記憶の居所

お題
「どこかでお会いしたことがありますか」
「遠い記憶」
「ご冗談でしょう」

 ある朝に突然、後ろから声を掛けられた。
 駅構内は通勤ラッシュでたくさんの人がいる。そんな雑踏の中で声が届いたのはある意味奇跡なのかもしれない。
 しかし、声を掛けられたのは私ではないのかもしれない。私はその場に立ち止まり、恐る恐る振り返った。
 数メートル離れたところに男が立っていて、じっと私のほうを見ている。
 細身の体躯にぴったりな高そうなスーツを着て、髪はオールバックで、そのお洒落な格好には不釣り合いな大きめの黒縁眼鏡を掛けている。
 男は小さく何かを呟きながら近づいてきた。
「あの、どなたですか?」
 私は目の前まで来た男に、少し身を引きながら声を掛けた。
 男は私より頭一つ分背が高く、私は見下ろされているが不思議と威圧感は少ない。それは彼の人懐こそうなかわいらしい顔立ちのおかげだろう。年は私より下だろうなと思った。二十代前半か、もしかしたら十代かもしれない。
「どこかでお会いしたことがありましたか?」
「僕は、貴方の生まれ変わりですよ」
 いきなり何を言い出すのか。そもそも私はまだ死んでいないのだから生まれ変わりなんてありえない。
「あ、表現が悪かったですね。生まれ変わりではなく、スペアと言ったほうがわかりやすいでしょうか。貴方のスペア。世界のバランスを保つためのリザーブです」
「……私をからかっているのか?」
「とんでもない。真面目の真面目。大真面目ですよ」
 ニヤついた顔で大きく腕を広げながら、彼は私にウィンクをした。
 こうしていちいち身振りが大袈裟なのは、この男の癖なのか。そのせいか全てが胡散臭く感じる。
「いやいや、僕はですね、ただ貴方に挨拶をしておきたかっただけなのですよ。せっかくの同系なのに一度も顔を合わせないままというのは、なんだか寂しいでしょ」
「スペアだかリザーブだか知らないけど、私と全然似ていないじゃないか。そんな妄言に付き合っている暇はないんだ。失礼させてもらうよ」
 男の横を通り抜けて立ち去ろうとすると、がしりと腕を掴まれた。男は細い外見の割に思いのほか力が強くて振り解くことは出来なかった。
「……まだ、何か?」
 私はこうして精一杯冷たく応対することしか反抗する術がなかった。
 だんだんと、この男に対して恐怖を覚える。これが俗に言う電波系というやつなのだろうか。
「冷たいなあ。僕は貴方と仲良くなろうと思って声を掛けたんですよ。いざという時、貴方の役割を果たすのは僕ですからね」
「私の役割とは、何だ」
 男はクスっと小さく笑う。それでも腕を掴む力は緩まない。
「ご冗談を。貴方は解っているはずです。まさか本当に記憶が失われたというわけでもないでしょう?」
 男はそこで私の腕から手を放した。
 私は振り向かず、走ってこの場から離れた。
「ではまたいつか、お会いしましょう」

       ◇

 その日、私は夢を見た。
 遠い記憶。
 奥深くへ押し込めたはずの記憶。まだ幼き頃に犯してしまった罪。
 二度と思い出すまいと誓った、嫌な記憶。
 それは昔の私自身の記憶。
 なにがリザーブだ。
 コレは私だけのモノだ。私だけのキヲクだ。

       …

 そこで自覚する。
 自らの存在意義を。
 起きたら忘れているかもしれない。
 それでもアノ記憶は、確かに私の中に保存されている。

記憶の居所

記憶の居所

自分以外の誰かからいただいた3つのお題を使ってSS

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-17

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