宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第二話

まえがきに変えた登場人物紹介

金子あづみ…本作の語り手で、はるばる東京からやってきた教育実習生。居候先の神社に住まう「巫女」である、真耶の正体にビックリ。
嬬恋真耶…あづみが居候している、天狼神社の巫女というか神様のお遣い=神使。フランス人の血が入っているがそれ以外にも重大な秘密を身体に持っていて…。
渡辺史菜…以前あづみの通う女子校で教育実習を行ったのが縁で、今度は教育実習の指導役としてあづみと関わることになった。真耶たちの担任および部活の顧問(家庭科部)。担当科目は社会。サバサバした性格に見えて生徒思い。一方で自分の教え子が傷つけられることは絶対に許さない。

 不安だらけの教育実習初日だったが、難なく終わった。まぁ渡辺先生の授業を後ろで見ているだけだったので別段何が起きるはずもないのだが。真耶ちゃんこと嬬恋さんがすっかり女の子として受け入れられているのにはちょっとびっくりしたが。
木花村立木花中学校。「コノハナ」と読む。「女神に見初められた村」というキャッチフレーズ通り、村の名前は女性の神様に由来するのだという。その神様が従えていたメスのオオカミもいつしか神に昇格、今は彼女がこの村を守っている。そしてその神様を祀っている天狼神社。私は今そこに居候している。

 私のついた一年B組の担任はもちろん、私を指導してくれる渡辺先生。そしてこのクラスにはもう一人、副担任の先生がいる。高原聖先生。ほんわかした女の先生だ。
 その高原先生と渡辺先生が職員室でしゃべっている。
「どうしたらいいと思う~?」
「うーん、社会科教師にそれを聞かれてもなー、専門外だし…」
「でもフミちゃんそっち方面詳しいじゃない? なんか意見聞かせてよ~」
フミちゃんとは渡辺先生のこと。史菜という名前なのだ。歴史の史という文字が使われているあたり社会の先生っぽいと思う。そしてその「フミちゃん」に話しかけている高原先生だが、内容から察するに自分の教科についての相談ごとを、なぜか社会科の渡辺先生に聞いているらしい。
「あ、高原先生の教科って何なんですか?」
つい割り込んでしまった。でも初日はバタバタしていてタイミングが悪く、挨拶もそこそこの初対面だったので聞けなかったのだ。
「何だと思う?」
 渡辺先生が横から問題を出した。高原先生の外見はふわふわのロングへアーにふりふりの洋服。ピンクハウスとかかな? 理系ではなさそうだ。だとすれば国語? 英語? いや、音楽とか美術とかの芸術系かも。待てよ、渡辺先生は確か家庭科部の顧問で、ちょっと意外だったんだ。その渡辺先生と親しいってことは、料理とか手芸とか教えたりしててそれで仲いいんじゃないかな。逆に仲がいいから何かの事情で代わりに顧問やってるとか。
 「分かりました。家庭科ですね」
かなり自信をもって答えた。しかし、
「ブブー」
不正解の声まねが虚しく響いた。
「じゃ、じゃあ、美術? 音楽?」
立て続けに思いついた答えを言ってみるが、二人ともニヤニヤしているだけ。
「国語? それとも英語? それとも話の流れからしてなさそうだけど、まさか同じ科目で社会?」
これが間違ってたらあとは理系科目しかない、というところで渡辺先生がヒントを出してくれた。
「金子、これ見てみ?」
高原先生と渡辺先生は机が隣同士。高原先生の机にあったものを渡辺先生が拾い上げて私に見せる。
「これは、笛…。えっと、どういうことですか?」
「まだわからないか? これでどうだ」
「えっと、それってスタート用のピストルですよね。昔体育委員やったとき徒競争で撃たせてもらったことが…。あっ」
「お、分かったな?」
ええ、分かりました、けど。
 一番無いと思ってた答えですよ…。

 「よく言われるのよね~、体育教師に見えないって」
見えないですって、そりゃ。普通体育の先生ってジャージだもの。そういうイメージ。少なくともピンクハウスを、少なくとも授業のときには着ない。
 一日たって実習二日目。渡辺先生に出張が入ったので今日は一日高原先生について授業を見学することになった。早く教壇に立ちたい気もするが、自分が目指すところの社会科の授業が自習とあっては仕方ない。
「先生って、ちゃんとした服装しないとだめだと思うのよね~。ジャージは運動するとき着るものでしょ?」
いや、体育の先生は運動するのが仕事なんだけどと思いつつ、うなずけるところも無くは無かった。特に公立学校だとジャージで通す先生は結構いて、親とかはよく怒ってた。聖職にあろうものがラフな格好するなと。ちなみに渡辺先生も毎日スーツだ。
 ただ、突っ込みたい点はもう一つある。
「次、嬬恋さん準備してね~」
先生が声をかける。それを聞いた「嬬恋さん」が前に出て準備運動を始める。ごくごく自然な光景に一見思える。が、それはある事情を知らないときの話だ。
「なんで真耶ちゃ、嬬恋さんが女子と一緒に体育受けてるんですか?」
「え? だって女の子を男の子と一緒に体育受けさせちゃかわいそうでしょ?」
…う~ん。
 先ほど説明した天狼神社。そこに住まう「嬬恋さん」こと真耶ちゃんは「神使様」である。言ってみれば巫女さんのようなものだ。
 彼女について説明すると…いや、彼女は「彼女」ではない。
 「彼」なのだ。
 嬬恋真耶ちゃん。宗教上の理由で女の子として育ってきた男の子。天狼神社の神使は女子でなければいけないのに男子として産まれてきて、それゆえ女子として育てられてきた「神の娘」。それだけでもビックリなのに、私はその真耶ちゃんのクラスで実習を行うこととなった。だから私は、学校では彼女のことを「嬬恋さん」と呼ぶ。
 「まぁ確かに嬬恋さんが女の子として扱われているのは分かります。でもいくらなんでも体育までは…」
「でも、体育だけ別扱いってのもおかしくないかしら? 本人も周りも、戸惑っちゃうと思うな~」
「まぁそうなんでしょうけど、ほかの子たちはどうなんですか? 実は身体が男の子な嬬恋さんと一緒に体育やることについて。あと身体が男の子なのに女の子と一緒にやるのはズルいと言ったら言葉遣い悪いけど、記録が相対的に有利になるんじゃ…」
心配なところを挙げてみたのだが、先生の回答は明快だった。
「みんなこれが普通って思ってるから文句は出ないわよ~? 逆に男の子と一緒にやらせようとしたときの方が拒否反応大きいんじゃないかしら~」
幼いときからずっとそうしてきたのだから、いまさら変えるほうが本人にも周囲にも影響は大きいと。確かにそれは分かる気もする。では後者は?
「う~ん、嬬恋さんの場合は心配ないんじゃないかしら~、彼女には悪いけど」
 とか何とか言っているうちに、嬬恋さんの番がきた。今日の種目は走り幅跳び。用意のポーズから颯爽と駈け出して、踏み切り位置でジャンプ…

 ざざざざーっ!

 一瞬何が起きたかわからなかったが、砂ぼこりが散るとそこには、砂場と抱き合う嬬恋さんがいた。
「ほらね~? とにかく運動が苦手なのよ~彼女」
どうやら踏み切りのタイミングが合わずに足がもつれ、砂場のへりにつまづいてそのままダイブしてしまったようだ。

 「真耶は運動神経無いからなー。小学校のときから体力テストいつもビリじゃん?」
給食の時間。私は嬬恋さんたちのグループにお邪魔している。今しゃべったのは御代田苗さん。嬬恋さんの親友だと言うが、それだけに言葉は手厳しい。運動神経が鈍いとかじゃなくて、無いと言い切るとは。
「ちなみに女子も含めて、ですからね? 球技もぜんぜんですし」
脇から補足してくれたのは同じく親友の霧積優香さん。やはり手厳しい。嬬恋さんはさっきから小さくなっている。砂を落とすためシャワーを借りていたのでまだ髪がしっとりしている。
 う~ん、嬬恋さんには悪いけど、これで今日の放課後の計画うまく行くのかなぁ…。ちょっと心配、と思っていたら、
「まぁでも、真耶がいるからこその今日の計画じゃん?」
「あっそうか、真耶ちゃんにできれば誰にでもできるってことだもんね?」
最初それがどんな意味か分からなかった。嬬恋さんは、
「もう~、みんなひどいよぉ~」
と言いながら力なく机に突っ伏した。

 前日、高原先生が渡辺先生に尋ねていた件というのは、実は体育の授業に関することだった。
 今年度から、中学校の体育で武道が必修化された。ニュースとかでもずいぶん報道されたのでわりと知られた話だと思う。「伝統と文化の尊重」という方針にのっとり、原則として柔道・剣道・相撲のなかから一つを選択し履修させる。その中でさまざまな問題が噴出したが、大きな議論となったのは指導教員の不足と、特に柔道における事故の多さ。そういった異論反論の中で文部科学省が強行実施したことから、現場での反発も強かったという。
 渡辺先生は武道というか、格闘技に詳しいし好きだという。まぁそれはゆうべ男性のみぞおちにヒットする一撃を食らわせたことでわかっている。もっとも一般人に手を出すのは褒められたものではないとも思うが、助けてもらってそんなこと言うのも失礼だし、手加減はしているのだという。
 いつの間にか数人の先生方が集まり、ミーティングのようになっていた。渡辺先生の強みはなんといっても自ら柔道をやっていたということ。武道経験者としての意見は重要だ。だが意見を求められた先生は一言、
「無茶」
この答えは私の予想に反していたし、大方の先生方にとってもそうだったようだ。なぜかと聞かれた渡辺先生は、
「経験者だからこそ怖さを知っています。遊び気分でやったら怪我をします。最悪」
やや身を乗り出して言うことには、
「死にます」
 確かに学校の授業における柔道での事故は突出して多く、亡くなった生徒も二十数年間で百人を超えるそうだ。
「それが一番引っかかるんですよね~。生徒ちゃん達に痛い目遭って欲しくないし~」
高原先生は及び腰であるようだ。ただそういったムードに対し不満顔の先生もいる。
「でも、礼儀を教えられるとかあるだろう」
だが中年の先生の意見に対する渡辺先生の反論はまさに一刀両断だった。
「礼儀を教えることは普段の授業でもできるでしょう。むしろ武道とかいうものを使わずにそれを教える努力をわれわれ教師はすべきだし、それができないのなら職務怠慢と取られても仕方ありません」
 「でも投げられることで他人の痛みがわかるとか、そういうことはあるだろう。いじめ問題とかの解決につながるかもしれんぞ」
その先生もひるまない。しかし、
「なりませんな」
と口を挟んできたのは男子の体育の先生。さっきから遠くで私たちの議論を聞いていたようだ。
「昔勤務してた学校で熱心な先生がいましてな。大学で柔道が専門だったんですな。授業中に乱取りとか試合とかやらせるんですが」
先生はひと呼吸置くと、ぼそりと言った。
「悲惨でした」
先生によると、
「体格の優る生徒が、一方的に弱い生徒を投げつづける」
ことになるんだそうだ。
「中学くらいだと、教師の目前で公然といじめが出来るチャンスを手に入れたようなものです」
 みんなシンとなってしまった。その先生の言葉に重みがあったからだ。
「ともかく」
すでに白髪としわだらけの顔のその先生は、教科におけるかなりの部分を高原先生に任せているらしいし、高原先生も任せられたことを喜んでいるのだという。
「高原さん、そのへん考慮しながらやってみてください。あなたの良いようにしてくれて構わないから」

 「でも柔道やってる渡辺先生にしてみれば、競技人口が増えるのは嬉しいんじゃないですか?」
えっさ、ほいさ。
「数だけ増えてもしょうがないだろう。それに嫌々やられても嬉しくないよ全然」
えっさ、ほいさ。
「でも一度体験すれば興味ある子は続けたいと思うじゃないですか。いろいろなスポーツを経験して自分にあったものを選択する場合、選択肢は多いほうがいいと思うんですよ」
えっさ、ほ、ほ、とっとっと。
「でもそのお試しが危険を伴うってのが問題なんだよ。それにお試ししたところで残る率の少ない競技だとは思う。というかスポーツって、自分の意志で始めるのでなければ継続するのは難しいと思うな、個人的には」
と、と、どすん。
 時は実習二日目の放課後に戻り、体育館の床にみんなで器械体操用のマットを敷いているところだ。私も渡辺先生とともにお手伝いしている。先生は昼過ぎに出張から帰ってきた。昨日家庭科部は休みだったので、きょうが私の部活指導デビュー、なのだが。
 なぜか私たちは体育館にいる。全員ジャージ。家庭科部がなぜ体育館に? なぜジャージ? 実はこれこそが給食の時に話していた「計画」なのだ。これから家庭科部のみんなとともに、柔道の授業がどんなものか体験してみる。高原先生はあの話し合いのあとも随分悩んでいて、そこに渡辺先生が助け舟を出した。逡巡するより、やらせてみればいい。本番の授業に先立ってお試しでうちの部員にやらせてみては、と。家庭科部員も全員二つ返事で協力するとの返事。部活で本来やることを脇に置いてくれるというのだから、みんないい子だと思うが、ひときわ好奇心が旺盛なんだこの子たちは、と渡辺先生は笑う。
「でも高原先生は、なんで体育の授業に関係することを、家庭科部というか渡辺先生に頼むんですか? 体育の先生なら、なにか運動部の顧問やってるはずですよね? そこの子達も協力してくれるんじゃあ…」
「簡単だよ。うちには嬬恋がいるから」
「お友達も昼間そういうこと言ってましたけど、どういうことですか?」
ん? と一言挟んだあと、再び簡単だろという顔で、
「体育で、嬬恋がどんなになってるか見たんだろ?」
「…ああ。はい」
「な?」
嬬恋さんにできれば、だれにでもできる。本人には失礼だが、納得してしまった。

 とは言え、渡辺先生の提唱するやり方で、どれほど運動能力が関係するのか、という気もする。
「教えるのは受け身だけで構わない。転んだ時などの身のこなしを覚えるのは日常にも役立つし、それだけでいい」
試合どころか技も教えない。先生の安全への配慮は徹底している。実はこのテストを始めるにあたって唯一乗り気でなかったのが件の嬬恋さんだった。痛いのと、誰かを攻撃したりするのがとにかく嫌であるらしい。それでも、
「高原先生と、みんなのためだし、頑張る」
とけなげにも言ってくれて、それが痛々しくもあったのだ。
 だから受け身だけという先生の判断は嬬恋さんにとっては朗報だったろう。実際表情が少し和らいでいるように見える。ただ、他の子達は明らかに物足りなそうな顔をしている。
「やっぱ同じ動作の繰り返しじゃ飽きるよねー」
御代田さんがこぼしている。霧積さんもうなずいている。それを横目に見る嬬恋さんの表情が露骨に不安げになる。みんなの不満を受けて技とかもやるようになるのを警戒してるんじゃないか、と解説するのは二年生の篠岡さん姉妹。
 「ともかく、やるぞー。全員並んでくれ」
柔道着に身を包んだ渡辺先生がマットの上に立つ。柔道の受け身には、前受け身、横受け身、後ろ受け身などがある。一見簡単そうだが受け身ですら油断すれば危険だと渡辺先生。
「危険な状況を自分で作り出して練習するわけだからな。例えば後ろ受け身は勢い余って後頭部を打つ危険がある。くれぐれも遊び半分とか変な場所でやらないこと」
場合によってはヘルメットを被らせてもいいんじゃないかと先生は言う。それも一案だと思う。ただ幸い家庭科部のみんなは飲み込みが早いのかわりと安全にできているようだ。私も一緒にやっている。ジャージは高原先生に貸してもらったのだが、ピンクのキャラクター付きっていうのが少し恥ずかしい。
 「まぁここまでは簡単といえばそうかもしれん。形が単純だからな。次はちょっと難しいぞ」
渡辺先生は構えると、前に倒れこみ、そのまま一回転すると、すっくと立った。
「おっといけねえ。本当は畳を手でぽんと叩くんだった。ともかくだ。これが前回り受け身といってな。あ、ただのでんぐり返しじゃないぞ?」
そう。まっすぐ前に向けて回ればいいってわけじゃないのだ。うまく言えないけど首と利き腕の肩を反対側の横っ腹にすり寄せるようにしながら回転する。つまり斜め四十五度ぐらい前に進む感じだ。
「肩から反対側の腰まで斜めのラインを意識するんだ」
と先生は説明するのだが、言葉通りにはなかなか行かない。回転軸がずれて腰の横を打ってしまい、これが結構痛い。御代田さんはすぐさま出来るようになったが、他の子達は苦戦している。回り終わって九十度曲がっていたり、変に首を曲げすぎてつりそうになる子もいる。
 そんな中、さっきから固まっている子が一人。
「真耶何してるの。怖がってたらいつまでも出来るようにならないよ?」
御代田さんが叱咤激励するのだが、嬬恋さんは一向に動こうとしない。
「しょうがないなぁ、ウチが押してあげるからやんなよ。いい? 準備できた? 行くよ?」
嫌々うなずく嬬恋さん。おそるおそる、回転を始めた。
 が。
 「うぎゃあああああ」
断末魔の叫びってこういうことを言うのだろうか。もの静かな雰囲気のある嬬恋さんが、体育館全体に響く大声を出して、うずくまっている。
 いや、これはうずくまるという話ではない。九十度回転するだけならまだしも、ブーメランのように板の間の部分に戻ってきてそこにしたたか全身を打ち付けている。しかも身体のどこをどう動かせばそうなるのか、首と右腕があらん方向に曲がったままで動けなくなっている。
「スクラップのロボット…」
思わず霧積さんがこぼした一言はあまりにも的を射ていた。本人はそれどころではないはずだが。

 嬬恋さんは数人がかりで救出された後、総合病院に担ぎ込まれた。幸い脳や骨などに異常はなかった。
「運動は苦手だが、身体は丈夫なんだよ。まぁ苦手だからこそ丈夫なのかもしれんが」
身のこなしが悪くてしょっちゅう転んだりしているうちに壊れにくい身体になったのではないかという渡辺先生説にはついうなずいてしまう。
「ゴメン、マジゴメン。ウチが押したから…」
「大丈夫だよ、大丈夫だから。全部あたしが悪いの、あたしが…」
帰りの車の中。お互いかばい合う嬬恋さんと御代田さん。美しい光景だが、今度は渡辺先生が頭を抱えている。
「いや、私が嬬恋の身体を持ってさ、リードしていけばよかったんだよ。まぁ嬬恋は特別だが、他にも同じような生徒が出てくるかもしれん」
その場合経験者の介助が必要ということになる。でも一回の授業で先生は一人だから人手が足りない。しかも肝心の体育を教える高原先生は柔道を知らない。つまり。
「不可能だな」

 「だからお姉ちゃんに武道なんて絶対無理なんだからさー、お姉ちゃんに合わせてたらなーんにもできないよー?」
手厳しい言葉を投げかけているのは嬬恋さんの妹の花耶ちゃん。病院から帰ってみんなで夕食をとっているところ。今でこそこんな軽口を叩いている花耶ちゃんであるが、真耶ちゃん怪我かもの報を受けて希和子さんと一緒に病院に来たときは涙をボロボロこぼしていた。
「これも女の子らしく育てようとした結果だと思うのよねー」
希和子さんが遠い目をしながら言う。子供の頃からおままごととかお人形遊びとか女の子らしいとされている遊びを集中的に、むしろ普通の女の子よりも濃い密度でやらせてきたので、身体を活発に動かすといったことがほとんど無かったのだという。体格も筋肉質になったり、背が伸びすぎたりすると女の子ぽい外見ではなくなる。そのへんは本物の女の子よりも厳格にしないといけない。
「あたしは良かったと思ってるよ? 女の子として成長できて。運痴なのはヤだって思うことあるけど、普通に男の子になってたら出来なかったこといっぱいやれてるもの」
すかさず真耶ちゃんがフォローを入れる。居候である私も嬬恋家の一家団欒にはほんの二回目で馴染んでしまっている。それだけこの家の人々が客を歓待することには長けているということだと思う。
「ありがとね」
とそのフォローに感謝しつつ、希和子さんは反対に座る花耶ちゃんに一言。
「この子は得意なんだけどね」
真耶ちゃんとは対照的に花耶ちゃんは運動が大好き。いろんなスポーツに興味があるそうだ。武道についてもそうであるらしく、私が借りてきた武道必修化に関する新聞記事のスクラップを見ている。
 ところが様子を見ていると、何か浮かない顔。
「なんで、空手と合気道がないの?」
花耶ちゃんはこの二つを習っているのだとか。それらの名がないことにほっぺたをぷーっとふくらませて怒っている。傍目からすればそこまで怒らなくてもいいことだし、小三の花耶ちゃんにしてみればずっと先の話。そこを希和子さんが指摘した。
「うーん、自分がやってることを学校でやってくれないのが不満なのはわかるけど、みんながやりたいこと全部やるわけにも行かないし、仕方ないんじゃないかなあ」
「そういうことじゃないの!」
テレビのディスカッション番組で、熱くなったコメンテーターが机を叩く仕草の真似をして、花耶ちゃんが反論した。実際は叩いてないけど。行儀のいい子だからそんなことはしない。
「なんかさ、この、でんとうとぶんかってやつ? それで剣道と柔道と相撲を選んだんでしょ? でも、ということは空手と合気道は違うって、これ決めた人は言ってるんだよね? おかしいじゃん! 不公平だよ!」
う~ん、そういうことではないと思うんだけどなぁ…。でもうなずけないこともないっていうか…。
「ああなるほど。確かに結果的にそう見えちゃうってのはあるよね。国がこの三つを名指ししたってことは、これらを伝統と文化の尊重に関して優先的に取り扱うって言ってるようなものだし、裏を返せば他は一段下なんですよって言っていると思われても仕方ないんじゃないかな」
と、希和子さん。なるほど、同じ武道でも「伝統と文化の尊重」に寄与できるものとできないものがある、という具合に文部科学省が腑分けをしちゃったというふうにも見えるし、結果的にそうなる可能性も確かにあると思う。学校で習った武道に競技人口が偏るかもしれないし、そうなると選ばれなかった武道で収入を得ている、例えば師範とかの人には死活問題にもなる。

 あらかじめ三種目が挙げられているってことは、国はそれらをより重要なものと考えているのだと、暗に示していると見られても仕方ないんじゃないだろうか? スポーツに伝統という観点から格付けをしていないだろうか? 選ばれなかった競技からすれば、国によって伝統という立場からはどうでもいい存在だと決めつけられたと憤っても仕方ないだろう。
 翌日、花耶ちゃんが言っていたことを渡辺先生に教えると、感心していた。
「そういう懸念はあるだろうな。しかしそれに気づくとはな。あの子には単に勉強ができるってだけじゃない、賢明さがあるんだ」
実は今から中学校に入ってくるのを楽しみにしてるんだよ、と先生は笑う。
「それにしても、なぜあの三種目なんですか?」
私はゆうべから気になっていたことを話してみた。布団のなかで色々考えてしまったのだ。
「剣道や柔道はやってる学校も多いからわかります。でも相撲って大人になると男の人しかやらないですよね? どうせなら一生涯続けられるものを教えたほうがいいじゃないですか。女の子にとって大人になってから続けられないものをやらせるのもどうかと…」
なんか渡辺先生がバツの悪そうな顔をした。
「…いや、女相撲というのもあるにはあるが…。ま、それはそれだな」
…なんで口ごもったのかよくわからないけど。本当は土俵に女性が上がれないとか、もともと神事だとか、そういう話もしたかったんだけど。
「それよりも」
先生は思い直したように言った。
「今日もまた実験やるぞ! 放課後、今度は屋上に集合!」

今日のテーマは、剣道。心なしかみんな及び腰に見えるのは、嬬恋さんの件が尾を引いているのだろう。ましてや当の嬬恋さんはさぞや…と思いきや。
 「カッコいい!」
昨日とは打って変わって乗り気だ。ズラッと並べられた防具をあこがれのまなざしで見ている。
「あー。真耶こういうの好きだもんなー」
御代田さんはつぶやくと、私に解説を始めた。
「運動苦手だけど、ユニフォームとか好きなんですよ彼女。ウチが村のスポーツ大会とか出るとついてきて、着せて着せて! って。でも本人運痴だからベンチでそれ着て観てるだけなんだけど」
くくく、変わらないなー、と笑いながら渡辺先生が続ける。
「そうそう。んで装備が大げさなほどお気に入りなんだよ。まー私の影響かもしれないな」
彼女が子どもの頃、渡辺先生は嬬恋家に居候していた。そのときよく彼女をバイクの後ろに乗せて出かけていたのだという。嬬恋さんはそのために買ってもらったヘルメットやプロテクターが嬉しくて、乗らないときでも始終ライダーファッションに身を包んで遊んでいたのだそうだ。だから冬のスキーも大好きだし、しっかりプロテクターから完全装備で臨むのだとか。
「早く着ましょうよ先生! どうやって着るんですか? ねえねえ!」
渡辺先生の腕を引っ張って促す嬬恋さん。ただ剣道は先生も経験が無いそうなので、校内から経験のある生徒を数名呼んでいる。いずれにせよ道着を着て防具をつけないことには始まらない。
「一応人数分あると思うの~。家庭科部と、フミちゃんと、金子さんの分~。経験者の子たちは自分の持ってきてくれたし~」
そういう高原先生は? と聞こうとしたが、ふりふりお洋服を脱ごうとする気配はない。まあお試しだしいいんだけど。逆に私も人数に入っているのは喜んでいいのやら…。
 いや、これは悲しむべきかもしれない。なぜって? 経験者の子達の説明を聞いて、さあいよいよ防具をつけようと、手にとった瞬間、みんなが固まった。
「く、くさい…」
あまりにカビ臭く、いやカビだけじゃない。汗のすえた匂いが発酵してるような変な臭いがする。
「せ、先生…これどこから持ってきたんで…ごほごほ」
霧積さんの問いに高原先生はしれっと答えた。
「昔この学校にも剣道部があってね~? 倉庫の奥にしまってあったのよ~。校長先生がそのこと覚えていてくださってて、使っていいってことだから~。まだ倉庫にはいっぱいあるから体育一クラス分オッケーよ~?」
なるほど。屋上でやる理由がわかった。臭いがこもらないためだったんだ。でも、
「これキツくないっすか? いや俺らいいけど女子には辛いっしょ」
部長の池田くんがまわりを見やる。皆冷や汗をかきながらうなずくのだが、ただ一人毅然にも
「それでも着る!」
と言い切った子がひとり。

 というわけで、率先して防具をつけ始める嬬恋さんに皆続いた。さすがに下に着る袴とかはないのでジャージだけど、胴や小手、垂といったものは揃っている。基本的に紐を結んで固定するので手順を覚えるのが難しい。経験者の子達の着こなしは凛々しく見えるが、なかなかその域には達しない。
 それでもやっているうちに、みんなの表情がだんだん活き活きとしてきた。そのうち「誰が一番早く防具を付けられるかレース」が始まったり。
「これいいわね~。防具を付けるのもれっきとした剣道の一部だし、これだけで結構時間稼げるんじゃないかしら~」
稼げるっていうのも変な言い方だが、確かにこれはエンターテインメント的要素があるし、準備も立派な武道の中身ってことか。ちなみに私も防具をつけてみた。最初は臭いが気になったが、鼻が慣れてくるとそうでもなかった。
 高原先生以外の全員が防具をつけたところで、素振りの練習。といっても竹刀が足りないので交代交代だ。
「古い竹刀が原因の事故もあるらしいのよ~。振り下ろした時に割れて面の間から入り込んで目に刺さるとか~。だからどっちみち試合は無理ね~。面の生地も薄くなってるから叩かれると結構痛いと思うし~」
「でも、試合抜きでもいけそうですね? 防具を着たり素振りもだけど、人形みたいのに防具付けてそれに打ち込むみたいな練習あるじゃないですか、あれも面白そうですよ」
私がそう言うと高原先生もうなずいた。
「これは、決まりかもね~」

 しかし翌日。
 前日に防具をつけた全員が目を真っ赤に腫らしている。無論私もだが。
「うう~、眠れなかったよぉ~」
「私まだかゆい~」
どうやら、あの防具の中にダニでも住んでいたらしい。みんなやられてしまったらしいのだ。
「う~ん、これはちょっと無理ね~。防具買い直す予算は無いし~」
唯一涼しい顔の高原先生が恨めしい。気の毒そうな顔をしてくれているのは救いだが。経験者の子達も、
「防具は手入れ大変ですよ? あまり授業でやるのはオススメしないです」
と。彼らが言うんではあきらめざるをえないだろう。

 「まぁウチにとってはビジネスチャンスではあったんですけどね」
と苦笑するのは、学校に営業に来たスポーツ用品屋さん。高原先生と私で話を聞いている。業者さんとの交渉も先生の大事な仕事だから、と。実践的とは思うが、ここまでやらせてくれる学校も珍しいんじゃないかな。
「柔道を選択する学校は多いですよ。やはり設備面の問題ですね。剣道は防具を揃えるのが大変だし、生徒さんに買わせるわけにもいかんですし」
「でも~、柔道着とか~、剣道でも竹刀だけは買わせる学校も多いと聞きますよ~?」
「そこなんですよ。防具一式買ったら数万円するけど、数千円の出費なら親御さんも文句は言わんでしょう。そのへん絶妙なんですな」
利権、という言葉が一瞬浮かんだが、口に出すのは押し留めた。スポーツ用品店が利益を確保したいがために武道必修化を応援した、なんて言ったら陰謀論にすぎるし、この営業さんに失礼だ。
 「まあ、学校さまさまさまってのは事実ですけどね。指定のジャージとかかなりの売上になるし、制服屋さんも事情は同じだと思いますよ? 一時期校則の見直しとか言われた時代もありましたけど、まぁ若い人はわからんでしょうが昭和の終わり頃にそんなのあったのですよ。おそらくあれで一番びびったのって、我々のような学校出入りの業者じゃないですかね」
はぁ。ということは制服の意義って教育的なことじゃなくて、実は業者の利益の確保、っていけないいけない。また陰謀論だ。
 「まぁ日本の、いや日本に限らんのかもしれないが、大口需要だのみの商売ってのは多いからな。彼らを保護するために学校のあり方が左右されるのは本末転倒という気もするが、自分たちの方向転換のせいで業者が疲弊するのは寝覚めが悪いってのはあるわな。まぁ学校の中にはそういう業者の保護を理由に制服とかを存置しているところもあるかもしれんとは思う。もっとも」
いつの間にか渡辺先生が横にいた。
「同じ学校が寄り道や買い食いを禁止するとすれば矛盾だな。駄菓子屋だって同じ商売人だ。保護されていいだろ?」

 業者さんは帰っていった。
「ま、ウチは一斉注文ばかり当てにするつもりないですけどね。そこは商売人の矜持でね、学校にまるごとジャージ売るのも百円の靴紐売るのも同じ情熱捧げるのが商人、お客様が欲しい物を売るのが商人ですからな」
と、最後に残していった言葉が頼もしい。
 ともかく。
「今日も例によって放課後やるからな、あ、待てよ今日って…」
そう、渡辺先生が気づいたとおりで大学の方から中間レポートを出すように言われており、今日の放課後までに作って投函しないと締め切りに間に合わないのだ。私はそれを終えてからの参加ということになった。もっともレポートは思っていたより簡単に終わったので、そそくさと郵便局に行って速達で送り、学校に帰ってきた。
 おとといは柔道、昨日は剣道、だとしたら今日は相撲ということになるのだが…。ただどこでやっているのだろう? 体育館を先に覗いたがいなかった。屋上は施錠されている。まさかと思いつつ家庭科室に行くと、
「はぁ~、どすこい~どすこい」
何やら室内から声がする。覗いてみると、
「おおっ金子、用事済んだか。加われ加われ、ささ、ここ立ってここ」
言われるままにそのポジションに立つ。すると部長の池田くんが、
「はぁ~どすこいどすこい」
と再び謳い上げる。お家がお寺なのでお経を読んだりして声を出すのには慣れているのだろう。部屋いっぱいに響き渡る。そして、
「このたび武道の~、必修化~」
「いきなり現場は~、大混乱~」
「お上がわれらを~、振り回す~」
「かましてやりたい~、上手投げ~」
 …唖然としてしまった。
「こ、これ、何なんですか?」
おそるおそる聞いてみた。
「ああ、これは相撲甚句と言ってな。力士の間では昔から、思ったこととか世の中の出来事とかを今みたいな具合に歌うという伝統があってな。相撲教習所のれっきとした科目にもなってるんだ」
なるほど。ではこれも相撲のなかの一つと言っていいわけだ。
「これなら道具もいらないし、怪我もしないだろ? 伝わってきている歌詞はいくつもあるけど、今みたいに歌詞を自作するのも面白いだろ? 世の中を風刺する感じもよし、日々の出来事を綴ってもよし、恋愛なんかも悪くないわな、皆そういうお歳ごろだろう」
と笑う先生であるが、私はあることに気がついた。
「あの…これって…」
「どした?」
「確かに道具いらず、怪我とも無縁ってことでいいことだと思うんです。ただ…」
「ただ?」
「これ、体育というより、音楽か国語の授業ですよね…」

 いや一応土俵入りとかも試したのだぞと渡辺先生は言う。単純に四股を踏むだけでも結構な体力を使う実感があるので、雲龍型にしろ不知火型にしろ極めようと思えば相当いい運動であると。実戦だって投げ技や張り手を禁止すればそんなに危なくない。
「ただなぁ…」
難色を示した先生がいるらしい。さっき体育館で模擬取り組みをやっていたのだが、
「どうせなら本格的にやったほうがよくね?」
という御代田さんが体育館に置いてあった麻袋を両手で掲げて、いわゆる「懸賞」を始めたのだそうだ。そのうちいろんな子が悪乗りを始め、行事の声真似とか、解説者の物真似とか。もうこれは授業ではないと、それを見ていた他の先生方に怒られたという。
「普通にやればいいじゃないですか。それなら文句言われないんじゃないですか?」
と私は言ったが、高原先生が言うには、
「でもそうするといまいち物足りない気はするのよね~。今までやってきたどれもそうだけど、やっぱり制約があるのは教える側としてもね~」
それに部員のみんなが口をそろえて言うには、
「いったんハメを外すと、普通にやっても面白く無い」
 そのあと全員揃って考えこむ。これで指定の三種目はすべて試したことになるが、どれも決め手に欠ける。
「…やっぱり生徒ちゃんたちが楽しいのが一番なのよね~。いやいや授業受けられるのは嫌なのよ~」
それは同意する。私だってどうせ授業をするならそうありたい。でもいままで試した三種目のどれも…となると…。
 あれ? これって絶対この中から選ばなければいけないんだっけ? と思ったそのとき。
「あ、先生?」
声を発したのは嬬恋さんだ。もしかして私と同じことに気づいたのだろうか。
「あたし昨日、おうちで妹とかと話したんですけど、空手や合気道ってリストに入ってないじゃないですか。でも」
そう、あのときは誰も気づかなかったけど、資料をよく読むとあることに気づくのだ。
「調べたら、例えば沖縄だと空手もアリなんですよね」
 そう。柔道・剣道・相撲の三択というのはあくまで原則。なのでもしその地域性を色濃く反映した武道が他にあるならそちらを選択しても構わないのだ。
「ああ~、そうだ~、忘れてた~」
高原先生が叫んだ。

 「フェンシングとは盲点だったなぁ」
渡辺先生が腕組みしながら言う。体育館にズラッと並んだ全身白ずくめで面を被った生徒が、合図に合わせて一斉に剣を前に突き出す。
「知ってたか? この剣の先って実は尖ってないんだぜ。安全だろ? 実際の試合だとここに電気を通して、身体の有効な部分をキチンと突くと知らせてくれるんだ」
確かに。自分が思っていたイメージとは違う。先生の監視のもとであれば試合形式も可能だろうし、ましてや練習だけなら体育の他の科目よりも安全なくらいかもしれない。
「まぁ防具がキチンとしてなければ危険だが、完璧に揃っているしな。リスクを備えたスポーツだからこそそれに対処する術が発達したといえるかもしれんが。そのへんは日本の武道も学んでいいところかもしれん」
ふむふむ。実際先生の言うとおり、全員が頭のからつま先までキッチリとフェンシングのユニフォームと防具に包まれている。白を基調としたそのスタイルは凛々しくて清純なイメージがある。それにしても…。
「これ、どうやって集めたんですか?」
一式揃えるとおそらく相当な値段がするだろう。剣道の防具だって倉庫の奥から引っ張りだしてきたというのに、結構綺麗なものが一式、しかも家庭科部全員に貸してなお余りあるくらい。
 すると一人の人が面をとってこちらにやってきた。高原先生だ。というかフリフリのお洋服以外の格好を始めて見た。
「ゆうべ思いついてね~? 生徒ちゃん全員に連絡網で回したの~、フェンシングの用具余ってたら寄付してくれると嬉しいです、って~」
「昔やってた人が使わなくなったのを持ってきてくれたりしてな。あと三年に屋代ってのがいてな、生徒会長もしてるんだが、家が会社をやっていてな。実業団のフェンシング部があるからそこからお古をいただけたよ。トータルでクラス一つ分に十分余るくらいあるぞ」
渡辺先生が説明してくれたけど。でも、ええっ? そんな簡単に皆さん応じてくれるものなの? あと持ってる人がそんなにいるものなの? というか…。
 「そもそも、フェンシングって武道なんですか?」
でも渡辺先生の回答はゆるぎなかった。
「だって、資料にあったろ? 地域の事情に合わせて挙げられた三種目以外を選択してもよい、って」
「でも、いくらなんでもフェンシングは…」
「そこはこの村の歴史が関係してる。明治のころに外国人の別荘地として開けた村だし、その時期が長かったんだ。ほかと違って交通が不便だから大手のリゾート開発みたいのが無かったんだな。おかげで外国の文化が早くから入ってきてそのまま定着したんだ」
さすがは歴史を専攻していただけあって、この村についても詳しい。でもそれで私は納得しきれなかった。
「だからフェンシングも昔から盛んだったってのは分かります。でも武道かって言ったら果たしてどうなんでしょうか…」
「武道なんだよ。この村では」
キッパリ言われてしまったが、理由を聞くと納得が行った。西洋のスポーツがまっさきに入ってきたので、むしろ剣道や柔道は後発なのだそうだ。だからもっぱらフェンシングが武道の役割を果たしてきたのだという。
「な? この地域の特性に配慮してるだろ? そうだ、家帰ったらインターネット百科事典で、武道、って入れて調べてみるといい。こんなのまで武道? ってびっくりするぞ」
ちなみに先生の言う通り、あとでインターネット百科事典の「武道」の項目を見てみたら本当に多岐にわたっていて、ああこれならフェンシングも入れていいなと納得した。

 練習をひと段落させた生徒たちが続々とこちらにやってくる。一番心配だった嬬恋さんが、私のそばにやってくると面を外した。汗が飛び散り、金色の髪と相まってキラキラと光る。
「楽しい!」
心底そう思っているようで、満面の笑顔だ。おそらくこの防具も彼女のツボだろうと思うし、楽しんでいるのが何よりだ。
 「嬬恋は、運動のできない自分が誇りなんだよ」
「なんでですか?」
渡辺先生の一言は、にわかに信じがたいものだった。
「運動ができないのは、女子になろうと努力した証。そう思っているんだろう。実際、あいつの女の子らしい部分ってのは、自分から努力してなったものも結構あるしな」
それは意外だった。無理やりやらされているとばかり思っていたから。
「まぁ人からやれと言われたものを素直にやるタイプだから、必ずしも自分から進んでやってるとも言い切れなくて難しいけどな。もっともフェンシングについては乗り気だと思うぞ? あいつは村のことを愛しているから、村で盛んなスポーツに触れられて喜んでいるはずだ。あれでスキーは得意なんだし。雪国の子らしいよな」
 なるほど。でもそれはそうと。
「それにしても、なんでいきなりフェンシングのこと思い出したんですか?」
私は高原先生に聞いてみた。
「あ~。実はね~?」
脇にいた女子生徒二人の肩に手を置いて先生が答えた。二人ともにこやかに、先生を慕うような目をしている。そういえば、なんとなく剣の持ち方とかが慣れている感じがするし、着ているユニフォームに名前が入っている。
「私、フェンシング部の顧問なの~。人に言われるまでは自分の部と授業が結びつかなくて~。この子達も部員なの~」
 ずるっ。
 高原先生の天然も相当なものだ。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第二話

 中学校での武道必修化。春先ぐらいには随分メディアでも騒いでいましたが、いざ実施されてみると報道がさっぱり止んだ感がありまる。正直どうかと思っています。実施されてからこそどんな問題が起きているのかを報じる必要があると思うのですが。
 国は国で、見切り発車のリスクは高いと思います。大きな事故が起きてから見直しを図るのなら手が遅いです(この場合「スポーツには危険がつきもの」というのは詭弁だと思います。犠牲の多い道と少ない道のどちらも選べるのにあえて前者を取るのは賢明な態度とは思えません)。
 おそらく賛否両論あるとはは思いますが、僕の意見はおおよそここに書いたとおりです。動きが性急だし、現場の実情を見ているとも思えない。三種目に選ばれた武道をやっている人にしてみれば準備不足でいきなりもてはやされても、って感じだろうし、逆に選ばれなかった武道の種目をやる人にとってはたまらないだろうと思います。
ちなみに作中に出てきた「武道」の定義は曖昧で、ウィキペディアで調べると定義次第ではスポーツチャンバラやスポーツ吹き矢なんてものも含まれるらしいです。もしかしたらこれからもっと増えるのかもしれませんね。
 なおこの問題については神奈川新聞で2012年4月16日から18日まで連載された「スポーツと教育の現場 必修化の波紋」を参考にしました。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第二話

東京からやってきた教育実習生金子あづみは、居候先の天狼神社の巫女である嬬恋真耶と出会う。一見清楚で可憐な美少女に見える真耶であるが、隠された秘密を知ってビックリ! しかもあづみが実習するクラスに真耶もいることがわかって二度ビックリ。教え子と生徒がひとつ屋根の下で過ごすという緊急事態! いやまだ正式な教師じゃないけど。 今年度から中学校での必修化が決まった「武道」。しかし教師たちは柔道・剣道・相撲のうちどれを選ぶかという難題にぶち当たる。ものは試しということで、家庭科部の面々が全面協力してそれらの武道を体験することとなったのだが…。教育問題に一石を投じる、とは思えない問題…というわけでもない一作。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-06-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 7