We are

 凶事の予感に胸が騒ぐ。群れの仲間たちは気づいていない。密集して肩を接し、闇の中で四肢を運ぶ。石畳を叩く無数の爪音が、止まない驟雨のようにつづく。
 月の光も届かない深い森の奥。増え過ぎた魔獣の討伐を終えた我々は、古代遺跡の巨大な石造回廊を無言で進む。今夜もまた、数名の仲間が命を落とした。
 分岐点に差し掛かった時、俺は耐え切れずに立ち止まった。
「どした?」
 俺の尻に頭をぶつけた剣士が訝しげに小首を傾げた。
 そいつは茶色の毛皮にコゲ茶色の甲冑を着けていた。剣技への影響を心配したくなるほどの長毛と垂れ耳だ。群れの証しの黒い首輪も毛に埋もれて見えない。
「何か感じないか?」
 鼻を突き上げた俺はニオイを読みながら訊き返した。仲間たちが次々と脇をすり抜けていく。
 “茶色”が垂らしていた舌を仕舞い、黒い鼻をひくつかせた。
「別になんも……」
 俺は喉の奥で小さく唸った。空気が澱んでニオイに動きが無い。
 だが、何かを感じる。
「寄り道する」
 遺跡の壁に設けられた狭い開口部に鼻面を向ける。これは人間の視力では見分けがつかない。暗色の石灰岩で形成される遺跡群は、夜になると完全に森に溶け込んでしまう。
「んだよ、“虫”か?」
「違う」
 奴らが運ぶ“知らせ”ではなかった。羽音も聞こえない。
「んだら、なんだよ?」
「わからん」
 “茶色”が呆れたように唸って足踏みした。他の仲間たちは先へ行ってしまい、聞こえるのは本物の虫の穏やかな合唱だけだった。
「馬鹿野郎。勝手なことすっと御頭(おかしら)に焼き入れられっど」
「お前がチクればそうなるな」
 横目で“茶色”の顔を眺め、牙を見せる。奴は当惑した様子で地面に尻を落とした。
「今夜は九番のねぐらだな?」
「……んだ」
「夜明けまでには戻る」
 不安げに鼻を鳴らす尨犬(むくいぬ)を置き去りにし、俺は遺跡の内部へと足を踏み入れた。

 そこは幅の広い通路になっていた。天井の高さは人間ひとり分ほど。辛うじて闇を払う距離を保ち、小さな黄色い明かりが壁に並んでいる。消えることのない神の火だ。俺は注意深く歩を進めた。仲間を伴わずに行動するのは初めてだった。いかなる変化も取り逃がさぬよう、神経を研ぎ澄ます。
 外部から吹き込む砂が床から消えた。周辺には風化した骨が散乱し、微かに魔獣の気配が漂っている。生臭い体臭、汚物、そして血のニオイだ。
 突然、足元の敷石が砕けた。黒い塊が飛び出す。俺は一瞬早く振動を感知し、それが触れる寸前で身を躱していた。
 石で石を削るような、神経に障る鳴き声――タマヌキネズミだ。
 俺は鎧に仕込まれた剣を解放した。留め金が金属を弾く快音を発する。背骨に沿って密着していた蛇腹状の刀身が蠢き、真っ直ぐに連なって鞘が開く。鎧背部に固定された金属の腕が伸展し、如意関節に繋がる細身の剣が振り出された。
 宙にある小魔獣に視線を突き刺し、身をひねる。黒鋼の刃が鋭く風を薙ぐ。
 真っ二つになったタマヌキネズミが壁に叩きつけられた。血泥の撥ねる音が響き、赤黒い染みが飛び散る。
 鼻面にしわを寄せて、俺は動きを止めた。気配を窺い、ニオイを吟味する。
 異状無し。剣を回転させ、付着した少量の血と脂を振り飛ばした。鞘に納める。
 タマヌキネズミは地中に掘った穴から飛び出し、上を通る獲物の肉を抉り取る小魔獣だ。人間の腕ほどの大きさとはいえ、革甲冑なら容易に貫通するほど鋭利な円形牙を備えている。
 俺はふたつの口を持つ醜い死骸に一瞥をくれ、鼻から息をひと吹きした。先へと進む。
 行く手はゆるやかに下っていた。幾つかの曲がり角を過ぎ、やがて通路が尽きた。先ほどから強まっていた酸っぱい悪臭の発生地点に着いたようだ。
 壁の端から慎重に先を覗く。石室だった。反対側の壁にも、こちらと同じような通路が見える。遺跡には数えきれないほど石室が存在するが、ここはかなり広かった。床部分は俺の足元から深く掘り下げられている。大型のリュウズキリンが楽に立てるし、五頭は横になれるだろう。
 ただし、床のあちこちには座った犬ほどの大きさの岩が突き出している。実際に寝るのは無理だ。岩の先端は赤黒く染まり、そこそこ尖っている。それに、そこいら中に赤茶色の骨や皮が転がり、気味の悪い黄色い汁が滲む得体の知れない塊が床にへばりついている。虫も多い。激烈な腐臭に鼻が曲がってねじ切れそうだ。
 顔をしかめた俺は小さな唸り声を漏らして天井を見上げた。かなり高い。たくさんの丸い穴が黒い口を開けていた。その真下に例の尖り岩だ。どうやら何らかの罠の終着点らしい。腐肉の間で剣や甲冑が朽ちているのは、それが理由だ。
 その時、俺は一本の黒い糸に気がついた。天井の穴のひとつから伸び、床に向かって一直線に垂れ下がっている。糸を目で追う。右の壁際の暗がり、尖り岩の向こうに黒い影を発見した。
 じっと見つめる。影が微かに動く。俺は目を丸くした。それは人間だった。
 この地域の遺跡群には魔獣を狩るために多くの人間が訪れる。だが、前触れも無く遭遇することは皆無だ。必ず事前に神による“虫の知らせ”がある。我々が人間と顔を合わせるのは、負傷した彼らの救出を命じられた時だけなのだ。つまり、これは完全な異常事態だった。
 また胸騒ぎがした。今度ははっきりと判った。胸騒ぎの原因は、その人間だった。
 俺は石室の底に飛び降りた。深さは人の背丈の三倍はあるが、神に選ばれた俺には何程のことも無い。腐汁を避けてゆっくりと歩を進めながら観察する。
 人間は足を投げ出して床に座り、壁に背を預けている。見慣れた狩人とは異なる格好だった。艶の無い黒トカゲの革らしき物が全身を覆っており、その所どころに小さな黒い板が貼りついている。鎧には見えない。頭部全体を覆う卵のような形の兜と一体になり、継ぎ目は確認できない。胸と腹に黒ずんだ血が固まっているが、傷は見当たらなかった。魔獣の血だろう。
 人間の足元から少し距離を置き、俺は立ち止まった。
「あんた、狩人かい?」
