渡り鳥が忘れた、古巣【B】

   渡り鳥が忘れた、古巣【B】
※フィクションに付き、内容は架空で事実と異なる処があります
直弘は販売促進課で、部下と一緒に、特約店作りの立案をしていた。彼は大学を卒業し、父親・泰弘の口利きで、父親と同じ会社に入った。JATCは、泰弘の功績で、貿易業界でも一目置く存在になり、直弘は、現在、販売促進課の係長の職に在った。直弘は、入社してから5年が過ぎていた。彼の仕事は、JATCが輸入した商品を売りさばく為の、特約店を増やすのが、主たる仕事だった。最近、彼の上司の販売促進課長が交代した。新しい販売促進課長は、相川一美(あいかわかずみ)と云って、相川一夫社長の一人娘で、体型は小太りだった。彼女は直弘より五歳年上で、昔、父親・泰弘が内定を取り消された、大手商事会社に勤めて居たが、退職して、JATCに転職したキャリアウーマンだった。彼女は、一人娘特有の、苦労を知らない我が儘で、浪費家だった。一美が身に着けている衣服は、全て高級ブランドだった。転職した彼女の目に、直弘が映った。直弘は、父親譲りのイケメンだった。一美は直弘に、猛烈なアプローチを始めた。直弘は、上司で或る一美の誘惑を、拒む術が無かった。彼女が利用するレストランは、全て、直弘の給料では、行けない様な、高級レストランだった。倹約志向の直子に育てられた直弘には、高級レストランは馴染めなく[もったいない]の、一言だった。しかも一美は、店の飲食代を、全て、JATCの経費にした。直弘は、父親・泰弘の頑張りで、JATCが此処までに成長した事を知っていた。直弘は、一美の経費流用に、自分も加担している様で、泰弘に対し、申し訳なく、肩身が狭く感じた。一方で直弘は、マニラに常駐し、日本の家族を顧みない泰弘に、批判的な面も有った。30歳を過ぎた一美は、結婚を焦っていた。一美の、学生時代の友達や、前の職場での同僚も、殆ど結婚した。勝気で、我が儘で、面食いで或る一美は、前職の大手商事でも、男性社員から、嫌われていた。マニラの常駐勤務が全てだった泰弘は、一美とは殆ど面識が無かった。増して、一美の性格などは、全く知らなかった。社長の一人娘、相川一美との結婚なら、自分も、創業家の一族に成れると思い、直弘の結婚に賛成した。二人は、一年を待たずして結婚した。社長の相川一夫は、直弘を婿養子と考えていたが、直弘が拒み、一美が嫁入りする事で、決着した。一美は安藤一美に成った。社長の一夫は、二人に、都内の高級マンションを買い与え、二人は、古民家に住まなかった。結婚式を終えると、泰弘もマニラに帰任し、古民家は、男気配の無い家に成った。70歳を超えていたキクとヨネは、既に、労務規定に依り、公園清掃の仕事を、失っていた。仕事は美徳だと考え、二人は、皆が嫌がる公衆トイレの仕事を、特別措置で続けさせて貰ったが、給料はダウンした。二人とも、国民年金だったので、年金の支給額は、僅かだった。直子は相変わらず、野良仕事に励んでいた。そんな三人を、一美は軽蔑していた。結婚を期に、直弘と一美は、古民家に、全く来なく成った。二人の家庭は、一美のカカア殿下の、独壇場だった。結婚して一年が過ぎた頃、二人に男子の赤子が誕生した。赤子の名前は、一美の父親、相川一夫の考えで、一美の両親の一文字ずつを取り、一佳(かずよし)と、名付け押し通した。安藤家の意向は、一字も反映されなかった。一美は「古い人間と、若い人間は、育児方法の考えが違う。母乳で育てると、自分の体形が崩れる」と言い、赤子の一佳を、高級有料保育所に預け、自分は、仕事を続けた。結果、赤子の保育所の送迎は、直弘の役割になった。一美の育児放棄である。それにも増して、一美は家事も放棄し、全て直弘が熟した。まるで直弘は、一美の召使いの様だった。贅沢三昧(ぜいたくざんまい)の一美と、節約志向の直弘とは、水と油の仮面夫婦で、次第に二人の溝は、深く成っていった。一美は「[何時も、二言目には、御袋は、御袋だったら]と、直弘は言う。直弘はマザコン」と、大声で、直弘を罵った(ののしった)。「全ての動物が、子孫存続の為に、一生懸命、子供に餌を運び、子育てをする。動物の本能だ。育児放棄する人間は、動物よりも劣る。マザコンの何処が悪い。親が自分を育てて呉れたから、現在の自分が存在する。親を敬い感謝する気持ちが有ってこそ、人間だ。血は水よりも濃い。それが、親子の絆だ。何時までも、親を宛にして、贅沢三昧をする女こそ、親離れが出来なく、自立出来ない人間の典型だ。一美のブランド志向は、豚に真珠だ!」と、直弘は爆発して、言い返した。二人の関係が、ギクシャクなるに連れて、イケメン志向の一美は。ホストクラブにも通う様に成り、費用は、会社の接待交際費にした。社長の一人娘で或る彼女を、咎める(とがめる)社員は、誰も居なかった。