太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(5)

五 まつりの後

「くそ。もう、ないのか」高橋は六本目のビール缶を握りつぶした。
「もう、1本だ」玄関のあがりがまちから立ち上がる。少しふらふらする。普段は、毎日、缶ビールを二本しか飲まない。それ以上飲んだのは久しぶりだ。体の中は、完全に、赤い血液が小麦色のビールに全て変わっている。しかも泡だっている。
 居間兼食堂兼リビングルーム兼寝室では、多くの人で賑わっている。ほとんどが知らない顔だ。知っている奴と言っても、今日、初めて言葉を交わした、自称高橋、百七十センチの男、リーボックの女など、高橋に無理矢理に声を掛けてきた奴らだ。この三人も知らない奴の仲間に入れても何ら問題はない。結局、全員が知らない奴になる。冷蔵庫に向かう。扉を開ける。中は空っぽだ。
「あっ、何か飲み物でもいりますか。ここに住んでいる人は、ケチなのか、お金がないのか知らないけれど、冷蔵庫の中は何もないんですよ。一体、どんな生活をしているんでしょうね。年金暮らしの私の方がまだましですよ」と、言いながら、
「まあ、私が持ってきたものですけど、どうぞ」と、七十歳頃のおじいさんが缶ビールを差しだしてくれた。
 腹の中では、何を言っているんだ、お前らが来るまでは、ビールだけでなく、ハムやソーセージ、きゅうりにトマト、納豆に豆腐と、一杯詰まっていたはずだ。それを、お前らが食いつぶしただけじゃないかと、腹の中は煮えくりかえっているものの、体は酔っているが、頭がまだこの状況を掴めずに酔い切れていないので、年金暮らしのおじいさんの折角の好意を無にするのもいかがなものと思い、ありがとうございます、と頭を下げ、缶ビールを受けっとった。
「ところで、あんたは、ここに住んでいる人とどういう関係?」
 おじいさんから先制パンチが飛んできた。
「えっ、どういう関係と言われても・・・」高橋は口ごもる。
ここで、まさか、本人ですと言ってもいいが、目の前の見知らぬ、いや、どこかで見たことがあるようなおじいさんが自分とどういう関係かを知りたくて、「ちょっと知り合いです」と答えた。
「そうかい。ちょっとした知り合いかい。それなら、わしよりもましじゃな。わしなんか、犬を散歩につれていっているが、その時に、会うぐらいだからなあ。あいさつも交わしたことがないんじゃ。顔もはっきりとは覚えていないんじゃ。一体、どんな奴なんじゃ」
「どんな奴と言われても、私も一回しか会ったことがないので・・」と誤魔化す高橋。
そうか。どこかで見たことがあると思っていたら、毎朝、遅刻ギリギリで家を飛び出す時に見かける犬を散歩させているおじいさんだ。確かに、あいさつも世間話もしたことはない。そんなおじいさんまでが、何故、俺の家にいるんだ。
「今日も、犬を連れて散歩をしていたら、なんだか楽しそうな声が聞こえてきたんで、ふらっと立ち寄ってみたんだ。見知らぬ、いや、今は、見知った人と話すのは楽しいことじゃ。何しろ、妻には先立たれ、子どもはいないし、家には犬が一匹いるだけだからなあ。犬にも話し掛け、聞き相手にはなってくれるけれど、ワンの鳴き声だけじゃ、話がつづかんからなあ。これからも、ちょくちょく、やってくるよ。あんたとも話ができてよかった・さあ、帰るか。犬が待っているからなあ。じゃあ。また」散歩おじさんは玄関から出ていった。
 何が、また、だ。もう来なくていい。でも、楽しそうな声だけで、他人の家に入りこむものかなあ。そんなに寂しいのかなあ。高橋は小首をかしげる。
 どすん。誰かが高橋の背中を押した。「あら、ごめんなさい」
 高橋と同じくらいの年齢の女性だ。高橋と何が同じなのかわからない。多分、相手もわからないのだろう。
「もう、帰らなきゃ」山のように積まれた靴の中から、ピンク色のハイヒールを探し出すとそれを履いて出ていった。多分、俺がいつも黒や青色の服しか着ていないけれど、心の中では、本当はピンク色が好きなので、それで、この部屋に来たのか。すごい。俺の潜在意識まで、知っているのか。
「ありがとうございました」
 高橋に若い女性が握手を求めてきた。まだ二十歳そこそこの大学生だ。
「あたし、うどんが大好きなんです。うどん県には何回も行きました。こんなところで、うどん県人に会えると思いませんでした。なにか、この部屋、小麦粉やうどんの出汁の材料のいりこの匂いがして、ほっとします」女子大生は目を輝かしながら、「また、来ます」と言って、出ていった。
 特段、毎日、うどんを食べている訳ではないけれど、本当に、うどんの匂いがするのだろうか。でも、若い女と握手ができたので嬉しかった。できれば、明日も来てほしい。高橋の頬が自然に緩む。
「あんた、ここの人?しっかりしているねえ」急に肩を叩かれた。
「ちゃんと、お風呂に残り湯を溜めているじゃない。そうよ、万が一、地震や火事など災害があった時に困るのは生活用水よ。人間が飲む水の量なんて、たかが知れているんだから。それよりも、お風呂やトイレや洗濯などの生活用水の方がたくさんの量が必要なのよ。そのためにも、常に、お風呂の水はすぐに流さないで、次に入れる時までに、ためておかなくちゃ。あんたはよくわかっているわ。それに、お風呂に溜まった水はすぐに流さないで、庭や道路に巻くのよ。そうすれば自然の循環になり、植物は生育するし、道路の汚れも流れるし、蒸発した水は雲になって、雨となって、また、地上の戻ってくるのよ。エコよ、エコ。これからも、お風呂の水を活用する会の会員として、一緒に頑張りましょう」
 主婦連の鏡と思われるおばさんは自分に納得しながら出ていった。高橋は、単に、風呂の水を流すのを忘れただけなのだが。
「ありがとうね。やっぱり俺の仲間なんだね」ポンポンと肩を叩く人がいた。高橋は顔を上げる。男だ。それもおじいさん。身なりは、おせいじにもきれいとはいいがたい。しかも、臭う。
「あんたも捨てられない症候群何だね。俺もそうなんだ。なんか、貧乏症と言うか、本当に貧乏なんだけど、物が捨てられないんだよね。ビールの空き缶もそうだし、新聞紙もそうだよね。ビールの空き缶って、アルミ缶だろ。一個一円で売れるんだろ?今頃は、もっと安いか。それにしても、何だか、捨てられない。新聞だってそうだ。暇だから、いちおう、全部に目を通すんだけど、どこかに読み忘れたとか、後で、役にたつんじゃないかとか思うと捨てられないんだよ。それに、新聞紙一枚あれば、ちょっと寒い時でも、毛布がわりになるから、役に立つんだよ。もちろん、新聞は購読していないよ。近所の資源ゴミの日に、拾ってくるんだけどね。でも、おかげで、地元新聞だけでなく、朝日や読売、毎日、産経、日経新聞とか全国紙も読めるから、勉強になるんだ。人間一生、勉強だよね。でも、知識は捨てているわけではないけれど、勝手に、忘れてしまっているから、役立たないけれどね。わはははは」
 おじいさんは豪快に笑う。おじいさんの喜んでいる姿を見ると、高橋は、ただ単に、ゴミを捨てる日に捨てられなかったとは言えなかった。
「やはり、わしの嗅覚はまだ衰えていなかったんだ。同じ匂いがすると思ったんだ。じゃあ、また来るよ」おじいさんは玄関から消えていった。高橋は今の言葉を聞いて、自分の体をクンクンと臭う。おじいさんの体臭とは違うはずだ。と、思うけれど、鼻はすぐに周囲の臭いに慣れてしまい、同じ臭いかどうかわからなくなった。
一体、どれだけの人が俺の家に来ているんだ。その後も、右腕の血管が青く浮き出ている若者や指の爪を噛んでしまう癖のある小学生、かすかに伸びた白髪交じりのあごひげを抜く癖のおっさんなどが、あいさつを交わして、去っていった。来た順番じゃないけれど、リーボックの女、百七十センチの男も、「また、来ます」「じゃあね」と言って、去って行った。最後に残ったのが、自称高橋だった。
「いやあ、楽しい一日でしたね。高橋さん。いや、私も高橋か。これは失礼。ははははは」と自分でボケと突っ込みの一人芝居をして喜んでいる。
何が楽しいもんかと否定しながらも、これまで、仕事以外で、あまり他人と話さなかったので、今日の出来事は、うるさく、うっとおしい反面、自然と体の中がポカカポと温かくなってきた。少し、いや、かなり酔っているせいなのか。
「それじゃあ。また会いましょう」自称高橋は高橋の家を出た。高橋は自称高橋の後姿をじっと見ていた。
 さっきまでの喧騒が嘘のようだ。まだ、風呂場や押入れ、トイレ、冷蔵庫に騒ぎ声が残っているみたいだ。全てのドアを開ける。やはり、もう誰もいない。高橋の耳には心地よい騒ぎ声が消えていくとともに、温まった体が次第に冷えていくのを感じた。また、みんなに会いたい。できるだけ早く。高橋はそう呟いた。

太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(5)

太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(5)

五 まつりの後

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted