僕らの未来は変えられる

実在のありとあらゆるものと関係ありません。

1

 ――ピピピピピピピピ。なんだか不快な電子音で目が覚めた。
 と言ってもこの目覚まし時計をセットしたのは僕なんだけど。
 目をこすりながら布団を剥ぎ、寝たままの体制で腕を伸ばして目覚まし時計を止める。ピッと甲高い電子音がした。眠たい目をこすりながら時間を確認すると、時計は午前5時30分を示している。
 無茶苦茶早い。……そして眠たい。
 ぼんやりとしながら、まだ夢の続きを見ている。場所は教室で、普通に授業を受けていて、けれど僕はなぜか後ろでごろん、と寝転がっている。どうやら仰向けになっているようで、窓の外がよく見える。空は妙に暗く、星も出ない夜に近い。突如として僕の顔を覗き込む男が現れる。顔がよく見えない。男はなにかを僕に喋りかけるが理解することはできなかった。所詮夢である。何も意味ない。
 ふと、カーテンの隙間から窓の外を見る。しとしとと雨が降っている。梅雨のこの季節には別段珍しくはない。お向かいさん家のベランダがしとどに濡れていることから、昨日の夜にはすでに降り始めていたようだ。これも別段珍しくはない。
 布団から首だけを亀のようににゅっと伸ばして外を眺めるのも限界だ。枕に勢いよく後頭部を押し付け、しぱしぱする目を閉じる。
今日は雨かあ、憂鬱だなあ。何もしたくないなあ。そうだ今日は休み!そういうことにしよう。
布団を頭までかぶり、脳内の今日一日の予定をすべてデリートする。転校初日?しったことか。僕は寝るんだ。惰眠を貪っ
 ――ピピピピピピピピ。
 僕の目覚まし時計はセットのボタンを切らないとスヌーズ機能が止まらないやつだった。
 渋々ながらも起き上がる。もういやだ。起きてやる畜生。転校生がこのざまだ。ドキドキもへったくれもねえ。
 そうだ、僕は転校生だ。
 ようやく思い出したことがらに、うぉ、と思わず声が漏れた。いや、だからなんなんだ。僕は眠いんだ。うぉ、じゃない。眠い。
「あー」
 寝起きの声で、我ながら気持ち悪いとおもった。僕は声が決して高くない。
 しぶしぶながら布団をたたみ、パジャマを脱ぎ捨て、今日から通う学校……つまりは、桜村中学校の制服を着た。無論、女子生徒用の。僕は女の子である。胸の所に桜の刺繍の入った紺色のセーラー服に同じ色の膝丈スカート。そして緑色のスカーフに、スカートと同じ色の縁取りという極々普通の制服だった。初めての制服に胸が高鳴るとか、そういう感情がないわけではないけれど、流石に飽き飽きしてしまっているのが本心だ。
 はあ、と遣る瀬無いため息をついて、部屋のドアを開けた。部屋を出てすぐにある階段を下りながら、運動不足の所為かごきごきとなる体をのばしつつリビングに向かう。
 もうすでに用意されてる食パンとインスタントのコーンスープという簡単な朝ごはんを「いただきます」とつぶやいて食べる。柔らかい食パンの耳をちぎり、コーンスープに浸す。ちぎったパンの断面が面白いようにスープを吸い、白く軽かったパンを黄色みがかったずっしりしたものに変える。口に入れれば、まだ眠ったままの味覚でも感知できる甘みがしっとりと舌を包み、スープで呑み込みやすいパンはするりと喉を通過していった。さっき心の中で簡単な朝ごはんだなんて言ってしまってごめんなさい、と頭の中でゆるゆる母さんに謝りつつ、あまり機能していない脳に栄養を与える。
 僕の目の前に座り自分も朝ごはんを食べようとする母さんが「あら? 千秋、早いのねー。まだ6時よ?」なんて茶化してきたが、無視を決め込み黙々と朝ごはんを食べ進めた。半分位食べたところで、どうやら朝練に行くであろう兄さんがやってきた。
「千秋? なんか変なもんでも食ったか?」
 お前が遅刻しないなんて珍しい、と揶揄した茶化しにイラッとしてしまい、兄さんを睨む。しかし、あまり効果はなかったようだ。
「おー怖い怖い。……んじゃ、俺、朝練行くから。新しい学校でもいじめられんなよ」
 玄関の方から「いってきまーす」と言う声がきこえ、母さんが「いってらっしゃい」と言う。
 いじめられんなよって……。全く失礼な兄である。
 そもそもなぜこんな梅雨の時期に転校なんてしなくちゃいけないのか、簡単に言えば僕の行動の問題。詳しく言えば、粘着系女子にやり返したらやり返された。もともと印象の悪かった僕が悪いみたいな感じになり、学校側から「もう学校来なくていいよ(意訳)」と言われ今に至る。似たような感じのがこれで3回目。生まれてからを考えると、数えるのも嫌になる。
 どうして僕はこうも地雷を踏んで致命傷を負うんだろう。随分と厄介な星の元に生まれてしまったな……。なんて思ってみる。さして気にしてはいない。
 食パンとコーンスープを食べ終わり「ごちそうさま」と言うと、スープとパンは別々に食べる派の母さんから「おそまつさま」と返ってきた。
 洗面台から歯ブラシを持ってきて(ちなみに歯磨き粉はいちご味)リビングのテレビの前に座って天気予報を見つつしゃこしゃこと歯を磨く。
 テレビの中でアナウンサーが雨マーク付きの棒を地図にかざし「今日は一日中雨が降ったりやんだりします。お出かけの際は傘を持って行きましょう」と、早朝とは思えないスマイルで言っている。生放送とは思えない。
 傘持ってかなきゃな……めんどくさい……。
 歯ブラシを咥えたままそんなことを思っていたら、ぱっとテレビの画面が天気予報から、可愛らしい絵柄の子供向けアニメ番組にかわる。
 斜め上の時間表示を見るともう6時半。そろそろ行かなきゃな。
 パタパタと洗面台に向かい、口をゆすぐ。そのまま通学カバンを肩にかけ玄関へと向かう。
 まだ慣れないローファーは諦めて、去年の終わりから愛用しているスニーカーを履いた。なんとなくボロッちくなってしまったビニール傘を持ち、ドアに手をかける。
「いってきまーす」
 兄さんみたいに投げやりに言うと、やっぱり母さんから「いってらっしゃい」と返ってきた。

2

 約十キロも離れている桜村中への登校方法は、徒歩というわけにはいかずバスで通う。バス停までは歩いて5分とかからない。乗ってからだって、渋滞さえしなければ30分といったところ。
 近すぎず、遠すぎず。……いやまぁ、バスなんか使っている時点で十分遠いのか。
 バス停とでかでかと書かれた寂れた鉄棒が見える。並んでいる人は誰もいない。なんだか得した気分になれる。空をぼーっと眺めると、鼠色の雲が見渡す限りでみっちりと詰め込まれている。けれど、起きた時にはしとしととしていた雨が今では和らぎ、まだまだ降りそうとはいえど、傘が必要そうなほどではない。あっ、やべ、傘忘れた。何たる不覚。お天気お姉さんが傘を持ちましょう、と言っていたのにうっかりした。帰りは降らないといいなあ。
そんな思考を巡らすこと5分。たぶん5分ぐらい待っていると、上坂町公共バスと書いてあるバスがやってきた。バスに揺られる数十分とは中々乙なものではないか。と心底ウキウキしながらバスステップを踏みしめた。転勤族でもないのに転校を繰り返す僕だが、バス通学は初めてである。
 数分後。
 ……あー。数分前の僕は頭が可笑しかったに違いない。何が乙だ!こんな生まれたときから見ている地元の風景をみて何を感じると思ったんだ!数分前の僕!
 何の苦労もなく二人掛けの席に座れたのはよかった。幸運だ。それほど人が少ないということだ。辺りをきょろきょろと見渡してみるものの、同世代と思えるような人はいなかった。いるのは、よぼよぼなお爺さんお婆さん夫婦と、スーツ姿のサラリーマン、謎の言葉を呟いている大学生?……なんだかとてもではないが話し相手にできるような人たちではない。
 バス内で同い年の子と意気投合するという僕のちょっとした憧れは脆く崩れ去った。
 僕が落ち込んでいると、大きなお屋敷の前で止まる。バス停か?と思ったが、僕のところと同じようなバス停の棒が、明らかに場違いだといった風にぽつねんと立っていた。するとそこで一人、明らかに場違いな子が乗ってきた。決してお屋敷とバス停のバス停のほうではない。お屋敷のほうだ。……場違い、というとなんだか違うけれど、こういう公共の場所に普通は出てこないようなそんな感じの美少女。結構いいところのお嬢さんなんだろう。お屋敷の娘さんとか。運転手さんにあいさつしたようで、そうして不意にあげられた顔を見る限り、整った顔立ちをしている。美少女だ。
 その美少女はきょろきょろとあたりを見回し、なにかに気づいたように僕の方に目を向け、そして近づいてくる。あぁ、胸の所に桜の刺繍の入った紺色のセーラー服に同じ色の膝丈スカート。そして緑色のスカーフに、スカートと同じ色の縁取りという制服。
 これ、同じ学校だ。
「お隣、よろしいですか?」
 鈴を転がすような声、という比喩がそのままぴったり当てはまりそうな声だった。
 どもりながらも「どうぞ」と答えると、色素の薄い茶色の髪を翻して僕の隣にすとんと座った。女の子特有のあのいい匂いがする。同じ学校の女の子が隣に座った。僕のちいさな憧れが復活したかと思いきや、隣の美少女をちらと見た限り「この美少女が僕と意気投合、超仲良しのお友達に!」なんてのは夢のまた夢。希望はむしろずたずたに引き裂かれた。
 きっと僕のことだ。話しかけられたって相手の地雷を踏んで爆散。しめやかに爆散。そうして転校初日でぎすぎすして地獄のような学校生活を送るんだ。相手は美少女。敵に回した瞬間全員が美少女の味方に回る。そうしてまた転校だ。そんなことになるなら、接点を持ちたくない。話かけられても気の利いたことなんて言えないぞ。きっと貴女も不快になるから、なら話しかけないほうが得策なのでは――?
 以上、全部僕の被害妄想。
 家族以外と普通の会話をしていないと人間卑屈になってしまうなあ。そもそも僕、そんなに転校について重く考えてないし。まあ、いっか。それが僕の座右の銘である。冗談だけど。
 美少女がちら、とこちらをみた。
 何も誰も悪くないのに、なぜか冷汗が出た。被害妄想のループにはまりそうだ。いやいや、ただ変な奴の隣に座っちゃったなァ、とか、こいつも同じ中学かよ、とか思ってるだけかもしれない。話しかけられる確信なんて微塵もない。
――でも、話かけてもらえるなら、話ができるなら、ちょっと楽しみかも。