会社にホストから、電話が来る様になった。それは、二人の致命的な結論になった。一美はホストに走り、直弘は赤子の一佳を連れて、マンションを出た。直弘が辿り着いたのは、忘れかけた古民家だった。直子とキクとヨネの三人が「おかえり」と言って、直弘を出迎えた。三人が、順に、赤子の一佳を抱いた。一佳は、三人よりも、玄関廊下の猫達に、興味が有る様だった。数日後、一美から、印鑑を押した離婚届が、送られて来た。直弘はそれに捺印してから、役所に提出し、会社・JATCにも辞表届を郵送した。翌日、吹奏楽同好会の昔仲間が、父母と一緒に現れた。「直弘、お帰り、直弘は、東京の、ど真ん中よりも、此処が一番似合っているよ」と言い、次々と赤子の一佳を抱いた。一佳が泣きだした。由実子が抱くと、一佳は泣き止んだ。「一佳君、可愛い」と、由実子が言った。「やっぱり子供は正直だ。汗臭い野郎よりも、女の由実子の方が、良いのだ」と、直弘が言った。博史と由実子の間には、未だ、子供が居なかった。少し離れた庭のテーブルを囲んで、直子と父母達が、談笑していた。ヨチヨチ歩きの一佳が、鶏を追いかけ、テーブルの方へ歩き始めた。仲間の一人が「直弘、これから、何の仕事をする?」と聞いたら、「此処で、御袋と一緒に農業をする。近くに休耕田も一杯有るし、借りようと思っている」と、直弘が答えた。「俺達も、全面協力するよ」と、仲間達が口々に言った。直弘は、遠く離れている父親の代りに、自分が、家族三人と一緒に、古民家に住むべきだと、感じていた。「由実子、以前より綺麗になった。化粧も、ほぼ、スッピンだ」と、直弘が言うと「博史が、以前から、直弘の、お母さんのファンだって。だから、私、質素のお母さんの、真似をしているの。この白いブラウスも、透けて下着が見えるから、彼を刺激するでしょう。真似をする様に成ったら、博史は毎日、私を求めてくるの。昼間も、あるよ。求めて来たら、必ず応じて上げるの。私、博史が大好きだから。一緒の職場だから、便利ね」と、由実子が嬉しそうに言った。博史が赤ら顔で、恥かしそうに、頭を掻いていた。直弘はビックリした。昔の暗く沈んで、口数も少なかった由実子とは、真逆で、自分の幸せを話したくて、仕方がない様子だった。直弘が「余り仲が、良過ぎると、鸛(こうのとり)が焼餅を妬いて、子供を運んで出来ないよ。俺の様に、仲が悪いと、子供が出来る」と言うと、「絶対に無理、私、博史を嫌いに成る事なんて、絶対に出来ない」と言い、由実子は博史に抱き付き、口にキスをした。博史は、又しても赤面した。「今、私達の職場に、毎日、幼児貧困の児童が4・5人朝晩来るの。私、その子供達に御飯を上げるのが、楽しいの。これも、直弘のお母さんの真似なの。修学旅行の費用を、くれた時[恵まれない子供に、返して下さい]と、言われた。子供は可愛いね」と、由実子が笑顔で言った。直子は、由実子の修学旅行の事や、在りし日の、自分と泰弘の姿を想いだし、微笑ましく二人を眺めていた。次の日曜日、今度は、建築資材をトラックに積んで、仲間達が父母と一緒に、古民家に現れた。仲間達の中に、子供が5人、含まれていた。仲間の一人が「今日は、農機具の倉庫を、造りに来た。泰弘の再出発の為の、俺達からの贈り物だ」と、言った。トラックから建築資材を降ろし、全員で、倉庫造りが始まった。安藤家の人間も、子供達も、仲間達の父母も、倉庫造りに加わった。倉庫は、午後の3時頃に、2棟完成した。農機具を置くには、充分の大きさだった。居間のレコードを流しながら、庭で、細やかな倉庫完成パーティーを開いた。泰弘は[仲間は大切だな]と、思った。泰弘は由実子に「5人の子供は、何処の子供?」と、訊いた。「私の処に毎日来る、子供達よ。今日は、学校が休みで、子供達が[自分達も、手伝いたい]と云うから。連れて来たの。可愛いでしょう」と、言い「私の家には、経験を積んだ、立派な保育士が、3人も居るの。博史の両親と、私の母よ。だから、保育園など、必要無いの。私も、会社の事務に、専念出来るし、私達の、子供が出来ても、保育園に預ける考えは、全く無いの。人生経験が豊富な年長者の知恵は、凄いよ。昨日も、博史の御父さんが、倉庫の、アルミパイプの廃管を利用して、竹馬作りを、子供達に教えていたよ。今、私は博史の両親と、私の母と、同居しているけど、楽しいよ」と、言った。泰弘は、家族の絆を大切にしない、行政の保育園造りの施策に、疑問を感じた。
直弘が退職してから、一ヶ月程、過ぎた日にJATCから、退職金が振込まれた。退職金は、勤続年数と役職に準じた金額だった。彼は退職金で、農機具を取り揃えた。休耕田の大半は、地主が高齢で、労働力不足の為、放置され、背の高さを超す程の、雑草が覆い茂っていた。休耕田の草刈りを、業者に頼めば、相当な費用が掛かると、地主達は認識していた。地主達は挙って、雑草を除去する条件で、農地は無料で貸してくれた。休耕田は面積が広いので、一人では、雑草の草刈りだけで、相当な日数を要すると、直弘は思った。地震の時、安藤家で給水や炊き出しを受けた被災者達が、日曜日にボタンティアで、古民家に集まり始めた。彼等は、自宅の庭で使っていた草刈り機や、レンタルで借りた草刈り機を持ち、直弘が借りた休耕田に向かった。一斉に草刈りが始まった。広大な休耕田は、人海作戦に依り、一日で草刈りが終了した。次の日曜日には、成金議員に反旗を掲げた農民達が、トラクターに乗り、直弘が借りた休耕田を、一日で耕した。農民達の中に、繰り上げで市会議員に成った、青年議員・山田 魁の姿が在った。「地震の時は、色々、お世話になりました」と言って、彼はトラクターの傍ら、大声で叫びながら、手を振っていた。彼が農民達に、地震当時の、安藤家の給水や炊き出しの事を話し、農民達に、休耕田のトラクター出動の協力を仰いだ、立役者だった。直弘は、人間同士の助け合い太さに、又しても驚嘆した。休耕田に黄昏が迫り、ボランティア達の人影が、シルエットに変わっていた。夕方、MARIA(マリア)は、ナイト・クラブに出勤した。店の前に、3歳位の貧祖な身なりの女の子が、一人で立っていた。首からは、ピンクのキティのポシェットが、掛かっていた。「如何したの?」と、MARIA(マリア)は女の子に聞いた。「ママを待って居るの」と、女の子は小声で答えた。「ママ、早く来ると良いね」と、言い残しMARIA(マリア)はナイト・クラブに入った。この店のシンガーで或るMARIA(マリア)は、最初のステージを終えた。彼女は、店の前の女の子が、気掛かりだった。ステージ衣装の侭、MARIA(マリア)は店の前に出た。辺りは闇に包まれ、ナイト・クラブのネオンだけが輝いていた。店頭に女の子は、未だ立って居た。「未だ、ママ来ないの?」と、MARIA(マリア)が聞くと、女の子は、俯きながら頷いた(うつむきながら、うなづいた)。「お腹、空いたでしょう?」と聴くと、女の子は頷いた。MARIA(マリア)の目に、道を隔てて、ホットドックの屋台が見えた。彼女は、屋台で、ホットドックとジュースを買い「これ、食べて」と言い、女の子に渡した。「小母ちゃん、有難う」と言い、女の子は、美味しそうに食べ始めた。「何歳?名前は何て云うの?」と、MARIA(マリア)が聞くと、「3歳です、DREAM(ドリーム)です」と、女の子は答えた。「ママ、早く来ると良いね。小母ちゃん、お仕事が有るから、又来るね」と、言ってMARIA(マリア)は、店の中に戻って行った。二回目のステージが、終わった。MARIA(マリア)は再度、店の前に出た。外はスコールだった。女の子は、ずぶ濡れで立って居た。慌ててMARIA(マリア)は店から傘とタオルを持ち出し、女の子の体を拭き、傘を差出した。彼女は、店頭の脇に有ったパイプ椅子を開き「DREAM(ドリーム)ちゃん、ここに座って、もう少し待ってね。ママ、来るから。小母ちゃんも、後から来るから」と、言って店の中に戻った。三回目のラストステージは、DREAM(ドリーム)が気掛かりで、ミスの連続だった。ステージが終わり、急ぎ店頭に行くと、DREAM(ドリーム)は傘を広げ、パイプ椅子に座っていた。MARIA(マリア)の胸に、安堵感が走った。既に、時間は、深夜の0時を回っていた。「DREAM(ドリーム)ちゃん、何か食べようか?」と、MARIA(マリア)が言って、辺りを見回した。先程のホットドックの屋台が、未だ、灯りを付けていた。屋台でソフトクリームを買い、二人で食べた。「美味しい」と、DREAM(ドリーム)が言った。MARIA(マリア)にはDREAM(ドリーム)の表情が、とても可愛く見えた。DREAM(ドリーム)が言った。「小母ちゃんの名前は何?」「MARIA(マリア)と云うの」と、彼女が答えた。「小母ちゃんは、MARIA(マリア)様ですか?」と、DREAM(ドリーム)が言った。MARIA(マリア)は、言葉に詰まりながら「そう・・そう・・そうだね」と、言った。[MARIA(マリア)様は、3回、DREAM(ドリーム)に話し掛けるよ。その人がMARIA(マリア)様です。MARIA(マリア)様は、優しいひとです。ママの帰りが遅く成ったら、MARIA(マリア)様にキティちゃんのポシェットを見せて、MARIA(マリア)様の言う事を聞いてね]と、ママが言っていた」と、DREAM(ドリーム)が言い、MARIA(マリア)に、首に掛かっているポシェットを、渡した。MARIA(マリア)は、ポシェットを開けた。中には、200ペソ(\450)の紙幣が一枚と、手紙が入っていた。手紙には[私には、難病の母が居ます。母の治療費は、有りません。私は、母の看病で働く事が、出来ません。私は疲れました。DREAM(ドリーム)は残して、私と母は一緒に、天国に行きます。残されたDREAM(ドリーム)を、助けて下さい。宜しく、お願いします]と、書かれていた。MARIA(マリア)は、手紙を握り締めた。彼女の目に、涙が溢れた。「
MARIA(マリア)様、泣いて居るよ。如何したの?」と、DREAM(ドリーム)が聞いた。「何でも、ないの」と、ハンカチで涙を拭きながら、微笑み、MARIA(マリア)は、夜空を見た。スコールが通り過ぎた夜空は星、で一杯だった。
MARIA(マリア)は、孤児だった、自分の過去を、想い浮かべていた。幼少期の或る日、MARIA(マリア)は、マニラ湾の椰子の木陰に、身を潜めて居た。今日、MARIA(マリア)は、未だ、何も食べて無かった。お腹が空いた。海岸のベンチに、チェックのシャツを着た、一人の若い女性が座って居た。女性の脇に、リュックサックが有った。若い女性が、サンドウィッチを買う為に、ベンチを立った。MARIA(マリア)は、ベンチに近付き、リュックサックを背負い、走り出した。5歳のMARIA(マリア)には、リュックサックは重かった。足が、フラついた。10㍍走って、MARIA(マリア)は転んだ。膝から、血が噴き出した。MARIA(マリア)は、立ち上がる事が、出来なかった。MARIA(マリア)の前に、人影が在った。チェックのシャツを着た女性だった。女性は「御免ね。リュックサックの中には、食べ物は入っていないの。これ食べて」と優しく言い、先程、買ったサンドウィッチを、MARIA(マリア)に差出した。「血が、出ている」と、女性は言い、ハンカチで、MARIA(マリア)の膝を拭き、次に、ハンドタオルを引き裂き、包帯替わりに巻いた。「痛かったでしょう。歩ける?」と、女性は優しく聞いた。MARIA(マリア)は「大丈夫」と言い、サンドウィッチに、むしゃぶり付いた。女性は「ちょっと待って居てね」と言い、今度は、ホットドックとジュースを、買って来た。MARIA(マリア)は、それも即完食した。「私は日本人で、MILAI SUZHUKI(未来 鈴木)と云うの、貴方の名前は?」と女性は、微笑みながら聞いた。「名前は無い」と、MARIA(マリア)は答えた。「何歳ですか」と、女性は聞いた。「知らない」と、MARIA(マリア)は答えた。MARIA(マリア)の顔は、煤け(すすけ)、衣服はボロボロだった。孤児のMARIA(マリア)は、常日頃、ゴミ箱を漁って、食い繋いでいた。女性は「私と一緒に、行こう」と言い、MARIA(マリア)を、背負い自分の宿舎に、連れて来た。女性はMARIA(マリア)の体を、シャワーで洗い、まず、自分のTシャツに、着せ替えた。Miss.MILAI(未来)は、日本の青年海外協力隊(JICA)の一員でフィリピンを訪れ、置き引き犯のMARIA(マリア)と出会った。しかもMiss.MILAI(未来)は、そのまま、フィリピンに住み付き、預貯金の全てを使い、小さな孤児院まで造った。出会った時、MARIA(マリア)には、名前が無かったのでMiss.MILAI(未来)が、MARIA(マリア)と云う、名前を付けた。Miss.MILAI(未来)は、翻訳が主な仕事で、孤児院の子供達を養う為に、畑も作っていた。MARIA(マリア)は、Miss.MILAI(未来)を「ママ」と呼び、慕う様になった。ナイト・クラブは、知人の日本人がオーナーで、Miss.MILAI(未来)が、唄が上手いMARIA(マリア)を、ナイト・クラブに紹介してくれた。温情家のオーナーの話しに依ると「Miss.MILAI(未来)は、若い頃、恋人が居たらしい。恋人は、金の掛かるスポーツに没頭し、金も時間も費やしていた様だ。恋人がMiss.MILAI(未来)の誕生日に、プレゼントを、したそうだ。その時、彼女は[この贈り物を店に返して、代金を欲しい。その代金で、子供達の物を買いたい]と、言ったそうだ。恋人は、怒って、プレゼントを持ち帰ったが、代金は持って来なかった。それ以来、恋人とは、音信不通に成った様だ。社会貢献の精神が有る彼女は、考え方の違いを、恋人に感じ、別れた。交際中の頃、彼は、真っ黒に日焼けした、真っ白な歯の青年で、そこから零れる、彼の笑顔が、彼女は好きだったそうだ。しかしながら、今も、彼は、金の掛かったスポーツ施設で、自己満足の為にトレーニングに、邁進しているそうだ。私もMiss.MILAI(未来)の考えに、共鳴し、貴方をシンガーとして雇った。この国の大半の若者が、職にあぶれ、食べるのが精一杯で、スポーツをする金も、時間も無いのが、現実だ」と、彼女の過去と、自分の考えを教えてくれた。Miss.MILAI(未来)が、好んで口にする言葉は、そのお金で、何人の困っている人を、助ける事が出来ますか?で或る。その想い出は、MARIA(マリア)に取って、大事な宝物で在った。今、孤児院には、10名の子供がいる。Miss.MILAI(未来)は、40歳を超えた年齢だが、未だ、結婚はしていなかった。MARIA(マリア)は、常日頃、Miss.MILAI(未来)に、給料6500ペソ(\15000)の中から、節約して仕送りをしていた。孤児院を卒業した子供達からの仕送りは、Miss.MILAI(未来)の大切な収入だった。MARIA(マリア)は、DREAM(ドリーム)に「MARIA(マリア)の、コンドミニアムに行こう」と、言った。「うん」とDREAM(ドリーム)は、笑顔で答えた。二人は深夜の歩道を、手を繋いで歩き始めた。MARIA(マリア)は、唄を小声で口遊み始めた。唄は日本語だった。コンドミニアムに着いた。部屋はベットが一つで、小さく質素だった。室内に、Miss.MILAI(未来)と、孤児院の子供達の写真が、貼って在った。DREAM(ドリーム)は、不思議そうに、写真を眺めていた。MARIA(マリア)は、Miss.MILAI(未来)の写真にキスをして「おやすみなさい」と、言った。二人はベットに入り、MARIA(マリア)はDREAM(ドリーム)に、子守唄を唄った。暫くするとDREAM(ドリーム)は、眠りに付いた。天使の様な、寝顔だった。
翌朝、MARIA(マリア)が起きると、DREAM(ドリーム)は、未だ、熟睡状態だった。とても可愛い寝顔だった。昨夜、遅かったからと思い、MARIA(マリア)は、そのままDREAM(ドリーム)を寝かして置いた。そして、自分は部屋の掃除や、洗濯を始めた。昼頃、要約、DREAM(ドリーム)は目覚めた。「おはよう、御飯、買いに行こう」と、MARIA(マリア)が言い、二人は、近くのテークアウトの店に向かった。料理を持ち帰り、部屋で食事を摂り、ナイト・クラブの開店時の、相当まえの時間帯に出勤して、店の前で、DREAM(ドリーム)の母親の帰りを待った。MARIA(マリア)には、若しかして母親が戻るのでは?と云う、微かな期待が有った。MARIA(マリア)がステージに立っている間は、DREAM (ドリーム)は楽屋に居た。ナイト・クラブのオーナーも、二人に寛大だった。そんな日々が、4・5日、続いた。しかし、母親は、現れ無かった。MARIA(マリア)はDREAM(ドリーム)に「これからは私の事、MARIA(マリア)様ではなく、様を取って、MARIA(マリア)と呼んで欲しいの。DREAM(ドリーム)ちゃんの事も、ちゃんを取って、DREAM(ドリーム)と呼ぶから」と、言った。DREAM(ドリーム)が「分かった」と、返事した。最近、ナイト・クラブに月に、二・三回、中年の、日本人の客が来る様になった。彼は、店に来る度に、常に、Sleepy Lagoon(スリーピー.ラグーン)と、Endless Love (エンドレス・ラブ)と、I'm Sorry(ごめんなさい)の三曲を、MARIA(マリア)にリクエストした。彼は、何時も一人客席で、MARIA(マリア)の唄を、目を閉じて聴いていた。彼女が、Sleepy Lagoonを唄う度に、彼の目に、光る物が見えた。MARIA(マリア)は次に、ステージと、客席の彼とで、Endless Loveをデユッエットで唄った。最後に、I'm Sorryを唄った。そして、二回目のステージが終るとMARIA(マリア)の傍に来て、1000ペソのチップを渡し、「有難う」と頭を下げ、フロアーを背にするのが、彼のパターンだった。MARIA(マリア)も、ステージから「Thank you」と、返すだけで、他の会話は全く無かった。MARIA(マリア)には、彼の表情が、者悲しく映った。マネージャーに聞くと「彼は日本の貿易会社、JATCの専務で、東南アジア統括責任者の安藤泰弘さんだ。この店のオーナーとも、同郷で、面識がある人物だ」と、教えて貰った。MARIA(マリア)は、自分の唄を聴いてくれる、日本人のファンの出現に、嬉しかった。
給料の殆どを、Miss.MILAI(未来)に仕送りしていたMARIA(マリア)は、DREAM(ドリーム)を養うになると、生活が次第に困窮する様になった。彼女はMiss.MILAI(未来)に電話を掛けた。Miss.MILAI(未来)は、優しく「貴方の行動は立派です。でも、愚痴を零しては、いけません。お金が無いと言っては、いけません。途中で止めては、いけません。自分の行動を、諦める事は簡単です」と、言った。Miss.MILAI(未来)の好きな唄が、MARIA(マリア)の脳裏を、横切った。MARIA(マリア)は、のオーナーに相談した。既に、MARIA(マリア)の、窮状を察していた日本のオーナーは、自分の郷里のナイト・クラブに、シンガーとして、出稼ぎに行く事を薦めた。MARIA(マリア)は、熟慮(じゅくりょ)した上、再度、電話でMiss.MILAI(未来)に、相談した。Miss.MILAI(未来)は「オーナーの紹介なら、大丈夫」と、言ったMARIA(マリア)は、養子のDREAM(ドリーム)と一緒に、日本に行く事を決断した。親子二人のビザ取得は、全て、オーナーが対応してくれた。
二人の乗った飛行機は、マニラ空港を離陸し、一路、成田に向かった。機内には、十数名の、出稼ぎのフィリピ―ナも乗っていた。窓際席のフィリピ―ナが、二人に席を譲ってくれた。フライトが始めての二人は、食入る様に、眼下のマニラ市を見ていた。
午後、成田空港に到着した。入国手続を済ませ、二人はフィリピ―ナ達と共に到着ロビーに現れた。DREAM(ドリーム)の首には、ピンクのキティのポシェットが、掛かっていた。フィリピ―ナ達は、日本が始めてでは無い様で、挙動が手馴れていた。ロビーに、芸能プロダクションの、二人のスタッフが、彼女達を出迎えた。プロダクションが用意したワンボックスカーに乗り込み、彼女達は、滞在場所に向かった。到着した滞在場所は、十畳程の、ワンルームのアパートだった。室内には、風呂と台所と、二段ベットが二つ有り、他に、テレビと洗濯機が備わっていた。この部屋に、フィリピ―ナ三人と、MARIA(マリア)とDREAM(ドリーム)が、同居する事になった。部屋は小奇麗で、マニラの小さなコンドミニアムに居たMARIA(マリア)には、充分だった。プロダクションのスタッフから、携帯電話が渡され、利用に関しての、指示が有った。「MARIA(マリア)の仕事は、昼間の弁当屋と夜のナイト・クラブの仕事で、明日から出勤して貰う」と、言い渡された。MARIA(マリア)は、翌日から、同僚のフィリピ―ナと一緒に、昼間は弁当屋で働き、一時(いっとき)アパートに戻ってから、夜はフィリピンパブで働き、帰りはいつも、深夜の1時を回る生活になった。弁当屋は奥に、従業員用の休憩室が在り、DREAM(ドリーム)は何時も休憩室で、テレビを見たりゲームをしたりして、一人でMARIA(マリア)の仕事が終わるのを、待っていた。MARIA(マリア)は、時間が空いたら、常に、奥の休憩室に足を運んだ。弁当屋から、夕食の弁当を貰い、アパードで、二人で食べ、夜、MARIA(マリア)がフィリピンパブに出勤すると、DREAM(ドリーム)は、アパートで一人、フィリピンのアニメを見て、過ごした。MARIA(マリア)が、フィリピンパブから帰宅すると、何時も、DREAM(ドリーム)は、眠りに付いていた。フィリピンパブでのシンガーの仕事は無く、MARIA(マリア)の仕事は、単なるホステスだった。弁当屋はファーストフードの店で、MARIA(マリア)は昼前に出勤し、夕方まで働き、その後は、学生アルバイトが勤める、ローテーションだった。そんな日々が、続いていた。ある日、DREAM(ドリーム)は、キティのポシェットから、200ペソの紙幣を取り出し、MARIA(マリア)に渡した。「MARIA(マリア)に、このお金、上げるから、夜、MARIA(マリア)と一緒に居たいの」と、DREAM(ドリーム)が言った。MARIA(マリア)の目に、涙が溢れ出た。幼いDREAM(ドリーム)には、夜、アパートで、一人で居るのが、寂しかったのだ。「ごめんね。MARIA(マリア)、頑張るから、もう少し我慢してね」と、MARIA(マリア)が言うと、DREAM(ドリームは「分かった」と、小声で頷きながら言った。MARIA(マリア)は、DREAM(ドリーム)を抱き締めた。
直弘は、毎日、農場で、農作業に励んでいた。ある日彼は、市内に、フィリピ―ナで70年代前のポップスを、唄う店が在る噂を、仲間から聞いた。何時もの様に、古民家で夕食を食べ終えてから、彼は、そのフィリピンパブに、向かった。店は未だ閉まっていて、開店時間は8時だった。直弘は、店の前で待った。彼は開店と同時に、店に入った。ソファーに座り、店のスタッフに、唄の上手い、フィリピ―ナを指名した。直弘の席に、フィリピ―ナが来た。彼女は、中肉中背の小麦色の肌をした、美人のフィリピ―ナだった。彼女は、Miss.MILAI(未来)から教わった、不慣れな日本語で、名前を「MARIA(マリア)です。宜しく」と、言った。元JATCの社員だった直弘は、自分の名前を「my name NAOHIRO」と、流暢な英語で彼女に教えた。二人の会話は、英語に変わった。日本に来て、未だ、間が無いMARIA(マリア)は、始めて、客と、真面(まとも)に話が出来た。会話が弾み(はずみ)、二人は意気投合した。MARIA(マリア)は「自分の好きな唄が有るの。唄って、良いですか?」と、聞いた。直弘は「良いよ」と、答えた。彼女はSleepy Lagoonを唄った。直弘は、ビックリしたと同時に、目に、一筋の涙が流れた。それは、両親、泰弘と直子が一番、愛した曲だった。「如何したの?」と、MARIA(マリア)が聞くと「何でも無い」と、直弘は素手で、涙を拭いながら言った。「私、まだ好きな唄が有るの。一緒に唄いましょう」と、言ってMARIA(マリア)はマイクを差出した。二人で、Endless Loveをデユッエットで唄った。暫くして、店のスタッフが席に来て「お時間です。延長しますか?」と、訊いたので、直弘は延長した。だが、指名したはずのMARIA(マリア)に、他の客から指名が入った。彼女は、その度に席を、離れた。直弘は、店のシステムに、疑問を感じた。暫くして、二回目の延長の有無を訊かれたが、直弘は延長しなかった。店のスタッフが料金を提示した。農業収入のみの直弘には高額だった。帰り際、MARIA(マリア)が「御免なさい。でも、楽しかった。有難う御座います」と、言った。直弘は「じゃあ!」と、言って片手を上げ、店を後にした。翌日の夕方、直弘は畑の仕事を早目に切り上げ、息子の一佳を連れて、MARIA(マリア)の働いて居る弁当屋に行った。彼は、スッピンのMARIA(マリア)を見て、驚いた。スッピンの彼女は、夜の化粧をしている顔よりも、数段に綺麗だった。丁度、夜間の交代要員の、アルバイトの女子学生が、出勤していた。直弘は英語で、MARIA(マリア)と話した。MARIA(マリア)は、一佳を見て「昨夜は、有難う御座います。可愛い。息子さんですか?」と、聞いた。「そうだよ」と、直弘が答えた。「私にも、娘がいます。DREAM(ドリーム)、出ておいで」と言い、MARIA(マリア)は、奥の休憩室に居るDREAM(ドリーム)を、呼んだ。「娘がいるの?独身かと思った」と直弘は、少し驚いて言った。奥から、DREAM(ドリーム)が出て来た。「可愛いな。何歳?」と、直弘が英語で聞いた。DREAM(ドリーム)が、指で、3歳と示した。「一佳と同じ歳だ」と、直弘が言った。英語の会話を見ていた女子学生が、直弘を「英語、カッコ良い!イケメン!」と、絶賛していた。DREAM(ドリーム)が、店の外に出て、一佳と遊び始めた。古民家には、子供の遊び相手が居ないので、一佳は、直ぐに、DREAM(ドリーム)と、打ち解けた。直弘は、安藤家全員の惣菜を買った。そして彼は、自らの黄色の小型ワンボックスカーに、3人を乗せ、2人をMARIA(マリア)のアパートまで送ってから、古民家に戻った。その晩、安藤家の夕食は、MARIA(マリア)が働く弁当屋で買った、惣菜だった。
二三日して直弘は、再び、MARIA(マリア)の働いている、フィリピンパブに行き、MARIA(マリア)を指名した。MARIA(マリア)が「先日は、弁当屋に来てくれて、有難う御座います」と言って、直弘の横に座った。彼女は、白色のミニドレスを着て、胸元の割れ目がクッキリ見えた。直弘は、ゾクとした。二人は、互いの身の上話しを始めた。直弘が「フィリピンに、旦那さんが居るの?」と聞くと、MARIA(マリア)は、首を横に振った。直弘が「DREAM(ドリーム)は、誰の子供?」と、聞いた。「DREAM(ドリーム)は捨て子です。私が拾いました。私は未だ、未婚です」と、MARIA(マリア)は言い、自分も孤児で或る事や、Miss.MILAI(未来)に拾われた事など、全ての経歴を話した。MARIA(マリア)は「直弘さんの奥さんは?」と、聞いた。「離婚した。バツイチだ」と、直弘が言い、彼も自分の、身の上話しをした。MARIA(マリア)が、[未来へ]を日本語で唄った。「この唄、フィリピンのママが、一番好きな唄よ」と、彼女は言い、再び、Sleepy Lagoonも唄った。今日、直弘はトランペットを持参した。MARIA(マリア)の唄の後に、彼はトランペットを奏でた。唄と演奏を終えた二人に、客席やホステスから、拍手が湧いた。直弘はMARIA(マリア)に「如何して、この曲が好きに成ったの?」と、聞いた。彼女は「マニラのナイト・クラブで唄っている時、何時もこの曲を、リクエストする、日本人の御客さんが居たの。だから好きに成ったの。その御客さん、私が唄う度に、涙を流して、寂しそうだった。直弘さんも、この前、店に来た時、涙を流していた。訳が、有るの?Endless LoveもI’m Sorryも、その御客さんが、リクエストする曲よ」と、答えた。直弘は咄嗟に「その御客さんの名前、知っている?」と、MARIA(マリア)に聞いた。「知っています。御客さんは、日本の貿易会社、JATCの専務で、東南アジア統括責任者の、安藤泰弘さんです。マニラのナイト・クラブのオーナーと同郷で、この町の出身の方です」と、彼女は答えた。直弘は、天井を仰ぎ、暫し、目を閉じた。MARIA(マリア)が心配気に「私、未だ、直弘さんの姓を、知りません。姓は、何と云うのですか?」と、聞いた。「安藤」と、直弘が答えた。MARIA(マリア)が、目を丸くして「お父さんの名前は?」と、聞いた。「安藤泰弘、そう、その御客は、俺の父親の安藤泰弘だ」と、直弘が言った。MARIA(マリア)は唖然として、更に、目が大きくなった。MARIA(マリア)は直弘に、泰弘の、寂しそうな近況を伝えた。直弘は、心とは裏腹の、企業戦士・泰弘の帰国出来ない実情を、垣間見た。二人は一緒に、Endless LoveとI’m Sorryを唄った。二人の距離が、急速に縮まった。「私達の姓を、未だ、直弘さんに、教えて無いよね。私達の姓は、SUZHUKI (鈴木)です。私はMILAI SUZHUKI(未来 鈴木)の養子です。Miss.MILAI(未来)の姓を貰いました。私は、MARIA SUZHUKI(マリア 鈴木)で、DREAM(ドリーム)は、DREAM SUZHUKI(ドリーム 鈴木)です。Miss.MILAI(未来)が日本国籍だったので、二人のビザ申請が簡単でした」と、MARIA(マリア)が言った。直弘とMARIA(マリア)は、互いの、携帯電話の番号とメールアドレスを、交わした。直弘はD、REAM(ドリーム)の事を聞くと、MARIA(マリア)が「DREAM(ドリーム)は、何時も、アパートに、一人で居るの」と、答えた。直弘は心配して「子供が一人で居るのは、駄目だ」と、言ったら「仕方ないでしょう」と、MARIA(マリア)は返した。直弘は、古民家にMARIA(マリア)を誘った。MARIA(マリア)は「有難う」と、言い「近日中に、古民家に行きます」と、言った。MARIA(マリア)は、直弘の視線が終始、彼女の胸元に集まっているのを、察していた。彼女は、優しく微笑み「触って良いです」と言い、直弘の手を胸元に押し込んだ。「私、男性に胸を触られるの、直弘さんが始めて」と、MARIA(マリア)は直弘の耳元で囁いた。情熱的で、且つ、優しいMARIA(マリア)の心に、直弘への恋心が、芽生えていた。
夜遅く、直弘は古民家に戻り、今日のMARIA(マリア)との話を、皆に聞かせた。三人は、興味深気(きょうみぶかげ)に、聞き入っていた。直弘は、MARIA(マリア)達を、古民家に招待する話をしたら「私達も、泰弘の事も聞きたいので、是非、来る様に」と、三人とも快く承諾してくれた。日本とマニラとの時差は、一時間有ったが、直弘は、その夜、父親・泰弘に電話を掛けた。コールしても、泰弘は出なかった。深夜だから、既に泰弘は睡眠していると、思った。再度、電話を試みた。泰弘と繋がった。電話口の泰弘は、真夜中で、少々不機嫌だった。直弘は、地元のフィリピンパブで出会った、MARIA(マリア)の事を話した。泰弘は、奇遇な出来事に、ビックリしていた。彼は「突然、マニラのナイト・クラブから消えたMARIA(マリア)が、心配だったし、同時に、自分が好きだった唄も、聞けなくなり、落胆していた」と、話した。そして「日本に帰国した際は、会って、又、唄を聴きたい」と、言った。キクが電話に出た。次にヨネに換わった。ヨネとの会話は、親が子を心配する会話で、「子供が年齢を重ねても、親は常に、子を心配するのだな」と、直弘は感じた。最後に直子に換わった。「ヤッチャン、元気?」と、直子が言った。「元気だ、ナオは?」と、泰弘が返した。「私も元気よ。遅い時間に電話して、御免ね」と、直子が言った。「大丈夫」と、泰弘が答えた。二人の沈黙の寂しい通話は、十数分、続いた。いつもの、二人の、通話のパターンだった。直弘もヨネもキクも、二人の心の内を、解っていた。泰弘には、常に、栄吉から教わった[大人の責任]の考えが在った。栄吉は、その考えで、一人で逝ってしまった。その考えは泰弘の、安藤家の大黒柱の責任の考えに、JATCの東南アジア統括責任者としての責任の考えに、繋がっていた。最後に直子が「ヤッチャン、体、気を付けてね」と言うと、泰弘が「ナオも気を付けて」と言って、二人は電話を切った。

渡り鳥が忘れた、古巣【B】

渡り鳥が忘れた、古巣【B】

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-23

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