夏休みの思い出
国土地理院のホームページには、《地図・空中写真閲覧サービス》というものがあり、そこでは数十年前の空中写真でも閲覧することも出来ます。
たまに眺める写真に、とある地区の昭和52年のものがあります。そこには、母の姉で、大好きだったハツコ伯母さんとイサム伯父さん夫婦が暮らしていた山と、伯父さんが建てた家と大きな倉庫が写っています。まだ二人とも元気で暮らしていた頃の写真です。そこに至るまでの林道もはっきりと見えます。庭を手入れする伯母さんが、オートバイを磨く伯父さんが、夏休みの時期だったなら、近くの小川で釣りをする僕がいるかもしれない……そんな写真です。
伯母さん夫婦が亡くなってから、二度、そこを訪れました。
一度目は、車で入ることが出来ましたが、林道は荒れ、木々は伸びるままに生い茂り、誰も通らず誰も住むことのなくなった山がどうなるかを思い知りました。家も母屋はややひしゃげながらも残っており、倉庫は潰れていました。二度目は、道はさらに荒れ、伯母さんたちの家に通ずる脇道には柵が張られて、そこから進むことが出来ませんでした。
思い返してみると、少年時代の夏休みにそこを訪れたのは三度ほどのことでした。何度も行った覚えがあるのですが、そこでの様々な体験のせいなのかもしれません。
肥溜め、外にあるトイレ、その横の五右衛門風呂、雨が降ると濁る水道、魚釣り、見たことも無い大きな虫たち、女性の断末魔のようなキタキツネの鳴き声、月の無い夜の街燈もご近所の灯りも無い闇。
そして、初めて見た幽霊。
今回は、この幽霊の話をしましょう。小学三年生の夏休みのことでした。
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その夏休みは、伯母さんたちの集落より東にある少し大きな街の伯母さんの妹夫婦、ミチコ伯母さんの家に、僕と一つ年上の姉の二人で行きました。ミチコ伯母さんの家には年齢の近い従兄がおり、また町中の事なので近所に住んでいる子らとも親しくなり、楽しく過ごしました。何日めかで、ハツコ伯母さんが、うちにも泊りにおいでと誘ってくれ、ミチコ伯母さんの旦那さんのタダオ伯父さんが僕と姉を送ってくれました。しかし、外にあるトイレと五右衛門風呂に恐れをなした姉はタダオ伯父さんと帰ってしまい、僕だけが何日間か、ハツコ伯母さんたちの家で過ごすこととなりました。
当時、僕が住んでいた町はそれほど都会ではありませんでしたが、鉄鋼業が盛んで住人が増え続けていた町でしたので、周囲に何もない、昔話に出てくるような山の中の一軒家で過ごすことに大変興奮したものでした。
家のすぐ下を流れる小川では、餌を付けた釣り針を落とすと、すぐにカジカが釣れました。もっと大きい魚を釣りたいだろうと言うイサム伯父さんが家の裏手にある池へ連れて行ってくれ、そこでは昔放して大きく育った金魚が釣れました。金魚が釣れても嬉しくなかったのが顔に出ていたのか、小川が合流する石狩川で、ウグイを釣らせてもくれました。
家に戻れば地元では見たことも無い大きさのバッタやトンボやカラスアゲハを追いかけ、夕方には伯母さんが焚く五右衛門風呂に伯父さんと浸かりました。
何もかも初めてで興奮冷めやらぬ、といったところですが、まだ小三の僕は、玄関を一歩出たところにある、これもまた初めての暗闇に、恐怖を覚えてもいました。
寝る段となり、伯母さんが「今夜はおばちゃんと寝ようね」と、仏間に布団を敷いていたのですが、その布団の敷き方に違和感を覚えました。足がお仏壇に向くように布団を敷いているのです。
お仏壇に足を向けて寝てはいけないことを知っていた僕は、伯母さんにそのことを言いましたが、伯母さんは何を気にするでもなく「いいのいいいの、大丈夫」というようなことを言うのです。伯母さんがそう言うなら僕が気にすることではないのだろうと思いながらも、何とは無しに不安を感じつつ、布団に入りました。
夜中にふと、目が覚めました。何時だったのかはわかりません。
横の、高いところにある窓の外は、家の中より少し明るいようでしたが、家の中が見渡せるほどではありません。布団に入ったまま、ぼーっと天井のあたりを見つめていましたが、一か所、薄明るくなっている場所があることに気づきました。足元です。
頭だけを起して足元を見ると、そこには、和服というか着物を着た白髪頭の丸顔のおばあさんが、薄青い光に包まれて立っていました。
しばらく、そのおばあさんと見つめ合っていたように思います。その時僕が考えていたことをよく覚えています。それは(僕はちゃんと起きているからこれは夢じゃないな)ということと、(なぜこのおばあさんは、怒ったような顔をしているのだろう。やっぱり足を向けて寝たのが悪いんじゃないのかな)ということでした。
明日、伯母ちゃんに言わなきゃいけないな……そう思いながら、寝てしまいました。
明くる朝、伯母さんと伯父さんに、昨夜のことを報告したのですが、二人とも聞いているのかいないのか、といったふうでした。何言ってるの、夢でも見たんでしょ、というような感じでもなく、ただ、心ここにあらずといったふうで、僕もそれ以上言うのはやめました。その夜からは、布団はお仏壇に対して横向きになり、僕も安心して寝られたので、その話題を出すことはありませんでした。
それから何年も経ち、僕が中学三年生の時、父が亡くなりました。
葬儀を終え、初七日の時、親戚らが再び僕らの家に集まりました。ハツコ伯母さん夫婦、ミチコ伯母さん夫婦らも来ました。
法事も滞りなく終わり、家に戻って皆でお茶を飲んでいた時、僕が「そういえばこんなことがあったよね、伯母ちゃん」と、《小三の夏休みの夜に見たもの》の話をしました。そんなことがあったのかとみんな驚いていましたが、一番驚いたのは僕でした。ハツコ伯母さんは、そのことを全く覚えていないと言うのです。「だいたい、わたしがお仏壇に足を向けて寝るわけが無い」と。母やミチコ伯母さん、他の親戚の皆もそう言います。「姉妹で一番信心深いこの人がそんなことをするわけがない」と。
しかし僕は、その時に見たことは間違いがないと思っていたので、事細かにそのおばあさんの説明をしました。すると、ハツコ伯母さんが、「それはワタベのおじいさん(伯父さんのお父さん)だよ」と言いました。いや、おじいさんではなくておばあさんだったよ、と言うと、「いや、ワタベのおじいさんはふっくらした丸顔で、いつも和服を着ていたので歳を取って白髪になってからはよくおばあさんに間違われていたんだ」、と言うのです。確かに、特徴はぴったりと合うのです。そこで、僕はそのおじいさんの顔を知っているだろうかと訊くと、「写真もないし、お前が生まれる何十年も前に死んでいるからね……やっぱりお前が見たのはおじいさんだったんだろうね」と言いました。
これが、僕が初めて見た幽霊の話です。
おじいさんの幽霊に関しては怖さというものは感じませんでした。廃屋となった伯母さんたちの家を見た時も、ワタベのおじいさんは仏壇と一緒に新しい家(従兄の家)にちゃんと行けたのだろうか……などと考えていました。
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高速道路も無い当時とくらべ、今では半分以下の三時間も車で走れば、そこを訪ねることが出来ます。愛別上川道路の愛別トンネルを抜け、石狩川に架かる橋の先に見える、昔話に出てきそうな懐かしい形の山の中に、伯母さんと伯父さんの家はありました。
もう誰も住んではいなくとも、また訪れたいと考えています。
了
夏休みの思い出