残像は夏風と共に 2

第二章 動き出した歯車

残像は夏風と共に 2


夏の夜は過ごしやすい。
日中の暑苦しさは身を潜め、心地良い夜風が俺の頬を撫でて去っていく。



緊張によるものなのか、形容しがたい熱さを頭の芯に感じながら、俺は口を開いた。


湊「……で、お前はどんな人生を送ってきたんだ、東海林」


楓「そんなに怖い顔しないでよ。大した話を持ってるわけじゃないんだから」



無邪気に、飄々と笑う彼女の声が、遠い星空に吸い込まれていく。
ついさっきまでの姿を知っている俺は、それさえもどこか儚く感じた。
しかし、そんな俺の胸中をよそに、穏やかな表情を浮かべた東海林は、ぽつりぽつりと語り始めた。



あたしの実家は、長野にあるの。
ここからはだいぶ遠いんだけど、小さい頃はそこで過ごした。
中学卒業と同時に、それについて行くって形でここに引っ越してからは、一度も行ってないんだけどね。

さっきみたいな発作が初めて出たのは、たしか小学5年生くらいの頃だった。
当時のあたしにとってはものすごく辛くて、苦しくて、このまま死ぬのかな、って思ったのを覚えてる。


めっちゃ苦しいのは今も昔も変わらないことなんだけどね。ふふっ。


いろんな病院に行ってみたけど原因が分からなくて、実際にそれ以降の進展がなかったもんだから、とりあえず様子を見ましょうか、って話になったの。
しばらくは発作もなくて安心してたんだけど、小学6年生、卒業式の直前にまた来た。


ホントに焦ったよ、あの時は。


その時かな、これとは一生付き合っていくしかないんだ、って思ったのは。
でも、やっぱり原因は分からなくて、先生にも親にもすごく心配かけて、それが何よりも辛かった。

でも、中学2年生の時に大きいのが来てからは、ピッタリと出なくなった。
ひょっとして治ったのかな、なんて期待してたけど、やっぱりダメだったんだなぁ。

幸い、数分発作が起きても死ぬことはないし、さっきよりも酷い症状が出ることもないんだけど、人前で出ちゃうと辛いな。
しかも初対面だしね!

……体調が安定して、やっと普通の女の子みたいに過ごせる!って思った矢先、


お母さんが死んだの。


あの時は泣いたなぁ……すっごく長い間泣いてた気がする。
発作が頻繁に起こってた辛い時期に、ずっと慰めてくれてたお母さんだからさ。

死因は、急性心不全だった。
前日の夜まで普通に話したりご飯食べたりしてたのに、朝には冷たくなってた。
あたしが、第一発見者だったんだ。

もうね、辛すぎて誰かのせいにしないと生きていけなかった。
たぶん、原因はあたし自身なんだよね。
心配かけ続けて、何度も辛い思いさせて……
あたしも分かってた。悪いのは自分なんだってことを。

でも、気付かないフリをした。
そして、その『架空の悪役』を、何も悪くない、いつも支えてくれてた、お父さんに押し付けた。

ほんっとに、最低の娘だと思うよ。
よくわからない変な持病を持ってて、発作が出なくなったと思ったら、そのまま酷い反抗期に突入するんだから。


そんなことないって?そういう言葉はね、自分が経験してないから言えるんだよ。


妻を亡くして一番辛いはずのお父さんに、あたしは酷い言葉を吐き続けた。
これまでの人生で一番後悔してるのは、やっぱりそのことかな。

それでもお父さんは、あたしに寄り添うことを諦めなかった。
毎日毎日寝る暇もないほど忙しい生活をしてるのに、必ずあたしに話しかけて、ご飯も作ってくれてて、あたしの前では辛い顔ひとつ見せなかった。


あたしはそんなこと当然だと言わんばかりに、お父さんの愛情を踏みにじった。


そんな生活が一年続いて、 お母さんの一周忌の日、ついにあたし達は改まった話し合いの場を設けたの。

お母さんが死んでその日で一年ってことであたしにも考える部分はあって、お父さんの話に付き合った。


そこでね、お父さんは泣いたんだ。


びっくりしたよ。
いつもニコニコ笑って、辛そうな顔ひとつしたことなかったお父さんが、いきなり目の前で号泣するんだもん。

それを見てたら、なぜかあたしまでもらい泣きしちゃって、二人でわんわん泣いた。
かなり長いこと泣いて、それから少しずつ話しを始めた。
あたしは主に聞くだけだったんだけどね。

お父さんは、あたしが生まれてからお母さんが死ぬ日までのことを語った。
ほとんど自分が思ってることを話さないお父さんだったから、そんな風に思ってたんだぁ、なんて面白かったよ。


それから、あたしは変わった。


まぁ、後はもう湊くん知ってる通りだよ。
八須田町に引っ越して、劉ヶ峰湊っていう変な名前の男の子が友達になってくれた。

ねっ、湊くん!



東海林は笑っていた。
辛い境遇を他人に語り、自らを戒めながら、それでも彼女は笑っていた。

強い。

それが素直な感想だ。
環境に恵まれて、その上で殻に閉じこもる事を選択した俺なんかとは比べ物にならないくらいに。


湊「それが……お前の物語か」


楓「なんで神妙な顔してんのよ」


また笑う。
出会ってからの短い時間で、彼女が笑う姿を何度見たことか。
きっとその澄んだ笑い声は、辛すぎる人生を送ってきた東海林にとって、自らを守る為の盾でもあったんだろう。


楓「ところでさ」


湊「うん?」


楓「あたしの話の中で、おかしなところに気がつかなかった?」


おかしな、と言ってしまえばおかしくない部分はほとんどないんだが……
悪戯っ子のような表情を見る限り、俺が思っているのとは違う事を考えているな。


湊「……すまん。全く分からない」


楓「あたしさ、最後にキミのこと“湊くん”って呼んだんだよ!」


んなッ!?


湊「バッ……馬鹿かお前は!」


楓「勇気出して下の名前で呼んじゃったんだけどな〜」


湊「そりゃ大層な勇気だ」


楓「何よその気持ちの込もってない返事は!やっぱりあたしがそう呼んだってことは、湊くんもあたしのことそう呼ぶべきだよね?」


この女……


湊「そう呼ぶ……とは?」


楓「わかるでしょ?にっこり笑って“楓ちゃん”って呼べばいいんだよ」


湊「………………アホか」


俺はそう言い放って背を向ける。
もちろん、赤面したのを隠すためだ。

大した恋愛経験がないどころか、人間とのコミュニケーションそのものをまともに取っていなかった俺にとって、こういう状況は厳しすぎる。

必死で平静を装う。

バレないように深呼吸をしていると、背後からか細い音が聞こえた。
風か?いや、東海林だ。


楓「駄目なのか……ずっと病院だったから友達できなくて、こういうのが夢だったんだ……でも…アホなのか…」


恐る恐る後ろを見ると、東海林がしゃがみこんで目をうるうるさせていた。

俺は奥歯を食い縛る。


湊「もうすっかり暗くなっちまった。早く帰ろうぜ……楓」


意を決してその名を口にしたその直後、俺は自分の目を、耳を疑うことになる。


楓「おお!さっすがぁ!湊くんなら言ってくれると思ってたよ!」


大爆笑と共に喜びの舞いを披露する楓。
その目はもう潤んではいなかった。


ちくしょう。
女は卑怯だ。


さっきまで楓を飲み込んでしまいそうだった星空は、何故か今は優しく微笑んでいるように見えた。


明る日の朝、再び俺は頭を抱える事となる。

目覚めて、顔を洗い、歯磨きをした後、静かな幸せと若干の退屈を噛み締めながらのんびり朝食をとる。
ここまでは文句のつけようがない平穏な朝の風景だった。

準備を済ませ、小さなため息をついて玄関を出る。ここだ。ここが始まりだ。
いや、その後の事を考慮すると終わりか?しかしこれが全ての元凶であった事は間違いないから……

うん、終わりの始まりだ。

玄関を出てすぐの角を曲がった所で、俺はまだ覚醒しきっていない体に衝撃を受けた。

激突というほどではないが、一瞬で状況を把握させないには十分だった。

自分で何を言っているか分からないまま、わずかに得た知覚情報を口走る。


湊「うわっ!楓!?」


楓「あ〜!湊くんじゃん!」


目の前で、例のショートカット美少女が微笑んでいた。


楓「珍しい事もあるもんだねぇ〜」


湊「……なんでいるんだよ」


衝撃と混乱で掠れた声しか出ない。


楓「なんでって、昨日湊くんが教えてくれたんじゃない」


湊「へ?」


どういう事だ。俺が家を教えた?
そんな記憶は全くないぞ。

必死で思い出そうとしても、頭がぼんやりして働いてくれない。
ほら!頑張れよポンコツ!


楓「ひょっとして覚えてない?昨日の夜、帰りに送ってくれた時に、
『俺の家は三丁目の大きいアパートの裏の方にあるんだぜ〜』って教えてくれたの」


そのアバウトで分かる人にしか分からない説明は間違いなく俺のものだろう。
だけど、なんでだ?
俺がそんなノリノリで個人情報を吐き出すなんて考えられない。

自分で言うのも変だが、俺は引きこもり寸前の帰宅部エースだぜ?

ただぼんやりと、家まで送って行ったような気が……


湊「あ〜っ!」


楓「やっと思い出したかね」


えへん、と何故かふんぞり返っている楓を捉えながら、頭に電流が走った。

送って行った時の最後のやりとり。



(あたしだけ家を知られてるのはなんか嫌だな〜)


(なんだよ、それ。)


(ねえええ!湊くんも家の場所教えてよお!だいたいでいいからああ!)


(まったく……)



なんで忘れていたんだろう。
普段は、女と話すことがないから、浮かれて有頂天になっていた。
完全に俺のミスだ。今さら悔やんでも悔やみきれない。


「……湊くん?」


湊「ん?あ、あぁ」


何度考えてもおかしい。俺がそんな簡単に言ったことを忘れるだろうか。

この年にして老いを感じるって……

つい考え事をしすぎた。
楓が不安そうにこちらを見ている。
少し頭を傾げて、上目遣いで視線を送られる。うぅ、そんな顔しないでくれ。


楓「ひょっとして、迷惑だった?」


迷惑じゃないと言えば嘘になるが。
困っていないと言えば嘘になるが。

それ以上に……………


湊「嬉しいよ。さ、遅刻する前に早く行っちまおうぜ」


この状況、自分でも信じらんねぇ。
孤独に通い続けたこの道を、二人で歩いている。しかも、超がつくほどの可愛こちゃんとだ。表情が緩まないようにするのがこれほど難しいことだったとは。

目を奪われっぱなしなのはさすがに情けなく、かと言って後ろを歩くわけにもいかないので、結果的に俺は『隣の女の子をチラチラ見ながらニヤつく変態』になってしまった。

嬉しいことに、学校はすぐ近くにあるため、大して時間をかけずに通うことができる。
学校が見えてくる頃には、俺たちの前にもチラホラ生徒が見え始めた。

なんだ?みんながこっちを見ながらヒソヒソ話してるぞ?
昨日までは居ても見ないふりをするくらいだった奴らが、興味ありげにこちらを伺ってやがるぜ。フンッ!

俺の顔に何かついてるか?

そこまで考えて、俺は本日二度目の脳内電流を経験した。

ついてるじゃないかッ!
東海林楓という最高の勲章が!

マズいマズいマズいマズい………

弱気になるのも仕方のないことだ。
つい昨日まで空気だった奴が突然女の子と登校してるんだ。誰だって
(こいつは一体なんなんだ?)
となるだろう。いや、それならまだ良い。
マズいのはそうならないタイプだ。

誰だって不思議に思う。
もしくはーーー


「おい、ボサボサ頭」


そう、


「テメェのことだよオラッ!」


こうなる。これが一番マズい。


背中を蹴飛ばされて、コンクリートに突っ伏しながら、俺は自業自得という言葉を思い浮かべていた。

後ろを振り返ると、案の定クラスの不良、
新橋亜斗夢(しんばしあとむ)が俺を見下ろしていた。

もう言わなくてもビジュアルが分かるだろ、名前からして。
ご想像の通り、典型のような不良だ。

不良って生き物は大抵単純なもので、その胸中もなんとなく察しがつく。

(昨日まで陰キャラ極めてたオメェが、なにそんな可愛い女の子連れて歩いてんだ!?
ああん?)

