終末の英雄譚 Ⅱ

終末の英雄譚 Ⅱ

帝国ファトラ

 見る影もなく荒れ果てていた荒原に長らく射していなかった陽が穏やかに照り輝く。頬を撫でる微風は歌い、砂煙の去った空は透き通った色をしていた。
 あまりに突然の出来事にイビアン、スミエット、サーヴァルの三人は呆然とした。特にスミエットなどは先程の漆黒の組織の正体や、イビアンとは別にいる少年のことなど何も知らなかったために一人で至極困惑していた。
「…噂には聞いていたが、彼奴らもとうとう此処まで来るようになったんだな。」
「ああ。数年前の敗戦で町が廃れた隙に付け入って……全く卑怯な輩だ。」
イビアンとサーヴァルは気難しい表情を浮かべて物々と云う。話の内容から察するに先程の組織の事だろう。二人の口ぶりからすると相当名の知れた組織らしい。しかし町に出て間もないスミエットにとってはよく分からなかった。
「…俺達が集まると示し合わせたかのように現れる…。どれだけ勘の鋭い奴らなんだ。」
腹を立て怒気を孕んだ声で言うサーヴァルをイビアンは嗜めながら、
「まあ仕方がないよ。俺達は神々の密命を帯びた使徒だ。此の信託が果たされるまでは奴らとの悪縁は切れないさ。」
嘆くのだった。
 一方のスミエットは、
(使徒…?信託…?此の人達は一体何を言ってるの?)
訳が分からない、と言いたげな不安いっぱいの表情で其の場に座り込んでいた。其の様子に気が付いたイビアンは彼女に一言謝罪し、まずは隣に立っていた少年サーヴァルを紹介した。
「此奴はサーヴァル。君と同じローナルマルエの生まれだよ。俺が昔、此の辺りを旅していた時に出会ってね。其れからは俺の掛け替えのない友達さ。」
「…辛気臭い事言うなよ。馬鹿。」
そっぽを向いたサーヴァルは心なしか頬が紅い。イビアンに友達だとはっきり言われ恥しかったのだろう。
「こっちはスミエット。さっき街道で盗賊に襲われているところを俺が助けて、一緒に旅をしないかって誘っていたところなんだ。」
サーヴァルはちらりとスミエットを見て興味なさ気に頷いた。
「ん。よろしく。」
ぶっきらぼうに差し出された手を見てスミエットは驚いて尋ねた。
「…私の事、変だと思わないの?」
「…変?イビアンが女の子連れて歩いてるのは何時もの事だよ。」
サーヴァルは本当に何も気付いていない様で彼女の一言に訝しげな表情を浮かべた。
 その反応にスミエットもまた疑い深い眼差しを向けた。彼女の場合、イビアンが女たらしである事に敏感に反応したようにも見えるのだが。
「私、ナリアン族よ。忌み嫌われて滅ぼされたあの民族なのよ?」
「…其れくらい見りゃ分かるさ。でも別に何とも思わない。俺は昔、此の辺りが栄えていた頃に露店で商売していたからさ、異国からの旅人を沢山見た。髪の色、眼の色、肌の色、全然違う習慣を持った人達ばかりで誰が偉いとか優れてるとかそんなものは何もない。そんなのは人を見る上では関係ないもんだよ。」
スミエットは何だか胸の辺りが痒くなった。今まで触れた事もない考え方に少しばかり感動した。其れまで人としても扱ってこられず、虐げられ、蔑まれるだけの毎日だったのだ。無理もない。
「其れにさ、イビアンの旅仲間やダチは皆、そんな狭いものの見方する様な奴らじゃないと思うぞ。」
だから安心して付いてきな。
それはサーヴァルなりの歓迎の気持ちであった。
 何だか全身に血の巡る感じがした。スミエットは初めて込み上げてくる感情に戸惑った。今まで感じた事のない此のもどかしさは一体何だろう。しかし不思議と不快感と言うものはなく、何だか憑き物の取れた様な清々しささえ其処にあった。
 スミエットは立ち上がり、差し出された手を取ってサーヴァルと握手を交わした。彼女が初めて自分から他人を受け入れた瞬間であった。
「此れで今日から俺達は仲間って訳だ。」
サーヴァルが素っ気ない態度で言い放った。しかし其の言い方は存外嬉しそうである。実は新たな出会いに一番心躍らせているのだった。
「ねえスミエット。サーヴァルのせいで俺達の旅に巻き込まれちゃったね。」
イビアンの言葉にスミエットは急に現実に引き戻された様な気分になった。先刻、断る理由が見つからなければイビアンと共に世界中を旅する、と言う約束をしていたのだ。一度に沢山の事が起こったためにすっかり忘れてしまっていた。
「断る理由なんて無くなっちゃったもんね。だってスミエットはもう俺達の仲間なんだから。」
迂闊であった。何時の間にやらすっかり彼の作略に嵌っていた。しかし時すでに遅し。イビアンとサーヴァルは有無を言わさず歩き始めた。
 こうしてスミエットの旅は思いがけず始まった。


***


 澄み渡った空が見下ろす荒原をひたすらに歩く。砂塵が消えてなくなったとは言え、何処までも岩肌と砂地が続いている。人一人いない所を見ればやはり此処は廃れてしまったのだろう。所々に露店の店構えだけが残っていて、もの寂しさが感じられる。かつて此処を賑わせていた者達は何処へ行ってしまったのだろうか。
 目的もなく歩いているかの様に見えるイビアンとサーヴァルであったが、其の足取りは確かに何処かへ向かって進む的確なものだった。其れが何処かは分からない。少なくとも此の広すぎる荒原は終わりのない様に思われた。
 今まで旅して来た異国の話を若干の脚色を交えて語るイビアン。其れに聞き入るサーヴァルと彼らの背に続いて歩くスミエット。三人共風貌も衣装もまばらで奇妙な一行であった。しかし彼らの眼は期待に胸を踊らせ、少しの不安を宿しながら綺羅と輝いていた。まさに活ける者のみなぎる生命力が其処にあった。
 そんな彼らに息をひそめて忍び寄る衆がいた。頭の先から足の先まで見るからに重そうな金属の鎧を身に付け、剣釣り帯を肩から下げて、手には盾と矛を携えている。仰々しい其の風体の胸元には皆一様に複雑な紋章が彫り込まれていた。どう考えても明らかにイビアン達の味方ではない。
「…で、本当に相手にもならないくらい弱い盗賊だったんだよ。そうだよね?スミエット。」
自らの武勇伝を自慢気に語るイビアンがスミエットに同意を求めようと振り返った。しかし其処に彼女の姿はない。
「…スミエットっ?」
血相を変えた彼が捉えたのは、後方四〇ローグ地点で甲冑を着た兵士どもに捕らわれているスミエットであった。
 来た道を全速力で戻って行くイビアンの姿に黙って続くサーヴァル。其処では思ってもみなかった事態が巻き起こっていた。
「…此れは……。」
兵士達の胸部に光り輝く紋章を見たイビアンは愕然とした。
「あれは…ファトラ帝国の紋章じゃないか。」
一体何故こんな辺境に彼の強国の兵士がいると言うのか。予想だにしていなかった出来事に困惑したイビアンの背後でサーヴァルの叫び声が聞かれた。
「イビアン、何やってんだ。逃げろっ。」
しかし其の叫びも彼の耳に入るのには僅かに遅かった。イビアン、スミエット、サーヴァルの三人は謎の帝国ファトラの兵士達に捕縛され名も知れぬ場所へと連れ行かれるのだった。



※一ローグ=約2.5メートル

 柔らかい日差しが身体を包む。もう随分前に忘れてしまった感覚。懐かしくて懐かしくてなぜか涙が溢れそうになる。
 其処はもう此の世界にはなくなってしまった国。そうして忘れられてしまった国。青い空と砂漠の大地はどこまでもどこまでも続き、オアシスが枯れた大地を潤している。とても平和で穏やかで、誰もが笑顔で暮らしていた。
「此の国で家族でずっと幸せに暮らしていけたらいいわね。」
優しく微笑む女性。それが誰なのか知識では理解できても、実感というものはどこか欠落している。
 彼女は誰なのだろうか…
「心配する事はないさ。俺たちは此処でずっとずっと暮らしていくんだ。」
確かに他所の国に比べると決して豊かとはいえないかもしれない。だけど此処には溢れんばかりの幸せがある、男性はそう言った。 
 日に焼けた浅黒い肌。逞しい身体つき。彼は誰なのか、概念で理解する事は出来るが、実感が全くない。
 他にも沢山の顔ぶれが。其のどれもが妙に懐かしく、愛おしいのだが、何故かは解らない。此の記憶だけが彼の中からは欠如していて、思い出す事は出来ない。それなのに何時も此の柔らかな夢を見る。何の意味があると言うのだろう。
「そうね。此処はとっても幸せな場所だものね。」
二人はにこやかに見つめ合った。誰もが永久の平和と幸せが約束されていると信じて疑わなかった。
 あの男がやって来るまでは……

神の使徒

 後頭部に痛みが走り、イビアンは目を覚ました。視界はぼんやりとしていたが其処は見覚えのない場所だった。
「…それで俺は砂漠で襲ってきたアイツ等の仕業だと思ってるんだよ…おおっイビアン、やっと目を覚ましたか。」
サーヴァルはどうやら彼が目覚めるまでスミエットと話をしていたらしい。此れまでスミエットが如何に暮らして来たのか、またサーヴァルはどの様にイビアンと出会ったのか。随分長い時間二人はそんな話をしていたのだった。
「…大丈夫?かなり長い間気を失っていたけど。」
痛む後頭部を押さえるイビアンにスミエットも声を掛ける。その声は何処かぎこちなかった。
「ああ。何だかすごく頭が痛いけど、身体の方は全然大丈夫そうだし……それより此処は何処なんだ?」
ジメジメとした砂地に左右背後には石壁。目の前には如何にも頑丈そうな鉄の支柱。其のどれにも全く身に覚えはなかった。目を覚ます前後の記憶もどこか曖昧である。
 ただ混乱している彼にも其の状況が決して良いものでない事だけは理解できた。
「此処はファトラ帝国の監獄だよ。如何やら俺たちはローナルマルエから此処の兵士達に連れて来られたらしい。」
サーヴァルはスミエットとの話を回想しながらイビアンに聞かせた。
 スミエットが此れまで暗殺した者の中に、自分達を捕えた兵士が身に着けていた紋章の者が複数人いたようだ。彼女曰はく、ファトラ帝国はナリアン狩り以外にも多くの極悪非道な事を国家規模で秘密裏に行っているらしい。此処数年は特に酷く、さらわれ殺された者も多くいる様だ。彼女は彼女なりにファトラについて探っていたらしい。
「そう。だから私が此処に捕えられる理由は分かるの。でも…貴方達が囚われる理由が分からないわ……もしかして以前言ってた使徒とか、信託に関係があるんじゃないかって思うのだけど…」
イビアンとサーヴァルは顔を見合わせた。此れは彼女にきちんと本当の事を話さなくてはならない。
(俺はまだ、スミエットに本当の事を話したくはない…彼女には何にも縛られずに自由な心で旅をして欲しいから。)
そんなイビアンの想いを汲み取ったのか、サーヴァルも彼に心で訴えかける。
(彼女の話を聞いて、俺もそう思う。だけどスミエットは仲間だ。此処で話をしてやらないと此の先辛い思いをさせる事になるんじゃないか?)
「うん…そうだな…スミエットにはもう少し後になって言おうと思ってたんだ。だけど、其れじゃ此の先困る事もあるから話すよ。ただ複雑で難しい話なんだ。それに今も分かっていない事が沢山ある。だから簡単に説明するよ。」
此の世界に7の状態を司る神がいるのは、スミエットも知っているだろう?其の神々は俗に七種神と呼ばれていて、此の世界を創造したと伝えられている。所謂、創造主って訳さ。だからこそ人々に尊敬され、敬愛され、信仰される。世界には信仰の証として祭事があるし、踊りや生贄を捧げる民族もいる。他にも色々な形で信仰を示している民族もいるんだけど、其れは今はあんまり重要な話じゃないんだ。七種神の言い伝えで天地創造は有名な話なんだけど、其ればかりじゃない。実は神々は世界と一緒に自分達のうつしみの様な存在の使徒を生み出した。人々が困った時、迷った時、其れを導く7人の使徒を生み出す事で、災いや絶望から人々を救おうとしたんだ。
「それが俺たちなのさ。」
イビアンは至って真面目な顔つきでとんでもない事を口にした。しかし聞いているサーヴァルも平然としていて顔色一つ変えない。
 スミエットだけが此の話についていけなかった。
「……つまりどういう事?」
「七種神がどうの、ってのはあんまり重要じゃないんだ。大事なのは俺も、サーヴァルも、スミエットも皆、神々に願いを託された使徒であるって事。」
「意味が分からない…私が使徒?神々の願い?何なのよ其れっ。」
「大丈夫。落ち着いて。初めは誰も理解できないよ。其れに未だ分からない事は沢山あるんだ。神々の願いって言うのが何なのか、其れは俺も知らない。だからこそ旅をして見つけたいんだ。使徒は7種の神が1人ずつ生み出したから、此の世界に7人いる。俺は其の仲間全員に会って知りたいんだ。」
スミエットは未だによく分からない、と言った面持ちであった。其処にサーヴァルが安心させるかのように、
「突拍子も無い話だろ?しばらくは訳解んなくても大丈夫だよ。俺も未だによく解ってないし。ただ知ってるだけでいいからさ。」
「う、うん……でも其れは結局何なの?私達に直接どんな関わりがあるのよ。」
「今、世界中で戦争が起きたり、貧困や差別で困っている人がいるのは君も知ってるだろう?もちろんスミエットとサーヴァルの故郷も戦争で荒れている。其れがさっき説明した災いらしいんだ。其れを解決するために使徒がいる。どう解決するのか、どうしたら良いかは分からない。ただ他に使徒だって分かってる仲間が世界中に何人か散らばってるから、とにかく一人一人に訊いてみよう。如何やら使徒にも持っている情報量の差があるらしいからな。」
其処まで聞いてもスミエットには此の話はよく解らなかった。でもまあサーヴァルも今は解らなくて良いと言う。もしかすると何時か理解できる日が来るかもしれない。まだまだ旅は続きそうだし、少しずつ理解していっても良いか、とスミエットにしては珍しく呑気な事を思った。
 其の実、此の話にはまだまだ簡単には理解出来ない話が幾つも秘められていた。

皇帝の計略と美しき皇子

 ファトラ帝国は北半球随一の侵略国家である。だが其の長い歴史の初めからそうであった訳ではない。侵略を始めたのは此処数年のことであった。其れまでは花が咲き誇り、緑に溢れ、至る所で水の清々しい音の聞こえる楽園の様な場所だったのだ。
 豊かで巨大な領土を統べる歴代の皇帝は政治や外交手腕も素晴らしく、また人の良い臣下にも恵まれ其の治世は遠く、ローナルマルエにも聞こえる程だった。其れが少しずつ狂い始めたのは現皇帝が即位してから数年が経った頃であった。今はすっかり国土は荒れ果て、他国を侵略する事に嵌り込んだ皇帝の影響で多くの兵士や軍人が死に、重税や飢饉が重なって、かつての栄華は何処へやらと言う状況に至っている。
 此処はそんな国の牢獄。もっとも、イビアン達にも其れ位は容易に理解できたのだが。其れにしても頑丈な作りで、とても抜け出すことは困難なように見えた。
「さて、スミエットにもちゃんと話が出来た所で、俺達は誰にどんな理由で投獄されているか、って事が問題だな。」
全く見当がつかない訳でもなかった。誰か、と言うのは明らかにファトラの有力な地位の人間か、もしくは皇帝に違いない。また使徒と言うのは此の世界では確かに特異な存在だ。人々にとって脅威となる事も在れば、未知の力を秘めた存在である、と捉える事も出来る。
「じゃあ私達を、誰か地位のある人間が、何かに利用するつもり?」
スミエットは存外頭が切れるのかもしれない。
「うん。今の所はそうだと思う。此の国では皇帝には絶大な権力があるから、捕えた人間は殆ど皇帝に間違いないだろうし、俺が彼の暴君なら、殺さず利用するかな。実際、特殊な能力を持つ民族を利用した王は、歴史上でも少なくないよ。」
とは言え推測の域は出ないけど、とイビアンは返した。
「まあ随分と仲良くじゃれ合っているではないか。」
冷徹な声に三人が鉄格子の外を見やると、煌びやかな装身具を身に纏った恰幅のよい男が立っていた。男は威厳こそあるが目つきは悪く、其の瞳は影を帯び、光を放ってはいない。そして顔色も悪く、青白いうえに、何処かやつれているようにも感じる。其れに反して身に着けている衣装は明らかに上流階級の華々しいもので、胸元には細かな刺繍すら入っている。首元には大小さまざまな宝石が散りばめられた首飾り、腕や指先には眩い金剛石をあしらった飾りが燦然と輝いていた。とても牢獄にやって来る人間の格好ではない。
 男は周囲に十人近くの付き人を従えていた。其の一人一人が頭を垂れて平伏し、敬意を表明している。其の中の一人がおもむろに声を上げる。
「其の方、無礼であるな。此処におられるのはファトラ大帝国の皇帝であらせられる。敬意を払え。」
嘘か真か。目の前に立っているのは此の国の皇帝であるらしい。三人共、此の国の皇帝の人相は知らないが、身に纏う衣装や風格、堂々たる雰囲気は、皇帝と呼んでも差し支えない様に感じる。しかしそんな立場の人間が何故、牢獄へやって来ると言うのだろう。
「まあよい。野蛮人には理解できないのだろう……おや?珍しい人種もいるものだ。」
挑発する様にイビアン、スミエット、サーヴァルの顔を順に見回し、其の目に美しい赤毛のスミエットを捕らえると、気色の悪い笑みを浮かべた。
 スミエットは男に警戒しながら、後ずさり、二人の青年の背に身を隠す。
「はははははっ。怖がる姿も悪くはないな。私の側妾にでもなるか?其の異形の身を沢山可愛がってやるぞ?」
何と邪な事を考える男だろうか。スミエットの態度は一転、軽蔑する様な目つきに変わった。
「趣味の悪い親父だなぁ……」
「貴様っ。此のお方の面前で其の様な非礼が許されるとでも思ってるのかっ。」
サーヴァルの独り言に他の従者達が過敏に反応する。発言した本人は悪びれる様子は少しも無かった。ただ事実を述べただけなのだから。
「まあまあ良いではないか。そんな威勢の良い事も言っていられるのは今だけだ。好きに言わせておくがいい。」
「…どういう事だっ。」
「お前たちは此の世界で最も特殊で、未知な、7種の創造神の使徒であろう?しかし使徒と言う存在は古文書にも記述こそあれど、其の生態ははっきりしていない。ただ、大いなる力を其の身に秘めていると言うではないか。」
皇帝である此の男は先程までの冷たい表情とは一転し、血走った目に、口元を大きく歪めて、興奮しながら話している。
「で、俺達を利用する、って言いたいのか?」
「まあそんな所だ。大人しくしていれば悪いようにはしないさ。」
此の男が一体何を目論んでいるのか、三人には想像する事は出来ない。何しろ此の男は狂人とでもいうのか、酷く歪んだ思考をしているのだ。
(俺達が簡単に想像できるような企みではないだろうな…此の皇帝ならどんな非情な事もやりかねない)
そう思うと先行きに不安を感じるイビアンであった。長い間世界中を放浪する彼にとって、此の様な事は初めてではないが、今回は少しばかり相手が悪いように思われた。
「牢番にしっかり見張るように言いつけてやろう。もし馬鹿な真似をしたら、生きて帰る事はできないと肝に銘じておくように。」
男はまた冷酷な表情に変わって言い捨て、周りを取り巻いていた従者を引き連れて、去って行った。
 其の行列の最後尾に此れまた貴族らしい、何処か幼い顔立ちの少年が並んでいた。薄暗い牢獄の中でも、光り輝く程美しい金髪が腰の辺りまで伸びている。其の束を幾つか編み込み、金の冠で留めた姿。瞳は夕暮れ時の海の様に黄金色にキラキラ輝き、其の瞳を縁取る睫毛はとても長い。いかにも育ちがいい感じの其の少年は、中性的で女性と言っても何の差しさわりも無い程美しかった。
 其の美貌にイビアン達は思わず目を奪われる。魅力という名の引力に引き寄せられる、とでも言うべきか。此れほどまでに美しい人は此の世界にはいないのではないか、そう言っても過言でないくらいに彼はとても美しい少年だった。
 彼らがしばらく少年を見つめていたように、少年もまた、鉄格子の奥にいる奇妙な三人組を見つめていた。ただ其の表情に感情はなく、人形のように何処か冷たい印象だった。
「さあ、行きましょう。」
女性の従者が彼を促し、ようやく少年は我に返ったようにして過ぎ去った行列の後を追った。
「なんか不思議な奴だったな…」
サーヴァルは大して興味が無い様子だった。しかしイビアンは…
「……ああ。そうだな……」
 

***


 ファトラ帝国には古くからの伝統が幾つか残っている。其の伝統も古くは7種の神への信仰へと由来するものが多いが、今は其の本来の意味合いよりも形式だけが受け継がれている。
 先刻、牢獄から自室へと戻った少年もまた、其の流れを受け継ぐ継承者、つまりは皇族であった。彼は在位中の皇帝と亡き皇后との間に生まれたシャルマグネという名の皇子であったのだ。其の端整な風貌と、溢れ出る育ちの良さは、歳若くして既に皇子の風格があった。
 背中に編み込んだ美しい毛と、長い髪、其れはまさしく此の国の伝統を象徴するもので、帝国の皇位継承者は生まれてから成人するまで髪を伸ばす。そして其の髪を美しく結っている者こそ皇子としての品格がある、と言われている。また皇女の場合はその逆で、生まれてより髪が肩に掛からない長さで切り揃えられているのが最も美しいとされている。勿論此れも成人するまでの仕来りではあるのだが。
 彼も其の仕来りを、此の世に生を受けて以来重んじているのであるが、瞳には何処か憂鬱そうな影が差している。華奢な身体を大きく白い天蓋の付いたベッドに投げ出し、悲し気な息を吐く。
(父上は何を御考えなのか…また悪い事が起こらなければよいのに……)
心身には疲労が蓄積し、暴君の父を持つ皇子は此れから先の未来を案じて止まなかった。
 ふと窓の外の空を仰ぐ。何と柔らかい日差しなのだろう。皇子は亡き母親の様な柔らかな陽だまりの中でまどろんだ。


***


 何処からか遠くの方で楽し気な笑い声が聞こえる。
「母上…母上…此処がそうなのですか?」
幼いシャルマグネが其の小さな手で懸命に握るのは、母の手。とても暖かく、柔らかく、優しい手。其の感触は何とも懐かしく、またもう消えて無くなってしまった悲しい感覚。
「そうよ。此処がプラヘトミアの町。貴方の父上である陛下が御築きになられた、世界で一番幸せな町よ。」
シャルマグネの瞳は純粋で、一切の不純物の混ざることなく透き通り、好奇心という名の星は彼の瞳の中で燦々と輝いていた。
「皇帝陛下が御造りになられたのですか…?」
「そうよ。貴方の父上は民のために此の素晴らしい町を造ったの。父上はね、立派な御方よ。貴方も大きくなったら陛下のように、強く、逞しく、立派な民の王となるのですよ。」
皇后マリアルナは皇子の頭を一撫でして、微笑みかけた。皇帝の話をする彼女の姿はとても誇らしげで、何処か嬉しそうだった。
「はいっ……」
皇子は無邪気に返事をした。マリアルナも彼の手を強く握り、大きくなって来たお腹を優しく撫でながら、何時までも柔らかな微笑を浮かべていた。
 妙に温かい夢だった。シャルマグネの大きな瞳からは一筋の涙が流れ、純白のシーツを濡らす。
「……母上…」

交錯する思い

 三人の収容された牢は地下にあるのか、其れともあえて光が差し込まない造りになっているのか、外の光が一切差し込まない。照らしているのは、鉄格子の外を囲う壁の、高い位置にある燭台のみだった。其の蝋燭の光も弱々しく、牢内のジメジメと湿った空気がより一層陰鬱さを引き立てていた。
「此処に連れて来られて何日経ったかな。」
じっとしているのに耐え兼ねてイビアンが呟いた。
 皇帝が彼らの元を訪れてから数日が経っていることは、彼らにも何となく分かるのだが、其れを確かめる術は何もない。時折思い出したかのように食事を持ってくる牢番に尋ねても、口を開かない様言いつけられているのか、何も答えてはくれなかったのだ。
「どうだろうな…アンタも随分長い間、意識を失ってたからな……」
「えっ?そうだったのか?」
自分では気づいていなかったが、どうやら其のようだった。目を覚ました頃、スミエットとサーヴァルがすっかり打ち解けて話をしている所を見れば、確かに自分は長い間眠っていたのだろう。
「其れも大事だけれど、あの皇帝は何を企んでるの……?何だかとても恐ろしい。」
「……此の国の長い歴史から見てもかなりの暴君なんだろう?」
サーヴァルは自分よりも遥かに物知りであるイビアンに尋ねた。イビアンは世界中を旅していただけあって、色々な事を知っている。最も其れは、彼が何に対しても興味を持つ、好奇心旺盛な性格の賜物でもあるのだが。
「ああ……旅をしてても皇帝の噂は色んな所で聞いたよ。反逆する者は貴族でも従者でも構わず処刑し、其の家族や縁者も皆殺しにするとか。他にも戦争のために国民には重税を課し、納められない者は一つの地域に集めて寝る暇も、食事もろくに与えず、強制労働させているとか……」
「なんて親父だ……」
「うん……そんな皇帝の政治のせいで此処には喜びも希望も無く、あるのは絶望だけだ、って言われてるよ……だけど、一つ気になるのは、皇帝が即位した頃は仁君と呼ばれて、人々からも慕われていた、って事。そんな君主が暴君になるなんてな……」
「よくある話だろ。絶対的な権力なんて持ってたら人間、誰でもおかしくなるんじゃねぇの?俺には分からない感覚だけど……」
サーヴァルは自分から尋ねた割には興味がなさそうに返す。何処か冷めた様な口ぶりだった。
「……大火...です。」
不意に聞き慣れない声がして、三人が鉄格子の外を見やると其処には、あの容姿端麗な皇子が立っていた。
「父上は権力に溺れていたのではありません。あの人は…かつては名君だった。」
息巻く皇子は軽やかなテノールの声色で、まるで美しい演奏を聞いているかの様な耳当たりの良さがあった。
「……っアンタ、此処の皇子様だったのかよ。」
確かに格好からして高位の身分であることは分かったが、まさか皇太子であろうとは。サーヴァルもスミエットも驚きだった。しかし、其れ以上に驚きを隠せなかったのはイビアンだった。
「ええっ!君はっ……君はっ……!...てっきり女の子だと思っていたのに…」
皇子は格子を挟んで近づいて来たイビアンに後ずさりながら、白い頬を真っ赤に染めて、
「し、失礼なっ……」
と言い放った。確かに彼の色白かつ中性的で華奢な身体つき、腰までの長い髪や、人形のように長い睫毛などから女性のように見えなくはない。イビアンはよほど彼の容姿に心惹かれていたようで、激しく落胆していた。
 一方で、其のやりとりを見ていた二人は彼の女たらしぶりにホトホト呆れたのだった。


***


 皇子が言うには、皇帝が暴君へと豹変したのには、数年前に宮殿で起こった大火が関係している様だった。帝国の歴史上でも稀に見る甚大な被害を出した火災だったらしく、都の建物の殆どは全焼、多くの貴族や皇族が命を落とした。皇子も幼少期に此の火災の被害に遭ったが、迫り来る火と熱風、視界が一面真っ赤に染まった恐怖は鮮明に覚えていると言う。ただ、皇子は其れ以上のことは語らなかった。
「私ははっきり言えば、父上の御考えになられている事は分かりません。ですが貴方方は此処に留まっていてはいけない方々ではないですか?」
皇子は何処となく此の異様な三人組はただ者ではない、と感じている様だった。
「ああそうだよ。だけどアンタの親父がっ……」
「サーヴァルっ。」
珍しく大声で捲し立てたサーヴァルをイビアンが牽制する。皇子はただただ申し訳ない思いで一杯だった。
「……本当に御免なさい。だからこそ私は、出来る限り貴方がたに協力したい。」
其の口ぶりから皇子が嘘を吐いている様には見えなかった。心の底から、イビアン達に協力したい、そんな思いが溢れ出ている。
「……其れはありがたい話だけど……あなたは此の国の皇子なんでしょう?私達に協力するなんて良くないんじゃ……」
「はい。其れは、十分に理解しています。私の行動次第では貴方がたを今よりも危険に晒してしまう事、戦争になってしまうかもしれない事…ですが牢獄は罪人を捕えておくための場所です。貴方がたは何の罪も犯してはおられません。其れなのに……父上は...。陛下の間違いは私が正さねばなりません。」
皇子にも其れなりの覚悟あっての事だった。父親に見つかれば、自分とてどんな目に遭わされるかは解らない。彼の父親は親しい者でも平気で殺す人間だ。殺される覚悟もない訳ではなかった。
(私は、此れ以上陛下を殺戮の王にしたくはない。母上が亡くなった今、私が止めなければ……此の国の本当の姿を取り戻すために。)
「君の言う通り、俺達は此処でのんびりしている訳にはいかない。どんな手段であっても、協力してくれると言うなら、其れに乗りたい……君の事を信じても良いか?」
牢にいる三人にとっては思ってもみない好機なのだ。無にする訳にもいかなかった。しかし、此の皇子を信じても良いのか、確信が得られなかった。
「はいっ。私の協力できる範囲内で最大限に力を御貸ししましょう。信じて下さい。」
こうしてファトラ帝国の皇子との内密な脱走計画が立てられる事になった。
 

***


 シャルマグネ皇子はイビアン達を牢獄から脱走させるため、彼の最も信頼のおく侍女にも手を借り、様々な手筈を整えた。そして時折其の進捗について彼らに報告した。無論、牢番にも牢への出入りは内密にさせていたし、自分の代わりに其の侍従に尋ねさせた事もあった。
 しかし、ある日。事態は予想外の展開を迎えた。

終末の英雄譚 Ⅱ

彼らの冒険はまだ始まったばかりです。引き続きお楽しみください。

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  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 冒険
  • 成人向け
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2016-07-22

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著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. 帝国ファトラ
  2. 神の使徒
  3. 皇帝の計略と美しき皇子
  4. 交錯する思い