鳥も十分承知していた。
とはいっても表情云々の話をするまでもなく、鳥はその顔にファンシーな仮面をかぶっているのであるが。
ともあれ、書館は鳥の質問にうつむいた。
「聖界にでてくる魔界の本って、にせものが多いんだ。まがいものだったり、正当な流れから外れた、いわゆるげほうっていうのの魔術書だったり」
ほんものは未だにお目にかかったことがない、とこぼす書館に、鳥はくっくと鳩が鳴くような笑い声を上げた。
「なるほど、きみも苦労したのでしょうね…」
魔界の本と聞いてすぐに飛びつかずに、いろいろな可能性を探るということは、そういうことなのだろう、と鳥は思う。
彼は表情を読ませない仮面を少しだけずらして口元を見せた。
黄緑色の仮面の下は、まさしく人の肌をしていた。
その口元はにい、と面白そうに曲がっている。
「ですが、今回聖界に流れこんできたものは、本物ですよ」
その言葉にぱあっと顔を輝かせた書館だった。
だがすぐに、何かに気づいたように口を固く結んでしまった。
何かを考えるようにぼんやりとした表情で、思案に暮れる。
蛮と鳥はどうしたのかと首を傾げたものの、その日、二人は書館が何を考えこんだのか、知ることはできなかった。
「こ、こちらです・・・」
それから数日後。
震えたような声が、書館の元へ、ひとを案内してきた。
椅子にひざを立てて、丸まるように座り込んでいた彼は、ちらりと顔を上げた。
「あらあら、お久しぶりね、書館くん」
そういって明るい声をかけてきたのは、異種族の女性だった。
少し焼けたような黒めの肌の上に胸を覆う黒い布と赤い紐で腰の辺りに結いとめた、ゆったりとしたズボンが衣服のようだった。
にこにこと笑ってはいるが、白い髪の間からは正面と左右に、額から黒い角がむき出している。白く長い髪は後ろで結い上げられていた。
青みがかった緑の目は優しげに細められており、愛らしい印象を与える女性である。
だが、彼女の手には槍のようなものが握られていた。
そのちぐはぐさが、彼女を只者でないと見せている。
「・・・くーさん・・・」
書館は彼女に目をとめ、そしてすぐに背後に視線を向けた。
その際、案内をした職員がすぐさま出て行くのを、書館は視界の端で捕らえる。
「土産をもってきた。今日も世話になる」
彼女の後ろにいた大柄な男はそういって、巨大な荷物を床に降ろした。
その瞬間、どおん、とすさまじい音と揺れが生じた。
しかし、この空間にはそれに悲鳴を上げるものはいない。
ただ、女のほうが少しだけ目を吊り上げて男のほうを見た。
「だめよ、ゆっくりおろさないと」
その言葉に男はすこしだけ相好を崩して、ああ、すまないと小さく口にした。
やりとりだけ見ていれば仲睦まじい異種族の夫婦である。
しかし、この男をみて動じないものは少ないのだった。
それは、書館の知り合いの中でも、随一に恐ろしいといわれる人物だった。
男は女のほうと同じようなゆったりとしたズボンをはいているだけで、上半身はその鍛えた肉体を惜しげもなくさらしている。
赤褐色の肌に鍛え上げられた体。
肩の辺りからは、額と同じようにむき出している黒い角。
それだけでも人間からは恐ろしいと評されそうな風貌だが、さらに何かを考え込むような眉間に刻み込まれた皺が、彼から人間を遠ざける。
その厳つい顔立ちは、凛々しさを通り越して人々に恐怖を抱かせる、まさしく魔王のそれだった。
そして黒い瞳の中に光る赤い目は、普段は鋭い眼光を放っていることを、書館は知らない。
普段、この男は書館のもとを訪れる際、幾分やわらかい目をしているからである。
「・・・戦さんも、いらっしゃい。いいのに、いつもいつも」
その名の通り、戦の絶えない世界にいる魔王に、書館はいつにもましてぼんやりとしながら礼を述べた。
その様子に女のほうがおや?と首を傾げる。
いつも無表情な書館だが、この夫婦を前にしてこんな表情をすることはあまりない。
見慣れない異種族に、目を輝かせてあれこれと話をせがむのがいつもだった。
そしてそのついでにろくに食事をしていないであろう書館に、モノを食べさせるのが、実はクキのひそかな楽しみである。
「こちらは学ばせてもらっているからな。あとお前はもっと食べて大きくなれ」
という戦の言葉に、やはり書館は、ああ、うん、とやはりどこか上の空で答える。
いつもなら、ぼくはもう勇者だからあんまり変わらないと思う、という嫌そうな顔で応じるのだが、今日はそれがない。
これは何かあったのね、と女はにこにこしながら、背後にいる戦に小脇をつつく。
「む?」
「ちょっとあなた、書館くんがおかしいわ」
小声のやりとりにも気づかず、書館は考え込むように、さらに丸くなる。
女は書館の向かい側に座ると、ねえ、とゆったりと話しかけた。
「どうかしたの?1人で考えるより、話したほうが解決することもあるわ。私たちに話してみて?」
書館はちらりと女のほうに視線を向けたあと、足を下ろした。
大きな椅子の上で伸ばした足をぷらぷらとさせながらうつむく。
「…あのね、クキさん・・・ほしいものがあるんだ」
ぽつりと呟いて、書館は首を傾げて彼女を見た。
「でも、どうしたらいいかわからない」
その言葉を聞いたクキと戦は思わず顔を見合わせた。
「それは、手に入れ方がわからないとか、そういうことかしら?」
「だったら戦って勝って奪え」
まだ聞いている最中なのにと恨めしい顔をして見上げてくる嫁に、戦はにやりとしただけだった。
うーん、と書館は首を傾げて視線をそらした。
「手に入れたいなら、その方法は考えられるんだ。そうじゃなくて、今あるのでも十分なのに、手に入れても、いいのかな…」
クキは目をぱちくりとさせた。
彼女は、彼が言っていることがわかる。
しかし、それは悩む内容なのかと首を傾げたくなってしまうようなことだ。
いい生活がしたい、より良くしたい、と、欲から生まれる戦いを見てきた彼女からするとおかしくて仕方ない。
けれど、目の前の外を知らない少年からすると、手を伸ばすことさえためらってしまうようなことなのだ。
と、思えば、彼女は何を言えば良いのかわからなくなってしまい、口をつぐんでしまった。
どうしたものか、とクキが悩んでいると、後ろから赤褐色の太い腕が伸びてきた。
それはうつむく少年の頭に、ぽん、と手を乗せる。
小さな頭を握りしめてしまいそうな大きな手で、よしよしと書館の紺の髪をなでる。
「良いではないか、手に入れろ」
にい、とシニカルな笑いを浮かべた戦は、小さな少年にそう言った。
書館は空色の大きな目を丸くして、大きな男を見上げた。
「ためらう理由がどこにある。欲しければ戦え」
外に一度も出たことがない少年は、その言葉に戸惑ったようにうつむきかけて、しかし、戦いの世界を統べる王を見上げた。
「…か、考えるだけでも、いろんな人を巻きこむんだ。被害も、た、たくさんでる」
「それの何が悪い?」
即答した戦の言葉に、書館は呆然として、続ける言葉を探そうとした。
しかし反論はなかなか出てこず、困ったように目の前の男を見上げた。
「戦いとは、そういうものだ。勝者も敗者もいる。だから強さがいる」
その言葉に、書館は困惑したように戦を見上げた。
争いも勝敗も知らぬ少年は、その言葉を正しいものとして受け取る。
しかし、彼に『外』のことを教えてくれた友人たちの言葉がひっかかり、うまく受けいれることができなかった。
「い、いいの、かな…でも、何かを蔑ろにするのはよくないって言われたんだ。ぼくは、ほしいと思って、考えてやったら、それは被害を受けた人や、巻き込んだ人を、蔑ろにするんじゃない、かな…?」
ずいぶんと難しいことを考えて天秤にかけるのだと、クキは目を細めた。
書館は外に出たことがない。
これはただの事実で、クキの目の前の少年は本だらけの図書館で育ち、今なお生活している。
そんな少年は、やはり情動に関してはちぐはぐで、人の心をうまく慮ることができない。
そんな書館を知るクキからすると、被害にあう人たちの感情と、書館が自分のほしいものを天秤にかけるのは、少々不自然に感じた。
誰から言われたのかしら、とクキは内心首を傾げる。
そして書館の言葉にふむ、と納得を見せる夫に助け舟を出すように微笑んだ。
「それは敗者に対する接し方によると思うわ。死者を悼むなら、それは蔑ろにしているとは言えないもの。敗者に次の道筋を示したりだとか、そういうことをするのなら、ないがしろにしているとは言えないでしょう」
そう、そうか・・・と書館はうつむいて、何かに気づいたように目を輝かせる。
そしてクキは、めったに笑わない目の前の少年が、ぎ、ぎぎと軋む機械のように口元をゆがませたのを見る。
それは純粋とは言い難い、笑いなれないために、筋肉がこわばっていることがすごくよくわかる恐ろしい笑みだった。
しかし、それよりも恐ろしい顔を見慣れている彼女は、そのぎこちなさに表情を和ませた。
よしよしと戦の手に頭をなでられている少年を見ていると、子供がいたらこんな感じかしらねえ、と思いをはせるのだった。
「それにしても、そのほしいものはそんなに手に入れるのが大変なの?」
と、一通り和んだところで、クキは書館にそう尋ねた。
彼はすぐに笑いを引っ込め、戦を見上げる。
戦は少々名残惜しそうに手を引っ込め、うむ、たしかに、と頷いた。
二人の反応に書館はすっかりいつもの調子を取り戻したのか、詠唱もなく、ふわりと魔法で浮かんだ。
「きになる?」
「そりゃあねえ」
ほしいものっていうと、ちょっと違うけどね、と書館は戦の夫婦にそれぞれに視線を向けた。
「したいことなんだ。ぼくが」
「何をしたいの?」
クキの声に、書館は興味のなさそうに、青い目を伏せた。
「・・・オークションってしってる?」
ええ、とクキは夫に目を向けながら、うなずいた。
「金銭で、目的のものに行う、競りのようなものよね」
聞いたことがあるわ、とクキが言うのに対し、書館はあってるよ、と頷いた。
「ぼく、オークションをつぶしたいんだ」
それは・・・とクキは眉をひそめた。
「いくら書館くんでも、無理があるんじゃないかしら?聖界のルールとかには詳しくないけれど、その、私たちの世界じゃないのだから、いきなり襲うのは、あまりよくないのじゃないかしら・・・?」
と、心配するクキをよそに、戦は大きくうなずいた。
「うむ、奇襲だな!」
「あなたはちょっと黙ってて」
妻に冷たい声で睨まれた戦は少し肩を落として、無言でうなずいた。
「くーさんの言うことはもっともだよ」
でも大丈夫、と書館は彼女の目の前まで近寄って、上から覗き込んだ。
「非合法の、闇オークションだから」
その言葉を聞いた瞬間、ぴしりと戦夫婦の雰囲気が変化を見せた。
殺伐とした空気を纏った二人だったが、書館はそんな二人の変化に気づかなかった。
「一応、大部分の国で、人身売買とかは禁止されてるんだ」
ぼくにはよくわからないけれど、と書館はそう前置いてから、くるり、と空中で回転した。
「でも、禁止されていても、やっぱり人間が人間をほしがることはいっぱいあるらしいんだ。戦さんや、くーさんにはわかりにくいかもしれないけど、見た目とか、あと、すごい魔力があるこどもとか」
彼は読んだ本の中にも、人を人も思わない価値観が確かに存在していることを思い出す。
左右で違う目の色をしたこどもの心臓を食べると不老不死になるだとか、赤い目はすごい力を秘めているだとか。
そんなものは伝承に似たものの一部であるが、しかし女神を信仰しない宗教の一部には、これらを本当に信じている人々がいると聞く。
他にも、魔力の多い子供は、権力が強い魔法使いとして育てるために価値が出たり、ものに価値をつけようとすればそれはとどまることを知らない。
「・・・なんにでも、価値はつくんだね」
自分がほしいと思うのは本だけであるが、そんな話を聞くと、『外』にはいろいろな人がいるのだな、とぼんやりと思う書館である。
「・・・ほしいものは、戦って奪うべきだ」
ぽつり、と険しい顔をした戦が静かに呟く。クキは穏やかにええ、そうねと同意した。
「だが、それは戦う権利が与えられているうえでの話だ」
「ええ、権利がないなら、戦いではないわね」
おや、と書館はそこでようやく、戦とクキがいつもとは違う、ということに気づく。
二人は二人の統べる世界の価値において、闇オークションと言われるものに憤りを覚えたのだった。
戦う権利はどんなものにでも与えられるべきであるというのが、彼が掲げる信念である。
戦い、奪うのは仕方がない。
だが、戦う権利すら与えらずに奪うことが、よいことであるはずがない。
王たる彼は、だからこそ、どのような戦いもこの身で受ける。それは相手に許しを与える行為であり、対等だという意思表示でもある。
だからこそ、彼の妻である彼女も許せないことだと、夫と同じように感じていた。
普通の人間がいたならば、今すぐこのぴりぴりとした空気に耐え切れずに逃げ出したことだろう。
異種族二人の闘志と憤怒は肌をなでるには刺激が強すぎる。
しかし、ここにいる少年は感情というものに疎い生き物なのだった。
どうしたのだろう、と首を傾げるのがせいぜいという書館の行動は、ある意味では素晴らしく勇者らしいと言えるのかもしれなかった。
「その闇オークションとやら、少し興味がわいたな」
にい、と口を裂いて戦が笑えば、恐ろしい以外のなにものでもないのだが、書館はけろりとそうなの?と聞き返した。
「うーん、まあ、強いひとならいっぱいいると思うよ。なにせ、何匹かの魔物と人間の共同で商売してるみたいだしね」
ほう、と赤い眼光を光らせた戦に、書館はそのオークションの開催日時と場所を伝えた。
がたがたと揺れていた馬車が止まる。
彼女はふう、と息を吐いた。
そんな自分に、緊張しているのかしらと少し笑う。
がちゃり、と馬車のドアが開き、見えない目の下で、日の光が差し込んでくるのを感じ取る。
「読心さま、到着いたしました」
従者の声に、ありがとうと手をさし伸ばす。
すると、自分よりも大きな手が、そっと彼女の手を握った。
その手を頼りに、そろそろと足を動かす。
勝手知ったる馬車内だが、それでもはっきりと見えていないとわかりにくい。
台座を見つけ、自分を支える従者の手を頼りに、彼女はゆっくりと地面へ降りる。
地面に降りるとまず、手にしている白の杖を抱える。
そして誘導してくれた従者を見やった。
「いつものように、このまま入り口まで連れて行ってもらっていいかしら」
「もちろんです」
と、従者とそんなやり取りをしたとき、じゃり、と彼女の耳に地面のこすれる音が届いた。
耳が良い彼女には、そのじゃり、という音の違いから目の前に来た人物が誰だかわかる。
体重の違いによって生じる音が微妙に異なるからであるが、今日はなんだが、その体重のかけ方が不自然な気がした。
どうしたのかしらと声をかける前に、やあ、と明るいあいさつをされる。
「あなたにすごく会いたかったから、来てみたよ、読心さん」
その口調は彼女のよく知る少年ではあった。
が、しかし声は、少年のそれではない。
声だけは少年の側近の声である。
また先ほどの音から、その側近の人物で間違いはない。
だが、しゃべり方がその断定を妨げる。
彼女が首を傾げると、くっく、と鳩が鳴くように、喉奥で小さく笑った。
「アベルの体を乗っ取ってみた。見えないあなたには大差がないのかな、と思ってみたんだけど、そうでもないみたいだ」
やっぱりすごいなあ、と感心するように声を出す目の前の人物に、手を握る従者が何か言いたげな雰囲気をしたことに彼女は気づいた。
しかし、そっと従者の手を握り、目の前の人物に笑いかける。
「いいことでもありまして?ずいぶんご機嫌がよろしいようですが」
うん、と興味がなさそうに返事をした。
その興味のなさそうなしゃべり方はいかにも彼らしい、と読心は小さく笑った。
そろそろだめだな、と目の前の彼は自分勝手に呟いた。
「詳しくは中で話すよ。じゃあ、またあとでね」
と、その人物はぞんざいに挨拶をした。
そのとたん、どさり、と何かが地面に落ちる音がする。
彼女は、まあ、と何が起こったのかを察して、傍らの従者の腕をたたいた。
「お倒れになったのかしら?いかがいたしまして?」
「・・・ええ、お気になさらず。大丈夫です、読心さま。私の主人の、気まぐれですから。お出迎えが遅くなったこと、また主人の非礼、心よりお詫び申し上げます」
じゃり、と地面のこすれる音から、彼女は出迎えてくれた人物が立ち上がったと知る。
彼女のよく手入れされた金髪の下の顔は、少し不安げな顔をした。
両目のあたりにちょうど両目を覆うように黒い布がまかれているために、表情がはっきりとはわかるわけではなかった。
しかし彼女の不安はなだめるべきだと、側近はそばにいた従者に大丈夫だと目を向けた。
「参りましょう、読心さま」
従者の明るい穏やかな声に、納得したのか、そうねと同意して彼女はゆっくりと歩き出す。
彼女の歩みは、隣に立つ従者よりもはるかにのんびりとしている。
それでも従者は彼女の歩幅にしっかりと合わせるのだった。
これは何も、従者のほうに特別な思い入れがあるとか、そういうことではない。むろん、彼女の従者を務めるだけあって、従者としている彼も彼女に心酔していることに間違いはないのだが。
下心を持たずとも、彼女には気を使う必要があった。
それは、彼女の目にまかれた黒い布。
それこそが原因であり、また要因でもあった。
彼女は、目が見えない。
光を感じることはできても、基本的に彼女の視界は色を持たない。
彼女が一国の姫であるというのに、簡素なドレスであるというのも、つまりはそういうことだった。
あまり大仰なドレスでは、歩きにくいのである。
彼女自身もあまり大仰なドレスは好まないという側面もある。
とはいえ、彼女も一国の姫は姫なので、国の代表者としての格が落ちることのないように最高級の素材が使われたドレスを着ていた。
簡素で歩きやすいながらも鮮やかな模様や、レースが使われたその細かな技巧は、目を見張るものがある。
ドレスだけでも彼女がただの平民でないことは一目でわかるのだった。
おまけにその丁寧な物腰としぐさは、普段からかしずかれていなければ見ることのない高貴さを纏っている。
彼女は紛れもなくお姫様だった。
いくつかの国では、女性が政治の場に出てくるのを好まない国もある。
そのため、姫と言っても国ごとに違い、全く政治的知識のない姫もいる。
女は美しければそれでいいと知識もない姫もいたりはするが。
彼女の国では女が政治の場に介入することを厭う風潮があまりない。
そのため、他国の姫と違って外交も積極的にこなす彼女には、蝶よ花よとかわいらしいだけの存在である必要がないのだった。
一国の姫にして盲目ということで、たいそう話のネタにはなりはする。
年頃の姫として気にはならないといえばウソにはなるだろう。
社交界と言うのは広いようでいて狭い面がある。
そのため、少しの気分転換のような気分でここに訪問したのが始まりだった。
しかしそれだけでなく、彼女は純粋に、とある少年に興味があった。
「やあ、読心さん。いらっしゃい」
そうして日の光がさえぎられて中に入れば、先ほどと同じような調子であいさつする声があった。
「先ほどぶりですわね」
彼女はきれいに手入れされた金色の髪を揺らして微笑んだ。
「うん。あれはもうちょっと改良すれば、あなたの国へ行くことも可能かもしれないな」
まあ、必要があればだけど、と相変わらず興味のなさそうに呟く少年が、声ほど無感動ではないことを、彼女は良く知っていた。
「人の体を奪うんですの?」
ちがうよ、と声自体は無感動ではあるものの、彼女はわりあい少年が楽しんでいることを『読んで』知っていた。
「アベルは人間じゃないから、ぼくが体の制御を奪えるんだ。これが読心さんだったら話は別だよ。また別の魔法を構築しないといけない」
なにはともあれ、いらっしゃい、と、少年がとさ、と床に降りたのを彼女は知った。
彼女の従者はよくわかっているので、読心が手を離せば、応じてすぐに手を放す。そして邪魔にならないようにと、す、と一歩後ろに下がった。
彼女は白い杖をつきながら、『読心さん』と呼びかけられるほうに向かう。
読心の世界に色はない。
その代わりに彼女は、神に勇者として選ばれ、心を読む力を与えられた。
心を読む力は、便利ではあるがおそろしい。
人の心の中は、軽率にのぞいていいものではない、と彼女は思う。
だがそれでも、視界に色はなくとも、人の心こそが彼女には鮮やかだった。
心には色をもっているような気さえするのだ。
『こっち。ソファがいいよ。となりに座って』
少年の嬉しそうな心は、明るい色をしていると、彼女は思う。
とんとん、と杖をつき、障害物をさけていると、そこだよ、と少年の声がした。
彼女は宙に手を伸ばして背もたれを探した。
そして背もたれを見つけるとほっとしたようにソファに座る。
「読心さん、手―」
はい、と声の方向に顔を向ける。
すると布に包まれた暖かくて小さなものが、読心の手を掴む。
それはゆっくりと持ち上げられ、ぺとりとした、柔らかいものにふれる。
「お久しぶりですわ」
そうして挨拶をしながら、本当は姫としてならば、正式名称を名乗って微笑んだりしなければならなかった。
けれど読心は、少年に対しては軽い態度で接することを自分に対して許していた。
彼女は、目の前の少年に触れている自分の手は、およそ頬あたりだろうと見当をつける。
彼女はもう一方の手を少年の顔の反対から触り、両頬を包み込むように触れる。
「あら、また少しお痩せになったのではなくて?」
そうかなあ、と頬から目元に触れられながら、書館はつぶやく。
そうして彼女は順番に、目、鼻、髪、と書館の勇者と呼ばれる少年の体をゆっくりと順番に触れる。
書館はされるがままにされながら、けれど心の中で『触ると、やっぱり認識しやすいみたいだね』とつぶやく。
その心の中の言葉にそうですわねと同意して、読心は彼が許すのをいいことに、こうして自分とは別の人間の形を知るのだった。
彼女も一応、一国の姫として、人の顔をやたらと触るのはいかがかと思っていた。だが、目が見えないものとしても、年頃の少女としても、他人の顔に興味がある。
とはいえ、従者たちにそんなことをしでかしては、愛人疑惑だのなんだとあらぬ噂を立てられかねない。
ただでさえ少々複雑な従者の関係をこれ以上こじらせてしまうというのも、彼女としても気が引ける。
そんなとき『じゃあ、触ってみれば?』とこの目の前の少年はあっさりと顔に触れさせてくれた。
以来、どうやら書館の中では挨拶のようになっているようで、こうして来ると手を顔に導いてゆく。
一国の姫として、やはり人の顔を触るのは失礼だとは思う。
そのため読心はいざとなったら挨拶ということにしようと言い訳を考えているぐらいには、実は毎回楽しみにしていた。
「ぼく、考えたんだ。読心の能力の仮説」
そして、こうして人肌に直接触れることで、彼女の能力も最大限に活用できるというのも、書館に触れる理由の一つではあった。
彼女は普段はあまり能力を使わない。
普通の人間相手に気安く使ってよいものではないからだ。
また、相手の心を知ってしまうことが、便利だけで済まないことも、彼女は良く知っている。
こうして能力を使う人間は限られていた。
だからこそ、書館に協力してもらうことで彼女は能力の訓練も兼ねている。
「女神から、普段人間が持ち得る魔力とは別種の魔力を与えられるんじゃないかなあって」
『命をないがしろにしないためには、お願いするしかない』
彼女は触れている少年の胸の内と言葉の相違に苦笑した。
「・・・思っていることと、話していることが違っていますわ、書館さん」
日常ではあまり人の心を読む能力を使わない読心だが、この少年の前では少々事情が違う。
彼女自身もよくわかっていない能力の解明と、能力の精度を上げるために、彼の前では全力で能力を使っていた。
もちろん、彼自身の許しと要望があってのことである。
「・・・仮説を考えたのも本当なんだけど」
『ちゃんと仮説考えたのに』
別の話もあるらしく、目の前の少年はそちらに意識が向いて仕方ないらしい。
「・・・読心さんは、どうしたら一番心を読みやすい?」
『ぼくのこころを読むんでほしい』
彼女はいつもやっていることなのに、と首を傾げた
「これ以上ですか?」
「うん。もっと。説明するの大変だから、ぼくがここ最近で考えたの、全部よんで」
おおむね内心も同じように考えているので、彼女はどうしたものかと困惑してしまった。
「わたくし、あまり能力を全力で使うということがありませんわ。ですからどのようにしたら能力が全力になるのか、よくわかりませんの」
むに、と困っていた読心は、手の感触で彼の頬を押してしまったようだった。慌てて手癖をする自分を意識して、力を抜く。
こめかみからするりと手を動かすと、さらり、とした髪の感触に、ついついどうしたものかと読心は撫でながら考え込む。
「この距離で足りるかなあ」
『もっと近づいたら、読みやすい?』
このままでもいいだろうかと悩む書館に、読心はよし、と覚悟を決めた。
「この際ですわ。どうしたら一番読み取りやすいのか、触れて探してもよろしくて?」
一国の姫として、また年頃の女の子としては、かなり恥ずかしいものがある。
しかし相手は聞いて触っている限り、幼い少年だ。
知識は豊富だが、何も恥じらう必要はないし、普段できないことをさせてくれているのだ。
彼の探求心に答えるべきだろう、と彼女は考えた。
触れていても彼は特に何も考えてはおらず、しばらくしてから、ぶわと膨大な知識が沸き上がってくる。
『一国の姫は、あまり人と触れることがないと本で読んだ。ぼくとちがっていつも誰かといねばならないみたいだし、ぼくが触られるのはべつにいいいけれど、習俗的な意味では大丈夫なんだろうか。でも読心さんは国の一番上だから、彼女がいいというのならいいのかな』
と、書館はそんなことを考えながら首を傾げる。
「大丈夫ですわ。だってわたくしも自分の能力について、もっと知りたいと思っていますもの」
問題ない、と言い切ると、彼はあっさりとじゃあいいよと口にした。
「密着度が高いと読みやすい?ぼくはあなたにくっつけばいい?」
「わりとその傾向にありますわね・・・失礼しますわ」
読心は書館の正面に向き直った。
そして髪から肩まで手を下すと、そっと引き寄せる。
自分の側近をはじめとしていろいろな人に抱きしめられ慣れている書館は、あっさりと彼女の首に手を回した。
わりと箱入りな読心はそれだけでぶわあと赤くなるものの、相手は幼い少年だと言い聞かせて、集中する。
『そういえば本で読んだんだけどね、人間のこころは、頭が作り出しているものなんだって。感情もぜんぶ、頭の中が作り出しているに過ぎないってあったんだ。もし読心が読むのが本当にこころだったら、頭合わせたりしたほうがいいんじゃない?』
「・・・わたくしは、どこで自分がよく読み取っているかはわからないのですけれど・・・試している価値はありそうですわ」
と、読心が言ってすぐ、首に回されていた手が彼女の頭の後ろを支える。
くい、と下を向かされたかと思うと、すぐそばで顔の気配がする。
え、と読心が動揺したのもつかの間、こつん、と額が合わさった。
想像するとかなりの至近距離なのではないだろうかと彼女は激しくに動揺した。しかしすぐにその動揺は吹き飛んだ。
『これでどう?』
まるで直接流れてくるかのように、はっきりと読むことができる。
油断すれば、彼の過去から何まで知りえることができてしまいそうだった。
「ええ、大丈夫ですわ。これは、少々危険なほど、よく読めますわね」
「そう。じゃあ、読心さん」
ぼくの心を読んでよ、という声に、彼女は小さくうなずいて、意識を集中した。
そんな二人を不機嫌そうに壁際で見つめるのは、二人の側近たちである。
「おい。近いぞ。おまえのところの姫さん」
「それを言うなら、毎回毎回、お前の勇者はなぜ自分の顔を触らせるんだ」
知るか、と寝不足気味の凶悪な顔で悪態をつくのは書館の側近であるアベルだった。
となりに立つ大柄な男はきっちりと礼服を纏っているのに対し、アベルはよれよれのワイシャツにネクタイとずいぶんとしまらなかった。
「あいつのパーソナルスペースが広すぎるんだ」
「近い!ああ近い!」
読心のためにきっちりと立っている礼服の男だったが、今にも暴れだしそうなくらいに険しい顔をしていた。
彼は読心の側近であるジョシュアである。
護衛からできることはすべて、読心の身の回りの世話を一手に引き受ける従者だった。
彼らは悪態をつきつつも、これで存外仲が良かった。
と、いうのも、お互い自分が好きな主人が仲良くしているのは気に食わないという利害の一致があるのである。
お互い、招待の手紙やらを握りつぶしたこともある。
ちなみにアベルもジョシュアも何を握りつぶしたのかを報告したり、進言するぐらいの交友関係を持っていた。
わりとまじめにいろいろやり取りをする勇者たちをみる側近二人の心はいつでも穏やかではない。
「・・・ところで今回は絶対に来てくれとのことだったが、どういう風の吹き回しだ?」
「いいのか、目の前から意識をそらして?」
からかうようなアベルの言葉に、ジョシュアはすっと表情を消した。
「意識をそらしてないと殺意がわきそうだ」
「・・・いい心がけだな。俺も見習おう」
俺もすべてを知っているわけではないが、とアベルは目を細めた。
「どうも、肥大化した闇オークションをつぶしたいらしいんだ。俺の主人は」
ふうん、とジョシュアは意外そうな声を上げた。
アベルはそれを正確に読み取り、俺も意外だ、と告げた。
「目的はオークションに出品される魔界の本だ。それはわかる。だがオークションだったら普通に競りで落とせばいいのにな」
「とはいえ、闇というからには、非合法なんだろう」
非合法も非合法だ、とアベルは肩をすくめた。
「何でも買える、をうたってる。ひとも、魔物も。聖界の多くの国では人身売買は禁止されている。禁止されていない国はそのような発想がないから成文化されていないだけだろう。・・・・それにほとんどの闇オークションがそうだが、人身売買なんてするメリットがない。国の規制が厳しすぎるし、たびたび起こる魔王の出現によって、確実に人は減るからな」
人を売り買いせずとも経済は回るし、魔王が出現して破壊されれば物資が必要になり、どこかは豊かになる。
そういう意味では傭兵こそいるものの、各国が重罰を強いているという面もあって、非合法とはいえども人身売買が行われることはあまりなかった。
ばれた場合のデメリットが大きすぎる国が多いのである。それを考えれば、普通に勧誘やらをしたほうが、よほど有能な人材がそろうだろう。
だからこそそういう意味で、人身売買を大々的に行っている件の闇オークションはおかしいと言える。
他にもいろいろとおかしな部分はあるから、つぶしてしまいたいというのもわからなくはないけどなあ、とアベルは息を吐く。
「・・・それはわりと、早急に対処したほうがいいかもしれない。あまり肥大化すると、平民を圧迫する」
とくにうちの国は農民が多いから危ないな、とジョシュアは独り言のようにつぶやいた。
「さらわれるとしたら、貧しい農民からだ。国境に近い村からなくなっていく」
ジョシュアの冷静な言葉に、よくわかってるな、とアベルはシニカルな笑みを浮かべた。
「非常事態とは言わないが、お前の国にもデメリットはあるだろう。俺の主人は外に出ないから、読心さまの手を煩わせることになるとは思うが、今回はよろしく頼む」
仕方ないな、とジョシュアは難しい顔をして、重たい息を吐いた。
カー、ァーと種類のわからない鳥たちの鳴き声がいたるところから響いていた。
青い空は憎らしいほどに晴れ渡っており、まあ自分が計算したのだから当然だな、とドレッドヘアーの男はとある船の甲板の上にて煙草をふかしていた。
聖界のとある港町のある海にて停泊する船の上では、男以外の船員があわただしく動いている。
それをのんびりと眺めながら、赤髪のドレッドヘアーを潮風にさらし、素知らぬ顔で太陽の光を享受した。
心地よい風にたれ目のやる気のなさそうな目を細めてしばし思考を停止する。
しばらくそうしていると、ふいにがちゃり、と船室のドアが開く。
中からは見目麗しい男と、それなりに身なりの整った初老の男が出てきた。
二人はいくつか言葉を交わすと、見目麗しい男のほうが、その顔面を存分に使ってにっこりと笑う。
初老の男は幾分ほっとしたような顔をしながら、見目麗しい男のそばにいた、大柄な男に送られていった。
初老の男が見えなくなるまで、見目麗しい男はにこにこと笑っていた。
尻尾のように伸びた茶色い二つの髪を揺らして、その血かとも見まがうような美しい目を細めているだけで、えらく動作の整った顔は価値が出そうだった。
と、男は煙を吐き出しながら思っていた。
しかし初老の男の足音が消えてすぐ、見目麗しい男はちっと盛大な舌打ちをした。
「あ―・・・」
ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱して、ぎょろり、と赤い瞳を傍らの積み荷に向ける。
先ほどまでの麗しさはどこへいったのやら、貴族然とした身なりに似合わない粗雑さが、その男の二面性を際立たせる。
今にも物に八つ当たりしそうだが、それをしないのは男が商人だからである。
この船の商談がうまくいかないときは大体こうだった。
すっかり慣れているドレッドヘアーの男は船長を冷めた目で見やった。
一方、八つ当たりの被害はたいてい船員に来ることがわかっている甲板の上の作業員は、どこに作業があっただのここに作業があっただのとわざとらしくつぶやいて、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
いつもは誰か一人ぐらい捕まるものだが、今日は誰一人として捕まらなかった。
「めずらしい」
と、他人事のように男がぷかあ、と煙をくゆらせていれば、かか、と小さな音がした。
傍らを見やると、ァー、と鳴く緑色の目をしたカラスが手すりに止まっていた。
口には高価そうな宝石で作られた首飾りをくわえている。
「ナイスタイミングだな。今日は商談がうまくいかなかったらしい」
お前はまったくタイミングを読むのがうまいと、と目元を緩ませて男は笑った。
「ちょっと、メイト」
ぎょろり、と男は赤い瞳をカラスの隣で笑うメイトに向ける。
「楽しそうですねえ、私の船の上で」
はあ?ふざけんな、とメイトは顔をしかめた。
「誰のおかげで船が順調に進んだと思ってんだ」
「その船の資本は私が出しているんですがね」
「動かせなきゃただの木くずの集まりだろーが」
ぴし、とお互いのこめかみに青筋が走る。
初老の男を送って戻ってきた大柄な船長の秘書は、その光景を見て、はあ、とため息をついた。
「すいませんね、本日は商談がうまくいかなかったようで」
苦労が多いのだろう、秘書は慣れた様子で後ろからついてきた存在に謝罪した。
「あらあら、いいのよん♡」
うふふ、と笑う妖艶な声に、青筋が走っていた船長は、ぴた、と動きを止めた。
秘書を見やり、その横からひょっこりと姿を見せる女性に、はあ、とため息をこぼす。
「二人とも元気なのねえ、いいことよぉ♡」
楽しそうに笑う声は、無邪気でいて、遊びに誘うようにひきつけるがごとくに甘い。何かを引き摺り込むような怪しさをたたえていた。
「なんのようですか」
「いやあねえ♡私とあなたの仲でしょう?」
冷たいこと言わないで、と無邪気に笑う女の顔に、船の主は迷惑さを隠そうともしなかった。
豊かな胸は黒い布で覆ってはいるものの、あふれんばかりに盛り上がって谷間を作っている。
腰のあたりにもスカートのように布が広がっているが、それも人間として最低限の部分にしか布がない。
とはいえ、背中に広がる美しい四枚の薄い羽と、とがった耳が、彼女を人間でないと示している。
二の腕まである手袋と太ももまで伸びたブーツのおかげで、総量的にはそんなに肌をさらしているわけではないのだろうが、それでも恰好は娼婦のようだった。
だというのに、格好に合わず、とてつもない魔性と威圧感を持っているのだった。
まるで自ら自分をささげたくなるような。
もちろん色っぽい恰好もあるのだろうが、それだけでなく、彼女は確かに、上に立つ者の風格を持ち合わせていた。
彼女は腰あたりまである、長く色素の薄い髪を掻き上げた。
「せえっかく、面白いお話持ってきてあげたのにィ♡」
口の先をとがらせて幼く主張する彼女のそういった行動さえも、大部分の人間には扇情的に映るだろう。
彼女は男であろうと女であろうと関係なく人間を引き付ける。
そんな魅力を持っていた。
しかし、この船の主はめんどくさそうに眉根を寄せる。
「聞いていませんでしたか、今日は機嫌がよくないんです。本当におもしろくなかったら聞きたくありませんよ」
めんどくさそうな顔をしながらも、気安さと礼節を持つほどには、この商人は目の前の異種族の女に気を許していた。
「あらん♡相当つまらなかったのね♡でもダイジョーブ♡」
うふ、と楽しそうに笑い、彼女はその豊かな胸のあいだから、紙切れを取り出した。
すげえな、とメイトは赤いのを隠すように顔を引きつらせる。
一方隣にいるカラスはなぜか自分の胸元を見やり、ァー・・・と少ししょんぼりとした鳴き声を上げた。
「ねぇ、オークションに興味はない?」
「ありませんね」
ばっさりと切り捨てた船の主に、もう、と彼女は口の先をすぼめた。
「せぇっかく、あなたに利益がありそうなお話なのにぃ・・・」
いらないのね、と紙切れ二枚で口元を隠す彼女に、彼は麗しい顔を盛大にゆがめた。
「その言葉を使うなんて卑怯ですよ」
うそじゃないもの、とけたけた笑う彼女に、商人は肩を落とした。
「あなたが勇者のお話以外に利益のお話を持ってくるとは思えませんが」
あらん、よく知ってるわね、と気は無邪気に笑った。
「ちょっと困っちゃったのよ♡」
おや珍しいですね、と商人は口の端を釣り上げた。
「あなたが困るんですか?」
いくらでも支配すればよさそうなのに、という言外の言葉を読み取ったのか、彼女は黄色い瞳を細めた。
「そうもいかなくなったのよ♡」
彼女はかつかつと商人に歩み寄った。
そしてその麗しい男にしなだれかかるようにして近寄ると、ひらひらと紙切れを示した。
誘うような柔らかな金色の目に一切惑わされずに、男は無言でその紙切れ二枚を受け取る。
よくよく見たそれは、紙切れではなく手紙のような招待状だった。
「あなたのお仕事を見習って、私もオークションを作ってみたのぉ♡」
男の耳に口を近づけ、蠱惑的な音色であっさりとそういう彼女に、商人は片眉を上げた。
「どうでしたか?」
「だーいしっぱいよ♡」
肩をすくめた彼女は、後ろ髪を掻き上げた。
色素の薄い金色の髪は太陽に照らされてきらきらと光を放つ。
「慣れないことはするもんじゃないわねぇ♡眷属を使ってやっていて、あまり大きくする気はなかったのだけれど、大きくなりすぎてしまったのよ♡組織化したのはいいけれど・・・魔法を使える勇者が組織の中枢にいるものだから、少々めんどうになってしまったわ♡おまけにそこそこ有名な勇者の国でオークションを開きだしたりしていて、目に余るのぉ♡」
ふうん、と商人はさらに口の端を吊り上げ、赤い瞳を細めた。
「あなたが動くのではだめなんですか?」
言ったでしょう、と彼女は胸の下あたりで腕を組んでため息を吐いた。大きな胸がさらに強調されるように持ち上がる。
商人の後ろで、航海士はそっと目をそらし、隣にいるカラスはァ、アーと泣きそうな声を上げる。
「すごくすごくめんどうだわ♡組織の人間を全部眷属化して、撤退させる、なんて♡どこまで広がっているか、私だって把握していないわよォ♡うっかり関係のない人間まで眷属化させてしまったら、面倒だわ♡まあ、人間一人消すのはわけないでしょうけど、ここまで肥大化した組織がいきなり消えてしまうのも不自然だしぃ♡それだったら、あなたにあげて有効活用したほうがよさそうだものぉ♡」
それに、と彼女は黄色い目を意地悪く細めて笑った。
「このオークション、かなり大きくなってきているわ♡あなたの市場を圧迫しているでしょう?」
「売り上げが0.25パーセント落ちたのはそのせいですか・・・」
いや、0.25パーセントじゃねえか、とメイトは眉根を寄せ、秘書はそれでも黒字ですな、とお互い目で会話した。
この船ではお互いの意思疎通は目で会話するようにならねば生きていけないのである。
「それに、あなたのものになれば、私も出品しやすいわぁ♡」
お互いにいいことずくめでしょう?と笑う彼女に、たしかに、と商人はうなずく。
「・・・でも勇者を落とすの、あなた好きじゃないですか?」
「・・・あの勇者はだーめ♡召喚系の魔物を呼び出すしぃ♡それに・・・」
す、と気の視線がメイトに向かい、その隣の宝石の首飾りをくわえたカラスに向かう。
カラスはちょこ、と首を傾げた。
彼女は何も言うことなく、す、と視線をそらし、ええ、だめよ、ともう一度つぶやく。
「ありえないわ、あの勇者、よりにもよって鳥のような魔物を呼び出すなんて。あれはだめよ」
ぶつぶつとした小声は船の上の誰にも届かず、全員で首を傾げる。
はっと我に返ったらしい彼女は、こほん、とわざとらしく咳ばらいをした。
「ま、まあ、とにかく、あなたにあのオークションをあげようと思って♡手を貸してほしいのなら、いくらでも貸すわぁ♡」
だから一度、見に行ってみない?という気彼女の誘うような笑みに、一瞬難しい顔をしたものの、仕方ありませんね、と商人は息を吐いた。
「助かるわァ♡オークションは何日かに分けて行われるそうだから、じっくり見て決めて♡それと♡」
と、彼女はなだれかかっている男の服をじろじろと見た。
「・・・しっかりドレスコードして、女も連れていくのよぉ♡あなたの招待状は適当な偽名を使っているから、いわゆるそういう社交界に、素性の知れぬ男一人というのは、とっても不自然よォ♡」
商人は面倒くさそうな顔を彼女に向けた。
何か言いたげではあるが、反論は受け付けないと彼女はにっこりと無邪気に笑い返す。
「・・・あなたではだめなんですか?」
「私は窮屈な服なんて着たくないわ♡」
都合のいい女の一人や二人、いるでしょう?いないの?と挑発するように上目遣いで見られ、男はふう、と息を吐いた。
「わかりました。まあ、見るぐらいならいいでしょう。ところで対価についてですが」
あらん、いいのよぉ、と気は首を傾げた。
「これはお互いに利益の出る商売の話だわ♡ね、いわゆる共同市場を持とうというお誘いなのォ♡だから、一緒に商いをするうえで、あなたが視察するのは当然でしょお?」
にたり、と甘い笑みを浮かべる彼女を見下ろし、まあ、ならいいでしょう、と商人はうなずいた。
「うふ♡じゃあ、あなたが競売の持ち主になるの、楽しみにしてるわァ♡」
ふふ、と彼女は上機嫌に笑い、するりと離れていく。
メイトはふう、と息を吐き、カラスは若干肩を落としていた。
そんなカラスに、隣にいるメイトが、果実を差し出す。
「ま、た、ね♡」
出口付近でちゅ、と投げキッスをする気に、はいはいと商人は手を振り、彼女から受け取った紙を眺める。
彼女はそのまま楽しそうに笑いながら降りていき、姿を消した。
「どうもあやしいですね・・・」
ふーと息を吐き出した商人は自分の秘書にじろり、と赤い瞳を向ける。
「わかる範囲でいいです。このオークションにまつわる情報を集めてください」
いいですか、と指示を出し、秘書がわかりましたと頷くのを見届けると、彼はメイトの隣にいたカラスの前に立つ。
「・・・ああ、また持ってきたんですね。今度のは、ずいぶんと高価ですねえ。いつものことでは、少々釣り合わなさそうです」
カー?と首をひねって困ったような声を上げる緑目のカラスに、商人は、私が頑張ってもいいんですが、とにいと口の端を持ち上げた。
「どうです、デートしませんか?その宝石の価値からいくと、対価的にはこれで釣り合いそうですが?」
カラスは掴まっていた手すりからするり、と落ちた。
その姿は黒さを纏う人間となり、すぐにその黒さもざあと引いてゆく。
何も着ていない、人間の姿となった彼女は、美しい宝石を手にしたまま、その緑の目を輝かせた
「い、行きます!します!でーと!」
それは良かった、と商人は麗しい顔で笑い、隣のメイトは呆れたように目元を覆って煙を吐いた。
そよそよと風がなびく音が、彼女の耳に届く。
きれいに手入れされた金糸のような美しい髪を風に揺らしながら、彼女は音もたてずにティーカップを持ち上げた。
彼女は赤みがかった目を伏せて、静かにお茶を口に含む。
年若い彼女は薄茶に赤いレースが花のようについているドレスを纏っていた。
ふんわりとしたかわいらしいドレスは、若いからこそ着ることのできるものであった。
それは彼女が女王でなく、姫であることをより如実に表している。
普段ならば公務以外ではあまり大仰なドレスを纏うこともない。
だが、姫としての格式を保つためにはこうした美しい恰好も要求されるのだ。
正直、とある勇者から書状が来たとき、彼女はひとしきり迷った。
そんな恰好をする必要はないのでは、勇者なのだし、と思いつつ、いやでもしかし、国の代表でもある自分の立場が・・・などといろいろ考えた結果。
季節に合わせたドレスを纏うことで、気合を入れたというのが本当のところである。
しかし、そこは仮にも一国の姫、今の彼女は何事もないようにいつも通りにお茶を飲んでいた。
聖界の多くの国においてマナーとされるのは、食事時をはじめとして動作にあまり音を立てないことである。
そういう意味では彼女の動作はどれも静かだった。
それは彼女が上流階級の人間であることを示していた。
動作に音を立てない、というのは、かなり気を使うことである。
慣れない平民は自然な動作で音を立てずにいることができない。
その点、ベランダでお茶を飲む彼女は、15年にわたって姫として育てられたおかげで、どこの社交界でも通用するようなテーブルマナーを身につけていた。
変に意識するまでもなくそれらの動作が行えるのは、ひとえに王族としての訓練のおかげである。
かた、ん、と静かにお茶を口にしてからソーサーに戻した彼女は、わずかに音を立てた。
しらっとした顔をしてはいるものの、実は彼女、内心ですごく動揺していた。
「あら、このお菓子、すごくおいしいですわ」
「銀鏡、ぼくのぶんもあげるよ」
「べ、べつにほしいなんて!・・・あ、ありがと」
「だろー?いや、当然だよ、オレが用意したんだからな!」
目の前で繰り広げられる会話がなぜ成立しているのかも、彼女は理解できていない。
白いテーブルクロスの掛けられた円卓の上では、彼女以外にもう一人、困惑しているのかひどく難しい顔をした軍服姿の青年が、手を組んでいる。
その青年の姿を目に留め、彼女は自分と同じような心境かしら、と思って少しだけ肩の力を抜いた。
彼女はこほん、と小さく咳ばらいをした。
それで?と一同を呼びかけたひとりの女性に視線を向けた。
彼女は両目を覆うように黒い布を巻いている。目が見えない彼女は、声に応じてあら?と手を置いた。
「書状をいただいて、こうして本当に集まるとは思わなかったけれど、そろそろ説明してもよろしいのではなくって?」
テーブルの上には、彼女以外に、五人の人間がいた。
彼女の王国のテラスにはあまりにも不釣り合いな格好をしたものばかりである。
一人は、両目に黒い布を覆った、目の見えぬ女性だった。
読心の勇者と呼ばれる彼女は、姫とは思えぬ簡素なドレスを纏っている。
その隣に座るのは、黒い軍服を纏った青年だった。
眉根を寄せて難しいことを考えるような顔は、よく見ると中世的で、恰好を変えれば女にさえ見えるかもしれなかった。
「・・・私も聞きたかったところだ。そろそろお話しいただいてもよろしいのではないか、読心殿」
声は男性としてなら高いほうであったが、よく通る声は上に立つことを知っている人間のそれだった。
さらに鋭い目つきと、幾戦もの争いを続けて身についた凛々しさが、青年を女らしくは見せない。
「えー知らないの?私、書館君から教えてもらったよ!」
と、難しい顔をする青年に突っ込んだのは、赤い髪の女だった。
彼女は旅人なのか、動きやすいような軽装をしている。
旅慣れた様子からそんなに幼くはないのだろうと推察させた。しかし、テーブルの上に載せられたお菓子をおいしそうにほおばるあたり、彼女は幼いと言えるのかもしれなかった。
「・・・いやいや、銀鏡。僕らだっていうほど詳しいことは聞いてないでしょう」
誇るほどでもないよ、と穏やかに言うのは、銀鏡の隣に座って、終始にこにこと笑う少年である。
穏やかな物腰と、笑顔以外の表情をしない少年は、声こそ男のそれだが、軍服の男より中性的だった。
彼の場合は、一目見るだけでは男か女かの区別がつくにくいほどだ。
「えー、でも笑顔も、あのてがみ、読んだでしょう?」
まあね、と彼は相変わらずにこにことしながら、それでも小さく息を吐いた。
「お二人には、書館さんからお手紙が行ったようですわね・・・。今日はありがとうございますわ」
「ふーん、書館ねえ・・・」
オレは何事かと思ったけどな、とけたけたと笑うのは、笑顔の隣に座った、カボチャの被り物だった。
カボチャは顔に彫り物がしており、口元はじぐざぐに縫われている。眼下には黄色い光がぼんやりと浮かんでいた。
彼はまるでサーカスの道化師のような、おかしな人間の体をしていた。
テーブルの上に頬杖を突く姿はまるきり人間のそれだが、しかし彼は被り物をしているわけでもなく、人間でもなかった。
この場における唯一の異色である。
「ええ、菓さんもお手間をおかけしますわ」
いいさいいさ、と菓は明るい声を出した。
「俺もあらかたは聞いたしな」
細かい相談会だ、と菓がゆるゆると空いた手を振ると読心は、そうですの、と口火を切った。
「みなさんをお呼びしたのは、ほかでもありません」
ご協力いただきたいことがあるのです、と読心は背筋を正した。
銀鏡はもぐり、とケーキをほおばる手を止め、笑顔は隣で頬を膨らます彼女を呆れたように見ていた。
「わたくし、非合法のオークションをつぶそうと思っていますの。どうかご協力いただきたいのですわ」
ごく、と口に合ったものを飲み込んだ銀鏡は、もちろんだよ、と笑った。
笑顔は彼女がそういったことが返事のようで、小さくうなずいて見せる。
「・・・私には、協力することのメリットが明確でないな」
冷やかにそう言ってのけた軍服の男に、銀鏡はぷく、と頬を膨らませた。
「なぁーにおう。勇者なんでしょう?いいじゃないのぉー」
不満そうに言う銀鏡に、男は勘違いしないでほしい、と表情を消した。
「私とて勇者として、読心殿との友情で協力するのはやぶさかではない。だが私は勇者であり、自国の軍師だ。防衛を怠っては、わが国の民が害される恐れがある」
私が離れることで、私の自国は危険にさらされるのだ、という軍師に納得を見せたのはもう一人の姫だった。
「わたくしも同じよ!わたくしが離れてしまっては、私の国はどうなるのかしら。『勇者』としても、国の代表としても、国民を放ってなんておけないわ」
むう、と不満そうな顔をしたものの、軍師と彼女の言葉に納得する部分もあるのか、銀鏡は口を閉ざす。
「軍師さまと日輪さまのおっしゃる通りですわ。ですが、その非合法のオークション、かなり規模が大きいんですの。さまざまな国に入り込んでは活動を行っているそうですわ。このまま放っておくのも、後々面倒ではなくって?」
ふむ、と軍師は口元に手を当ててうなずいた。
「それに何も、お二人に直接戦っていただきたいとは思っておりませんのよ。軍師様には、魔王に対する策と、その商品の保護についてお知恵をお借りしたいんですの」
わたくし、あまり戦いに詳しくないものですから、という読心に、軍師はなるほど、と頷いた。
「それならば私は読心殿のお力になれることもあるだろう」
ありがとうございますわ、と読心はにっこりとほほ笑んで、す、とティーカップを持ち上げた。
「日輪さまには、魔王を討伐するご許可をいただきたいんですの」
静かにお茶を口にする読心に、日輪は緋色の瞳をぱちくりさせた。
「許可?わたくしの?」
そうですわ、と読心は静かにカップをソーサに戻した。
その動作は無駄がなく、また丁寧だった。
だからこそ、隙のなさに威圧感がにじみ出る。
「その非合法オークション、日輪さまの国で開催いたしますわ」
その言葉の不自然さに、日輪は美しい顔をゆがめた。
美しい顔は、それだけで相手を脅かすかのような力がある。
幼い少女のようでありながら、彼女は一国の姫だった。
他人を脅すことさえ、その美しい顔で行うことができる。
「・・・詳しく説明していただけるかしら。まるでそのお言葉は、そのオークションに、あなたが通じているようにも聞こえるわ」
ピリピリとしたやり取りにも、軍師は平然と読心を眺めた。
銀鏡は慣れないのか、肩をすぼめて自分の皿を見下ろしている。
ただ単に、彼女はケーキがなくなってしまったことに落胆しているようにも見えなくもないのだが。
「自分で通じている大きな市場をつぶすなんて愚かしい真似はしなくってよ。情報操作による誘導ですわ」
それに、という、すこし呆れたような読心の吐息の中には、苦いものが混じっていた。
「その非合法オークション、日輪さまの国で開催しても、運の悪いことに、魔王によって襲われてしまいますわ」
いえーい、と菓はピースを作り、カップを手にする。
そしてごくごくと、お茶を飲んだ。
彼はぷはあ、と飲み終えて口元をぬぐい、かちゃん、とカップをソーサーに戻す。
「しかも、二人もだなー。ついてないなー。お菓子大好きな魔王は、子どもを狙い、そして戦うのが大好きな魔王は、オークションを主催した中にいる勇者を狙って」
げ、と曲がった口元を固まらせたのは、笑顔である。
「いや、戦うのが大好きな魔王って、まさか・・・」
「戦だな」
その言葉にはさすがの軍師も目を見開いた。
隣の笑顔からケーキの皿を交換された銀鏡以外は、みな口をつぐんだ。
「当日は、『たまたま居合わせた』飢狼さまと死霊さんと様々な勇者のかたが、人々を守ってくださります」
はあ、と重いため息をついたのは日輪だった。
彼女はす、とカップを持ち上げる。
「許可を出さないもなにも、拒否権はないのと同じだわ・・・」
「日輪さまの国が大国と言われるからこそ、できたのですわ」
にっこりと笑う読心に呆れたように日輪はお茶を口にした。
「なんて計画かしら・・・いいわ。わかったわよ!」
相当に混乱しているらしい彼女はこんな時でさえも、音もなくカップをソーサーに戻す。
「一つ、伺いたいのだが、この計画は貴殿が?」
と、軍師が顔を向けたのは、読心である。
「いいえ。その、あの・・・書館の勇者という方が、お考えになって・・・」
なぜかわずかに顔を赤らめる読心に、円卓を囲む全員が不可解そうな顔をした。
「そ、そんなことはよろしいんですの!それであの、銀鏡さんには、少々危険なことをお願いしたいのですが・・・」
よろしいでしょうか、と読心が視線を向けるのは、なぜか笑顔である。
「ちょ、なんであほづ・・・笑顔なの!?」
という銀鏡のツッコミにも笑顔は取り合わず、いいよーと答えた。
「ちょっと笑顔!?」
「だって銀鏡はぼくがぜったい助けるし」
だから危なくなっても平気でしょ、と口にした笑顔に、銀鏡はぼんっと爆発しそうなほど顔を赤くした。
ひゅ~と菓が口で笛を吹き、読心はあらあらとほほ笑む。
残された二人はどのような顔をしていいのかわからないといった風で、そっと静かに視線をそらしている。
「ぜ、ぜったい!?ぜったい助けにくる?!」
銀鏡の言葉に、もちろん、と笑顔はにこにこと答える。
彼女はその言葉を聞いて、むう、とうなるように口元に手を当てて、考え込んだ。
しかしすぐに、わかった、と明るい顔をした。
「やるよ!大丈夫!私も勇者だもの!」
そう言い切った彼女に、読心は微笑み、菓はにいっと笑った。
軍師も小さくうなずき、日輪は仕方ないわね、と言いたげにため息をついたのだった。
その日の日中は、ずいぶんと良い天気だった。
太陽が威光を示す国では、多くの平民がこれ幸いと洗濯物をたくさんに並べ、今日の夜も美しい星空が並ぶのだろう、と誰もが思っていた。
事実、夜の帳が落ちた現在では、多くの家から明かりは消えている。
そんな中で明かりが灯り、人々の笑い声が聞こえるのは、大きな貴族や商人の屋敷だった。
人里離れたそこもまた、権力の金と時間のあるものが集まっている。
まだ空が闇に包まれたばかりだからか、ちらほらと人が増えていく様子が目につく。
よくやるものだと、彼は小さく息を吐いて、そのホールを見下ろした。
目がくらむような美しい服装に合わせて、すべての人が、顔に仮面をつけている。
宝石や珍しい羽などで彩られた仮面を顔に覆い、階下の人間は高らかな声を上げながら談笑している。毒々しくさえ思えるそれは、顔の鼻より上を覆うものがほとんどだった。
テラスや椅子がある上層と、たくさんの鳥かごが置かれた下層の二つにホールは分かれていた。上層は部屋の端をぐるりと囲むように伸び、個人スペースを作りだしている。
下層にある鳥かごには文字通り鳥が入っているのかといえば、そうではない。
中に入れられているのは、大体が美しく着飾った子供である。珍しい見た目の少年少女や、美しい顔をした子供たちは、ほとんどが一様にぼんやりとしていた。
どれも人を引き付けるような顔の少年少女ばかりだが、そんな中でひときわ人目を引いているものがあった。
それは鳥かごに入れられ、バラが咲くような形の、青いドレスを着て座り込んでいる少女だった。ドレスの上からでもわかる豊かな胸と、そのぼんやりとした目は、紫と青という、左右で違う色をしている。
また、この少女、それだけではない。
その面影が、似ているのである。
このオークションが行われている大国の姫。
日輪を権威とする、彼の姫によく似ていた。
今回の商品の目玉はその少女のようで、たくさんの人間がその周りに集まっている。
もうひとつの目玉は、宝石などの装飾が施された人の腕だった。
女神の聖遺物とうたわれて見世物にされる腕の周りにも、たくさんの人が集まっている。
中には美しい紫のドレスを纏った女性も見えた。その女性は目が見えないのか、白いつえを突きながら、そばにいる赤髪の青年と、ひそひそとやりとりをしている。
やがて全員が来たのか、ぎいい、とホールの扉が低い音を立ててしまった。
ふと、ホールの扉付近に立っている仮面の男と目が合った。傍らには黒いドレスを着た女を連れている。
どろりとした血の色をした目は、鋭いものがある。
どきり、とした彼は思わず視線を逸らした。
「・・・大丈夫、大丈夫」
彼は小さくつぶやいて、そっとテラスに出た。
二日間にかけて開催されるこのオークションで、自分の役目は、とある人物を招き入れるだけなのだ。
そのための信号を出せばよいだけだと、動きを止めてしまいそうな体に力をいれる。
「よーう。なんだあ?緊張してんのかあ?あ、甘いもの食う?マカロンとかどうよ?飴もあるけど」
と、テラスに出てすぐ、朗らかに話しかけられ、彼は反射的に攻撃魔法を構築しそうになった。
「・・・!菓さまですか・・・驚きました・・・」
カボチャの頭に道化のような恰好をした男はけらけらと笑った。
「力んでいたら、うまくいくこともうまくいかないぜ。ほれ」
と、大きなぬいぐるみのような手が、飴を差し出す。
ありがとうございます、と彼は差し出されたそれを受け取り、口に放り込んだ。
ゆっくりと口の中で溶けるそれは確かにあまく、肩にいれていた力がふう、と抜ける。
「やっとここまで来たんだし、そんな力をいれなくたっていいさ。あまくいこうぜ」
彼はその言葉にころ、と口の中で甘いそれを転がし、そうですね、と頷いた。
そしてようやくあたりを見回し、遠くに見える大きな城に目をやる。
「・・・日輪さまもよく承諾してくださったと思いましたし、軍師さまもよくお知恵を貸してくださったと思います」
彼は素直な感想をこぼした。
そんな二人は今頃チェスでもしているのではないかとさえ思っていた。
争いごとに強い軍師さまなのだから、それなりにお強いのではないかなあ、と考え、しかし日輪も姫であることを考えるとそれなりなのでは、と思うと、二人の勝負が気になる青年である。
「むしろ俺は、この大まかな作戦を考えた、君の上司のほうが、よく考えた、だと思うぜ」
と、菓にそのように指摘され、青年は仮面の下で苦い顔をした。
「・・・そうでもありませんよ。俺は素直に、ほしいものがあるなら、たとえ闇でも落としたほうがいいとちゃんと言いました。それでもこれを考えたのはたぶん、暇だったんでしょう」
ほしいものがある、と青年は自分の上司に言われたとき、闇でもオークションなのだから、参加して競りで落とせばいいじゃないかと言った。
けれど何を学んだのか、彼の回答は「いや、つぶして奪うことにした。ぼくは戦って、勝つべきなんだ」である。
彼は思わず、自分の上司に向かって「潰すのか」と確認してしまったが、返答も「つぶす」という簡素なものである。
自分の上司にそう言い切られてしまっては、働くしかない。
彼の戦いは物理戦でなく、高度な情報戦と推理戦だった。
その手足となり、青年はあくせく働いたのである。
そして彼の『戦い』はみごと勝利に傾いた。
あらゆる誘導と情報戦の結果、開催国は日輪の国となり、そして今日この日となっている。
「戦からちらりと聞いたが、一切外出しない少年なんだろう?それなのにここまでたくさんの勇者と魔王を動かした彼の手際は、驚くものがあるなあ」
一度会ってみたい、とひとりごちる菓に、彼は自分の名刺を差し出しておいた。
ホールの中からは、主催なのか、誰かが大声でしゃべる声がした。
「とはいっても、読心さまの働きが大きいと思いますけどね」
けたけた、とかぼちゃ頭を揺らして、道化のような男は黄色い目を消えかけた月のように細めた。
「利益を提示するのがうまいのだなあ、君の上司は」
褒められた言葉を素直に受け取れなかった青年は、仮面の下でがり、と飴をかみ砕いた。
と、そんなふうにがりがりとくだけた砂糖の塊を歯でつぶしていると、じゃん、と音楽が流れ始めた。
「・・・時間ですね」
ああ、と菓は面白そうにうなずき、青年から受け取った名刺をひらひらさせた。
「機会があったらまたな、アベル」
次の機会が敵でないことを祈りつつ、アベルもまた手を振った。
そして信号代わりに魔法で青い炎を生じさせる。
それをひらひらと左右に動かせば、すぐにばこーん、と破壊音がした。
ばかあん、と白く長い髪を揺らして、固めたこぶしで重厚な扉を吹き飛ばした魔王を前に、後ろに控えた勇者たちは、本当にこの人とだけは戦いたくない、と誰もが思っていた。
この魔王の拳は、ただの物理攻撃でしかないのである。
何か魔法で強化しているわけではなく。
ただの力を込めた、拳である。
「さァ、戦のはじまりだ」
しかしそんな空気に全く気付かず、赤褐色の鬼はぎらぎらと目を輝かせて笑うのだった。
しばらくしてから吹っ飛んだドアが壁にぶち当たったのか、ぼこおんという破壊音が聞こえてくる。
「あーもーこわいなあ」
と、心底面倒そうにつぶやいたのは、長い髪を後ろで一つにまとめた少年だった。眠たそうな気だるげな表情を前にいる魔王に向け、肩を落とす。
「戦、もし本当に勇者がいたら、殺さず俺にくれ」
顔の険しいもう一人の青年は先に行こうとした魔王の背に、そう声をかけた。
魔王は暗闇で赤く光る目だけを背後に向けた。
「わかっている、お前たちもちゃんと来るのだぞ餓狼、死霊」
にい、と口元が裂けたように笑う顔が見えた少年は、嫌そうな顔した。
しかし声をかけた青年にはそれで十分だったのか、小さくなずき返した。
戦は地面に突き刺していた大槌を棒切れのようにひょいっと手にして、ゆっくりとした足取りで中へと入ってゆく。
ようやく魔王の侵入という事態を把握したのか、きゃあーという悲鳴が聞こえ始めた。
それを耳にした死霊と言われた少年は濃い隈のある顔をしかめてめんどうくさいという顔を隠しもしない。
「ゆくぞ、死霊」
と、顔の険しい青年が、死霊に行くよう促す。
餓狼と言われた青年は、目つきが悪く、凛々しいがゆえに凶悪にさえ見える顔をしていた。
険のある顔は、大人でさえなにがしかの事情を察知してそっと視線をそらしそうである。
しかし死霊は肩を落としてため息をついただけだった。
「・・・仕方ないよね、魔王が攻めてきたんだもんね」
にい、と死霊は耳元まで裂けそうなほど口を広げて笑った。
「『死体』が出ても、『しかたない』」
死霊は笑いながら、何もない空間へと手を入れるような素振りをした。
ぴしり、とひびが入ったようなそこから大きな鉈を引きずり出す。
刃渡りは自分の背丈ほどもろうかというそれを悠々と背に担いだ。
それを見た餓狼は駆け出し、死霊も後に続いた。
二人が踏み込んだ玄関は、赤い水で染まっていた。
引きちぎられた体から吐き出された液体は、ぼろぼろと崩れた壁までも染め上げている。
悲惨なその室内の状況を、二人は至極冷静に受け止めた。
死霊はしゃがみこんであたりの死体の検分をし、餓狼はふむ、とごきりと首を鳴らした。
「このままでは、中にいるという勇者も殺されかねんな」
「あー先に行っていいよ。ぼくの報酬はこれだからさ。だいじょうぶ、書館くんに言われた分の仕事はするって」
にい、と楽しそうに笑う死霊に、餓狼はあきれたように鼻を鳴らした。
そうする、と彼はゆっくりとオークションが行われているであろうホールへと向かった。
ホールの入り口は玄関の惨状を見たのか、左右に人が固まっていた。
そこにいる誰もが仮面をつけ、そして餓狼を見ると悲鳴を上げた。
さすがに大人にそのような対応をされる筋合いはないのではないか、と彼は小さく肩を落とす。
「きゃー」「うあわああ」「ひいい」という悲鳴につられて顔を上げれば、よく見ると中ではあらゆる人間が悲鳴を上げて逃げ惑っている。
そんなに死傷者は出ていないところをみると、戦の魔王も本気で暴れているわけではないらしいと餓狼は知る。
一番の目玉なのだろうと思われる大きめの鳥籠は、参加者ではなさそうな黒服たちが動かそうとしていた。
「どこだぁああああ勇者ぁあああ!」
と、大きな声を出して、大槌を振り回す戦は、実に破壊を象徴とする魔王らしい。餓狼はその間に手短な鳥かごに近寄った。
中には幼い少女がおり、おびえたような目で餓狼を見ていた。
餓狼は自らの手でかごの柵に手をかけ、ふん、と力を籠める。
さほどの力は必要なく、ぐにゃり、と曲がったその間から、中にいる少女に向かって、おい、と手を差し伸べた。
「助けに来たぞ」
う、と大きな瞳を潤ませた少女は、むしろ鳥かごに縋りつき。
「うわあああああん。こわいよおおおおううううう」
と、盛大な泣き声を上げた。
あれ、俺たすけてるよな?と己の一連の行為を頭の中で考え直していた餓狼は、ふいにぽん、と肩に手を置かれて振り返った。
そこにはにやにやと笑った顔の、カボチャ頭がいる。
「・・・ドンマイ!」
このカボチャ頭、割ってやろうかと不吉な怒りが餓狼の頭をよぎったが、目の前には子供がいる。
これ以上怯えさせるわけにはいかずに、すごすごと身を引いた。
するとカボチャ頭は檻の中を覗き込み、にやにやとしながら、手を差し伸べた。
「ほーらかぼちゃのオバケだよ~。一緒に甘いもの食べよう!こっちにおいで~」
そんな言葉で子供が来るのか、と餓狼は疑いの目を向けていたのだが、すん、と鼻をすすった子どもは、餓狼のほうをちらちらとしながらカボチャオバケに手を伸ばした。
がぼちゃ頭は少女を抱きかかえると、はい、飴をどうぞ、とどこからかお菓子を与える。
「なぜだ・・・」
理不尽だと嘆く餓狼に、カボチャ頭はにやにやとしながら。
「顔が怖いからじゃない?」
と言った。
ぎろ、とにらみつけると、カボチャ頭に抱えられていた少女がぶわ、と目の端に涙を浮かべるので。
「わかった。もういい。俺は逃げ口を作るから、お前が回収しろ」
と、ため息をついて次の鳥かごへと向かった。
「そこまでにしていただこう!この野蛮な魔王が!!」
その言葉がホールに響いたとき、ふん、と争いを好む魔王は口元を歪めた。
ホールの奥から、緑のフードをかぶった男が現れ、そう叫んだのである。
ぎぎ、と鳥かごの柵を捻じ曲げていた餓狼は小さく息を吐いた。
「お客様、不測の事態ですがどうぞご安心を!!!」
そう叫んだのは、緑のフードの隣に立つ黒服だった。
「我らには、勇者さまがいらっしゃいますので!!!」
その言葉に笑ったのは、魔王と高名な勇者たちだった。
子供に怖がられる勇者は菓の魔王と子供を救いだしながら、勇者の顔を確認しようとした。
それらの状況にも関係なく、緑のフードはぶつぶつと何かを呟いている。
ふむ、とその様子を見た戦は魔法か、と顔を傾けて、にい、と口元を曲げた。
「ならば攻略したことない戦いをしろよ」
まだまだ強くなれる、と戦いの権化のような鬼が嗤った。
赤い瞳が戦意と闘争心をまとい、鈍く輝く。
周囲を握りつぶさんばかりの威圧感に、会場内にいたほとんどの人々が声も出さずに震えた。
なんてものを目にしてしまったのかと、人々は己の不運を呪う。
それはまさしく、破壊の象徴たる魔王と言われる姿そのものである。
『召喚』
と、緑のフードが叫ぶと、空中にたくさんの円をかたどった紋章が現れた。そこからずるり、と這い出して来るのは、黒い姿の不気味な魔物である。
人の手で這いずるそれの頭は鳥のようだ。事実背中にも翼のようなものがあるが、それは確かに地を這いずるものである。
「いけ!」
と、緑のフードの命令に従い、それは手を足のようにしながら、戦のもとへと這いずってきた。
その間にも緑のフードはいくつもの魔物を召喚する。
「・・・こっちに被害が来ないといいが」
かなりの数の子供たちを保護した餓狼は、菓の周りに群がる子供たちをちらりと見やって、また魔物に視線を向けた。
「まだ読心も見当たらないし、な。よし、じゃあ、パイ投げしようぜ!」
何がよしでパイ投げになるのかさっぱり餓狼は分からなかったが、とりあえず子供たちが楽しそうなのでいいかと放っておいた。
戦に目を向ければ、楽しそうに楽しそうに。
そしてひどく残虐に、嗤っていた。
「数は、それなりだ。うむ、戦闘の基本だな」
あー・・・と知性のない黒魔物が、鳥のような口をがばりと開けた。
関節が外れたのかと思うような規格外な口の大きさは、戦を飲み込もうと襲う。
ぎら、と魔王の黒い眼窩がその魔物をとらえた。
「力が劣るのならば、数で押し切らねばならぬ」
ずぐ、と戦槌が、鳥のような魔物を殴りつけた。
決して軽くはないそれを、ぐるりと振り回せば、ぐしゃりと魔物は二つに別れた。刃物でもないそれは、押し潰すように二つに引き裂いたのだった。
「な、ぁ!?」
緑のフードの動揺も当然だろう、その鬼は戦槌を振り回したついでに、近くにいた魔物数体を薙いでいった。
力の差は明白である。
誰の目にも優劣は明らかだった。
緑のフードをかぶった勇者は勝てるはずがないと絶望しながら、それでも魔力が尽きるまで詠唱するしかなかった。
ばかばかしさに、緑のフードはく、と笑う。
「悪いな、これも金のためなんだ。勇者でも、金がなけりゃ、生きていけないんでね」
彼はそうして、魔物を召喚し続ける。
ふむ、と戦は、近くにいる魔物を薙ぎ払い、そしてときに拳でつぶしながら、心の折れぬ勇者を敬った。
仕事とはいえ、そしてこんなことをしているとはいえ、ここまでの圧倒的実力差を目の当たりにして、めげる様子がない。
「俺は魔力が測れないが」
しかし、戦も知ってはいるのだ。
その眼に見えぬ力も、無尽蔵ではないことを。
いつか、図書館で耳にしたそれらを思い出す。
『ぼくがいっつも浮いていられるのは、異常なんだよ、戦さん。ぼくとちがって、みんなは魔力に限りがあるから』
使い続けているのは、普通より秀でていても、半日が限界。
召喚魔法は普通よりも魔力消費量が高い。
そしていざというときのために、逃亡用の魔力を残すことがある。
思い出した情報に、強くなるために学ぶのは、案外無駄ではない、と彼は小さく笑う。
ぜえ、と緑のフードが肩で大きく息をした。
その瞬間を見逃さず、戦は振り回していた戦槌を変形させて力いっぱい投げる。
「な!」
ぶん、と空気を切り裂いて向かってくる大剣を、フードはぎりぎりでよけた。
だああん、と音がして、戦の投げたそれが背後の壁に突き刺さったことに安堵する。
ふう、と息を吐いた途端、緑のフードはべしゃり、と崩れ落ちた。
「え・・・は、あああ???」
なぜ崩れ落ちたのかわからず、素っ頓狂な声を上げ、緑のフードは足元を確認した。
「な、あ、ない!」
赤く染めあがる絨毯と、自分を支える足が一本はなれている光景が、彼の視界に映る。
よけたようでよけそこなっていたらしい大剣は、彼の足を一本もいでいったのだった。
このままでは死んでしまう、と彼は手を血まみれにしながら反射的に魔法で止血をした。
してしまった。
ずうん、と地面を揺らす足音が、彼の耳に響く。
くそ、と小さくつぶやき、すぐにやってくる鬼に向かって、彼は最後の手段を投じた。
しまったと思ってももう遅かった。
この一手を使うことに、罪悪感も後悔も覚える暇はなく、それはやってきた。
彼のそばには、赤い瞳を鈍く光らせる、争いの権化のような鬼が立っていた。
「お前の戦略、まあまあだったぞ」
にい、と笑う顔の恐ろしさに声も出ず、彼はがたがたと震えた。
彼は最後の最後で、血まみれの手で描いた円形の紋章の上に手を置いた。
「根性はなかなかだった」
戦の言葉も耳に入らず、恐怖で思考さえかすむ中、彼は小さく詠唱を口にした。
だがしかたあるまい、お前は勇者だ、と戦はこぶしを作る。
そして、その拳は空気を切り裂いて、彼の顔面に向かって振り下ろされた。
がたがたと震えていた彼の思考は白く染まり、意識は霧散してしまった。
ときは少々遡り、戦が勇者と対峙する前のことである。
大きな鳥かごの前で椅子に座っていた紫のドレスを発見したアベルは、それが潜入している読心の勇者だと気づいた。
菓の魔王と別れてから参加者を保護するという名目で逮捕のために軍に引き渡していたアベルは、その役目を軍隊に任せ、潜入していた読心の勇者との合流を図ろうとしていた。
しかし、さすがに魔王が暴れる前でプライドもないのか、我先にと来る客人たちの人込みで、見つけた彼女のもとへ向かうことができない。
彼女のそばにいたはずの側近は、はぐれてしまったのか、そばに見当たらない。アベルがようやく人込みを抜けたとき、かしゃあん、と足元まで見覚えのある仮面が転がってきた。
顔を上げると、誰かにぶつかったらしい読心が、地面に座り込んでいる。
戦の魔王が勇者と名乗るものと対峙をしはじめ、その勇者が召喚する魔物が人に襲い掛かってきたことで、会場はより混沌を極めた。
幸い、大部分を戦の魔王が倒しているが、それでもすべてではない。
はやく合流せねば、読心の側近に殺されかねない、とアベルが近寄ろうとしたとき。
「大丈夫ですか、レディ?」
よく通る声が、そうして目の前の盲目の女性に声をかけた。
黒い礼服に包んだその男は、薄茶の髪を後ろへと撫でつけていた。
装飾の施された仮面の間から赤い目が彼女に向かい、そしてゆっくりと、アベルに向かう。
「・・・!」
にい、と愉悦に染まる赤い瞳は、まるで血の宝石のようだった。
ある種狂気のような、それでいて愉悦を占めるその瞳の狂気を、アベルは見たことがある。
それは、利用しがいのある獲物を見たときの、捕食者の色だ。
「ど、・・・」
読心さま、と言いたいが声が出ない。
かつて見た人間たちとよく似た色をする目の前の男から、アベルは目をそらしてしまいたかった。
助けねば、と思うのに、彼の体は動かない。
「お手をお貸ししますが?」
座り込んだ彼女に親切そうな声をかけるその男は危ない。
だから離れてくれ、手を取るな、とアベルは祈るように思う。
「えーと」
と、迷う彼女に向かってさらに、あぶれた魔物が向ってくる。
どうすることもできないアベルが、ついに悲鳴を上げようとしたとき。
「はーい、その人に触らないでね~。死体になるよ~」
と、やる気のなさそうな、冷めた声が、その魔物の上から降り注いだ。
ぐさり、と大鉈を縦に振り下ろして魔物を引き裂いた少年は、ごきり、と首を鳴らした。
「いやあ、裏にいたのつぶしてたら、おもったより時間くっちゃったなあ・・・」
まあいいか、きれいな死体を作るのに成功したし、とつぶやく死霊は、へらり、と口を裂いて笑った。地面に降りて、あっさりと読心を立たせた死霊は、男がいたほうを見やる。
しかし男はすでに背を向け、傍らに黒いドレスを纏った女を抱きながら、顔だけをこちらに向けた。
血のような色が、愉快そうに細められている。
そのあと、何かを言うことなく、その男と女は姿を消した。
ほ、とアベルは息を吐いて、ありがとうございます、と死霊に頭を下げた。
「いや、書館くんに頼まれたの、条件付きでこれだから」
警護と下っ端を片づける際に死体を持ち帰ってもよい、という条件は、彼が出したものだった。
警護は乗り気ではなかったが、なかなかできない死体づくりをできると思うと、飲むのが一番よかったのである。
「わたくしの能力は価値があるといえばあるらしいので、そういえば護衛をつけるとおっしゃっていましたわ・・・」
という読心の言葉に、あんな男に声をかけられるぐらいなのだから、その作戦は正しかった、と思うアベルだった。
ほ、と息を吐いたとき、どん、と誰かにぶつかった。
「あ、すいませ・・・」
アベルが背後に視線を向けると、黒い髪の男だった。
パーティの参加者なのだろう。黒い仮面をかぶっていて、その瞳が緑だということしかわからないが、身なりはずいぶんと良いものだった。
先ほどの赤い目の男に比べれば、なんてことはなかった。
しかしその緑の瞳は、戦の王のような、菓子を好む王のように。
どこか、魔のものの王のような色をしていた。
「いえ、こちらこそすいません」
男は目を細めてそつなく礼をすると、人込みの中に紛れていってしまった。
(・・・ここにいる以外の、魔王の話は聞いていない・・・)
気のせいだろう、とアベルは、小さく息を吐いた。
「おい、戦」
と、不満そうな声を上げたのは餓狼である。
戦は最後の最後で緑のフードが大量に召喚した鬼のような鳥もどきを戦槌で潰しながら、なんだ、と応じた。
おなじように大剣で切って魔物を潰すのは合流した笑顔である。
彼は別ルートで突入し、ほかの部屋にいた子供たちなどの商品を救出していたのだった。
「足を切ってどうする」
「おかげに殺さずに済んだではないか」
と、戦はモグラたたきのようにたたきつぶして、戦槌を肩に担いだ。
あっさりと魔物を倒していってはいるが、普通の人間は襲われればひとたまりもないものばかりである。
「それはそうだが・・・」
と、餓狼は一番大きな鳥かごの前までやってきた。
実のところ、勇者は戦が拳を落とす前に気絶してしまったので、生きていた。
とりあえず縄で縛って戦が引きずっている。
「できることなら、五体満足が良かったぞ」
「なに、腕の一本や二本、ケガのうちに入らん」
戦の常識で語るな、と餓狼はとくに深く考えず、鳥かごの柵を曲げた。
「あ」「あら」という笑顔と読心の声がして、む?と餓狼が反応しかけたとき。
「ばかあああー!!」
という声とともに、ばちーんと餓狼はビンタをされた。
よろ、とよろけて座り込み、なんなんだ、と鳥かごに顔を向けた。
すると、ぐにゃり、と中にいた珍しい色彩を持った少女の姿が変わる。
そこにいたのは、商品として出るためにきわどい恰好をした銀鏡だった。
盛り上がった胸は谷間を作っているし、スカートも足の付け根が見えないぎりぎりまでみじかくしているドレスを着ている。
「・・・あ、あほづらが助けに来てくれるっていったのにぃ・・・ばかばかばか!待ってたのに!どこにいるのよ!」
その言葉から、どうやら餓狼は自分が理不尽な怒りを向けられただけだと知る。
この女、と餓狼が顔をしかめた途端、うわーん、とどこからともなく子供の泣く声が響く。
「・・・理不尽だ・・・」
餓狼はがっくりと肩を落として、緑のフードの勇者を持ち帰ったあと、書館のもとへ行こうと決めたのだった。
「銀鏡、無事だったんだね。よかった・・・」
笑顔はにこにことしながら彼女に声をかける。
銀鏡は顔を真っ赤にして、遅いわよ!と両手をぶんぶんと振った。
「もう、あほづらがぜったい助けにきてくれるっていったから、わたし待って・・・ねえ、どこみてるの」
え、いや?と笑顔は落としていた視線を上げた。
「服、きつそうだなって」
「そうなの、これちょっと下にひっぱると上が・・・って、ばかあ!何言わせんのよ!」
ばしーんと顔を赤くした銀鏡は笑顔にビンタをお見舞いした。
あらあらと合流した読心は笑い、死霊はめんどくさそうに周囲を見やっていた。
勇者と魔王がいるこの状況はおかしなものだなあ、とアベルは小さく笑う。
こうして闇オークションは開催不可能となり、その後の後処理を読心の勇者と日輪の勇者が引き受け、とある組織は実質的な消滅となったのだった。
ぶおー、と停泊した船の上では、他の船が出港する様子がよく見えた。船長が不在のこの船の船員は、ひと時の休暇を与えられていた。
日の元を権威とする大国の隣国に位置するこの港町で、各々羽を伸ばしている。
いっそ船長不在のこの船を強奪するのもありじゃないかとドレッドヘアーの航海士がぼんやりと煙草をくゆらせながら考えていた時、かつん、と甲高い足音が聞こえた。
音の方向に目をやれば、船長の友人だという、布面積の少ない妖精のような異種族の女が船の上をきょろきょろとしている。
相変わらずきわどいどころか、すべてさらしているような恰好はけしからんなあ、と彼は煙草を指に挟んだ。
「どうしました?船長なら外出中ですよ」
と、彼は営業用の笑顔を張り付けると、彼女はあら♡と機嫌がよさそうに笑った。
「そうなの♡残念だわぁ♡急ぎの用事でなかったら、イイコトできたのにぃ♡」
今日はちょっとむりねえ、と笑う彼女に首を傾げていると、かつ、と大きな音を立てて、噂の船長が返ってきた。
ぜーとなぜか肩で息をする船長は、あげていた髪がはらはらと落ちてぐしゃぐしゃになっている。
襟元は緩み、どうにもだらしない恰好なのだが、きれいなお顔はなぜだか色気を醸し出す。
はあ、と息をつく船長に続いて、黒いドレスの女はなぜだか考え込むように入ってきた。
あらーと笑顔を固まらせた彼女は、遅かったわとつぶやいた。
「ずいぶん色っぽいわねえ♡」
「は?ケンカ売ってるんですか、あなた」
ぎろり、と船長は赤い目をつりあげてにらみつけた。
彼女はわざとらしく口の先をすぼめて少し顎を引く。
「怒ったらやーよ♡私だって予想してなかったものぉ♡あのこがいうから、悪かったなーって思って謝りに来たのにい♡」
「あなたはあの場にいなかったからそんなことが言えるんですよ、会場に誰が来たと思ってるんですか」
彼女は口先に指で触れると、悪かったわよぉ、と甘い声を出した。
闇オークションを潰す計画の全貌を後からすべて聞いた彼女は、そこにいなくてよかったと心底思っていた。
「でも面白かったでしょぉ♡いろんな勇者を見て損はなかったと思うわ♡」
船の長はこの女に騙されたのかと思いもしたが、いや、それはあまりにも利益がないことだと、それを口にはしなかった。
潰すのが面倒だと言っていたのだから、わざわざ自分にまで話を持ってきたのだ。
関係がこじれてしまうようなことを自ら進んでやるとは思えない。
友好関係は利害の一致によるものなのだ。
関係がこじれれば目の前の女にとっての利益もなくなる。
それにこの女がいうように、何も収穫がなかったかというと、そうでもないなと思いもする。
金髪の、座り込んだ女を思い出す。
まるで自分に顔を向けない。
声にしか反応しなかったところを見ると、盲目なのだろう。
名前から察するに、あれこそ心を読めるという勇者なのだ。
姫というだけあって、よく手入れされた宝石のように美しかった。
そしてうわさに聞く力が本当ならば、実に興味深い。
口角が上がりそうな自分に落ち着きを取り戻そうと、彼は息を吐いた。
「まあ、いいです。あなたも予期してなかったようですしね」
「あらん♡やさしいのね♡」
にっこりと無邪気に笑う女に、ともかく着替えるか、と疲労にため息をついたときだった。
ひらり、と目の前を見慣れぬ青い蝶が横ぎった。
「あらん♡あのこが呼んでるのねえ♡」
と、目の前の女は面白そうに目を細めて笑った。
先ほどもそうでしたが、と彼は首を傾げた。
「あの子とは誰ですか?あなたは誰からオークションの話を聞いたんです?」
彼女はつい、と青い蝶を指先で追い、ひょいと蝶をつまんだ。
「あら♡言わなかったかしら♡」
書館君よぉ♡と彼女は無邪気に笑った。
ばたばたともがくでもない蝶は、ゆっくりと羽を動かしている。機械仕掛けのおもちゃのようだった。とても生きているとは思えないのである。
「書館の勇者・・・会ったことはなかったかしら♡」
「彼の国で商売はしますが、本人に会ったことはないですね」
ふう、と髪を掻き上げた商人に、会ってみる?と彼女は首を傾げた。
「彼がオークションのつぶす計画を考えたのよ♡」
は、と息を吐いた商人は、歪んだ口元がいびつな笑みの形になるのを知った。
あれが計画かと思うと、なぜ潰すのに至ったのか、興味もわく。
何かを欲してのことならば、利益が出るかもしれない。
「・・・着替えてきましょう、仕事があるかもしれません」
そう♡と彼女はにっこりと笑い、その蝶をびり、と引き裂いた。
ふ、と空中に引き裂いたそれを放り投げると、ぼっと青い光となって燃え落ちてゆく。
「ちょ、ちょっと!船!ふね!」
と、それまで黙っていた航海士は顔色を変えて叫ぶ。
彼女はにっこりと笑い。
「だぁいじょうぶ♡」
と、言う。
その言葉の通り、足元につく前に、それはふわりとした柔らかい光を放った。横一直線に走った光からす、と音もなく扉が出現した。
「・・・これは・・・」
重厚な扉はそれだけで価値がありそうな年代物だった。
保存状態もよく、高値が付きそうだと赤目の商人は品定めする。
「あのこの魔法よ♡あのこは魔法ならなんでもできるから」
「・・・便利ですねえ」
彼は少々忌々しげにつぶやくと、一緒に戻ってきた黒髪の女性には留守番をしているように、と言いおいて、着替えるために船内へと向かった。
チリーン、と鈴のなる小さな音がした。
その音につられて彼は本から顔を上げて、その鈴の持ち主を探した。
入り口近くできょろきょろとする人物を見つけると、本を閉じて、机に置き、とたとたと近寄った。
さくさくと踏みしめる音に、鈴の持ち主は少年の存在に気づいたらしく、にっこりとほほ笑んだ。
鈴は杖についていた。それは鐘のような形に近く、下に図書館と書かれた紙がぶら下がっている。
ひどく穏やかなその人物は、骨格こそしっかりとしているものの、そのすべてをゆるすような慈愛に満ちたやさしい表情が、まるで女性のように見せていた。
それでも旅慣れた風貌は、年若い男のそれである。
明るいほほえみにも少年は無表情のままで、手の見えない長い袖を揺らし、あと少しで彼に近づく、というところで、べしゃり、とこけた。
びっくりとしたらしい青年は肩を跳ね上げ、あせったように手を指し伸ばすかどうしようかと迷う素振りをし、はっとして取り出した紙にさらさらと何かを書いた。
そして手を差し伸べねば、と慌てたように少年に近寄る。
少年はいたい、と相変わらず無表情でつぶやくと、顔を上げて鼻の頭をなでた。そして差しのべられた手を躊躇なくとり、立ち上がる。
『大丈夫ですか?』
よれた字で書かれたそれを見て、うん、と少年はうなずうく。
「大丈夫だよ。ありがとう、で、いいんだっけ?」
こういう時はそういうんだよね、という少年に、青年は小さくうなずき返した。
「鎮魂さんには、お願いがあって呼んだんだ。ぼく、どうしたらいいかわからなかったから」
なんですか、と言いたげに首を傾げる鎮魂に、少年は青い目を精いっぱい青年に向けた。
「・・・たくさん、人が死んでしまった場所がある。死んだ人たちは悪い人だった。死んでも仕方ないって、みんな言ってた」
でも、ひとは人だから、と少年はうつむいた。
「どうか、その人たちの魂に、祈りをささげてあげてほしい。まだそこにいるのなら、神のみもとへと送ってほしいんだ」
ぼくは死者への敬いがわからないけれど、と少年は握った鎮魂の手に力を込めた。
「死んだ人たちに、安らかさを祈れば、ないがしろにはしていないと、そう思うんだ」
どうか、お願いだ、という声に、鎮魂は小さくうなずいた。
やさしく目を細めて、さらさらと紙に何かを書きつける。
『了解です。彼らの安穏を祈りに参りましょう』
行ってきますよ、と鎮魂は少年が握りしめた手を小さく揺らす。
「泊まっていかないの?」
と、少年が見上げると、彼はさらさらと紙に書きつけるとひらりと示す。
『悲嘆を取り除いた帰りに、また状況を伝えに来ます』
わかった、と少年は手を離し、またねと手を振った。
鎮魂はそんな少年に目を細めて愛おしげに微笑むと、ちりーん、と杖を揺らした。
彼が退出してしまうと、彼はふう、と小さく息を吐いた。
しかし休む間もなく、からーんと乾いた音がする。
来客を知らせるその音に、少年はすたすたとさきほど座っていたソファに戻った。
す、と音もなく現れた扉が、ぎい、と開く。
「あらん♡これはどうしたのかしら♡」
入ってきた来客は、見慣れぬ人間を連れていた。
赤い目に色素の薄い人間は、同じような色をした宝石を胸元に飾っていた。
きっちりと服装は、礼服のようにさえ見える。
もう一人の一見娼婦のような女は、少年の知り合いだった。
「・・・おねいさん。鳥さんはいないけど、見してもらって、教えてもらった本物の鳥を再現してみたんだ」
と、ソファだけが異質なその空間で、女はぎくりと体を固まらせた。
一方もう一人はわずかに目を見張り、その室内の光景を眺めた。
そこは図書館の一室だが、地面には白い一面に広がり、まるで森のように木が生えた部屋だった。
明るい光が差し込み、ぴち、ちち、と鳥の鳴く声がする。
そんな中にソファと丸いテーブルが置かれ、少年がそのソファに座っていた。
白いワイシャツのようなワンピースは、左右の袖が長すぎて手が見えない。
赤いリボンで胸元を留め、彼はぶらぶらと足を揺らしていた。
そのたびに地面から生えた白い花びらが舞う。
整える気のない紺の髪はひょこひょことはねていた。
青い空のような瞳は眠そうに来客を眺めている。
ばさばさ、と羽ばたく音とともに、緑の鳥が、少年の頭の上に止まった。鴉のような大きさの鳥に、赤い目の男は一瞬ぎくりとする。
「・・・ほら、みて、よく似てるでしょう?」
少年の問いに、なぜだが女はぶんぶんと首を振った。
「え、ええ。そ、そうね、あの、書館君、せっかく呼んでもらって、も、申し訳ないけれど、私、今日ちょっとい、忙しいのぉ♡だからあの、あなたに会いたいって言っていた、しょ、商人を連れてきたわ。お、面白いひとよ」
それじゃあ失礼するわね、と女は挨拶もそこそこに、早急に回れ右をした。
そしてさっさと扉から出ていってしまうその背を、商人は聞いてないぞと見やり、鳥を頭にのせた書館は首を傾げた。
「・・・せっかく、よくできてるかなって見てもらおうと思ったのに」
少年はぽつりとつぶやき、まあ、座れば、と自分の向かいのソファを示した。
あの女放り出していきやがって、と商人は目元に力をいれて扉をにらんだが、くるりと振り返るころには笑みを浮かべていた。
「・・・それではお言葉に甘えて」
さくさく、と踏みしめながら向かいのソファに腰掛けると、丸テーブルの上に活けられた花が、葉を手のように使ってお茶を入れ始めた。
ずいぶんとファンタジーなものだと眺めていると、書館は興味のなさそうに、本を手にした。
商人は本当にこの書館がオークションを潰そうと策を弄したのかと内心首を傾げた。
あれは読心の勇者が画策した、あるいは『たまたま』ああなっただけに過ぎないのではないかとさえ思う。
それほどに、目の前の書館には、感情も気力も見当たらない。
「帰りのことなら気にしなくていいよ」
と、本の表紙をなぞっていた書館に突然言われて、え、と商人は間の抜けた顔をした。
「あれはぼくの魔力で作り出したものだから、ぼくの意思なく消えない。あなたが元いた座標につなげてある」
だから心配しなくていい、と無感情に言う少年に、商人はありがとうございます、と笑みを浮かべた。
「名乗り遅れました、私はー」
「なんて名乗るんだ?」
と、少年がさえぎるように聞いてきたことに、商人は言葉を止めた。
顔はかろうじて笑ってはいるが、内心では笑えていない。
「ブラッティ・コールドマン?イオルム・ガンドル?ああ、違った。何ごとも名乗る前に名乗るべきなんだった。ぼくは」
書館の勇者だ、と彼はテーブルの上の花が入れたティーカップを手に取った。
「・・・私はただの商人ですよ、そんな大仰な名前など持ち合わせていません」
目を伏せて困ったような顔をすれば、書館は首を傾げた。
「あなたは自分がどう呼ばれているかに興味はないんだね。ぼくだって知っているのに、てっきり自らそうして広めていると思っていた。名を売るのは商人の仕事だろう?」
書館は両手で抱えたカップに口をつけると、こくりと中身をすする。
その言葉にまさか、と商人は肩をすくめた。
「名を売るのが仕事ではなく、人のほしいものを届けるのが仕事です。・・・先日つぶれた、どこかのオークションのようにね」
もったいないと思いませんか、と商人はにっこりと笑った。
「何が?」
「つぶれたことです。私だったら有効活用を考えますけれどね」
彼はどうだろうか、と首を傾げた。
ばさり、と書館の頭に乗っていた緑の鳥は羽を広げた。
「・・・まあ、本当につぶせるとは、思ってもみなかったよ」
ばさばさ、と翼を羽ばたかせた音に掻き消えることなく、その声はしっかりと商人の耳に届いた。
鳥は飛び去り、赤い目の男の目には穢れを知らぬような青い目をした少年しかいない。
「ぼくは正直、むりだろうと思っていたんだけど、よかった」
ずっと不安だったんだ、と少年はカップの中身をすすった。
やはり、と商人は嗤った。
「あなたがやったんですね」
そうだよ、と書館はあっさりと認めた。
「ぼくはオークションを潰そうと思ったとき、勇者と魔王の人たちを動かすのが一番だと思った。魔王が動けば、勇者も動く。彼らはあらゆる意味で力の塊だ」
勇者と魔王の身辺を調べて、それぞれに利益を提示したけれども、確証はなかった、と書館は無表情に呟いた。
「あれが計画というのも、本当なのですね」
「自然だろう?暴れる魔王のもとに勇者が来るのは。それが運悪く、非合法のオークション会場だった。何せ、勇者がいたんだもの」
「・・・あの勇者は都合よくあそこにいたんですか?」
いや、と彼は首を傾げた。
「あまり名の知られていない勇者は、あれが世のためと己の利益になると『思い込んで』いた。ほんとうに」
よかったよ、魔法が続いて、と何事もないかのように呟いた。
「・・・それだけできたのなら、利用方法も、あなたなら考え付いたはずです。なぜしなかったんです?」
赤い目の商人に、ふう、と書館は息を吐いた。
「別に要らなかったから。ぼくがほしかったのは、出品されていた魔界の本だ。それに、試したかったんだよ」
ぼくが考えたことが、本当に通用するのか、利益は正確なのか。
「結果は、正しかった。ぼくはみんなとちゃんと話せている。ぼくはたまに、思っていたんだ」
本当は、自分は盛大に違っているのではないか、ちゃんと話から彼らのことが理解できているのだろうか。
そんな盛大な瑕疵を平然と口にする少年に、こいつとは相容れない、と商人は素直に思った。
「あなたの実験の結果が良好で何よりです。そうですね、つぎにあなたが何か欲するならば、ぜひうちの商会をご利用ください」
あなたが求めるものがあると思いますよ、と笑顔を浮かべる商人を、書館はじっと赤い目の男を見上げた。
そしてふら、と首を傾げる。
「あなたがぼくでさえ知っているのは、偽物の魔導書を大量に流しているからだ。血も涙もない、その赤い瞳に例えてブラッティ、コールドマン」
まんまだな、と商人が肩をすくめると、もう一つは神話だよ、と書館はいった。
「世界を飲み込む大蛇のこと。あなたは世界さえも欲するのだろう、とこの国の人間は話す」
「ずいぶん、文学的ですね」
違うよ、と少年はゆるく首を振った。
「まるごと欲するから、その真偽も測れない。偽物しか流さない、何もかも同じにしか見えないのだろうと、丸のみの蛇を例えてばかにしてるんだよ」
「・・・それでは、私は己の世界を飲み込まぬよう、せいぜい注意するとしましょう」
すくり、と立ち上がり、商人は背を向けた。
「世界が亡くなっては、商売もできぬことですし」
にこり、と商人は嗤い、少年に顔を向けた。
「私は、商人ですから」
書館は空色の瞳を細めて、そうかい、とつぶやいた。
そして彼は本を開いた。
闇オークション
楽しかった。ほんとにありがとう。