うぅん、でも僕、会話って苦手だしな。リスクを負うなら話しかけられないといいなあ。矛盾と気持ちのせめぎあいだ。そんな事を繰り返していると、
「あの、」
 案の定話しかけられた。
 …………。
 頭の中真っ白。思考回路が完全にフリーズ。駄目です。何をどうしても起動しませんよ。再起動をお願いします。
 ……………………。
 来た。来てしまった。どうすればいいんだ、僕は、僕は一体。どうすりゃ、
「あの……? 桜村中、ですよね?」
 長すぎる沈黙に、不審に思ったような美少女が、こちらを覗き込む。
「い、一応、そうです」
 完璧にきょどりつつ、またもやどもりながら美少女に応じる。
「やっぱり」
 美少女は嬉しそうに微笑んだ。天使もかくや、という微笑みだ。美少女はすごい。
「……あら? でもこのバス桜村中で利用するのはわたくしだけの筈……」
 不思議そうに首を傾げながら訊いてくる。やっぱり美少女だとこのポーズは様になるものだな……。なんて思ってみたり。
 美少女は10秒ぐらい考える素振りを見せた後、
「ああ! もしかして転校生、ですか?」
 ぱぁっと笑顔になり、ずいと僕の方に顔を近づけてくる。かわいい。
「実は一昨日から噂になっているんですよ。わたくしのクラスの担任の先生は物事を隠すのが苦手みたいで」
 大きな瞳をぱりくりとさせ、かわいらしく苦笑いをする。
「あ、あは、そうなんですか」
 一方僕は小さな瞳をあらぬ方向へ泳がせ、不気味に苦笑いした。
 いや、それにしても、先生よ……それはないだろ……。転校生は当日まで隠しておくのがセオリーだろ。まあ、そんなこと一度もなかったけど。前の学校もその前の学校も3日前ぐらいからネタばらしされてたけどさ。
 話題が切れて若干気まずいこの数秒間。
 はたと美少女が気付いたように口をひらいた。
「そう言えば自己紹介を忘れていましたわ。わたくし空科真妃(そらしなまき)と申します。同じクラスになると思うのでよろしくお願いしますね」
 美少女は空科さんというらしい。
「えっと僕、陸牧千秋(りくまきちあき)っていいます。同じクラスになるらしいのでよろしくお願いします」
 なんだか空科さんの自己紹介が凄すぎてなんだか劣等感を抱いてしまうな……。
「あら? 陸牧さん一人称が僕なんですね。」
「え……。嫌ですか? 嫌だったら直しますけど……」
「ええまあ……。最近じゃそういう女性も増えているらしいですから、ね?」
 暗に嫌だと明言されてしまった。どうしようか、直すか?
「あぁ、いえ、けれど個性としてはすてきだと思いますわ。人それぞれです」
 何も言っていないのにフォローされた。なんだか申し訳ない。
「えっと、何か理由がありまして? その一人称が僕なのに」
 また何も言っていないのに答えられた。ひょっとすると空科さんはエスパーか何かなのかもしれない。
「あー……。いや、別に理由なんかありませんよ」
 特に何か理由があるわけじゃあないんだよな……。正直なんで僕は一人称僕なんだろ。よくわからない。まあ、どんなことにも理由が必要なわけじゃないしいいか。面倒だし。
「それでは、ご兄弟の影響ですか?」
 ぐぬぬ……。それじゃあ僕が極度のブラコンみたいじゃないかよ……。
「ううんと、そんな、感じです?」
 否定したかったけど、これ以上僕の一人称で話を引っ張り続けるのもあれだなと思い、ここらでこの話題を打ち切ることにした。
「そんな感じですか」
「です」
 そんな会話で盛り上がり、桜村中の校門まで喋り続けた。僕の儚く散りかけた希望は、復活することとなった。初めてのお友達ができた気がした。空科さんがどう思っているかはわからないけど。内容は、お互いの詳しい自己紹介とか。やっぱり空科さんはいいとこのお嬢様らしい。何をやっているかは知らないがそういうことには僕が首を突っ込むところじゃないのだろう。
「陸牧さん。職員室の場所はわかりますか? よかったら案内しますわ」
「だッ、大丈夫です。そこまでお世話になるわけにはいきませんしね」
 いきなりの提案にすごく驚いた。心拍数がおかしくなるかと思った。
「ふふっ、そうですか。ではわたくしはここで――また会いましょうね」
 おかしそうに笑って人ごみに紛れていった。

「えーと、まずは職員室に行けばいいんだよな」
 確認するためにも声に出す。
 学校案内を見ると『桜村中学校途中編入生は、7時30分までに第一部棟職員室まで』と書いてある。途中編入生。そうだ、僕だ。
 時計を見ると、7時00分つまり残り30分。まあ、30分あれば、僕がとんでもない方向音痴だったとしてもたどり着けるだろう。
人の流れを頼りに職員室を探す。職員室に直接つながる玄関とか、ないのだろうか。あったはずだ。見学しに来たときはそこから入った気がする。駄目だ。僕の虚弱な記憶力では何も覚えてない。他人に聞く勇気だってない。
きょろきょろあたりを見渡せば、此見がよしに学校案内の看板が立てられている。さすが桜村中学校。最高だぜ!
意気揚々と近づくと、ううん、これは……。ちょっと僕にはわからなかった。
何故にこうも学校案内図はわかりづらく書いてあるのだろう。初めて来た人とかわからないだろ。僕とか。いますごく困ってるし。……あーあ、かっこつけないで場所だけでも空科さんに聞いときゃよかった。かっこつけたつもりは微塵もないけど。そもそも第一棟ってなんだよ、第二もあるのか?やだなあ、転校初日から遅刻かあ。やだなあ。変な奴だと思われるじゃないか。
 
 自力で辿りつけられたのはとてもラッキーだった。僕の記憶力も地図力も捨てたもんじゃない。
まあ一番大きい校舎の一階にあったんだけど。
「ここに来れば……いいんだよな?」
 そうつぶやいて、事務室前をウロウロする。かなり怪しい奴だったに違いない。見かねた女の先生が
「どうしたの?」
 と僕に話しかけてきた。
 僕が転校生であることを告げると「ああ!」と声をあげて、職員室の来客用ソファに座らせる。妙にふかふかしていて座り心地が良かった。
「少し待っててね」
 とだけ言い残し、女の先生はどこかへ行ってしまった。
 見上げたところには壁掛け時計。時計は7時25分を示していた。時間ぴったり。社会人になれるかもしれない。社会不適合すぎる経緯をたどってここにいるけど。
 ただただじっとしているのは、性に合わない。いや、ただ単純に苦手なんだ。思わず動いてしまいたくなる。けれど、ただでさえ忙しそうな朝の職員室。すこしでも動けば先生からの視線で殺されてしまうような気がする。今でさえひしひしと視線を感じるというのに。
 居心地が悪い。最悪まではいかないにせよ、だいぶ悪い。

「よぉ、転校生」

 し、死ぬかと思った。
 死んでしまうかと思った。驚き死にかけ、声をかけられ見上げる。するとそこには、いかにも先生!と言わんばかりの――ジャケットのないスーツ姿に黒縁メガネの男の人が居た。随分若い風貌をしている。実際にも若いのだろう。それにしても、いかにもすぎて逆に胡散臭い。話しかけられた切り出しもなんかもう胡散臭い。
「いやー。珍しいね!こんな時期に転校なんてな!……えっと、俺の名前は、田山花袋。……おっと、冗談だ。田山雄二。担当は国語だ、宜しく!」
 随分とフレンドリーな先生だった。
「えっと、その……宜しくお願いします」
「おう! 宜しくな!」
 勢いよく背中を叩かれる。痛い。
 どうしよう、この人たぶんすごい苦手なタイプだ。そもそも僕は話すのが得意じゃない。人間を好き嫌いすべきではないのは重々承知だが、苦手だ。死ぬしかない。
「君の名前は?」
 田山先生はいいながら、机越し目の前のソファに腰掛ける。手にはマグカップを持っており、カップは白地に黒い筆字で熱血漢なセリフが書かれている。趣味は会いそうだ。
「ああう、え、あの」
 対する僕は、泡を食ったような言葉しか出ねえ。
「はっはっは、そんなに緊張しなくていいんだぞ。確かに転校生は緊張するよな!俺もそうだった。そうだなあ、俺ん家は昔から転勤族でなあ、小学校の頃から転校三昧さ。なによりひどかったのは小学3年の時だな!1年の間だけで6回は転校した。親父は何の仕事してんだってな!……そういえば、何やってたんだろうな。……まあいいか!それでな――」
 申し訳ない、先生。ここで流れを断ち切らせてくれ。
「り、陸牧千秋です」
「は?」
「僕の名前、陸牧千秋です。よろしくお願いします」
 泡を食ったのは先生の方だった。ぽかんと口を開け、じっとこちらを凝視している。眉間にうっすらよった眉間のしわが、こちらに嫌悪感を示しているようでぞっとした。
「あ、ああ、おう……?陸牧か、うん、ううん、いい名前だな!」
 僕の名前はいい名前らしい。よかった。先生はコーヒーをすすった。底には「頑張ればできる!」という自己啓発文が書いてあった。うわぁ。
「えーっとだな、うん、陸牧は、そうだ、転校は初めてか?」
「いいえ、今年に入って2回目です」
「転勤族だなぁ、どこから来たんだ?」
「隣の上坂町です」
「転勤か?」
「……転勤じゃないですね」
「こういうのって聞いていいかわからないんだが、家庭の事情?」
「僕自身の事情ですかね?」
「あー……」
 田山先生は納得した、というような声を出し、腕を組み、一人でしきりにうなずいていた。一方僕はどうしたものやらと思案を巡らす。
「先生、どうして僕に話しかけたんですか?」
「ええ、どうしてって……」
 疲れた、というような表情だ。ううん、なにか疲れさせてしまったのだろうか。
「なんかすげえ緊張してたみたいだったから解してやろうと思ったんだよ」
 それがまさかなあ、と先生は続ける。
「まさか転校常習犯だったとは思わなかった、ですか?」
「ははっ」
 是とも否ともつかず、曖昧な笑みで誤魔化された。眼鏡をはずし、眉間を揉んで先生は立ち上がる。先生という職業は相当な激務らしい。年齢に似つかわしくない、よっこらせ、という掛け声とともに立ち上がる。
「そろそろ担任の深岡先生が来るだろうから、それまで待っとけよ。あと、まあ、なんだ、頑張れ」
 先生はそれだけいうと、給湯室に消えていった。

 なんだったんだろう、今の数分間。無駄なこと言ってしまった気しかしないし、先生の気分を害してしまったような気もする。そもそも会話の正解ってなんなんだ?そんなもの存在しないのはわかってはいるが、ことごとく不正解をはじき出しているような僕には正解があるように思えてならない。正解はないが不正解がないなんてそんな難儀なこと……ありそうで怖いなあ。
 そしてさっきの先生は担任じゃなかったのか。そうか、そうか……よかったのかな、よかったんだなあ。担任は一体どんな人だろうか。字面から、かわいらしい女の先生かと想像する。しかし、僕のこの手の予想は大抵はずれる。面白いぐらいに外れる。前回の先生は熱血漢かと思いきや、虚弱体質のひょろひょろだったし、その前の先生はもっさりした太めの男性かと思いきや、華奢で美人な女の先生だった。今回こそは当たるといいな、という希望は捨てたことこそないが、ぶっちゃけもうすでに当たらないという確信を持っている。

キーンコーンカーンコーン

 聞き覚えのあるチャイムだ。どこの学校でも同じ音だ。たぶん予鈴なのだろう。職員室が騒然となり、何人もの先生が前後ろ両方についているドアから出ていく。大小さまざまな先生たちがドアから出ていく様は、なんだかドアの向こうから吸い寄せられているようで面白い。だれもかれも一様に緑の分厚いノートを抱えているのもなんだか笑える。持ち方一つでも性格がわかるような気持ちにもなれるし、楽しい。

「陸牧さん」

 し、死ぬかと思った。
 今度は何だ!?自棄になりそうだ。見上げれば、さっきの先生とは打って変わって違ったタイプの先生だった。浅黒い肌に、ジャージ。随分と筋肉質なようで、ジャージでさえもはち切れそうだ。そして背がとても高い。やっぱり予想は外れた。先生は遠くを見つめるようなつぶらな瞳でこちらをじっとみている。
「担任の深谷です。体育を担当しています。よろしくお願いします」
 淡々とした語り。深谷先生は静かだった。
「よろしくお願いします」
「ええ、はい。この前にも言いました通り、2年A組に入ってもらいます。なにか質問はありますか」
「ありません」
「そうですか。では、今から向かいますので、ついてきてください」
 そうか、これが先生か。先生とはいえ、多種多様なんだなあ。いまのこの数十分でよくわかった。
 大きな壁もかくやといった風な深谷先生の後ろをついて教室に向かう。1階の職員室からは少し遠いようで、階段と渡り廊下のようなものを通って行った。2階のほとんど端だ。もっとも、この桜村中は職員室のある棟が事務棟という扱いで、ほとんどが音楽室だとか美術室だとかの特別教室ばかりなのだそうだ。部室なんかもここに含まれているらしい。
 ……桜村中とはいったい。
 隣町の僕でも知っているぐらい大きな学校、というのは簡略すぎるだろうか。私立校でもないのに小中高と複合のとんでもない学校で、全校生徒の数が普通じゃない。町そのものが学校のために作られたとか、じわじわ拡大していっているとか、そういうのは噂だろうけど、でもそんな噂が立ってしまうのが少しわかった。火のない所に煙は立たぬ、その通り、といった感じだ。
 ついた先は2-Aと書かれたプレートが釣り下がっている扉の前。先生はちら、とこちらに目線を向け「呼んだら入ってください」と言ってドアの向こうに消えていった。
 ……なんだろうか?この、シチュエーション。そして、ものすごい置いてけぼり感。よくある「転校生、入りなさい」とか言われるのか?いやいや、そんなベタなシチュエーションってあるのか?いままで言われたことないぞ?
 思考を巡らせ、ドアの窓から教室を覗く。本に目線を傾けた生徒がほとんどだったが、数人が此方を見ていて、目が合った。反射的に目をそらし、たぶん見えなくなるであろうと一歩下がった。
 ふう、驚きだぜ。
 無音の教室に少しのざわめきが走ったが、僕には関係がない。きっと。だから大丈夫。よくある読書タイム、といったところだろうか。全員が本に魅入ってる様はなんだか異様だ。美しい、とか素晴らしい、とかそういう風に表現すべきなんだろうけど、でもなんか異様。その一言に尽きる。
 寝てるやつもいたけど。
 
 チャイムが鳴った。外の音さえも聞こえない静かな廊下に、突然のチャイム。びりびりと空気を震わせ、遠くの方へと音を飛ばす。いつもより長く聞こえるのは、状況のせいだろうか、それとも場所の所為だろうか。ようやくなり終わった途端、教室のほうからばさばさと音がし始め、女子生徒らしき声が聞こえ始める。朝の会だろう。
 ううん、時間が差し迫ってくると緊張するものだなあ。
 たぶん僕が教室に入るまであと5分もない。自己紹介でも考えておくべきだろうか、「はっじめまして~☆りくまきちあきですっ!特技は寝ること、趣味も寝ること!よろしくお願いします!!」駄目だ。混乱してる間に考えるもんじゃない。じゃあ「陸牧千秋、よ――

「転校生の陸牧さん、入ってください」

 とてもベタな感じだった。
 うう、帰りたい。バックレたい。この気持ちだけでドアが開けれそうだ。そんなことは勿論なく、僕は自らの手でドアを開けた。スライド式だった。
「さっきも言った通り、転校生の陸牧さんです」
 教室に一歩入った途端に視線が体に絡みつく。うぉお、人間だ。
「はい、じゃあ、陸牧さん、名前と自己紹介をお願いします」
「えっと、陸牧千秋です…………」
 言葉が続かない。沈黙が痛い。
「ええと、」
 もう、どうにでもなれ!
「特技は寝ること、趣味も寝ること!本は読みません。運動もしません。よろしくお願いします!」
 それを言い終わるとほぼ同時ぐらいに静かだった教室が糸を切ったようにざわざわとしだした。そりゃ、そうだ。
 完璧に血迷った。完全なる敗北。ばいばい、僕の学校生活。
「はい、仲良くしてあげてくださいね」
 定型文を口にする先生の顔もなんだか引き攣っている。出会って初めて見た表情が引き顔だ。報われねえ。
「陸牧さんの席は、海瀬くんの隣です。……あの寝てる男の子ですね」
 先生が指さした方を見ると確かに寝ている奴がいる。
「海瀬くん、起きなさい」
 寡黙な先生、怒りの声。居眠り常習犯なのだろう。それでも海瀬くんは起きない。先生は諦めたように溜息をつき、僕を座るように促す。
 ちょっと待ってくれ、明らかにこいつは中学生じゃない。小学生だろこのサイズは。……暴言ではない。しかし、でも、本当に中学生なのか?本当にそう、疑いたくなるサイズ感だ。小さい。
迷いに迷った末――いや、座れと指定されたから座らないわけにはいかないんだけど――小学生の隣に座った。
 ちら、とみると、こちらの方を向いて眠っている。……意外とカッコいい顔してんなこいつ。でもちっちゃい。サイズは小学生。
 これは……起こした方がいいのか?
 思わず頬をつついてみたい衝動に駆られたが、そんな勇気はない。じっと眺めていると、ふにゃふにゃと何かを言っているようだった。
「……小学生」
 ボソッと呟くと、海瀬くんがぴくりと動いた気がした。つまり、それだけで他に反応は無かった。ふむ、この僕が起こしてやろうとしてるのに反応なしか。別にいいんだけどね。
「はい、では陸牧さんに拍手」
 なんの拍手かわからなかったが、とにかく謎の拍手で迎え入れられた。
「では、今日も一日頑張っていきましょう」
そんな先生の一言で、話は終わった。
終わりの挨拶は無いようで、そのまま教室は異物を受け入れきれていないように、すこし違和感があるまま動きだす。もっとも、被害妄想なのだけれど。
すこしあたりを見渡してから、鞄の中から教科書とノートを取り出し机の中に入れた。

僕らの未来は変えられる

僕らの未来は変えられる

学園ものに見せかけた転生ものファンタジー。ちょっとおかしな主人公とゆかいな仲間たち。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-24

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1
  2. 2