 声を低めて問い掛ける。俺の声は声帯から発せられるのではない。心に思った言葉を首輪が発してくれる。
 人間がゆっくりとこちらに顔を向けた。のっぺりとした面鎧が中心部で割れ、兜の左右に向かって滑るように開いた。
「やっと見つけた」
 溜息のように、穏やかな声を発した。男だった。肌の色は白く、瞳は黒い。微笑を浮かべている。
「何言ってるんだ?」
 俺の声が鼻白む。軽く首を傾げて男の表情を窺う。
「おいで」
 男が左手を伸ばした。手甲が前腕部に吸い込まれ、手首から先が露わになる。
 俺は小さく鼻を鳴らした。踏み出していた右前足を思わず引く。
「なんで……あんた、誰だ? 狩人じゃないのか? ここで何してる? 怪我してるのか?」
 矢継ぎ早に質問を浴びせる。自分で言うのもなんだが、柄にも無く動揺していた。この男の声、そして匂いに何かを感じていた。体の内が温まる思い。これは郷愁というものだろうか。大切なものを失くしていることは知っているのに、それが何かわからない――そんな、懐かしくてもどかしい、不可解な感情が胸に湧き上がっていた。
「おいで」
 男が繰り返した。焦ることも、強要することも無い。目元に笑みを浮かべ、静かに俺を見つめている。
 その瞳に俺が映っていた。血の染みが残る黒い甲冑に身を包み、警戒から尖った耳を伏せ、不信から鼻面にしわを寄せ、金色の双眼に疑念を滲ませる、大きな白い犬――。
 嫌悪感が生まれた。俺の心が、その姿を否定した。不遜で無礼な態度の根絶を望んだ。
 男の体臭が記憶を刺激する。嗅覚が心を強く揺さぶる。早く思い出せと激しく急かす。
 甲高い鼻声が漏れた。俺はもどかしさに足踏みし、爪を立て、地面を掻き、ついに屈服した。
 怖気づいたように尾が垂れ下がる。怖ず怖ずと足を踏み出し、頭を下げる。
 男の手が鎧に触れた。指先が隙間を探り、首に達する。長い指が厚い被毛を優しく掻き分けた。
 俺は目を閉じた。心地良い平穏を覚える。そして深く強い友愛の情。猫なら間違い無く喉を鳴らして身悶えしただろう。
 脳裏に光が生まれた。それは膨らみ、さらに膨らみ、そして、解放された。
「チーフ」
 舌を垂らして呟く。俺は千切れそうに尾を振っていた。
 心を縛っていた悪意の枷は断ち切られた。スティグマ級テレパスのチーフに抗し得る精神操作など存在しないのだ。
「待たせたね。遅くなってごめん」
「気にしないでください。この通り、俺は元気ですから」
 チーフの顔をベロベロと舐め回しながら答えた。補助電脳を経由した思考は言語変換されて首輪から発声される。食べ物を頬張っていても会話が可能だ。
「キミが何を食べてるか心配してたんだ」
 俺はチーフの顔から口を離した。牙を剥き出して苦笑を浮かべる。
「それは訊かないでください」
 ジビエも悪くないが、もう沢山だった。
 ひとしきり再会の喜びを味わい、俺は補助電脳を偽装モードから復帰させた。首輪から発信されている生体位置情報信号を停止して“神の加護”から解放される。
 チーフの体を嗅ぎまわって検分し、スーツからバイタルデータを読み取って体調を確認した。
「脚をやられたんですか?」
「もう痛くないよ」
「気分は悪くないですか?」
「大丈夫だよ」
「よかった。ナノマシンによる手当ては済んでいますが、出血が多かったようです。造血が追いついていませんから、迎えが来るまで休んでいてください」
「わかった。データに無いキマイラに襲われてね。油断してたよ」
「新種が入ったんですね。ハイドスーツにナイフだけでは仕方ありませんよ。軽傷で済んでよかった」
「ほんとにね」
 軽く笑ったチーフは腰をずらして座り直した。
 ハイドスーツは隠密行動用の特殊装備だ。各種センサーの捕捉回避と擬態性能に特化されているため、倍力機構も内蔵武装も無い。
「ハンターギルドはほとんど暴走状態だよ。ハンティングフィールドの周りは武装ガードがウヨウヨしてた。侵入者は生かして帰さない気らしい。それにしても、ここは酷いニオイだね」
 チーフは小さく溜息をついてヘルメットのバイザーを閉じた。
 俺はその横に腰を下ろして頭を上げ、胸を張って警戒態勢に入った。

 ハンターギルドは所有する惑星上で数十のハンティング事業を展開している。このフィールドに於いては、古代遺跡で魔獣を狩るという趣向だ。魔獣は総合生命化学で生み出されたキマイラだ。ほとんどが強靭な身体能力と凶暴性を持ち、様々な品種の中には擬似繁殖能力を有するものも存在する。
 我々犬族はフィールドに応じた精神操作を受け、その余剰キマイラの駆除と負傷したハンターの救助のために使役されている。ただし、これは違法行為だ。
 ハンターギルドは経費の嵩む人間や高価なロボットではなく、知能と身体能力を向上させたBA――ブーステッド・アニマル――に目をつけた。その最も厭らしい理由は、調達が容易だということだった。キマイラとの戦闘で犬が死亡しても、『コーヒーより早く補充される』と吹聴しているらしい。そんな奴らが相手だからこそ、さっきは気楽に生体位置情報信号を切ることができたのだ。
 ハンティング事業は認知されたダークビジネスだった。だが、犬を使い始めたことで完全に反社会性を露呈した。どれほど防諜を徹底しているつもりでも、秘密というものは必ず漏れてしまうものだ。そしてハンターギルドはBAの誘拐にも手を染めた。新規のブースト費用を抑えるためだ。最早ギルドとは名ばかりの犯罪結社に成り下がっていると言ってもいい。
 ギルド連合はこれを看過することはできなかった。多くのギルドで犬が活動しているからだ。古代から人類のパートナーとしての地位を確立した犬族、ひいては他の生物の尊厳をも守る義務があった。そこで白羽の矢を立てられたのが、調停組織に属する俺たちだった。
 俺は他の七チームと共同して一般的なBAに成り済まし、誘拐された犬たちに紛れ込んだ。精神操作を施された上に消耗品扱いされている犬たちの実情を探るためだ。
 俺の首筋に埋め込まれた豆粒大の高機能補助電脳は、誘拐から始まる一連の出来事を現在も記録している。俺の眼と耳がカメラとマイクというわけだ。誘拐された犬は簡易スキャンに掛けられるが、使われているスキャナーは安物だ。偽装モードに入った高機能補助電脳を一般のそれと見分けることはできなかった。
 まずはこの記録を突きつけ、ハンターギルドに去就を迫る。だが、ほぼ犯罪者である彼らは素直にこちらの要件を呑みはしないだろう。

 ハンターギルドとのドンパチを想像していた俺の聴覚が不吉な物音に反応した。尖った耳がアンテナのように素早く動き、左右それぞれが別方向に固定された。
 ひとつは左上方の通路。敷石を固い物で突く連続音が密集している。節足動物系キマイラの歩行音だ。時折立ち止まりながらこちらに近づいて来る。生息域を考慮すると、恐らくタカアシサソリオグモだ。平らな頭胸部は長さ八十センチほどで、棘だらけの八本脚と毒針を備える尾はその倍くらいになる。強力なハサミを二対も備えている上に動きが速いので、群れると厄介な存在だ。
 重なる足音を歩行パターンに照らして推測し、数は五匹と判断した。単独で動いた俺の体臭を追って来たのだろう。タマヌキネズミの新鮮な血も食欲を刺激したようだ。
 もうひとつの音は俺の正面。反対側の壁だ。
 そこには大きな穴があった。幅も高さも三メーターほど。既設のものでないのは明らかだった。打ち砕いて掘り拡げたような穴だ。ギザギザの縁には幅広い溝が無数に確認できる。恐ろしくでかい爪痕だ、という不気味な感想しか浮かばない。
 その真っ暗な穴の奥深くから、熱い蒸気を噴くような呼吸音が近づいて来ていた。空気を嗅ぐせわしない響きと荒々しい唸りが渾然となって俺の耳を打ち、首筋の毛をゾクゾクと逆立たせる。そいつは体臭がキツかった。俺はそのニオイを知っていた。この石室に来た時点で気づいてはいたが、敢えて考えないことにしていた。
 クロコグマという、ワニとクマのキマイラだ。二本の前肢は猛烈な膂力と瞬発力を秘め、四本の後肢で立ち上がると高さは五メーターに達し、鋭く尖った尾の長さは八メーターを超える。顔は殺人狂のクマが殺し屋のワニに近づいた感じで、後頭部にも眼が一対ある。知能が低く凶暴この上ない。まばらな剛毛に縁取られた硬い鱗は、生半可な剣では突き通せない。装備にカネを掛ける上客なら話は別だが、一般的なソロハンターでは到底太刀打ちできない怪物だ。
 俺がこの場所を知らなかったのも頷ける。クロコグマは負傷者の苦痛の呻きと血の匂いを嗅ぎつけ、あっと言う間に平らげる。救助に向かうだけ時間の無駄なのだ。
 岩が爆ぜる音が聞こえ、微かに地面が振動する。長さ五十センチに迫る鋼鉄のような鉤爪が、とんでもない巨体の重量を圧しつけて砕いているのだ。
〈騒がしくなってきたね〉
 チーフが上体を起こしていた。声は出さず、補助電脳によるチーム専用通信を使っている。接近するキマイラへの用心だ。
〈種類は?〉
〈左上方の通路からタカアシサソリオグモが五匹、前方のはクロコグマです〉
〈あのデカい奴かい? 参ったね〉
 チーフは静かに頭を振った。
〈もう動けますか?〉
〈大丈夫だよ〉
〈セイブルが早く来てくれると助かるんですが〉
 俺はもうひとりのチームメイトの名を口にした。チーフが俺と接触したことを確認し次第地上に降り、負傷者が出れば退路確保に当たるという手筈になっている。
 チーフが静かに立ち上がった。百九十センチを超える長身は細身だが、スーツの下には格闘に長けた鋼の筋肉が隠されている。その両大腿の後ろに、ナノマシンがスーツを補修した痕が見えた。黒ずんだ血と泥もこびりついている。痛々しくて自分の身を切られる思いがした。
〈いま、どの辺かなあ〉
 伸びをしたチーフが呟いた時、返事が来た。
〈お急ぎですか?〉
 真面目そうな男の声。セイブルだ。
〈あとどれくらいで来れる?〉
 俺の質問に勿体ぶった口調で答える。
〈アクティブ系のスキャナーを使うと彼らにバレますし、思いのほかキマイラが多いので……〉
 フィールド内はハンターによる不正を防止するため、電子機器使用に対する監視と妨害が行われている。
〈大体の距離くらい判るだろ〉
〈電脳通信波は隠匿性は高いのですが、妨害波を回避させるとフォローが不安定になるので……通信強度から推測すると、直線距離で千メーター弱でしょうか〉
 俺は思わず小さな唸りを漏らした。
〈急げよ〉
〈もちろんです〉
 セイブルは足が速い。それが現時点でこの距離ということは、連絡用航宙艇まではかなり歩くことになると予想される。俺は負傷しているチーフの顔を見上げた。
 目で笑ったチーフは肩をすくめ、腰の後ろに右手を廻した。高周波ナイフの黒いグリップを握り、シース・ジョイントから刃渡り二十五センチのブレードを引き抜く。まだ起動はさせない。
〈クモは手強いかい?〉
 前方の穴を見つめながら俺に尋ねた。
〈そうでもありません〉
〈じゃあ、先制〉
 指令が下った。
 俺は即座に身を翻した。腐肉を避けてジグザグに走り、床を蹴る。強化された筋肉が鎧を着けた体を高々と跳ね上げた。一般BAよりブーストレベルが高い俺には、六メーターの高さなど障害にならない。
 キマイラの迫る通路に飛び込み、剣のロックを解除する。脊椎部分に添っていたフレックスソードが連結し、カバーが割れて黒いショックブレードが露出する。刀身の基部に接続された電脳制御型ロボティックアームが伸展し、風切り音が暗がりを走る。
 角を曲がると同時に戦闘が開始された。キマイラの群れが一斉にハサミを振り上げる。鋭い鋏角から毒をしたたらせ、体を揺すって威嚇音を発する。黒ガラスのようなクモの眼に壁のライトが反射し、死のニオイのする通路を場違いな美しさで彩った。
 両刃の剣が唸りを上げ、通路の空気を縦横に裂く。アイスピックのような毛が植わったサソリの尾を分断し、突き出されるハサミを砕く。長い肢を斬り払い、角化したクモの体を蹴り潰す。振り回される毒針を躱し、俺は冷静に、しかし素早く奴らを始末する。
 毒を含んだ粘つく体液を振り撒き、最後のキマイラの残骸が床に転がった。通路に満ちた苦い悪臭が鼻腔を刺激する。
 剣を仕舞った俺はざっと体をチェックした。白い毛皮に体液の付着は無い。上出来だ。通常任務の戦闘時にはファングスーツを着用して牙を使うのだが、いつの間にかこの剣の扱いにも慣れてしまっていた。
 その時、石室で爆発的な咆哮が生じた。音が衝撃波となって通路に雪崩れ込んで来る。
 俺は唸りを上げて床を蹴った。あっと言う間に通路の端に達して急停止する。爪が敷石を削った。
 壁の穴からクロコグマが上半身を突き出していた。太い前肢で床の腐肉を踏み潰し、鱗で鎧った筋肉質の上体を持ち上げている。真ん丸に見開かれた爬虫類の眼が、前方に立つ人間を無表情に凝視していた。
 対峙するチーフは右手のナイフを軽く握り、両手をブラリと下げている。両足を肩幅に広げ、完全にリラックスしているように見えた。高周波振動機構のハミングが聞こえない。この時点でもまだナイフを起動していなかった。冷静なのにも程がある。
 黙然と立つ人間から目を離さず、クロコグマが慎重に穴から這い出した。長い尾のほとんどが穴の中に残っている。
 両者が見つめ合い、その場に束の間のストップモーションが掛かった。
 次の瞬間。
 クロコグマが四本の後肢で仁王立ちになり、身の毛のよだつ咆哮を破裂させた。
 すかさず俺は宙に顎を突き上げ、凄まじい恫喝の遠吠えを噴出させる。
 突進しかけたクロコグマが二の足を踏み、こちらに顔を向けた。幾重にも植わった無数の牙を剥く。が、すぐに最初の獲物へと視線を戻してしまった。
「くそっ!」
 全身の筋肉をバネと化して俺は跳んだ。剣を振り上げ、巨大なキマイラ目掛けて放物線を描く。
 その時だった。石室に鋭い爆音が響き、チーフの前方、五メーターほど先の尖り岩が粉々に砕け散った。岩のあった場所、土埃の中に黒褐色の影が蹲っている。そう認識した刹那、影が消えた。
 石室に旋風が生じ、舞い上がった砂塵が渦を巻く。高周波帯域の風切り音が俺の聴覚を鋭く貫いた。加速機構による亜音速行動――セイブルだった。空気抵抗を考慮した、細身で滑らかな機体を持つ高機動アンドロイドだ。天井の穴から飛び込んできたらしい。
 と、出し抜けにクロコグマの頭部が消失した。間近で起きた破裂音と急激な気圧変化で耳鳴りがする。ソニックブラスターと呼ばれる流体応用兵器だ。セイブルの両前腕に仕込まれている。さっきの尖り岩も、これが生成する猛烈な多重衝撃波で粉砕されたのだった。
 頭部を失ったクロコグマの巨体はまだ立っていた。頭のあった場所に粒子の粗い赤い霧が漂い、首の破断面からはまだ止まらない拍動と共に血が吹き出している――。
 わずか二秒弱。俺が宙を跳んでからここまでに掛かった時間だ。
 剣を構え、標的に定めたクロコグマの頭を狙い、俺の体は急速に落下していく。だが、今そこにあるのは気味の悪い赤い霧と血の噴水だった。
 俺は耳を伏せ、目と口をしっかりと閉じた。

 パウダークリーナーとサウンドシャワーでは満足できなかった。清潔になったことはわかっている。ニオイも残っていない。しかし、これは気分の問題だ。温水シャワーなんて贅沢は言わない。池でも川でもいい。いますぐ水浴びをしたかった。
 ギルド連合本部へ向かう狭い機内。割り当てられた待機室で俺は不貞寝を決め込んでいた。
 セイブルに文句を言う筋合いではないし、言っても無意味だ。あいつはやるべきことをやった。正しい判断だ。たまたまタイミングが悪かっただけだ。俺の。
「なんてことない。水浴びさえすれば気は収まる。本部までの我慢だ」
 あくびをしながら自分に言い聞かせた。
 ディセプション・ジャンプ――航路短縮推進――に入る前に、ディスプレイモニターに映る狩猟惑星を眺める。
 仲間と共に数週間を過ごしたフィールドは、まだ暗い夜だ。
『夜明けまでには戻る』
 “茶色”に告げた言葉が脳裏に蘇った。
 心の声が首輪から漏れる。
「我々が戻る時まで無事でいろ。お前たちを必ず家族の元に――」
 唐突にモニターがブラックアウトした。誓いの言葉が断ち切られる。ジャンプに入ったのだ。
 不意に、フィールドでの魔獣狩りの記憶が蘇った。
 凶暴で強力なキマイラ。不潔で粗末な生活環境。支えは仲間たちを結ぶ同族の絆と、人間を救い貢献するという誇りだけだった。ブーストレベルが高く戦闘訓練経験のある俺でさえ、過酷という言葉の意味を噛み締めた。あそこは、野性を忘れかけた都会の犬が長生きできる場所ではなかった……。
 モニター画面の暗闇を少しの間だけ見つめ、俺はまぶたを閉じた。

(了)


オチ2

 ジャンプに入った数分後、待機室にセイブルが現れた。灰色の作業用ツナギを着ていた。出入口に立って落ち着いた声で尋ねる。
「いいですか?」
「入りな」
 セイブルは床で腹這いになった俺の正面に座り込み、立てた右膝を抱えた。俺の顔を覗き込む。
「怒っていますか?」
 俺は組んだ前脚に置いていた顎を離し、頭をもたげた。軽く首を傾げ、アンドロイドの凹凸の無い顔を見つめる。
「そんなわけないだろ」
「よかった」
 神妙な顔のセイブルが安堵の声を漏らした。体表を覆うナノマシンが顔面部で笑顔を作る。
「でも謝ります。あなたの行動に対する配慮が欠けていました。今後は気をつけます」
「べつにいいさ。お前はチーフのことを第一に考えてりゃいい」
 俺は顎を前脚に戻した。思わず鼻から溜息が漏れた。
「どうかしたのですか?」
「何が」
「元気が無いように見えます」
「そうか?」
「はい」
 俺は黙った。胸の中のもやもやしたものを吐き出したかったが、そうすることに意味があるのかどうかわからなかった。そうしていいのかどうかも、わからなかった。
 一分も黙っていただろうか。セイブルが口を開いた。
「話してください。ストレスが溜まると体調を崩します。誰かに話せば気が楽になると、人間は言います。わたしもそう思います」
 俺は片方の眉を持ち上げてアンドロイドの顔を見た。
「電気アタマにわかるのかよ」
「ハッハー!」
 セイブルが陽気な声を上げた。俺に対して上体を斜(はす)に向け、からかうように両手で指をさした。
「さあさあ、遠慮しなくていいです。わたしは人間ではありませんから。気を遣わずに、なんでも話してください。不適切な発言をしてもチーフに告げ口などしません。わたしが嘘をつかないことは知っていますね?」
 俺はセイブルから目を逸らした。真っ暗なモニター画面に視線を据えて考える。
 確かにアンドロイドは自己判断で嘘をつかない。秘密だと言えば、会話の内容を他者に洩らしたりしないはずだ。誰かの噂話をしているところを見たことも無い。それに、相手は機械だ。気兼ねする必要なんか無い――俺は、生まれて初めて犬としての疑問を口にする決意をした。
「俺たちは……犬は、人間のために働くことに誇りを持ってる。チーフが喜べば、俺も嬉しい。だけど、犬を物として扱う人間は絶えない。ブースト技術のお陰で意思疎通が可能になって何世紀も経ってるのにだ。俺たちが人間じゃないからか? 毛だらけの四つ足だからか? そりゃあ、世界が人間用に作られてるのはわかるけど、それにしても……」
 俺はひと息に喋った。もっとも、首輪の発声機は息継ぎをしないが。
 セイブルは微笑を浮かべてじっと聞いていた。そして何度かゆっくりと頷いた。
「人間に隷属するのはもう我慢できませんか? 何もかも人間の言い成りの、奴隷のような境遇にはうんざりですか?」
 俺の喉から驚愕の唸りが漏れた。
「なんて言い方するんだよ。犬が奴隷扱いされてるなんて言ってないぞ」
「でも、あなたに人権はありませんよ?」
 アンドロイドから突きつけられた言葉に、俺は激しく面食らった。
「ブースト技術によって人間と同等の知能と長寿命を獲得しても尚、あなたは“動物”なのです」
 頭の中に様々な思いが渦巻いた。人間に向ける愛情、人間から受ける愛情。忠誠を誓った人、虐げられる仲間。現実は一向に変わらない。犬である自分が変えられるのか。何かできることはあるのか。この“人間の世界”で、“動物”として生まれた自分に、一体何ができるというのか……。
 沈黙がどのくらいつづいたのか、よくわからない。セイブルの声で俺は現実に引き戻された。
「人間になりたいですか?」
 咄嗟に言葉を返せなかった。なんの話をしているのか、すぐには理解できなかった。
「少なくとも、毛だらけの四つ足からは抜け出せます」
 相手の正気を疑いたくなる言葉だった。牙を剥いてアンドロイドを睨む。
「電脳がショートしたのか?」
「ハッハー!」
 セイブルはまた両手で俺を指さした。
「あなたの脳をヒューマノイド型のボディーに移植するのです。あなたはブースト処置を受けて二十年を過ぎていますから、充分に論理的合理的思考が可能です。人間の行動を熟知していますから、身体構造の差異に順応するのにも長くは掛からないでしょう。本能の抑制対策も用意されています。ボディーは生体、機械体、ハイブリッド、好みのタイプを選べます。どれにしますか? もちろん、あなたの野性に合わせて筋出力や神経系の反応速度を調整可能です」
 俺は目を見開いて生唾を呑み込んだ。何も言えなかった。目の前のアンドロイドが、本当にイカレたと思った。
 身じろぎもしない俺を見てセイブルが肩をすくめる。
「すみません。驚かせてしまいました。でも本当なのです。いま言った処置は可能なのです。ユニバーサルボディーと呼ばれる人造人体システムにヒト以外の生物の脳を移植し、順応させる技術です」
 両腕を広げてつづける。
「わたしの体がそうです。わたしはアンドロイドではありません。この機体はサイボーグ体です。ここには生体脳が収められているのです」
 指先で頭をつついてみせた。
「何言ってんだ。お前は連合の支給品だろ。そんなすり替わりができたら、外部から侵入し放題だろうが」
「仰る通りです。でも、強力なテレパスが絡んでいたら? 可能です」
 俺の口が半開きになった。だらりと舌が垂れる。
「チーフが?……そんなこと、あるわけない」
「わたしがサイボーグだということは、今回のミッションを振り返ればある程度証明可能です。あなたとチーフが接触した際、どうやって高高度で待機するわたしに座標を知らせたと思いますか? 強力な妨害波を抜くほどの出力で交信したら、ハンターギルドに気づかれてしまいます。でもテレパシーなら安心です。そして、テレパシーは生物にしか感応できません」
 セイブルはまた頭をつついた。
「そういうことです」
 俺は混乱した。言葉を失った。微笑しつづけるアンドロイド――いや、自称サイボーグの顔を凝視する。
「心を静めて、ゆっくり考えてみてください。あなたがその気になれば、チーフも喜んでくれるでしょう」
 待機室を去ろうとするセイブルを追って、俺は思わず立ち上がった。
「ちょっと待て。なんでこんな話をした。おい!」
 出入口の前でセイブルが立ち止まり、振り向いた。
「我々には強大なバックがついています。ギルド連合よりも巨大な組織が掲げる理念に賛同し、我々は動いています。人権に並ぶ、知的生命体の社会的地位確立……実現させたいとは思いませんか?」
「お前……冗談だろ。本気で言ってんのか? 冗談だよな?」
 無言で肩をすくめるセイブルを前に、首筋の毛が逆立った。鼻面にしわが寄り、無意識に牙が剥き出される。抑えきれない唸りが漏れる。
「お前、なんなんだよ……」
 両手を広げたセイブルが満面の笑みを浮かべた。
「信じられないかも知れませんが、わたしはチンパンジーです」

(了)

We are

2016.07.18 改稿

We are

9205+2824字 / 2016.07.13 投稿 / 2016.07.18 改稿

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-13

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