なごみの絵日記〜FREEDOM BLUE〜
1.『駆け出しの愚者』
愚者は気紛れだった。
荷物を持たず、すぐにふらっと何処かに行ってしまうその光景は正に放浪者そのものである。
猫のように自由奔放で、自分の気になる事だけを求めその地に足を運ぶ。更にそれに飽きれば、また次の興味へと足を運ばせる。
一瞬目を離せば、あっという間に姿が見えなくなるのがデフォルトであった。
それを将来の理想とし、放浪の旅に憧れている少年がいた。
星野家次期当主、星野蒼。
彼は自由と正義を生きがいとして今日まで辛い鍛錬をしてきた。
特に星野家代々伝わる洋術。
最近になってようやく使いこなせるようになった程だ。
それほどまでに星野家式洋術は習得が難しい。
蒼はどちらかと言えば、魔法よりも物理の方が向いていると自負していた。
その為、父には内緒で物理の力を魔法に転換するなど自ら工夫し、策を練っていたりする。
「また今日も、修行…か。」
部屋の隅で窓から顔を覗かせ、まるで水のように澄んだ青空を見上げた。
清々しくもある、こうも雲一つもなく晴天だと、逆に嫌気がさしてならない。
今日はせっかくの日曜日なのに自分の好きなこと一つやらせてもらえない。そして友達と会わせて貰えない。
このまま行ってしまえば、つまらない青春時代を送ってしまうのかもしれない。
頭の中でそう考えると、自分の中の自由主義魂が闘志を燃やした。
カードケースから一枚のタロットカードを取り出す。
『愚者』。
「俺は、俺の道を進む…。」
そして自由を掴むんだ。
目を瞑って固く自分の中で決意をした。
すると途端に風が吹き荒れた。蒼の天然の紺色の髪が風にたなびく。反射的に手で抑えると、背中から寝ぼけたような声が聞こえてきた。
「あ…れー……お兄様こんな所で空見上げてどうしたの…。」
ふぁ、と間抜けた欠伸をしながら眠気眼で蒼を見つめる一人の向日葵のような明るい雰囲気を持つ少女。
この家で唯一、水色のローブを着ている人なんて“一人”しかいない、と勘ぐった。
「なんだ、お前か。」
その言葉と共に後ろを振り返ると、その少女は顔に嬉色を浮かべた。
「うっす。驚かせてごめんね~。」
こんな寒い冬空の中、健康そうな肌色の足を覗かせながら軽々しく蒼に接する。
この少女の名は星野雪実。小柄な見た目ながらも多くの魔力を所持することから次期当主である蒼のサポート役。
雪実にも次期当主として十二分の才があると思われるが、生まれつき身体が弱いのと、魔力が安定しないことが原因で地位を下ろされたわけだ。
しかし蒼はこの状況に不覚にも満足している。
もし運命がたがえ違え、彼女も次期当主の地位に立ってしまうことになったらいろいろと面倒くさいことになりそうだからだ。
周りからの偏見、親からの叱咤やプライドも全てぶつけられそうで嫌だった。
「何怖い顔してんのさ。折角この雪実様がお兄様の様子を見に来てやったというのに。」
「余計なお世話だ。…それに、今はそういう気分じゃない…。」
何度かこの軽いノリに救われたこともあった。だが、最近ではそれが鬱陶しく感じるようになってしまったのだ。
原因は全て、押し付けがましい親のせいなのだが。
雪実のせいではないのにどうも八つ当たりのようなものをしてしまう。
蒼は自分のことを“情けない”と心の中で責め立てた。
「ふぅん……。私には次期当主サマの気持ちはわかんないんだけどさ。深く考えすぎじゃない?」
「おまっ、人の気も知れないで…。」
「わかるよ」
先程の弾んだ声から一気に抑揚のない声へと変化した。
例えるならば、留守番電話の女の人が出すあの無機質な声だ。
たまに不思議に思うことがある、雪実の考えていることがわからないことがあるこの感覚。
それを従兄である蒼は許せないという怒りを爆発させそうになる時がある。
「自由に、がモットーなんでしょ。」
「……。」
理性的な冷たい目で語りかけるように、無表情で雪実は蒼に対して言い放った。
敵わない。
その言葉だけが頭の中で通り過ぎて行く。
__駄目だ。こんな口論ごときで負けを認めてなるものか。
昔からこいつは信用ができなかったんだ。裏で何を考えているのかわからない。
「わかったように言うなよ…。俺の何がわかるってんだ。」
「そんな事言ってるようじゃ『愚者』にはなれないよね。」
「…ッ、てめ……いつも何考えてんだよ…!」
しかめっ面で蒼が問うと、表情を悟られないように雪実は背を向けた。
蒼にバレないように、ふ、と笑みをこぼしてから堂々と応える。
「さぁね。今の蒼じゃあ、私の考えなんて到底わかんないだろうし。」
聞き逃さなかった。
蒼は最後の言葉が涙声になるのを聞き逃さなかった。
反射的に去りゆく雪実を止めようとしたが、既に相手は遠くにおり、追いつこうとする気力もなかった。
2.『自信家の魔術師』
その後の蒼も、呆然と立ち尽くしたまま何もせず、時間だけが過ぎていった。
先程まで晴れ渡っていた青空も、次第に雲行きが怪しくなりやがてぽつ、ぽつ…と小さな雨粒が降り掛かってきた。
青色から灰色へ。それは今の空の色にも言えたことだし、蒼の心模様にも同じことが言える事だ。
「どうすりゃいいんだよ…」
家族を守るという硬い決心を胸に次期当主の修行を受ける事にしたはずだ。それなのにここ最近、怠けた気持ちが勝ってきている気がする。
蒼が想像していたものより洋術習得は非常に辛いものだった。タロット21枚を駆使することなんて、魔力の少ない者には苦でしかない。
ずっと悩んでいたせいか、雨が本降りになっていたのに気づかず、身体がびしょ濡れになっていた。
後頭部がハンマーで殴られたようにガンガンと痛くなる。
このままここに居ても風邪を引く。足を動かそうとするのだが…どうにも倦怠感が勝って、足が動かない。
こういう時一番厄介なのは、自分のやりたいことがうまく行かない時だ。
特に蒼の場合は、自分の思い通りに行かなければ済まない性格をしているため、ヤケになることが多い。
物事うまく冷静に考えることが出来ないのだ。それに客観的に考えることなんてもってのほかだ。
そうだからこそ、近くには理解者が居なければならない。だが今の蒼にはそう呼べる人物も見当たらない。
まさにゲームでいう“詰んでいる”状態であった。
「How are you?」
意識が朦朧とする中、流暢な英語と共に、可憐な声が耳に届いた。
たったの一瞬だったが、雨の音が聞こえなくなる錯覚にまで陥った。
反射的に振り返るも、後ろには誰も居なくて。ならばと思い、全体を見回したが姿は見えなかった。
「…一体、どういうことだ」
謎の雰囲気に包まれ、頭が錯乱する。
もしかして、疲労による幻聴だろうか__と考えては見たものの、やはりあんなにはっきりとした声を聞く限り、現実としか思えない。
暫く雨に打たれながらもキョロキョロと周りを見渡したが、どこを探してもあの可憐な声の『主』は居なくて。
今回は諦めて一先ず家に帰ることにした。
「__I'm sorry. うちの子が申し訳ないことを言って、ね。」
蒼の姿が見えなくなると同時に、先程の可憐な声の『主』が、そちらに向けて一言放った。
_____。
いきなりだが、魔術師と手品師…いわゆる奇術師は、似ているようで違う。
それはどういうものか。大体は検討はつくだろう…。
一般にはこう言われることが多い。
まずは奇術師。主にカードマジックやコインマジック等を行う者が多いだろう。それを見物者に見せ、満足させる職業。しかしそれらには必ずタネと仕掛けがある。最初はある物を無いように見せ、視覚的に騙す行為を得意とする…それが奇術師だ。
では魔術師はどうだろう。
一言で言えば宇宙での神秘だ。奇術師のようにタネもなければ仕掛けもない。無かったものを“ある”物にするのだ。
…と、簡潔に説明したつもりだが多分うまく伝わっていないようだからもう少しわかりやすく。
0の海から1を作り出すのと、0の海に1を隠すのとは訳が違うだろう。
「手品はね、悪く言ってしまうと人を騙すのと同じこと。でも魔法はどうかしら?無限の力を引き出すことが出来るし、何より人を騙すこともない…素晴らしいものよね」
淡い碧い光を放ち、一人の少女が姿を現す。
人差し指と中指でとあるカードを挟んでいるようだ。
サイズはタロットカードと同じくらい。
「只の真っ白いカードだと思った?」
薄い花弁のような唇を控えめに開けたかと思えば、口角を微妙に上げる。
誰に向かってかわからないが、意地悪な笑みを浮かべると、持っていた真っ白なカードを真上に投げた。
「それ、ワン・トゥー・スリー!」の合図で手拍子を3回行うと少女は重力で落ちてきたカードを上手くキャッチした。
少女の手にあるカードは最早真っ白なカードではなくなっていた。
模様がついている。
「只のカードの片面に模様がついてるのがわかるわね?ふふっ、でもね、見せ場はこれからよ。」
ピラピラとぞんざいにカードを否定的に振ると、その勢いに任せてポイッ、と右側にそれを投げ捨てる。
当の本人は済まし顔で、片目を瞑っている。しかし、もう片方の目は自信を持ったような目つきで。
まるで「よく見てご覧。」とでも言いたげな鋭い眼光だ。
投げ捨てられたカードを見てみれば、何やら魔法の杖のようなものを天高く掲げる、女性の絵が描かれていた。
「これはたった今私が描いたタロットカードの『魔術師』よ。自信満々に微笑む女性がまるで私のようで凛々しいでしょう?」
ふふん、と鼻を鳴らし、これまた自信満々に言い放つ。
そして、少女がパチンと指を鳴らせば、投げ捨てられたカードは少女の手元に戻る。
「魔術師になるには“自信”も必要となってくるの。そうすれば周りにも変化を与えられることが出来るし、自分自身も変わることが出来るわ。…そう、こんな私でもね。」
一瞬、少女の瞳に迷いが生じたようにも見えたが、やがていつもの調子を取り戻し、キッと強気な表情に戻る。
彼女の言わんとする事は、会場の客にも伝わったようで、盛大な拍手が贈られた。
白いワンピースの裾をつまみ、足を引いて頭を下げる。
最後まで可憐なその少女は、赤い幕に覆われ見えなくなっていった。
3.『本当の正義』
「全く、お兄ったら…雨の中修行なんて馬鹿だよ!」
「……」
覚束無い足取りで家に帰ったわけだが、案の定怒られた。
ちなみに、目の前でぷりぷり怒っているのは蒼の実の妹、茜。
生真面目で世話焼きなため、たまに母親っぽいことも言い出すが今ではそれにも慣れてきている。
「それでお父さんは?一緒に帰ってきてないの?」
「父さん、いなかった。だから修行もしてねぇよ。」
「はぁ!?」
まるで鳩が#豆鉄砲を喰らったように、酷く驚いた顔をした。今日は日曜日。会社が休みだから蒼と茜の実の父である、星野聖太も一緒にいると勘違いしたのだろう。
「も~う……何やってるのお父さんは!…お兄は風邪引かないようにタオルで身体拭いて!」
「へいへい」
茶髪のセミロングが逆立つような勢いで、実の兄に強気で指図をする。
これはもうとっくに見慣れた光景で、いつもと変わらない。
茜からタオルを受け取り、玄関に上がってドタドタと階段を上る。先程のことを考えながら、一段ずつ。
どうもあの声が耳に張り付いているようで忘れられなかった。あの、鈴を転がしたような声音。
またどこかで聞くことが出来るだろうか…。
悶々と考えていたら段に引っかかり、足を滑らせてしまった。
「いッ……つぁ…」
派手に転んだ訳では無いが、疲れも相まって痛さが右足に押し寄せてくる。正確に言うと、右膝。
今まで感じたことのない痛み。彼は一つ、この足の痛みの原因を探り当てた。それに気づくと、バツが悪そうに顔を歪ませ、その場に蹲る。どうにかこの痛みを最低限に和らげようと努力しているつもりなのだろう。
「Oh My God!!」
突如として目前からたまげるような叫び声が直接耳に届いた。
しかしそれは以前にも聞いたことのある声…というかついさっき聞いた声でもあるということに気づく。
フッ、と慌てて目の前を見やると、そこには藍色のウェーブのかかった腰までの髪を靡かせ、蜂蜜色に輝く双眸は間違いなく蒼一点だけを見据えていた。
「とんでもhappenね!今すぐ私が治してあげるわ」
「え、ちょ…アンタ何者なんだよ…!」
オヤジギャグのようなセリフを吐き、蒼の腕を持って階段を上り始める。
そのアイスのように冷たくて白い指先は、今にも消えてしまいそうで、華奢なものであった。
それでも何故か、少女の手は頼りがいのある何かを感じて、それに身を任せて階段を軽々上る自分に疑問を感じて仕方ない蒼である。
時折ふわりと鼻腔をくすぐる、この優しい香りは何なのだろう。懐かしい。
初めて見た顔なのに、何処かで見た事があると錯覚するのは何故だろう。ただの勘違いだろうか。
「オスグッド・シュラッター病。」
「…何?」
「大好きなサッカーのし過ぎで、膝の#脛骨__けいこつ__#にダメージが行って、炎症を起こしたようね。星野蒼くん?」
「な、んでそれを知って…」
自部屋につくなり、ベッドの悲鳴など気にせずにそのまま腰からドカッと座る。かなり膝にキテいるようで、足を曲げて座るのもやっとの事のようだ。それに加え、少し混乱状態でもあるため、まだまだ現状を掴めていないようだ。
その様子を堪能してか、楽しげに…見ようによっては儚げに笑って見せてから少女は、ゆっくりと小さな口を開き始めた。
「貴方のこと…いえ、貴方達のこと、私はずっと遠くの場所から見守っていたの。」
「見守っていた…?遠まわしな言い方はよせ。どうせアレなんだろ!タチの悪いストーカー犯罪者なんだ!」
「なっ…!何よそれ!ストーカーなんて人聞きの悪いっ」
蒼の言い分に、少女は顔を真っ赤にして頭をこれでもかと言うくらいに横に振った。
「わっ、私はっ!立派な!星野家本家の長女なのよっ!!」
ぶん、ぶんと藍色の髪を揺らしながら眉間にシワを寄せ、蒼に主張の言葉を述べた。しかし、蒼にとっては意味不明な発言も同然。何せ、蒼の知る星野家本家長女は目の前にいる少女のことではないからだ。
古くから伝わる洋術で、先代の家族を守ってきた御先祖様にしてみれば、今の現状は如何なるものか。
蒼は頭の中を整理し、少女に向かって指を差し抗議した。
「馬鹿なこと言うな!俺の知る#従妹__いとこ__#は雪実だけだ!お前の顔や声なんて、見たことも聞いたこともない!」
「ッ…!」
完璧に否定され、少女は返す言葉もなく、声にならない声を上げた。流石にキツく言い過ぎただろうか、と蒼は考えたが…赤の他人にこれくらい言ってやる方が効果的だろう、と明るく捉えさらに面持ちを厳しくさせた。
「…わかったなら、さっさとここから出て行きやがれ」
「仕方ないわ。ここは……妹の雪実を使うしかないわね」
「は…、お前まだそんな事を言って……っておい!?」
蒼が言うよりも先に、少女は部屋から一目散に駆けて行った。そして最後、蒼の耳に届いた言葉は「こんなんじゃ愚者に憧れようとも、その姿そのものになるには無理があるわね」と舌を出しながら。
似たような事を昼に雪実にも言われた気がする、と心の中で思い…やはり、あの少女と雪実は何らか関係があって、少女の言い分が正しいのではないか…?と考えてしまう。だがそれではダメだ。
詳しいことは本人__雪実に聞くしかない、と断定した。
「あー…お兄ってば中途半端に正義を振りかぶっちゃダメだよ。」
そう言って、緑のローブを纏った少女が持っていたのは__玉座にて凛々しくお座りになられた女王…の描かれたカード。これまたタロットカードである。
「まずは、自分がしっかりしてからじゃないと正義っていうものは語れないんだよ!ったくもー、お兄も成人の半分を越したなら、それくらいわかって欲しいよね!」
口では怒っていながらも、表情は穏やかで柔らかな笑みを浮かべていた。
4.『盲目な戦車』
相手は突っ込むのがうまい。
いや、お笑いでのツッコミとかじゃなくて…物理的に突っ込む、とかの方。
そう、猪突猛進なのが彼女の…特徴というかそんな感じ。
例えて言うと戦車だ。戦争でよく使う、アレ。
ちなみに、紹介し忘れたが彼女と言うのは星野雪実の事だ。
蒼の従妹でありサポート役でもある、少女。
まだまだ身体的にはこれから大きくなるのだろう。十分に発達していない背を見る限り、体力や筋力は他の人よりも劣るだろう…だが、精神的にはそうでもない。
__気が強いのだ。特に、身内に対して
でも、蒼はそのキツい雪実の一言でここまで支えてくれたんだと思っている。
その分、蒼も雪実のことを守らなければならない義務がある。
「__待て!ストーカーめ…成敗してやる!」
「今立場が大きく逆転してるよね!?貴方がストーカーみたいになってるわよ!」
「うるせぇぇ!!雪実を自らの妹と仕立てあげてまで何を言ってるんだ!!この変態がぁぁあッ!!」
「かっちーん。そこまで言われたら私も容赦出来ないわね…!」
突如、逃げ回っていた少女が足を止め、蒼と真正面から対峙した。
戦闘態勢が変わり、すぐさま蒼も警戒態勢へと移る。
右で大きく頭上に上げ、指をパッと広げる。ジャンケンのパーの形。
表情は信じられないほど…自信と笑顔で溢れていた。
なんとなく寒気がして、一歩引き下がる。
「(わ、わけわかんねぇ…!なんでこんな奴如きに恐れを感じてるんだ俺は!)」
本当は心の奥底でわかっているのかもしれない、目の前にいる少女を恐れる理由が。
それでも引き下がることは出来ない。と己の意思で奮い立たせ、1歩ずつ近づく…。
だが後から気づいた。今少女がとっているポーズがタロットカードの『魔術師』のポーズだということを。
「私の強さ、思い知らせてあげる!《咲き誇れ、雪魄氷姿!》」
刹那、青白い光と共に、分散された氷の粒が空…というよりも天井から舞い降りた。
蒼自身、信じられない光景を目の当たりにする。それもその筈であろう、今現在蒼達のいる場所は“家”なのだから。
驚愕してる暇もなく、その氷の粒は蒼の右膝、左膝次第には足全体を覆うことになった。
「なぁッ!?……っが!!」
終いにはバランスを崩し、その場で尻餅をついてしまう。
纏わりついた氷の粒は、植物でよくある『つる』へと変化した。
「安心して。そのつる、10分程ですぐに消えるから。…ふふっ、じゃあ私は愛しの妹にちょ・く・せ・つ、会ってくるわねー!」
「卑怯だぞこのっ…!俺はそんなの絶対信じねぇからな!お前なんかただの他人ですとーか…」
動く事さえままならなくなり、自棄になって蒼は少女に怒鳴り散らした。だが、言い終わることもなくピタッ、と綺麗に固まった。一点を見据えたまま、黄金の瞳が揺らぐ。
「その先の言葉を言ってみなさいよ。痛くも痒くもないわよ?…って何。どこ見て固まってるわけ…」
煽っても反応のない蒼を見かね、不思議に思った少女は自分の背後の方を振り向く。
するとどうだろう、そこには見慣れた水色のローブを着た者が仁王立ちしていて…。
物凄く怖い笑顔でこちらを見ていた。
「「……ッヒ!!」」
蒼と少女、二人して同時に短い悲鳴を出して後ずさりをする。蒼に関しては、足は使えないので両手を駆使して秒速で壁まで逃げる。
「よ、よよよよお雪実…!いつの間にぃ…」
「ストーカーめ成敗してやるの所からずっと」
「結構前からかよ!」
努めて明るく、そして話を逸らすようにふざけた態度を取りながら顔色を伺う。
考えてみれば今いる場所は、階段付近。
雪実がリビングいたと仮定して、蒼達の叫び声はここから十分に届く。
「私がおねえに言ったんだよ。やけに二階がうるさいね~って」
ひょこっ、と雪実の背中から出てきた小さな影。翡翠に染まる丸い目をこちらに覗かせていた。妹の茜である。
「ねっ?」と茜が雪実に話を振ると、笑顔のままこくりと頷いた。
…普段、温厚な人を怒らせてはいけないと良く言うが、雪実の場合はちょっと違うかもしれない。
__ヨーロッパの火薬庫もとい、星野家の火薬庫である。
「随分と楽しそうな乱闘ぷりだったよねぇ?私も混ぜて欲しかったなぁ!」
ズモモ、という文字が見えそうな勢いのオーラを醸し出す。完全にお怒りモードのようだ。
どうしてこんなに怒っているのか定かでない蒼であったが、一方少女の方は何かを悟ったのか、雪実の前へと出た。
「ごめんなさい雪実。今回のは全て、私が悪いの。だからそんなに怒らないで」
「わかってるよお姉ちゃん」
衝撃の言葉が耳に届いた。
「…雪実?今なんて」
「私が何も知らないとでも思ってんの?それにお姉ちゃんが幽霊としてここに居たのも、ずっと前から知ってたからね」
先程の笑顔はどこへやら、涼しい顔で淡々と言葉を零す。
「あっちゃ~…バレてたのね…。折角驚かせようと思ってた所なのに。」
「おねえを侮らないでよね!なんて言ったって、星野家本家の“長女”なんだから!」
「…は?」
自信満々に茜が言ったのも束の間、冬の寒さよりも凍える雰囲気がその場を包んだ。
鋭い少女の視線が、茜を突き刺す。
少し怯むようであったが、あちらにも譲れない何かがあるのだろう。目を逸らそうとはせずにキッと睨み返す茜。
今の現状にとって、その言葉がタブーだと気づいた蒼は、慌てて場の雰囲気を濁す。
「あー…まぁとりあえずさ。話し合おうぜ。…それと、この足に絡みついたつるをどうにかして欲しいな」
蒼のその間抜けな図を見て、他の三人が何とも言えない気持ちになったのは言うまでもない。
5.『騒々しい者達』
星野家本家の方は、地下に大きな部屋がある。地下は雪実の部屋と繋がっており、壁に隠し扉がある。
未だ身動きの取れない蒼を雪実と茜が「せーの」という掛け声で担ぐと、隠し扉の中へ。
そこで三人を通すために、扉を開けていた少女が感想を述べる。
「…雪実は良しとして、貴女はいとも簡単に実の兄をひょいっと持ち上げられるのね。」
「こんなの余裕だよ。柔道習ってるもん!」
「こら茜。初対面の人には敬語って、いつも叔父さんと叔母さんから言われてるはずでしょ?」
「あ、そうだった。ごめんなさーい。」
「敵意剥き出しだな。」
普段はそこまでがっつかない茜のはずが、今回は妙にこれでもかと言うほど噛み付く。
茜は、打ち解けた者には犬のように懐くが、気に入らなかった者には煽るような態度をとる癖がある様だ。
身動きの取れない蒼が見ていられなかったのか、少女に向かって軽く頭だけ下げる。
「ふふ、いいわよ。一応身内の仲なんだから。お姉ちゃんこれくらい我慢できますよぉ。」
と、言いながらも顔を引き攣らせながら茜を撫でようとする少女。しかし、すぐ様に茜は背後の気配に気づき手を叩き落とした。なんとも悪い空気が漏れ出す。
これが冷戦。
「…可愛くないわね。」
ボソッ、と無表情で言った言葉は、果たして本人に届いているのか否や…。
「さ、着いた」という雪実の声で、部屋の電気がパッとつく。
奥行があり、無駄な配置物がない分確かに「広い」とは思える室内。しかし、長い間放置されていたせいか埃が舞い、蜘蛛の巣がちまちまと張られている。
この部屋を色で表すとすれば、全員の意見合致で「灰色」だろう。
「うぅう~…シックハウス症候群になりそう。」
「おねえ、ここ新築じゃないよね…」
「それよりも雪実が俺の動けない足を容赦なく投げ捨て、鼻をつまんでいるなんていう驚きの光景を目の当たりにして少しショックだ」
まだつるが足に絡みついているようで、藍色に光り輝く蒼の足がなんとも滑稽である。
ちなみに今は上半身を茜に支えられた体勢である。
「なんという食欲減退色…。これじゃ食べる気にもならないね…」
「待て雪実。つるを食う前提で言ってんのかそれ。無理だからな?」
「でもつるって、食べれるヤツあったよね?ね?」
「同意を求めるな!!このつる絶対食えねぇだろ!おい食わせんなよお前!?」
子供のように目を輝かせる雪実。この状態の雪実は蒼を切り裂き兼ねない。
こうなってしまった以上、自らの命も危ないと察知した蒼は唾が飛ぶ勢いで少女に向かって注意をした。
「流石にそれは…私が魔法で作り出したものでもあるし、多分不味いわよ。」
「えぇ~…」
「何でそんな残念そうなんだよ…」
そんなくだらない会話にツッコミを入れている時、突如なにかの電子音が聞こえた。というよりもバイブレーションが鳴る音だ。
「何っ!?この奇怪な音は!!耳がムズムズするわ!!!」
「うるさいですっ!」
「あー、ごめん。私のだ。」
「違うおねえじゃないよ!この人がうるさいんだよっ!」
「もう、何なのこの子!」
本当にうるさいな…と耳を塞ぎたくなる中、雪実は至って冷静に自分のポケットから通信機器を取り出す。
長方形型の、タッチパネル式。ピ、と電子音が鳴ると、それを耳に当てる。
通信機器と言うよりかは__
「あ、もしもし……なごみちゃん?どうしたのさ。」
今の時代で言われるスマートフォンである。
「何何っ?なんでそんな不可思議なものに向かって喋っているの?何をしているの?」
興味津々にその場で飛び跳ねながら指を差して蒼に問うた。
そんなのも知らないのか…と一度は呆れたものの、よくよく考えてみればこの少女は幽霊だということを忘れていた。それにしても、見た目は現代の者とそう変わりない姿をしているのに、本当にこんな世間知らずなのだろうか。
蒼は疑問に思いながら仕方なく説明を始めた。
「あれはー…電話してるんだようん。……俺馬鹿だからまともな説明出来ない…」
「も~、そんなことも知らないのですかぁ?今、おねえが持っているものはスマートフォンというやつで__」
「電話!あぁ、一家に一台はある#必需品__ひつじゅひん__#の事ね。」
「無視しないでくださいよッッ!!!」
吠えるように茜が牙を向く。
それに対し、少女は何も知らないとでも言いたげな瞳をして口笛を吹き始めた。
…どうしたらこの二人は仲良く会話ができるのだろうか。
それよりも、先程の蒼の説明でも十分伝わったようだ。どうやら電話という存在は知っていたらしい。
「でもおっかしいわねぇ…そんなにコンパクトなものだったかしら?ほらもっとこう…こーんな形で、受話器に向かって話していたはずよね?」
そう言いながら少女は人差し指で受話器らしきものを描き、その後耳に当てるような仕草をする。
どうやら彼女は一昔前の電話の事しか知らないらしい。
そんな動作を見せつけられ、蒼が頭に浮かべたものは、
「家庭用電話機か。」
「今の時代は携帯電話ですよ!家庭用電話機の時代は…終わってはないですけど殆ど使わないところが多いんじゃないかな!」
「ふぅん。…よく分かんないけど分かった気がするわ。」
「いやどっちだよ。」
一瞬訝しげな表情をして、すぐに普通の表情に戻る。
彼女なりに考えてみたらしいが肩をガクンと落とした所を見る限り、思考がパンクしたのだろう。どうやら考えるのを止めたらしい。
…と、何故か電話の話題で盛り上がっていたが、会話が終了した途端に驚く程の静寂が場を包んだ。
今では雪実が誰かと話す声しか聞こえない。
この広い部屋のことだから、尚更緊迫感がある。
「……あ、それより蒼くん。話さなきゃいけないことがあったわ。」
「へ?俺に…?」
沈黙が破られ、再び会話が始まろうとした時だった。
「えぇ!?なごみちゃん今、玄関の前にいるの!?」
大層驚いた様子で、雪実がそう叫んだ。
6.『永陽』
暫く呆然としていた。
いきなり叫ばれても何の解決のしようがない。
「…なごみちゃん、って誰だよ?」
「私の友達!!めっちゃ可愛いだかんね!」
「おねえの言語感覚が狂う程の可愛さ!?…これは覚悟しておいた方がいいかも…」
「可愛い女の子!?ふ、ふふふふ。そうね覚悟しておいた方が…」
「いや何で約二名興奮してんだよ!気持ちわりぃ!」
グッ、と茜と少女は固く握手を交わした。
初めて会った時から不仲だと思われていた二人が遂に同盟を組み始めた。
その名も『可愛い子もぎゅもぎゅし隊』。
活動はその名の通り、可愛い子をもぎゅもぎゅすること__。
「うん。じゃあ、なごみちゃん迎えに行ってくるね」
そう言うと、支えられていた足(下半身)が重力で地面に叩きつけられる。痛い。
「おねえ~!私も行く!」
「こいつらひでぇよ!」
雪実に続き、茜までもが蒼の上半身を投げ捨てる。上手く受身を取って、打ちそうになった頭を支える。
ギィ、と重い扉を雪実が開け、先に茜を部屋から出させる。その後に続いて、雪実もこの部屋から出て行った。
一人取り残された蒼は何もすることがないままぼーっと時を過ごし……
「…大丈夫?」
…ている暇もなく、急に顔を覗かれ驚愕する。
「おわぁっ!と…なんだよいたのか。てっきりあいつらと一緒に行動したのかと…」
「確かになごみちゃんって子には会いたいけれど、私幽霊だから。きっと見えないでしょうよ。」
比較的冷静に言いながら、近くの壁にもたれ掛かる。
こころなしか暗い顔をしているかのように見えたが、眠るように目を閉じたので、相手が何を考えているのか蒼には分からなかった。
なんとなく雪実に似ているな、と感じる。
「あ、それとI'm sorry.実はそのつる、解除しようと思えば出来たのよ。」
「…何?」
「だって私が作り出したものだし。」
「じゃあ早くこれを除けてくれ……足が使えないとすっげぇ不便なんだよ。」
「わかったわ。」
壁にもたれかかっていた身体を起こすと、すぐに蒼の足元まで歩み寄り、跪坐。
藍色のつるが張った足に、自らの右手を添えて、控えめに、何かしら呪文を唱え始める。
「なぁ」
「…何。呪文の途中よ。」
「#単刀直入__たんとうちょくにゅう__#に聞く。お前は……どうして幽霊なんだ。」
「死んだからに決まってるじゃない。」
「死因は」
間髪なしに問うと、何か引っかかるものがあるのか黙ってしまった。しかし、蒼は少女から目を逸らさず見つめる。
身内だからこそ、知らなくてはいけないものがあると蒼は考え、質問をしたのだ。
真っ直ぐな瞳を見て、少女は何かを決意したのかフッ、と柔らかく笑うとこう答えた。
「流産よ。」
「流産…?ってお前…」
「私は14年前、6月13日に生まれてきた。…いいえ、厳密に言えばもうその時には既に死んでいたけれど。」
「腹の中で、死んでいた…のか。」
「そういう事になるわね。」
最後にそう答え、再び集中し始める。呪文は高速で読まれていき、徐々に固く絡まっていたつるが解け始める。
蒼はその間、ずっと少女を見つめていたが…青く発光し、透け始める身体目の当たりにして思わず肩を掴んだ。
「おいっ!?何してるんだよ!!」
咆哮したものの、本人は動じずに淡々と呪文を読み続ける。
どうやら少女は自らの魔力を蒼に補給しているらしい。蒼は自身に漲ってくる力をそう置き換えた。
つるが完全に解けると、少女は蒼の足から手を退けた。
「聞いてんのか!おい!!」
「あぁぁやめて揺らさないで。三半規管弱いのよ私ぃ…はらひれ……」
肩を思いっきりグイグイ動かし、その反動で頭も揺らしてしまったらしい。目がうずまき状態になってしまった少女を見かね、蒼はパッと手を離した。
「ごめん……じゃなくて!魔力は!?どうして俺にっ…」
少女はこめかみ部分を抑えながら怠そうに呟いた。
「…はぁ…何をそんなに焦っているのかしら。」
「だって…だってさっきお前、消えかけて……ってあれ。」
頭が錯乱状態だったがために、目をぎゅっと瞑ってしまい直視していなかったのだろう。
目を開けると目の前には、どこからどうみても生身の人間と変わらない容姿をしている。消えかけていない。
「はっ?何でだよ!消えそうになってただろ!」
思わず気持ちが高ぶり拳を握りながら立ち上がって意見した。その様子を呆れながら聞いていた少女はため息を漏らしながら、
「勝手に消えかけの存在にしないでくれる?…あら、良かった。普通に立ててるみたいね。」
「えぇ…何がどうなって……っあ、本当だ。えっ、痛くねぇ!!」
無意識に立ち上がった為、最初は気づかなかったらしい。先程まで階段でへたばっていたのが嘘みたいに綺麗に立っている。
蒼は自身の膝を確認するようにペタペタと触ってみるが、変な違和感もないし痛みも全くない。
「…さてはお前、何かしたか?」
「さぁねー。…それと、私はお前って名前じゃないわ。『星野永陽』よ。」
わかりやすく唆されたため、これ以上は聞かないことにする。そして初めて、この場で名前を紹介され、首を傾げる蒼。
「はる…ひ……雪実とはまるで正反対の名前だな」
「ああ…確かに。…妹と相互関係っていうのもなかなか良いものねぇ」
ふにゃっ、と表情を崩し思いっきりデレ始める。当初会った時間とはだいぶ打ち解けているみたいだが、あまりの妹依存ぷりに蒼も若干引いているようだ。
他愛もない話を続けて約25分。扉の外から何やら足音が聞こえてきた。
「なごみちゃん!ここが一応、私達の隠れ家的場所だよ!」
待ちに待ったお客様の登場のようだ。
7.『袴着の少女』
「は、ははははじめまして!ま、まっままま」
「はい一旦落ち着いてなごみちゃーん…深呼吸深呼吸…。」
「すううううう……はああぁぁあ」
「はいじゃあ改めて自己紹介をどうぞ。」
「は、初めましてっ!祀杞なごみと申します!何卒、何卒宜しくお願いします!」
袴を着た少女はだいぶテンパりながらも自己紹介を何とか終わらせたようだ。
初めて顔を合わせるが…良識のある、いい家の娘さんなイメージが蒼の中でついた。
「よろしく、…えっと。なごみちゃん」
「うわっ、お兄様がちゃん付けってなんか違和感…。」
「おにい気持ち悪い」
普段の口の悪さを隠し、これでも十分なくらいには爽やかな挨拶をしたつもりなのに、阿呆な妹と従妹のせいで堪忍袋の緒が切れそうになる。ここでは流石に切れれないが。
「な、何を言っているのだねチミ達…おれ……ぼ、ボクはいつでも爽やかぁで、紳士的だろう?」
「「「……ぷ。」」」
なごみ以外の三人が、同時に吹き出した。
それもその筈だ、普段から素の蒼を知っている二人、そしてずっと何処からか見守っていた永陽にとっても吹かざるを得ないものだろう。
状況を理解していないような表情でなごみはオロオロとし始める。
「あ、あの…」
「ちょっとおにい!おにいのせいでなごみさんが迷惑してるじゃん!」
「うっわ、お兄様こんな可愛い女の子を困らせるなんて…」
「う、うっせ!大体お前らが俺の事を侮辱するからだろ!一時的なキャラチェンだよキャラチェン!」
引いたような仕草で雪実と茜の二人は蒼の近くから離れていく。そんな楽しそうな様子をずっと黙って見ている永陽は変わらず笑いを堪えるばかりだ。その場に縮こまって笑いを発散させるように床を叩いている。
一方、素の口調に戻った蒼。なごみはそんな蒼を見て何か安心したのか、ふわっと笑う。
「やっぱり、お兄様はお兄様なんですね…。」
「おうそうとも!俺は人類最強と言われるお兄様で……え?」
思わず素っ頓狂な声を上げる。
「お兄様」と言った主はなごみなわけで、初対面の人からそういう呼称で呼ばれるのは初めてだ。
大体その名で蒼のことを呼ぶのは雪実しかいない。大方、何らかの影響なのだろう。
変わらず目を白黒させていると、なごみと視線が合う。
その瞬間、いたずらがバレた子供のように心臓がばくばく脈打つ感覚を覚えた。
これはきっと、照れの感情だろう。
蒼は衛星中継ばりに遅く、顔を赤くさせた。
「ななななっ、なんで!?えっ!?」
「あぁ~、お兄様落ち着いてほら。相手はなごみちゃんだから安心するが良い。」
「何が安心だ!!安心と言うよりか…羞恥だろこれ!なんか恥ずいわ!!!」
「ふ、ふふ…蒼にも羞恥という感情があるのね。」
誰だって年頃の男の子はそう考えるだろう。
いきなり初対面の、そして純粋で無垢そうな可愛い女の子に「お兄様」と呼ばれれば、動揺しないわけないだろう。
正直言って、今蒼はこれでもかと言うくらいテンションが上がっているようだ。
「ご、ごめんなさいっ!雪実ちゃんと従兄弟の話をする時に、その、おに…蒼くんのことを呼称で呼んでいるのがわかって…それでつい影響されちゃって…。」
「派生は鬼様からだけどね。」
「それでおにいは鬼様からお兄様へと昇格したんだね…。」
「…それ、俺初耳なんだけど……。」
「あっ、その話も聞いたことあります!」
はいっ!と元気良く挙手をするなごみ。
よく見れば袴は袴でも留袖のようだ。晴れ舞台で良く着る印象を受けるが、はっきりと言ってしまえばなごみの着ている袴はそこまで派手ではなく、寧ろシンプルなものだった。
現代とはまた違った、古風な雰囲気に蒼は慣れないようで、少し歯痒い気持ちになっているようだ。いい意味で。
「まぁまぁ思い出話はまた今度にしよう。それよりもなごみちゃんから私の従兄妹に何か言いたいことがあったんじゃないの?」
「えぇ~…もっとお話したかったなぁ…。あっ、そうだったよ雪実ちゃん!忘れてたぁ。」
「忘れてたんかい!」
すかさず雪実がツッコミを入れる。その点でも流石は異名、戦車とも言える。
「言いたいこと?」
「えっ、えっ!なんですかなごみさん!」
大層うきうきした様子で茜が問う。どうやら早くも懐いているようだ。
一方、他人には自身の姿は見えないだろうと自動的に影を薄くしていた永陽もここは真剣な眼差しでなごみを見つめる。
「えと…大した事じゃないんですけど…。今度、祀杞家に来てみませんか?という事で…」
「私は勿論行きたいです!!」
「こら茜!も~……舞い上がってるうちの従妹可愛すぎぃ!」
「ひゃ~、おねえやめてよ擽ったい!」
「あ、雪実ちゃんのいとコンモード発動した。」
これはどうしよう、と蒼は唸る。
勧誘を受けたのは良いものの、こんな女の子揃いの中に一人、男である自分が混じっていくのは無理があるんじゃないだろうか、と。
しかしその場の空気に流され、蒼は意見を言えないままでいた。
暗い顔をしている蒼に目が付いたなごみは更にこう言った。
「当日私の従兄弟も来ます。お兄様、男の子もちゃんといますから安心してください。」
「!? い、いや俺は行くなんて一言も…」
「私達と同年代の子一人、二歳年上の人一人…ですね。」
「だから行くなんて一言も!!」
「嘘!?年同じの子がいるの!?益々行きたいよ!ね、お兄様!」
「えぇ……」
圧倒的に雰囲気で流される。拒否権なんてないだろうな…と悟った蒼は渋い顔で「じゃ、行きます…」と承諾した。
そこら辺一面に花が咲いたような笑みを浮かべるなごみ。
「決まりですね!じゃあお家に帰ったら早速話付けてきます!あ、後ですねもう一つ。」
と、楽しい雰囲気から一転、なごみは改まったような仕草で話を進める。
「祀杞家と、星野家に関する……重大なお話です。」
8.『見える、視える』
祀杞家。
それは、星野家と同じような境遇を持つ家系。
普段は食事処を営んでいるらしいが、本業はお祓いとの事。信頼度は高い様で、老若男女…有名な方から一般の方まで祀杞家を訪ねてくる者は多い。
これは一度、祀杞家にお邪魔した雪実の話だが、今まで食べた卵焼きの中でここの食事処が一番美味しいらしい。是非とも一度お訪ねしてみたい。
「それで、重大な話…っつーのは?」
一通り自分の家の事を話し終えたなごみは、蒼の質問に対し静かに頷き、発言する。
「はい…。実は祀杞家と星野家は、二代前…つまり祖父母世代で関わりがあったようで」
「そふぼせだい?」
難しい単語が頭上を飛び交い、近くにいた茜が困惑する。
そんな茜を宥めるように、藍色の髪を揺らして永陽が答えた。
「おじいちゃんとおばあちゃんが若かった頃…って言えば分かるかしら。」
「なるほどー!そう説明されれば私にもわかるかも!」
永陽の説明で何となくわかったのか、元気よく意思表示をする。
その様子をずっと見ていたなごみは眉をしかめて、首を傾げる。憂わしげな表情を浮かべているあたり、大方茜が一人で喋っているように見えたのだろう。
「…誰かいるのかな?」
「あぁ~…そっか。なごみちゃんは視えないんだっけ?」
「え、霊感弱いはずの俺には見えるのに?」
「お兄様、それは身内だから視えるんだよ?」
「理解しました。つまり、そこに今おられるのは星野家の身内さん…という事で。」
ふむ、と顎に手をやり納得するなごみ。
その仕草で不意に袖から見えた手首に付けられた腕輪。
細い手首にフィットした銀製の腕輪だ。デザインはどこか男性用っぽいが。
「……おかしいわ。その子には、私が視えるはずよ。」
「な、何を根拠に言ってるんだ?俺にはさっぱりわからん。」
考える事が苦手な蒼は、早くも思考が停止したようだ。
「………。お馬鹿な蒼には詳しい説明が必要なようね。その前に…雪実、なごみちゃんの手首についている腕輪を取るように言って頂戴。」
「え、でもあれはなごみちゃんの両親にも『なるべく取らないように』って注意されてたんだけど…それも直々に。」
「なるべく、でしょう?可能な限りって意味合いなのよ。今はなごみちゃんに、私の説明を聞いて欲しいの。だからお願い。取るようにお願いしてくれないかしら…。」
「……。」
懸念しながらも、自分の姉の真剣な物言いに同意はしたみたいだ。雪実は永陽に返事をしないまま、なごみに相談を持ちかけた。
「あの…なごみちゃん、ちょっといいかな?信じてもらえないかもしれないけど…。」
「どうしたの?」
「そこにいるのは、他でもない身内…私のお姉ちゃんなの。たった今そのお姉ちゃんから、なごみちゃんが付けているその腕輪を取って欲しいってお願いされたんだけど…、出来そう?」
半分理解していない蒼でも分かる、このピリピリとした雰囲気。
何か禁忌に触れているような感覚に陥っている。そんな気がした。
ぎゅっ、と腕輪を大切そうに握るなごみ。俯いていて表情こそ見えなかったが、唇を噛み締めているのが分かる。
「む、無理なら断ってくれても…。」
「ううん。雪実ちゃんが嘘つく訳無いもん。それに、お姉さんの話なら何度も聞いてるし、信じるよ。」
信じ難い言葉だった。
まさかあっさりと承諾してくれるなんて思いもしなかった。
何か危ないものを感じ取った蒼は、止めなくては…と意思を決めてなごみに向かって抗議した。
「や、止めた方がいいと思うけどな、俺は…。」
「何故です?」
すかさず質問するなごみ。
「例え雪実の言っている事が本当でも、両親が取らないように言ってるならそっちの注意を守った方がいいだろ?変にリスクを負わなくても…。」
「大丈夫です。物は試し、と言いますから。」
「だからってなぁ…。……。」
続けて蒼が抗議をしようとしたものの、なごみが蒼に向ける表情で喉元が詰まる。上手く言葉が出せない状態になった。
リスクを冒そうとしているのに、何故そんなにも平気でいられるのか。
なごみは穏やかな笑みを浮かべながら、腕輪に触れる。
「言いたいことは、だいたい分かります。ご心配して頂きありがとうございます。」
思わず黙り込む。
結局相手の言い分を受け入れるような真似をしてしまった。
実際はどんなに危険なのかわからない。蟻のような、本当に一握りで潰せてしまいそうな危険なのか、はたまた宇宙が作られた時のような大爆発みたいな壮大な危険なのか…。
考えすぎなのだろうか。
と、考えている間にもなごみは男らしく、腕輪を引っこ抜いていたようだ。
「って、えええええ!!もうちょっとそこは溜めない!?」
「? いえ、ここは思いっきり言った方が皆の為かと!」
先程の思い雰囲気は何処へやら。キラキラとした表情でなごみは腕輪を持って、考えなしにそう発言。
こいつ、実はお気楽主義か………。くっそ、俺の貴重な時間を返せ!と、心の中で毒づく蒼。
「まあまあ。おにいはお馬鹿なくせに考えすぎなんだよ~。それで、なごみさん!視えてますかっ?」
「誰が馬鹿だっ!!!」
「ええっと…。」
言われてなごみはキョロキョロと辺りを見回す。
何処か何処かと彷徨えば一転、なごみの灰色…いや、場合によっては銀色にも見える瞳が大きく見開く。
その様子を生唾を飲み込みながら、蒼達は静かに見守り…。
9.『リスクを呼ぶ好奇心』
特定の位置を見つめる。
そこには心配そうになごみを見つめる永陽の姿がある。
それがなごみには視えているかどうか…。
しかしなごみは見つめていた場所と正反対の、真後ろを振り返った。
暗い表情。まさか、視えていなかったのか。
「あの……。」
固唾を飲む。結果はどうだったのか。
痺れを切らしたのか、永陽自ら話し掛ける。
「なごみちゃん。私が視えてるかしら?」
その瞬間、なごみの肩がピクリと動いたのを見逃さなかった。それは、永陽が話し掛けた直後の出来事。…間違いない。
なごみには、永陽が視えていたようだ。
「なごみちゃん?」
綿飴のような優しい声音で、もう一度名前を呼ぶ永陽。
確かにこの声は届いているはずだ。だが、目の前の袴の少女は硬直して動かない。
「なごみちゃん!」
よく見てみれば、目に生気が宿っていない。何処か不自然だ。それをすぐに察した雪実は、なごみに近付き身体を揺らす。
“危険”な事というのに気づいたのは蒼だった。
「言わんこっちゃない…!おいっ!!今すぐなごみちゃんを別室に運べ!このままだと死ぬぞっ!!」
「そんな…っ!」
「やだ、やだぁ!なごみさん…!」
次々に悲惨な声を上げ、茜に至っては大量の涙を流す。
雪実はと言うと今の事実を聞かされ、腰を抜かしてしまったようだ。動けない状態である。
最悪の事態になってしまい、蒼も心底焦り始める。
「嘘でしょ…霊気は制限を掛けたはずなのに、どうして…。」
「なごみちゃんは俺が別室まで運ぶ。……お前らはしばらくこの部屋で反省でもしとけ。どれだけ大変な事になったのか…よく考えろ。」
そう吐き捨てると、蒼はいつの間にか眠ってしまったなごみを背負い部屋から去って行った。
蒼の言っていた“危険”が本当のことになろうとは思わなかった少女三人。いや、本当は心の奥で「~なるかもしれない」ということは考えていた。
だが、起きてしまったことには変わりないのだ。
「…ごめんなさい、本当にごめんなさい。」
沈黙を破ったのは永陽であった。
陰りのある表情で涙混じりの声。そして身体も微かに震えている。
恐怖したのだろう。
「なんで、お姉ちゃんが謝って……私にだって非はあるよ…」
「だって!!!興味本位でやってしまったことなのよっ!?それが許されると思って……っ!」
永陽は、幽霊だからこそ『ここに居る』と主張したかった。
『説明がしたい』だなんて都合の良すぎる押し付け。
所詮はもう、身を捨てた存在なのだから普通は他人から視られないのが当然なのだ。
それを永陽は__破ろうとした。
「黙って見て面白がってた私も悪いよ!だからそんなに自分を責めないで…?」
「そんな事言って、もしなごみちゃんが最悪死んだりしてしまったら…私達、掛ける言葉がないわよね。」
「っ!」
「……。」
衝撃的な物言いに、二人は言葉を失った。
「……今の私にはネガティブな発言しかできないようだから…少し時空を彷徨って来るわ…。」
永陽なりに『頭を冷やしてくる』と言いたかったのだろう。白いワンピースを翻すと宙に浮き、やがて藍色の粒となり、弾けて消えてしまった。
取り残された二人は最早、絶望でしかない。
「……。」
「おねえ…。」
自分の心の中で意を決した雪実は、ゆっくりと立ち上がった。
_____。
一方、なごみを連れた蒼は…勝手で申し訳ない、と心で思いながらも雪実の部屋のベッドで寝かせていた。
生気のなかった目も今では閉じられており、規則正しく寝息を立てている。
どうやら、命に別状はなかったようだ。
それだけ分かると、蒼は安堵のため息をついた。
「……言い過ぎた、訳でもないか…さっきの俺の言葉は俺自身にも同じ事を言えるんだよな……。」
また深いため息をつく、今度は落胆の意を込めたものだ。
先程のなごみの行動を止めることが出来なかった蒼は、それを妙に気にしていた。
それは多分、こういう状況になってしまったからだろう。
もしも、こんな事にはならずに今頃簡単に永陽と話せてさえいれば、何も問題はなかったのだろう。
「初めて会った時からこんなんじゃ、なあ…。」
なごみに頭が上がらない。
固く目を瞑るその少女のあどけない寝顔を見ながら、苦い憂愁を噛み締めて。
近くの棚には起きた時のために一杯の水を用意してある。
何をしているのだろうか、自分は。
勝手に彼女が起きるのを期待して、ただ待っているだけではないか。
もしも永遠に起きなかったとしたら、どうするべきだ。
頭の中で悶々と暗い考えが浮かび上がる。
ここは、変に考え込まないのが得策だろうか、いや…そうすれば脳内が自動的に『思考停止』を働かせてしまい、何も考えれなくしてしまうような気がした。
「本っ当、脳筋って言われてもおかしくないな…。」
なごみが寝ている隣で、ただ目覚めるのをひたすらに待つ。
今蒼が出来る事は、何度考えてもそれしか無かった。
なごみの絵日記〜FREEDOM BLUE〜