彼女の歌

「どうしてそんなに上手いの」

 彼女にそう聞いた事がある。カラオケ特有の安っぽいイントロの中で、そんなことないよと謙遜交じりに笑ったあと「気持ちかな」と答えた。

「気持ちか」

 私はそういった回答がくるとはちょっと思っていなかった。もっと言えば技術面の方向に期待していた。私はビブラートさえできないが、彼女はデスヴォイスやシャウトがうまいし、正反対の甘いロリヴォイスだってだせる。なによりも暴力的さえともいえる声量ががつんと心にくるのである。素人の私が聞いてもプロ並みだが、彼女はプロになる気はないらしい。『そういうこと』ではないんだそうだ。

「技術は?」
「まぁ技術も大事だけど」
「心がこもっていなくても、技術があれば聞けそうなもんだけど。というか心がこもってない演奏を聞いても、素人にはわからないよ」

 ふむ、と少し彼女が考え込む。「例えば……まぁ、ある一定の歌詞と技術があれば、人を感動させるものはつくれるかもしれない。けど聞き惚れるのはやっぱ心がある曲かな。表情とかでもわかるもんでしょ」

「もしかしたらそれも演技かもしれない」
「それはあんたの疑心暗鬼か単に見る目がない、もしくは両方」
「手酷い」
「……まぁ、わかるもんでしょ。仮に演技としても……それも含めての心じゃないかな。上手く聞かせたいっていう」
「ああ」
「うちの場合は、上手くなりたいというより、自分好みになりたいって気持ちもあるんだけど」
「ああ、それ、なんとなく分かる気がする」

 もっともっと、自分好みに。それは裏を返せば、あの人のようにといった憧れから、誰かの二番煎じではないオリジナリティまで、理想に近づくための死に物狂いの努力に直結している。努力というものは、大木が枝葉を伸ばすように、ちょっとずつ影響を受けながら、際限なく伸びてゆくものだ。それが実をつけるのかは、やはり個体差があるようだけれども、大木にとって実をつけることは必ずしもゴールではない。少なくとも私たちにとっては。そのいっぱいの枝を伸ばして人々の雨よけになる樹。努力を続け誰よりも高く伸び続ける樹。他の樹に栄養を取られ枯れてしまった樹もある。この世に存在して成長するというのは細胞レベルのエゴイズムだ。だから自分の好きなようになるのが最も正しい。そういう主張を私は受け取った。だから彼女の歌は、どこまでも自分好みで……同じ気持ちをわかりあえる私の心にずんと響いてくる。それを成り立たせている底知れぬ努力と情熱に、感動して。

「自分好みになりたい気持ちか、ああなるほど」
「すごいむちゃくちゃなこといってる自信はあるけどねー。あと、技術についてだけど、磨けるなら磨いといた方が有利だと思う。もちろん、気持ちを込めれば心に響くものもあるとはおもう。でも、世の中の大半の人は未完成なものに時間を割かないから。拙いものには冷徹だからさ」

 そして意外と世の中にはそんな人間が大半を占めている。なにを楽しみにして生きているんだろうね、と彼女は言った。まぁ人の勝手だけど、夢中になれるものがないっていうのは寂しいね、と私は返した。大きな評価ももらえないのに、がむしゃらに没頭する私たちのことを世間では『馬鹿』だと笑うものなのだろう。私たちは、その人達のことをとても『空ろ』だと思う。

「では、改めてまとめ。上手くなる秘訣とはつまり?」
「それに時間を奪われても後悔しないと思える情熱……愛だよ」

 したり顔で答える彼女が選択した曲は、いちばん愛しているアーティストの曲。やがて間奏にさしかかると、彼女は画面の中に夢中になる。もはや画面に張り付かんばかりの距離で恍惚としている姿に苦笑しつつ眺めていた。この曲を聞いてすごく泣いた、そう言ったことを思い出し、私はサビに耳を傾ける。おなかから振り絞る、迫力のあるヴォイス。高度な技術をものにする、ひたむきな愛。なるほど、その一身の愛に揺さぶられるように私もなんだか泣けてきた。



おわり

彼女の歌

彼女の歌

『彼女』にはモデルがいます。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-26

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