晴天と憂鬱

 晴天の空を見上げると憂鬱になるのです。
 今、ここにいる自分が世界でたった独りだという感覚が体中を覆い、私を構成する全てがその蒼い空へと吸い込まれるように思うのです。
 人は空を綺麗だといいます。私はそれが理解しがたいものに思えて仕方ないのです。
 ええ、自分の感覚がずれているのは分かります。ただ、どうしても、蒼い蒼い空を私は好きになれません。
 そして、その空と共に在る太陽と呼ばれるあの光も、私は苦手としています。
 或る時、私は公園を通りかかりました。普段ならば、外に出ることなどありませんし、ましてや、人の多い日中の公園などを通りかかることなどなかったでしょう。
 浮かれていたのです。
 私みたいな作家と呼ばれるもの達は、自分の妄想の世界でしか心地よく生きることができません。家で悶々と、自身の頭に内在する世界と向き合うことしかしていませんでした。
 だからこそ、見縊っていたのです。
 外の世界が、私にどれだけの敵意を向けるかを。
 それにはたと気づいたときには、私は公園の中ほどまで進み、戻るのも進むのも億劫になるほど歩んでいました。
 立ち止まり、周りを見渡せば、子連れの家族の姿が視界一杯に映りました。
 笑い、はしゃぎ、駆け回る子供の光景を見た私は、そう、晴天を見たときのように、耐えられなくなって、堪らなくなって、私はその場へ座り込んでしまいました。
 慄然とし、私の思考は真っ白に行き詰まってしまいました。平衡感覚の消失。自分が今、どこに立っているのかという感覚さえもどこか遠くの彼方へと飛んでいき、私は完全に、その時正真正銘の孤独として存在していました。
 私を取り囲む明るい声が私を押しつぶそうとしているように感じました。
 気が付くと家にいました。どうやって私が家まで帰ったのか、記憶は曖昧でした。ただ脳裏には、いまだ、楽し気な笑い声がこだましていました。
 笑い。何よりもこの笑いこそ、私の自信を根こそぎ奪い取り、前後不覚にしてしまう諸悪の根源なのです。何が原因なのか、そう問われれば、私の脳裏には学生時代の記憶が沸々と湧き上がるのです。
 私の学生時代は至って普通でした。
 普通に勉強し、普通に運動し、部活は文化部で、そこでも普通に活動していました。
 何か問題あったわけでもない。何か学生時代に支障があったわけでもない。ただ、普通なのでした。
 教室の隅で読書を嗜み、クラスメイトの騒めきからは少し離れていました。
 目に映るのは、長閑な教室の風景。私はなんだかその風景が好きでした。何処となく怠惰で、さわやかさがあり、若干蒼くも見えるその景色が好きなのでした。
 唯一、不快だったのが、いじめを受けるクラスメイトでした。
 彼は、友達でも何でもありません。得てしていじめられる人間は目立つのであり、例え視界の外でことが起こっていても、不思議とその黒々とした雰囲気は感じるものです。それだからか、ほとんど記憶の彼方へと消えたクラスメイト達ですが、唯一彼の姿形だけは、はっきりと覚えているのです。
 いじめがどうして起こったのかは知りません。たまたま、何かがきっかけだったのでしょう。彼は、クラスのいじめっ子の標的になり、毎日、何かしらの嫌がらせの被害を受けていました。
 私は、チョークの粉塗れになる後姿を見て、自分ではなくて良かったと安堵しました。
 私は、教科書を隠され、授業中に慌てる彼を見て、そっと笑っていました。
 教室の道化と化した彼を、私は助けようとすることもなく、心底、自分が標的ではなくて良かったと思い、笑っていたのでした。
 私は、彼を見下していたのでしょう。
 クラスメイトから嘲笑されている彼を、教室の隅で震える背中を見せる彼の姿を。
 笑いが、絶えませんでした。
 嗤いが、絶えませんでした。
 目の端に映る彼を、見て見ぬふりをしながら、口角を上げたクラスメイト達がたくさんいました。かく言う私もそのひとりでした。
 いつからか、彼は教室に姿を見せなくなり、風の噂で、転校したとか自殺したとか聞きましたが、いずれも定かではありません。ただ、いなくなったのは事実です。
 期間にして数か月にも満たないことだったように思います。そのたった数か月の出来事が、この後の私の人生に深く関わるであろうことなど、そのときの私は知る由もありませんでした。
 誰かが何処かで笑う度、私はその笑いが自分に向けられるものではないかと疑心暗鬼に陥るのです。
 今の自分は、決して、褒められた人間ではありません。頭の中の不可侵の絶対領域に逃げ込み、そこから生じる妄想の物語を発露するだけの人間です。同級生は皆、所帯を持ち、聞き覚えのある企業で働き、およそ理想とされる人生設計の中を進んでいます。
 そんな中、私はどこで踏み間違えたのか、理想的な人生から逸脱し、ただの浮浪者と変わらい人間へとなり下がりました。
 無名の作家というのは得てして、承認欲求と自己顕示欲があり、それらが満たされないことを知ると途端に、人間と呼ぶのさえ憚られるくずとなるのでしょう。少なくとも私はそうでした。
 そして、そんな存在は、他人がもたらす牧歌的な友好の手段が、鋭利なナイフのように突き刺さるのです。
 その最たるものが笑いなのでした。
 笑い声がする度に記憶は過去へと巻き戻り、彼の姿を思い浮かばせ、私は罪悪感や自己嫌悪から、隅でがたがたと震えるしか能がなくなるのです。
 過去に彼を笑っていた私が、私を嗤うのです。
 過去に彼を見下していた私が、私を見下すのです。
 過去に私は咎められ、過去に私は苛まれるのです。
 罪、というものがあるなら、正しくこれは罰なのです。
 神、というものがあったとしたら、私という人間は失敗作だったのです。
 長く、あまりにも長く、私は生きてしまいました。生きる自分の姿を恥だと思いながらも、死を選び取ることが出来ず、こうしてだらだらと生き続けてしまいました。
 今日も空は青いです。
 澄んで、どこまでも突き抜けるような蒼が、どうしようもなく広がっています。
 孤独感が私を覆い、どこからとも知れぬ罪悪感が私を包みます。
 それでも、私は生きています。
 私は、元気です。

晴天と憂鬱

如何だったでしょうか。如何だったでしょうか。
周りが『正しい』と思っていることが、自分にとっての『間違い』であった時、どう行動することが一番なのでしょう。傍観、対決、他に何があるでしょうか。
傍観し、ただ流されることを選ぶ方が良いのか、対決し、自分の正義を押し通す方が良いのか。それとも何か、他の方法を選ぶ方が良いのか。
選択の権利が自身にある時、何を選ぶのが最良なのか。僕は、満足はしないけれど、納得出来る方を選択したいですね。

なんて、気取ってみるものの、やはりどうにも、選択という作業は苦手です。優柔不断というのは、救われないですね。

晴天と憂鬱

空は、嫌いです。何処か他人事のように晴れ渡る空は、私に何も与えてくれないのだから。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-16

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