7月11日のカレンダーに大きく丸がついていた。

7月11日のカレンダーに大きく丸がついていた。
 何の日だったか何の日でもなかったか、そんなことを考えるのも億劫になって手に持っていたコーヒーを一口すすった。ただ、「7」と「1」と「1」の形を指でなぞって口内に広がる香りを思った。午前10時の陽光が素足を伝い、何かの気配に満ちた休日の朝だ。いつも通り、部屋じゅうのガラス戸や障子を開けて回る。また、気配が増す。息をしている、息づいている、目に見えない彼らのこと。外界と家の概念を取り去るように、涼を含んだ風が吹き抜けていく。
 田舎の知合がもて余していたこの平屋を引き取ったのは卒業も起業もままならない中途半端な頃だった。死刑囚が牢獄を見出したような晴れやかな気持ちで東京のほとんどの所有物も、好きだった恋人も、得られそうだった何かしらの運命的な動きも、置いて、出てきてしまった。PCのスキルを見込まれ、役場仕事から農協、婦人会に至る様々のデータ管理やら回覧物やらを一手に引き受けることになり、食うにも困らない。あっさりと、これまでの煩悶が幻惑であったかのように生活している。何となく流れつけば、村人たちはテレビのように安っぽい同情を向けてくれた。朝と、昼と、夜と、昨日と、今日と、明日が何となくあった。今日はもうトマトが熟したから手伝って来た。今日の昼食は譲られたトマトでパスタにしよう。と、ふとカレンダーに視線を戻した。五年も前のカレンダーだった。この日は確か、ああ、何の日だったか。

7月11日のカレンダーに大きく丸がついていた。

タイトルの言葉を友人に頂いて、筆を走らせたものです。自作冊子「なりやまない」三月番外号(2016)掲載。

7月11日のカレンダーに大きく丸がついていた。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-16

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