炎色反応系(深海)

2016-7-11 「燕」

「ねえ、どうして夜空は暗いと思う?」
 ふいに、前を歩いていた燕(えん)が振り返ってそんなことを聞いた。その目は周囲の夜店に負けないくらいきらきらしていて、彼がいつも以上にはしゃいでいるのが伝わってくる。私はあまり考えずに、わかんない、と答えた。すると、燕は嫌な顔をするどころか、より一層笑顔で、いつものように『講義』をはじめた。
「たとえばさ、この宇宙を大きな部屋だとするだろ? そして、地球はその部屋の中心にあるんだ。部屋の中には地球の他に、無数の電球、つまり星がある。星は絶えず明るく光ってる……地球の上でも、下でも、右でも左でも。あっちこっちに電球があるわけさ。すると、部屋の中はどうなると思う?」
 私は、頭の中にその部屋を思い浮かべた。正方形の窓のない空間に、いくつもの灯りが吊り下がっている。ちょうど、電気屋さんの照明販売コーナーみたいに。
「すごく、明るいね」
 私はまた、よく考えもせずに言った。すこし申し訳ない気がした。燕はいつも一生懸命私に説明してくれるのに、私は真面目に考えた試しがない。
 それでも、燕はやっぱり嬉しそうに「正解!」と答えた。人ごみでごった返す道路を、スキップでもしかねない勢いだ。
「そうそう、その通り! 光源がたくさんあったらその空間に光が満ちて、真昼のように明るくなるはずだろ? それは夜だろうが昼だろうが関係ないんだ。だって光源は太陽一つじゃなく、全方位にあるんだからね。だけど、現実にはそうならない。これって不思議だよね、不思議だろ?」
「うん、不思議だね……あ」
「うん?」
「りんご飴買っていい?」
 ふと目に入ったりんご飴はとても美味しそうで、思わず足を止めてしまった。話の途中なのに悪いことしたかな、と思って燕のほうを振り返ると、苦笑い。
「ごめん柿崎……退屈だろ?」
「ちがうちがう、ごめんね燕ちゃん。私、お腹すいちゃって。燕ちゃんの話は面白いよ、いつも」
「そう? そう言われると、ちょっと安心」
 燕はほっとため息をついて、気を取り直すようににこっと笑った。そして、夜店のお兄さんに声をかける。
「すみません、これひとつ」
「あ、燕ちゃん、私が……」
「いいって、俺バイトしてるし。いつも話聞いてくれるお礼」
 燕は財布を出そうとする私を止めて、りんご飴を受けとった。毒々しく光る赤いりんは、浮かれた夏祭りの空気によく馴染んでいる。
「ほら、美味しそうだよ。柿崎」
「私の方が年上なのに……」
「たった一年だけじゃん」
 口では拒否しながらも、飴の魅力には逆らえず、結局受け取ってしまう。一口舐めると、くどいほどわざとらしい甘さが舌の上に広がった。このまがいものっぽさがたまらなく好きだ。
「美味しい?」
 燕が私をじっと見ながら聞いてくる。
「……さっきの」
「え?」
 見られているのが恥ずかしくて、私は話を逸らした。
「さっきの話、してよ。どうして夜が暗いのか」
「うん!」
 燕は元気よく返事をして、再び話を始めた。
「たくさんの光源があって、どうして夜が暗いのか? それは星の光が弱すぎるわけでも、数が少なすぎるわけでもないんだ。正解はね、宇宙は膨張しているから」
 頭の中に思い浮かべていた部屋が、ぶわっと膨らんだ。まるで風船みたいに。すると、ぎゅうぎゅうに詰まっていた電球たちが、ばらばらに散って……
「あ」
「気づいた? 気づいたんだね? そう、宇宙は絶えず膨張している。しかもそれは同心円状に広がっていくから、遠ければ遠いほど早く遠ざかっていくんだ。すると、地球よりある一定以上離れた星ーー具体的には地球から毎秒30万キロ以上の速度で離れていく星の光は、地球には届かなくなる。光の速度は毎秒30万キロだからね、それより早く遠ざかっていく星の光は地球から観測できない。だから、夜になると暗くなっちまうってわけ! これはオルバースのパラドックスっていうんだけど、……」
 燕は話せば話すほど熱がこもるタイプだ。ときには私のことなんか気にしなくなって、一人で何十分と喋っていることもある。本人は欠点だと言って気にしているけれど、私は別にいいと思う。もっとも、私はろくに話なんか聞いていなくて、楽しくてしょうがないらしい燕の顔を見ているだけだから、慰めにもならないかもしれないけど。
「それでね、 最初はビッグバン仮説はまるで信じられてなかったんだ。みんな、宇宙はもっと穏やかで安定していて、不変であると思ってたんだ。あのアインシュタインだって、最初はそうだったんだよ、信じられないよな、それこそ。でもね、一九九八年に始まった超新星爆発の観測や、二〇〇三年に確定したWMAPと呼ばれる人工衛星の観測などによって宇宙が加速膨張してることが分かったから……柿崎?」
「ふふ、なあに燕ちゃん」
「なんで笑ってんの? なんか変なこと言ったかなあ」
「ふふふ、べつに。気にしないで、続きを話してよ。宇宙は膨張してるんでしょ」
「そうだけど……」
 燕はバツが悪そうに頭を掻いた。今日はあんまり調子がよくないようだ。いつもなら、もっとずっと喋ってくれるのに。
「……悪い。今日は柿崎の話も聞こうって思ってたのに」
「私の? なんで、どうでもいいよそんなの」
「よくない! よくないって……ほんとに」
 燕は急に立ち止まると、改まったように言った。
「柿崎、いつも聞いてくれるから……他の誰も聞いてくれないような、つまんない話、聞いてくれるからさ。俺も聞きたいんだ。柿崎の話。柿崎がどう考えて、どんなことして、何を感じてるのか、知りたいよ」
「……燕ちゃん」
 燕の目は相変わらずきらきらしているけど、そこには普段見られないような真剣な光が宿っていた。もしかすると、燕は燕なりに緊張しているのかもしれない。夏祭りの非日常感に晒されて、いつもと違う顔を見せる。
 でも、それは、燕だけではないのかも。
「とりあえず、邪魔になっちゃうから場所変えよう」
「…………はい」
 私は素早く踵を返して、海岸の方に歩いていく。後ろから、決まらねえなあ、という呟きが聞こえた。



 海岸は人で溢れていた。それもそのはず、ここは花火会場なのだ。この町の夏祭りでは、いつも海上で花火が上がり、観客は砂浜でそれを楽しむのが通例だった。
「混んでるね。はぐれないようにしないと」
 そう言って、燕がさりげなく浴衣の袖を掴んだ。驚いて横顔を見つめると、耳の縁が僅かに赤くなっていた。
 私と燕は会場を少し外れた石段に腰を下ろした。砂が気になるが、困るほどじゃない……と思っていると、燕がさりげなくハンカチを広げた。
「燕ちゃん……………黙ってるとかっこいいのに」
「な、嫌味かっ」
「嘘。ありがとう」
 二人で腰を下ろして、夜空を見上げた。アナウンスによるともうすぐ花火が打ち上がるらしい。
 夜空には月と、幾つもの星が見えるものの、やはり暗い。真昼みたいには明るくならない。それは
燕によれば、宇宙は膨張しているかららしい。
「ねえ、宇宙が膨張してるなら、どうして月と地球は離れ離れにならないの?」
「それはね、月が地球の重力と自身の遠心力でバランスを取っているからであってそもそも衛星っていうのは……って、そうじゃなくて」
「ちがうの?」
「違くないよ! けど、さ。今日はそんなんじゃなくて、もっと……」
 燕の声はどんどん小さくなり、最後には消えてしまった。俯いて、うじうじと砂に指を這わせている。私は燕の丸い頭を見ながら、好き、と言った。燕が変な声をあげて、勢いよく私を見る。
「好きだよ……燕ちゃんの話」
「は、はなし」
「うん。早口で長くて難しくて終わりがなくてなんの役にも立たなそうな、燕ちゃんのいつもの話が好き」
「柿崎……そんな風に……思ってたんだ ……」
 燕の目がじっとりと暗くなりかけたので、私は慌てて付け足した。
「ちがうよ! 聞いてるのすごく楽しいんだよ、だって燕ちゃん、いっつも嬉しそうに話してくれるから、こっちまで楽しくなって、なんだか元気になれるの」
「そうなの? そっかあ……」
 燕が丸い目をぱちぱちさせる。
「だけど、俺だって柿崎の話、聞きたいんだよ、本当に。柿崎のこともっと知りたい。俺も、柿崎の話が……いや、話じゃなくて、さ」
 そのとき、燕の瞳が一際強く瞬いて、まるで宇宙に光る星のように輝く。綺麗だ、と思う。真剣な想いが込められた瞳は、何よりも眩しい。
「俺は、柿崎がーーーー」
 その時、歓声とともに大きな音が響いた。花火の第一弾が打ち上がったのだ。燕も私も、思わず空を見上げた。
「綺麗……」
 鼓膜を破るような轟音と、夜空に咲く大輪の花火。赤、青、黄色、見る間に次々と咲いて、砂浜を照らし出す。
「リチウムだ」
 突然、隣で燕が叫んだ。驚いて振り返ると、燕が笑っている。
「赤はリチウム、青はセシウム、緑は銅」
 打ち上がる花火を見ながら、燕が途切れなく話し続ける。あの色はバリウム。種類は菊花。あれは牡丹。花火の作り方からかかる金額まで、流れるように燕は喋る。私は黙ってそれを聴いていた。花火の音量はかなりのものだったのに、燕の声が掻き消されることはなかった
 やがて、連続していくつもの花火が一斉に上がり、なかでも一際大きな花火が二、三発打ち上がると、会場は歓声と拍手に包まれた。尾をひくように散って消えてゆく締めの花火の名前は、私でも知っている。
「枝垂れ柳……」
「そうだね。冠菊って呼び名もある。これが作るのにえらい手間がかかるらしいんだよね、チタン合金を使った星をいくつもつかって、爆発の仕方にも気を配らなきゃなんないんだ。枝垂れ柳の美しさは、そういう職人たちの地道な努力によって支えられてるんだね。……俺、この種類が一番好きだ」
「へえ……」
 燕は花火が終わってもしばらく空を見上げていた。
「柿崎の浴衣も綺麗だ」
「え」
 不意打ち。燕は相変わらず空を見たまま、平気な顔をしてる。
「……いこっか」
 燕は立ち上がり、軽く腰を払った。私は驚いて固まったまま、何も言えずにいる。
「どうしたの、ほら。行こう」
 燕がにっこり笑って、私に手を差し伸べた。私は戸惑いながら、その手を掴む。
「あ……ハンカチ」
 下敷きにしていたハンカチは、見事に砂まみれになってしまっていた。
「ご、ごめん! 洗って返すから」
「いいよ、そのまんまで」
「でも、悪いし、それに……」
 すると、燕は楽しそうに笑って、じゃあ今度返して、と言った。
「次会う時でいいから。ね」
 私は頷いた。燕は私の手を引いたまま、砂浜を歩き出す。いつまでたっても、燕が私の手を離すことはなかった。
 次に会う時、燕はまた違った話を披露してくれるだろう。私はそれを聴いていられる、いつまでも、いつまでも。大事な話はそれからでいい。
話して、話して、とうとう話すことがなくなってしまったときにはじめて−−このハンカチを返そう。私はそう、心に決めた。

炎色反応系(深海)

炎色反応系(深海)

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更新日
登録日
2016-07-21

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