何をしていいか分からない

 「何をしていいか分からない」は「何かをしたい」に繋がり、行動意欲が高まるときである。
「これだッ」と見つけた時はしめたものだ。モヤモヤしている間に溜まった「ガス」は燃え出して、生き生きとした活動のエネルギーとなる。
自分で見つけたものは自分のためにやろう。ひいては人のためになることもある。他人の評価を期待して働くことは止めた方がいい。疲れるし、偽善者になりやすい。だいいち、比較による評価など自分と同じ科,目の人間から受けてもさして嬉しくない。額に汗して初めて分かる事だが、神から絶対的な評価を受けた時の充実感、喜びに勝るものはない。その通りだ。神はどんな小さなことでも見逃さない。
 1年や2年ガスをためてもいい。それくらいあれば外を歩けるだろう。
恐がらずに、気楽に歩いてみることだ。色んなものが目に入る。ふらっとハローワークに入ってみるのもいい。何かを見つけるかも知れない。
見つからないにしても、なにかしらの反応が体の中に起こる。足が疲れて筋肉痛になれば、運動になったと喜べばいい。
歩いた時つかんだ何気ない物がその時はつまらないと思っても、あとで「わらしべ長者」の幸運にならないとも限らない。
 3年たってしまったら、なんでもいいからやってみたらどうだろう。小さな事でいいのだ。自分ができる事でいいのだ。
「ガス」は爆発寸前のはずだ、もう何かやらずにはいられない。人の嫌がる仕事でも望むところだ。
汗をかけば必ず「幸せ」が寄ってきて、もう「何をしていいか分からない」は卒業できる。
 私は「何をしていいか分からない」には、夢があると思っている。決して悲観的になる必要はない。
引きこもって悩んでいる知人の息子さんに是非分かってもらいたい。

何をしていいか分からない

何をしていいか分からない

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted