シルエットは彼女だった

シルエットは彼女だった

シルエットは彼女だった

 最悪だ。突如として灰色の雲が青い空を隠し冷たい針の様な滴が僕の頭を打った。そうした時、目に留まった公園に東屋があるのを見つけその休憩所に僕は駆けて行った。コンクリートで造られたテーブルと椅子には磁器質のタイルが貼られている。雨は風に押されてそのテーブルの上の水を広げていく。僕は忌々しく曇った空を見た後、雨粒を反射させる足首まで伸びた芝に向かって睨んだ。芝の葉先と泥が靴底にべったり付着したからである。おまけに肩とスーツのズボンが濡れた事にも嫌な気分になる。
 あぁ、日曜日も仕事が続くこの頃。僕は流石にやる気を失い事務所から抜け出してき来たのだ。周囲の駐車場に視線を移した。公園で遊んでいた親子たちが雨の為に待機している。何やら携帯ゲーム機で楽しそうに操作して笑っているのだ。それが何故か羨ましく感じて、僕はそれから目を逸らして首の骨をぽきぽきと鳴らしてため息をついた。雨はまだまだ降り続ける勢いで樹木の葉も叩いていた。そしてその湿気のある風を受けて考えてしまう。「僕は何をしているんだろうか?」今ここにこうしている理由はこの雨の所為で、それと僕が適当に選んで入社した会社の所為だろう。変化のない日常、毎日の日々が何も考えないでベッドがら起きて、パンを食べ、タイムカードを差し込んで椅子に座り、残業を終えた後タイムカードを抜き家に帰り、コメの上に注いだカレーを食べ眠るだけの同じ日々の繰り返し。どうして僕はリピートのボタンしか押さないソフトを買ったんだろうか?僕は爪と爪で研いで再び息を吐いた。
 
「あははは!」

 突如、子供の笑い声が聞こえた。こんな雨の中、楽しそうに笑い遊ぶ子供が今の時代いるんだなと思いながら僕はまた爪を研いでいた。

「あははは!」
「待ってってば!」

 今度は別の声が聞こえた。どうやら笑っている子を追いかけているらしい。僕は爪で爪をを研ぐ事を辞めてその子供たちの姿を探した。
 雨が降る芝生の中で走り回る子供が二人いた。二人ともバシャバシャと泥を跳ねて飛んだり跳ねたりしている。雨はその二人の輪郭を弾いて消えていく。けれども僕はその二人を見て非常に困惑していた。その理由はこの子供たち二人は輪郭だけが存在していて、その中は黒く塗りつぶされていた。影絵でもない。黒い紙を切り取って人物の姿を表現した様だ。僕はその光景にただ、ただ、唖然としてしまい、その二人が芝生の上で楽しそうに遊んでいる様子を眺め続けていた。

「ねぇ!今度おうちに来てよ!」
 その黒い切り絵の姿をしたワンピースを着け、ショートカットの少女は目の前にいる切り絵の少年に元気に言った。
「えぇ!嫌だよ!だって、ミユナちゃんのおうちに大きい犬がいるじゃん!」
 少年の切り絵はぶつぶつと文句を言って少女の切り絵に手を広げて犬の吠える真似をした。
「ワンワン!ワァーン!」
「えー!ミユナの小太郎はそんな意地悪じゃないもん!イックンの方が意地悪!」
「僕は意地悪じゃない!」

 少女の切り絵は走って逃げていく。その少女の姿を切り絵の少年も追った。
 僕はその二人のやり取りを見て不思議と追いかけたくなった。どうしてだろうか?とても違和感があるのだ。懐かしい気持ちというか寂しい気持ちというか泣きそうになるというか、感傷的な気持ちが溢れ出してくる。僕は休憩所からゆっくりと出た。雨はまだ天から落ちていると言うのに数分前の光景とは違って見えた。苛立って見えた雨の滴も綺麗な結晶の光の玉に変化している。僕は久しぶりに笑みを浮かべてその二人の切り絵を追った。

 切り絵の少女は公園の樹木の根を勇ましく踏んで進んでいく。その少女に続いて切り絵の少年も後を追っていく。

「ここにね前ね!段ボールの箱の中に子猫が捨ててあったの!」
 切り絵の少女は腰程にある花壇前で指を向けて言う。
「でももういないね、きっと誰かに拾われたんだよ」
 切り絵の少年は返事を返す。
「そうだといいね?ふふふ!」
 切り絵の少女は優しそうな声で笑っていた。
「じゃあ!ミユナのおうちまで競争ね!」
「嫌だよ!また僕負けるんでしょ!」
 切り絵の少女はお構いなしに走る。切り絵の少年は文句を言いながらもその少女の後ろを追い始めた。僕もその切り絵の二人の行動を少し遠くから見つめていた。
 そして追いかけたのだ。雨が顔にかかり、僕の髪を濡らしてシャワーした様になる。ところが公園を抜けて家が立ち並ぶ通りに出た所で僕は見失った。僕は残念な気持ちになり周囲をキョロキョロと見渡して進んでいた。その時の僕は大切な物を落とした気分であった。それでも探し続けてもう見つからない。目に入る水を拭った後、頭を掻きむしった時。声変わりの途中なのか?少し濁った様な少年の声が聞こえてきた。

「もう、僕の家に来ないでくれよ」
 切り絵の少年は身長が少し高くなったようであった。何処となくその輪郭はブレザーの制服を身に着けていてまるで成長した様である。
「どうしたの?小学校から一緒に登校してたじゃない」
 切り絵の少女も身長が伸びてはいたが、その差は少年と余り変わらなく、また、その声は少年よりも落ち着いていた。少女の服装の縁からは同じくブレザーを身に着けている様であった。
「この前言われたんだよ!女の子と一緒に歩いているのクラスの奴らに!恥ずかしいからさ僕はもう一人でい行くから、構わないで」
「じゃあそうすればいいじゃない!イックンなんか遅刻して先生に怒らればいいんだ!」
 切り絵の少女はそう言って進んで行くが、少年は小さかった頃の様には後を追わなかった。
 僕は何方かを追うか考えたが結局、何方も追わなかった。僕は少しずつ実感していた。この二人のやりとりに思いの節がアルバムの写真の様に浮かび上がって来たからだ。僕は逃げたい気持ちになり元の公園へと進んだ。
 公園に進もうと道路を横切ろうとしたが辞めた。よくよく考えてみると公園に戻ったからといって何があるのだ。何もないではないか。僕はそうして歩道橋の先にあるファミレスに行こうと思い、歩道橋を目指して進む。
 雨はまだやまない。アスファルトを壊すようにして打ち付け、その後したたり、流れていく。歩道橋の前へと付いた。階段に足を置いて上がっていく。と、歩道橋の天辺で大きな声の女性の声が聞こえた。
「イックン!県外の大学に行くって本当なの?」
 セーラー服を身に着けた切り絵の女性が長い髪の毛を揺らして目の前に立っている切り絵の青年に喋りかけていた。
「何でお前が知ってるんだよ」
 青年は声の調子からめんどくさいと言った感情が伝わってくる。おそらく切り絵の女性もその事に気付いたのだろう。堪えているが今にも泣きそうな声で話し始める。
「イックンが別の高校に行ってから全然会わなくなってもう三年も過ぎたけど、幾等なんでも教えてくれてもいいじゃない!県外に行ったら向こうで就職して此処には帰ってこないんでしょ!」
「そんなの僕の勝手だろ!僕には目標があるんだよ!向こうで写真家を目指すんだ!こんな街に二度と戻って来るもんか!」

 そう言って切り絵の青年は女性を置いて歩いて消えていく。残された女性は空に向かって顔を上げて「イックンの大馬鹿野郎!」と叫んで消えて言った。
 間違いないこの切り絵のシルエットは彼女だった。池宮美優奈。僕の小さいときからの幼馴染で家が隣の奴だ。どうしてこの黒い切り絵が僕の過去を再現しているかは、まったくもって分からいないが非常に気分が悪くなった。僕はもう海水を飲みほした程に喉が熱くなりカラカラになった。水が飲みたい…
 僕は静かに階段を降りて近くにある自動販売機に向かって進んで行く。一歩、一歩と進みもう少しで到着すると言ったところだった。

「お前、写真撮るのうめぇーな」
 図太い声が後ろから聞こえてきた。
 僕はビクッとなって振り向いた。
 髪の毛が長い男の切り絵が僕の切り絵に話しかけている。
「まぁな、これでも一応写真家目指しているから」
「ふぅん。まっ!頑張れよ!」
 そう言って切り絵は僕の切り絵の肩を叩いた。

 僕はこの場景を見て吐きそうになる。そして一秒でもここから立ち去りたくなり走り出した。向かう場所もない。ただこの切り絵はもう見たくなかった。
 走って進むと目の前の信号機が赤く点灯した。僕は息をゼイゼイと吐いて肺が痛痒くなるのを我慢しているとまた声が横から聞こえて来た。

「ねぇ!小松君!今度あたしの写真撮ってよ!」
 僕はその聞き覚えのある声に反応して視線を送る。そこには今風の恰好をしたセミロングの切り絵の女が僕の切り絵に向かって言っていた。
「悪いけど。僕は風景しか撮らないんだ」
 切り絵の僕の返事に女は答える。
「嘘。小松君ってホントはあたしを撮りたくないんでしょ?」

 僕は信号が赤の表示をしているのに走り出した。一体なんなんだこの黒い切り絵たちは?僕の前に現れないでくれ!そうして水溜りのアスファルトを力強く踏みつけ僕は全力で脚を動かす。
 けれどもその事を笑うかのようにして切り絵の声は何処からも聞こえてくる。

「小松、マイチャン振ったんだって?なんでぇ意味分かんない?それに写真に熱上げ過ぎでしょ?」
「サークルの雰囲気壊さないでよ」
「結局、コンテスト一時も通ってないんだって?もう諦めたら?」
「夢ねぇ…まあ頑張って!でもそろそろ就活だよね?」
「小松君だけだよ内定がないの?取りあえず企業受けてみたら?」

 うるさい!うるさい!うるさい!僕は重くなった靴が抜けてつまづき、勢いよく転んでしまい全身を打ちつけた。そうした後、また声が聞こえてくる。

「もう夢を見るのは辞めようぜ小松。見ていて痛々しい」

 髪の毛を切ったらしい、さっきの髪の毛が長い男の切り絵が僕に向かって言った。僕はゆっくりと立ち上がりその切り絵を通り過ぎて歩いた。
 まだまだ止みそうにないこの天から降る一本、一本の線たちは僕を溶かそうとしているのか、皮膚と髪の毛を一生懸命に流す。もう何も失うものはない。僕はあの日、あの言葉でカメラを捨ててこの僕を知らない街に身を置いたのだ。
 何時もが変わらない日々。それで良いじゃないか?僕はもう疲れたんだ…
 僕はまたあの公園に来ていた。東屋の屋根がある休憩所だ。僕は近づいて腰を降ろそうとした時、黒いシルエットがぼんやりと浮き出て来た。雨を見つめる僕。さっき僕が此処の場所で雨宿りをした光景だった。つまらない。何も喋らない味気のない黒い切り絵。それはその空間をハサミでチョキチョキと切り取った様にも見えてまるで僕をこの世界から消してしまった様だった。僕はその切り絵の側に立ち上を見上げた。もう一生止まなくてもいい、この地に注いだ水が満たされてみんな魚の餌にでもなれば良いじゃないか。

「あははは!」
 聞きなれた少女の笑い声が聞こえる。美優奈の幼い頃の笑い声。僕はその声が鳴った場所に顔を向けた。切り絵の少女は手を後ろに組んで笑っている。
 僕がその少女をぼうっとして見ていると少女は後ろに組んでいた手を僕に向かって出した。
「はい!プレゼント!」
 少女の手から渡された物を見た。カメラだった。
「イックン、前から欲しがってたでしょ?お父さんから古いのを貰ったからイックンにあげるね!」
 僕はその切り絵の少女の手からカメラを受け取った。僕が随分昔に美優奈から貰ったカメラだった。切り絵じゃない本物のカメラだった。僕は思わず切り絵の少女を見たがもうそこにはいなかった。雨の音だけがザァーザァーと唸っていた。

 彼女のシルエットは何を伝えたかったのだろうか?僕はそのカメラを首にかけてポケットから携帯を取り出した。携帯は酷く濡れている。でも僕はお構いなしに画面を触りもう7年ぶりの相手に電話をした。正直に言って緊張してしまう。僕の電話に出てくれるだろうか?出てくれたらまずは謝ろうか?あぁ恥ずかしい気持ちもある。
 懐かしい声がスピーカーから聞こえてきた。僕はその声を聞いて安心する。僕は愚か者だ。そしてその電話先に言う。
「今度ミユナちゃんの写真撮らしてよ」
 電話先からは咳払いをごほっごほっとするのが聞こえて来たが関係ない。今度の日曜日は無理矢理でも休みを取って地元に帰ってやる。

「あははは!」
 雨と芝生の間から声が発せられる。
切り絵の少女が僕に向かって手を振っているのが甲高い笑い声とともに聞こえた。

シルエットは彼女だった

シルエットは彼女だった

「あははは!」 突如、子供の笑い声が聞こえた。こんな雨の中、楽しそうに笑い遊ぶ子供が今の時代いるんだなと思いながら僕はまた爪を研いでいた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-24

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