眠れぬ夜は君のせい

眠れぬ夜は君のせい

■第1話 本屋で・・・

 
 

 『うわっ!! 懐っかしいなぁ・・・』
 
 
思わず小走りで駆け寄り、自然に声が出てしまった。
 
 
 
学校帰りに寄った、近所の商店街のいつもの本屋。

校章が入った学校指定カバンを乱雑に足元に置いて
興奮気味にそれを手に取ると、少し厚くて硬い表紙をしずしずとめくった。
 
 
小さな子供が読むには少しボリュームがある絵本。
小学生ぐらいになってやっと一人で全部読めたそれは、
絵本というより児童書と呼ぶのだろうか。

親が買ってくれたものなのか、誰かから貰ったのか忘れたけれど
確かに家にその絵本はあった。
どのタイミングでそれを見掛けなくなったのか、
処分してしまったのか誰かに譲ったのか今はもう分からないけれど、
何度も何度も繰り返し読んだ事をよく覚えている。

話の中に出てくる ”魔女 ”と ”押入れ ”が怖くて怖くて、
夜になると泣きべそをかいて母親の布団に潜り込んだ幼い頃を
ふと思い出し、リコは少しだけ俯いて頬を緩めた。
 
 
もう随分前の作品だし、高校生の今になってまたこの絵本に
巡り合えるとは思ってもいなかった。
気が付くと絵本コーナーの狭い通路にしゃがみ込み、
夢中になってページをめくって懐かしい話にぐんぐん引き込まれていた。

あまりの懐かしさと嬉しさで、思わず一人ニヤニヤしていたに違いない。
その時は絵本に集中しすぎて、誰かがすぐ横に立った事にすら
全く気付いていなかった。
 
 
 
『多分、あるとしたらここら辺に・・・』 横で低音の声がした。
 
 
 
 『でも、古い本なんで・・・ 無いとは、思うんですけど・・・』
 
 
 
更に聴こえた、別の男性の声。
目線を右側にチラリとずらした先に、くたびれた茶色いサンダル履きの足と
ネイビーのローカットスニーカーが見えた。
 
 
リコは何気なく顔を上げ見上げると、本屋店主と若い男性が
書棚に陳列された本の背表紙を指先でなぞりながら本を探している様子。

今更ながらこんな所にしゃがみ込んでいては邪魔になるだろうと、
リコは立ち上がった。
偶然見つけたこの絵本は折角だから買って帰ろうと、左手で胸に抱えたまま。
 
 
無造作に足元に放置していたカバンの持ち手を掴み、レジに向かおうとしたその時・・・
 
 
 
 『あっ!! ・・・コレじゃないの?』 
 
  
 
店主がリコの抱える本を指し、男性へと振り返った。
 
 
 
 『あぁ・・・  コ、コレ・・・ です・・・。』 
 
 
 
男性もそれを指さし、店主へと目を向け。
 
 
突然目の前で繰り広げられた二人の遣り取りに、何のことだか分からないまま
リコは店主と男性をキョロキョロと交互に見た。
暫し、三人の間になんとも居心地の悪い空気が流れる。

すると、『1歩遅かったねぇ、お客さん。この1冊しか在庫ないんだよね。』
店主はそう言うと、問題は解決したとばかりさっさとレジへ戻ってしまった。
 
  
再び、二人だけになったその空間に尋常ではない気まずい空気が流れる。
  
 
リコが向ける居た堪れない横顔を察したその男性は、リコが胸に抱える絵本に
チラリと視線を流すと、眉尻を下げ困ったような顔で情けなく笑った。
 
 
なんだかまるで泣いてしまいそうな、困り果てたような笑顔で・・・
 
 
 
”譲ります ”って一言、言えなくもなかったのに。
胸に抱えた絵本を掴む手にぎゅっと力が入り、何故かその時それが言えなかった。
 
 

■第2話 帰り道

 
 
 
なんだか後味が悪いまま、リコはレジで会計を済ませ絵本を買って
逃げるように本屋を後にしていた。
 
 
先程あんな気まずい場面に居合わせたはずの本屋店主は、まるでなにも
なかった様な涼しい顔をしてリコへと絵本代金の釣銭を渡すと、たった
ひと言『はい、ありがとね。』と無味乾燥な声色で呟いた。

リコは対照的なその店主の顔と ”あの人 ”の顔を思い返していた。
まるで泣いてしまいそうな困り果てたような笑顔の、あの人を。
 
 
 
 (別に・・・ 私が悪いわけじゃないんだし・・・。)
 
 
歩きながら一人、無意識のうちに心の中でブツブツと言い訳の様に呟く。
 
 
後ろを振り返ったら、さっきのあの人が恨めしそうにコッチを見ていそう
な気がして落ち着かなくて、そそくさと足早に商店街を歩いていた。
 
 
 
 
 
 
本屋の隣には靴屋、その隣には洋服店。
小さなスーパー・果物屋・魚屋・八百屋。

そこは大きくはないけれど、活気があり賑やかで大好きな商店街だった。
 
 
丁度夕飯時のため、買い物袋をさげた女の人や親子連れの姿が多い。
お惣菜のにおいが夕暮れの橙色の風にのって優しくそよぐ。
この商店街を通って少し先の公園前からリコはいつもバスに乗っていた。
 
 
バス停前で立ち止まって時刻表を指でなぞり、左手首に付けた腕時計を
確認するとバスが来るまで少し時間があった。

リコはもうひと気の無い静かな公園内の少しくたびれたベンチにチョコン
と腰掛けて買ったばかりの絵本を紙袋からそっと取り出す。
大好きな絵本を手に入れられたはずなのに、どこか心はモヤモヤしていた。
 
 
表紙に目を落とし指先で軽くなで、1ページずつ丁寧に丁寧にめくった。

胸の奥がじんわり温かくなる郷愁が込み上げ、気付かぬうちに自然と顔は
綻んでゆく。
子供の目を惹くような可愛らしいイラストな訳でもないのに、何故こんなに
この話は心に残るのだろう。

次第に本屋での出来事も忘れ、すっかり絵本に引き込まれていたその時、
ふと目を上げると、既にバス停に停車しているバスが目に入った。
 
 
『あっ! 乗ります!!』 リコはカバンを引っ掴んでバスへ滑り込んだ。
 
 
 
 『ぁ、ありがとうございます・・・』
 
 
 
思いのほか大きい声を出してしまったことが恥ずかしくて、ちょっと俯き
気味に乗車したリコ。慌てて大股で走ったせいで少し捲れ上がった制服の
スカートの裾を手の平で慌てて均した。
 
 
夕暮れ時のバスは、帰宅する人々で混んでいた。

仕事帰りのスーツ姿の人や部活帰りの学生服。バスの窓から差し込む夕陽
がどこか疲れた面々の横顔を優しく包み込んでいる。
座席など勿論あいてはいなくて、リコは吊革に掴まって少し窮屈そうに
立ちながら窓の外の流れる景色をぼんやりと見ていた。

すると渋滞した夕暮れ道のバスの揺れに、コツンコツンと隣に立つ人と
肩がぶつかり合い、互いにペコリと小さく会釈をし合う。
ふと窓に映る自分の顔が目に入ると、それは困ったように情けなく頬を
緩め笑っていた。
 
 
 
 
乗車したバス停の3つ先にある、長い坂道の下でリコは下車する。

そこからは家まで少し坂道を上がらなければならない。
雨の日や冬なんかは、その坂の上にある自宅を恨めしく思ったものだが
春先や秋は特に、この坂から見下ろす商店街の遠くの灯りが好きだった。
 
 
夕方のまだ少し生温い風がそよぐ中、緩やかな勾配を進み家路へ向かう。
ご近所の生垣の白いナニワイバラの花が爽やかな香りを放っている。
家々からほんのり夕餉のにおいも流れ、今日という日が終わりに近付いて
いる言葉に出来ない安らぎを感じながら歩いた。
 
 
右手に見えてきた自宅のキッチン窓から、母ハルコがチラっと覗き見えた。
何か話している様子。きっとまた弟リクとテレビのチャンネル争いでも
しながら夕飯の支度をしているのだろう。
 
 
 
 『ただいまぁ~・・・。』
 
 
 
玄関内でローファーを脱ぐと、しゃがみ込み体の向きを変えて靴を揃える。

スリッパラックから愛用スリッパを取り出し履き替え、軽く居間に声を
掛けるとキッチンから揚げ物をしたような油のにおいを感じた。
 
 
 
 (今日はコロッケかな・・・。)
 
 
 
リコは階段を小走りで駆け上がり、2階の自分の部屋に向かった。
 
 
 

■第3話 窓からの景色

 
 
 
階段を上がって廊下のすぐ右手にあるのが弟リクの部屋、左がリコの部屋。
 
 
ドアを開け、薄暗くなった部屋に電気をつけた。
少しだけ開けておいた窓から入る薄暮れの風が、淡色の花柄カーテンを
小さく揺らしている。

子供部屋にしては大きめの出窓が、リコの一番のお気に入りだ。
窓を大きく開け放して、少ししっとりした部屋の空気の入れ替えをした。
そっと目を閉じてみる。頬を髪の毛を、柔らかい風が優しく撫でてゆく。
 
 
坂の下の街並みが一望出来るこの出窓からの景色を眺めるのが、一日の
中でリコの一番安らぐ時間だった。
小学5年の時に引っ越してきてから高校2年の今まで、毎日欠かした事
はない。友達とケンカして落ち込んだ時も、親に叱られて泣いた夜も、
リコはいつもこの出窓からの景色を見ていた。
 
 
その時、『リーーコーー! ご飯よーー!』 階下から母の声がした。
 
 
 
 『着替えて、すぐ、いくーぅ!!』 
 
 
 
ドアを開け階下へとそう一言返して、脱いだ制服ブレザーをハンガーに
掛けた。ベッドの上に置いていたカバンを机の上に上げようと手を伸ばし
絵本が入った茶色い紙袋が目に入る。
 
 
 
 (あの人・・・ そんなにこの本、探してたのかな・・・。)
 
 
 
また本屋での出来事を思い出していた。
紙袋にじっと目を落としていると、再び母の声が。
 
 
 『リーコー!! 先に食べちゃうわよーー!!』
 
 
 
 
 
 
リコの家族は、専業主婦の母ハルコと6歳下の弟リク。
父親は単身赴任中で離れた街で暮らしていて、一緒にいられるのは年に
数日程度だった。

母ハルコはワイドショーネタにご執心で、毎日毎日夕飯時には芸能人の
ゴシップネタをリポーター顔負けに報告してくる。
リクはそんな母を鬱陶しがる年頃のようで、最近二人は言い合いばかり
しているが、リコはそんな二人をなだめたり仲裁したりしながらも、
家族との平和なひとときを心地良く思っていた。
 
 
 
 
 
 『姉ちゃんてさぁ~、ダイエットとかしたりしないわけ?』
 
 
リコが口いっぱいにコロッケを頬張っている姿に、リクが呆れた様に
半笑いで頬を歪めた。
 
 
『ァ、アンタに関係ないでしょっ!!』 思わずムっとして言い返す。
しかし関係ないと言った割には、なんだかバツが悪くて口からコロッケを
離し食べかけのそれを皿の上にさり気なく戻した。
 
 
そんな様子を横目に、リクは握った箸で指揮をするようにユラユラ揺らす。
 
 
 
 『普通、姉ちゃんぐらいになるとぉ

  カレシとかぁ~、ダイエットとかぁ~・・・?

  イロイロ、モロモロ。気にするモンだと思うんだけどねぇ~。
 
 
  ・・・弟として心配だねぇ~・・・。』
 
 
 
 『・・・・・・・・・・・・・・・・。』 
 
 
 
言い返す言葉もない。ぐうの音も出ないとはこの事を言うのか。

すると、すかさずハルコが口を挟んだ。
 
 
 
 『リコは丁度いいじゃない!

  ・・・お母さん、ガリガリな女の子嫌いよ。』
 
 
 
そう言うと、食べかけコロッケを戻した皿をツツツと指先でリコへと
滑らせ ”食べなさい ”と目で合図する。
 
 
 
 ( ”丁度いい ”、かぁ・・・。)
 
 
 
ハルコの必死のフォローが余計ツラい。

そう言えば周りの友達は、大体みんなダイエットしたり食べ過ぎない様
気を付けている事をふと思い出す。
 
 
彼氏がいるとかいないとか、付き合ったとか別れたとか、告白したとか
フラれたとか・・・ 学校では連日そんな話題が飛び交っていた。
 
 
母のコロッケをモリモリ完食している場合じゃないのかも、と内心落ち
込むリコだった。
 
 
 

■第4話 あの人の姿

 
 
 
翌日、リコは学校のお昼休みになんとなく周りを見渡してみた。
 
 
女の園であるリコが通う女子高のクラスメイトは、殆どがリコより小さい
お弁当箱だったり、サラダだけの子、ダイエットドリンクだけの子、
8等分にカットしたリンゴをもぐもぐとかじっている子もいた。

悔しいけれど弟リクに言われた一言をリコは思いきり気にしていた。
一緒にお弁当を食べている友達のナチに、ボソボソと口ごもりながら昨夜
の話をしてみる。
 
 
 
 『ん~・・・ まぁ、言えてるんじゃない?

  ・・・だって、リコ。 好きな人とかいないでしょ?』
 
 
 
ナチは片手に掴んだフォークでお弁当のウインナーをツンツンと刺しながら
他方の手で頬杖を付き半身に傾げてリコを眇める。
 
 
 
 (そ・・・そんなに私って、

  好きな人の一人もいない空気が出てるわけ・・・?)
 
 
 
 
 『きっと、私が思うに・・・

  リコは好きな人が出来たら、一発で変わるタイプだねっ!
 
 
  こぉ~・・・ なんてゆーの?

  ”まっしぐら ”ってゆうかぁ~・・・ ”盲目 ”的な?』
 
 
 
ナチがなんだか自信満々に言い放つ。

そんな事いうナチだって、中学からの付き合いだけれど恋愛経験が豊富
なんて話は聞いたことがないというのに。
 
 
正直、”一発で変わる”の意味がリコにはサッパリ分からない。

それっていいのか悪いのか。
カレシが出来た途端に女友達と疎遠になる、なんて話も聞いたことある
けれど、そういう類の事を言っているのか。もしそうなら自分はそんな
タイプではないのにと内心かなり心外の至りだ。
 
 
今までだってそりゃ人並みにいいなって思う人ぐらいいなかった訳では
ない。しかしドラマやマンガであるような ”その人を想って眠れない ”
とか ”心臓が苦しい ”とか、そういうのは経験したことがなかった。
失恋ぽい感じに泣いた事もあったけれど、今思えばそんな自分に酔って
いたと言えなくもない。
 
 
リコは頬杖を付きパック牛乳をストローでズズズと飲み干して、大きな
溜息をついた。
 
 
 
 
 
 
放課後。お昼のナチとの遣り取りをぼんやり考えながら、リコは真っ直ぐ
家に帰る為、学校校門前のバス停からバスに乗車した。

商店街に寄ったら、おやつか何か買ってしまいそうな気がしていた。
仮にそんな現場を弟に見られでもして、連日クドクド嫌味を言われるなんて
たまったものではない。
 
 
定刻より3分遅れてバスがゆっくりとバス停に滑り込む。

午後4時前のバスは学生ばかりだったが、座席には座ることが出来た。
二人掛けのイスの窓側に座り、窓の外をなんとなく眺めていた。
いつもの見慣れた街並みの中、友達同士で乗車した女の子たちの笑い声
が楽しげに響くバスは小さく揺れながらも安全運転で進む。
 
 
このバスもいつもの商店街を通り過ぎる。

まだ夕飯の買い物には少し早いのか、買い物客はまばらな様子だ。
道路脇に上がった ”お得デー ”の黄色い幟に、今日は商店街の安売日
だった事を思い出し、夕方頃には混雑するだろう事をぼんやり考えつつ
本屋の前をバスが過ぎようとした、その時。
 
 
 
 
 
  あの時のあの人が、見えた・・・

  ・・・見えたような、気が、した・・・
 
 
 
 
 
咄嗟にもっとよく見ようと窓から頭を出そうとしかけ、当然開いていない
窓ガラスに思いっきり額を強打して、車内にゴォオンという音が響いた。

一瞬の事だったので本当にあの時のあの人かどうかなんて分からない。
でも、あの本屋で、あの絵本コーナーで、あの人らしき背中で。
 
 
 
 (もしかしたら、まだ絵本を探しているのかもしれない・・・。)
 
 
 
窓ガラスに強打した頭で、何度も何度もさっきの映像を思い返す。
とっくに通り過ぎた本屋の方向を、バスの窓に張り付いて見つめた。

見えるはずもない本屋の、確かにいたかどうかも分からない姿を探して。
 
 
また、心のモヤモヤが再発した・・・
 
 
 

■第5話 再会

 
 
 
リコはあの日以来、あの人が本屋にいないか探していた。
 
 
何故そんな事をしているのか、リコ自身よく分からなかった。
譲ると言えなかった後ろめたさか、はたまた彼の必死さへの罪悪感か。
それとも、いまだ絵本を探しているかもしれないあの人への同情?
ハッキリ言って、リコにそんなこと律儀に心配する義理は全くないはず。

そんなの自分が一番よく分かっている。
 
 
 
 でも。 どうしても、どうしても。

 ・・・どうしようもなく、気になる・・・。
 
 
 
買い食い防止の為に商店街に寄らぬよう学校校門前から乗車していた
バスはあの日以来乗らなくなった。
用もないのに遠回りして商店街をわざわざ歩き、本屋の前を通り過ぎる
時は店の奥の奥まであの人がいないか探す日々が続いた。

本屋店主が苦い顔を向けるくらいそれを連日続けると、仕舞にはわざと
らしくハタキで埃を払う仕草で店の外に追い出されたりもした。
 
 
しかしそれでも、もうあの人の姿をそこに見付けることは無かった。
 
 
 
 (もう諦めたのかも・・・。

  それか、他のトコで見付けたのかな・・・。
 
 
  もしかしたら・・・

  最初っから、そんなに大切じゃなかったのかもしれないし・・・。)
 
 
 
本屋の前を通るだけで少し緊張して肩に力が入り、硬くなっていた自分に
リコは正直疲れ始めていた。
日を追うごとに、最初ほどの使命感のようなものも段々薄れてきていた。
 
 
 
 
 
 
それは、久しぶりに放課後ナチと学校に残ってのんびりお喋りしたある日。

商店街まで歩くのももう面倒なので、家が反対方向のナチに校門前で手を
振って別れるとすぐ学校前から出るバスに乗った。
日が暮れかかっている時間帯で、目映い橙色のそこにはバスを待つ生徒も
殆どいない。
 
 
ゆっくりと夕焼けの色が滲む街並みを、バスは進む。

窓から差し込む夕陽の温かさと心地良い振動に、少しウトウトとまどろみ
かけていた。
ゆったり走るバスは静かに停留所に滑り込み停まると、また次の停留所へ。
 
 
薄目をあけて、ほんの少し窓の外へ目をやった時・・・
 
 
 
 
 
   あの人がいた・・・。
 
 

 
 『ぉ、降りますっ!!!』 

動揺しすぎて前の座席に膝をぶつけつつ、大声を上げて車内前方へ走った。

『次から早目に降車ブザー押して下さいね。』との運転手の声も、殆ど
リコの頭には入ってこず、おざなりに空返事をする。
降車口で慌ててカバンから定期券を出して提示し礼もそこそこに、本屋を
少し過ぎたあたりで下車した。

そして、本屋へ向かって過ぎた道を猛ダッシュで引き返す。
 
 
 
 (バス、降りたはいいけど・・・ どうしよう・・・。)
 
 
 
繰り返す自問自答。
答えなど出はしないけれど、とにかく、どうしても、行かなきゃ・・・。
 
 
 
あの人は、あの日と同じように絵本コーナーに佇んでいた。

少し猫背の痩せた背中は本の背表紙を人差し指でなぞりながら、注意深く
タイトルを追っている横顔。
やはりまだ、あの絵本を探しているのかもしれない。
 
 
 
 『ぁっ・・・ っあの!!!』
 
 
 
第一声、完全に声が上ずった。

走って息が切れてるだけではない、それ。心臓が口から飛び出しそうな程
バクンバクンと跳ね上がり、有り得ないほどに緊張している事を思い知る。
 
 
 
 『・・・。 ぇ? はい??』 
 
 
 
声を掛けられたのは自分か否か、少し周りを見渡しそしてキョトンとした
顔でその人はリコに目を向けた。
 
 
リコのカバン持ち手を握る手にぎゅぅっと力が入り、俯いてきゅっと唇を
噛み締める。
 
 
 
 (やっぱ・・・

  ・・・声なんて掛けるんじゃなかった・・・。)
 
 
 

■第6話 会話

 
 
 
急に知らない女子高生に話し掛けられ、彼は驚いていた。

声を掛けたはいいが次の言葉が出ないリコは、ただただ肩をすくめ俯いて
内股の自分のローファーの爪先を見つめる。
 
 
 
 (私のことなんか、覚えてるはずもないよね・・・。)
 
 
 
いつまで経っても顔を上げられず、モゴモゴと唇端を動かすのみで要領を
得ない。話し掛けられた彼も、リコの方へ向けた顔を戻していいのものか
じっと次の反応を待っていた。
 
 
ゴクリ。リコがひとつ大きく息を呑んだ。
意を決すも俯いたまま、蚊の鳴くようなか細い声が喉を震えてこぼれる。
 
 
 
 『ぁ、あの・・・。

  ・・・絵本。 
 
 
  もしかして・・・ まだ探してるんですか・・・?』
 
 
 
彼が暫しポカンとした顔で、リコを見る。

目の前でガックリとうな垂れたままの女子高生が発した言葉の意味を、
ゆっくり咀嚼するように考え巡らせていた。
 
 
すると、
 
 
 
 『あぁ!あん時の・・・。 1歩早かった子かぁ~・・・。』
 
 
 
そう言うと、またあの時と同じ顔をして彼が笑った。

やっと状況が理解できスッキリしたような面持ちだが、やはり泣いて
しまいそうな困り果てたような顔で笑う。
 
 
 
 『なんか・・・ 大事な絵本なんですか?

  最後の一冊、私、買ってっちゃったから・・・。
 
 
  も、もしも。 ヤじゃなければ・・・

  ・・・譲ります、私。 あの絵本・・・。』
 
 
 
所々言葉に詰まりながら、リコはなんとか言い切った。
 
 
 
 (ああ、偉い! 今更だけど、譲るって言えた!!)
 
 
 
ここ数日ずっと胸に痞えていた言葉を言うことが出来てそれだけで
もう満足で、下げていた顔を上げると初めて真っ直ぐ彼へと向き合った。
 
 
そんな、やけに真剣な表情を向けるリコに、
 
 
 
 『 ”1歩早かったチャン ”は、大事じゃないの~?

  ・・・なんか、すっげぇ、嬉しそうに抱えてたじゃん?』
 
 
 
彼が、少しだけ背を屈め覗き込むように頬を緩める。

あの日、通路にしゃがみ込んで一人ニヤニヤしていた事を思い出すリコ。
今更ながら恥ずかしい。それでなくても他人の目を過剰に気にする年頃だと
いうのにあの時の自分は完璧不審者ではないか。
 
 
 
 『あの。 アレ・・・ 子供の頃に、大好きだった絵本で・・・

  ・・・でも。 でも、もし・・・ 必要なら・・・。』
 
 
 
リコのか細くも真剣な言葉を聞いて、彼は少し黙って考え込んでいた。
その顔は眉間にシワが寄っているからきっと考え中なのだろうけれど、
やっぱり困ったような情けない顔に見える。
 
 
すると、彼が目を細め柔らかく微笑んだ。

その薄くて形のいい唇の口角が嬉しそうにキュっと上がり、一瞬周りの
空気がやさしいものに変わったような気さえする。
 
 
 
 『・・・じゃぁさ・・・

  ・・・1週間でいいから、貸してくんない?』
 
 
 
 
 (・・・・・・・・・・。)
 
 
 
リコの耳に、予想だにしていなかった ”貸す ”という二文字。
 
 
しかし貸すと言っても、今日は絵本を持ち歩いてなどいない。

どうしていいのかオロオロし口ごもるリコを余所に、彼は背中に回して
いたキャメル色の斜め掛けボディーバッグを手前に持ってくると、
ファスナーを開けてその中からゴソゴソとケータイを取り出した。
 
 
 
 『連絡先、教えるから。』
 
 
 
 
 (!!!!!!!!っ

  れれれれ連絡先・・・???)
 
 
 
リコは思ってもいなかった急展開に、全く以って頭がついていかない。

急速に心臓がバクバクと早鐘を打ち、頭に血がのぼったようにカッカと
全身が熱くなってゆく。
 
 
 
 (ど、どうしよう・・・

  ヤだ・・・ きっと、私。 真っ赤になってる・・・。)
 
 
 
中学卒業後、今の女子高に入学して殆ど男の子とは接点が無い日々で。

普通に会話するのでさえかなり戸惑うくらいなのに、よく知りもしない
男の人相手に、一足飛びどころか棒高跳びでもする勢いで連絡先の交換
なんて、世慣れしていないリコにとっては戸惑い以外の何物でもなかった。
 
 
 
 (どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう・・・。)
 
 
 
 
リコがあからさまに一人脳内パニックに陥っていたその時、何処からか
幼い子供の声が響いた。
 
 
 
 『コーチャンせんせぇええええええ!!!』
 
 
 
パニック状態真っ只中のリコも、さすがに何事かと顔を上げ周りを見渡す。

ふと店外に目を遣った先に、商店街の中通りを挟んだ向かいの道路で叫んで
いる男の子の姿が見えた。
こちらの方を向いているように見えるけれど、あの子は誰に叫んでいるの
だろう。書店内にいる誰かへと向けられている気がするのだが。
 
 
 
すると、 『あっ!! たっく~~~ん!!!』
 
 
彼が笑いながら大きく手を振って、道路向かいの男の子に返事をした。
 
 
 

■第7話 彼の名前

 
 
 
彼は、もの凄く優しい顔をして向かいの道路の子供へ大きく手を振った。

それはまるで友達のような、兄のような。
否、なんだか父親のような・・・?
 
 
リコは、男の子が呼んだ名前を反芻する。 ”コーチャン先生 ”
 
 
 
 (この人、先生なの・・・?

  どう見たって大学生ぐらいにしか見えないのに・・・。)
 
 
 
  
 『たっく~ん! ママはどうしたぁ~~?』
 
 
彼は負けず劣らず大きな声で、車道を挟んで子供に話し掛けている。
 
 
 
 『ママ、いま、やおやさんで買い物してるぅ~~!』
 
 
 
負けじとその子も大声を張り上げて返事をした。
 
 
その二人の遣り取りを、ただその場で棒立ちして見ていたリコ。
何がなんだか分からないまま、リコだけ一人ポツリ取り残されたままで。

彼は男児に向けた微笑み顔のままリコにチラリと目を遣り、話途中で放置
したままだった事に気付くと少し慌てたように説明をした。
 
 
 
 『この先に、ひまわり保育園てあるの知ってる? 公園の向かいの。』
 
 
 
突然なんの脈絡もなく問い掛けられたその話に、リコは訝しげな表情に
ならぬよう繕う。
 
 
 
 (知ってるけど・・・ 保育園が、なんなの・・・?)
 
 
 
すると、彼は続けた。 『実家なんだわ、ウチの。』
 
 
 
 『実家っ??』
 
 
 
 (ぁ・・・

  だから ”絵本 ”
 
 
  ・・・という事は、この人・・・ 保育士・・・?)
 
 
 
パチパチとせわしなく瞬きだけ繰り返すリコへ、彼は照れくさそうに。
 
 
 
 『ぁ。 でも別に、先生でも保育士な訳でもないんだけどね~
 
 
  当たり前にいつも周りに子供がウジャウジャいる環境で、

  なんか、勝手に ”コーチャン先生 ”とか呼ばれてんの・・・
 
 
  ・・・ちょっと、ハズいんだけどねぇ・・・。』
 
 
 
そう言って、また困ったような顔で優しく笑った。
その顔をまじまじと見ていたら、思わず一言リコの口をついた。
 
 
 
 『・・・ほんとの、名前は・・・?』
 
 
 『コースケ。 ナナミ コースケ。』
 
 
 
 (・・・・・・・・・。)
 
 
 
 『コースケ・・・さん・・・。

  ・・・だから、”コーチャン先生 ”・・・。』
 
 
 
”コースケさん ”より ”コーチャン先生 ”という呼び名がこの人には
あまりにピッタリで、思わず肩をすくめてクスっと笑ってしまった。
 
 
 
 (・・・コーチャン・・・先生・・・。)
 
 
 
心の中でもう一度呟き、目を細め手の甲を口元に当ててクククと微笑む。
 
 
すると、彼はリコの黒髪セミロングの頭を軽くほんの少しだけ手の平で
垂直チョップした。
 
 
 
  ズビシッ!!
 
 
 『ちょ。 ・・・今、バカにしたろぉ~? 

  笑ってんじゃないよ~ぉ!!
 
 
  ・・・で?
 
  そっちの名前は? ・・・ ”1歩早かったチャン ”』
 
 
 
リコの頭頂部に、その大きくゴツいチョップの手を当てたまま。
 
 
 
 『・・・タカナシ リコ、 です・・・。』
 
 
 
ただ自分の名前を言うだけの事なのに。

口から出た17年間言い慣れているはずのたった数文字が、やけにあつく
熱を帯びてリコの喉を通った。
触れたままの彼の手の温度が、微かに頭や髪に伝わっていたからだろうか。
真っ赤になっていたらと思えば思う程、どんどんそれが急加速しそうで
真っ直ぐ前を見れなくなっていた。
 
 
 
 
 『ほんとに、あの絵本貸してもらっていい?』
 
 
 
そう言って、コースケがケータイを差し出し画面にアドレスを表示した。
 
 
 

■第8話 ナチ

 
 
 
 『えええ!!

  なにそれなにそれっ?!
 
   
  ・・・それって・・・ 付き合うことになった、って事ぉ?!』
 
 
ナチが大声でやたらと滑舌よく興奮気味にまくし立てた。
 
 
ひとつの机でナチと二人、お弁当を広げるいつものお昼休み。

ザワザワ騒がしい昼食タイムの喧騒の中、ナチのよく通る甲高い声が
教室中に響き渡った。
周りのクラスメイトも、ナチの声に少なからず反応してチラチラと
こっちを見ている。
 
 
  
 『ど・・・どこをどう解釈したらそうなるのよっ!

  た、ただ・・・

  本を、貸すって、だけで・・・
 
 
  ・・・その為に・・・ アドレス、を・・・。』
 
 
 
 『リコ!! アンタ、馬鹿じゃないのっ?!

  普通、気のない子にアドレスなんか教える訳ないじゃっ!!』
 
 
 
普段から比較的声が大きいナチだけど、今日は一段と激しい。

大袈裟に身振り手振りを加えながら、うっとりと何処か遠くを見つめ
ナチは一人、完全に悦に入っている。
 
 
リコはそんなナチを一瞥し、私たち女子高生は普段男の子との接点が
少ないだけに、きっと共学の子よりも想像力とか妄想力が過剰に発達
していくのだろう、と自虐的に顔をしかめた。
 
 
すると、ナチが鼻息荒くリコに言い放つ。
 
 
 
 『リコ!!!

  きっと、絵本借りるなんて口実だよっ!!

  ・・・次会うときは、実質デートよっ! デ・エ・トっ!!!』
 
 
 
ナチのあまりに全く根拠ない勢いに圧され、仕舞いにはなんだかリコも
そんな気になりかけ、しかし声を掛けたのは自分の方だという事に気付き
一人かぶりを振る。

その前にアドレスの交換をしたはいいけれど、コースケからの連絡を待て
ばいいのか、こちらから連絡したらいいのか。
そこからして、もう、どうしたらいいのか全く分からないリコ。
 
 
たかが連絡ひとつ取ってみても不慣れで経験皆無な自分自身に嫌気を感じ
つつふとナチを見ると、リコのケータイを勝手にいじっている。
 
 
 
 『ちょっと!! それ、私のケータイ・・・。』
 
 
 
するとナチは、『善イソっ!善イソっ!』と意味不明な事をブツブツ呟き
ながら、勝手にリコのケータイでメールの文章を創作しはじめていた。

奪い返そうといくら腕を掴んでも引っ張っても、ナチは器用にリコの腕を
すり抜けて中々取り上げられない。

困り果てたリコがゴツンとナチの腕を小突くと、自信作とばかりに胸を張
り『コホンっ』とひとつ咳払いをして完成した文章を読み上げたナチ。
 
 
 
 『 ”はじめて あったときから きに なってました~ ”』
 
 
 『ちょっと、バカっ!!

  ケータイ返してよ!! 
 
 
  ・・・なにが ”善は急げ ”よ、まったく・・・。』
 
 
 
格闘技の技の掛け合いのようにして、やっとの事でナチからケータイを
奪い返すと、ナチ作のとんでもない文章はキレイサッパリ消去した。 
 
 
 
 『だって~・・・ 気になってたのはホントの事でしょ~?』
 
 
 
強く握り締めるケータイのリコの手の甲を、ツンツンと意味ありげに
つついてナチは若干納得いかなそうな顔を向ける。
 
 
 
 (そりゃ、そうだけど・・・

  ”気になる ”の意味が・・・
  
 
  確かに、気にはなってたけど。 

  別に・・・ 好き、とか・・・ そうゆうんじゃ・・・。)
 
 
 
リコは心の中でブツブツと繰り返す。

少し頬を赤く染め眉根をひそめているリコへ、からかってすっかり面白
がっていたナチが、ポツリ一言小さく小さく呟いた。
 
 
 
 『・・・応援するからさっ。』
 
 
 
 ( ”応援 ”か・・・。)
 
 
 
たったこれだけの事で、こんなにドキドキしたりソワソワしたり。
ケータイを握り締める手が少し汗ばんでいて、なんだか照れくさくて。
 
 
コースケの困ったようなあの笑顔を思い出していた。
 
 
 

■第9話 鳴らないケータイ

 
 
 
それからというもの、リコは何処にいる時も何をする時もケータイを肌身
離さず持ち歩いていた。

常にぎゅっと握り締めるケータイはリコの手の平の中でしっとりと汗ばむ。
授業中のマナーモードにしている時も、もしかしたら振動音に気付かなか
ったかもと、10分置きにカバンの中のケータイが点滅していないかを
チェックした。
 
 
しかし、一向にコースケからの連絡は無かった。
 
 
忙しくて都合がつかないのか。
リコから連絡すべきなのか。
すっかり忘れてしまっているのか。
ただ、ちょっとからかわれただけだったのか。
 
 
日に日に、ネガティブになっていく。

悪い方悪い方にばかり考えは陥り、それでも一縷の望みを託すように新着
受信メールを日に何度も問い合わせる。そんな願い虚しくそれは ”0件 ”
という現実を呆気なく突き付けた。

毎朝ナチから入る ”連絡あった?チェック ”も、段々憂鬱に思えていた。
次第にナチもそんなリコの様子を察し、あまり訊いてこなくなっていた。
 
 
すごい勢いで舞い上がったかと思ったら、奈落の底まで叩き付けられる。
かなり大袈裟ではあるけれど、経験値の低いリコにはそんな気分だった。
 
 
鳴らないケータイを、ただボ~っと眺める毎日だった。
 
 
 
 (私から、いつ頃がいいですかってメールしてみようかな・・・。)
 
 
 
電話で直接会話するわけではない。

リコにとって電話はハードルが高すぎる。電話番号も一応交換したけれど、
コースケからも来るとしたらメールだろうし、もし万が一にでも着信なんか
あろうものならリコの心臓は爆裂に早打ちして破裂しかねない。
 
 
 
 (メールだったら都合いい時に読めるし、返事も出来るし、
 
 
  ・・・無視だって・・・

  ・・・しようと思えば、簡単に出来るし・・・。)
 
 
 
ただ1通メールすればいいだけの事。簡単な事だって分かっている。
最初はお決まりの挨拶をして、たった一行の用件だけ打込めばそれで済む。

分かっている。
分かってはいるけれど・・・あと1歩の勇気が出ない。
 
 
自室のベッドに仰向けに寝転がり、相変わらずぎゅっと強く握り締めていた
ケータイを勉強机の上に置くとリコは小さく気合いのガッツポーズをした。
お風呂に入ってしっかり覚悟を決めて、それからメールしてみようと決心し
ていた。
 
 
ミルク色の入浴剤が入ったお湯に、アゴまで浸かる。

浴室の小さな窓から覗く月をながめていたら、気付かぬうちに溜息が落ちた。
お湯が小さく小さく波打つ。まるでリコの心臓の鼓動に揺らいでいるように。
 
 
 
 (このお風呂を上がったらメール・・・

  上がったらメール・・・上がったらメール・・・

  上がったらメール・・・上がったらメール・・・上がっ・・・。)
 
 
 
  
 『リコー? お風呂ながすぎじゃない? 大丈夫なの~??』
 
 
 
 (あれ・・・

  ・・・やけに遠くに・・・ お母さんの、声・・・?)
 
 
 
 『リコ?リコー?!

  ・・・ちょっと大丈夫? 真っ赤じゃないの、リコ??』
 
 
 
お湯に入り過ぎて、のぼせてゆでダコ状態になってしまったリコ。

メールのことを悶々と考え過ぎてゆうに2時間は経過していたらしく、
母ハルコがそれに気付いて浴室のリコに声を掛けたのだった。
 
 
バスタオルでグルグル巻きに覆われたリコは、母と弟に両脇支えられて
2階の部屋まで運ばれた。
ベットに横になるとのぼせた額をタオルで冷やされ、リコの真っ赤な顔を
うちわで扇いでくれている母のぼんやりとしたシルエット。
 
 
思考回路が完全に停止していた。
ただただ、気分が悪かった。
 
 
 
そんなリコを余所に、机の上のケータイが小さく振動して光っていた。
 
 
 

■第10話 メール

 
 
 
微かな肌寒さに気付いて目が覚めた、午前4時。
 
 
お風呂でのぼせて部屋まで運ばれたのを、回らない頭で思い出していた。

まだ薄暗い部屋にふと目をやると、窓辺のカーテンが少し風に揺れている。
カーテンの隙間から次第に白んできた空の気配が差し込む。わずかに窓が
開いているようだ。
 
 
ふと机の上で、薄暗がりの中なにか小さい光が点滅した。
ゆっくり慎重に体を起こし立ちあがって、その光の方へ手を伸ばす。
 
 
点滅の光、それはケータイ。
 
 
 
  ”新着メール受信1件 ”
 
 
 
物音ひとつしない薄暗い部屋で、ケータイの画面をじっと見つめていた。

小さく吸って吐く呼吸の音だけが、静まり返った部屋に響く。
その小さな光は、チカチカとまるで急かすようにリコの胸に迫る。
 
 
まだメールの相手は分からない。
 
 
ナチがメールをくれただけかもしれないし、迷惑メールかもしれないし、
登録してるショップのメルマガかもしれない。

違うかも、違うかも、違うかも。願う相手ではないかもしれない。
 
 
 
 
  ピッ・・・
 
 
 
 
 ◆From:コーチャン先生

 ◆Title:こんばんは
 
 
 
(どうしようどうしようどうしよう・・・

 来ちゃった来ちゃった。ほんとに来ちゃったよ・・・

 ヤだ・・・ 嘘。 ヤじゃないけど、じゃないけど・・・。)
 
 
 
リコは送信相手の名を確認すると、少し震える指先でメールを開いた。
その目の奥はじんわりと熱くなり、鼓動が一気に高まって息苦しい程。
 
 
 
 ◆連絡が遅くなってごめん。

  ここんトコ学祭の準備で忙しかったもんで。
 
 
  絵本借りる件、今度の土曜とかどうでしょうか?

  もし良かったら学祭に来てみない?

  俺、焼きそば屋やってるから。

  お礼も兼ねておごります。(焼きそばだけどねw)
 
 
  友達と一緒でもいいし、もちろん彼氏と来てもいいから。
 
 
 
 
 『 ”彼氏と来てもいいから。 ”』
 
 
無意識のうちに、最後の一文を小さく呟いていた。
薄暗い部屋の中で、これでもかと言わんばかりに肩を落とす自分がいた。
 
 
 
  ”彼氏と来てもいいから。 ”
 
 
 
何を浮かれて期待していたのだろう。
この出会いで、なにかがスタートするとでも思っていたのだろうか。

ちっとも、なんとも、ほんの少しも、想われてないに決まっているのに。
たとえ、 ”彼氏 ”がいようがいまいがコースケには関係ない。
それに、コースケにだってきっと素敵な彼女がいるに違いないのだ。
 
 
免疫がない自分の、一人よがりで勝手な妄想だったに過ぎないのだとリコ
は嘲るように小さく笑った。
乾いたカサカサの笑い声が静まり返った部屋に虚しくこぼれ落ちる。
 
 
少し目が覚めた気がした。

そして同時に、こんなにもガッカリしている自分に驚いていた。
こんなにも ”気にしていた ”自分に。
 
 
しかし、絵本を貸す約束は約束だ。最初に切り出したのは自分だしそれは
今更こんな事で反故にはしたくなかった。
ナチでも誘って学祭には行ってみようと思っていた。純粋に楽しいかも
しれないし、もう一度会って ”別になんとも想ってなどいない ”と確認
出来るかもしれない。 ”気になっていた ”のは絵本の件だけなのだと。
 
 
メールの返事はこんな時間では迷惑だろうから、後で送ることにした。

次第に夜が明けてきている。
空が白んできている様子がカーテン越しにハッキリ分かる。
 
 
なんとなく、もう寝られそうになかった。
出窓の窓枠にもたれかかり、少しカーテンを開けて空を見ていた。

ふと、玄関先に滑り込んできた自転車の姿。新聞配達のおじさんだ。
もう5時近いようだ。
 
 
 
 『今日も、天気よさそう・・・』
 
 
 
そう、ひとりごちて、ひとつ小さく溜息をついた。
 
 
 

■第11話 リコとナチの本心

 
 
 
『えー、まぁ、そうゆう訳で。

 当たり前だけど、コレっぽっちもナンっとも思われてないし、

 ”恋する乙女ごっこ ”は終わりにしたからっ!
 
 
 ・・・ってゆうか、別に私も最初からそうゆうんじゃないし・・・
 
 
 でも!でもっ!! ナチも一緒に学祭には行こうよ!! 

 ・・・ねっ?』
 
 
 
努めて明るく、気にしてないフリをしてナチに報告したリコ。
必死に明るく振舞えば振舞う程なんだか痛々しい感じになっているのを、
リコ本人は気付いていない。

ナチはただ黙ってそんなリコの話を聞いていた。
 
 
 
 『・・・リコがいいなら、いいよ。 学祭一緒に行こう!』
 
 
 
笑顔で伝えたナチ。

机の下で組んだ指先をカリカリと掻き毟り、どうしても歯がゆさが滲む。
リコに言いたいことは山ほどあったが、それは敢えてぐっと飲み込んだ。
 
 
 
 ( ”彼氏と一緒でもいいよ ”って言われただけじゃない!

   そんな一言ぐらいなんだっていうの?

   なに、そんなしょーもないこと気にしてんの??)
 
 
 
ナチは黙ってリコの背中を見つめた。
真一文字に噤んだ口の端が苛立ちにきゅっと強張る。

そして、密かに決意していた。
 
 
 
 (諦めたりなんかするもんですか! 私がなんとかしてみせる!)
 
 
 
そんなナチの気持ちも知らず、リコはリコでコースケの事を考えていた。
考えないよう考えないようにとすればする程、頭の中を占領するあの笑顔。
 
 
本当に全て無かった事にするには、もう接点を持たない事が一番で。

メールに返信しなければいいだけの事。きっとそうすればコースケもリコ
の気が変わったと察し、二度と連絡してこないだろう。
 
 
正直なところ ”絵本を貸す ”なんていうのは、もう今となっては口実だ。
逢わなければ自然にコースケのことは考えなくなる。あの本屋を通りかかる
時にほんの少しの懐かしい胸の痛みに微笑むくらいになるはずなのだ。
 
 
それでも、本音を言えば。
 
 
 
  やっぱり、もう一度逢いたい。

  逢ったら、もっと。 今よりも、きっと・・・
 
 
  でも、もう一度。 あの、困ったような情けない笑顔を見たい・・・。
 
 
 
リコもナチも互いに本心を隠して、なにも気にしていないなんでもないフリ
をしていた。
 
 
 
 
 
約束を明日に控えた、金曜の夜。

リコは自室のベットの上に何枚も何枚も洋服を出しては胸元に当て、鏡に映
して合わせていた。
眉根をひそめて小首を傾げ、納得いかない顔で次の洋服を掴んで合わせる。
”誰に見せる訳でもないけど ”という言い訳は、自分に言って必死に自分
で誤魔化した。
 
 
すると、『姉ちゃーん?』 廊下から弟リクの声がした。
 
 
『なに?』 少しだけ開けた部屋のドアから頭だけ出して、用件を訊く。

ハサミを借りに来たリクが、ドアの隙間からチラリ見えた散乱する洋服に
目ざとく口を挟んだ。
 
 
 
 『やっぱ、スカートだよね。 

  なんだかんだ言っても、可愛い系がいいよね。』
 
 
 
”なんだ ”も ”かんだ ”も知りもしない小学5年生の頭を思いっきり
グーで殴って、ハサミだけ押し付けるとリクを部屋から追い出した。
 
 
そして、ベッドの上のそれに目を落とす。
 
 
 
 (このスカートにしよう・・・)
 
 
 
小さな花柄の淡い水色のスカートを目の高さに上げ、呟いた。
 
 
 

■第12話 学祭のはじまり

 
 
 
約束の土曜日は、気持ちよく晴れて真っ青な空が広がっていた。

それはあまりに澄み渡って美しくて、心の奥に秘めたことなどいとも
簡単に見透かされてしまいそうな程で。
 
 
リコとナチは駅前で待合せて合流し、約束の13時に大学正面玄関前で
コースケの姿を待った。
落ち着きのなさが露呈しないよう、こっそり深呼吸をして必死に平静を
装うリコ。しかしチラリと横目で確認するとナチまでもが何故かソワソワ
しているように見えた。
 
 
もの凄い人でごった返す賑やかな校内。

ハッピを着た人、派手なフェイスペインティングをした人、着ぐるみの人。
色とりどりに飾り付けられた校舎にあちこちから響いている笑い声。
リコ達の女子高の学祭とはまるで違う大人っぽさに、二人は思わず気後れ
して不安そうに目を向け合った。
 
 
心許ない視線で、それでもリコは必死にコースケを探す。
 
 
こんな人混みでも、すぐコースケを見付けられるような気がしていた。
まだ、たった2回しか会ってはいないけれど、脳裏にはあの笑顔。

リコは少し爪先立ちで背伸びをして、雑踏の奥に目を凝らす。
道路脇に並ぶ屋台テントの陰に、風船を配るピエロの奥に、チラシを配る
人の背後に。
 
 
すると、向こう側から小走りでこちらに向かって来るエプロン姿が見えた。
 
 
 
 (来た・・・。)
 
 
 
それは、1ヶ月ぶりのコースケの姿。

焼きそばのソースらしきシミが付いたエプロンをして、あの困ったような
笑顔で辺りをキョロキョロと見渡している。
 
 
 
 (探してる・・・
 
 
  私はすぐに、コーチャン先生を見付けられるけど

  コーチャン先生は、私を見付けられずに探してる・・・
 
 
  私は・・・ すぐには、見付けてはもらえないんだ・・・。)
 
 
 
そんなの分かり切っていた事だったけれど、改めてリコは痛感していた。

期待などしたって意味がないと頭では分かりつつも、心はほんの少しの
希望を欲する。胸の奥がきゅぅっと締め付けられ熱を帯びた。
 
 
 
 『コーチャン先生っ!!!』
 
 
 
泣きそうな顔を慌てて大袈裟に笑顔に変えて、大きく大きく手を振った。
その声にナチも慌ててリコの視線の先を目で追う。
 
 
 
 『すぐ分かった?』
 
 
 
慌てて小走りしてやって来たコースケが、腰に手を当て少し体を屈めた。
そして、柔らかく頬を緩める。
 
 
 
 (あぁ・・・ この笑顔・・・。)
 
 
 
 『ちゃんと、分かりましたよ!

  ぁ、えーと・・・ 今日は、友達のナチと来ました。』
 
 
 
リコの紹介に、コースケとナチが挨拶を交わす。

コースケは持ち前の人懐こい雰囲気で、ナチに対してもリコへのそれと同じ
笑顔を向け歓迎の意を表した。
そんなの当たり前のことだけれど、どこか、ちょっと、胸が痛む。
 
 
 
 『さっすが先生!! エプロン似合いますね~!』
 
 
 
手を伸ばせば触れられそうな位置に立つ目の前のコースケに、リコはドキ
ドキする潤んだ瞳をごまかす為、少し大袈裟に声を上げた。
それは本当に似合うからそう言っただけだったのだが、コースケはまた
リコの頭頂部を全然痛くない垂直チョップをしてニヒヒと笑う。
 
 
 
 『オイ、JKっ!! まーた、バカにしてやがんなっ!!』
 
 
 
ナチが目の端でチラッとリコを見て、なにか言いたげな顔を作り俯いた。
 
 
 
 
 
 
二人はコースケに案内されて、例の焼きそば屋へ向かう。

高校生らしき姿も結構多かったが、やはり大学の学祭。
賑やかさも集う人達もどこか大人びていて、なんだか雰囲気が違う。
 
 
連れて行かれた屋台の焼きそば屋には、コースケの友達らしき数名が店番を
していた。
お客はまばらで繁盛はしていなそうだったけれど、そんな事はどうでも良さ
そうだった。愉しそうな笑い声が鉄板の香ばしい焼き音と共に響いている。

コースケが簡単に友達を紹介した。
みな同じ大学の2年らしく、高校の時から一緒だという。
 
 
 
 (高校生のコーチャン先生って、どんなだったんだろ・・・。)
 
 
 
リコはふと気付くとそんな事ばかり考えている自分に、一人、呆れて小さく
笑った。
 
 
 

■第13話 リュータとリカコ

 
 
 
コースケが、特に仲が良く親しいリュータとリカコを二人に紹介した。

気さくなリュータ・リカコに対して、少し緊張してかしこまった挨拶を
交わすリコとナチ。
 
 
手持無沙汰で少し視線を泳がせたリコが、コースケのソースだらけの
エプロンを指差して言った。
 
 
 
 『コーチャン先生が、焼きそば作ってるんですか?』
 
 
 
なんだか大学生男子が着けるにはそぐわない可愛いキャラクターが描かれ
たエプロンの、飛び跳ねたソースの茶色いシミがまるで模様のよう。

すると、『 ”コーチャン先生 ”・・・?』と、リュータとリカコが同時
に声を合わせどこか訝しげに呟いた。
 
 
一瞬できた不思議な ”間 ”。
 
 
なんだか少し重い二人の声色に、リコは先日商店街で園児からそう呼ばれ
ていた話をした。
 
 
『タクヤに会ったんだよ、商店街で。』 コースケはいつもの穏やかな
口調でリュータ・リカコのそれなど何も気にしていない顔で返す。
 
 
 
 『・・・・・・・へぇ。』 
 
 
 
やけに意味ありげな重苦しさを含んだ感じのリュータとリカコ。

再び、言葉に出来ない妙な空気が流れていた。
リコは不安げに二人へ視線を向けると、リュータもリカコもなにか濁して
いるような思い詰めた顔をして目を伏せていた。
 
 
 
 (話しちゃダメなことだったのかな・・・。)
 
 
 
訳も分からぬまま、二人の顔色を伺いリコは俯いて眉根をひそめていた。
 
 
 
 
 
 
するとそんな場の空気など何も気付いていないコースケが、リコとナチに
学祭の案内をかって出た。
 
 
 
 『せっかく来たんだから、見てまわりたいでしょ~?

  昼ごはんは??

  食べてきてないよね??』
 
 
 
コースケの口から出るそれがあまりに呑気で柔らかくて、瞬く間に重かっ
た空気が一変し、なんだかホっとするリコ。
それと同時に、案内してもらえる事に内心素直に喜んでいた。
 
 
ふと、ナチにも同意を求める目を向けると、
 
 
 
 『私、焼きそば焼く方やりたいから。 二人で行って来て!』
 
 
 
あからさまな作戦でリコをコースケと二人にしようとするナチ。

それが ”作戦 ”だという事はすぐさま気付いたリコだったが、恥ずかし
い反面やはり正直嬉しかった。きゅっと口をつぐんでこっそり息をつくと
ナチのそれに気付かないフリをして、コクリと大きく頷いた。
 
 
『じゃ、ちょっとまわって来るわ~。』 リュータ・リカコ・ナチに声を
掛け軽く手を上げて進むコースケの少し後ろを、リコは照れくさそうに頬
を緩め歩き出した。
 
 
その場に残された三人。

ナチは優しく目を細めリコに小さく手を振りながら ”リコ頑張れよぉ!”
と心の中で呟く。
 
 
すると、
 
 
 
 『!!!っ。 うぐぅ・・・ くくく苦しい・・・!!!』
 
 
 
それは、コースケとリコの姿が学祭の喧騒の奥へ消え見えなくなった途端
のこと。背後に立っていたリュータがナチの首元へと腕を回し、ヘッドロ
ックをかまし締め上げた。

突然のそれに目を白黒させてナチはリカコへと助けを求める視線を向ける
もそれを助けるどころか、ナチの両頬をつねって両端へ伸ばしはじめる。
 
 
 
 『ななななナンなんですかぁ~~~、 や~~め~~て~~~』
 
 
 
訳も分からず、されるがままのナチ。

つぶれたカエルのような情けない顔でジタバタと足掻くも、二人掛かりで
攻撃されて為す術も無い。
 
 
すると、終始無言でグリグリとナチを締め上げていたリュータが口を開く。
 
 
 
 『余計なコトすんなっつーの!

  犠牲者を増やすなっ! カシューナッチめっ!!』
 
 
 
そこへ、リカコも続く。

つねっていたナチの頬を今度は手の平でぎゅぅっと押し潰すと、唇がタコ
のように突き出る。
 
 
 
 『コースケとくっ付けよう、なんて思わない方がいいから。

  ・・・ねぇ? ああゆーの、やめときなさい。』
 
 
 
急に強引に詰め寄られて、ナチの頭の中は ”? ”でいっぱいだった。

なぜ、なぜ、なぜ。
何故、リコとコースケを近づけてはいけないのか。何か理由があるのなら
それを知らされないままで納得なんて出来ない。
 
 
 
 『どーゆう意味ですか?

  ちゃんと説明してくんなきゃ、納得出来ませんっ!』
 
 
 
ヘッドロックにもがきながら、ナチが目を眇め強い口調で言った。
 
 
 

■第14話 オモイビト

 
 
 
リュータとリカコは、ナチを学祭で使っていない教室がある校舎へ連れて
行った。

”関係者以外立ち入り禁止 ”の貼り紙があるその先は、学祭の喧騒が
嘘のように静まり返り、なんだか空気がピンと張り詰めたように感じる。
 
 
無言で先をゆく二人の背中を見つめながら、ナチはこれからどんな話を
聞かされるのか怖い反面どこかドキドキする。
 
 
 
 (コースケさんにどんな秘密があるってゆうの・・・?
 
 
  ま、まさか・・・

  ・・・ゲ ・・・ゲイ、とか?)
 
 
 
すると、誰もいない事を確認したとある一室の扉を静かに開け、中に促した
リュータが振り返って呟いた。 『あの子、コースケが好きなんだろ?』

『まぁ。誰が見たって分かるけどね。』 と、リカコも続く。
 
 
どこか諦めたような沈んだ二人の声色に、ナチはどんな ”事情 ”があるの
か急かすように話をせがんだ。
リュータが小さく息を吐き机のヘリに腰掛けて背を丸めると、ポツリポツリ
と話しはじめた。
 
 
コースケは ”ある人 ”の事をもうずっと長いこと、想い続けていること。
その人以外へはコースケの気持ちが動くことなどないということ。
今までもコースケへ想いを寄せる子を見てきたが、皆同様に傷ついていった
こと。
 
 
 
 『コースケは ”残酷 ”だからね・・・

  それに、み~ぃんな勘違いして惹かれて

  ・・・結局は、みんな傷つくのよね・・・。』
 
 
 
リカコが言う。浅く腰掛けたイスに背をあずけ、首を反って教室の天井を
ぼんやり見つめて。ユラユラと揺らすパステルカラーのポインテッドトゥ
パンプスの爪先が、窓から差し込んだ光に反射しなんだかキレイで切ない。
 
 
ナチには言われたその意味がよく分からなかった。

あんな優しそうなコースケの、どこが ”残酷 ”なのか。
あからさまに理解出来ていないしかめっ面を向ける。
 
 
するとリカコがそんな様子を横目でチラリと見て、寂しげに笑った。
 
 
 
 『 ”凶器 ”だから、ある意味。 あの無自覚な優しさはね・・・

  根っから優しいのよ、コースケは。 みーんなに、優しいの。
  
 
  ・・・嫌な言い方するとね? 
 
 
  ”子供 ”にも ”年寄り ”にも。 ”犬 ”にも・・・。』
 
 
 
 (・・・リコだけじゃなく、誰にでも、ってこと・・・?)
 
 
 
ナチは、瞬時にリコの顔を思い出していた。

頭をチョップされて、真っ赤になっているリコを。
コースケの優しい笑顔に、嬉しそうに俯くリコを。
 
 
 
 『で、でも・・・

  その、ずっと想ってる人とは別に付き合ってないんでしょ?
 
 
  ・・・なら。 いつかは、コースケさんだって・・・。』
 
 
 
ナチは眉根をひそめ、凄い剣幕で食い下がる。
リカコに掴みかかる勢いでまるで乞うように、まるで祈るように。
 
 
 
 (あんなリコ見たのはじめてなんだもん・・・
 
 
  だから。 どうしても、どうしても・・・

  ずっとあんな風に笑っててほしいよ・・・。)
 

  
 
 『・・・とにかく。

  カシューナッチから、それとなく匂わしとけ。
 
 
  深みにハマってからじゃ、ツラいのあの子だぞ。』
 
 
 
そう言ってリュータはナチの肩をその大きな手でトンとひとつ叩いた。
 
 
見た目は正直少し軽そうなのに意外とイイ人だななんて、ナチはチラっと
横目でのぞき見て思った。リカコも、そのキレイな外見から一見怖い人か
と思ったけれどサバサバしていて男っぽくて凄くイイ人で。
 
 
ナチはコースケの件は別として、この二人と知り合えた事を心から嬉しく
思っていた。
 
 
 
そんな事など、全く知るはずないリコだった・・・
 
 
 

■第15話 5人

 
 
 
コースケに案内され、賑やかな大学の中をゆっくり歩くリコ。
 
 
お祭りで誰もかれも皆一様に笑顔だ。
うるさいくらいのBGMも気にならない程のそんな無敵の笑顔のパワーに
圧され、なんだかリコまで嬉しくなり自然に頬は緩んだ。
 
 
それに、すぐ斜め前にはコースケの背中がある。
勇気を出して手を伸ばせたなら、それに触れることだって可能なその距離。
 
 
リコより頭ひとつ背が高い、痩せたコースケの姿。

黒い髪の毛はきっとなにも整髪料は付けていないのだろう。少しだけ伸びた
うなじがクセ毛なのか微かに流れを作っている。
 
 
大学2年という事は、リコより3歳年上という事だ。
たった3年という年月が、月と地球ほどに途方もなく遠く感じた。
 
 
すると、コースケが立ち止まってクルリと振り返った。
眩しそうに目を細め、またしても眉尻が下がってどこか情けない顔で。
 
 
 
 『なんか食べたいモンな~い?

  今日はコーチャン先生が、どーんとおごっちゃうよっ!!』
 
 
 
いたずらな子供のように口角を最大限上げ、ニカっと笑う。
 
 
『かき氷は? ぁ、綿アメもあるよ?』 矢継ぎ早なそれが、まるで園児
扱いされているみたいでリコにはそれが恥ずかしい反面嬉しくて胸の奥が
くすぐったい。
 
 
 
 (コーチャン先生が・・・ 

          ・・・好き、 かも・・・。)
 
 
 
はじめてこの言葉が、リコの心の中に広がった。

今まではこの的確な2文字を敢えて考えずにいたけれど、それはまるで
水面に広がる波紋のように、静かに、ゆっくり、ゆっくりと。
リコの心に小さな小さな波を立ててゆく。

その波の揺らぎに照れくさそうに目を伏せると、心は小さな火が灯った様
にぽっと温かくなり頬はさくら色に染まった。
 
 
 
二人は大学の中庭のベンチに腰掛け、一休みしていた。

瑞々しい青葉を広げる桜の樹が心地よい日陰を作り、爽やかな涼風が微妙な
距離を開けて並んで座るリコのほんのり染まった頬を撫でてゆく。
 
 
リコはトートバッグを膝の上に乗せると、中から絵本を取り出しコースケへ
渡した。
 
 
コースケも子供の頃からこの絵本を知っていたという。
昔から保育園にあった絵本なのだが、長い間たくさんの子供たちに愛されて
ボロボロになり、数年前に処分したがやはりまた読みたくなったのだと。
 
 
 
 『子供たちに読ませてあげたいなぁ~と思ってさ。

  ずっと探してたんだよね~。』
 
 
 
互いに、絵本のこのシーンが好きとか、あのシーンがどうだとか時間を忘れ
て話をしていた。それでも、絵本を指すコースケの人差し指のキレイに整え
られた爪にいちいちドキドキし、身を乗り出したその大きな肩先がわずかに
触れた感触に心臓はきゅっと跳ね上がる。

気が付けばリコは呼吸を止め、ガチガチに肩に力を入れてコースケの隣に
座っていた。
 
 
ふと、焼きそば屋に残してきたナチの事を思い出したリコ。もう時計の針は
ゆうに2時間は進んでいた。

二人で焼きそば屋へ戻ると、ナチがソースで汚れたエプロンをして赤い顔で
必死に焼きそばを焼いている。リュータに焼きヘラの返し方を厳しく指導さ
れリカコに意味も無く苛められながら。
 
 
 
 『な、なんか。 あの3人・・・ 意気投合したぽくない?』 
 
 
 
3人の様子を眺め、コースケとリコが顔を見合わせて肩をすくめてクククと
笑った。
 
 
 
 
 
その後は、みんなで駅前のファミレスに移動し大いにしゃべり笑った。

殆どが初対面だなんて思えないくらい、5人は急速に仲良くなってゆく。
6人掛けテーブルの一方に、コースケとリュータ。他方にリカコ・リコ・
ナチが座り、注文した食事の皿など当に空になっているのにいつまでも
ドリンクバーをお代わりし続け、周りの客が何周入れ替わったか分からな
い程に愉しい時間を過ごした。
 
 
みんなで腹を抱えて笑い合う合間合間にも、リコは目の端でチラチラと
コースケを盗み見ていた。

そんなリコを、ナチはなんとも言えないモヤモヤ感を抱きながらこっそり
見ていた。

そんなリコとナチを、リュータとリカコが溜息まじりに遠く眺めていた。
 
 
 
ただ一人、コースケだけが脳天気に困ったような顔で笑っていた。
 
 
 

■第16話 楽しい時間

 
 
 
ファミレスで時間を忘れて盛り上がっていた、5人。

笑い声が交ざり合う中、リコのカバンの奥にあるケータイがけたたましく
鳴った。
 
 
 
 『あっ!! お母さんからだ・・・

  ・・・ってゆーか、もうこんな時間?!』
 
 
 
慌ててカバンから取り出し見つめた画面には ”自宅 ”との着信表示がある。
母ハルコからいまだ帰宅しないリコへ心配する電話が入ったのだ。

普段そういう所はキッチリしているはずのリコが、遅くなるという連絡を
するのすら忘れるくらい楽しい時間だったという証拠だろう。
コースケはきちんと気遣ってあげられなかった事を申し訳なさそうな面持ち
でケータイの向こうの母親に謝っているリコを見つめる。
 
 
リコのそれを目の当たりにして、ナチも慌てて家へ電話を入れた。

ナチのケータイにも自宅から何度か連絡があったのだが、それにも気付かず
にいたようだった。一人っ子のナチは、多少過保護な両親がファミレスまで
迎えに来ることになった。
 
 
リコの母ハルコは自動車の運転免許がない為、もうバスの終電も逃した今は
家まで暗い坂道をひたすら歩いて帰らなければならない。母からは電話で
こんな時間だからタクシーにでも乗って帰って来なさいと言われていた。
 
 
すると、リカコが言った。
 
 
 
 『リュータ、おんなじ方向なんじゃない?

  リコちゃん送ってあげればいいじゃん。』
 
 
 
クイっと顎を上げて、それは提案というよりは命令のような口調で。

それを聞いてコースケが『いや、俺が・・・。』と言いかけた。
一応、初対面のリュータに任せるのは申し訳ないと気を遣ったのだろう。
 
 
しかし、リュータはグラスの中のもう氷が溶けて薄まるだけ薄まったアイス
コーヒーをストローで豪快にズズズと吸いながら、手をひらひら振って遮る。
 
 
 
 『コースケはすぐそこだろ、家。

  おっけー、おっけー。 俺が、送る送る。』
 
 
 
その遣り取りにリカコとナチが、一瞬目を合わせる。

ナチはなにか言いたげな視線だったが、リカコは目を眇めてその刹那視線を
逸らしてしまった。
 
 
 
 
 
ナチの親が迎えに来るのを待ってそれを見届けた後、リカコは軽く手を
上げてすぐ近所の自宅へ素っ気ない程にアッサリ背を向け帰って行った。

コースケ・リュータ・リコは、いつもの商店街を通って公園の方向へと
3人で歩いていた。バス停がある公園の斜め向かいが、ひまわり保育園。
コースケの自宅だ。
 
 
リコは今日一日の楽しかった時間を思い返していた。

たった一日の間に起こったこととは思えない程、楽しいこと・嬉しいこと
が多すぎて脳内の処理機能が追い付かないのではと心配してしまう。
 
 
  
 (またこうやって、みんなで会えたらいいのにな・・・。)
 
 
 
臆病なリコには決して口に出して言うことが出来ないそれを、心の中で
繰り返していた。なにか理由や口実がなければ ”また逢いたい ”なんて
言えるリコではない。歯がゆさに相まって寂しさまで顔を出していた。
 
 
すると、『じゃ、また! リュータ、リコちゃん頼むな。』 そう言って
手を振ると、コースケは道路を横切り保育園の裏手へ入って行った。
 
 
 
 ( 今・・・

  ”また ”って、 言った・・・?)
 
 
 
リコは応える様に遠慮がちに小さく小さく手を振りながら、コースケが
言ってくれた ”また”という一言に思わず動けなくなった。

少し潤んだ瞳で、痩せたその後ろ姿をずっと見つめ続ける。
コースケの姿が見えなくなってもまだ、その場から動かず、ずっと。
 
 
どのくらい見つめていたのだろう。

『ぅおいっ!!』 リュータがリコのお尻を膝で軽くキックした。
 
 
リュータの存在などすっかり忘れるくらい、瞬きも忘れてコースケを目で
追っていたリコ。暗闇でだって分かりそうなその染まった頬をチラリと
横目で見て小さく溜息をついたリュータは、『ほら、帰んぞぉ~』とリコ
を促した。
 
 
リュータもコースケと同じように人見知りしない親しみやすいタイプで、
二人でいても全く気を使わせない相手だった。明るいし、話も面白いし、
まるで今日初めて会った人だなんて思えないくらいだ。リコはリュータが
大好きになっていた。
 
 
暗い夜の坂道をいろんな話をしながらのんびり歩く。

等間隔で並ぶ街灯だけがぼんやり明るい。住宅街の家々のカーテンから
漏れる明かりも細くて静かなものだ。
 
 
話をしてみて、実は意外に二人の自宅が近いことが判明した。
リュータは高校から実家を離れ、今は一人暮らしをしていること。
そしてコースケ・リカコとの、いろんなエピソード。
 
 
二人の靴底がアスファルトに擦れる音と愉しそうな笑い声だけが、星が瞬く
キレイな夜空に真っ直ぐ吸い込まれていった。
 
 
 

■第17話 動き出してしまった想い

 
 
 
  ♪~・・♪♪♫~・・・♫
 
 
静まり返った夜の住宅街。突如、リコのケータイが着信のメロディを奏で
慌ててカバンから騒がしいそれを取り出す。

それはよく耳にするラインではなく、メールが来た合図だった。
 
 
 
 ◆From:コーチャン先生

 ◆Title:お疲れちゃ~ん
 
 
 
 (ぇっ・・・ うそっ!!!

  こんなすぐに、メール・・・?!)
 
 
 
ケータイを両手で大切に包むように見つめる舞い上がったリコの隣で、
小さく小さくマナーモードの振動音がくぐもる。

リュータがお尻のポケットで震えるそれを手に取り、メールの送信相手を
チェックしてリコの浮かれる様子をチラッと横目で見た。
 
 
 
 『イマドキ、メール送ってくるヤツなんて一人しかいねぇし。
 
 
  ・・・コースケだろ?
 
 
  ったく、頑なにガラケー変えねぇんだよなぁ~・・・

  まぁ、アイツらしいよ・・・。』
 
 
 
コースケは、今夜5人全員にメールを一斉送信していた。
 
 
 
 ◆今日はほんとに楽しかった!!

  またこのメンバーで集まろうよ

  じゃ、おやすみ~
 
 
 
みんなで連絡先を交換し合ったその直後に送信したメッセージは自分一人
へだけ送られたのではないのはちょっと寂しいけれど、でもこんな些細な
気遣いでさえさり気なく出来てしまうコースケを、リコはやはり改めて素
敵だなと強く想ってしまう。
 
 
 
 (コーチャン先生・・・。)
 
 
 
ケータイを掴んだ手を胸に押し当てると、心臓の鼓動がコトリコトリと
薄く硬いアルミ合金に伝わり、たった数行の文章ですらじんわりと熱を
持って染み渡った。
 
 
 
 
 
リュータと二人、笑いながら喋っていたお陰であっという間に自宅へ到着
した。リュータに送ってもらったお礼を言って、リコは静かに家へ入る。

玄関内の小窓から外をのぞくと、更に坂道を上がってゆくリュータの背中
がどんどん小さくなっていった。
 
 
怒って居間からズンズンと小走りで駆けてきた母ハルコに小言を言われ、
リコは軽く謝りそれをいなしながら足早に2階の自室へ上がる。
 
 
窓を小さく開けっ放しにしていた部屋はちょっと肌寒かったが、レースの
カーテンを開けて満天の星空を見上げた。
今夜は星が降ってきそうなくらい、たくさん。
 
 
今日一日の出来事を、最初から最後まで思い返す。

ひと欠片も取りこぼすことの無いよう、大切に大切に胸にしまい込む。
ケータイを開き、コースケからの短いメールを読み返した。たった数行の
それが嬉しくて愛おしくてなんだか鼻の奥がツンと痛い。ほんのり熱を
おびた頬に、すっかり更けた夜のそよ風が心地よい。
 
 
 
 (コーチャン先生・・・ 次はいつ逢えるのかな・・・。)
 
 
 
リコは俯きながら、ケータイを握るその両手で胸をギュっと押さえた。

胸がキュンとなる痛がゆいような感覚を、生まれて初めて感じていた。
 
 
 

■第18話 昨日のこと

 
 
 
翌日曜日、お昼を少し過ぎたあたりでナチから電話があった。
 
 
リコも昨日のことで話したい事がいっぱいあった。あまりに興奮状態で
昨夜は殆ど寝られないくらいだった。いくら目を瞑って布団を被っても
浮かんでくるあの笑顔、耳をくすぐるやわらかく低い声。心臓が早鐘を
打ち過ぎて壊れてしまうのではないかと不安になる程だった。

リコとナチ二人は、昨日のファミレスでお茶をしながら話しをする約束
をした。
 
 
午後3時、窓際の4人掛け席にひと足早くナチの姿があった。

この時間帯のファミレスは、休日だがまだ混雑はしておらずゆったりと
した空気が流れ、店員もなんだか手持無沙汰で少し退屈そうだ。
 
 
リコは軽く手を上げ合図して、ナチに駆け寄り席に着いた。
 
 
 
 『昨日は、ほんっと楽しかったねぇ~!』
 
 
 
ナチが満面の笑みで少し興奮気味に身を乗り出して話し始める。

飲み物を注文するよりも先にはじまった話に、リコもメニューをめくり
ながらもその話に集中してしまい、一向にオーダーが出来ない。

リュータのこと、リカコのこと、息継ぎも忘れたのかと思うほどにナチは
夢中になって話しをする。
 
 
リコもコースケに案内されていた時のことを話したくて仕方なかった。

嬉しそうに頬を赤らめながら、丁寧に細かくあの時のことをナチに話して
聞かせる。相手の打つ相槌なんか正直なところ無くてもいい程、まるで
ダムが決壊したようにのべつ喋りまくる。
 
 
散々喋り、ふとリコは不思議に思っていたことを何気なく口にした。
 
 
 
 『ねぇ、そう言えば・・・
 
 
  ナチって、リュータさん達と焼きそば屋に残った時、

  なんの話してたの?
 
 
  ・・・なんか、急激に仲良くなってたみたいだけど・・・。』
 
 
 
『・・・。』 リコからの質問に、ナチが途端に黙ってしまった。
きゅっと口をつぐみどこか緊張したような表情で俯く。
 
 
実は今日ナチがリコを誘った本当の目的は、昨日リュータ達に言われた
ことをそれとなく伝える為だった。

でも、こんなに嬉しそうにキラキラした表情でコースケの話をするリコに
どういう言葉で伝えたらいいのか。何をどうキレイな言葉を使ったって、
ショックを与えない訳ないのに。
 
 
ナチの胸がどんよりと重いもので沈んでゆく。
俯いたその視線の先には、膝の上で歯がゆそうにぎゅっと握り締めた拳が
映った。
 
 
 
 『リコ。 ぁ、あのね・・・

  昨日、チラッと聞いたんだけどさ・・・ コースケさんの話。』
 
 
 
腹を決めたナチがポツリと話しはじめた。

その声が少しだけ震えていることに、 ”コースケ ”という固有名詞に
浮かれるリコは気付いてなどいない。
 
 
 
 『えっ? ・・・なに? どんな??』
 
 
 
リコは前屈みになって身を乗り出す。

途端にパっと明るい表情になり、しかしなんだかナチの雰囲気から次第に
聞きたいような聞きたくないような、妙な期待と不安が込み上げた。
 
 
 
 『なんかね・・・

  コースケさんって、ほら、すっごい優しいじゃない?

  結構モテるらしいんだけど・・・
 
 
  でも・・・ 誰とも付き合ってない、みたいなの・・・。』
 
 
 
ここまで聞いて、あからさまにリコの顔が再びパッと明るくなった。
”彼女がいない ”という事実だけで宙に浮きそうなくらい嬉しい。
 
 
チラっとその顔を見て、ナチがうな垂れる。
所々詰まりながら、言いよどみながら、なんとか言葉を振り絞る。
 
 
 
 『で、でもね・・・

  なんか・・・
 
 
  ・・・ずっと・・・ ずっと、好きな人が、いて・・・
 
 
  誰とも付き合わないぽいって・・・ 聞いたんだ・・・。』
 
 
 
 (・・・・・・・・。)
 
 
 
リコのにこやかに上がっていた表情筋がゆっくりと下がり唇が噤まれる。

急激に真っ赤に染まった小さな耳が、まるでジリジリと音を立てて焼けて
ゆくようだった。
 
 
 
 『そ・・・ そう、なんだ・・・。』
 
 
 
やっと言葉を発したリコのそれは、少しだけ嗤った感じが混ざっていた。
勝手に期待して舞い上がり浮かれていた自分へのそれなのだろう。
 
 
それから2人は暫く黙りこくっていた。
ナチはなんてリコに声を掛けていいものか分からず、下を向いたままで。
 
 
ファミレスの賑やかな喧騒が、やたらと耳につく。

子供の笑い声と食器のぶつかる音とストローの啜り音と。
窓ガラス越しに、中通りを過ぎる車やバスの走行音が遠く響いている。
 
 
ナチは弱々しく視線を上げてテーブル向かいのリコを見つめる。

無責任に『大丈夫だよ』なんて言える訳ない。
でも『だから諦めなよ』なんて簡単に言えない。言いたくない。
 
 
 
ナチは真っ直ぐリコへと顔を向けると、正直な気持ちを話し始めた。
 
 
 

■第19話 ナチの思い

 
 
 
ナチは言葉を選んで、ひとつずつゆっくり話し始めた。
 
 
リュータとリカコが、リコが深入りする前になるべく傷付かないようにとこの話
をしてくれたこと。
ナチはそれを聞いて、どうリコに伝えたらいいものか悩んだこと。
大切なリコが泣く姿は絶対に見たくなどないということ。
 
 
  でも、やっぱり、出来るならリコを応援したいってこと・・・。
 
 
 
リコは、暫く俯いたまま一言も口をきかなかった。
小さく小さくついた溜息が震えて落ちる。
 
 
ナチがガバっと勢いよく顔を上げ、思い切って切り出した。
 
 
 
 『リコは・・・ どうしたい?
 
  コースケさんのこと・・・ 好き、なんでしょ・・・?』
 
 
 
今にも泣いてしまいそうに眉尻を下げたその顔は、まるで迷子の子供の
ように心許なくてちっぽけだった。
 
 
再び、リコは黙ってうな垂れた。

細い肩が呼吸に合わせて微かに上下しているだけ。
どのくらい時間が経ったのだろう。
それでもナチはリコを急かすことなく、ただ目の前に黙って座って待っていた。
 
 
すると、リコが泣き出しそうな弱々しい声で呟いた。
 
 
 
 『ナチ・・・

  ・・・私ね・・・

  自分から声掛けたりとかしたのって、初めてなんだよね・・・
 
 
  正直、すっっごい緊張したし・・・ 死ぬほど迷ったし・・・

  これでも、17年分の勇気振り絞って、頑張ったつもりなんだ・・・
 
 
  なにも無かったようになんて・・・ したく、ない・・・かなぁ。」
 
 
 
震えてこぼれたその声色に、ナチがリコを真っ直ぐ見つめてうんうんと頷く。
 
 
 
 『・・・勝手に好きでいちゃ、 ダメかなぁ・・・。』
 
 
 
消え入りそうな声でリコが呟き顔を上げると、ナチが目に涙をいっぱいに
溜めて哀しいほどに優しい顔を向けていた。
 
 
 
 (泣きたいのは私なのに・・・ なんで、先に・・・。)
 
 
 
 『ありがとね・・・ ナチ・・・

  ・・・これからも、イロイロ相談のってよね・・・。』
 
 
 
そう言うと、テーブルから身を乗り出してナチの手をぎゅっと握ったリコ。
するとナチはそのまま立ちあがり、テーブルを挟んで少し窮屈そうにリコの
細い体を抱き締めた。

周りの客が不思議そうにその光景をチラチラ覗き見る中、二人はハグをして
二人でちょっとだけ泣いた。
顔をうずめた互いの肩口が幼くも強い想いでじんわり熱くなっていた。
 
 
 
 
 
夕暮れ。ナチと手を振って別れ、家へ帰るリコ。

やはりどうしても足取りは重く、トボトボといつもの公園前のバス停まで
やって来た。時刻表を確認するも休日のこの時間帯のバスは本数が少なく
次のバスまで暫く時間がある。

何気なくふと目をやると、車道を挟んで向かいに見える保育園の建物。
 
 
思わず、リコは道路を渡って勝手に白色フェンスの隙間から手を差し込み
アーム式の鍵を開錠して保育園のグラウンドへ忍び込んでいた。

日曜はもちろん保育園も休みのため、ひと気は全くない。
静まり返ったそこは、いつもの賑やかな子供たちの姿がなくてカラフルな
遊具がなんだか寂しげにポツンと佇んでいる。
 
 
一瞬吹いた強い風に、砂埃が舞った。
砂が目に入って、顔を伏せて優しく目をこすった。
 
 
『コーチャン先生の、保育園・・・。』 下を向いたまま、小さく呟く。
ナチから聞いたコースケの話を再び思い出し、胸が不規則にざわめいた。
 
 
すると、
 
 
 
 『こらっ! 不法侵入で通報するぞっ!!』
 
 
 
背後から急に低音の怖い声がした。
リコは驚いて体が硬くなり恐る恐る振り返ると、そこにはニコニコ笑う
コースケの姿。
 
 
 
 『俺の部屋から見えたんだよ。 小さいから園児かと思った~!』
 
 
 
そう、からかってやけに愉しそうにケラケラ笑う。
耳障りのよい笑い声がまるでカスタネットの音色のように辺りに広がる。
 
 
 
 『し、失礼ねっ! 4歳児と一緒にしないでよねっ!!』
 
 
 
ツンと顎を上げ目を眇めてリコも言い返し、思わず笑った。

しかし上手に平静を装えているかどうか、自然に振舞えているかどうか、
声は震えていないか、本当は心配で仕方が無かった。
 
 
目の前には、コースケがいる。
優しくて温かくて困ったような顔で微笑む、コースケが。
 
 
 
 『もし時間あるなら、ちょっと保育園のぞいてく~ぅ?』
 
 
 
突然掛けられたコースケからの思ってもいない誘いに、リコはバスの時間
なんかどうでも良くなっていた。
 
 
 

■第20話 休日の保育園

 
 
 
コースケの背中に続いて、リコは保育園の横の路地から裏手へまわり裏口
をくぐった。

カラフルなチューリップがプランターに丁寧に植えこまれ、壁にはホウキ
や傘が立て掛けられ、なんだかその懐かしい雰囲気に思わずリコは目を細
める。
 
 
 
 (ここが、コーチャン先生の・・・。)
 
 
 
今日もコースケに逢えた感激と思いがけず保育園に入れた喜びで、リコは
思い切り浮かれ頬は高揚していた。

でも、喜べば喜ぶほど ”あの話 ”が頭をよぎる。
 
 
   ”ずっと、想い続ける人がいる ”
 
 
胸の中はチグハグな感情で気持ちの落としどころに迷い戸惑っていた。
 
 
 
 
 
コースケからスリッパを借りて、各教室をのぞいて回る。

静まり返った園内の少し高い天井に、二人のスリッパが立てるペタンペタン
という音が響き広がる。

さくら組・たんぽぽ組・チューリップ組・・・
壁には園児が描いた絵や、可愛いキャラクターの切り抜き。今月誕生日の
園児の名前などがカラフルに彩られた模造紙に貼り出されていた。
 
 
ふと、絵本コーナーの前でリコは立ち止まった。

小さいけれどきちんと整理された本棚には、昔からある有名な絵本が所狭
しと並べられている。
だいぶ子供たちに愛されてきたのだろう。背表紙が破れセロハンテープで
補修してあるものも多い。
 
 
リコはその場にしゃがみ込んで絵本を取り出した。1冊、また1冊と。
ページをめくる度になんだか心が温かくなって、自然に顔はほころびニコ
ニコしながら絵本を読みはじめた。
 
 
すると、
 
 
 
 『これ!これっ!!

  このデッカいホットケーキが、超ーぉ旨そうでさぁ~・・・。』
 
 
 
リコの肩越しに、後ろからコースケが腕を伸ばしてその開いたページを指す。
 
 
リコの右耳の当たりに、コースケの顔がある。
コースケの息が微かに耳たぶに掛かっている感触を感じる。
それは、今振り返ったら、肌に触れてしまいそうな距離だった。
 
 
リコは思わずギュっと目を瞑った。

心臓が異様なほど早くドク・ドク・ドク・ドクと鳴り響り、全身が太鼓の様。
自分の耳が一気に燃えるように熱くなってゆくのを感じていた。
 
 
無意識のうちに、喉の奥に力を入れ息を止める。
 
 
 
 (こんなの・・・ 苦しいよぉ・・・。)
 
 
 
そんなリコになど全く気付かず、コースケはリコの隣に胡坐をかいて座り
込むと絵本をめくり始めた。いつもの朗らかなニコニコ顔で夢中になって
それを読みふけっている。
 
 
ナチから聞いた、リュータとリカコが言っていた ”その意味 ”が、今、
ハッキリ分かった。

コースケのこういうところが ”残酷 ”と表現されるところなのだ。
こんな笑顔で、こんな距離で、二人きりで、なんとも想っていない子とも
接してしまう人なのだと。
 
 
うっかり気を抜いたら涙が溢れてしまいそうに動揺している自分に気付か
れぬようリコは慌ててコースケへと話し掛けた。
 
 
 
 『コーチャン先生って、兄弟とかいないんですか?』
 
 
 
すると、今まで太陽のように明るくニコニコしていたコースケの表情が
一瞬だけ曇ったように見えた。上機嫌に上がっていた口角がほんの少し
真一文字に噤まれたような。
 
 
 
 『・・いるよ。

  ・・・兄貴が、 一人・・・。』
 
 
 
コースケがたった数行のそれを、やけに含みを持たせてゆっくり呟く。

なんだか重い空気になり、リコは訳も分からず罪悪感で黙ってしまった。
なにか聞いてはいけない話だったのかと、ソワソワと落ち着きがなくなり
自己嫌悪に陥りかける。
 
 
そんなリコの沈んだ横顔に気付いたコースケが慌てて努めて明るく続けた。
 
 
 
 『すっっっげぇ出来のイイ兄貴でさぁ~
 
 
  頭はいいし、足は速いし、めちゃめちゃモテるし、

  生徒会長とか、ドコ行っても推薦されるタイプっつーの?
 
 
  俺みたいにヘラヘラしてなくてさ・・・

  ・・・まったく、何やっても敵わねぇの。
 
 
  ・・・俺は・・・ 何ひとつ、 敵わないんだぁ・・・。』
 
 
 
そう言うと、少し悲しげに嗤いながら遠くを見たコースケをリコは黙って
見つめていた。
 
 
 
 (コーチャン先生は、そのまんまでいいのに・・・。)
 
 
 
決して言えはしないその一言を、リコは心の中で呟いていた。
 
 
 

■第21話 ナチの恋?

 
 
 
その頃、ナチはケータイを片手に指先でメッセージを入力していた。
自室のベッドの上にぺたんこ座りをし、ほんの少し背中を丸めてポチポチと。
 
 
 
  ”私、リコに話したよ。

   ファミレスで2人で、ちょっと泣いた(笑)”
 
 
 
送信ボタンに人差し指で触れる。
小さな効果音が響き、それは相手へと届けられた。
 
 
ナチは、自分でも気付かぬうちになんだかやけにリュータに心を開いていた。
まるでいつものそれのように、至極慣れた遣り取りのように。

しかし、実際は初めてのラインを送信した。
 
 
 
 (ちゃんと読んでくれんのかなぁ~・・・ あの人・・・。)
 
 
 
すると、すぐにケータイが鳴った。
それはメッセージ受信のメロディではなく、電話の着信音。
 
  
 
 『・・・も、もしもし?』
 
 
 『俺だ、バカ。』
 
  
 
リュータからナチへの着信。
ラインをポチポチ打つのが面倒で、リュータは直接電話してきたのだった。
 
 
驚きすぎて電話口でシドロモドロになっているナチに、いつも通りの人懐こさ
で普通に会話をしはじめるリュータ。ナチも瞬時に緊張は解け、その居心地の
良いペースに自然にのまれていった。
 
 
ナチは今日のファミレスでの事をリュータに話す。

嬉しそうに声を上げたり、たまに涙ぐんで声を詰まらせたり、大袈裟に身振り
手振りをつけながら夢中になって話しをした。
そんなナチをリュータは所々からかってみたり、わざとらしくバカにして笑っ
たりしながらも、きちんと話を聞いてくれた。
 
  
 
 『まぁ、リコちゃんがそれでいいなら。

  周りはどーのこーのゆう事じゃないし・・・。
 
 
  つか、カシューナッチも頑張ったな!

  偉い偉い。 褒めてやるぞっ!!』
 
  
 
ナチはケータイを口許から少し離し、顔を背ける。
頬を緩ませて嬉しそうに小さく小さくクスっと笑った。

そして、低いトーンで言い返す。その顔は瞬時にツンと顎を上げ目を眇めて
真顔に戻して。

リュータが直接目の前にいる訳ではないのだから見られる事もないというのに
まるで嬉しそうに微笑んでいた顔を見られるのを必死に隠すかのように。
 
 
  
 『何・・・? 偉そうに。どっから目線よ?』
 
 
 
生意気な口調で言い返し、そしてまた二人で豪快に笑い合う。 
気が付くと、1時間くらい ”バカ ”だの ”アホ ”だの醜い罵り合いをしなが
ら夢中になって話していた。
 
 
すると、突然耳に響いたピ・・・ピ・・・という音にリュータが慌てそして笑う。
  
 
 
 『やべっ! しゃべり過ぎて充電切れるわー・・・。』
 
  
 
そう言うと、最後に一言ナチへと呟いた。
それは一際やわらかく優しい声で、ナチの小さな左耳へと届いた。
 
 
  
 『お前も、言うのキツかっただろうに・・・

  本当、えらいよ。頑張ったな。 ・・・またみんなで集まろな。』
 
  
 
リュータの声は、それでピーーと鳴って途切れた。

ナチは電話が切れても尚、体育座りをしたまま暫くケータイを耳にあてていた。
真っ赤に染まった耳の辺りに心臓が移動したのではないかと思う程、やけに耳元
でドクン・ドクンと鼓動が波打ち響く。
 
 
 
  ナチの心にも、なにか小さい光が灯された瞬間だった。
 
  
 
 (ぇ・・・

  なにこれ・・・ 私、どうしよう・・・。)
 
 
 
ナチはブツブツ呟きながら、ウロウロと狭い自分の部屋の中を歩き回る。
ケータイを両手で握り締め、俯いたり天井を仰いでみたり。

本当に今の1時間は現実のことなのか、ケータイ画面で着信履歴を確認する。
すると確かに ”着信:リュータさん ”と表示される。
 
 
ナチは急に恥ずかしくなって、ベットに思い切りバフっとダイブした。

顔が一気に熱くてカッカする。インフルエンザにでも罹ったかのように体も熱く
てなんだか胸の奥の奥の方が歯がゆくチリチリして落ち着かない。
 
 
うつ伏せで布団に顔をうずめ、呼吸を止めて考えあぐねる。
今度はゴロンと仰向けになり、ケータイの画面をもう一度表示する。
何度確認しても、そこには ”着信:リュータさん ”と。
  
  
 
 (ヤバイ・・・

  私までトラップにハマっちゃうじゃん・・・。)
 
  
 
さっきまでリュータの優しい声が響いていた左耳が、切なさに異常に赤く染まっ
ていた。
 
 

■第22話 突然の・・・

 
 
 
リュータは、ナチとの電話の後ずっとリコを気にかけていた。
 
 
リコを家まで送ったあの夜、保育園へと帰ってゆくコースケの後ろ姿を瞬きも
忘れて見つめていた横顔を思い出す。
コースケからのメールに頬を高揚させ、嬉しそうにケータイを胸に抱いていた
リコの涙ぐむ横顔を。
 
 
 
 (クソ真面目っぽい子だったよなぁ、あの子・・・

  やっぱ、落ち込んでんだろな・・・。)
 
 
 
リュータがやけにリコを心配するのには理由があった。

リュータには丁度リコ・ナチと同じ年の妹がいた為、世話のかかる実妹と面影
が重なりどうしても過剰に世話焼きになってしまう。
口ではからかったり色々言うが、実は心配性で思いやりがある人間だった。
 
  
 
 
 
 『・・・も、もしもし?! 

  ・・・ど、どうしたんですか・・・??』
 
  
ビックリし過ぎて思い切り声がひっくり返るリコ。
急にリュータから電話があったのだった。
 
 
ケータイに表示される着信相手の名前に、何かの間違いではないかと二度見し
ためらって即座には電話に出られなかったほどだ。

ラインではなく直接電話が来たことにリコは心底驚いていた。
 
  
 
 『花火しようぜぇ~! 花火、花火っ!!』
 
  
 
いまだ戸惑い顔でケータイを耳に当てるリコに、あまりにお気楽で自由奔放な
突然のリュータの言葉が響く。リコは、ただただポカンとするばかりで即座に
反応をすることが出来ない。
 
 
『ぇ・・・ いつ?』と、訊きかけたリコを遮ってリュータが急かした。
 
 
 
 『いいから、外っ!外っ!!』
 
 
 
訝しげに眉をしかめ、ケータイを左耳に押し当てたまま玄関のドアを開けると、
 
 
 
 『リュ、リュータさんっ?!!』
 
 
 
もう、既に居た。

リコの自宅の目の前に。
玄関先の段差に大股開いて腰かけて、ニカっと笑っている。
左手にケータイ、右手はピースサインを作って、傍らには花火が入ったコンビニ
のビニール袋があった。
 
 
リコは目をまん丸に見開いて、いまだケータイを耳に押し当てたままリュータを
見つめる。その口もポカっと開いたまま、更に驚きすぎて二の句が継げない。
 
 
 
 (・・・なんで? 家が近いから??

  そんなに花火がしたいの??

  ・・・って言うか、なんで・・・私??)
 
 
 
訊きたいことは山ほどあったが、あまりにあり過ぎて頭が整理出来ず何も言えな
くなったリコ。ただただ金魚の様に口をパクパクとし、その喉からは声が出ない。

すると、弟リクが何事かと玄関に出て来てリコの背後からリュータの姿を見付け
『カレシィ~?』と厭らしくニヤついた。その言葉を聞き漏らさなかった母ハル
コもリビングから慌てて駆け寄りヒョコっと顔を出す。興味津々顔を並べるオー
ディエンスに向け、リュータは呑気顔でペコリと会釈をした。
 
 
”カレシ ”という弟リクの吐いたワードに、リコだけやたらアタフタと取り乱し、
両手をブンブンと振り回して全否定して見せているというのに、リュータときたら
『ぁ、こんばんはー。』と、何も臆することなく人懐こい笑顔で夜の挨拶をする。
 
 
すると、ハルコが言った。
 
  
 
 『ねぇ、ご飯、食べた? まだだったら食べてかない??』
 
  
 
 (なななナニ言ってんのよ!お母さん。 もう意味わかんない・・・。)
 
 
 
しかし、一番意味が分からないのは誰でもなくリュータその人だった。
 
 
ハルコの発言にギョっとして目を見張るリコの耳に、
 
 
 
  『ぁ、じゃぁ。 いただきまーす!』
 
  
 
 (ええええええええええええええ???????)
 
 
 
 
 
まるで今までずっとそうしてきたかのように、まるで家族の一員のように、
リュータは4人掛けの食卓テーブルにつき、一緒に夕飯を食べていた。

リコ以外の3人は至って自然にこの不自然な状況をすんなり受け入れている。

リコだけが何がなんだか分からずポカンとした埴輪顔で今夜のこの謎のトリオを
呆然と見つめる。トリオの愉しそうな笑い声が三重唱となって天井に響いていた。
 
 
 
 (な、なんで・・・?

  なんでリュータさんがウチの食卓を一緒に囲んでるの?
 
 
  お母さんもリクも、

  てゆーか、リュータさん自身・・・ なんか妙だって思わないの・・・?)
 
 
 
リュータは持ち前の明るさと人懐こさで、騒がしい程よく喋りよく笑った。
 
 
そして、
 
 
 
 『おかーさん。 おかわり、いっスか??』 
 
 
 
遠慮の ”え ”の字もなく、人一倍よく食べた。
 
 
 
気付くとリコもお腹を抱えて笑っていた。
 
 
 

■第23話 何をしに?

 
 
 
 (ほんとに、何しに来たんだろう・・・。)
 
 
リュータが帰った後、リコはいつもの自室の窓辺で夜風に当たりながら今夜の
摩訶不思議なひとときの事を考えていた。
つい先程、リュータは『じゃ。』と軽く手を上げ颯爽と帰って行ったのだ。
 
 
夕飯の後は自宅前で弟リクと母ハルコも交えて花火をし、花火の後は母に勧めら
れるまま食後のお菓子を食べ、仕舞にはリビングに寝転がりテレビまで観ていた
リュータ。まるで自分の家にいるかのようなくつろぎ具合で、リビングでの馴染
み方といったら並みではなかった。
 
 
ハルコはそんなリュータをたいそう気に入った様子で、不自由な一人暮らしを気
遣って明朝用のおにぎりまで握って渡していた。

勿論、遠慮知らずのリュータはそれを断るはずもなく、『まじ? ラッキー!』
と子供みたいに満面の笑みで喜んで見せた。
 
 
リクに於いては、もう懐いて懐いてまるで兄弟のようで。

元々姉ではなくお兄ちゃんが欲しかったリクは、気付くと『リュータぁ~!』と
呼び捨てにしては何かとくっ付いて傍から離れず、リュータもそれを煙たがる事
なく兄のように友達のように上機嫌に接していた。
 
 
なにがなんだか全く分からなかったけど、今夜はとにかくお腹がよじれるくらい
笑った。

普段3人で暮らしていて充分賑やかだと思っていたのが、リュータが加わるだけ
で華やかさが2倍3倍にも跳ね上がったように思える。まるで照明器具を新品に
付け替えたかのような眩しいくらいの明るさだった。
 
 
それは、つい先日ファミレスで泣いたあの胸の痛みを忘れてしまうくらいに。
 
  
 
 (もしかしたら・・・

  ・・・心配して、わざわざ来てくれたのかな・・・。)
 
 
 
一言も ”あの事 ”に関することはリュータの口からは出なかった。

でもきっとリコの様子を見ようと、突然花火なんか持参してやって来たのだろう
と思うと胸の奥がじんわりと温かいもので満たされた。
 
 
 
 (なーんか不器用だけど、もの凄くいい人だなぁ・・・。)
 
 
 
素敵な人たちと出会えた事を、リコは心から嬉しく思っていた。

出窓から見上げた夜空は今夜も無数の星がキラキラ瞬いて、目を瞑っても瞳の奥
に残像がいつまでも残った。思わず、やわらかい溜息がひとつ零れた。
 
 
 
 
 
 
翌日、登校した朝の教室でナチに挨拶するも、なんだか何か言いたそうででも
中々言い出さない妙な雰囲気のナチがいた。
 
  
 
 『ナチ・・・? なんかあった??』
 
  
 
授業の合間の短い休み時間。

リコはナチの席に駆け寄り顔を覗き込むように訊いてみるも、ハッキリしない
曖昧な答えしか返ってこない。
いつもの快活なナチらしくないその様子に、リコは何かあったのではないかと
どんどん心配になっていった。
 
 
授業中もチラチラと自席からナチへと視線を送るリコ。ナチは俯いて机上で指
を絡ませ全く授業になど集中出来ていないのが見て取れる。

我慢出来ずにリコはコソコソと隠れてノートの切れ端に手紙を書いた。
 
 
 
  ‘なんか元気なくない?

   聞いてほしい話とかあったら言ってよ!’
 
 
 
ノートを破って小さく四つに折り畳むと、教師の目を盗んで隣席のクラスメイト
に『ごめん、ナチに。』と小声でそれを託す。
少し離れた席のナチまで、クラスメイト5人を介して手紙を回してもらった。

急に机の上に現れた小さなメモ紙にぼんやりしていたナチは一瞬驚き、開いて
読む。そして、チラっとリコの方を見ると机に向かい同じ様に何か書きだした。
 
  
 
  ‘今日の帰りまたファミレス寄れる?’
 
 
 
再びクラスメイトの手を巡り返って来たナチからの返事。
ナチの女の子らしい丸文字が、今日はどこか硬いそれに感じる。

リコはナチの方を向くと少し心配そうに微笑みながら人差し指と親指で小さく
”OKマーク ”をつくり合図をした。
 
  
 
 (私ばっか心配してもらって、

  ナチのこと全然気にかけてなかったかも・・・。)
 
 
 
ナチからの小さなメモ紙に目を落とし、リコはひとり心の中で反省していた。
 
 
 

■第24話 ヤキモチ

 
 
 
放課後、リコとナチはいつものファミレスにいた。

窓側の4人掛け席は先日ふたりで泣いたそこで、店員へ案内されリコは困った
ような情けない笑顔を浮かべ、しずしずと腰掛ける。
 
 
お互い無言でメニューを見つめいつものドリンクバーを注文し、1つだけ頼んだ
生クリームたっぷりのボリューミーなパンケーキは二人でシェアする。
 
 
ナチはずっと黙っていた。

そのなんとも言えない重い空気に、リコは必死に明るい話題をふってみる。
しかし、ナチは俯いたままで耳はどんどん真っ赤に染まってゆく。
まるで泣き出す寸前のような心許ない表情で、尚も、口をきゅっと噤んだまま。
 
 
  
 『ナチ・・・?』
 
 
 
優しく優しく呼び掛けるも、やはり返事はない。

その様子に、リコは無理に聞き出そうとせずナチが話したくなるまで待つ事に
決めた。ナイフでパンケーキを半分に切り分けると、ナチが手を伸ばし易い様
にフォークを差し出し皿の端に置いた。
 
 
向こうの席では子供連れの母親たちが、大きな声でしゃべって笑っている。
窓から見える車道は、まだ4時前だから渋滞などはしていなかった。
 
 
 
 (夕方の帰宅ラッシュの時間は、バス遅れるかな・・・。)
 
 
 
リコは窓の外を見ながら頬杖を付き、ぼんやりと頭の片隅で思った。
 
  
 
その時、ケータイのメロディがくぐもって響いた。
リコが設定している曲ではないという事は、ナチのそれという事で。

ナチが一瞬ビクっと驚き、慌ててカバンからケータイを取り出して画面を凝視
している。
 
 
そして、
  
 
 
 『リコ・・・ リュータさんと会ったんだね・・・。』
 
 
 
ナチのその言葉に、一瞬言われた意味が分からずほんの少しの間が出来た。
 
 
 
 『・・・ぁ。 今の、リュータさんから?』
 
 
 
ナチの様子がおかしかった事で今日一日頭がいっぱいで、まだその話をしてい
なかった事にやっと気付く。

リコは、リュータが律儀に心配して来てくれたのだろうという話をすると、
ナチは目を伏せ微かにひとつ溜息をついた。それは何かを考え込んでる様な
感じで、言おうとしていた言葉を胸の奥に飲み込んでしまったような表情で。
 
 
そして、
 
  
 
 『ほんっっと、あの人。 ああ見えていい人だよね~ぇ!!』
 
  
 
と、至極明るく話しだした。

まるで今しがたまでの沈んでいた様子が嘘のように、よく通る声を更に張って
胸の前で腕組みをして大袈裟に頷きながら。
リコにはそんなナチがどこか不自然にも見えたが、なにも言わずに黙っていた。
 
 
散々リュータのことを褒めたり、かと思ったらケチョンケチョンにけなしたり
した後、ナチがポツリと呟く。

それはまるでひとり言のように、小さく震えてこぼれた。
 
 
  
 『そっかぁ~・・・ 

  ・・・リコん家、訪ねてったんだ・・・。』
 
 
 
再び背中を丸めてうな垂れたナチの元々小柄な体が、増々小さくなる。

そしてテーブルの下でじっと見つめていた膝の上のケータイ画面を指先でスラ
イドすると、電源をオフにしてカバンの奥底に少し乱暴に押しやった。
 
 
 
  
 
その後は至っていつも通りのナチで、クラスメイトの話や物理の先生の噂話、
近付いてるテストの話などして二人で笑い合い、夕方に別れた。
 
 
ナチはリコに笑顔で手を振って背を向けた途端、下を向き俯いて歩く。

もう一度カバンからケータイを取り出して、リュータからのメッセージを読み
直す。それは、面倒くさがりなリュータらしいたった一文のメッセージ。
  
 
 
  ”大丈夫そうに見えたぞ、リコちゃん。 安心だな! ”
 
 
 
ナチはそのメッセージには返信しなかった。

きゅっと、つぐんだ口。少しひそめた眉根。せわしなく瞬きを繰り返す瞳は
まるでこぼれてしまいそうな涙を必死に誤魔化しているかの様で。
 
 
胸の中に言葉に出来ないモヤモヤしたものが渦巻く。
 
 
 
 (リュータさん・・・

  ・・・もしかして。 リコの、ことが・・・。)
 
 
 
焦りや苛立ちや嫉妬が混ざり合い、居ても立っても居られない。

ナチは突然猛ダッシュで走り出した。
通行人にぶつかりそうになりながらも、闇雲に猛烈に夕暮れの歩道を駆ける。
 
 
ショックを受けていた。

リュータがリコに会いに行った事も、リュータがリコを気に掛けているかも
しれない事も。そして何より、それに対しこんなにも動揺している自分にも。
 
 
 
 (リコに、リュータさんの事

  好きになりかけてるって言えなくなっちゃった・・・。)
 
 
 

■第25話 交差する想い


 
 
 
リカコは長い黒髪を片肩にまとめて垂らし、頬杖をつきながら数年前の出来事を
ぼんやりと思い出していた。
 
 
それは高校1年の春。

高校に入学して新しいクラスにまだ馴染めずにいたリカコに、最初に話し掛けて
来たのは隣の席のリュータだった。
 
  
 
 『あのさ。

  ティッシュ持ってねぇ? ハナ出ちゃった。』
 
 
 
今、思い出しても笑える。

本当に少し鼻の下が鼻水でテカっていて、それを隠しもせずに恥ずかしげもなく
リカコにティッシュをねだったリュータ。
 
 
リカコとリュータの遣り取りが聞こえたらしく、プっと吹き出して笑ったのが
その後ろの席のコースケだった。
何食わぬ顔のリュータ、呆れ顔のリカコ、困った顔で笑うコースケ。

そこから3人は友達になっていったのだった。
 
 
サバサバして男っぽく、女子特有の ”いつでもどこでも一緒 ”的考えが全く
受け付けないリカコには、女々しい女友達といるよりリュータ達といる方が気
が楽だった。

いつも、3人でいた。

 
 
それは、ある日の帰り道のこと。

リュータが数学の居残り補習を受ける為、リカコとコースケ二人で帰る事にな
った。いつも通りに気の抜けたくだらない話をして歩いていた二人だったが、
急にコースケが真顔でポツリと呟いた。
 
  
 
 『・・・なんか、色々。 大丈夫なの?』
 
 
 
コースケは気が付いていたのだ。

女子とつるまないリカコを、やっかみで陰で悪く言っている連中がいた事を。
コースケとリュータは人懐こいタイプだから、結構女子からは人気があった。
一見外から見たらリカコが二人を独占してる様に見えなくもないその関係に
それをひがむ女子生徒からの根も葉もない心無い中傷があったのだった。
 
 
絶句するリカコ。

サバサバしてるように見えて、そこはやっぱり女の子だ。陰でこそこそ悪口を
言われ傷付かないはずは無い。本音を話せる女友達が中々出来ないことを実は
内心気にしていた。
 
 
しかし、リカコは他人に弱みを見せられないタイプだった。

”強いリカコ ” ”泣かないリカコ ” ”冷静なリカコ ”
そんなイメージが凝り固まってしまった今、弱音は吐きたくなかった。

否、吐けなかった。
 
  
 
 『あー・・・ なんかグチグチ言ってる子たちでしょ?

  んなの、無視無視! 放っとけばいーんだって。』
 
 
 
何も気にしてない風に嘲笑って言い放つ。

呆れたように片頬を歪め、手をひらひらと揺らして、動揺を悟られないよう
大股で進みローファーの踵が擦る音を豪快にアスファルトに響かせて。
 
 
すると、
  
 
 
 『まぁ。 あんま・・・肩に力いれすぎんな。

  ・・・リカコは、すーぅぐ頑張るからな~ぁ。』 
 
 
 
コースケのさり気ない一言が、リカコの胸にダイレクトに突き刺さる。

言った本人はまるで天気の話でもしたみたいに、その言葉の重みに気付いて
などいない。相変わらずの、困ったような情けない笑い顔を向けて。
 
 
うっすら潤む瞳に気付かれぬよう、鼻で嗤ってダルそうにぐんと腕を上げて
伸びをする。キリっとしていはずの目元がまるで欠伸で濡れたように見えて
いるかどうか、リカコは心配でならなかった。
 
 
 
 
 
その日から、リカコは誰にも言えない想いをずっと胸に秘め続けていた。
 
 
一番近くで見てきたから、コースケの事はよく分かる。

他の子が想いを打ち明けても、決してそれを受け止める事はないという事も。
持ち前の人の良さで誰にでも優しくしてしまうくせに、絶対に中途半端なこと
はしないという事も。
 
 
リカコは誰にも、一度も、自分のコースケへの想いを話した事はなかった。
話すつもりなかった。それは、実らないって痛いほど分かってるから。
  
 
だからこそ、リカコは ”あの人 ”を決して許せずにいた。
 
 
 

■第26話 バーベキュー

 
 
 
 ◆From:コーチャン先生

 ◆Title:今度の土曜

 ◆俺ん家の庭でみんなでBBQしない?
 
 
 
コースケからみんなへ一斉送信された、バーベキューの誘い。

以前 ”またこのメンバーで集まろう ”と言ったコースケのその言葉は、
その場限りの社交辞令でもなんでも無かったのだと、リコはケータイの画面
を見つめて頬を綻ばせた。
 
   
久しぶりにコースケに逢える事に、純粋に心から喜んでいたリコ。
しかしナチはリュータにまた逢えるのは嬉しいが、あの日の小さな胸の痛み
に不安を憶えていた。

それぞれ胸に秘めた想いを抱えながら、その日を迎えていた。

 

 

午後2時に商店街のスーパー前で待ち合わせた5人。

みんなで買出しをするはずだったのだが、直前にリュータから連絡があり寝坊
で遅刻するという。呆れてリュータとの電話口で笑っているコースケを横目に、
ナチはどこかホっとしたような顔をして胸を撫で下ろした。

 
取り敢えず、コースケ・リコ・ナチ・リカコの4人で買出しを始めた。

コースケがカートを押し、スーパーの通路をのんびり進む。
ナチとリカコは、これでもかというくらい無計画に食材をカートに放る。
どんどん山積みになってゆくカートに『ぉい、大丈夫かよ・・・。』と心配そう
な顔でぼやくコースケ。いつもの困ったように見える顔は、今回ばかりは本当に
困って眉尻が下がるだけ下がっている。

リコはそのカートを押す大きな痩せた背中を笑いながらこっそり見つめていた。

 
ナチはお菓子コーナーで一人しゃがみ込み、真剣な顔をしてスナック菓子やら
チョコやら手に取って選んでいた。まるで遠足前の小学生のような面持ちで、
取捨選択に夢中になるナチのすぐ隣に、同じようにしゃがみ込みこちらに顔を
向ける気配があった。

最初それを特に気にしていなかったナチだったが、気まずいくらいの至近距離
にさすがに面食らって、鋭く睨むようにしかめ面をその隣人へと向けると。

 

 『ソレ、焼いて食うの?』 

 

リュータが、笑って指さした。

長い手足をコンパクトに縮めてナチの真似をしてお菓子コーナーの通路にしゃ
がみ、驚きすぎて声が出ないナチが握りしめるお菓子を指先でツンツンとつつ
いて。

 
瞬きも忘れて目を見開き、リュータの優しく笑う顔を見つめるナチ。

『ん~?』 リュータは無反応なナチに可笑しそうに尚も笑う。
ふと見ると、リュータの後頭部の髪の毛が寝癖で少し飛び跳ねていた。

 
ナチは急激に恥ずかしくなり、慌てて目を逸らした。

しゃがんだ自分のスニーカーの爪先に目を落とし、突然暴れ出した心臓を必死
に鎮めようとこっそり深い呼吸を繰り返す。
なんだかリュータの顔がまともに見れなくなっていた。

 

 (普通にしなきゃ・・・ 普通に・・・ 普通に・・・。)

 

すると、ツンと顎を上げ目を眇めてリュータの寝癖を指さし『寝癖。ダサッ。』
と言い放った。

しかしナチの指摘を全く気にする様子もなく、リュータは呑気にイヒヒと笑う。

 

 『起きたの15分前だし、しゃーないじゃん?』

 

そののんびりとした空気に、ナチの強張った心臓が解きほぐされてゆく。
二人で顔を見合わせると、ぷっと吹き出して笑った。

 
買出しは、5人が5人共買いたい物をカゴに入れたものだから凄い量になって
いた。コースケとリュータが重い荷物を持ち、軽めの物をリコ・ナチ・リカコ
で持って歩く。ただみんなで商店街を歩くだけで、スーパーボールが弾む様な
色とりどりの笑い声が溢れていた。

 
保育園の裏手へ回ると、小さなスペースだったが小綺麗に整えた庭があった。
既に準備されているバーベキューセットには、丁度いい頃合で炭が熾きている。

 
軍手をはめたコースケが物置からイスを5脚持ってきた。
一度に運ぼうと無理やり腕に絡めて持つそれを、リコが駆け寄って引き受ける。
『ありがと。』 目を細めるその顔だけで、リコの胸は高鳴って熱を帯びた。

 
午後の少し暑い日差しの下、5人でよく食べ、よくしゃべり、よく笑った。

コースケ・リュータ・リカコはビールやチューハイでテンションが上がり、
いつもより大きい声で騒いでいる。
夏の蒸した風に、みんなの笑い声が流れて響く。

ただただこの5人で集まるだけで愉しくて仕方なくて、口に出さずともみんな
がこのなんとも言えない心地良さを感じていた。

 
すると、小さい男の子がパタパタとこちらへ駆け寄ってくる姿が見えた。

 

 『コーチャンせんせえーーーぇ!!!』

  

あの日の、たっくんという子だった。

 

■第27話 タクヤ

 

 
 『コーチャンせんせえーーー!!!』

 

コースケへ駆け寄り、思い切り抱きついたタクヤ。

真夏の太陽みたいな眩しい笑顔で、その小さな体いっぱいにコースケへの愛情
を表しているようなはしゃぎ具合で。

 

 『どした?たっくん。 

  あれ・・・? 今日は保育園??』

  

ひまわり保育園では、土曜も園児を預かっていた。

タクヤの母親は土曜も隔週で忙しく仕事をしていて、今日はタクヤは保育園の
日だった。しかし、午後3時をまわり殆どの園児は親が迎えに来て帰ってしま
って、園に残っていたのは今はタクヤ一人だけだったのだ。

 
コースケは園の保育士にタクヤは庭で預かることを伝え、一緒にバーベキュー
に加わらせた。

コースケの膝にちょこんと座り、足をバタバタとバタつかせ嬉しそうにはしゃ
ぐタクヤ。あまりに落ち着きなく動き回るそのわんぱくぶりに、コースケも声
を上げて愉しそうにケラケラ笑う。
コースケ自身タクヤが可愛くて仕方ないらしく、頭をガシガシ撫でたり体をく
すぐってみたり、食べやすく小さく切り分けた焼肉を食べさせたりしている。

 
実家が保育園だというだけで、大勢いる中の園児の一人にもこんなに愛情を掛
けるコースケに、リコは少し面食らうくらいだった。

それが皆が言うコースケの ”底抜けの優しさ ”というものなのだろうか。

 

 『なんか、まるで親子みたいですね~。』

 

その光景があまりに微笑ましくて可愛らしくてコースケらしくて、リコも頬を
緩める。

すると、タクヤがニコっと笑った。
眩しそうに目を細め頬を高揚させ、優しいやわらかい顔で。

 

 『心なしか・・・

  ・・・なんとなく、似てる気が、するし・・・。』

 

そうリコが呟くと、ほんの少しの奇妙な間がありコースケはいつもの困った顔
で微笑んでみせた。

  
タクヤはとても元気な男の子で、人懐こくて可愛かった。

コースケからお腹いっぱいに焼肉やらお菓子を食べさせてもらった後は、リコ
とナチの手を握って引っ張り、グラウンドへと誘う。
三人は園のグラウンドへ駆け出し、鬼ごっこをしたり遊具を使って遊び始めた。

 
コースケとリュータ・リカコはバーベキューセットを囲んだまま、そんな三人
の愉しそうに遊ぶ様子を遠目に眺めていた。

タクヤが嬉しそうに走ったり飛び跳ねたりして、おもちゃのピアノのような
コロコロとした軽快な笑い声を上げる。

 
その小さな小さな背中を見つめ、リュータが言った。

 

 『・・・たっくん、何歳んなった?』

 

すると、コースケが困った顔で微笑み少し俯きながら『4歳・・・。』と返す。

  

 『もう・・・・・ 4年経ったんだ・・・・・。』

 

リカコが小さく小さくため息をついた。
片手に掴んでいたビール缶がほんの少し指先に込められた力にペコっとへこむ。

コースケはそんな二人へと視線を移動し横目でチラっと見ると、『ハハハ』と
乾いた笑い声を落とした。それはあまりに哀しげで一瞬の風に吹かれて消えた。

リュータとリカコはコースケに言いたい事が喉元まで込み上げたが、それは言
わずに飲み込んだ。
三人の間に言葉に出来ない重く湿った空気がまとわりついていた。

 
そんな会話があった事など、リコは全く知らなかった。

  

 

時間を忘れて休日の午後を楽しみ、気が付くと少し薄暗くなってきた夕刻。

5人はバーベキューの後片付けを始めていた。まだまだみんなでこうしていた
い気持ちは山々だが、楽しい時間には必ず終わりがくるものだ。
ゴミをまとめたりビール缶を潰したり炭を処理したり、各々が取り組んでいた。

 
コースケがイスを片付けるため物置へと運んでいた時、タクヤの甲高い声がグラ
ウンド中に響き渡り、脇目もふらずその小さな体は真っ直ぐ駆け出した。

 

 『ママーーーーーー!!!』

 

その瞬間、コースケの持ち上げていたイスがガラガラと音を立てて足元へ散ら
ばった。イス同士が乱雑にぶつかり合い、イスの背にはグラウンドの土が付い
て汚れてしまった。

リコはあまりの大きな音に驚き、何事かとコースケを見つめる。

  

 『大丈夫?

  ・・・・・・コーチャン先生・・・?』

  

すると、
コースケが、遠くグラウンドを身動きひとつせず見つめいてた。
瞬きもせず、まるで呼吸まで止まってしまったかのように。

タクヤが喜び駆け寄る、その先を。

  

華奢で小柄な女性が、タクヤを優しく抱きしめていた。

 

■第28話 マリ

 
 
 
コースケは、よろけながらも真っ直ぐグラウンドへと駆け出した。
 
 
片付け途中の散らばったイスをその場に放り出したまま。
まるで、瞬きという行為を知らぬかのようにその目はしっとり潤んで。
世界中のすべての音を閉めだしたようにその耳を微かに染めて。
そこに佇む女性のであろう名前を、囁くように何度も呟きながら。
  
 
  
 『マリ・・・・。』
 
 
 
リコはそんなコースケの背中を、瞬きもせず見ていた。
  
 
 
 (あの人が・・・・。)
  
  
  
夕暮れのグラウンドには、コースケとその人とタクヤの影が伸びていた。

逆光で眩しかったけれど、コースケが背の低いその人をそっと覗き込むように
見つめているシルエットはハッキリ浮かび上がっている。
なんだかその三人の中には何があっても踏み込めない何かがあるように思えた。
 
 
遠く、リュータ・リカコもそれを悲しそうな目でじっと見つめていた。
しかしリカコは見ていられなくなって、顔を背けかぶりを振る。リュータは
諦めたように情けなく眉根をひそめ、小さく溜息を落とす。

ナチはただただリコのことが心配で、呆然と立ち尽くす背中へと視線を向けた。
 
 
 
 (あの人が・・・ ”想いつづけてる人 ”)
 
 
 
視界がじんわり霞んでゆく。
鼻の奥がツンとして目頭のあたりが痛い。
心臓が壊れ狂ったように早鐘を打ち、呼吸が追い付かない。
あんな光景からは目を逸らしたいのに、リコの目はそう出来ずに見つめ続ける。
ただ立っているのでさえ苦しいのに、逃げ出したいのに足が動かない。
 
 
その光景がリコの胸の奥の一番やわらかい部分を容赦なく握り潰した。
 
 
リコは我に返ったように一気に息を吸いこむと、カバンを引っ掴みグラウンド
の脇をよろけながら駆け出す。足はもつれて巧く走れず、途中転びかけながら
それでも無我夢中でその場から離れようとした。
あの ”三人 ”から離れようとしていた。
 
 
  
 『リ、リコっ!!!!!』
 
 
 
ナチが慌ててリコを追いかける。

リコの名を呼びながら一心不乱に後を追うも、その弱々しい背中へと手が届き
かけたと思った瞬間、リコは車道をすり抜けバス停にしがみ付くように駆け寄
り丁度滑り込んで来たバスに飛び乗って、一人行ってしまった。
 
 
ナチが肩を落としトボトボとリュータ達の元へ戻る。
その顔はいまにも泣き出しそうなのを堪えクシャクシャに歪めて。ナチの拳が
哀しみや怒りでぎゅっと握り締められ、体の横で小さく震えている。
  
 
  
 『アイツは、ずっとああなんだよ・・・。』
 
  
 
リュータが寂しそうに低く呟き、ナチの肩にそっと手をおいた。
するとナチは少し睨んでその肩の手を乱暴に払いのけ、強い口調で言い返す。
  
  
 
 『だって・・・

  だって! たっくんのママって事は結婚してるって事でしょ?!
 
 
  そんなの・・・ そんなの最低じゃないっ!!
 
 
  ・・・コースケさんも、あの人も。 最っ低じゃないのよっ!!!』 
 
  
 
ナチが思いっきり毛嫌いするよな顔で吐き捨てた。

その目には怒りや軽蔑が滲み、ゆらゆらと揺れて光る。
口は真一文字に噤み、唇端は強張って引き攣った。
  
  
  
 『・・・・・・・違うんだよ・・・。』
  
 
  
リュータが苦しそうにかぶりを振る。
まるで打ちのめされた様にガックリとうな垂れた大きな肩。
  
  
 
 『そうじゃないんだよ・・・

  コースケは・・・ そんな奴じゃないんだよ・・・。』
 
 
 
リュータのかすれた声が夕暮れの風に消えた。
 
 
 

■第29話 コースケの真実

 
 
 
リュータ・リカコ・ナチの3人は、保育園を離れ道路向かいの公園に来た。
 
 
三人共が俯いて思い詰めた感じで、誰も口を開こうとしない。
重く苦しい空気が体中をまとい、嫌味なほどに鈍く留まる。
 
  
 
 『・・・どうゆう事なんですか・・・?』
 
 
 
ついにナチが、沈黙を破った。
その声色はもう既に泣き出しそうに震え、少しの夕風にもすぐ掻き消され
そうなそれで。

リカコが小さく溜息をついた。
足元の小石を爪先で弄び少し考えあぐね、少しずつひとつずつ話し始めた。
 
  
 
 『コースケにはね・・・

  4つ上にお兄さんがいるのよ。 ケイタさん、ていう。
 
 
  すっごい仲がいい兄弟でねぇ・・・

  ケイタさんは頭も良くて、運動も何でも出来て。

  コースケ、出来のいいお兄さんを本当、心の底から自慢に思ってた・・・
 
 
  ケイタさんには、マリさんていう彼女がいてね。

  すごく・・・

  こう、なんてゆうか・・・ 悲しい感じがするキレイな人で・・・
 
 
  コースケとケイタさん・マリさんは、いっつも一緒にいたらしいわ。

  私達が知り合う、もうずっと前から・・・
 
 
 
  でも4年前のある日、

  突然ケイタさんが誰にも、何も言わずに何処かに消えてしまったの。

  大学にも、勝手に退学届が出されてた。
 
 
  そして、残されたマリさんのお腹には新しい命が宿ってた・・・

  さっきのあの子・・・ たっくんが。 
  
  
  マリさんに子供が出来た事を知って、ケイタさんは逃げたのよ。

  将来有望のまだ若い自分が、子供なんか出来ちゃって

  これから先の、輝かしい将来に傷でもつくと思ったんじゃない・・・?
 
 
 
  その日以来、コースケはずぅっとマリさんを支えながら生きてるの。
 
 
  それが ”愛情 ”なのか ”家族愛 ”なのか、

  ケイタさんの罪を代わりに償っているのかは私達には分からない。

  でも、コースケは何よりも誰よりも、マリさんを優先するの・・・
 
 
  マリさんしか・・・ 

  ・・・マリさんの事しか・・・ 見えてないのよ・・・・・・・・。』

 
 
 
ナチは黙って俯いて聞いていた。

きつく握り締めた手の甲に、涙の雫がこぼれ落ちる。
行き場を亡くした遣り切れない思いに襲われ、一言も発することが出来ない。
 
 
 
  (リコ・・・・・・。)
  
 
 
ただただ、リコを思って涙が落ちた。
 
 
 

■第30話 リコの涙

 
 
 
リコは、飛び乗った休日夕暮れ時のひと気少ないバスの一番後ろの席に倒れ込む
ようにしがみ付くと、前の座席の背に身を隠すようにして力が抜けた体を潜めた。
 
 
口許に、少し震える手を押し当てる。
それは、まるで悲痛な叫びが溢れないようにするかの様に。

窓からは橙色のやわらかい陽がリコの俯く横顔をほんのり照らしたが、それすら
気付くことなど出来ない程に憔悴しきってギュっと目を瞑った。
 
 
いつもの場所でバスを下車すると、坂の上の自宅へ走る。

しかしそれは水の中で必死に前進しようとするかのように、思うようにいかず
もどかしい。危うく転んでしまいそうに、足元はもつれて覚束ない。
それでも、ただとにかく1分でも1秒でも早く家へ帰りたかった。
 
 
”ただいま ”も言わず玄関へ駆け込むと、そのまま2階の自室へ駆け上がる。
キレイに手入れしていたはずの白いスニーカーが、乱雑に三和土に引っくり返
ってアッパー部分が擦れて砂の色を付ける。
 
 
バタンと大きな音を立て自室のドアを閉め、リコはテレビのスイッチを入れた。

そして、リモコンでボリュームを上げると掴んだそれをローテーブルの上に放り
そのままベットへうつ伏せでバタンと倒れ込んだ。
 
 
枕に顔を埋ずめる。
両手で強く抱きかかえるようにして、溢れだす声が漏れぬよう必死に。
 
 
テレビから流れるお笑い番組の大袈裟なほどの笑い声に紛れて、リコの泣き声
がわずかにくぐもって響いた。
 
  
 
  
 
コースケにはずっと想っている相手がいる事は知っていた。
他の誰にも心が動かないということも、聞かされていた。
 
 
頭では分かっていたつもりだけれど、それでもやはりコースケに会うとリコの
心はどうしようもなく大きく揺らいだ。
 
  
 
  ただ、他愛もない話をするだけで

  ただ、顔を見合わせて笑い合うだけで

  ただ、数行のメールを読み返すだけで

  ただ、その痩せた背中を見つめるだけで
 
  
 
その想う相手が今は自分じゃなくても、コースケがその想いを手放す時が来たら
もしかしたらその時には、なんて都合の良い淡い期待もしなかったと言えば嘘に
なる。

そうはならなかったとしても、せめて近くにいられれば、見つめていられれば、
声が聞ければ・・・その優しくて大きな手には、たとえ触れる事が出来なかった
としても。
 
 
リコがそっと目を細めて見つめる先には、コースケの姿があってほしかった。

それだけでいいと思っていた。
それだけでいいと思っていた、のに・・・
 
 
 
今日。呆気なく、打ちのめされてしまった。
 
 
 
コースケがその人を身動きひとつせず見つめていた姿。
ただ真っ直ぐその人の元へ駆けてゆく姿。
その人の名を愛おしむように呼びかける姿。
そして、その人と向き合った時の距離感、空気、やわらかさ。
   
 
 
 『入り込む隙間なんて・・・。』
  
 
 
浅はかな自分の考えを嘲笑うかのように震えて声はこぼれ、拭う事も忘れた涙が
後から後からリコの頬を伝った。
 
 
 

■第31話 リクからのSOS

 
 
 
その日以来、リコはナチにあの日の話は一切しなくなっていた。
ナチも ”コースケの真実 ”をリコに話すべきか、ずっと悩んでいた。
 
 
 
 ”居なくなった兄の彼女を支え、誰よりも何よりも彼女を優先させる ”
 
 
 
そんな事リコにどんな顔して話せばいいのだろう。

ただの淡い片想いや恋心とは種類の違うコースケのそれを、どんな言葉で伝え
ればいいのだろう。
 
 
いつも元気なナチも眠れなくなるくらいに考えた。そして、落ち込んでいた。
まるでなにも無かったかのように振舞うリコの華奢な背中を、ただただ潤んだ
目で見つめることしか出来ずにいた。
 
 
しかし、ナチはリコを信じていた。

リコの気持ちがほんの少しでも落ち着いたら、きっと正直な気持ちを話してく
れると、ナチは心から信じていた。その時は一緒にいっぱい泣いて、愚痴を聞
いて、なんなら思い切り理不尽に悪態ついたっていい。
それまでは、じっと待とうと決めた。
 
  
そして、リュータもリカコもとてもリコを心配していた。
あの日の消えて無くなりそうなリコの心許ない背中を思い出す。
 
 
しかし、リコに直接連絡していいものか迷っていた。

コースケに繋がる人間とは、もしかしたらもう連絡など取りたくはないかも
しれない。周りが余計に口出すことで更に傷を深めてしまうかもしれない。
 
 
やはり、リュータもリカコもリコが自分の足で前へ進むのを待つしかなかった。
 
 
 
リコは、学校では痛々しいほどに明るく普通に振舞っていた。

テレビ番組の話、芸能ニュース、友達の噂、元気にしゃべっては笑った。
事情を知らないナチ以外の友達には、それは通常通りのリコに映ったのだろう。
 
 
しかし、家に帰ると部屋に閉じ篭り、食欲もなく、家族とも必要以上には言葉を
交わさなくなっていった。母ハルコが体調不良かと心配するも、無言で首を横に
振るだけでリコはなにも語らない。
 
 
そんなリコを一番心配していたのは、実は、弟のリクだった。
 
  
 
 『もしもし・・・? リュータ・・・?

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・リュータぁ・・・。』
 
  
 
ある日の夜遅く、リュータのケータイにリクから電話があった。
ケータイを持たないリクは、家族が寝静まった深夜に自宅の固定電話から掛け
ていたのだ。
 
 
 
 『・・・リクかっ? ・・・どした??』
 
 
 
リュータの優しい声に、リクは少しホっとしたのか電話口で泣き出した。

ヒックヒックとしゃくり上げる声が電話越しに暫し続き、やっと言葉になった
それは切ない程に小さくて、そして苦しいくらい姉への愛情が込められていた。
 
  
  
 『リュータぁ・・・ 助けてよぉ。

  お姉ちゃんが・・・ 

  ・・・お姉ちゃんが、なんか・・・ 変なんだよぉ・・・。』
 
 
 
それは、リクの精一杯のSOSだった。

たかが小学生のリクをもこれほどまでに不安にさせる程、リコは落ち込み息も
絶え絶えな状況になっていた。真面目で真っ直ぐなリコだからこそ、そうなって
しまうかもしれないという事を、リュータも頭の何処かでは分かっていたはずな
のに。

何もしないで黙って見ているのはやめようと、その時リュータは思った。
例え残酷だったとしても、リコに真実を告げようと。
 
  
  
そんな事も知らず、リコは今夜も眠れない夜を過ごしていた。

出窓にそっと腰掛け星空を眺める。
月が隠れた今夜は天の川がハッキリ映る。いて座付近は天の川の一番濃い部分で
飛沫があがる天の川の滝つぼのようだ。

しかし折角のキレイな星空なのに、滲んでかすみ、リコの目にはぼやけて映る。
瞬きをする度に、涙の雫が流れては落ちた。
あれから毎晩泣き続け、枯れたかと思われた涙はそれでもまだリコの頬を濡らした。
 
  
  
  こんなにツラいなら、

  好きになんかなんなきゃ良かった・・・
 
  
  
また一筋、透明な粒が流れた。
 
 
 

■第32話 早朝の出来事

 
 
 
ドルン・・・
 
 
早朝4時。

また眠れない夜を過ごした、リコ。
頭はぼうっとしてなんだかクラクラする。体も怠くてベッドから上半身を
起こすのもツラいくらいだ。
窓の外に微かに聞こえたエンジン音に、気怠そうにゆっくり立ちあがり
そっとレースのカーテンを開けた。
 
 
すると、
 
 
 
 『ぉ。起きたかー?』
 
  
 
窓のすぐ下にリュータの姿があった。ヘルメットを胸の前で抱える様に
持ち背中を丸めてバイクに跨って、にこやかにピースサインを向けて。
 
 
 
 『・・・ど、どうしたんですかっ??』
 
 
 
思い切り声が裏返った。ここ最近出した記憶がない自分の大きめな声に
リコ自身驚いて、思わず咳払いして喉の調子を今一度確かめる。
  
 
いつもリュータの突然の行動には驚かされてばかりいる。

前回も急に家に訪ねて来て、家族と一緒にご飯を食べたり花火をしたり、
正直なにを考えているのか全く分からない人だった。
 
 
リコがあからさまに困惑した表情を向けているというのに、そんな気配など
お構いなしにリュータは笑う。
  
 
 
 『あったかい格好して下りて来ーぉいっ!』
 
 
 
飄々としたその口調に、リコは困惑して口ごもる。
今日は平日で、あと数時間後には学校へ向かうバスに乗らなければなら
ないのだ。
 
  
 
 『リ、リュータさん・・・?

  ・・・今日って・・・ 休みの日じゃないですよ?』
 
 
 
曜日を勘違いでもしているのかと、どこか様子を伺うように気を遣い
ながら返したリコの言葉に、『知ってる。』と、さも当たり前のように
リュータは即答する。
 
  
『いいから早く来いってっ!!』 リュータが頬をクシャっと緩め口角を
最大限上げて悪戯っぽくニカっと笑った。
  
 
  
リュータに言われた通りジーンズにパーカーを羽織った姿で、静かに玄関
から出て来たリコ。しかし、今尚リュータの言動の意味が全く分からず
訝しげに眉根をひそめ、その足取りは不安の色が表れ中々前に進まない。

『ほいっ。』 リュータがバイクのハンドルに引っ掛けていたヘルメット
をリコに放るように渡す。
  
  
 
 『ぁ、あの・・・・・・。』
 
  
 
なにか言い掛けたリコの言葉を遮って、『ああ!かぶんの初めてか?』
リュータは可笑しそうにケラケラ笑いながら、ヘルメットの顎紐バックル
をカチリとはずし、喉元に指一本入る程度の適切な締め具合をレクチャー
しようとした。
 
 
リコは首を横に振り、リュータを手で遮る。
  
 
 
 『そ、そうじゃなくて・・・ ドコ行くんですか?

  ・・・私、学校があるんですけ・・・』  
 
 
 
グググ・・・
  
  
 
喋っている途中のリコを完全に無視して、無理矢理ヘルメットをかぶせ
ちょっと顔を斜めに寄せて覗き込むように、リコの顎下ベルトを留める。

そして、そのヘルメットのリコの頭をポンポンと軽く2回叩くと
 
 
 
 『ほいっ! 乗った乗ったーー!!』 
 
 
 
タンデムステップを引き出し、跨るリュータの後部座席へと顎で促した。
 
  
 
 『リュータさん・・・ 私、バイク乗るの初めてなの・・・

  ・・・どう、掴まったら・・・。』
 
  
 
後部座席に不安気にちょこんと座りそう呟くリコの両手首を、リュータ
はぐっと引っ張り自分の腰へ巻き付かせた。
 
 
 
 『はい。 出発進行~~~~っ!!!』
  
  
 
まだ朝靄が残る静かな街に、バイクの音が響き渡った。
 
 
 

■第33話 峠

 
 
 
夜が明けたばかりの街並は、車の通りも殆どなく澄んで静まり返っていて
まるでこの世界にリコとリュータふたりだけのように感じた。
 
 
ぐんぐんスピードを上げて、バイクは街を駆け抜けてゆく。
 
 
最初はじめてのバイクが怖くて遠慮がちにリュータにしがみ付いていたリコも
勢いよく吹き抜ける風がなんとも心地よくて、次第に怖さも無くなっていった。
 
 
暫しひと気のない早朝の中心街を走った後、街外れのコンビニに滑り込みバイク
を止めた。
リュータは上着の左袖を軽く捲り腕時計で時間を確認すると、顔だけ後ろのリコ
に振り返って自分のケータイを差し出す。そしてヘルメット越しのくぐもった声
で言った。
 
  
 
 『母ちゃんに電話しとけ。』
 
 
 
リコはリュータに言われるがまま、訳も分からず慌てて家を飛び出して来ていた。
そう言えば何も持たずに身一つで出て来ていたのだ。

必要最低限のケータイも財布も、何もかも。
誰にも、何も告げずに。
 
 
リュータの言葉にコクリと頷き、借りたケータイで自宅の電話番号を入力する。
 
 
 
 (お母さん、私がいないの気付いてたかな・・・?

  ・・・学校サボっちゃうこと、怒られるだろうな・・・。)
 
 
 
叱られる覚悟を決めて、リコはそっと左耳にケータイを当てる。
そして、それはまだこんなに朝早いというのにワンコールだけで繋がった。

リコからの電話に母ハルコはだいぶ驚いていたけれど、最近のリコの様子に心
を痛めていただけに『気晴らししておいで。』と快く送り出してくれた。
ハルコが信頼しているリュータが一緒だという事も安心材料になっていた。
 
  
 
そして、再びバイクは走り出す。
 
 
高い建物が多い街を通り、街外れの住宅街を抜け、山の道へと走ってゆく。
もう店も民家もなにも無い、緑のトンネルのような一本道になってしまった。

最初その一本道に、なんだかもう二度と引き返せないような閉塞感を感じ、
胸がざわざわするような不安が込み上げたが、次第に陽が照りはじめ道脇の
青々とした木々の葉っぱがキラキラ光って輝きだすと、一気に夏の青いにおい
と虫の音、空気のざわめきが立ち込めた。

リコは体に受ける生ぬるい夏風に、目を細める。
 
 
  
 『キレイ・・・・・。』
 
 
 
小さく呟いた。
それは体の奥の奥まで沁み渡るような目映い色の空気だった。
 
 
  
 
 
自宅を出発してから3時間くらい経ったのだろうか。
リュータとリコは山の頂上の峠茶屋に到着していた。

そこは小さな土産物屋とトイレがあり、この峠を通る車の休憩所になっている。
数台並ぶ自動販売機の横に簡易テーブルとイスが置かれている。まだ早い時間
だったが広めの駐車場には長距離運転のトラックが数台停まって休憩していた。
 
 
リュータはバイクから下りてヘルメットを外すと、気怠げに頭を左右に振り潰れ
てペシャンコになった髪の毛を揺らした。そして無言でリコへとヘルメットを
渡すと、一人茶屋に向かってゆく。

リコはその後ろ姿をじっと見ていた。店のガラス戸が呆気なく横にスライドされ
リュータが店内へと消えてゆく。こんな時間から店が営業している事にリコは驚
いた。
 
 
程なく、リュータが両手に二人分のホットドックと飲み物を持って戻って来た。
そして『ん。』と、リコの胸に押し付ける。
 
  
 
 『ぁ・・・ あとで、ちゃんとお金返すから・・・。』
 
 
 
リコが財布を持ってきていない事を気にして、申し訳なさそうにそう言うと、
 
  
 
 『ぼくぁ~ お前よりか、ずっとオトナですから~

  こんくらいは、お茶の子さいさいよ~ぉん!』
 
 
 
と、リュータはとぼけた顔をしてホットドックを豪快に頬張った。

その捉えどころのない横顔を目に、リコは手渡された生ぬるいホットドックに
目を落とす。掛け過ぎのケチャップの赤色とマスタードの黄が、この澄み渡った
山頂の空気に不釣り合いな気がして、恐る恐るそれに口を付けた。
 
 
最近まともに食事を摂っていなかった、リコ。

何を口に入れても味気なく感じていた。食べなければ周りに心配をかけてしまう
から無理やり食べてはいたけれど、それはいつもより明らかに少ないもので。

しかし、今、峠で食べている安っぽいホットドックはなんだかやけに美味しい。
湯通ししただけのウインナーもパサパサ感が否めないパンも、やはりバランスが
悪い掛け過ぎのケチャップも、どうしてかすんなりとリコの喉を通って落ちた。
気付が付くと、夢中でかぶり付き食べていた。

リュータがチラリとその様子を盗み見て、かすかに口元を緩めた。
  
  
 
 
 
土産物屋の駐車場脇にあるベンチに二人で座る。

そこは山並みの景色を遠く一望できて、雲ひとつない真っ新な空の青とキラキラ
輝き生い茂る樹々の緑が最高の眺めだった。
 
 
暫く二人で何も語らずその景色をただ見ていた。
山の彼方から小さく響く鳥のさえずりと、それをかき消すやわらかい風の音。

リュータが『くぅうう~!』と両腕を高く上げて、大きくひとつ伸びをした。
 
  
  
 『リュータさん・・・

  ・・・心配してくれてるんだよね・・・・・・・・・・。』
  
  
 
リコが静かに口を開いた。
 
 
 

■第34話  峠の告白

 
 
 
リコが静かに話し始めた。
それは囁くようなそれで、呆気なく山頂の風に掻き消されそうだったけれど
何故か胸の内に沁みるように入り込んでくる。

リュータはただ黙って、真っ直ぐ峠の景色を見つめたまま聞いていた。
 
  
 
 『私ね・・・

  コーチャン先生のこと、好きなの・・・

  知ってると思うけど・・・。
 
 
  ずっと想ってる人がいるって聞いても、

  それでもいいって、思ってた。
 
 
  でも・・・ この間の・・・

  ・・・あの人、 なんだよね・・・?
  
 
  あの姿みたら、なんか、もう、私・・・
 
 
  自分でもどうしていいか分かんないくらいに、

  ・・・ほんと馬鹿みたいに、パニックんなっちゃって・・・。』
 

 
そしてまた、長く、沈黙が続いた。

リコとリュータ、互いの呼吸の音がはっきりと聞こえる。それは瞬きをする
まつ毛が上下する音すらも聞こえてしまいそうな静寂だった。
 
 
すると、リュータがポツリ話し始めた。
 
  
 
 『コースケにはさ。 兄ちゃんがいんだよ。

  今は行方くらまして、ドコにいるのか分かんねぇけど・・・。
 
 
  ・・・マリさん ・・・この間の、あの人な?
 
 
  マリさんは、兄ちゃんの彼女。

  タクヤは、その子供でさ・・・。
 
 
  兄ちゃんが消えてから、コースケはマリさんとタクヤを

  ずーぅっと、一人で守って生きてんだ・・・

  誰になにを言われようが、ぜってぇ考え曲げずに。
 
 
  ・・・あの二人を、ずーぅっと支えて生きてる。
 
 
  これからもずっとそうなのか、いつかは終わるのか、

  誰にも分かんねぇんだけどな・・・・・・・・・・・・。』
  
  
 
リコはコースケがタクヤを愛情込めて全身で受け止める姿を思い出していた。
そして、夕暮れのなか佇むマリの元へと、真っ直ぐ瞬きもせず駆け出す背中を。
 
  
すると、リコからひとつ小さな溜息が落ちた。
 
  
  
 『・・・コーチャン先生、らしいね・・・。』
  
 
  
そう呟くと、リコは下を向いて少し笑った。
呆れたように感心したように、どこか納得したように。

つやつやの黒髪が小さく揺れ、細い肩が切なく震え始める。
 
  
  
  『・・・声。 出した方が、ラクんなるぞ・・・。』
  
 
  
そう言うと、リュータは膝の上に置いていたヘルメットをリコの頭に被せた。

グググと少し窮屈にそれが収まり視界が遮られた途端、リコは堰を切ったよう
に声を上げて泣いた。まるで幼い子供が泣き叫んでいるかのように、心が引き
裂かれそうな痛々しい泣き声がヘルメットの中でくぐもって響く。
 
 
泣きじゃくるヘルメットの頭に優しく手を置き、リュータは悲痛な泣き声が
おさまるのを隣でただずっと見守っていた。
  
 
  
 
 
午後になり自宅へ戻ると、ナチが心配そうにリコの帰りを待っていた。

リコ帰宅のバイクのエンジン音に慌てて玄関から飛び出して来ると、何も言わず
ナチは思い切りリコに抱きついた。
ナチの華奢な体が驚くほど熱くなって震えている。リコはそっと体を離して見つ
めると、ナチは涙で潤んだ真っ赤な目をしてぎこちなく微笑んだ。
 
  
 
 『・・・心配かけて、ごめんね・・・。』
 
  
 
やっと言えた涙で詰まったリコのひと言に、ナチがもう一度ぎゅっと抱き付いて
何度も何度も大きく頷く。

玄関先だということも忘れて、ふたり、ぐしゃぐしゃになって泣いた。
  
  
 
ヒョコっと居間から顔を出したリクが、そんな泣きじゃくるリコ達を後方で優し
く見守るリュータに向かって親指を立てて目で合図をする。 ”グッジョブ!”

すると、リュータも同じように親指を立てて返した。
 
 
同時に二人で満足気にニカっと笑った。
 
 
 

■第35話 笑顔

 
 
 
リコは、今日一日の事を思い返していた。

自室のベッドに深く腰掛けて、胸に抱いたクッションにぎゅぅうっと力を込める。
首を反らして天井を仰ぐと、様々な想いが込み上げてじんわりと視界が揺らいだ。
 
 
もう自分の素直な気持ちから逃げたくない。
自分に嘘を付いて後悔なんかしたくない。
見つめていたい視線の先から目を逸らしたくない。
 
 
どうせ胸が痛むのなら、”逢えない痛み ”より ”見つめつづける痛み ”の
方がまだマシに思えた。

コースケの本当の気持ちを知って、リコは自分の想いが叶うことはないと思い
知らされつつも、それでも更に、昨日よりももっと熱を帯びた想いが高まって
いる事に気付かされてしまったのだ。
 
 
 
  (好き・・・

   不器用で、要領悪くて、頑固で、呆れるくらいまっすぐで。
 
 
   ・・・そんなとこ全部、

   やっぱり、コーチャン先生が大好き・・・
  
 
   あんな人には、きっと、もう会えない・・・
 
 
   だから、

   好きにはなってもらえなかったとしても、

   せめて嫌われないようにしたい・・・
 
 
   堂々と胸を張って傍にいられる自分でいたい・・・
 
 
   想い続けるためにも、私も強くならなくちゃ・・・。)
 
  
 
  
  
その夜、何日かぶりにリコは泥のようにぐっすり眠った。
夢を見ることもなく、吸い込まれるように深い深い眠りの渦にいざなわれた。
 
 
翌朝、目覚まし時計が鳴るより先に目が覚めると、昨日までとはどこか違う
眩しく差し込む朝陽を感じ、両腕をぐんと伸ばして胸いっぱいに大きく息を吸い
込む。

なんだか胸が高鳴り心が弾んで、じっとしているのが勿体ない。
昨日までと同じはずの景色もなぜかキラキラと輝いて見える。
 
  
 
 (さぁ!! 今日からまた、元気に歩き出そう・・・。)
 
  
  
まっすぐ前を見据えるリコに清々しい風がそよぎ、そっと黒髪が揺れた。
その目にはもうウジウジと悩み狼狽える揺らぎは無くなっていた。

ほのかに高揚した頬には、凛とした笑顔が戻っていた。
 
 
 

■第36話 距離

 
 
 
とある夕方。
コースケは、マリの家でタクヤの子守りをしていた。

たまにどうしても仕事の都合で帰りが遅くなるマリの代わりに、タクヤの面倒を
頼まれていたのだ。
 
 
タクヤを膝に乗せて絵本を読み聞かせたり、一緒におもちゃのロボットで遊んだ
りテレビアニメを観たり、タクヤはキャッキャと子供らしくはしゃいでコースケ
にとても懐いていたが、それでも母親の代わりなど到底出来るはずもなく時折見
せるタクヤの寂しそうな表情に心は痛んだ。
  
  
 
 『コーチャン、ごめんねっ!! 遅くなって・・・。』
 
 
 
マリが騒々しく慌てて帰宅する。

脱いだローパンプスを玄関脇に揃えて並べると、片腕ずつ上着を脱ぎながら他方
の手に持つスーパーの買い物袋をテーブルの上に置く。
脱いだ上着をテーブルのイスの背に掛けると、すぐエプロンを付け休む間もなく
キッチンに立った。
 
 
その背中をコースケはなにも言わずにじっと見ていた。

ふんわりとカール掛かった髪の毛が肩のあたりでせわしなく揺れている。
あまりに細く心許ない体で仕事と子育てを一人こなすマリは、いつになく疲れて
見えた。
 
  
 
 『なぁ、マリ・・・ 

  なるべくたっくんの傍にいてやれないかな?
 
 
  その分、俺、バイトするからさ。 それで、少しでも負担を・・・。』
 
 
 
そう言いかけたコースケを話途中でマリは遮った。
 
 
  
 『そんな事してもらう訳にはいかないの。

  コーチャンには、ほんと感謝してる・・・
 
 
  でも、今のままで充分よ・・・ たっくんを見てくれるだけで、充分。』
 
 
 
マリはキッチンに立ち包丁で野菜を切ったまま、コースケを振り返らない。
その声色は無理をしている訳でも強がっている訳でもなく、毅然としたもので
一本芯が通った強さを感じさせるものだった。
 
 
いつもこの繰り返しだった。
 
 
コースケはマリを助けたかった。
もっと弱いところを見せてほしかった。甘えてほしかった。頼ってほしかった。
 
 
しかし、マリは決してそうする事はなかった。
 
 
やるせない思いのまま、コースケはそっとマリの背中から視線を移動する。

視線の先には本棚に大切そうに保管された何冊もの古びた大学ノート。
それは、兄ケイタとマリが学生時代に交わした想い出の交換日記だった。
 
 
その横に飾られた写真立ての中の照れくさそうにはにかむケイタが、そんな遣り
取りをそっと見つめていた。
 
 
 
   
マリの家で夕飯をご馳走になって帰る、ひとりきりの帰り道。
コースケは兄ケイタの事を考えていた。
 
 
子供の頃から大好きで自慢で尊敬していたケイタは、マリとタクヤを残し行方を
くらました。
許せなかった。
悔しくて、腹立たしくて、そして何より悲しかった。
 
 
行方不明になった当初は、方々血眼になって探し回った。
しかし、数年経ってその気力も薄れていった。
 
 
出逢った頃から気が付けばマリのことが好きだった。
最初は兄の彼女として、しかし次第にその想いはひとりの女性としてマリへと
向けられていった。

だから心の何処かではケイタがいなければ自分がマリの傍にいられる。自分が
マリを一番近くで支えられる。自分がマリを大切にしてあげられる。そんな思
いがあったのは事実だ。
 
 
しかし、何年経ってもマリはケイタを待っていた。

タクヤにも『パパは遠くにいる。必ず戻って来る。』と繰り返していた。
あの日からひと言も弱音を吐かず、不安な顔も見せず、涙のひと粒も零さない。
マリは、ケイタを心から信じていたのだ。
 
 
ケイタとマリふたりと子供の頃からずっと一緒にいたコースケだが、結局それは
”3人 ”ではなく、”ケイタ・マリ ”プラス ”コースケ ”という図式でしか
なかった。決してふたりの絆に触れることなど出来ずにいたのだった。
 
 
マリは一番近くにいるのに、一番遠い人だった。

マリへの想いは直接口にしたことは無かったが、マリもそれに薄々気付いていて
知らないフリを続けていた。だからコースケも気付かれていないフリを続けた。
  
  
 
コースケとマリは、そんな微妙な距離をずっと保っていた。
 
 
 

■第37話 あおい

 
 
 
その日、ナチとリカコはいつものファミレスにいた。
 
 
 
 『へぇ~、リュータがリコちゃんをねぇ~・・・。』
 
  
 
リカコが片手で頬杖をついて、さほど興味なさそうな単調な声色で呟く。
指先でスプーンをクルクル廻し、いつまでもカップの中のブラックコーヒーを
かき混ぜながら。
 
 
ナチは、先日リュータがリコをバイクで連れ出した話をしていた。

リコが少し元気を回復したのは勿論嬉しかったが、やはりそれに ”リュータ ”
が関わっている事への動揺を隠しきれず、このモヤモヤした気持ちを誰かに話し
たくてリカコに連絡をしたのだった。

背中を丸めぶつくさ呟き続けるナチのどこか釈然としない様子を横目でチラっと
見てリカコが言った。無意味にかき混ぜ続けているブラックコーヒーのスプーン
をいまだ弄びながら。
  
  
 
 『リュータって、妹いるの知ってたっけ?』
 
 
 
唐突にはじまったリュータの家族構成話にナチは首を傾げつつも、初耳だったそれ
に話の先を促す。どんな些細な情報でもリュータに関することは知りたかった。
 
  
 
 『確か、アンタ達と同い年だよ。

  アイツ、地味にすっごい妹思いの兄バカだからさ。 キモいぐらいに・・・
 
 
  リコちゃんの事も、ただ単に妹みたいに思ってんのよ!
  
  
  ・・・だから気にすんなっ! 大丈夫だってば。』
 
 
 

 (そっかぁ・・・ 妹さんがいるんだ・・・

  ・・・なぁ~んだ。 ただの妹、かぁ・・・。) 
 
 
 
ナチがその言葉に素直に頷きかけ、
 
 
 
 『 ”大丈夫 ”ってなんですかっ?! 大丈夫って・・・

  べべべべ別に、私は・・・・・・・・・・・・・。』
 
  
 『はいはいはい。 分かった分かった。』
 
  
 
リカコが可笑しそうにケタケタ笑いながら軽くあしらう。

目の前の真っ赤になって必死に全否定するナチが滑稽で仕方なかった。
わざわざ休日に呼び出して、口を開けば『リュータさんがリュータさんが。』
ばかりのそれが、なにをどうしたら ”別に ”なのか、リカコには可笑しくて
可笑しくてたまらない。
 
 
 
 (素直に口に出せるって、いいな・・・。)
 
 
 
リカコはそっと目を細めて、今も尚ジタバタと足掻いて必死に言い訳を繰り返し
リュータへの恋心を隠そうとしているナチを愛おしそうに見ていた。 
  
  
 
 『そう言えば。

  ”あおい ”の話ってしたことあったっけ?』
  
 
 
『あおいさんて? 誰ですか??』 はじめて聞いた固有名詞に小首を傾げる
ナチに、リカコが少し身を乗り出して続ける。それは、突然やけに真剣な顔で
内緒話のように声をひそめて。
  
  
 
 『リュータ。 一人暮らしじゃないのよ、実は。
 
  ”あおい ”っていう可愛い・・・・・・・・・。』
 
 
 
まだリカコの話半ばで、ナチが目を見開き真っ赤になって急に立ち上がった。

イスの脚はギギギと嫌な音を立て後退り、勢いよくひっくり返ってバタンという
大きな音が店内に響き渡る。
 
 
リカコの目の前で棒立ちするナチの顔は、貧血を起こしたように虚ろで焦点を失
っている。真っ赤に染まった顔が次第に真っ青になってゆく様を目の当たりにし
さすがのリカコも慌てた。
  
  
 
 『・・・。

  なぁ~んちゃって! ”あおい ”っていうのはね・・・
 
 
  待って!! ちょっと、ナチ!! 違うってばっ!!!・・・・・・・。』
 
  
 
ただ単にちょっとからかっただけのつもりだったのだが、ナチが血相変えて店を
飛び出してしまって、リカコは本当のことを言えなくなってしまった。

ガラス窓の向こうにどんどん小さく遠ざかるナチのよろけて走る後ろ姿。
 
  
 
 『あらま。 どーぅしよ・・・
 
 
  ん~。 ・・・まぁ、いっか。

  これが ”起爆剤 ”になるかもしんないし・・・。』
  
  
 
リカコはそうひとりごち、涼しい顔をしてコーヒーをすすった。
 
 
 

■第38話 なんだ、今の?

 
 
  
 『あおい・・・ あおい・・・ あおい・・・。』
 
  
ナチはファミレスを飛び出し、足のもつれもそのままに通りを全速力で走った。

息を切らして走りながらも、無意識のうちにその口からは幾度も幾度もその名前
が零れる。
  
  
 
 (実は一人暮らしじゃない、って・・・

  あおい、って・・・・・・・・・・・・。)
 
 
 
大きくアスファルトを蹴り上げていた脚は次第に歩幅を狭め、そして立ち止まる。
ガックリとうな垂れると心細く内股になったスニーカーの爪先が目に入った。
 
  
 
 (まさか・・・ カノジョと同棲・・・?
 
 
  ってゆうか、カノジョがいるなんて話、私、聞いてないしっ!!  

  なんで先にゆってくんないのよっ!! 酷いじゃんっ!!
 
 
  何よ、じゃぁ何でリコを連れ出して、元気づけたりすんのっ?!

  妹みたいに思ってるからっ?!
 
 
  じゃぁ・・・ 何で、私に・・・ あんな風に電話してきたりすんのよ

  ・・・それも ・・・・全部。 妹な、だけ・・・?
 
 
  ただの、妹みたいな年下の女の子って、だけ・・・・・・?)
 
 
 
あまりのショックで急激に落ち込み、次第に頭に血が上り開き直って猛々しく怒り
そしてまたこの世の終わりの様にどんよりと沈む。

夏の終わりのひまわりのようにナチの頭は垂れ、クルクルと目まぐるしく変化する
自分の感情に対応しきれない心臓の鼓動が、頭の先から爪先まで全身で激しく乱れ
打ち付けた。
  
 
  
すると、ケータイが鳴った。

今は呑気におしゃべりなんかしたい気分ではないのに、こんなタイミングで電話を
してきた空気の読めない相手は誰なのかと、訝しげに画面を睨む。
  
  
 
  ◆着信:リュータさん
  
 
 
ナチはぎょっとして眉間にシワを寄せ、暫く画面を見つめていた。
電話に出ようか出まいか悩み、結局、不機嫌な感じを隠しもせず電話に出る。
 
  
  
 『ぁ、ナチ? もうメシ食ったぁ~?

  俺、腹へっちゃっ・・・・・・・・・。』
 
  
 『そんなの、あおいさんと食べればいいでしょっ!!!』
 
  
 
 プチ。 ツーツーツー・・・
 
  
  
ナチは、ケータイ越しのリュータのお気楽な一言に不機嫌を通り越して怒り心頭。
大声で怒鳴ってケータイを切ると、乱暴にカバンの奥底に押し込める。
 
 
 
  (なんなのよ、なんなのよ、なんなのよ・・・。)
 
 
 
泣きべそをかきながら、再び大股でがむしゃらに走って家へ帰った。
 
 
 
その時リュータは、ナチにぞんざいに切られて延々と通話終了の機械音を発する
ケータイをただただポカンと見つめていた。
 
 
 
 『・・・なんだ、今の?
 
 
  あおいと食べろ、って・・・・

  まぁ、家で食えばそうなるけど・・・。』
 
  
全く以って訳が分からないリュータだった。
 
 
 

■第39話 リュータの部屋から

 
 
 
ナチはその日以来、寝ても覚めても ”あおい ”という固有名詞が頭をグルグル
巡っていた。
 
  
 
 (同じ大学の人・・・? 

  それとも地元の高校の同級生・・・?

  ・・・もしかしたら、もっと前からの、すっごい長い付き合いとか・・・?
 
 
  誰・・・ 誰なの?あおいって・・・

  私、ゼンッゼン、聞いてないし・・・
  
  
  ・・・あおいって、誰なのよ・・・・・・・・・・・・・・・・。)
 
  
 
気になって気になって仕方がない。

あおいの存在を知るのは怖いけれど、しっかりハッキリ突き止めなければナチの
性格上気が済まなかった。うやむやなままでいるのが何より苦痛だった。
 
 
考えに考えた末、結局 ”こっそり偵察する ”というザックリした案しか浮かば
なかったが、リコを誘ってリュータの部屋まで行ってみようと決心する。
しかし、リコにもリュータへの気持ちを伝えていないのに、まずどうやってリコ
を連れ出すかという壁にすぐさまぶち当たった。
 
 
狭い自室をウロウロと歩き回り考えあぐねる。

そして、頭で考えるよりまず体と口が動くタイプのナチは取り敢えずリコに電話
した。
 
  
 
 『ねぇ、リコ? 明日の休みってヒマ~?

  散歩しない? 散歩・・・
 
 
  ・・・えーぇと。 テ、テキトーに。 そこら辺、を・・・。』
 
  
 
かなり強引で不自然な誘い。

ナチも誘いながらもっと巧い口実は無かったものかと半ば自分に呆れつつも、
電話の向こうのリコはなんとも快くオーケーしてくれた。
しかし快諾するリコの声の奥にも隠しきれない『?』マークがいっぱいだった。
 
 
 
 
 
翌日、ナチが約束の昼過ぎにリコの家にやって来た。

本来なら一人でこっそり偵察したいのだが、リュータの部屋の場所を知らない
ナチにはリコを頼るしかなかったのだ。
 
 
リコが自宅玄関から出て来て、『で? 散歩ドコ行く??』とルートを模索し
はじめる。その問い掛けも完全にスルーして、ナチは聞こえよがしな独り言を
呟いた。
 
 
 
 『そ、そう言えば・・・ リュータさん、今頃、何してるかなぁ~?

  ・・・ち、近いって言ってたよねぇ~? 家・・・。』
 
 
 
『連絡してみれば?』というリコの真っ当な意見も、ナチは片耳をカリカリと
掻いて聞こえなかったふりをした。
そしてチラっと横目でリコを盗み見、”欲しい一言 ”が出るよう心の中で手を
合わせる。
 
 
すると、『様子見に行ってみる?』とリュータの部屋の方向へ歩き出したリコ。
 
 
 
 
 『前に話した時に、大体の部屋の場所は聞いたんだよねぇ~。』
 
 
 
リコの口から ”欲しい一言 ”がまんまと飛び出し、ナチはこっそり肘を引き
小さく小さくガッツポーズをした。ナチの作戦通りだった。
 
 
 
ふたりはリコの家の坂道を更に上って、リュータのアパートへと向かっていた。
ほんの10分ほど歩いた先にあった古いアパートを見つけ、リコが指さす。
 
 
 
 『アパートの名前だけで決めたんだって。

  ・・・リュータさんらしいよね。』
 
 
 
アパートの2階手摺り部分に設置されたそれには ”ウルトラマンション ”と
あった。

どこをどう見ても木造2階建てアパートなそこに、ナチは心の中で『マンション
じゃないじゃん。』と片頬を歪め呆れつつも、本当に訪ねて来てしまった事に
途端に心臓は早鐘を打ち始める。
 
 
『確か・・・ 2階の、あの部屋だと思う。』と、腕を伸ばし指をさすリコ。

その方向を見てみると、窓が開いていて水色のカーテンが風にそよいでいる。
わずかにテレビの音も聞こえる気がする。部屋にリュータがいる気配だ。
 
 
ナチの全身が、ドク・ドク・ドクと音を立てて脈打つ。
 
 
ナチは窓の下からじっと様子を伺った。
口を真一文字に結びリュータの部屋から漏れ聞こえる音を逃さぬよう、首を反れ
るだけ反って真剣な表情で睨み続けるナチ。
 
 
その不可思議な様子に、リコがナチに呼びかける。 『・・・訪ねないの?』
  
 
すると、ナチは険しい目付きで『シッ!』と人差し指を口にあて、リコを黙らせ
ると片耳を向け更に聞き耳を立てて息を潜めた。
 
 
その時、
  
 
 
 
 『あおい! ちょっ・・・ 待てってば!! あおい・・・。』
 
 
 
 (!!!!!っ
 
 
  いた・・・ 確かにいた・・・

  ホントに、ホントに・・・ あおいが、いた・・・
 
 
  ・・・あおいって子と、一緒に・・・ 暮らしてるんだ・・・。)
 
 
 
思い切り青ざめて頬を引き攣らせているナチを見て、リコがその様子を察し声を
かけようとした、その時。
  
  
 
 『あれ・・・? お前ら、何してんの・・・?』
 
 
  
リュータが偶然窓から顔を出し、自分の部屋の窓を見上げる二人に気付いた。

その瞬間、ナチはあおいと顔を合わせたくなくて咄嗟にガバっと下を向く。
青ざめていた肌はどんどん赤らみ、痛々しい程に首の後ろまで真っ赤に染まる。
 
  
 
 『あぁ!!! その子・・・!!!』
 
 
 
隣に立つリコが声を弾ませた。
その声色は驚いていて、そしてなんだかやけに嬉しそうで。

ナチはギュっと目をつぶって、決して顔を上げなかった。力無く体の横で垂れて
いた手は急激に力んで拳を作り震える。
それに連動するように、寒くもないのに体も小刻みに震えはじめた。
 
 
 
 『ねぇ、ナチ?

  ・・・ほら、ナチってばぁ!!』
 
 
  
リコが手を当ててナチの肩をゆらゆらと揺らす。
 
  
 
 (ヤだ・・・

  もぉ、ヤだ・・・

  ・・・やめて、見たくなんかない・・・。)
 
 
 
今にも泣き出しそうに俯いたままのナチへ、リュータが呑気に呼び掛けた。
 
 
  
 『ちょっと上がってっかぁ? ・・・汚ねぇけど。』
 
 
 

■第40話 ナチとリュータとあおい

 
 
 
 『私・・・ 帰る・・・。』
 
 
脱力したようにうな垂れたままそう言うと、ナチはリュータの誘いを断り足早に
歩き出した。

『ナチっ!!』リコが呼び掛け追おうとするより先に、慌ててリュータが部屋
から飛び出して来て、ナチの腕をむんずと掴んで引き留める。
 
  
 
 『お前、どーしたんだよ? こないだから、なんか変だぞ~ぉ?』
 
 
 
リュータが優しくナチの顔を覗き込みながら声を掛けた。

俯いたままのナチの目に、スウェットにサンダル履きのくたびれた部屋着姿が
映った。ゆっくりと顔を上げると目に入ったリュータの後頭部にはまたピョコ
っと髪の毛が飛び跳ね寝癖が付いている。
 
 
 
 (こんな気の抜けたリュータさんが、あおいって人と、二人で・・・。)
  
 
 
 『・・・ヤだっ!! 離してっ!!』
 
 
 
ナチが大声を上げて、リュータの手を思い切り振り払った。

その瞬間、固唾をのみ体を強張らせるリュータ。まるで汚いものにでも触れら
れたかのように冷たく振り払われたその手に、大きなショックを受けていた。
リュータが寂しそうにそっとナチから目を逸らす。

そして、『・・・悪かったな。』と先程と変わらない優しい声でぽつり呟き、
踵を返すとノロノロと自分の部屋へ足取り重く戻って行った。
アパートの外階段を踏み上がる乾いたリュータの足音がカツンカツンと寂しげ
に鳴り次第に遠ざかる。
 
 
リコはリュータとナチの間でオロオロと狼狽えていた。

ナチは不機嫌そうに俯いたままで、リュータは哀しそうにこの場から去ってしま
った。二人の間に何がありどうしてこうなってしまったのか、全く分からない。
 
 
すると、不遜な態度にも見える様子で下を向き脹れたままのナチが早足で歩き出
した。リコは慌ててその背中を追い掛ける。
 
 
 
 『ナチっ!! ねぇ、ナチってば・・・。』
 
 
 
呼び掛けても全く振り返らない早足のナチの肩を、リコが後ろから掴んで引き
止めると、やっとの事で振り返ったナチの頬には涙が伝っていた。
 
  
 
 『・・・・・・・・・・・・・・ナチ?』
 
 
 
すると、ナチはその場にしゃがみ込んで声を上げて泣きだした。
子供のように体を小さく丸めて両手で顔を覆い、溢れだす泣き声を我慢もせずに。

そこでやっと、リコが気付いた。
 
  
 
 『ナチぃ・・・ 

  ・・・もしかして、好きなの? リュータさんのこと・・・。』
 
 
 
リコのその一言に、一瞬ナチの泣き声が止まる。
そしてその後は、更に小さく縮こまり必死に声を殺してしくしくと泣き始めた。 
 
  
 
 
 
リコとナチは、リュータの家から少し離れた丘の上にあるお寺の境内にいた。
そこはとても眺めが良くて、リコ達が昔からたまに来る癒しの場所でもあった。
 
 
ナチはまだ泣いていた。

あおいへの抑え切れない嫉妬と、冷たく振り払ってしまったリュータの手。
あの時のリュータの寂しそうな顔が脳裏に焼き付いて離れない。
 
 
『もう嫌われた。』と、そればかりナチは繰り返していた。
泣きじゃくるナチの隣で、リコは何故あの時ナチがあんな行動をとったのか
不思議でならなくて、必死に事の成り行きを整理しようとしていた。
 
 
 
 (リュータさんのアパートまで行って・・・

  窓の下から様子伺ってて・・・
 
 
  ・・・何がナチをあんな風にさせちゃったんだろう・・・。)
 
 
 
すると、
 
 
  
 『・・・ナチっ?!

  やだ!! ナチ・・・違うってばっ!!

  ・・・もぉ~、違うってばぁ、ナチっ!!!』
 
  
 
なにかを思い付いたように突然そう言うと、リコがお腹を抱えてケラケラ笑い
だした。いまだしゃがみ込むナチの肩をバンバン叩き、笑い声の合間合間に
『違う!違う!』とひたすら繰り返して、どこかホっとした様子で。

そんなリコを訳も分からずポカンと口を開けて見ているナチ。
頬はまだ涙で濡れて、拭うことも忘れた髪の毛が張り付いたまま。
  
 
 
 『ちょっと待っててっ!!』
 
 
 
リコはそれだけ言うと、猛ダッシュで境内から走り去ってしまった。

その小さくなってゆくリコの後ろ姿を呆然と見つめたまま、独りその場に取り
残されたナチはまた泣いた。
 
 
 
 『な、なんなのよぉ・・・ 薄情者~~~~ぉ!!』
 
  
 
 
 
リコがいなくなってしまい、15分くらいナチは一人でお寺の境内に佇んでいた。

しゃがみっぱなしの足がだいぶ疲れてきていたが、立ちあがる気力が無い。
小さく丸まったまま指先でスニーカーの爪先を弄ぶ。砂利の粒をひと粒つかむと
意味も無く振りかぶって遠くへ投げた。
 
 
すると、何処からともなく一匹の猫がナチの足元へ擦り寄ってきた。

それは大きな目のキレイな真っ白い猫で、可愛い赤色の首輪をしている。飼い猫
ということらしい。
 
 
その時、
 
 
 
 『あおい~~!! あ~ぁおい~~~~ぃ!!』
 
  
 
  (あの声・・・・・・・・・・・・・・。)
 
 
 
 『ウチのあおいがここら辺に来てないかー?』
 
  
 
リュータがコメカミを指先でポリポリ掻きながら、思い切り頬を緩めて立っていた。 
 
 
 

■第41話 キス


 
 
 
 『 ”ウチのあおい ”って・・・。』
 
 
ナチは、白猫を抱き締めたまましゃがみ込んでいる体勢から、ゆっくりと立ち上が
る。脚が軽く痺れていて少しよろけながら。そして、リュータと白猫の顔を交互に
見て言葉を失くした。

『あおい、って・・・。』 せわしくなく瞬きを繰り返し、頭の中を整理しようと
必死になる。あまりにドキドキして苦しくて、大きめに呼吸をすると胸が上下した。
 
 
 
 『なぁーにを勝手に勘違いしてんのか、知らんけどよー・・・。』
 
 
 
そう言うと、リュータが声を上げて大笑いした。
腰に手を当て背中を丸めて、リュータが笑う。いつまでもいつまでも愉しそうに。

それは知らぬうちにされていたナチからの誤解が解けてホっとした事による笑い
だったのだが、あまりにずっと笑われ続けるものだからナチは少し悲しくなって
きていた。
 
 
ナチはどうしようもなく恥ずかしくなって、頬も耳も真っ赤にして俯く。

勝手におかしな誤解をしてリュータに八つ当たりした自分が情けなくて、きまり悪
くて格好悪すぎて、自分でも気付かぬうちにポロっとひと粒涙が落ちた。
 
 
すると、俯くナチの肩が小さく震えてる事に気付いたリュータ。
 
 
 
 『な~に、お前まで笑ってやが・・・。』
 
 
 
と、からかいかけてナチの涙が目に入る。
それは瞳からこぼれて頬を伝い、顎から滴って透明の雫が心許なく揺れていた。
 
  
  
 『まったく・・・ 世話やけんなぁー・・・。』
 
 
 
そう言って、リュータは微笑みながら一歩前進する。

ナチとの距離が縮まると、胸に抱かれたままのあおいがリュータの姿にニャ~と
嬉しそうに高い声でひと声鳴いた。
 
 
目を細め頬を緩めたままリュータは両の指先でナチのまあるい両頬をつねって
優しく引っ張る。両腕であおいを抱いている為、ナチはそれに抗うことも出来ず
『ふえぇぇん・・・。』と情けない声を漏らして再び涙をこぼした。
 
 
 
  (子供かっ・・・。)
 
 
 
小さい子供でもあやすかのように、リュータの大きな手がナチの頭をガシガシ
撫でた。

ふと覗き込むと、ナチの長い下まつ毛に大きな涙の雫がたゆたっている。
ころんと小さな鼻の頭が赤い。まあるい頬には幾筋もの濡れた跡が付き髪の毛
が張り付いている。

リュータは、恥ずかしそうにまだ下を向いてどこか苦しそうに瞬きをするナチ
に近付くようにそっと背中を屈め、顔を寄せ。
 
 
 
 
 
   濡れたまあるい頬に、小さく小さくキスをした・・・
 
  
  
  
 
 
 
ナチは、今日の出来事を何度も何度も思い返していた。
 
 
 (夢なんじゃないかな・・・

  もしくは、泣きすぎて脳みそ少し流れちゃって、

  妄想を現実だと思い込んでるんじゃ・・・?
 
 
  でも、でも・・・ 確かに・・・ 多分・・・ 私の頬に・・・

  でも、ただ、ちょっと。ぶつかっただけなのかも。 きっと、そう!
 
 
  きっと、アレはなんかの事故・・・

  ・・・事 故・・・?
 
 
  でも、やっぱり、私・・・・・・・・

  ・・・リュータさんに、 ・・・キス・・・ された・・・。)
  
  
 
パジャマ姿でベットに腰掛け枕を抱えて、ナチは一人ジタバタしていた。

バタ足のように両脚を交互に上下しては、抱きしめた枕にぎゅぅうううっと
力を込める。
  
 
 
 (次に逢う時・・・ どんな顔して逢えばいいのよ・・・。)
  
 
 
思い出しては真っ赤になってジタバタし、再びこの先の色々なことを考えあぐね
独り言を呟いてはジタバタ・・・
その繰り返しだった。

延々それを繰り返して、気が付けば夜が明けた。
 
 
リュータの薄くてひんやりした唇が触れた右の頬に、そっと手を当ててナチは
目を瞑る。全身が心臓になってしまったのではないかと思うくらいに、ナチの
全部がドキドキを発して暴れる。
 
  
  
 (私・・・ 死んじゃうってばぁ・・・。)
 
 
  
ナチの恋も、猛スピードで動き出していた。
 
 
 

■第42話 境内で

 
 
 
リコはコースケの真実を知ってからずっと、これからの事を考えていた。
 
 
今までのようにコースケを想って一喜一憂するだけの毎日では駄目だと感じて
いた。想う相手の一挙手一投足にのみ左右され、泣いたり落ち込んだり周りに
迷惑をかけるだけなんて、なんて味気なく薄っぺらい毎日だろう。
 
 
もっと、自分に自信がつく ”何か ”を見つけたい。リコはそう思った。

そして、真っ直ぐ前を見据えた素敵な女性になって、いつの日か正々堂々と
コースケにぶつかりたいと考え始めていた。
 
 
すると、自室のクローゼットをゴソゴソと物色しはじめた、リコ。
脚立に上り上段の棚の奥の奥へと手を伸ばすと、そこにはもう何年も開けて
いない埃をかぶった段ボールが数個無造作に放置されていた。
 
 
 
 『ぁ・・・ あった!!!』
 
 
 
探していた箱を見つけて無邪気に声を上げ喜んだ途端、段に頭をぶつけた。

体を前後し脚立から落ち掛けて、危なっかしくその場にしゃがみ込む。
確実にたんこぶになりそうな頭をしかめっ面でさすりながら、見つけた箱を
開けそれを引っ張り出す。
 
  
 
 『見つけた・・・。』
  
 
 
子供のように目を輝かせ、リコが笑顔になった。
  
  
 
  
 
 
日曜の早朝。リコは荷物を詰めた大き目のトートバッグを肩に掛け、自宅の
玄関をそっと抜け出していた。

行き先は、ひっそりと丘の上にあるお寺の境内。
昔からよく来ていた場所でここ最近はご無沙汰だったのが、つい先日ナチ達
と久々に訪れたことで、再び穏やかで心落ち着くそこに魅せられたのだった。
 
 
誰もいないそこは、朝靄で樹々の緑が幻想的に霞んで輝いている。
すずめが数羽小さく鳴いて、灯篭の上でハーモニーを奏でる。
朝の爽やかで心地よい風がリコのセミロングの髪の毛を優しく揺らした。
 
 
然程広くはない境内の敷地内をウロウロしてポイントを探す。

スニーカーの靴底が砂利を踏みしめてシャリシャリと音を響かせる。
リコはとあるポイントに目星を付けると、持参した折り畳みの小さいイスを
トートバッグから取り出し広げて座った。
 
 
そしてイスに腰掛けて見える目の前の景色に満足気にうんうんと頷くと、
再びバッグに手を差し込み、大切に大切にそれを取り出す。

リコの膝の上に広げられたのは、スケッチブックとパステルだった。

黄色と濃緑の表紙が特徴のそれは、丁度良いサイズで水彩でも鉛筆でも描き
やすく子供の頃から愛用していたスケッチブックで、自慢のパステルは昔
お年玉を貯めてやっと購入した242色のゴンドラパステルセットだった。
 
  
 
 『久しぶりだなぁ・・・。』
 
 
 
リコは子供の頃から絵を描くのが好きで、以前はよくスケッチブックとパス
テルを持って絵を描きに出歩いたものだった。

高校に入学し次第に描く機会が減って、最近は全く描いていなかったのだが
”何か自分が好きなこと ” ”少しでも自信があること ”と考えた時、また
スケッチブックを引っ張り出すことを思いついたのだった。
 
 
最初少し躊躇いがちだった指先も、一度白紙の上に色を落とすと途端に止ま
らなくなり、次から次へと面白いように境内からの景色が色付く。

ただ純粋に絵を描くことが好きで、楽しくて楽しくて仕方なかった。
心を真っ新にしてやわらかい表情で、キラキラした早朝の街並を描き続けた。
 
 
暫し時間も忘れて風景画を描き続けた後、用意してきた水筒でお茶を飲んで
少し休憩を取った。ワンタッチでオープンするキャップユニットに口を付け
中身のアイスティーを喉に流し込むと、いつも家で飲んでいるそれとは思え
ないくらいに驚くほど体の隅々にまで沁みてゆく。リコはあまりの美味しさ
にゴクゴクと少し行儀悪く喉を鳴らした。
 
 
ゆっくりと照り始めた目映い日差しに、そっと目を閉じる。

そしてひとつ深呼吸して大きく胸を膨らませると、目を開けた。
胸の奥をくすぐる、やわらかいあの笑顔。

すると、スケッチブックをめくって真っ白なページを開くと、イラストを
描き始めたリコ。
 
 
黒い短い髪の、困った顔で笑う男の子・・・これはコースケ。
天然パーマで軽くウェーブがかった栗色髪の目が大きい子は、ナチ。
明るく染めた茶髪のツンツンと跳ねた髪型・・・これはリュータ。
ストレートの黒髪美人・・・これがリカコ。

そして、コースケをそっと後ろから見つめる位置に描いたセミロングの
女の子・・・それはリコだった。
 
 
その時、 
  
 
 
 『・・・リコちゃんっ??』
 
 
 
自分の名前を呼ぶ、聞き間違えるはずないあの声に振り返ると、そこには
思った通りコースケが立っていた。
 
 
あまりにビックリして勢いよく立ち上がり、リコは膝の上の画材を盛大に
ひっくり返した。
 
 
 

■第43話 突然の

 
 
 
バラバラとリコの足元に散らばってしまった色とりどりのパステルをしゃがんで
拾い集めるコースケ。
 
 
突然のコースケの姿にあまりに驚きすぎて、リコは声を出す事が出来ない。

ただただせわしなく瞬きを繰り返し、想定外の出来事に全く準備が出来ていなか
った心臓をバクバクと狂ったように高鳴らせ、軽くパニック状態になっていた。
 
コースケが懸命に拾い集めてくれるパステルがケースに全て元通りになってゆく
のを呆然と見つめ、リコはそのお礼を言うのすら忘れ何も出来ずに棒立ちのまま。
 
 
 
 『絵、描くんだね?』
 
 
 
コースケは拾い集めたパステルに目をやりそっと立ちあがると、いつもの優しい
笑顔を向ける。

コクリコクリと覚束なく頷き、『ぁりがとう・・・。』とやっと声を発したリコ。
そしてもう一度きちんと礼を言うと、少し照れくさそうに髪の束を耳に掛けた。
現れたそれは耳たぶまで真っ赤になって、ジリジリと熱を持っていた。
 
 
 
 『全くのド素人なんですけど・・・

  ・・・好きなんです、描くの・・・。』
 
 
 
胸の前で抱えた愛用のスケッチブックにチラリと目を遣って、小さく微笑む。

すると、コースケはリコのその笑顔にホっとしたような目を向け、急に少し真面目
な声色で言った。
 
  
 
 『あの・・・ この間・・・

  バーベキューの時は、ほんと、ごめんなぁ・・・
 
 
  なんか、中途半端に解散になっちゃって・・・。』
 
  
 
リコはあの日以来コースケに逢っていなかった。
それどころか、メールの遣り取りも全くしていなかったのだ。

本来であれば ”楽しかったです ”のひと言でもメールする性格のリコだったが
あんな現場を目撃してしまい、泣きながら帰ったあの日をお世辞にも ”楽しい ”
と文字にする事など出来ず、今に至っていたのだった。
 
  
 
 『絵本も返そうと思ってたのに・・・ ごめん。』
 
 
 
コースケが申し訳なさそうに呟く。
背中を丸め後頭部をガシガシと掻いて、情けない笑顔を更に情けなく歪めて。
 
 
 
  (コーチャン先生の言う ”ごめん ”は、

   バラバラに解散したことに対する ”ごめん ”なんだよね・・・。)
 
 
 
リコはそのバツが悪そうな下がり眉を見ていたら、思わずちょっと意地悪くマリ
の話を切り出してみようかと少し考え、やはりそんな事出来ずにやめた。

落とし処のない想いにやるせなく揺れる気持ちは、自分が誰よりも分かっている
のにと、ひとりかぶりを振る。
 
  
 
 『絵本は、本当にいつでもいいですから。

  ・・・ぜんぜん、気にしないで下さい!』
 
 
 
リコがいつもの明るい笑顔で返すと、コースケはやっと安心出来たように肩の
力を抜いてやわらかく笑った。その笑顔も声色も少しだけ無理をしている事に
リコの想いを知らないコースケが気付けるはずもなく。 
 
  
 
 
 
コースケはたまにジョギングしにこの境内に以前から来ていたという。
リコと同じように、ここから見える景色が好きだったのだ。
 
 
 
 『・・・絵、見てもいい?』
 
 
 
コースケの一言に、リコは目を白黒させて大慌てで断る。
片手を ”イヤイヤ ”と振り、他方の手はしっかり胸に抱くスケッチブックを
死守しながら。

実際、人に見せられるようなレベルではないし、ただお遊びで描いてるだけだ
からと何度言っても、コースケは愉しそうにケラケラ笑いながらスケッチブック
を引っ張って奪おうとする。
 
  
 
 『いいから、見せろってぇ~!』
 
 
 『やだっっ!! 下手くそだからっ!!

  ・・・ムリ!! もぅ、ホントにムリだからぁ~・・・。』
 
  
 
しかし、男のコースケの腕力に細腕のリコが敵うはずもなく、スケッチブックは
いとも簡単にリコの手を離れた。

コースケは悪戯好きの子供のように頬を上げてニヤリほくそ笑むと、スケッチ
ブックの表紙をめくる。最初ニヤニヤしていた顔は次第にまじまじと真剣に目を
落とし、その口は一言も発することなく噤まれてしまった。

その横顔を、リコは落ち着きなくソワソワしながら見つめていた。それはどこか
泣いてしまいそうな、恥ずかしくて仕方なさそうな目で。
 
 
 
  (下手すぎて、呆れられたかな・・・。)
 
 
 
すると、 
 
 
  
 『リコちゃん・・・ 頼みがあるんだけど・・・。』
 
 
 
コースケが低い声色でぽつり呟いた。
『ん?』と目を向けたリコに、コースケは続ける。
  
 
 
 『暇な時でいいからさ、園のイラスト描くの手伝ってくんない?』
 
 
 
コースケは、全くと言っていいほど絵の才能が欠如していた。

しかし育った環境もあり子供が大好きで、そしてなにより保育園を愛していた。
園を子供たちが喜ぶ素晴らしいものにしたいという思いが昔から強く、それは経営
者である両親に色々な提案をして、保育士たちに協力して自らも行動するくらいだ
ったのだ。

園内を彩りたいイラストのイメージは出来ていても、美術の分野がからっきしダメ
なコースケには自分の手でそれを形に出来ないことに歯がゆさを感じていたのだ。
 
 
リコの顔が瞬時にパっと明るくなる。目がキラキラ輝いて、頬は高揚して。
切れかけていた蛍光灯が新しくなった様に、それは目まぐるしい変わりようだった。
 
 
 
 『・・・私でいいなら、喜んでっ!!』
 
 
 
体の横で不安げに垂れていた手にぎゅっと力を込め握り締める。 

リコは、自分がコースケの役に立てるかもしれない事にはち切れんばかりに胸が
ドキドキと高鳴っていた。
 
 
 

■第44話 イラスト

 
 
 
それから、コースケは考えている園のイラストのイメージについて話しだした。
 
 
今までこんな相談が出来たのは勤務歴の長い保育士だけで、それも時間外労働に
なっては申し訳ないと遠慮してしまい、多くは自分の中にだけ溜め込んでいた。

しかし今、目の前にいるリコがあまりに嬉しそうに、まるで園児のように目を
キラキラさせて話を聞いてくれるものだから、コースケは身振り手振りを付けて
今まで消化しきれずにいた思いを全て吐き出すように、息継ぎも忘れて話す。
 
 
保育園の壁は可愛いイラストでいっぱいにしたいと語るコースケ。
子供たちが手を伸ばしていっぱい触れるように、子供たちの目の高さに興味を
惹くイラストをたくさん張り出したいのだと。
 
 
 
 『今日は・・・ あんまり急だから、ダメだよな?』
 
 
 
思わず呟いてしまってから、苦い顔を作り発言を取り消すコースケ。

折角の休日だというのに、急なお願いをしかけた自分をいなす。この後のリコの
予定も知らないし、頼まれたら断りづらいという性格なのだから気を遣わせるだ
けだというのに。
 
 
すると、リコが勢いよく立ち上がって言った。

『善イソっ!!』 愉しそうにリコが目を細め笑う。
 
 
 
 『ぇ? ぜん・・い・・そ・・・?』 
 
 
 
コースケはその言葉の意味が分からず小首を傾げるも、リコは急いで画材をバッグ
に詰めて片付け始めた。

そしていまだ事態が把握出来ていないコースケの腕を引っ張って、保育園へ戻る
道へと歩き出した。
 
  
 
 
 
気が付けば太陽は真上にのぼり、もう昼になっていた。

園へと向かう坂道を下りながら、コースケが言う。 『コンビニ寄ってこうか。』
うんうんとリコも頷き、ふたりはコンビニに寄って昼食を買うことにした。
 
 
コンビニ店内に入店した際のチャイムが鳴り、コースケに続いてリコが歩く。

入口すぐ横に置かれたカゴを持つとコースケが『食べたいもん買って!』と促す。
こんなコンビニでの買い物でさえ、リコは気を抜くと涙が出そうに嬉しかった。
 
 
 
  (コーチャン先生と・・・ ふたりで、買い物してる・・・。)
 
 
 
コンビニの鏡になった壁に映った自分の顔が嬉しそうに緩んでいて、リコは慌てて
頬をきゅっと引き締めた。
 
 
昼食やお菓子、ドリンクなど買い込んでひまわり保育園へ向かう休日の午後。
それは思い返せばコースケと二人の、2度目の静かな休日の保育園だった。
 
 
まずは腹ごしらえと、園児用の小さいテーブルを引っ張り出し買ってきた食べ物を
広げた。床にペタンと座り込み、他愛も無い話をしてゲラゲラ笑い合いながら昼食
を取る。
満腹になったところで、ついにイラスト描きを始める事にした。
 
 
コースケがリコにイメージの詳細を伝える。

園内の中央にある ”みんなのひろば ”と呼ばれる遊戯室の4面の壁に、それぞれ
四季を描きたいとコースケは熱く語った。
 
 
 
 『春の壁には、桜の木とか、お雛様とか春っぽいイラスト。

  夏なら、花火とか。

  秋なら紅葉・・・ 冬なら雪だるま・サンタ・・・。』
 
 
 
リコは、真剣な表情で一生懸命に語るコースケをそっと見つめる。
真面目で、真っ直ぐで、ひたむきで・・・

コースケとの二人の時間が嬉しいという事だけではなく、純粋にイラスト描きに
対して張り切りだしていた。
 
 
 
 『俺、イメージは完っ璧に出来上がってんだけど~・・・

  ・・・なんっせ、絵が描けなくて・・・。』
 
 
 
そう言ってコースケは情けなさそうに眉尻を下げて笑う。

リコはコースケの四季の壁の案にもの凄く感動していた。それが飾られた壁を
見たときの子供たちのはしゃぐ顔が目に浮かぶようだった。
 
 
すると、リコも次々思いついた案を出す。
 
 
 
 『絵だけじゃなく、こう・・・立体的に、

  子供たちがふれられるように。

  例えばぁ・・・ 

  ん~・・・ 桜の木だったら、さくらんぼを折り紙とかで作って

  実際ぶら下がる感じとかにしたら、もっと楽しいんじゃないですかね??』
 
 
 
リコとコースケは夢中で案を出し、話し合い、一緒に考えた。
スケッチブックにまずはイメージを試し描きしてみる。
 
 
コースケが、鉛筆を握り締め描き進めるリコをすぐ横で覗き込む。
リコの首筋に、コースケの息を微かに感じる。

それがどうしようもなく恥ずかしくなって、リコは気付かれぬよう少しだけ体を
遠のけた。
 
 
 
 (コーチャン先生と、こんな時間を過ごせるなんて・・・。)
 
  
 
クローゼットからスケッチブックを見付けだした自分を褒めてあげたいリコだった。
 
 
 

■第45話 報告会

 
 
 
リコとナチ。
息継ぎも忘れて自分の話を興奮気味にしゃべり出した、ある日の放課後。
 
 
二人共、早く話したくて話したくて仕方がなかった。

リコはコースケとの園でのイラスト話、ナチはリュータと仲直り出来た話
をまくし立てるようにして一気にしゃべり、相手の話に大袈裟なくらいに
相槌を打ち感嘆の声を上げ、また自分の話に戻る・・・という繰り返しを
延々2時間は続けていた。
 
 
 
 『ナチ・・・

  良かったねっ! ちゃんと誤解も解けて、仲直り出来て。』
 
 
 
リコはあの日、ナチが ”あおい ”を ”彼女 ”だと勘違いしている事に
気付き、急いでアパートまでリュータを呼びに戻って事情を説明し、境内
まで行かせたのだ。
 
 
 
 『ねぇ、リコ知ってたぁ~?

  ”あおい ”って蒼井優の ”あおい ”なんだって!!

  普通、蒼井優のファンだったら ”ゆう ”って付けると思わないっ?!
 
 
  ・・・ほんっっと、意味わかんないんだけどぉ~・・・。』
 
 
 
そう言うナチは、デレデレと頬を緩めとても幸せそうな表情をしていた。

もうひと気ない教室にふたり、一つの机に向かい合って座り片肘をついて
敢えて憎まれ口を叩くナチの口角は三日月のようにご機嫌に上がっている。
  
 
 
 『でもでもっ!

  リコだって、すっごい前進じゃないっ?!

  毎週日曜に園でイラスト描きする事になったんでしょ?
 
 
 ・・・ふ た り っ き り で。』
  
  
  
そうナチにネチっこくからかわれ、リコも照れまくりながらも嬉しすぎて
信じられなくて、純粋に舞い上がっていた。机の上で絡めた細い指先が歯
がゆくモジモジと蠢く。

実際、マリの件はなにも解決していないし、解決する気配すら皆無だった
けれど今はその事は考えないようにしていた。
ただ、コースケの手助けが出来る今を大切にしようと思っていたのだ。
 
 
すると、急にナチがちょっと口を尖らせてぶつくさと呟きはじめた。

その顔は眉根をひそめ、机の下でハイソックスの脚をバタバタと不満気に
バタつかせて。
 
 
 
 『あの日以来、

  リュータさんから、電話もラインも無いんだけど・・・
 
  
  もしかして・・・ ”あの事 ”

  なんとも思ってないんじゃないかなぁ・・・。』
 
 
 
女の子には次から次へと悩みが付きまとうらしい。

先程まであんなに頬を桜色に染めて跳び上がりそうに上機嫌に息巻いて
いた姿は、今はしょんぼりと肩を落とし夏の終わりのひまわりのように
首を垂れて小さく小さく萎んでいる。
 
  
リコがクスリと笑って、うな垂れるナチのセーラー服の上腕を人差し指
でツンツンと突く。
 
 
 
 『ナ チ か ら 連絡したらいーじゃんっ??』
 
 
 
するとナチが真っ赤になって、ブンブン首を横に振った。
ふんわりカールがかった栗色の髪の毛が、頭の動きに併せてふわふわと
揺れ赤く染まる頬に左右交互に掛かる。
  
 
 
 『無理ーーぃ!! 無理無理っ!!!

  ・・・だって・・・ 

  ・・・なんて、話せば・・・ いいの、よぉ・・・。』
 
 
 
最初勢いがあった言葉は次第に自信なげにデクレッシェンドして、語尾
はもう聞き取れないくらい小さく心細く消える。 
 
 
 
 『今まで通りでいいじゃないっ!』
 
  
 『えーーー、今まで通りって・・・

  ・・・私、どんなんだった・・・??』
 
 
 
そんな遣り取りを繰り返し、リコとナチは笑ったり沈んだり怒ったりし
ながら日が暮れるまで放課後の教室にいた。
 
  
  
 
 
ナチと別れ、リコは夕方の商店街にいた。

今度の日曜もコースケとイラスト描きをする予定だったので、少し画材
でも見ておこうと寄ったのだった。
 
 
丁度買い物客が多く一番活気ある時間帯で、あちこちから店主の掛け声
や惣菜の香ばしいにおいが流れ、自然にリコも微笑んでしまう。
 
 
リコは画材屋に入ると、絵の具が置いてあるコーナーで立ち止まった。

先日はイメージ図を鉛筆で描いたが、やはり色が付いた方が想像し易い。
絵具にしようか色鉛筆にしようか悩みながらそれらを手に取って見てい
た時リコを呼ぶような声がした。
  
 
 
 『あっ!! お姉ちゃんっ!!!』
 
 
 
声が聴こえた方へ目を遣ると、ガラス越しにタクヤがいた。嬉しそうに
大きく片手を振ってニコニコ笑っている。そして、その他方の手を繋ぎ
隣に立つ女性が、やわらかく微笑んでいた。
 
 
 
 (マリさんだ・・・。)
 
 
 
あの日、遠くグラウンドに佇んでいたマリがいた。
 
 
 

■第46話 マリとの出会い

 
  
 
 『この間、タクヤと遊んでくれたのよね・・・?

  ちゃんとお礼も出来なくて、ごめんなさいね。』
 
 
 
そう言って、やわらかい表情でリコに話し掛けてきた女性がマリだった。

リコは勝手なイメージで、コースケにすがり頼りきっている弱々しい女性
を想像していたのだが、マリは180度違う感じがした。
 
 
会社員らしくきちんとスーツを着込んでいるけれど、ピンクベージュの
それはフェミニンなふんわりシルエットで、やわらかさが滲み出ている。
小柄で華奢で母親特有の優しい雰囲気もありながら、一本芯の通った様な
凛とした女性だった。
 
 
 
 (なんか・・・ 強くてキレイな人だなぁ・・・。)
  
 
 
リコは言葉を失くしたまま、目の前のマリにまじまじと見惚れてしまって
いた。なんだか見ていると無意識に背筋がスっと伸びるような気がする。

するとそんなリコに、自分に注目してほしいタクヤがジタバタと手を
左右に振ってその小さな指先に今買ってもらったばかりであろうお菓子
を掴んで揺らして見せる。

そして『はい。コレ、お姉ちゃんにあげる!!』とそれをひとつ渡した。
 
 
 
 『えっ!!

  たっくんの大事なお菓子でしょ~?

  いいよいいよ、たっくん食べなよ~。』
  
 
 
リコはタクヤの目線に合わせてその場にしゃがみ込み、その小さな手を
優しく優しく遮って遠慮したのだが、タクヤは頑として聞き入れず首を
左右にふるふると振ってお菓子を差し出し続ける。

タクヤはどうしてもリコに貰ってほしいらしく、そのぷくぷくの頬を更
にぷっくり膨らませて半ば意地のように必死に。
 
 
すると、
  
 
 
 『貰ってあげてくれない?

  たっくん、きっとアナタが好きなのよ。』
 
 
 
と言って、マリが優しく微笑み
 
 
 
 『ぁ、ごめんなさい。

  私・・・マリです。 名乗るのも忘れてたわね。』
 
 
 
その言葉に、リコもきちんと名乗っていなかった事に今更ながら気付き
『・・・リコ、です・・・。』とペコリと頭を下げ挨拶した。
 
 
するとマリはパチパチと瞬きを繰り返しリコを見つめ、ちょっと驚いた
顔をしてタクヤの方を一瞬見た。
そんなマリに、タクヤがうんうんと嬉しそうに大きく頷き笑う。それは
二人の間でなにか確認し合うような感じで。 
 
 
 
 『アナタがリコちゃんだったのねっ!!

  ・・・会えて、すっっごく嬉しいっ!!!』
  
 
 
そう言ってマリがリコの片手を取った。

するとタクヤもリコのもう一方の片手を取り、二人して上機嫌に手を
ブンブン揺らす。その謎の歓喜の表現にまだしゃがんだままのリコは
よろけそうになりながら、何がなんだか分からぬまま困った様な笑い
顔でされるがままになっていた。
 
 
  
 
 
『今度、一緒にご飯でも食べましょうねっ!』そう言ってマリとタクヤ
は手を振りながら帰って行った。
賑やかな夕暮れの商店街の奥に母子の姿がどんどん小さくなってゆく。

一人残されたリコは呆然とした面持ちでいつまでも手を振り返しながら
その場に佇んで今起こった出来事をもう一度考えていた。
 
 
コースケに依存する弱々しい女性と勝手に決め付けていたマリは、まるで
違うタイプでとっても凛々しく素敵な人だった。

一人で気丈に真っ直ぐ前を向き頑張ってる姿を、コースケは放っておけな
いのかなと、また少しだけネガティブに考えてしまう。
 
 
しかし、まだまだマリのことはよく知らなけれど、リコはマリのことが
好きになれるような気がしていた。

コースケが大切に想う人を、リコ自身も好きになりたい。

これからどんな距離でマリと接していくのがベストなのか、そんなの全然
分からないけれど、それでも嫌って憎んで妬むのではなく ”この人なら
好きになるよね ”と思える相手であってほしかった。
 
 
 
  (私も、あんな人になりたいな・・・。)
 
 
 
マリのような素敵な女性になりたいと、リコは心の底から痛感していた。
 
 
 

■第47話 リュータの気持ち

 
 
 
コースケ・リュータ・リカコの三人は、大学の講義を受けていた。
 
 
階段状になった講義室には年季の入った長机にイスは跳ね上げタイプのそれ。
その講義にはそこそこ学生が入っていて、三人は少し窮屈にも思える距離で
並んで座っていた。

退屈な内容で、コースケとリュータは殆ど講師の話も聞いてなどいない。
片肘をついて欠伸まじりでペン回しをしたり、ノートに無意味な悪戯書きを
したりしていた。
そんな中、リカコだけが一応きちんとノートを取っていた。

コースケがノートに悪戯書きした、耳がピンと立った犬でもない猫でもない
気味が悪い謎の生物の絵を横目で見たリカコが、ふと先日のナチを思い出し
リュータにさぐりを入れる。
  
 
 
 『そう言えばリュータ・・・
 
  ・・・あおい、 元気・・・?』
 
  
 
リュータが『んぁ?』と突っ伏していた机から眠そうに上半身を起こし、
その問いに返事しかけて、ハっと目を見開き何かに気付いた顔を向ける。
  
  
 
 『あああー!!! 

  お前か? アイツに言ったの・・・
 
 
  なんかもぉ~・・・ ムカつかれるは、怒られるは、

  仕舞いにゃ泣かれて、ほんっと大変だったんだからなー! バカっ』
  
 
 
リュータは眉間にシワを寄せ口を尖らせて、リカコの痩せた背中にグリグリ
と拳をスクリューする。 

リカコはそのムキになっているリュータの顔を見て、机に突っ伏し必死に
笑いを堪えて肩を震わす。本当は声を上げて大笑いしたいところだが今は
静まり返った講義中で、講師の声しか響いていない。さすがに笑い声を上
げる訳にもいかず、リカコは笑いを堪える代わりに、その溢れるエネルギー
で思わず机をバンバン叩いてしまい結局講師に名指しで注意された。
 
  
 
 『まぁ、いいじゃん?
 
 
  ・・・で?

  誤解が解けて、なんかあった? ナチと・・・。』
 
  
 
リカコが悪魔のように口角を上げるだけ上げてニヤついてる。
聞きたいのは ”話の続き ”、ナチとの ”進展 ”についてなのだ。

話の先を急かすように脚を踏み鳴らし、なるべく音が響かないよう手の平で
机を小さく小さくタンタンと叩いた。
 
 
すると、
 
  
 
 『えっ!!!

  お前・・・ ナッチャンとなんかあんのっ?!』
 
  
 
やっと若干話の流れに気付いたコースケが、悪戯書きの手を止め興奮気味に
叫んだ。

その抑制の欠片もない声が再び講義室内の高い天井に木霊し、講師が顔色を
変えて差し棒をコースケ達三人に向ける。そして次に講義に関係ない雑談を
したら退出させると息巻いて怒鳴った。
三人揃って慌てて背筋を正し、苦い顔を作ってペコリと頭を下げる。
 
 
しかしすっかり興奮しているコースケは中々その高まりが収まらず、限りな
く口パクに近い小声でまだ話を続けた。
 
 
  
 『えええええ。

  マジかよ、マジかよ~~・・・
 
 
  俺らの中からカップル・・・とか? 出来ちゃうのかよ~~・・・

  ってゆーか、リュータがナッチャンを・・・ ねぇ・・・
 
 
  ・・・あれ??

  そぉ言えば、リコちゃんは?

  ・・・リコちゃんは、付き合ってる奴いないんだっけ??』
 
 
 
やけに愉しそうに嬉しそうに子供のようなキラキラした目ではしゃぐコースケ
を見てリュータとリカコは一瞬ポカンとして固まり、ゆっくり顔を見合わせた。

あまりに呆れかえって、互いの開いた口の奥にしっかり奥歯が見えている。
 
 
  
 『・・・・・。』

 『・・・・・。』
 
 
 
そして暫し無言だった二人が、同時に大きな大きなため息をついた。

あまりに分かり易いボリュームの聞こえよがしなそれに、講師が再びギラリと
嫌味っぽく睨みを利かせる。
 
 
 
 『・・・鈍感とおり越して、もう、清らかすぎて神の域よね。』
 
 
 
『え?』 リカコの嫌味にも全く気が付かない、コースケだった。
  
  
 
 
 
リュータは再び机に突っ伏し、指先で癖になっているペン回しをしながら
二人に言われた事を考えていた。
 
 
同い年の妹がいるだけに、昔から年下の女の子が困ってると放っておけない
ところがあった。特に、手が焼ける子だとそれは尚更で。

今までだって年下の子と付き合ったりもしてきた。思い返すと年下率の方が
高かったかもしれない。
それにナチが自分へ少なからず好意を持っている事は気が付いていた。
 
 
でも、リュータにはそれが純粋にイコール ”愛情 ”と結び付けて考えられ
なかったのだ。

あの日ナチの頬にキスしたのは、本当にあの時愛しく感じたからだったけれど
だからといってすぐさま確定できる程の気持ちが、覚悟が、本当にあるのか。
 
 
  
 (俺、なんかサイテーかも・・・。)
 
  
 
リュータの胸に、誰にも言えない後ろめたい思いがモヤモヤしていた。
 
 
 

■第48話 リュータとナチ

 
 
 
ナチはリュータにラインを送ろうか悩んでいた。

自室でベッドに腰掛けまるで縁側にちょこんと座る年寄のように物寂しげに背中
を丸めて、両手に握り締めたケータイを随分長いこと睨み続けている。
 
 
どんな内容で送ったらいいのか、 ”この間の事 ”には触れない方がいいのか、
その前に ”この間の事 ”をリュータはどう思っているのか。
 
 
聞きたくて、聞きたくない。
知りたくて、知りたくない。

あの ”キス ”以来ずっと悩んでいたのだった。
 
 
 
 (とにかく、普通に・・・ いつも通りに・・・。)
 
 
 
そう思ってからもう、ゆうに3時間は経っていた。

”普通 ”で ”いつも通り ”を装った文章を入力しては消去、入力しては消去
を繰り返し、ケータイ画面を睨み続ける目が少し霞んでぼやけてゆく。
 
 
そして、やっとの事で完成した渾身の一文は、よく見ると3時間前にも同じよう
な文章を作成していた気もするのだが、そんな細かい事など気にしている余裕は
今のナチには無い。
 
 
 
  ‘あおいは元気~?

   今度あおいと遊びたいなぁ~ ’
  
 
 
 (うん・・・ 自然だ。

  ・・・不自然なくらい、自然だわ・・・。)
 
 
 
送信ボタンに指を掛けかけて、止まる。
ギリギリでそれに触れない指先。

そこから再び、画面を睨む時間が恐ろしくノロノロと流れた。
 
 
一度ケータイを胸にぎゅっと押し付け、大きく深くひとつ呼吸をする。
そして祈るようにおでこに当てると『どうか・・・ 神様・・・。』と小声
で呟き少し震える人差し指の先で送信ボタンに恐る恐る触れた。
 
 
メッセージが送信された合図のメロディが鳴ると、ナチは途端に怖くなって
しまってベッドから掛布団を乱暴に剥ぎ、それを頭から被り体育座りをして
小さく小さく縮こまる。

その暗く狭い空間が、なんだか世間から隔離され独りぼっちになったように
感じる。熱く息苦しいのはこの空間のせいなのか、緊張のそれかナチには区
別が付かなかった。
 
 
すると、15分後。

汗ばんだ片手に握り締めるケータイに、返信が来たメロディが響いた。
いまだ頭から被り続ける暗い布団の中で、ケータイの画面の明かりがぼんやり
浮かび今にも泣き出しそうな不安顔を照らす。

ナチが弱々しく目を上げ、画面に表示されたメッセージをそっと見つめた。
 
 
 
  ‘今度 ’
 
 
 
 (・・・・・。)
 
 
 
リュータからの返信は、そのたった二文字だった。
『今度・・・。』 ナチはそれを声に出して読み返す。
 
 
そして、ちょっとだけ嗤った。
『・・・今度。』 もう一度呟いたそれは、涙声で震えてくぐもった。
 
 
 
 (短い・・・

  短いどころか、素っ気無い・・・
 
 
  なんで? どうして??

  私、なんか気に触る事しちゃったかな?

  それともただ、今忙しいだけなのかな?
 
 
  ”この間の事 ”後悔してるのかな?

  なかった事にしようとしてるのかな?
 
 
  私の事なんか、ちっとも、ゼンゼン、全く好きじゃないのかも・・・
 
 
  むしろ・・・

  ・・・ちょっと鬱陶しく思い始めたのかも・・・。)
 
 
 
ナチは半べそ状態だった。悪い方悪い方ばかりに考えてしまって、もうマトモな
思考回路が保てない。どんどん込み上げてくる憂苦に飲み込まれそうで息苦しく
て思わずケータイの電源をオフにしようと指を掛けた、その時。
 
 
♪~・・♪♪♫~・・・♫  オフにするより一拍早く着信音が響いた。
 
  
 
  ◆着信:リュータさん
 
 
 
ナチは涙ぐみ、駄々を捏ねる子供みたいにイヤイヤと小さく小刻みに頭を振る。
 
 
 
 (どうしよう どうしよう どうしよう・・・。)
 
 
 
そして、意を決し鼻をすすりながら電話に出た。
 
 
 
 『悪りぃ 悪り~ぃ!

  打ってる途中で間違って送信しちゃった。』
 
 
 
電話向こうのその声はいつもの明るく元気なリュータで、ナチの痛々しい程に
真っ赤っ赤に染まった耳にじんわりと沁みてゆく。

面倒くさがりなリュータはあまりラインが得意ではない為、まだ続きを入力
している途中で誤って送信ボタンを押してしまったのだった。
 
  
 
 『・・・ナチ?

  お~ぉい! ナチぃ~??』
 
 
 
全く反応が無いナチに、リュータが何度も呼び掛ける。
ナチはそれを涙を堪えきゅっと口をつぐんで聴いていた。

いつの間にか気付いたら呼び捨てで呼んでくれていたリュータ。
ただ名前を呼び捨てにされるだけの事が、こんなにも嬉しかったなんて。
 
  
 
 『もう ・・・嫌われたかと、

  ・・・思ったじゃないのよぉ・・・・・・・・・・。』
  
 
 
かすれる声でそう小さく呟くと、ナチは電話口でついに泣きだした。
声にならない声を漏らし、鼻をすする音がくぐもって伝わる。
 
 
 
 『なんだそれ~ぇ

  嫌う理由なんか、あったっけ~ぇ?』
 
 
 
リュータはそんなナチに呆れ笑いすると、やれやれといった感じでなだめる。

しかし優しく笑いながらも電話向こうのリュータのその表情は浮かないもの
だった。首を反って天井を見上げ、こっそりと溜息を付く。

ナチに気を持たせたままの曖昧な今の状況をなんとかしなければと痛感した。 
  
 
 
 『ナチ・・・

  ・・・あのさ、今から時間ある?』
 
 
 

■第49話 正直な気持ち

 
 
 
ナチが猛ダッシュでいつものファミレス店内へ飛び込むと、奥の方の4人掛席
にリュータが座っていた。軽く背中を丸め背もたれに寄り掛かって、どこを見
るでもなく不安定に視線を流して。

その姿を捉えるなり、手を挙げ笑顔でリュータの元へ駆け寄ったナチ。
 
 
 
 『ごめんっ! 結構待った??』
 
 
 
ナチはリュータの向かい席にドシンと騒々しく座ると、ウェイトレスが持って
きた水を喉を鳴らし一気に飲に干した。

そして『暑い暑い』と呟き手で扇いで顔に微風を送りながら、矢継ぎ早にお冷
のおかわりを頼む。
 
 
 
 『別に、そんな急がなくてもよかったのに・・・。』
 
 
 
呆れて笑いながら優しい目を向けるリュータに、ナチは急激に照れくさくなり
『別に・・・ 急いでないけど。』と分かり易く目を逸らして誤魔化した。
 
  
向かい合い座る二人は、のんびりお茶をしながら互いの近況を話す。
リコがコースケの手伝いを始めた事、愛猫あおいの事、そしてナチの進路の事。
 
 
 
 『私。 リュータさんの大学行こっかな~?』
 
 
 
アイスティーのグラスの氷をストローで突きながら、ナチが半分冗談半分本気
でサラリと呟く。カランカランと氷がグラスにぶつかる音に紛れて、リュータ
の反応をチラリと横目で一瞬盗み見ながら。
 
 
すると、
 
  
 
 『そうゆう大事な事を、

  俺がいるとかいないとか、

  んな、くだらない事で決めんなっ!!』
 
 
 
珍しくリュータがキツい口調で言い放つ。その表情は真っ直ぐナチを見眇め
口端はきゅっときつく噤まれて、いつもの上機嫌に口角があがったそれでは
無い。
 
 
ナチは驚いて固まり、そして一拍遅れて募ったショックに暫く黙りこくる。

肯定されないにしてもこんなにまで否定されるとは夢にも思わず、じわじわ
込み上げる哀寂に飲み込まれそうになった。
 
 
 
 『ャ、ヤだ・・・

  ・・・じょ、冗談だよぉ~~!!
 
 
  私・・・

  リュータさんと同じ大学なんか、

  別に、全っっ然、行きたくなんかないもんっ!!』
 
 
 
わずかに残るプライドを絞り出すように、ナチは大慌てで必死に強がった。
その声色は心許なく震えてこぼれ、痛々しさだけやけに際立つ。
 
 
実はナチの中で、漠然とだが進路の件は考えていなかった訳ではなかった。
 
 
リュータと少しでも一緒にいられたら。
学年は違えど、同じ校舎で過ごせたなら。
 
 
ランチやサークルや登下校の風景を思うだけで楽しくて幸せで、更にそこに
リコもいてくれたら最強だと、勝手に一人想像しニヤニヤと舞い上がって
いたのだった。
 
 
しかし今、目の前にいるリュータはそれを全否定した。
 
 
 
 (どうして・・・

  私が近くにいたら迷惑なのかな・・・
  
  
  やっぱり・・・

  私の事も、あの日の事も、なんとも思ってないのかな・・・。)
 
 
 
必死に強がっていたはずが、見る見るうちにナチの表情が曇ってゆく。
俯いて耳を真っ赤に染めて、細い肩は情けない角度でガックリと落ちて。
 
 
リュータは思わず発してしまった語気の強さに苦い顔をして眉根をひそめ、
ゆっくりとナチへと視線を向ける。そして小さくひとつ息を吐くと、膝の
上に置いた手をぎゅっと握り締め拳を作った。
”言わなければならないこと ”の決心をした拳に再びぎゅっと力が入る。
 
 
そして、リュータは真っ直ぐナチを見つめ静かに切り出した。
 
 
 
 『ナチ・・・

  ぁ、あのさ・・・
 
 
  俺。 お前の事は・・・

  ・・・本当、手ぇかかるし、泣くし、怒るし、すねるし、
 
 
  こう、なんつーか・・・ 

  放っておけないっつーか、気になって仕方ないっつーか・・・
 
 
  でも、それが・・・ イコール ”愛情 ”なのかどうか、

  ・・・正直、俺。 分かんねんだ・・・
 
 
  この間の・・・ ァ、アレは・・・

  あんなの軽い気持ちで、その場の感情だけで、あんなの・・・

  ほんとにダメだったって、マジで反省してる・・・
 
 
  あの・・・

  もし、気を持たせるみたいになってたら

  ちゃんと謝らなきゃ、と・・・ 思って・・・。』
 

ナチはそれを黙って聞いていた。

否。自発的に黙っていたのではなく、一言も声を発することが出来ずにいた。
これ以上ない程のショックを受けていた。
リュータの言葉が、ひとつの単語・単語が、ナチの胸に容赦なく突き刺さる。
 
 
”嫌いじゃないけど、好きかどうかは分からない ”と、面と向かってハッキリ
言われてしまった。
リュータは懸命に言葉を選んで話してはいるが、結論はそれなのだ。
 
 
瞬きという行為も忘れたかのようにテーブルの上のグラスを見つめ続けるナチ。

あの日、頬にキスされた日。狂ったように打ち付ける胸を、天にも昇るような
気持ちで愛おしく愛おしく小さな手の平で押さえた感触を思い、テーブルの下
の自らの手にそっと目を落とした。

あの日のそれと同じものとは思えない程、哀しく小刻みに震えている。
 
 
 
  (舞い上がっていたのは・・・ 私、だけ、だったんだ・・・。)
 
 
 
真っ赤になってうな垂れたまま、微動だに出来なくなっていた。
 
 
 

■第50話 仲間

 
 
 
暫くの間、ナチは一言もしゃべらずにその場に固まっていた。

ふんわりとカールがかった栗色の髪の毛が、顎の辺りで呼吸に併せて揺れて
いる。小さく覗いている耳のふちが、血が沸騰したかのような赤色で。
 
  
 
 『・・・ナ ・・・・・ナチ?』
 
  
 
リュータは居場所無げに背を丸め、ナチの様子を伺いながら恐る恐る呼び掛け
るとナチはガバっと顔を上げ潤んで真っ赤な目を向けて早口でまくし立てた。
 
  
 
 『私・・・

  ・・・私。 別に・・・ 別に、そうゆーんじゃないからっ!
 
 
  ヤだ、なに訳分かんない事言ってんの? リュータさん・・・
 
 
  勘違いだよ、勘違いっ!! 

  ・・・・超ハズくない? バっカみたい・・・。』
 
 
 
その声は数日発していなかったかのように間違ったボリュームでやけに大きく
そして分かり易く空元気で、痛々しいほど上ずってこぼれ落ちた。 

再び電池が切れたかのようにうな垂れて、膝の上できつく握り締めた拳を見つ
めるナチ。あまりに力が入り過ぎたそれは、指の関節の辺りが白っぽい。
 
 
 
 『・・・私、帰るねっ!

  じゃぁ、またみんなで遊ぼうね~!』
 
 
 
ナチは最後の力を振り絞るように立ち上がると、リュータの方は一切見ずに
若干よろめきながらファミレスを駆けて出て行った。出入口の扉が開閉した
合図のチャイムが物悲しげに店内に響き渡ると、一拍遅れてウエイトレスの
『アリガトーゴザイマシタ。』というマニュアル通りで感情のない挨拶が聴
こえた。
 
 
一人そこに取り残されたリュータ。

情けなく丸めた背でソファーの背もたれに寄り掛かり、ただ瞬きだけをして
いた。テーブルに置かれたナチの飲み掛けのアイスティーは、氷が溶けて
美しいはずの琥珀色は薄まってしまい、ただの水のようになっている。
 
 
リュータはそれをぼんやりと見つめ上半身を背もたれから起こすと、テーブル
に両肘をついて頭を抱え込み、大きな溜息をついた。
 
 
 
 (俺・・・・・ サイッテー・・・・。)
 
 
 
 『あああぁぁぁぁぁぁぁ・・・。』
 
 
 
テーブルに突っ伏して、声を上げた。

真っ赤に染まって引きつり、今にも泣きじゃくりそうなナチの顔が頭から離れ
なかった。
 
 
  
 
  
ファミレスを飛び出したナチは、足早に通りを歩きながらちょっと笑っていた。
いくら締め出そうとしても、繰り返し繰り返し頭の中で響くリュータの言葉。
 
 
 
  ”イコール ”愛情 ”なのかどうか、

  ・・・正直、俺。 分かんねんだ・・・”
 
 
 
ナチは再び自分を嘲るように笑う。
 
 
 
 (私・・・・・・ ほんと、バカみたい・・・・・・。)
 
 
 
すると、頬に後から後から涙が伝った。

足元のアスファルトに水の粒の跡が次々零れるのを見て、ナチはそっと頬に
手を遣り自分が泣いていることを知る。自分の意思とは思えない程に、それは
勝手に瞳から溢れて流れ続けた。
 
 
 
 (ほんと・・・ 

  ・・・私・・・ バカだ・・・・・・・・・・。)
 
 
 
止めどなく流れる涙を他人事のように見つめ、ナチはどんなにリュータの事を
好きになっていたか今更ながら気付く。いつの間にか心の中は全てリュータで
埋め尽くされていたことを。
  
いつもはこんな風に辛い時・悲しい時、泣きたい時に電話する相手はリュータ
だった。からかったり馬鹿にして笑ったりしながらも、いつも最終的にはリュ
ータが、リュータの思いやりある一言が、ナチを包み込んでくれた。
 
 
でも、もうそれは出来ない。
 
 
 
 (もう電話とか、ラインとか、しない方がいいのかな・・・。)
 
 
 
付き合っていたわけではないけど、リュータにこんな気まずい思いをさせ
あんな言いにくい一言を言わせてしまった今、もう中途半端に連絡はしない
方がいいのではないかと思っていた。

そっとカバンからケータイを取り出し、指先でタップしてリュータの登録画面
を表示する。
 
 
 
  (これを削除すれば・・・ もう・・・・・・・・・・。)
 
 
 
しかし、泣きはらした真っ赤な目でただそれを睨むように見つめ続けるナチ。

着信履歴の画面を表示するとそこには多くの ”リュータさん ”という名称が
並ぶ。きゅっと口をつぐんだ。再び溢れてきた涙で画面が滲んでぼやける。
 
 
すると、着信履歴の中に ”リコ ”という名前が目に入る。
削除ボタンに触れかけた震える指先が、そこでピタリと止まった。
 
 
ナチ一人の自分勝手な感情で、せっかく仲良くなれた5人のバランスが崩れて
しまったら、関係ないみんなにまで気まずい思いをさせてしまったら、それは
何よりも嫌だった。それだけは避けたかった。
 
 
ふと、リコの顔が浮かぶ。

コースケとイラスト描きをする話を、子供のように目をキラキラさせて幸せそ
うに話していたリコを。
コースケとの接点を持てた事をあんなに喜んで張り切っている今、ナチがそれ
に水を差すなんて絶対したくなかった。
 
 
みんなが大好きだった。
リコもコースケもリカコも大好きだった。
一緒にいたいし、みんなで笑い合いたいし、絶対に離れたくなかった。
 
 
通りの真ん中で立ち竦んでうな垂れたままだったナチが、真っ直ぐ顔を上げる。
その顔は、何かを決心したような強いそれ。

片手に握り締めていたケータイに再び目を落とし、文章を入力し始めた。
 
 
 
 ‘急に帰っちゃってごめんなさい。

  今まで通り、仲間の一人でいいから。

  私のことは気にしないでいいから。’
 
 
 
そして、ナチは最後にありったけの想いを込めてその一行を入力した。
 
  
 
 ‘だけど、やっぱりリュータさんが大好きでした。’
 
 
 

■第51話 イラスト案

 
 
 
いまだファミレスでぼんやりと遠くを見つめ、動けずにいたリュータのケー
タイにライン着信のメロディが小さく響いた。
 
 
ノロノロと恐ろしく遅い動きで尻ポケットから取り出したケータイには、
送信者はナチの表示。

ふと、プロフィール画像が目に入る。ついこの間、嬉しそうにあおいを写メ
で撮り使っていたはずのそれが、以前BBQをした時の笑顔の5人のそれに
変わっている。
 
 
 
 『・・・・・・・・。』 
 
 
 
ナチからのメッセージをに目を落とす。
そして再び大きな大きな溜息をついた。
 
 
実は、リュータもナチへメッセージを送ろうと思っていた。

しかしなんて言葉を使えばいいのか、なんて言えばナチを傷つけずに済むのか
延々考えるもそんな ”魔法の言葉 ”などあるはずなく、一向にメッセージは
作成出来ずにただただ呆けたように佇んでいたのだった。
 
 
そこへ、ナチから来たメッセージ。

テーブルに上半身を突っ伏して再度大きく溜息をついた。
リュータのおでこにテーブルのひんやり冷たい感触が伝わる。そして、おでこ
を数センチ離すと、気合を注入するかのようにゴツンと硬いそこへぶつけた。
 
 
そして起き上がり、返信を打ちはじめた。
 
 
  
  ‘また5人で遊ぼうな!
   ナチ、ありがとな。’
 
  
 
ナチはその返信メールを読むと、首を反ってどこまでも続く広い空を仰いだ。
ゆっくり深呼吸して目をつぶった瞬間、また一筋涙が流れた。
  
  
 
  
 
そんなナチの事など何も知らずに、リコはイラスト案を考えていた。

コースケの手伝いをするようになって以来、リコはいつも何処でも何か案が思い
浮かぶとメモを取っていた。
家では夕飯を終えるとすぐ自室へ戻り、スケッチブックと睨めっこしていた。

母ハルコや弟リクは、家族で過ごす時間が少なくなった事を少し寂しく思っては
いたけれど、リコが何かに打ち込んで一生懸命になっている姿を応援していた。
 
 
そしてもう一つ大きな進歩は、リコがちょくちょくコースケにメールをするよう
になっていた事だった。

ちょっとでも案が浮かぶと、”こんなのどうでしょう ”と、コースケに報告し
ていた。コースケも同じように、”コレどう思う? ”とリコのケータイを震わ
せる。互い、次のイラスト描きをする日まで待てず、今すぐに話したくて伝えた
くて興奮し心を弾ませながらケータイに向かっていた
 
 
同じ目標に向かって、リコとコースケの距離は急速に縮まっていた。
 
 
 
 
園でのイラスト描きを翌日に控えた土曜夜、リコは急にあることを思い付いた。
  
 
 
 (お弁当作っていこうかな・・・

  いっつもコンビニのご飯じゃナンだし・・・。)
  
 
 
そう思い立った途端、リコはバタバタと騒々しく階段を駆け下り、キッチンに
飛び込むと冷蔵庫を開けた。
しかし大抵は今夜のおかずに使ってしまって、お弁当を作れるほど豊富に食材
が入っていない。
 
 
 
 『お母さ~ん!! 食材ってこれしか無いのぉ~?』
 
 
 
冷蔵庫を開いたままリビングの母ハルコへ叫ぶと、”見ての通りよ ”と言わん
ばかりにソファーから顔だけ振り返ったハルコが肩をすくめる。
 
 
 
 『・・・スーパー行って来るっ!』
 
 
 
そう言うと、リコは財布だけ引っ掴みリビングを抜け廊下へと飛び出して行く。

玄関の三和土でスニーカーに爪先を押し入れているその背中に、ハルコは慌てて
出て来て呼び止めた。
 
 
 
 『ちょっと、リコ!!

  もう遅いんだから、やめなさいっ!!!』
 
 
 
しかし、リコはハルコが止めるのも聞かず、軽くいなすように片手を上げ玄関
の扉を押し開けて暗い夜道に駆け出して行ってしまった。
 
 
なんだか無性に込み上げる胸騒ぎに、ハルコは上着を羽織って後を追いかけた。
 
 
 

■第52話 その夜のこと

 
 
 
 『きゃぁぁぁああああああああ!!!』
 
  
 
静まり返った暗い住宅街に、突如響き渡った悲鳴。
それは腰を抜かしたようにアスファルトに倒れ込んだリコの声だった。
  
 
 
 『リコォォォオオオオ!!!』
 
 
 
リコを追いかけて来た母ハルコが大急ぎで駆け寄る。

そして、いまだ道路上で小さく小さく体を丸めるリコの肩を抱き慎重に
起こすと、左手首を痛がって苦痛に満ちた表情を向けた。
 
 
リコは夜も更けた時間に一人で買い物へ行こうと自宅を飛び出し、暗闇
の中で何者かに襲われた。正面から来た男がリコの腕を突然乱暴に掴み
それに抵抗されると突き飛ばして逃走していったのだ。
 
 
リコは道路に突き飛ばされた時に咄嗟に左手を付いて体を支えた為、
全体重が左手首にかかり負傷していた。
 
 
一瞬の事で何がなんだか分からないリコは、一種のパニック状態に陥っ
ていた。頭の中がごちゃごちゃで整理出来ずに混乱するも、恐怖だけは
真っ先に心が感じ取り怯え震えるその喉からSOSの悲鳴を上げさせた。
 
 
暗闇で突然近寄って来た男のシルエットと、乱暴に掴まれ揺さぶられた
腕の感触が今も生々しく残っている。

リコは後から後から津波のように押し寄せる恐怖心で、ガタガタ震えて
いた。痛む左手をかばうように抱きすくめ、まるで必死に隠れようとで
もしているみたいに細い体をより細く小さく縮め、怖くて怖くて泣く事
さえ出来ずに。
  
 
 
 (お母さんが・・・

  追いかけて来てくれてなかったら・・・。)
 
 
 
いまだ泣く事も出来ずに、頬を引きつらせ母ハルコにしがみ付きガタガタ
震え続けるリコに、ハルコは優しく笑って言う。
  
 
 
 『大丈夫よっ! リコ、大丈夫っ!!

  ほら、ただ転んだだけよ!!

  お母さんがついてるから、なぁ~んにも心配いらないわ・・・。』
 
  
 
リコは次第に潤みはじめた目でふと母の足元を見ると、ハルコの片方の
サンダルが脱げていた。きっとリコの元へと無我夢中で走ったのだろう。
 
 
 
 『ぉ、お母さん・・・

  ・・・足・・・ 血が・・・・・・・・。』
 
  
 
ハルコの裸足の片足には血が滲んでいた。それは足の小指の爪が剥がれ
掛かっているようだった。
必死に走った際にアスファルトに擦って小石を踏んで、それでも痛みも
忘れ娘の元へと駆け寄った普段走ることなど無い大らかな母。
 
 
 
 『あら、本当ね・・・

  ・・・でもお母さんは大丈夫よっ!』
 
  
 
そう言って、ハルコはやわらかく強い母の笑顔を見せる。

まるで幼い子供を抱くようにリコを胸に抱き、心地良い波のリズムで
ゆっくり優しく揺れて『大丈夫』と何度も何度も繰り返す。
  
 
 
 『お母・・・さ・・ん・・・

  ・・・お母さぁん・・・・・・・
 
 
  こ、怖かった・・・・私、・・・・・・お母さん・・・。』
 
 
 
リコは母のその笑顔を見るとやっと声を上げて泣くことが出来た。
母の柔らかい腕に包まれ、あたたかい胸にしがみ付き顔をうずめて。

恐怖と安堵と苦痛と後悔。ありとあらゆる感情が押し寄せ、しかし今
ハルコのお日様のようなぬくもりに包まれて、堰を切ったようにその
瞳からは涙の粒が溢れ出す。
 
 
リコの子供のようなしゃくり上げる泣き声が、閑寂な闇に響いていた。
 
  
  
 
 
翌日。コースケはいつもの約束の時間にリコが保育園に現れないことを
不思議に思い、首を傾げて壁掛け時計を眺めていた。

もう1時間半が過ぎていた。

リコの性格なら何か予定が入ったのなら必ず連絡を寄越すはずなのに。
コースケは何度も連絡してみたが、リコのケータイからは機械的な声が
流れるだけだった。
  
 
 
  ”タダイマ 電話ニ 出ルコトガ・・・ ”
  
 
 
コースケはなんだか胸騒ぎがして心配になり、ナチに連絡してみた。

すると、ナチも今朝からラインを送信しているのだが一切返信が無い
と言う。コースケの不安気な声色に、最初呑気に構えていたナチも急
激に不安が募っていった。
 
 
ナチが念の為リコの家を訪ねてみると言うので、コースケは連絡を貰
えるように頼んでおいた。

すると、30分後ナチから電話があった。
  
  
 
 『コースケさん・・・

  リコが・・・ リコが昨日、襲われてケガしたみたい・・・
 
 
  ・・・今 ・・・病院に、いる、って・・・・・・。』
 
 
 
ナチの声は完全に動揺して上ずっていた。
電話向こうで、涙声になってつっかえる。
 
  
ケータイを耳に当てたまま動けないコースケの心臓が、息苦しい程に
もの凄いスピードで打ち付けた。
 
 
 

■第53話 母

 
 
 
翌朝。リコは、母ハルコに付き添われて病院に来ていた。
 
 
負傷した左手首は時間が経つにつれだんだん痛みが増し、腫れて熱をもっていた。

次第に鮮明になる転倒した際の足の擦り傷と、体中あちこちに出来た内出血。
強く掴まれた腕には相手の指の痕がクッキリと残り、昨夜の事件の凄惨さを物語
っていた。
 
 
リコは憔悴しきっていた。

本来なら昨夜のうちに救急病院に連れて行こうと思っていた母に、夜闇を怖がり
泣き叫んで抵抗し、1秒でも早く安らげるあたたかい自宅に帰りたがった。
微かな物音にも怯え、少しの不安にもパニック状態になって泣きじゃくる。

そんなリコを母ハルコは優しく根気強く励まし、温かく包みこんだ。
 
 
心配したナチが自宅を訪ねたが、リコの動揺がおさまるまではそっと見守って
くれるようにハルコから頼まれた。
 
 
玄関先で佇むナチが涙ぐみながら、訊く。
 
  
 
 『夜遅くにひとりで出掛けようとするなんて、

  リコらしくない・・・
 
 
  ・・・どうしたんですか? リコ・・・。』
 
 
 
すると、
 
 
 
 『あの子ね・・・

  お弁当を作りたかったみたいなのよ・・・。』
 
 
 
ハルコがやわらかい声色でそっと呟く。

どこか遠くを見つめるような目で微笑み、まるでリコの心中をこっそり覗いて
いるみたいに嬉しそうに小首を傾げて。
  
 
 
 『きっと、

  最近なんだか一生懸命に絵を描いてる事に、関係あるのかしら・・・。』
 
 
 
それを聞いて、ナチはぎゅっと胸が締め付けられた。

コースケの為にお弁当を作りたくて、暗闇の中、息せき切って玄関ドアを飛び
出し頬を高揚させて坂道を駆け下りるリコの姿を思った。
 
 
 
 (リコ・・・

  コースケさんを、喜ばせたかったんだ・・・。)
 
 
 
ナチはリコの自宅を後にすると、すぐコースケに電話をした。

ケガをした経緯を聞きコースケもすぐリコを見舞おうとしたが、それはナチに
止められた。
少し落ち着くまで今はまだそっとしておいてあげた方がいいという事を伝える
とコースケもそれに素直に頷き同意した。
 
 
ナチはお弁当の件はコースケには黙っていようと決めた。

もしそれを知らせてしまったら、真面目なコースケのことだから責任を感じ
自己嫌悪に陥るだろう。
そんなコースケの姿を見たら、リコはますますつらい思いをし更に自分を責め
るはずだ。
 
 
大好きなふたりがこれ以上胸を痛めることの無いよう、ナチは自分の胸にだけ
しまっておく事にした。
 
  
 
 
 
その頃コースケは、今、リコに何をしてあげられるかを考えていた。

直接様子は見に行けないけれど、だからといってただ黙っている事も憚られる。
一人ウロウロと狭い自室内を歩き回り、無意味に天井を仰いだり足元をじっと
見つめたり何かいいヒントが無いか懸命に考えていた。
 
 
 
  (なるべく、なるべく、

   穏やかでいられるナニか・・・
 
 
   やさしい気持ちでいられる、ナニか・・・。)
 
 
 
すると、コースケの机の棚に大切に立て掛けられたそれが目に入った。

何かを閃いたように自室を飛び出し騒々しい音を立てて階段を駆け下りると、
保育園の遊戯室への扉を開けたコースケ。
 
 
コースケは遊戯室の絵本コーナー前へやって来て、落ち着きなくドシンと腰を
下ろすと、1冊ずつ絵本を取り出してはめくって内容を確認しはじめる。

楽しい絵本、元気になる絵本、笑顔になれる絵本。

リコが少しでも絵本をめくって心癒される事を願って、真剣に選んでいた。
長いこと園の子供たちに愛されてボロボロになっているものもあったが、それ
すらも趣があって、ほんのり心があたたかくなる。
 
 
 
  
  
選んだ数冊をカバンに詰め込んで、コースケはリコの玄関前に立っていた。
 
 
ノンストップで坂道を走り続けた為、完全に息は上がっている。
腰に手を当て苦しそうに体を屈め、荒い呼吸をなんとか整えようと必死に。

玄関チャイムに触れようと伸ばした指先が微かに震え、それを押した途端
なんだか急に緊張して心臓が早鐘を打ち始めた。
 
 
一拍遅れてインターフォン越しに聴こえた、やわらかい感じの声。
 
 
 
 (リコちゃんの、お母さんかな・・・。)
 
 
 
すると、玄関ドアが開いて母ハルコがコースケを見つめ、そして微笑んだ。
 
 
 
 『あなたが・・・ そうなのね?』
 
 
 

■第54話 絵本

 
 
 
 『ぁ、あの・・・ 

  ・・・これを、リコちゃんに・・・。』
 
 
コースケが母ハルコへ、絵本が入ったカバンを差し出す。
 
 
体を90度に折り曲げて深々と頭を下げ、カバンの持ち手を握り締める手を
真っ直ぐ伸ばして、せっかく訪ねてくれたというのに顔がよく見えない。
それは、なんだか受け取ったハルコが申し訳なくなる程の丁寧さだった。
 
 
ハルコは吹き出して笑ってしまいそうになるのを堪え、コースケの肩にそっと
手を当てて頭を上げさせた。そして朗らかに微笑みながらお礼を言った。
 
 
 
 『リコと一緒に絵を描いてくれてる方かしら・・・?
 
 
  あの子ね・・・

  最近絵を描くのに夢中で、とっても楽しそうなのよ。
 
 
  また、声かけてあげて下さいね。

  あの子ああ見えて意外に強いから、すぐに良くなるわ。』
 
 
 
それを聞いて、コースケは情けない程やさしい顔で心から安心した様に微笑む。

そして再度深々と頭を下げると、『失礼します。』と、ただ一言だけ挨拶をし
来た道を戻って帰って行った。
 
 
ハルコは玄関ポーチに出て、その後ろ姿をそっと見送っていた。

多くを語らない真っ直ぐな背中から伝わる、その優しさと強さ。
コースケの目はただただリコを気遣うそれで、起こってしまった事をいつま
でも憂慮するのではなく、これからの事だけを見ているように澄んでいた。
 
 
坂道にどんどん小さくなるその姿を見つめ続けるハルコは、まるで幼い日の
恋心を思い出すように、なんだか胸の奥がじんわり温かくなりきゅっと締め
付けられる。最近のリコが見せる、眩しいくらいキラキラした笑顔を思って
少しだけ瞳にこみ上げたそれをひとしずく指で拭った。
 
 
 
ハルコは家へ戻ると、リビングのソファーにもたれ掛かりどこか居場所無げに
ぼんやりテレビを眺めているリコへと、散々勿体付けながらカバンを渡した。

最初そのカバンがなんだか分からなかったリコは、小首を傾げながらしずしず
と中を覗くと絵本の背文字に気が付いた。

すると、弾かれたように立ち上がり少し足を引きずって玄関へと急ぐ。
玄関ドアを開けて小走りでポーチを抜け坂の下を見下ろすと、遠く小さくなっ
てゆくコースケの後ろ姿が見えた。

もうその背中はだいぶ小さくなって、きっと他人が見たらコースケのそれだと
気付かないだろう。しかしリコは涙ぐみながら、その痩せたTシャツの背中が
遠く坂道下の角を曲がって見えなくなってもずっとずっと見つめ続けていた。
 
 
潤んだ瞳でカバンをそっと開けてみる。

そこには年季の入った絵本が数冊入っていた。一冊ずつ取り出して表紙を見つ
め嬉しそうに頬を緩めるリコの指先に、絵本とは違う感触のそれが触れる。

不思議に思い掴んで引き出すと、一枚の手書きのメモが出て来た。
  
 
 
  ”リコちゃんが来てくれないと、

   俺の壊滅的に下手くそなイラストで

   園の壁が埋め尽くされちゃうよ~。

   戻ってくるの待ってるからな!! ”
 
  
 
そのメモをリコは微動だにせず、暫くじっと見つめていた。

几帳面だがあまり達筆とは言えないその文字。
はじめて見たコースケの書いた文字。
ボールペンで書かれたそれの上にひと粒雫がこぼれて微かに滲む。
   
 
 
 『リコ・・・?

  お母さん、リュータ君も大好きだけど・・・

  ・・・あの子も・・・ ほんと、いい子ね~ぇ?』
 
 
 
ハルコが背後からこっそりリコの様子を盗み見て、聞こえよがしに呟いた。

玄関ポーチで時間が止まったかのように佇み俯いている、恋をする娘の背中
をあたたかく見つめ微笑んで。
 
 
リコは潤んで真っ赤になった目を慌てて拭い、顔を伏せたまま玄関へ駆け込む
と2階の自室へ上がった。

そして、机の上に置きっ放しにしていたケータイを掴みメール作成画面を開く。
 
 
 
  ◆To:コーチャン先生

  ◆Title:ありがとうございます

  ◆さっきは挨拶もしないでごめんなさい。

   ありがとう。

   本当に本当に嬉しかった。

   またイラスト描きましょうね!
 
  
 
ケータイを胸に抱き、ひとつ深呼吸してから送信ボタンに触れた。
 
 
そして、一番心配をかけたナチにもお礼を兼ねてラインを送信した。
すぐに返事を送ってきたナチが、文字変換ミスだらけで慌てふためいた様子が
伺えて思わずリコはクスリと笑った。
 
 
まわりのあたたかい人達に支えられていることを改めて痛感したリコだった。 
 
 

■第55話 一番近くで

 
 
 
 『リコ、今日委員会だっけ?

  私、用事あって残ってるから一緒に帰ろぉ!』
 
 
ナチはそう言うと、リコの背中をポンと叩いて教室から廊下へと駆けて行った。

廊下向こうに、ナチのふわふわの髪の毛が肩口のセーラーのあたりでご機嫌に
ゆらゆら躍っているのが次第に遠く小さくなる。
 
 
リコはそんな後ろ姿をちょっと驚いて見つめながら、正直、ホっとしていた。

今はまだ陽が照り付け明るいけれど、委員会が終わってから帰宅となると少なく
とも夕陽が沈む時間帯になってしまう。
ナチが一緒にいてくれたら、暗い中たったひとりで帰らなくても済むのだ。
 
 
 
すると、別の日。
リコが教師に呼び出され放課後残っていた、とある午後のこと。

話が長い教師に捕まり、やっと開放されて夕暮れ迫る誰もいない廊下をトボトボ
と歩き教室に戻ると、そこには机の端にちょこんと浅く腰掛けるナチの姿が。
 
  
 
 『あっ! や~ぁっと戻って来たかぁ~・・・

  一人で帰ってもつまんないから、待ってたよ~ん!!』
 
  
 
リコはあまりに驚いたのと嬉しかったのとで、咄嗟にナチに抱き付いた。
リコの大袈裟すぎる歓喜のハグに、ナチはケラケラと笑い声を上げまるで子供
をあやすように背中をトントンと叩いてなだめる。

すると、ナチのお腹からグゥウウウと地響きのような虫の音が鳴り響いた。

互い一瞬固まって顔を見合わせ、一拍遅れて大笑いし合う。久々ファミレスで
パンケーキでも食べて帰ろうという話になり、2人で夕暮れの学校を後にした。
 
 
リコは時間を忘れて久しぶりにたくさんナチとしゃべり、笑い、楽しい時間を
過ごした。

あの事件以降しばらくの間、すっかりリコの顔からは笑顔が消えかけていたが
時間が少しずつ少しずつ傷を癒してくれていた。引き攣った笑い顔しか出来な
くなっていたリコも、最近は声を上げて再び笑えるようになってきていた。
 
 
ふとファミレスから見えるガラス越しの通りの様子に目を遣ると、すっかり
商店街の照明が煌々と光る時間になっている。車道を走る車のヘッドライトが
眩しいくらいに行き交って通り過ぎる。
慌てて腕時計に目を落とすと、もう夜の8時を回っていた。
 
 
 
 (お母さんに電話して近くまで来てもらおうかな・・・。)
 
 
 
するとその時、『オッケー、オッケー!! 待ってるわ~。』

気が付くと、目の前のナチが誰かと電話をしている。
キョトンとしてそれを見つめるリコに、ナチは少し気怠そうに言った。
 
 
 
 『なんか、リュータさんが近くにいるから合流したいって。
 
 
  リコ、もう少し時間大丈夫? 

  帰りはリュータさんに送ってもらいなよっ!』
 
  
 
家が近所のリュータが一緒なら、何も怖くない。
リコは慌てて自宅の母へと電話をしその旨を伝えると、電話向こうのハルコも
快く承諾してくれた。

久々にナチとリュータ、3人でしゃべりお腹を抱えて大笑いし合った。
 
 
 
 
 
静かな暗い帰り道。
あの事件と同じ、ひと気ない坂道。
 
 
しかしそれを思い出し怯える隙を与えないくらい、リュータはしゃべり続けて
リコを笑わせる。一瞬も沈黙になる事なく笑い過ぎて息つく暇もなく、あっと
いう間に自宅に到着した。

『お母さぁ~ん!』 リコは玄関先で母を呼び、リュータが送ってくれた事を
告げると、また無理矢理家に 上がるよう促すハルコ。
 
 
相変わらず遠慮という言葉を知らないリュータは喜んで家に上がり、弟リクと
ゲームをしたり、リビングでまったりとお菓子を食べたり散々くつろいで帰っ
て行った。
 
 
リュータが玄関を出た後で、ハルコが慌ててその背中を追いかける。その手に
はコロンと丸い物がふたつ入ったビニール袋を握り締めて。

リュータの朝食用に大急ぎでおにぎりを握っていたハルコは、どんどん坂道を
のぼって帰ってゆく背中をギリギリの所で呼び止めた。
 
 
 
 『リュータ君・・・

  今日はありがとね。
 
 
  リコを送る為に、わざわざ来てくれたのよね・・・?』
 
  
 
駆け寄ったハルコがそう言って、リュータの手を取りおにぎりの包みを渡す。
ゴツくて大きな優しい手を、ありったけの感謝を込めるようぎゅっと握って。
 
 
すると、リュータが笑って首を左右に振る。
 
  
 
 『お礼は俺じゃなくて、ナチに言ってやって下さい。
 
 
  リコの一番近くで、一番気を配って見守ってるのは、

  俺なんかじゃなく、アイツですから・・・。』
  
  
 
 クシュンっ・・・
 
  
ナチが小さくクシャミをして、くすぐったそうにゴシゴシと鼻をこすった。
 
 
 

■第56話 もう大丈夫

 
 
 
リコは温かいまわりの人たちのお陰で、すっかり元気を取り戻していた。
 
 
まだ怖くて暗い夜道を一人で歩く事は出来ないが、今まで通り自室でひとりで
いられるようになり、本来のリコらしくたくさん喋り笑う事が増えてきていた。
 
静まり返った自室でベッドに腰掛け、机の上に置きっ放しにしているスケッチ
ブックへと手を伸ばす。
大切そうに一枚ずつめくると、そこにはコースケと共に考え描き記したいくつ
もの愛らしいイラストが現れた。
 
 
 
 (また・・・

  コーチャン先生と、絵が描きたいな・・・。)
 
 
 
リコはケータイを手に取り、指先でタップしてメールを打ち始めた。

なんだか時間が空いたことで、まるで初めてメールするみたいに胸はドキドキ
高鳴る。少し緊張しながら送信ボタンにそっと触れた。
 
 
すると、すぐ返信メールが返って来た。
 
  
 
  ◆From:コーチャン先生

  ◆Title:Re こんばんは。

  ◆元気になったみたいで安心したよ!

   今週末、また手伝ってもらってもいい?

   悪魔のような ”花さかじいさん ”が待ってるぜ!w
 
 
 
リコはケータイ画面を見つめ、潤んだ瞳で微笑む。
そして、コースケから借りていた絵本を愛しそうにギュっと胸に抱き締めた。
 
  
 
 
 
週末。リコは少し緊張の面持ちで久しぶりの保育園を訪ねると、コースケが裏口
で待ちかまえいつものあの笑顔で迎えてくれた。

リコはあの事件のことを細かく訊かれたりしたらと少し身構えていたのだが、
そんな事は杞憂に過ぎなかったとすぐさま気付く。
リコに負担をかけぬよう、コースケはあの事件のことは何も訊かなかった。
まるで何も無かったかのように、いつも通りの情けない笑顔のコースケだった。
 
 
片手に持ったカバンをコースケへと差し出し、借りていた絵本を照れくさそうに
渡すリコ。
 
 
 
 『コーチャン先生・・・

  これ・・・ ありがとう・・・
 
 
  すっごく嬉しかった。 すっごく元気になれたの・・・。』
 
 
 
すると、いつもの困ったような笑顔でコースケはただ黙って頷いて微笑んだ。
  
 
 
遊戯室の床に広げられた模造紙のイラストを見た瞬間、リコは吹き出した。

それは、コースケがたった一人で懸命に描いたであろう ”花さかじいさん ”
木にのぼったおじいさんが灰を撒き、辺り一面お花畑になるのを想定したの
だろう。やわらかい桃色の紙で作ったペーパーフラワーが散りばめられ、実際
花に触れることが出来る所までは素晴らしかったのだが。

主役であるはずのおじいさんの顔ときたら。まるで典型的な悪役の、それ。
敢えて描かないとそうは描けないような、半眼の腹黒いニヤケ顔をしていた。
 
 
 
 
 『これ・・・

  あははははははは・・・ あははは・・・。』
 
 
 
リコがその場にしゃがみ込んで笑い喘ぐ。

もう笑い過ぎて過呼吸になりそうなほどで、苦しそうに顔を歪めそれでもまだ
リコが笑い続けている。
コースケは笑われるであろう事を想像はしていたけれど、ここまで笑われるとは
思っていなかった。そんなリコを見て、思わずつられて笑い出してしまう。

 
 
 『失っ礼しちゃうよなぁ~。

  オイっ! 笑いすぎだっつーのっ!!!』
 
 
 
そう言うと、しゃがんで小さく丸まって大笑いし続けるリコの肩をポンと軽く
押した、その時・・・
  
  
 
 『きゃぁぁぁああああああああああ!!!』
 
  
 
リコが突然叫んでガタガタ震え出した。

目を固くつぶり小さく小さく体を縮め両腕で膝をかかえて、それは己の身を
守ろうとするかのように。
急にフラッシュバックのように、あの夜のあの感覚が甦ったのだった。
 
 
固唾を飲んでその場に立ち尽くすコースケ。
あまりに驚いてしまって、すぐには声が出せない。一歩も動けない。
 
 
リコの姿にショックを受け、ゴクリと息を呑む音が遊戯室の静寂に響く。
 
 
 
 『ごめん・・・ リコちゃん、ごめん・・・。

  ほんと、ごめん・・・ 
 
 
  ・・・俺、そんなつもりは・・・・・・・。』
 
 
 
泣いてしまいそうに小さく呟くと、コースケはリコに近付いて慰めていいものか
どうか考えあぐねる。様子を伺いながら少しずつ少しずつ、一歩また一歩とリコ
との距離を縮めていった。

いまだギュっと目をつぶって震えるリコの背中に、コースケが慎重に慎重に手を
当てる。その手はまるで幼い子供をあやすように背中を優しく小さくノックして。
 
 
そして、ゆっくり静かに膝を折りリコの横に座る。
 
  
 
 『ほら・・・

  もう、大丈夫・・・
 
 
  ・・・怖いことなんか、なんにも無いよ・・・。』
 
  
 
コースケは、優しく優しく両腕を広げてリコを包み込んでいた。
 
 
 

■第57話 止まらない気持ち

 
 
 
 『もう大丈夫・・・

  ・・・もう、怖い目になんか遭わないよ・・・
 
 
  大丈夫・・・ 大丈夫・・・ 大丈夫・・・・・。』
 
 
コースケがリコを優しく抱きしめ、背中に回した手でトントンと肩を叩いた。

その打ち付けるリズムは穏やかでやわらかくて、怯え震えるリコの心に沁み入る。
いまだガタガタ震え続けるリコの頭を抱えるように両腕で包み込むと、コースケ
の頬がリコの左耳に触れた。
 
 
互いの洋服の厚み数ミリしか、ふたりを隔てるものはない。
リコの胸に、コースケの閑やかな心臓の鼓動がトクリトクリと伝わって。

まだ少し震えているリコを、コースケは『大丈夫、大丈夫』とやさしく繰り返し
落ち着くまで抱きしめていた。
それはまるで、泣きじゃくる赤ん坊をあやす親のように。
 
 
 
 
    心臓が、止まるかと思った・・・
 
 
 
 
息を吸っては吐くだけの行為の仕方が分からない。
今までどうやって無意識にそれをしてきたのか、全く思い出せない。

胸にはすでに満杯に熱いものが満ちていて、これ以上吸い込んだら破裂してし
まいそうで。
 
 
リコの肌と触れているコースケの首筋から柔軟剤のにおいがかすめる。

黒く短い髪の毛は見た目よりやわらかくて、包んでくれている腕や肩は思った
よりガッチリしてと男らしくて、もう少しで唇が耳たぶに触れそうな距離で聴
こえるその声は、至近距離だとこんなにも低くて甘いのだと知った。
 
 
 
 
少しずつ恐怖がおさまってゆくのと引き換えに、コースケに抱き締められている
この状況に心が追いつかなくなっていたリコ。
 
 
 
 
   どきん どきん どきん どきん どきん・・・
 
 
 
 
狂ったように心臓が高速で跳ね上がる。

しかしリコの胸に感じるコースケのそれは、こんな状況でも至って穏やかで落ち
着いていて、互いの気持ちの温度差をいやというほど感じさせられる。
 
 
 
 
   どきん どきん どきん どきん どきん・・・
  
 
 
  
  (私だけ・・・

   ・・・私だけなんだ、こんなにドキドキしてるのは・・・
 
 
   どうして・・・

   ・・・どうして、コレをなんとも思わないの・・・?)
 
 
 
ぎゅっと強くつぶったリコの目尻から涙が一筋あふれて流れる。

呆然として体の横で垂れていた小刻みに震える手をゆっくりゆっくり動かすと
コースケのTシャツの背中を少しだけ掴んだ。
そして、もう片方の手をコースケの背中に回す。
コースケの大きな肩に顎を乗せ、しがみ付くように体を寄せた。
 
 
 
 
    一生分の勇気を使い果たした気分だった・・・
  
  
 
  
  (苦しいよぉ・・・。)
 
  
 
リコは嬉しさと恥ずかしさと戸惑いとやるせなさで、そのまま動けなくなって
いた。

どのくらいこうやってコースケに抱き締められていたのだろう。
一瞬のことのようにも感じたし、とてつもなく長い時間にも感じた。
ちゃんと呼吸は出来ていたのか、心臓は動いていたのか、頭の中は真っ白で
一言さえも声を発することが出来なかった。
 
 
すると、リコの尋常ではない怯え方がおさまったのを胸に感じたコースケが、
そっと体を離してリコの目を覗き込むようにして見つめる。
 
  
 
 『ほら、大丈夫だろ?』
 
  
 
そう言って大きな手でリコの頭をガシガシ撫で、心から安心したような顔で
やさしくやさしく微笑む。
 
リコは瞬きも忘れてその笑顔を見つめていた。
 
 
  
 (好き・・・

  好き、好き、好き・・・
 
 
  ・・・コーチャン先生が、 好き・・・。)
  
  
 
胸が焦がれるほど、呼吸が苦しくなるほど、涙が溢れそうなほどそう思った。
 
 
 
 (好きだよぉ・・・・・・・・・・・・・・。)
 
 
 
すると、リコは思わず訊いてしまった。
訊かずにはいられなくなっていた。

張り付くようにきゅっと締った息苦しい喉を通って、震える声が零れる。
 
 
訊かなくても分かっているのに、聞いたら打ちのめされるのは分かっているのに。
  
 
 
 『コーチャン先生・・・

  ・・・マリさんの事が、好きなの・・・?』
 
  
 
その瞬間、コースケの顔が見る見るうちに曇っていった。
それはコースケがはじめて見せる少し怖い表情だった。
 
 
 

■第58話 進路

 
 
 
 『進路について、各々考えておくように。』
 
 
担任のその言葉と配られた進路希望調査書で、自分達の状況を痛感させられた。

机の上のやけに堅くひんやりしたその用紙に目を落とすと、リコとナチは同時
に目配せをし合い眉根をひそめて肩をすくめた。
  
 
 
 
放課後。いつものファミレスにリコとナチ、そして向かいの席にリカコの姿が。

担任の口からさも当たり前のように出た ”進路 ”というワードが、頭の中を
延々ぐるぐる巡っていた。
高校2年の秋ともなれば、否応なしに ”先の事 ”を考えねばならない時期だ
という現実をいやというほど思い知らされる。
 
 
 
 『ねぇ~、リカコさんはなんであの大学にしたのぉ~?』
 
 
 
ナチが不満の色濃い口調で訊く。

なんだかぶすっと膨れっ面で頬杖を付き、自分達の今一番の ”問題 ”を既に
突破しているリカコに八つ当たりするような不機嫌さで。
 
 
しかし、そんなナチの気配も気にも留めずリカコは飄々と即答する。
 
 
 
 『遊びたかったから。』
 
 
 
そんな澄ましたリカコに、ナチは分かり易くため息をついた。

ストローの抜け殻袋に水滴を垂らし、芋虫のように蠢くそれをピンと爪の先で
弾いてもう一度しっかり声に出しため息を漏らすナチ。
 
 
リカコは続けた。
 
  
 
 『私の ”遊びたかった”っていうのをポジティブに捉えんのよっ!
 
 
  だってぇ~・・・ 考えてもみなさいよ?

  たかが17,8で自分の一生を決めれるわけぇ~?
 
 
  まだやりたいコトやら、なりたいモノが見付からなければ、

  これから見付けるしかないじゃな~ぁい?
  
  
  取り敢えず大学通って~ぇ、そこで出会う人や起こる事によって

  今まで全く考えてもみなかったような ”何か ”を、

  見付けれるかもしれないじゃ~ぁん?
 
 
  私はその ”何か”の為に大学に入ったのよ!!
 
 
  ・・・てか、まぁ。 

  ただ単に、家に近かったてのもあるケド・・・。』
 
 
 
その説得力のあるような無いような、しかしやけに自信満々のリカコの言葉を
聞いてリコとナチは目から鱗状態だった。

二人は、気怠かった猫背の姿勢からシャキンと背筋を正して座り直す。
テキトーなのか否かイマイチはっきりしない、目の前に座る ”人生の先輩 ”
を崇めるように身を乗り出して見つめて。
 
  
ナチは以前リュータに叱られた事を思い出していた。
不純な動機で同じ大学に通おうとしたナチを、リュータは激しく否定したのだ。
 
 
 
  (今まで全く考えてもみなかったような ”何か ”・・・。)
 
 
 
せめて少しでも興味がある事を勉強しながら、その ”何か ”を見付けたいと、
リコもナチも考えていた。
 
 
 
  (・・・興味がある事、 ・・・かぁ・・・。)
 
 
 
しかし、すぐ答えが出せるほど簡単な問題ではなかった。
 
 
  
すると、分かり易く頭を抱え込み、うな垂れてテーブルに目を落とすセーラー
服姿の二人に、リカコが何かを思い出したように『ぁ。』と声を上げた。
  
 
 
 『そいえば・・・ 

  ・・・アカリが来るって話、したっけ?』
 
 
 
”アカリ ”という初めて耳にした固有名詞に、リコとナチはブンブンと首を
横に振る。
 
 
 
 『リュータの妹。・・・ほら、あんた達と同い年の。
 
 
  なんか少しコッチに来るらしいよ。

  みんなでゴハンでも、って話してたのよ。』
 
 
 
すると、『どどどどんな子っ?!』
喰い気味にナチが身を乗り出してリカコに詰め寄る。

勢いよく立ち上がった際に手がグラスにぶつかり、もう溶けかけた氷だけに
なっていたグラスの中身がテーブル上に少量こぼれた。
しかしナチの表情は、濡れたテーブルなど意に介さないほど真剣そのもので。
 
 
取って喰われそうなそのナチの勢いに、さすがのリカコも若干引き気味に背を
逸らした。
 
 
  
 『どんな、って・・・
 
 
  ん~・・・ 前に会った時はぁ・・・

  ”兄バカのリュータ ”と ”それをウザがる妹 ”

  って感じだったかなぁ~? 
 
 
  ・・・すっごいハッキリ物ゆう子よ。』
 
 
 
それを聞いたナチが眉間にシワを寄せ、胸の前で腕組みをして低く呟く。

先程まで頭を悩ませていたはずの進路の件はどこへやら。瞬時にして最重要課題
はすり替わり、ロケット鉛筆のように次のそれが目の前へそびえ立った模様で。
  
 
 
 『なるほど・・・・・・・・。』
 
  
 
異様に真剣な面持ちのナチを見て、リカコは思わず大笑いした。
腹を抱えて身をよじり、愉しそうに一人ケラケラと笑い声を上げて。
 
 
 
 『アンタみたいにめげない姿みてると、本当応援したくなるよ・・・。』
  
 
 
ナチの真っ直ぐな瞳を盗み見て、リコも心の中でめげてなどいられないと痛感
していた。
 
 
 

■第59話 悩める女子高生

 
 
 
リコは自宅に帰ってからも進路の事を考えていた。

自室の勉強机に向かい、キャスター付きのイスを意味も無く右に左にクルクル
廻しながら、指先で摘んだ進路希望調査書を顔の高さに上げて眺める。
 
 
 
 (出来れば・・・

  好きな事を勉強しながら、じっくり先の事を考えたいなぁ・・・。)
 
 
 
幸せな事に、両親からは『リコの思うように決めたらいい。』と言われていた。

進学なら進学、早々と就職したいならそれはそれで応援するという両親の言葉
を思い出し、今一度、自分の遠い未来と近い将来のことをぼんやりと思う。
自分の好きな事・興味がある事は何か、リコは考えあぐねた。
 
 
 
 (やっぱり・・・ 描くことかなぁ・・・。)
 
 
 
机の上のスケッチブックに目を遣り、その刹那哀しげに目を伏せる。
リコは先日の事を思い出していた。
 
  
コースケのあんな怖い顔を初めて見た、あの日。

リコの『マリさんが好きなの?』という問い掛けに、コースケは一瞬表情を曇らせ
途端に口をつぐんでしまった。
 
 
そして、『・・・俺の事は気にしないでいいよ。』と、少し引きつった頬を無理
やり笑顔に変えた。声色だって、それまでのとは明らかに違う低く苦いそれで。
 
それは、違う角度から見れば ”お前には関係ないだろ ”という意味に他ならな
かった。あの日刺さった棘が、リコの胸に再び歯がゆい痛みを思い起こさせる。
 
 
近くにいるのに、一番遠い。
手が届きそうなのに、手を伸ばすとまるで蜃気楼のように儚い。
 
 
 
 (なんで優しくするの・・・?

  なんで思わせぶりな態度するの・・・?
 
 
  なんで・・・

  ・・・なんで、あんな風に抱き締めたりするの・・・?)
 
 
 
本当は答えなど分かっていた。

コースケの ”底抜けの優しさ ”なだけであるという事を。
無自覚の優しさ。実直で素直で、バカが付くほどの善良さ故なだけなのだ。
 
 
例えばこの先、進学して絵を学んだからといってそれがなんになるというのだ
ろう。絵が描けるという武器で、取り入るつもりなのか。本当に心から絵が描
きたいのだろうか。ただ絵を描く事で近くにいられることを期待してるだけな
のではないのか。
 
 
自問自答するリコの口からは、ため息しか出なかった。

100%頷くことは出来ないけれど、しかし100%否定も出来ない。
ただただモヤモヤした気持ちだけが胸の中で停滞し、明確な答えが出る気配
など微塵も感じられなかった。
 
 
  
 
 
その時、ナチはブツブツと独り言を繰り返していた。
 
 
 
 (兄バカって何よっ?! 

  ・・・兄バカ、って・・・。)
 
 
 
ナチは最近、リュータの前では必死にただの ”仲間 ”を演じていた。

あの日、自分の中で覚悟とケジメを付けたつもりの ”想い ”は結局のところ
ただ本当の気持ちに蓋をしただけという状況で、隠せば隠すほど逆に想いは募
っていった。
 
 
その反動か、今までにも増して些細な事にさえ異常にヤキモチを妬いてしまう
状態になっていた。
 
 
 
 (可愛いのかな・・・ アカリさん・・・

  リュータさん、優しいんだろうなぁ・・・
  
  
  ズルいよぉ・・・

  なんで、アカリさんだけ・・・
 
 
  私だって・・・ 独り占めしたいのにぃ・・・。)
 
 
 
四六時中、心の中を占めるリュータの笑顔は、ブンブン頭を振ってみたり枕を
抱えてボフボフと拳で殴ってみたり、突然大きなため息をついてみたりしても
一向に翳ることはない。
 
 
『リュータさぁん・・・。』 ため息の隙間から恋しいその名が切なく零れる。
 
 
次から次へと悩みが尽きないリコとナチであった。
  
 
 
 
 
その頃。
 
  
 
 『もしもし、リュータ? 着いた。早く来て。』
 
  
 
自宅のベッドに横になりマンガを読んでいたリュータのケータイが、けたたま
しく着信メロディーを鳴り響かせた。

画面に表示された着信相手の名に小さくため息を付き、それを耳に当てると、
ケータイ向こうから聞こえたのは、妹アカリの気怠そうな声。
やれやれという風に、リュータがケータイを耳に当てたままヘルメットを小脇に
抱え玄関先でスニーカーに爪先を突っ込んだ。
 
 
 
 『駅か~ぁ?

  今からバイクで行っから、明るいトコで待っとけ。』
 
 
 
ドルン・・・
 
  
バイクのエンジン音が、三日月が輝く藍色の夜空に低く響いた。
 
 
 

■第60話 アカリ

 
 
 
 『超ぉぉおおお、遅っっいんですけど? 信っじらんない!!』
 
 
バイクをとばして駅まで迎えに来たリュータに、妹アカリは開口一番そう
言った。

腕組みをし不機嫌そうに片足を斜め前に出して、その踵はカツカツとアス
ファルトを踏み鳴らして。今にも舌打ちでもしそうな生意気な面持ちで、
ツンと顎を上げ目を眇める。
 
 
 
 『15分で来ただろがっ!

  ・・・ってゆーか、何時着か先に言っとけ! バカっ!!』
 
 
 
これが、この兄妹のいつもの遣り取りだった。

帰宅する人々の出入りもだいぶ少なくなった夜の駅改札口前で、リュータ
とアカリは派手に喧々諤々繰り広げる。通り過ぎる人が、それをカップル
の喧嘩かと興味深げにチラ見してゆく。
 
 
『取り敢えず、乗れっ!!』 リュータはアカリに押し付けるようにヘル
メットを渡すと、アカリは意外と素直にそれを受け取り手慣れた感じで頭
にかぶる。そしてバイクの後ろに乗ると、リュータの腰に腕を巻き付けし
がみ付いた。

秋の少し肌寒い三日月夜の街を、二人を乗せたバイクは低いエンジン音を
轟かせながら颯爽と駆け抜けた。
 
 
 
軽快にバイクは坂道を上り、リュータのアパートに到着した。

玄関ドアを開錠し開けた途端、愛猫あおいがニャ~ニャ~鳴いてアカリの
足元に擦り寄り、全身で喜びを表現して訪問客を歓迎する。
 
 
上半身を屈め優しくあおいを抱っこして、やわらかい表情を浮かべるアカ
リ。リュータは無言でその穏やかな表情をチラリ横目で見つめながら、
今回こっちに来た理由を訊こうかどうしようか迷っていた。
 
 
すると、『お腹すいた。』 アカリがぶっきら棒に抑揚なく呟く。

先程まであおいに頬を寄せ甘い声色で話し掛けていたそれとはまるで違う
口調。それは問答無用で ”食べるもの、早く!”の意味だと、長いこと
兄妹をやってきたリュータは哀しい哉、即座に察する。
 
 
リュータが気怠げにノソノソと、狭いキッチン隅に設置してある冷蔵庫の
前でしゃがみ込み、そのドアを開けようとすると。
 
 
  
 『ちょっと待って!! 信じらんない。

  まさか今から作るとか言わないよね?
  
 
  ムリムリムリムリ!!

  なら、コンビニ行こうよ、コンビニ。 ほら、さっさと。』
 
 
 
あおいを優しく床へ下ろし、アカリは再びヘルメットを持ってさっさと
玄関を出てゆく。まだ抱っこしていてほしかったあおいが、もう外へと
行ってしまったアカリの見えない背中を追って玄関先で佇んでいる。

リュータは大きなため息をついて天を仰ぎ、ノロノロとそれに続いた。
 
 
 
先程上ったばかりの坂道を再び下り、アカリを乗せたリュータのバイクは
コンビニに着いた。

来客の合図のチャイムに学生バイト店員が『ッシャイマセー。』と感情の
ないマニュアル通りの挨拶を投げかける。
リュータはすぐさまカゴを持たされると、アカリの後ろをついて歩いた。
片手に握るカゴ内にどんどん放られ、山になってゆくお菓子の数々。
  
 
 
 『メシじゃねぇのかよ、メシじゃ・・・

  チョコやらポテチやら、お菓子じゃ腹膨れねーっつの!!』
 
 
 
リュータは苦虫を噛み潰したようなしかめ面で、アカリがカゴに入れた
お菓子をひとつずつ棚に戻す。
 
 
すると、
 
 
 
 『バっカじゃないの?!

  秋の新作はチェックしとかなきゃダメじゃん!!』
 
 
 
アカリが再びカゴに入れる。

棚から掴み取ったり、戻したり。カゴに入れたり、取り出したり。
二人はそんな遣り取りを延々繰り返し、文句の言い合いをし、だいぶ時間
をかけて買い物を終え、またリュータの部屋に戻ってきた。
 
  
 
アカリは子供の頃から兄リュータが大好きで、いつも何処へ行くにもくっ
付いて回る子供だった。そのアカリをリュータもとても可愛がり、アカリ
がケガをしないように、アカリがいじめられないように、アカリが泣かな
いようにいつも気にかけていた。
 
 
しかし、中学生になったアカリは急に家族に反抗するようになった。
リュータが高校入学にあたり家を離れ、一人暮らしを始めた頃からだった。
 
 
 
 (今回も何か理由があってこっちに来たはずだよなぁ・・・。)
 
 
 
テレビを見てケラケラご機嫌に笑いながらお菓子を食べているアカリに、
リュータは気付かれぬようこっそりチラチラと視線を向ける。

そして、さり気なくさり気なく声をかけた。
  
 
 
 『・・・で?

  でぇ~・・・ そのぉ・・・ 今回は。 ・・・どした?』
 
 
 
さり気なく、さり気なく・・・

すると、
  
 
 
 『別に。

  ・・・ってゆーか黙って。 今、面白いトコなんだから。』
 
 
 
『・・・ぁっそ。』 フローリングに胡坐をかいたまま、ガックリと
うな垂れるリュータ。何度目かのため息が冷えた床へと落ちて消える。
 
 
悩める兄であった。
 
 
 

■第61話 ナチVSアカリ

 
 
 
リカコの号令で、久しぶりにいつものファミレスに集まる事になった5人。

リュータとアカリを覗くメンバーは既にテーブルにつき、二人の到着を待って
のんびりと近況報告をし合っていた。
 
 
すると、
 
 
 
 『リカコさぁぁあああんっ!!』
 
 
 
入店合図のチャイムが店内に響くや否や、モデルのように背が高く大人っぽい
アカリがキョロキョロと辺りを見回し、店奥にリカコの顔を見付けて満面の笑み
で駆け寄る。そして一気にリカコの目の前までやって来ると、両手を広げて抱き
付いた。アカリはリカコを姉のように慕っていたのだった。
 
 
ナチは初めて見るリュータの妹アカリを神妙な面持ちで見つめる。

思った通り、否。思っていた100倍、アカリは美形で他を寄せ付けないオーラ
が溢れ出ていた。
 
 
元々長身だが、エナメル超のストラップ付ストームパンプスの8センチヒールが
ますますそのスラっとした体形を際立たせ、ノロノロと後方に続くリュータとの
身長差も絶妙でまるでファッション雑誌から飛び出したカップルのように見える。
 
 
 
  (この子がアカリさんかぁ・・・ 

   ・・・すっごいスタイル良くて、キレイじゃん・・・。)
 
 
 
なんだか居場所無げに情けなく背を丸めたナチ。

どっぷりと落ち込みかけて我に返り、相手は血の繋がった ”ただの妹 ”だと
自分をいなす。別に張り合う相手ではないのだと、心の中で繰り返して。

そして、必死に愛想を振りまこうとナチは表情筋を無理やり上げてアカリに笑み
を向けた。
 
 
すると、
 
 
 
 『・・・なに? このJC2人組。』
 
 
 
リカコに熱いハグをしながら、リコとナチふたりを馬鹿にしたように横目でチラ
っと流し見て、半笑いで言ったアカリ。チェリーピンクが目映いぷるんとしたグ
ロスの唇が意地悪くひしゃげる。

するとコースケとリュータが ”JC ”というワードに思わずぷっと吹き出した。
 
 
 
 『ちゅ、中学生じゃないわよっ!! 高2なんですけどっ?!』
 
 
 
ナチは立ち上がってムキになって言い返す。
先程まで必死に上げていた表情筋がアッサリと下がり、唇は不満気に突き出る。
 
 
『高2~??』 それを聞いてアカリはナチの隣に並んだ。

ナチは身長153cm。それに比べてアカリは168cmプラスヒールで同じ
高校2年生とは思えない大人っぽさだった。
 
 
 
 『チビなだけじゃなくて、

  幼児体型なのも中学生に見える理由じゃな~ぁいっ?』
 
 
 
アカリは顎を上げ、胸を張ってアピールする。
ボーダーのゆるニットワンピは、スレンダーなのにグラマラスでメリハリのある
キレイなボディラインを目が釘付けになる程に強調させている。

ナチは歯がゆそうにただ口をモゴモゴと蠢かせるも、結果、言い返す言葉が一つ
も見付からず不機嫌そうな顔でドシンと席に着いた。
  
 
 
 
 
6人掛けのテーブルに、当たり前のようにリュータの隣にはアカリが座る。
そこは、普段はみんなが気を使ってくれる ”ナチの指定席 ”だというのに。
 
 
 
  (妹さんなんだから・・・

   久々だから仕方ない仕方ない・・・
 
 
   ・・・今回だけ、今回だけ、今回だけ・・・。)
 
 
 
ナチが心の中で必死に自分に言い聞かせるようにブツブツ呟く。
しかしその顔は眉間にシワを寄せ口を真一文字に噤んで、不本意極まりないのが
ありありと浮かんでいる。

そんなナチを、隣に座るリコがこっそり耳打ちして励した。
 
 
 
 『数日で帰るんだろうし・・・。 気にしない! 気にしないっ!!』
  
 
 
その言葉にすがるようにナチは情けない顔で小さくコクリと頷いた。
 
 
 
 
 
呑気にテーブルに頬杖をつき、ひとり愉しそうにその状況を眺めていたコースケ
がアカリに訊く。
 
 
 
 『アカリちゃん、今回は何日ぐらいこっちにいられんの?』
 
 
 
すると、
  
  
 
 『家出してきたの。 ずっといるつもり。』
  
  
 
 
  ブーーーーーーー!!!!

  ブーーーーーーー!!!!
 
  
アカリから飛び出した言葉に、リュータとナチが口に含んだドリンクを豪快に
吹いた。
 
  
 
 『ちょっと待て! お前、聞いてねーぞ?んな事・・・。』

 『ちょっと待ってよ! 何それ?なんで帰らないのよ・・・。』
 
 
 
リュータとナチが同時に発し、立ち上がる。

口の端からはだらしなくドリンクが垂れてしまっているけれど、そんな事など
気にしていられない二人。目を白黒させ、バンバンとテーブルを打ち鳴らして
抑え切れない衝撃をアカリにぶつける。
 
 
しかし、
 
 
  
 『同時に言われても、全然聞き取れないんですけど。

  こう見えても、聖徳太子じゃないんで、私・・・。』
 
  
 
アカリが至極冷静にコーヒーを飲みながら飄々と答えた。
ツンと澄まして美しい姿勢で、まるでリュータとナチの周章狼狽などどこ吹く風。
  
 
すると、コースケとリカコがそれを見て大笑いした。
あまりに豪快に笑われて、リュータとナチは不満気に睨みを利かせる。
リコは何も出来ず、ただオロオロしてうろたえた。
 
  
アカリだけが、まるで無関係かのようにシレっと素知らぬ顔をしていた。
 
 
 

■第62話 続・ナチVSアカリ

 
 
 
終始、アカリペースで会話は進んでゆく。

最初はそれも我慢していたナチだったが、アカリはナチが口を開くと決まって
それに被せるように自分の話をしはじめる。
ナチが不機嫌なふくれっ面になってゆくのに、そう時間は掛からなかった。
 
 
リュータはそんなナチをチラリと横目で見て、困り果てた顔で俯き後頭部をガシ
ガシと掻き毟る。小さくため息をついて再度ナチへと視線を向けると、一瞬目が
合ったものの即座にナチはぷいっと顔を背けてしまった。
 
 
慌てたリュータはナチの方へメニューを差し出し、表紙をめくってすぐのページ
にある ”秋の新作スイーツ ”特集を見せる。
 
 
 
 『ほら、ナチ!

  秋の新作スイーツ出てんぞ? いいのか?いいのかぁ??』
 
 
 
リュータが自分に話し掛けてくれた事とスイーツというワードに、ナチの顔が
パっと明るくなる。満面の笑みで身を乗り出してメニューを覗き込みかけると
アカリが即座に手を伸ばしそれを横取りした。
 
 
 
 『あ、本当だー。

  リュータ、これ食べたい。 注文して。』
 
 
 『・・・。』
 
 
 
図らずもアカリに奪われてしまったメニュー表をナチは呆然と見ていた。

次第に真っ赤に染まってゆく頬。ナチはバンっと勢いよくテーブルを叩いて立ち
上がり、怒ったような泣きそうな顔をしかめてトイレへ向かって走って行った。
 
 
 
 『アカリ、いい加減にしな?』
 
 
 
さすがにアカリのそれを見かねたリカコが注意する。

しかしアカリは悪びれない様子で、長い髪の毛を指先にクルクル巻き付けながら
呆気らかんと笑って言った。 『だって、面白いじゃーん。』
 
 
”面白い ”という割りにはアカリの顔は微塵も笑ってはいなかった。
 
 
 
 
 
リコはナチを追いかけてトイレへと向かった。

女子トイレの扉をくぐると、3つある個室の内ひとつだけが閉まっている。
リコはしずしずと様子を伺いながら小さくノックして声をかけた。
 
 
 
 『ナチ?

  ・・・ねぇ、ナチ。 大丈夫?』
 
 
 
しかし返答はない。

泣いているのではと心配したリコだったが、すすり泣く声も怒り狂うそれも
呼吸の音さえも聴こえない。
 
 
 
 『ねぇ、ナチ・・・

  ちょっとからかわれてるだけだよ、気にしないで!』
 
 
 
すると、バンっと大きな音を立ててドアが開いてナチが出て来た。
 
 
 
 『なんなの? なんなの? なんなのぉぉぉ?!

  私、なんで初対面の人にあんな態度とらんなきゃいけないのっ?!』
 
 
 
あまりに怒り心頭で頭に血が上って、ナチはファミレスのトイレ内だという事も
忘れて叫びまくる。地団駄を踏み両の拳を乱暴に振り回し、悔しくて仕方がなさ
そうに顔を歪めて。
 
 
リコもアカリの態度は目に余るものがあると思った。
あれはナチが怒るのも無理はない。

しかし、どことなく憎めない感じがした。困ったものだとは思うけれど、だから
といってアカリを嫌いになるかと言われれば、そこまでではないような。
 
 
アカリはまるで ”小さな子供 ”なのだ。
大好きなお兄ちゃんを独り占めしたい欲求を抑えられない、小さな小さな子供。
 
 
 
 『学校だってあるんだし・・・

  本気で家出なんて言ってないよ、きっと。
 
 
  ほら、ナチ。戻ろう?

  あんな子供っぽい挑発に乗っちゃダメだよ!!』
 
 
 
トイレ内でリコに説得され、ナチは渋々席に戻った。
その顔はまだ不貞腐れていて、不機嫌そうに目を落とし誰とも目を合わせようと
しない。

リュータがリコにチラっと視線を向け ”スマン ”と目で合図した。
リコは困った顔で肩をすくめて、それに合図し返す。
 
 
すると、
 
 
 
 『遅かったじゃん? うんこ??』
 
 
 
ナチが着席早々、アカリが待ってましたとばかりに攻撃した。
 
  
 
 『う ん こ じゃ な い わ よっ!!!!!』
  
 
 
ナチの怒号が店内中に響き渡った。
 
  
 
 
 
終始そんな感じでナチとアカリはぶつかり合ってばかりいた。
アカリは隙あらばナチをからかって攻撃をしかけ、ナチもそんなの無視すれば
いいものを全身で受けて立ち全力で対抗する。

しかし、そんなアカリをリュータは少し安心した眼差しで見ていた。
 
 
アカリはこんな性格のお陰で昔から友達がいなかった。
ひねくれ者な為、すぐ嫌わて敵をつくってしまうのだ。
それは、本当は人一倍寂しがり屋で甘えん坊のアカリの精一杯のサインだった。
 
 
最初の段階でアカリの性格を目の当たりにすると、普通みんな去っていった。
アカリから離れさえすれば面倒に巻き込まれる事はないのだから。

しかし、ナチは売り言葉に買い言葉でアカリに負けず劣らず対抗していく。
リュータにはナチと言い合いしているアカリはどこか愉しそうに見えていたのだ。
 
 
 
 『いい友達になれると思うんだけどなぁ・・・。』
 
 
 
リュータは一人、片肘ついてストローを咥えたままボソっと呟いた。
 
 
 

■第63話 ライバル

 
 
 
みんなでしゃべり笑いご飯の後に更にドリンクバーで粘って、夜9時に解散する
事にした6人。
 
 
ナチ一人だけがふくれっ面のまま、終始不機嫌そうだった。
ぶすっとして会話にもあまり参加せず、伏し目がちに膝の上の指先にばかり集中
してパチンパチンと爪を弾いて。

そんな様子を横目で見ながらリュータは困り果てていた。
 
 
ファミレスを出ると軽く手を上げて互いに挨拶を交わし、各々自宅へ向けて歩き
出した時リュータがナチを呼び止めた。

肩にやけに力が入ったその華奢な背中は、顔を見なくてもその感情がありありと
溢れ出てしまっている。ナチは一瞬リュータの声にピクンと反応するも、無視を
して歩き続ける。

すると小走りで追いかけ後ろからぎゅっとナチの腕を掴んで引き留めたリュータ。
 
 
それを見たアカリがあからさまに苛ついた表情で頬を引きつらせ、リュータを追
いかけようとした所を瞬時にリカコに止められた。
 
 
 
 『少しはナチの気持ちも考えなさい。』
 
 
 
アカリは口を尖らせてむくれながら、その言葉に黙って従った。
 
 
リュータは強く掴んでしまったナチの腕をそっと離すと、後頭部をガシガシと
掻いて背を丸め謝る。
 
 
  
 『ナチ・・・ごめんな。 アカリが嫌な思いさして・・・。』
 
 
 
そう言うリュータは、なんだかしょぼくれて本当に申し訳なさそうに見える。
 
 
 
 『・・・別に。リュータさんが謝らなくてもいいけど・・・。』
 
 
 
そう言いながらも、ナチはまだ俯いてふくれている。

スニーカーの爪先で意味も無く小石を蹴とばすと、靴底がアスファルトに擦れた
音が耳についた。
暴れん坊のアカリに負けず劣らず子供みたいなナチを、リュータはそっと見つめ
ナチの耳元へ少しだけ顔を近付けた。
 
 
 
 『月曜の夕方、さっきのスイーツ奢るから許して。』
 
 
 
そっと耳打ちをする。
 
 
突然近付いたリュータの顔と耳にかかった息。
一瞬驚いて固まったナチが急にガバっと顔を上げ、花が咲いたような笑顔になる。
 
 
すると、少し離れた所でイライラしながら2人の様子を見ていたアカリが、耳打
ちしたリュータと、それを小躍りでもしそうに喜び笑顔を作ったナチの姿に我慢
の限界とばかり、急に声を張り上げた。
 
 
 
 『リュータァァァ! 帰るよっ!! 早くしろ、バカっ!!!』
 
 
 
夜空にアカリの怒号が響き、やれやれと肩をすくめてリュータが目配せする。
 
 
『じゃぁ、月曜にな!』 そう優しく呟いて、リュータはアカリの元へと駆け戻
った。アカリを乗せたリュータのバイクが走り去り、どんどん遠く小さくなる。

小さく手を振りリュータの背中を見送るナチは、最後の最後に ”約束 ”して
もらえた事が嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
 
  
 
 
 
ナチはリカコと一緒に静かな夜道を歩いていた。

スニーカーの靴底がアスファルトを踏みしめる音と、パンプスのヒールのそれが
住宅街の家々から漏れる灯りに優しく溶けてゆく。
 
 
 
 『ねぇリカコさん・・・

  なんであの子、私にだけあーなんだろ?』
 
 
 
ナチのぼやきを聞いて、一瞬リカコは固まりそして大笑いした。
 
 
 
 『 ”同じようなもの ”を感じるんじゃない? アンタに。』
 
 
 
そう言って、またケラケラと声を上げて笑う。
ナチはそんなリカコを横目に、その意見に全く納得出来ずにいた。
 
 
 
 『 ”同じ ”って何がぁ?!

  私、あんなにワガママじゃないし

  あんな風にリュータさんを振り回したりしないよっ!!』
 
 
 
その憤慨する様子をチラリと見て、リカコが目を細め微笑む。
 
 
 
 『 ”ライバル ”って意味で、よ。』
 
 
 
その瞬間、ナチは口を尖らせて黙りこくった。
照れくさそうな苛ついているような、なんとも言えない微妙な表情を作って。
 
 
リカコが続ける。
 
 
 
 『きっと一目でアンタがリュータを好きだって気付いたのよ。

  アカリにとっては、大好きな大好きなおにーちゃんだもん。
  
  
  リュータの目が他に向けられるのが悔しいのよ・・・。』
 
 
  
リカコはナチとアカリの前でオロオロと狼狽えていたリュータの情けない顔を
思い出していた。
 
 
 
 ( ”どっち ”も大切で可愛くてしょーがない、って顔しちゃって・・・。)
 
 
 
リカコは一人、また豪快に高笑いした。
 
 
 

■第64話 コースケの進路

 
 
 
リコはコースケと一緒に夜道を歩いていた。
 
いつも送ってくれる家が近所のリュータは、今夜はアカリとバイクで帰ってしま
った為、コースケが送ってくれる事になったのだ。
 
 
しかしそれだと保育園前を通過しコースケが遠回りになってしまうからと、リコ
は一度断ったのだが、コースケは頑としてそれを受け入れない。親に迎えに来て
もらうからと言っても、タクシーで帰れると言っても、コースケはなんだか愉し
そうに笑いながら首を横に振るばかりだった。
 
 
あの日以来、二人きりになるのは初めてだった。

コースケはまるで何も無かったかのように、いつも通りたくさん喋って笑う。
リコだけが、あの日の事をずっと気にしていた。

”マリの事 ”を口に出してしまった、あの日のことを。
 
 
 
 
ゆっくりと夜道を歩く二人の目に、コースケの実家であるひまわり保育園が道路
向かいに見えた。勿論こどもの姿も声もなく、なんだかいつものそれより何倍も
暗く寂しく映る。グラウンドの遊具もまるで眠っているように硬く冷たそうで。

なんとなく少し沈黙の時間が流れ、ふとリコが進路のことを口に出した。
  
 
 
 『絵で生きていこうなんて考えてないんだけど、

  やっぱりどうせ勉強するなら好きな事を、って思ってて・・・。』
 
 
 
リコの言葉にコースケはうんうんと微笑んで頷く。
そして、『俺、バイト始めようと思ってんだ。』と嬉しそうに呟いた。
 
 
リコは今までの進路の話の流れと全然違う気がして、『そうなんだ・・・。』と
相槌を打つも、小さく首を傾げる。

すると、リコのイマイチ話が掴めていない感じを察しコースケが口を開いた。
 
 
 
 『今の大学には流れで入ったんだけど、

  やっぱり子供が好きだし、園も好きだし、

  保育士を目指そうと思ってさ・・・。
 
 
  その為には幼児教育を勉強して資格とんなきゃいけないんだけど、

  親に大学の金出してもらってるのに、それまで頼りたくないし・・・。
 
 
  だから取り敢えずバイトして金貯めて、

  夜間の学校通って資格取ろうと思ってさ・・・。』
   
 
 
遠く夜空の星を眺めながら、コースケは続ける。
 
 
 
 『俺みたいに最初別の道に進んでても、途中で軌道修正はきくんだよ。

  だから、今、好きな事が明確ならそっちに進んでいいと思うけどなぁ。
 
 
  もし途中で ”やっぱ違うかも ”って思ったら

  長い人生なんだから、いくらでも道は変えたらいいじゃ~ん?』
 
 
 
リコはなんだかイキイキとした表情で語るコースケの横顔をそっと見つめていた。

コースケの言葉がストンと胸に落ちる。
ずっとモヤモヤと胸に痞えていたものが一瞬で消えた気がした。
 
 
 
  (好きなんだもん・・・ 自分の足で進めばいいんだ・・・。)
 
 
 
そして、自分のそれ以上にコースケの進路を応援したいと心から思っていた。
 
 
 
 『もうバイトは探してるの?』
 
 
 『この間、ひとつ面接受けて来た。』
 
 
 
のんびりしていそうなのに、コースケは意外に行動力がある。
優しくて少し情けなく見えるその笑顔の奥には、強さがしっかりと潜んでいた。
  
 
 
 『・・・これから、日曜は・・・ バイト、するの?』
 
 
 
リコが、園でのイラスト描きの事を思いながら訊ねる。

応援はしたいけれど、本音を言えば日曜は二人で描きたいという気持ちも抑えら
れずに。言ってしまってから、矛盾する思いにリコが一人反省しかけていると。
 
 
『ううん。 日曜は絵を描く日だからね~。』 そう言って笑うコースケに、
リコは嬉しくてたまらなそうにキラキラと目を見開き、頷いて微笑み返した。
 
  
  
 
 
坂道を上り、二人はリコの家の前に到着した。すると、コースケはすぐ元来た
道を戻って帰ってゆく。

リコは小さく手を振りながら、コースケの背中が遠く見えなくなるまでずっと
見送っていた。その優しい背中を。優しくてあたたかくて、強い背中を。
 
  
 
  (私もコーチャン先生に負けてらんない・・・

   ・・・さっそく明日から頑張らなくちゃ・・・。)
 
  
 
少しひんやりとした夜風に吹かれながら、リコの中になにか強い気持ちがひとつ
芽生えていた。
 
 
 

■第65話 それぞれの放課後

 
 
 
教室内に終業を告げるチャイムが響く。

その瞬間そわそわと落ち着かない様子のリコとナチは、机の引出しから教科書を
取り出しカバンに詰め込むと、慌てて立ち上がり互いへと顔を向けた。
 
 
そして、
 
 
 
 『私、進路指導室行くから。 ナチ、先に帰ってて!』

 『私、今日は用事あるから。 リコ、先に帰るねっ!』
 
 
 
リコとナチ、二人は同時に発し一瞬驚いて顔を見合わせ、笑って手を振り別々に
教室を飛び出した。
 
 
リコは校舎3階にある進路指導室へやって来ていた。

そこは数々の進学先のパンフレットや資料がある部屋で、進路指導担当教師も
常駐し相談にも乗ってもらえる。棚ごとに並ぶファイルを指でなぞりながらリコ
は真剣な面持ちでお目当てのそれを探す。そして美術関係の学校の資料がある棚
を見つけると数冊選んで抜き取り机の上にドサっと置いた。
 
 
さっそくリコは美術系の学校を調べはじめていた。

もう心は決まった。次はそれに向けての準備を進めることが必要となる。どこの
学校にするか、大学か短大か専門学校か。受験科目、費用の問題。リコは熱心に
ページをめくり調べていた。
 
 
机に山積みになった資料に目を落とす顔は真剣そのものだが、その瞳はまだ見ぬ
未来へ向けてキラキラと輝いていた。
 
 
  
 
 
その頃、ナチはいつものファミレスに来ていた。

先日みんなで集まった時、アカリの失態を謝罪するという理由でリュータがナチ
にスイーツをご馳走するという約束の待合せは夕方5時。
今はまだ4時前だった。1時間以上も早かったが落ち着かなくてもう店に着いて
しまっていたのだ。
 
 
案内されたソファー席に少し緊張の面持ちでちょこんと座り、数分おきにチラチ
ラとケータイをチェックするナチ。まだ約束の時間には早いというのに、電話や
ラインが来ていないか、表通りにリュータの姿がないか落ち着きなくキョロキョ
ロ見渡す。
 
 
すると、窓ガラスの向こうの通りにアカリの姿が映った。

今日も同い歳には見えない大人っぽさで、花柄刺繍が散りばめられたミニワンピ
の揺らめきが細くて長い脚を更に美しく魅せている。
ナチはギョっとして慌てて顔を背け気付かれないようにするも、アカリは店内の
ナチを目ざとく見つけると手を振ってやけに上機嫌な笑顔で店にまで入って来た。
 
 
 
 『あれ~? 一人で何してんのよ~ぉ?』
 
 
 
アカリはナチの承諾も得ずに向かいの席にストンと腰掛け、お冷を持ってきた
店員からメニューを受け取ると、それに目を落とすフリをしてチラリとナチを
盗み見てあからさまに嫌そうなその態度に笑いを堪える。
 
 
 
 『なによっ!!

  あっち行ってよね・・・ 約束があるんだからっ!!』
 
 
 
ナチが眉間にシワを寄せて必死に追い払おうとする。
そのやけにムキになる様子にピンときたアカリは、どこか試すように呟いてみた。
  
 
  
 『私・・・・・・・・・

  リュータと待ち合わせしてるんだけど、ここで。
 
 
  ・・・ちょっと、来るの早すぎちゃったかなぁ~・・・?』
 
 
 
アカリのその言葉に、ナチは目を見張って固まった。

ドキンドキンと心臓が急激に激しく打ち付け、耳元にまでそれがうるさく響く。
喉になにか痞えているように息苦しくて、目頭がじんわりと熱を持つ。

ナチは音も立てずにスっと立ち上がると、セーラー服の胸にカバンを抱えヨロ
ヨロと心許無い足取りで店を出て行ってしまった。
 
 
 
  (ぁ。 さすがに、ヤバかったかなぁ・・・。)
 
 
 
アカリは、ナチがリュータと待ち合わせしているんじゃないかと当てずっぽうで
言ってみただけだったのだが、それが見事命中してしまったのだった。
ひとりその場に取り残されたアカリは唇を結んで俯き、バツが悪そうに爪を噛ん
で目を伏せた。
 
 
 
 
 
ファミレスを飛び出したナチは、弱々しくよろめきながらもなんとか足を前に
出しまだ日暮れ前の通りを一人で歩いていた。その背中はあまりに脆くて覇気が
無くて、今にも消えてなくなりそうなそれ。
 
 
傷付いていた。
ナチは酷く傷付いていた。
 
 
結局はそうなのだ。
結局は、仲間より可愛い妹を優先するのだ。
到底アカリには敵うはずないのだとショックを受けていた。
 
 
するとその時、
 
 
 
  ”もうすぐ着く。

   腹減ったな。

   スイーツの前に飯食っちゃうか?”
 
 
 
カバンの奥に手を差し込みケータイを取り出したナチの目に、リュータからの
ラインが飛び込んだ。
  
 
 
 (嫌い、嫌い、嫌い、嫌い・・・

  リュータさんなんか大っっっ嫌い・・・。)
 
 
 
泣き出しそうな顔でケータイ画面を睨み付け、ナチは電源をオフにする。

勝手に自分が想いを募らせていただけだという事は分かっているけれど、もう
リュータのことで喜んだり沈んだりする事に心から疲れていた。
リュータのことを好きで好きで仕方ない自分自身に、疲れていた。
 
 
ナチはたまたま目の前で止まったバスに乗り、車両後方へと進むと一番後ろの
席へ倒れ込むように座った。
しだいに陽は傾き、空の橙色が濃くなってゆく。

窓ガラスに頭を傾け、そっと目をつぶると震える目尻から雫がこぼれた。
 
 
 

■第66話 ナチの所在

 
 
 
 『ナチは来てないですけど・・・。』
 
 
リコの自宅電話にナチの母親から電話があった。

電話向こうのナチの母の慌てふためいた泣きそうな声が、リコの耳をジリジリと
熱くする。ナチがまだ帰宅していないという。ケータイも繋がらず、遅くなると
いう連絡も入っていない。時刻は夜の12時を過ぎていた。
 
 
リコが慌ててナチのケータイに電話してみるが、電源が入っておらずやはり繋が
らない。無味乾燥な機械音声があまりに呑気に抑揚なくそれを伝えるだけだった。

リコはすぐさまリュータに電話してみた。
 
 
すると、 
  
 
 
 『えっ・・・

  アイツ、今日、約束の時間に来なかったんだよ・・・。』
  
 
 
リュータは、ナチに急用か何かがあって来れなくなったのだと思っていた。
連絡してもケータイは繋がらないから、どうしてもはずせない用事なんだと。

リュータの顔色が見る見るうちに青ざめてゆく。
 
 
 
  (俺が、もっと早く気付いてれば・・・。)
 
 
 
自分でも気付かぬうちに手がブルブルと震えはじめ、片手で他方の手首を強く
掴みそれを抑えようとする。

そして部屋のローボードの上のヘルメットを慌てて引っ掴むと、弾かれた様に
玄関へと駆け込みスニーカーに乱雑に爪先を突っ込んだ。気持ちばかり焦って
中々スムーズに収まらない足先が無性に腹だたしくて泣きたくなる。
『くそっ・・・。』 八つ当たりのように低く吐き捨てた。
 
 
そんなリュータの切羽詰まった様子を目に、アカリは何があったのか訊く。
 
 
 
 『ナチが・・・

  ・・・ナチが、まだ帰ってないらしいんだ・・・。』
 
 
 
そう言うと、アカリが何か言いかけるのも聞かずにリュータのバイクは荒々しく
エンジン音を轟かせ坂道を猛スピードで下って行った。

アカリは玄関向こうのもう見えはしないバイクの後ろ姿を見つめ続け、大変な事
をしてしまったと腰が抜けたようにしゃがみ込み、一人オロオロと狼狽えていた。
 
 
リコは、思いつく限り色んな人に電話をした。

クラスメイトもリカコの所も、勿論コースケの所にもナチはいない。
他にナチが一人で行くところなんて全く思い付かなかった。
 
 
 
 (ナチになんかあったら・・・

  どうしよう・・・

  ・・・どうしよう、ナチ・・・ 何処にいるの・・・?)
 
 
 
その頃、リュータはバイクをぶっ飛ばして思い当たる所は全て駆け回った。

声を張り上げてナチの名を叫ぶ。喉が枯れる程に叫び続け、ヘルメットの中で
その二文字がかすれてくぐもるも、何度も何度もナチの名を呼んだ。
ひと気のない暗い商店街に目を凝らし、血眼になって探し回る。

こんな夜更けに制服姿の女の子が一人でいるなんて、考えただけで心臓が縮み
上がる。リュータは怖くて不安で仕方がなかった。1秒でも早く見付けてあげ
なければ、迎えに行ってあげなければ。

ただただ、ひたすらナチの安否だけを気遣いながら、バイクは狂ったように
スピードを上げて漆黒の街を駆け抜けた。
 
 
30分後、リュータのケータイにリコから電話があった。

やっとナチと連絡がつき、終電を乗り過ごして今は隣街の駅にいるという。
電話を切ったリュータはハンドルのグリップを一気に全開にし、隣街へ向けて
エンジンをフルスロットルにした。
 
 
 
 
 
ナチは誰もいなくなった終電後の駅のベンチに一人ポツンと座っていた。

わずかな電灯と弱々しい自販機の灯りだけになってしまった、薄暗い駅。
家路に向かう酔っ払いがこちらを見て呂律がまわらない口調で何か言っている。
ナチは怖くて、ベンチに掛かる大振りの枝に身を隠すように小さく縮まる。
寒いのと心細いのとでも少し投げやりな気持ちで、ただただ身を潜めていた。
 
 
すると、遠くからもの凄いスピードで走って来たバイクが目の前で急停止した。

急ブレーキを掛けた際の耳障りな音が闇をつんざき、ひと気ない駅に響き渡る。
そして、バイクから下りたヘルメット姿がナチへ向かって真っ直ぐ駆け寄った。
 
 
突然のそれに、ナチは心臓が縮み上がるほどに驚き、目を見開いて怖くて一歩
も動けない。
そのヘルメットの男は、グローブの大きな手でナチの両肩を思いっきり強く掴
むと荒々しく揺さぶり、そしてベンチから立ち上がらせた。

ナチは悲鳴を上げる事すら出来ないくらい激しく怯えてガクガク震える。
 
 
すると、凄い勢いでナチに向かって怒鳴り始めたその男。
   
 
 
 『こんな時間に一人で、何やってんだよっ!!!

  ・・・お前、バカかっ?!』
  
 
  
 (ぇ・・・ この、声・・・・・・・・・。)
  
 
 
ヘルメットでくぐもった声だが、聞き間違えるはずはない。

いつも調子よくてお気楽で、でも頼り甲斐があって心配性で、優しくてあたた
かくて。好きで好きで大好きで、ナチの小さな耳を真っ赤に染めるただ一人の声。
 
 
言いたい事は山ほどあったのに、何も言い返せず一言も声を発することが出来ず
腰が抜けた様にその場にしゃがみ込んで泣き崩れたナチ。
 
 
痙攣したように全身を震わせるナチの喉から、悲鳴のような泣き声が溢れだし
暗くうら寂しい駅のホームに木霊した。
 
 
 

■第67話 別れ

 
 
 
 『何があったんだよ・・・? 

  ・・・ほら、聞いてやっから言ってみろぉ?』
 
 
リュータがナチと並んでベンチに座り、優しく問い掛ける。
心配そうにナチを覗き込むその顔は、なんだか泣いてしまいそうに情けないそれ。
 
 
ナチは黙ったまま俯いていた。
制服スカートの膝の上でぎゅっと握り締めた拳が、力が入り過ぎて白くなる。
 
 
リュータは拳で軽くナチの二の腕を小突き、口を尖らせて少し大仰に呟く。 
 
 
 
 『俺・・・ 今日ひとりで、

  お前が来んのずぅぅぅううううううううっと待ってたんだぞぉ~・・・。』
  
 
 
それを聞いてナチはガバっと顔を上げ目を見開き、リュータを真っ直ぐ見つめる。
 
 
 
 『ほんと・・・?』
  
 
 
やっとナチが声を出した。それはかすれた小さな小さな声だったけれど、やっと
話をしてくれたことにリュータはホっと胸を撫で下ろす。

そして、笑いながら言った。
 
 
  
 『 ”ほんと? ”ってなんだよ!!

  だって、こないだ約束したじゃんかぁー・・・
 
 
  お前にラインしたのに返事は無いは、ケータイ繋がらないは・・・。』
  
 
 
呆れたように優しく笑うリュータの顔を見て、ナチはやっと気が付いた。

あれは、アカリのただのイタズラだったのだ。ただカマを掛けられただけだった
のに、それをまんまと真に受けてしまっただけの事だと。
  
 
 
 (リュータさんが嘘ついたり、

  平気で約束やぶる人じゃないって事ぐらい、分かってたのに・・・。)
  
 
 
途端にナチは哀しくなっていった。

リュータを信じられなかった自分に腹が立った。誰よりも信じているリュータを
あんな一言でいとも簡単に疑った自分が哀しかった。
  
  
 
 『ごめんなさい・・・・・・・・。』
 
 
 
ナチは再び俯いて、か細い声で謝る。

ファミレスで一人、ずっと待っていてくれたリュータの背中を思うと申し訳なく
て胸が締め付けられて、喉元まで熱いものが込み上げまた声が出せなくなる。
 
  
 
 『なんか・・・ 嫌な事でもあったんじゃねーのかぁ?』
  
 
 
リュータが遠慮がちにポツリと訊く。

決して無理やり聞き出そうとはしないその口調。その優しさが、あたたかさが、
ナチの一番やわらかい部分にじんわりと沁みてゆく。
 
 
しかし、ナチはアカリの事は話さなかった。あれは、信じた自分が悪かったのだ。
だから自分の胸にだけしまっておく事にした。実際、アカリに恨み言を言う気も
激怒して暴言を吐く気も、ナチには更々無かった。リュータが約束を破った訳で
はなかったのが分かっただけで、もう充分だった。
 
  
 
 『・・・・・・・・心配した?』
 
 
 
ナチが潤んで真っ赤なつぶらな瞳で、リュータを真っ直ぐ見つめる。
 
 
すると、
  
 
 
 『いやぁ・・・ まじで、

  ・・・・・心臓止まるかと思った。』
 
 
 
ため息のようにそう呟くと、リュータは背を丸めて両手で顔を覆いなんだか苦し
そうに息を吐いた。
 
  
 
 『 ”妹みたいなもん ”だから、でしょ・・・?』
 
 
 
ナチは少し自虐的に嗤いながら小さく呟いて、足元の小石を足先で弾く。

隣に座るリュータがその一言にどんな反応しているのか、どんな表情をしている
のか怖くて顔が上げられず小石の行方ばかり見つめて。
 
 
そして、暫く黙ってなにかを考え込み、ナチが静かに口を開く。
それは覚悟を決めたような色合い濃く、先程までの小さく心許ない声色とは全く
違うそれで。
 
  
 
 『もう、こんな風に優しくしないでいいよ。

  ・・・ってゆーか、中途半端に優しくなんかしないで・・・
 
 
  しんどいのは・・・ リュータさんじゃないよ。
 
 
  ・・・しんどいのも、苦しいのも、つらいのも、

  リュータさんじゃない・・・ 私だよ・・・
 
 
  ・・・私、だけ・・・ だよ・・・・・・・・・・。』
  
  
 
居場所無げに居た堪れない顔を向けるリュータが、歯がゆそうに唇を噛み何か言
おうとしたのを、ナチは遮ぎるように急にガバっと立ち上がる。

そして、『でも、今夜はバイクで送ってよねっ!』と必死にその頬に笑みを作り
泣きそうに震える声を笑声に変える。
 
 
リュータは、何も言うことが出来ずただ黙ってそんなナチを見ていた。
それが、最後に見たナチの笑顔だった。泣きたくなるほど哀しい笑顔だった。
 
  
 
 
 
 
それ以来、ナチはみんなで集まる場に現れなくなった。

みんなでファミレスでゴハンする計画を何度か打診してみるも、全てナチは首を
縦に振らなかった。
リュータへも一切連絡もしなくなり、リュータもまた、ナチへ連絡出来なくなっ
ていた。
 
  
コースケはバイトを始め、リコは進学の為の受験勉強をはじめていた。
リカコも忙しい日々を過ごし、リュータだけが一人宙ぶらりんな状態だった。
 
  
ナチは、リュータのいない、リュータに逢えない毎日を元気に過ごしていた。
 
 
 

■第68話 確率

 
 
   
 『リュータ・・・ ごめん・・・。』
 
   
アカリはそう呟くと、涙ぐんで頭を下げた。
長い髪の毛が重力に従って真っ直ぐ垂れ、ツヤツヤのそれが水のように
たゆたう。

ここで初めて、あの日のナチの行動の理由を知ったリュータ。
 
  
 
 『もー、いいよ・・・。』
 
  
 
リュータは俯いたままアカリに言った。

一人暮らしのアパートの決して広くはないリビングの床に、気怠そうに
胡坐をかいて座るリュータが深く深くため息を吐きながら背を丸める。

そして小さく呟いた一言は、疲れ果てたような声色のそれだった。
 
   
 
 『・・・お前は、もう、家に帰れよ・・・。』
 
  
 
リュータもナチも、そしてアカリも傷付いていた。

各々、どうしようもないやり場のない思いに苛まれ、あの日のことばかりが
頭の中に浮かんでは消え、また浮かんではモヤモヤといつまでも停滞する。
 
 
あれはアカリが仕出かした事だと判明しても、リュータはナチに連絡できな
いでいた。きっと今更謝ろうとしたところで、ナチは笑って流すだけだろう。

あの夜、ナチは敢えてそれをリュータに告げなかった。問題は ”そこ ”で
はないのだと気付く。中途半端に優しくする自分の態度が事の発端なのだと
改めて痛感していた。
 
 
何度も何度も『ごめん』と繰り返すアカリから目を逸らし、リュータは俯い
て胡坐で組んだ足をぼんやり見つめる。
 
  
 
  (・・・もう、 遅せぇんだよ・・・。)
 
  
 
心の中で呟いた一言は、アカリのイタズラへのそれでもあり、自分が考え
なしにしてきたナチへの思わせぶりな態度への怒りでもあった。

心の中に埋められそうもない様な大きな穴がぽっかりと開いた気がして、
息苦しくて必死に胸を上下して息を吸う。どんなに吸い込んでも吸い込ん
でも空回りするばかりで一向に肺は、心は、満たされない。

握った拳で胸をドンと殴る。ドン、ドン、ドン。
『くそっ・・・。』 殴れば殴るほど、歯がゆい心が物言いたげで。
 
  
うな垂れてぎゅっと目を瞑ると、ナチの子供のように泣きじゃくる顔、
拗ねる顔、そして真夏の太陽みたいに眩しく笑う顔がリュータの心に広が
っていた。
 
   
 
  
 
ナチはそれ以来、活動的に日々を送っていた。

少なくとも詳しい事情を知らない周りの人間には、至って普通に見えて
いた。
 
  
リコが進路を決めた今、ナチもしっかり先の事を考えねばならない。
散々悩んだ結果、敢えてナチの成績では少し難しい地元の女子短大を目指
し受験勉強をスタートしていた。
 
  
放課後になると、学校の自習室にこもって必死に勉強をした。

休日になるとたまにリコとお茶をしておしゃべりしたりしたが、以前の様
に5人での集まりには参加しなくなった。

たまにリコの口から出る ”イラスト描きの話 ”から、今もコースケとの
繋がりがある事を知り内心ホっとする。一番の気懸りだったそれ。自分の
勝手な都合でリコとコースケの関係に変な溝が出来ることを、何より恐れ
ていたのだった。
 
  
とにかく毎日毎日、ナチは忙しく過ごしていた。
目まぐるしい日々に忙殺され、少しも頭の中に隙が出来ないように。
 
  
 
  考えないように。
 
  思い出さないように。
 
  
 
あの顔を、声を、背中を、大きな手を。
リュータのことを考えないように。
 
  
それでも、夜になりベッドに潜って目を瞑るとリュータの顔が浮かんだ。

ブンブンと頭を振ってなんとかそれを締め出そうとするも逆効果で考え
ないようにすればする程ナチの心の中はリュータでひたひたに満たされ
てしまう。
 
  
そっとベッドを抜け出し、机の上にあるケータイを指先でタップする。

着信履歴の画面を表示すると、あの夜ナチの安否を心配するリュータか
ら数分おきに着信があったことを示すそれが目に入る。何十件も羅列さ
れたその名。

今までに貰ったリュータからのメッセージも何度も何度も繰り返し読み
返した。それはもう暗記してしまうほどで、たった数文字のなんて事な
いそれにすら、胸は泣きたくなるほど締め付けられる。
 
  
 
  (逢いたいよぉ・・・
 
   声・・・ 聞きたいよぉ・・・。)
 
  
 
そんな想いに胸が切り裂かれそうになりながらも、必死に気持ちを抑えた。

胸に閉じ込めれば閉じ込める程、その反動のようにその瞳からは大粒の涙
が溢れてこぼれる。
 
   
 
  (私の一方的な気持ちは、

   結局、リュータさんの迷惑にしかならないんだから・・・。)
 
  
 
ナチは人知れず涙を流して、長い長い夜を過ごしていた。
 
   
 
  
 
リコは相変わらず日曜になると、コースケの園に通いイラスト描きをして
いた。コースケにとっては保育士になる為の、リコにとっては美術学校へ
入学する為のいい勉強になっていた。二人ともこの時間を大切に思い真剣
に過ごしていたのだった。
 
  
ある時、コースケが言いにくそうにぽつりとリコに切り出した。

  
 
 『リュータとナッチャンって・・・

  ・・・どうなっちゃうんだろうな・・・?
 
  
  もう・・・ 顔も合わせないつもりなのかな・・・。』
 
  
 
それは誰よりもリコが一番胸を痛めていた事だった。

ナチの気持ちも、リュータの気持ちも分かる。分かり過ぎるだけにつらか
った。でも何をしてあげられるのか、周りが手を出していいのか決め兼ね
てただただじっと見守ることしか出来ずにいたのだ。
 
  
 
 『寂しいですよね・・・。』

  
 
模造紙の上を走らせていた筆先がピタリと止まり、リコがため息のように
切なげに呟く。
 
   
 
 『自分の好きな人が、

  自分を好きになってくれる確率って、

  どのくらいなんでしょうね・・・。』
 
  
 
リコも、そしてコースケも、各々胸に秘めるものを感じながら黙りこくっ
てしまった。

 

■第69話 佇むリュータ

 

 
講義終了のチャイムが鳴り終わったというのに、その場から動かずに大学
の講堂に一人ポツンと佇むリュータの姿がある。

廊下を歩いていたリカコが開け放した扉の奥にそれを見かけ、声を掛けた。

 

 『ねぇ、リュータぁ~?

  そろそろ昼だよ。 学食行かない?』

 

するとそこで初めて講義が終わっていた事に気付いたリュータが、一拍
遅れて少し気の抜けた笑顔を作り、ノロノロと重い腰を上げた。

  
昼時の学食は学生でごった返し混んでいたが、なんとか二人で向かい合
い座る席が確保出来た。決して美味しくはないが安くてボリューム重視
の学食券を買う。ちょっとでも悩んでいるとどんどん後ろに購入者の列
が出来てしまう為、取り敢えず無難な線でリュータはラーメン、リカコ
はA定食を注文して席に着いた。

 
リカコがテーブルに肘をついて、割り箸を両手の指先でパキンと二つに
割る。キレイに割れず片方が少し欠けてしまって、他方の箸で棘を削ぐ
ように擦りながら話し始めた。

 

 『ねぇ、コースケの話聞いた?

  コンビニでバイト始めたらしいね。

  なんかお金貯めて、夜間の学校通うとか言ってたけど・・・。』

 
 『ん・・・。』


 
一応相槌を打つリュータだが、なんとなく上の空だった。
注文したラーメンを前に箸を持ったまま、まだ一口も口を付けていない。

 

 『私もさ~、

  来月から英会話通おうかと思ってんの。

  卒業したら海外に留学したいんだよねぇ~・・・。』

 
 『ん・・・。』

  

そんなぼんやりしたリュータの姿を見て、リカコはテーブル端に置いて
いたノートを丸めて握り振り上げると、バコっと勢いよくその頭を叩いた。

リュータは急に我に返ったようにビックリした顔をしてパチパチと瞬きを
繰り返し、『なんだよっ?!』と、やっと反応を示す。

 

 『あのさ。

  そんなに気になるなら、連絡すりゃーいいじゃん?』

 
ズバリ痛い所を突かれて、リュータはアタフタと口ごもりながら言い返す。

 

 『な、なな何がだよっ?!

  ・・・だ、だだ誰にだよっ?!』

 

リカコは呆れ果て嫌味っぽく大きな大きなため息を付くと、目の前に置い
た自分の定食のトレーと、リュータのラーメンのそれを脇にずらして身を
乗り出す。そして睨むようにじっとリュータの様子を眺め続けた。

 
リカコのそれはまるで心の中を全て見透かされていそうな視線で、思わず
弱々しくリュータは目を逸らし俯く。

するとリカコは諦めたように大きく息を吐き、前傾姿勢からイスの背へと
もたれ掛かり肩の力を抜いて、胸の前で腕組みをして言った。

 

 『とことん話聞いてやるっ!

  ・・・はい!! 一から千までしゃべんなっ!!』

  

目の前の男らしいリカコの言動に、リュータが情けなく眉尻を下げ笑った。

  

 

リュータはここの所ずっと胸の奥で停滞するモヤモヤを、ぽつりぽつりと
話し始めた。

 
ナチに好きだと言われたこと。

でも、ナチへの気持ちが ”愛情 ”なのかそうじゃないのか分からないと
伝えたこと。
でも、やっぱり気になるし心配なこと。

 
そして、先日 ”つらいのは私だけだ ”と言われたこと。

それ以来、ラインも電話も出来ず心にぽっかり穴が開いたようで、何もする
気が起きないということ。

  
リカコは黙って聞いていた。
その目は鋭く光って、真っ直ぐ射抜くようにリュータを睨みながら。

 

 『・・・で?

  リュータはどうしたくて悩んでる訳?』

  
 『・・・。』

 

即答も出来ず煮え切らないリュータに、リカコは淡々と聞き返す。

イライラするように右手人差し指が胸の前でクロスする腕の上で急かす様
にコツコツとリズムを刻む。

 

 『はぁぁあああああ???

  なにっ??

  まさか、アンタ。 自分がどうしたいかも分かんない訳ぇ??』

 
 『・・・。』

 

思い切り責めるような口調で言ってしまい、チラリとリュータの顔色を
伺うも、その顔は抜け殻のように眉ひとつピクリとも動かない。

すると、もう一度リカコが全身で大袈裟にため息を付いた。

 
そして、

 

 『今のアンタの話聞いて、私が思ったこと言ってもいぃ?』

  

そう言って、リカコは気怠くイスにもたれていた体勢から背筋を伸ばして
座り直し、バツが悪そうに目を逸らすリュータを真っ直ぐ見つめた。

 

■第70話 リュータの決心

 
 
 
 『リュータはさ。 なーぁんにもしてないんだよ。』
 
 
リカコが単刀直入に言い切った。

その口調は鋭くて、しかしまるで親が子供を諭すようにちゃんとあたたかさが
滲んでいる。リュータはいまだ俯いたまま、ただ黙って聞いている。
 
 
 
 『今まで、頑張ったのはナチだけなんだよ。
 
 
  あの小さい体で、リュータに好かれようと頑張って、

  自分の全部を使って愛情表現して、泣いて笑って・・・
 
 
  頑張ったのはナチだけ。ナチ一人だけ。』
 
 
 
黙りこくるリュータの耳が微かに赤くなってゆく。
不甲斐ない自分をいやという程に痛感させられていた。
 
 
 
 『頑張って頑張って、それでも伝わらないからナチは引いたんだよ。

  一方的な気持ちを押し付けちゃ迷惑だって思ったんだろね・・・
 
   
  それで、今に至る訳でしょ?

  ナチ、頑張って勉強してるよ。ちゃんと前向いて自分の足で歩いてる。
 
 
  自分の気持ち一つ分かんなくてグダグダしてるアンタなんかより

  ずっと頑張ってるし、ずっと正直だよ。』
 
 
 
コクリとリュータが頷いた。

学食堂テーブルの下で組んだ指先が、居場所なげに落ち着きなく絡んでは解
ける。大きなはずのリュータの体がまるでいじける小学生男児のそれよう。
  
 
暫く沈黙が続いた。
リュータは何かを考え込んでいるように眉根をひそめたまま口をつぐむ。

リカコはそんな様子を見守る。リュータを急かしたり、どう思ったかを問い
詰めたりはしない。敢えてキツイ言い方をして、リュータにハッキリ気付か
せるべきだと思ったのだった。
 
 
すると、居心地の悪い時間が恐ろしくノロノロと過ぎた後、リュータがポツ
リポツリと喋りだした。
 
 
 
 『曖昧なままじゃダメだと思って・・・

  いや、コレ。 言い訳になるかもだけど、

  アイツの為に・・・ ダメだと思って・・・
 
 
  で。 それ、言ったら・・・
 
 
  アイツ、

  俺に、”ごめん ”、 ”仲間の一人でいい ”って・・・
 
 
  正直、強えぇな・・・って思った。

  その後みんなで会っても、まじで普段通りの、元気なアイツで・・・

  俺だったら、あんな風に笑って普通に出来るかな・・・って。
 
 
  すげぇな、って・・・

  でも、逆に・・・ ダイジョーブかな、って気になって

  泣いてないか、ムリし過ぎてないか、気になって気になって・・・
 
 
  俺さ・・・

  なんか、段々・・・ 今までとは、違う、っつーか・・・。』
 
  
 
リカコが安心したように優しく微笑んでひとつ相槌を打ち、言った。
 
  
 
 『それが、アンタの ”答え ”なんじゃないの?』
 
 
 
そして、続ける。
 
 
 
 『でもさ・・・

  今、ナチは自分の先のことをしっかり考えて、前進してる訳じゃん?
 
 
  今アンタが ”やっぱりお前の事が ”なんて切り出したら、

  やっとリュータ中心の生活からそれ以外に目を向ける努力してんのに

  全部壊しちゃうんじゃないのかな・・・。』
 
  
 
顔を上げリュータが頷く。

それは先程までの自信なげなそれとはまるで別物のようで。
その目の奥には確かな光が宿り、その口元には優しくて強い笑みがこぼれ。
 
 
 
 『距離おくよ、このまま・・・

  ”その時期 ”が来るまで、アイツを見守る・・・。』
 
 
 

■第71話 コンビニ

 
 
 
 『いらっしゃいま・・・ おぉ!! リコちゃんっ!!』


コースケがバイトを始めたコンビニに、リコが立ち寄ってみたとある夕方。

水色ボーダーの制服の上着を着てレジに立ち、持ち前の人懐こい笑顔でニコニコ
してるコースケの姿があった。
 
  
リコは思わず微笑む。 『制服、似合ってますねぇ~!』

ふと目に入った胸に付けた名札の写真も、いつもの困ったような情けない顔で
笑っていて、もう見慣れたはずのそれですらなんだか胸がきゅんと鳴る。
 
 
すると、コースケは制服の裾をちょっとつまみ上げ、おどけてポーズを取った。
まだバイトを始めたばかりなはずなのにやけにしっくりくるコースケの制服姿に
可笑しくて二人で笑い合った。
 
 
 
  
リコは店内を端からゆっくり巡り、雑誌コーナーやその先のドリンクが陳列され
た扉式の冷蔵ショーケースを眺めた。新発売のチョコやお菓子を手に取って見た
りアイス用冷凍庫前で足を止めアイスクリームを買おうかどうしようか悩んだり。
 
 
結局、好きなヨーグルトを手に取ってレジへ向かった。

他に客があまり居なかったので、コースケもなんだか暇そうに背中を丸めレジカ
ウンター陰で足首をぐるぐると気怠そうに回している。
レジカウンターを挟んで内側と外側に立つ二人は、店が暇なのをいいことに少し
話をした。
 
 
 
 『リュータがさ・・・

  知り合いの車の修理工場でバイト始めたって話きいた?
 
 
  最近ずっと塞ぎ込んでたのに、なんか吹っ切れたように

  ガゼン頑張りだしてさぁ・・・ 
 
 
  アイツ、なんかあったのかなぁ・・・?』
 
 
 
小首を傾げならがそう言うも、その顔はなんだか嬉しそうなそれ。

コースケがヨーグルト容器のバーコードにバーコードリーダーを当て、ピっと
言う音が鳴ると同時にレジに金額が表示される。
 
 
 
 『リュータさんも元気そうで良かった・・・
  
  
  ぁ。 ねぇ、リカコさんは? 

  リカコさんも、最近忙しくしてるんですか?』
 
 
 
リカコにずっと会ってない気がして、リコが少し身を乗り出し訊いてみる。
 
 
 
 『アイツは、なんか海外に行くこと考えてるらしいよ。

  めちゃめちゃ英会話に通い詰めてるわ。
 
 
  ・・・ほら、アイツん家。 父ちゃん社長やってて

  地味に金持ちのお嬢だからさ。

  親に金だしてもらって海外留学すんだってー。』
 
 
 『ナチも勉強すごい頑張ってますよ。

  もう志望校も絞り込んだみたいで・・・。』
 
 
 
気が付けば、各々自分の道を見付け歩き出していた。

それが誇らしい反面、正直に言うとなんとなく寂しい。口には出さないけれど
リコもコースケも同じ思いを胸に抱いていた。
  
 
すると、互いに少し黙り込んでしまった空気を破るようコースケが口を開いた。
 
 
 
 『リコちゃん、今度の土曜の朝も境内でスケッチすんの?』
 
 
 
最近リコは土曜の朝は決まってお寺の境内へ通い、受験の為の絵の練習も兼ねて
スケッチをしていたのだ。
 
 
『行きますよ?』 リコがその質問の意図が分からずハテナ顔をして答える。

するとコースケが即座に続ける。 『雨だと中止?』
 
 
ううん。と首を横に振るリコ。
セミロングの黒髪が左右にたゆたって艶めく。
 
 
 
 『雨の日は、雨の景色を描きたいし・・・

  晴れてる時とは全く違う感じになるから。
 
 
  ・・・それに、雨は嫌いじゃないし。』
 
 
 
雨の優しい景色を想像しているように目を細めるリコを見つめ、コースケは
つられるように頬を緩める。
 
 
 
 『そうなんだ~・・・

  ・・・俺も行こうと思うんだけど、いーかな??』
 
 
 
リコは思ってもいないコースケの申し出に驚いて一瞬固まり、舞い上がった。

日曜の園でのイラスト描きだけでなく、土曜もコースケと一緒にいられるな
んて嬉しすぎて幸せすぎて夢のようだ。
 
 
 
 (また、ジョギングでもするのかな・・・?)
 
 
 
今週は7日間の内、3度もコースケの顔を見られる。コースケが何目的で境内
へ来るにしても、リコが嬉しくて仕方ない事に代わりは無かった。
 
 
 
 『じゃぁ、土曜になっ!
 
 
  ・・・では、お客様。 98円になります。』
 
 
  
急に店員の顔と声色に戻ったコースケを、リコがぷっと吹き出して笑った。
 
 
 

■第72話 雨の土曜

 
 
 
土曜の早朝は雨模様だった。
 
 
リコはカーテンの隙間から忍び込む雨粒の音を耳に、ぐんと腕を突き上げ伸び
をする。予定より少し早く起きると身支度を済ませ、キッチンに下りてお弁当
を作った。そして画材をカバンに詰めるとお弁当を抱えて傘をさし出発した。
 
 
雨の境内は、いつにも増して静かで雫の落ちる音だけが小さく響いている。

むせ返るような雨の日特有のにおいが立ち込める。
坂の下に広がる街並は、少し靄がかかって幻想的だった。
 
 
スケッチのポイントを決め、カバンから折りたたみイスを出す。
イスを開いて組み立てると雨の粒がかかって座面が少し濡れてしまった。
カバンからハンカチを取り出し軽く拭いてからゆっくり座った。
 
 
バランスをとって肩に傘の柄を乗せ、スケッチブックが濡れないように覆う。

今朝はさすがに小鳥の声は聞こえない。
ただただ雨の雫の音が響くこの風景に、この上なく心が凪いでゆく。
 
 
真っ新だったスケッチブックに、どんどん色が付いてゆく。

リコは夢中になって描いていた。
もうその耳には、雨の雫の音すら入ってこないほど。
 
  
すると、
 
 
 
  トントン・・・
 
  トントントン・・・
 
 
 
傘から雨粒のそれとは違うスタッカート音が聞こえ、顔をそちらに向けて確認
すると、そこにはコースケが立っていた。
隣に立っても全く気付かないリコに、傘を軽く人差し指でノックして合図して
いたのだ。
 
 
 
 『本屋で初めて会った時みたいだね?』
 
 
 
そう言って、集中して全く気付かなかったリコに微笑むコースケ。
リコは驚いてせわしなく瞬きを繰り返し、訊ねる。

 
 
 『今日はこんな雨だから来ないと思ってた・・・

  ・・・ジョギング出来ないでしょ?』
 
 
 
すると、コースケがその意味を少し考え笑って首を横に振る。
 
 
 
 『ああ・・・ 別にジョギングしに来たんじゃないよ?

  リコちゃんが描くのを見たかっただけだから・・・。』
 
 
 
そんな真っ直ぐな言葉をサラリと言われ、リコはどうしようもなく照れ臭くて
思わず目を逸らす。一気に顔が赤くなっていないか心配になり落ち着かない。
 
 
すると、コースケが背負っていたリュックの中から折りたたみイスを出した。
『真似しちゃったっ!』と子供のように微笑むと、リコのすぐ隣にイスを広げ
座る。

リコがそんな様子を見つめながら優しく目を細めていると、コースケは自分が
差してきた大きめのブルーの傘を左手で握り、リコが肩でバランスを取ってい
る花柄の傘の柄を取り、右手に持ってリコに差しかけた。
 
 
 
 『コーチャン先生、腕。 疲れるよ・・・?』
 
 
 
両手に傘をさしてる事をリコが気付かうも、
 
 
 
 『疲れたら代わってー。

  その代わり、俺が描いてやっからさ!』
  
  
  
コースケがイタズラっぽい笑顔でニヒヒと口角を上げ、リコに目配せをした。
 
 
 
 
 
土曜の雨の早朝、特になにか話すわけでもなくただ二人並んで座っていた。
リコは夢中で絵を描き、コースケはそれをただじっと見ている。
  
 
 
  不思議な時間だった・・・
 
  
 
でも、それがなんだかとても心地よくて敢えてお互い喋らずにいたのだった。
 
 
 

■第73話 雨の告白


 
 
 
 『たったの数ヶ月で、なんか色んな事が変わったよなぁ・・・。』
 
 
コースケが沈黙を破って静かに話し始めた。

リコはスケッチブックをカラフルに色付ていたパステルを持つ手を止めると、
コースケの方へとそっと顔を向ける。
 
 
 
 『5人が仲良くなって、

  遊ぶようになって、
  
  
  ・・・そのうち、各々が自分の道みつけて歩き出して・・・。』
 
 
 
リコが微笑んで頷く。
コースケの言っている事は、その通りだと感じて。
 
 
 
 『私が今、こうやって絵を描いてるのはコーチャン先生のお陰だよ・・・
 
 
  園の手伝いをさせて貰えるようになって、

  忘れかけてた描く楽しさを思い出させてもらって。
 
 
  ・・・それで、進路が明確になったんだもん・・・。』
 
 
 
リコは心からそう思っていた。

お寺の境内でスケッチしている所に偶然コースケと会ったあの日を思い出し
そっと目を伏せ、嬉しそうに頬を緩める。
 
 
すると、
 
 
 
 『それは、こっちのセリフだよ・・・。』
 
 
 
コースケが真っ直ぐ前を向き、真剣な表情を作った。
それは、いつもの困ったような情けないそれとはまるで別物だった。
 
 
 
 『俺、最近気が付いたんだけどさ・・・

  俺が何かしようと思うその先には、必ずリコちゃんがいるんだよ。
 
 
  ほら、あの絵本探してた時。 

  実はもう諦めかけてたんだよな~・・・

  それが、あん時。 リコちゃんがまだ絵本探してるのか声掛けてくれて。
 
 
  園のイラスト描きだって、俺一人じゃなーんも出来なくて。

  諦め掛けてた時に、偶然この境内で絵ぇ描いてるリコちゃんと会って

  今に至るわけだろ・・・?』
 
 
 
リコはそんな風には全く考えた事がなかったので正直驚いていた。
なにも返せずにいるリコに、コースケは続ける。
 
 
 
 『園のイラストを一緒に考えて作り始めたら、

  やっぱり俺は保育士になりたいんだって気持ちが固まって、

  専門学校行くために今のバイトだって始めた。
 
 
  この数ヶ月で、俺。 すげー、リコちゃんに影響受けてんだよ・・・。』
 
 
 
そう言い切るコースケの横顔が凛々しすぎて、リコはなにも言えずに見つめて
いた。それは、思ってもいない賛辞だった。
 
 
リコはただコースケが好きで、コースケの傍にいたくて、コースケの役に少し
でも立てればと願って来たが、それをこんな風に本人の口から言ってもらえる
なんて・・・。
 
 
思わず、リコの頬に大粒の涙が一粒落ちた。
 
 
正面を向いていたコースケは照れくさそうにふとリコへと目線を移動すると、
ツヤツヤのその頬を転がる涙の雫が目に入り、驚いた顔をして何も言えずに
見つめる。

リコは慌てて手の甲で涙をぬぐうと、手を左右に振って必死に笑顔を取り繕
いなんでもないフリをした。
しかし、一度こぼれた涙は次々とリコの頬を転がり伝って落ちはじめる。
 
 
 
その時、一瞬強い風が吹いて傘が逆向きに吹き飛ばされかけた。
雨の粒がコースケの頬を濡らし、『冷たっ・・・。』と小さくこぼす。
 
 
 
  なんだかまるで泣いてしまいそうな、

  困り果てたような情けない笑顔で・・・
 
 
 
すると、全く無意識のうちにリコの口から秘めつづけた想いが溢れた。
  
  
 
 
  
 
 『コーチャン先生が・・・ 好きなの・・・・・・・、私。』
 
  
 
 
 
  この一言で、もし、

  この関係が崩れてしまったとしても、

  それでもいいと思った・・・
 
 
 
頭で考えるよりも先に、心が動いて、それが言の音になっていた。
  
 
 
 『なんにも言わなくていいよ。

  ・・・ただ気持ちを伝えたかっただけだから・・・。』
 
 
 
リコが眩しいほどのきらめく笑顔で、呟いた。
 
 
 

■第74話 それぞれの旅立ち

 
 
  
  
  
  
  
        そして私達は、バラバラになった・・・
 
 
 
  
 
 
                       <第二章へつづく>
 
 
 
 

眠れぬ夜は君のせい

眠れぬ夜は君のせい

リコが本屋で出逢ったその人は、困ったような泣いてしまいそうな、やけに情けない顔で笑う人だった。届かない想い、すれ違うベクトル。長い長い片想いの物語がはじまる・・・ ≪第一章 全74話≫

  • 小説
  • 長編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ■第1話 本屋で・・・
  2. ■第2話 帰り道
  3. ■第3話 窓からの景色
  4. ■第4話 あの人の姿
  5. ■第5話 再会
  6. ■第6話 会話
  7. ■第7話 彼の名前
  8. ■第8話 ナチ
  9. ■第9話 鳴らないケータイ
  10. ■第10話 メール
  11. ■第11話 リコとナチの本心
  12. ■第12話 学祭のはじまり
  13. ■第13話 リュータとリカコ
  14. ■第14話 オモイビト
  15. ■第15話 5人
  16. ■第16話 楽しい時間
  17. ■第17話 動き出してしまった想い
  18. ■第18話 昨日のこと
  19. ■第19話 ナチの思い
  20. ■第20話 休日の保育園
  21. ■第21話 ナチの恋?
  22. ■第22話 突然の・・・
  23. ■第23話 何をしに?
  24. ■第24話 ヤキモチ
  25. ■第25話 交差する想い
  26. ■第26話 バーベキュー
  27. ■第27話 タクヤ
  28. ■第28話 マリ
  29. ■第29話 コースケの真実
  30. ■第30話 リコの涙
  31. ■第31話 リクからのSOS
  32. ■第32話 早朝の出来事
  33. ■第33話 峠
  34. ■第34話  峠の告白
  35. ■第35話 笑顔
  36. ■第36話 距離
  37. ■第37話 あおい
  38. ■第38話 なんだ、今の?
  39. ■第39話 リュータの部屋から
  40. ■第40話 ナチとリュータとあおい
  41. ■第41話 キス
  42. ■第42話 境内で
  43. ■第43話 突然の
  44. ■第44話 イラスト
  45. ■第45話 報告会
  46. ■第46話 マリとの出会い
  47. ■第47話 リュータの気持ち
  48. ■第48話 リュータとナチ
  49. ■第49話 正直な気持ち
  50. ■第50話 仲間
  51. ■第51話 イラスト案
  52. ■第52話 その夜のこと
  53. ■第53話 母
  54. ■第54話 絵本
  55. ■第55話 一番近くで
  56. ■第56話 もう大丈夫
  57. ■第57話 止まらない気持ち
  58. ■第58話 進路
  59. ■第59話 悩める女子高生
  60. ■第60話 アカリ
  61. ■第61話 ナチVSアカリ
  62. ■第62話 続・ナチVSアカリ
  63. ■第63話 ライバル
  64. ■第64話 コースケの進路
  65. ■第65話 それぞれの放課後
  66. ■第66話 ナチの所在
  67. ■第67話 別れ
  68. ■第68話 確率
  69. ■第69話 佇むリュータ
  70. ■第70話 リュータの決心
  71. ■第71話 コンビニ
  72. ■第72話 雨の土曜
  73. ■第73話 雨の告白
  74. ■第74話 それぞれの旅立ち