ってなところだろう。

断言しておくが、こいつにこれまで絡まれたことは一度としてない。クラスをはじめとするこの学校には俺の他にいじめる対象がわんさかいて、俺とは住む世界、層が違った。

いわゆる『棲み分け』ができていたんだ。

それが、東海林楓という鍵によって無残にも崩れ落ちた。

立ち上がって服の汚れを払いながら、俺は頭をフル回転させていた。
隣にいるはずの楓ももう眼中にない。

理不尽に絡む不良。
汚れた俺の制服。
隣には女の子。

背筋をピンと伸ばし、目を爛々と光らせながら一歩前に出る。
全身の筋肉が伸展、収縮を繰り返しているのを感じ、息をつく。

そして、その足で大地を踏みしめた少年は、口を開いた。


「すいませんでしたぁッ!!」


全力で頭を下げる。
これで丸く収まるはずだ。
全ては一時の恥……一時の恥………


「ちょっと!何言ってんの!?」


俺の体を揺する者がいる。楓だ。


楓「黙って見てたらなんで謝ってんの!?どう見ても悪いのはあっちじゃない!」


顔を上げると、気まずそうな顔の亜斗夢と、心底驚いた、とでも言いたげな楓がいた。


楓「ねぇあなた!湊くんのどこが悪いのよ!絡んでんのはあなたの方じゃない!」


楓がこんなに熱くなるなんて。
状況を全て飲み込む前にそれが印象づいた。


亜斗夢「ま、まぁあれだ。なにも謝らせる気なんて……」


思わぬ反撃に、たじたじとしている。
そりゃ女の子にここまで言われたらどうしようもないよな。


湊「か、楓…。一旦落ち着いて…」


楓「湊くんも湊くんだよ!なにも悪いことしてないのに簡単に頭下げちゃうなんて!」


湊「わ、分かった。俺が悪かった」


楓「だから悪くないのっ!」


お手上げだ。
荒ぶる楓を前に、俺と亜斗夢は風の前の塵に同じだった。

この状況を打破してくれるとしたら……


亜斗夢「分かった。今のは俺が悪かった。劉ヶ峰、すまなかった」


新橋、あんたは男だよ。
人間、頭を下げなきゃいけない時に躊躇ったらおしまいなんだ。


楓「湊くんは謝ったらダメだよ!」


うぅっ、心を見透かされたみたいだ。
俺はまだなにも言ってないぞ?

多少辺りは騒然としていたが、おそらくは大丈夫だ。
幸い大きな騒ぎにはならないだろう。

おかげで、会って間もない楓になぜか叱られるハメになったが。


楓「だいいち、謝ればそれで済むって思ってるのが間違いなんです!男なら……って聞いてる?」


湊「あ、あー悪い。聞いてるぞ」


親父の顔を知らず、母さんともまともに顔を合わせていないからだろうか。
叱られる、という経験がほとんどない俺にとって、楓の声はどこか心地良く響いた。


なんか……いいな、こういうの。


湊「って!もう遅刻じゃねぇか!」


鳴り響くチャイムを耳にしながら、騒ぎの最有力因子となった新橋を恨んだのは言うまでもない。

こうして、俺の破天荒な学校生活が幕を開けた。ちょっと楽しいラブコメみたいな日々が送れるかも?なんて甘ったるいことを考えられるのは、この時だけだった。

残像は夏風と共に 2

忙しかったんですぅ!
自分でも覚えてないくらい間隔が開いてしまいまして、本当に申し訳ございません。
自分自身、この作品とは長く付き合っていきたいと思っていますので、ちょくちょく見ていただけたらとても嬉しいです。
今後は頑張って更新頻度を上げまする。

では(=゚ω゚)ノ

残像は夏風と共に 2

1話を見ていない方は、是非そちらからお願いします。オリジナルの小説です。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted