うつしえと ことのはと

九州の地で独り暮らしを始めて一年。
自分なりの愉しみを探し、あちらこちらへと出かけたり、
身近な処に愉しみを見出したり・・

絵心があるわけでもなく、写真が趣味というわけでもないが
目に映るものをカメラに収め、自己流で韻文や散文を付けたものが
次第に積み重なっていく。

それもまた愉しみな日々として歳を重ねている。

「蒼空と碧の山と続く道 暑気を切り裂くエキゾーストノート」

「蒼空と碧の山と続く道 暑気を切り裂くエキゾーストノート」

「蒼空と碧の山と続く道 暑気を切り裂くエキゾーストノート」
20150726 阿蘇


カルデラという地形をご存じだろうか。 火山活動で地下のマグマが無くなり空洞化したところに、上部が落ち込んで作る地形の事だ。その代表的な地形が九州にある。 阿蘇だ。

学生時代にそちらの関係の学問をかじった私にしてみれば、阿蘇とエアーズロックは、憧れの場所でもあった。 一方で、三好達治の「大阿蘇」でも描かれたような草千里の風景というのも、また憧れだった。
という事で、思い立って阿蘇まで出かけてきた。

中津から耶馬溪を過ぎて日田までの国道212号線は、山の中のワインディングロードだ。台風も近づき、天候もどんな変化をするのかも解らない。曇り空から時折ぱらぱらと雨粒が落ちる事もある。
でも、視線を上げると、進行方向には青い空が見えている。
頭上は雲でも、その空の一角の青い部分だけを信じて、バイクを走らせる。

日田の街を過ぎて、「水辺の郷おおやま」という道の駅で一休み。天然物の鮎を焼いて売っているので、思わず手が出る。
この先も阿蘇まで、R212はつながっている。この道は昔、日田往還と呼ばれた街道だったらしい。やけにバイクが多いと思ったら、日曜日だった。
普段、世間の休みに関係ない仕事をしていると、こんなところで世間とのギャップを感じる。

峠道を途中のダム湖等を眺めながら、阿蘇に向かって走る。
バイクの調子には若干不安があるが、アップダウンのあるワインディングをエンジンの回転数をトルク域にキープしたまま、こまめなシフトチェンジで走ってみたりもした。昔の勘が少しずつ戻って来るような気もする。

県境を過ぎたのは気付かなかった。
「阿蘇くじゅう国立公園」という看板が有る辺りから、周囲の風景が変わる。周囲が見渡す限りの草原になるのだ。私が知る限りでは、長野県、美ヶ原のビーナスラインの風景が一番似たものだろうか。

やがて、外輪山の中の展望台に着く。目の前に広がるカルデラの風景。壁のような外輪山の連なり。周囲は道路以外、一面の草原。想像通りの風景がそこに有った。しばし、風景に圧倒され佇む。

カルデラの中に降りて行くと、普通の街並みや田園風景が広がる。世界にはカルデラ地形は多くあり、湖になっていたりすることも多いが、阿蘇のように、内部に普通の街が作られ、鉄道まであるのは珍しいという話だ。

中岳にも登って、草千里辺りも観たかったのだが、どうやら天候があやしい。中岳の頂上付近は雲に隠れている。ここまで来た事で満足して帰路に向かう。

途中、阿蘇神社という看板を見たので寄ってみると、大きな門を構えた立派な神社。周囲の観光客は日本語以外の言葉で話してる人も多い。ぱらぱらとお天気雨も降って来るが、濡れる程では無い。
売店で水を買って一休み。ベンチで休んでいると隣に座ったおばちゃんが話しかけてくる。姫路から来たそうだ。

ここから「やまなみハイウエイ」というルートで、湯布院・別府方面に向かう。久住辺りで給油。もう朝から150km以上走っている。燃費を計算したら22km/L位だった。

途中、湯布院の手前付近では通り雨に合う。シャツの前面が濡れた程度で、ジーンズのポケットの携帯は大丈夫だったが、ヘルメットの下の喉に当たる雨粒が痛い。 対向車は濡れていないし、ワイパーもまわしていないのに、路面が濡れて雨粒が落ちてきている不思議な状況だ。

湯布院インターの直前の道の駅で休憩。そこからは高速道路で一気に中津に帰還する。
走行距離は250km。8時間ほどの道程だった。

夕食は湯布院の道の駅で買ってきたシイタケの天婦羅で天ざる蕎麦にした。


〈ちょっとしたことから、20年以上ご無沙汰していたバイクに乗る事になった。そうなると、むやみにあちらこちらに走りに行きたくなる。季節は夏。雨を気にしながらも、単独での走りを楽しんだ季節だった。〉

「コスモスの群れを吹きゆく風の音に 懐かしき人想う秋の陽」

「コスモスの群れを吹きゆく風の音に 懐かしき人想う秋の陽」

「コスモスの群れを吹きゆく風の音に 懐かしき人想う秋の陽」
三光コスモス祭り 2015年10月21日


平日のお休み。
まあ、平日だろうが週末だろうが、独身生活にはそれほど関係は無い。友人が大勢居たり、ライヴの予定が有れば良いのだろうが、まだこの街で暮らし始めて三か月。そう暇をつぶしてくれる相手も居ない。

地元のローカルFMを聞いていると、近所で「コスモス祭り」というのをやってるという話。天気も良いし、ちょっと出掛けてみた。

西日本最大級。約17haに1,500万本のコスモスを栽培します。
という事で、どんなものか期待して行ってみた。
休耕田をコスモス畑にして、観光客を呼び込もうという企画らしい。確かに、見事なコスモス畑だった。

コスモスで絵を描いたり、メインステージでイベントをしたり、それなりの企画はしているんだが、櫓に登っても絵がはっきりと見えなかったり、イベントも地元中学校のブラスバンドの演奏程度で企画としては残念な部分も多く思えた。

花は花として、その姿を愛でるだけで、良いのではないだろうか。
群れを成して咲き誇る花は、人の思惑など越えた姿で、そこに来た人を魅了していた。

「風に咲く花びらの名前を知らない
名も知らぬ花のように人は産まれ生きてる」という、
Lycoちゃんの唄った曲のフレーズが、ふと頭に蘇った。



〈こちらに来てから、テレビもラジオも無しの生活だったのだが、しばらくしてラジオを買った。正確に言えば、CDプレーヤーが壊れたので買い替えたものがラジオ付だったのだ。
山梨に居た頃も、どちらかと言えばテレビよりもラジオを聴く生活習慣だった。日々の暮らしのBGMはFMフジが流れていた。
ところが中津という街に来て、車のFMチューナーをまわしてみたがNHKFMでさえ入らない。これでは駄目だと諦めていた。しかし、新しいラジオでもう一度試みた処、地元のコミュニティFM局がある事が判った。どうやらアンテナをきちんと伸ばして受信しないと入らない程度の出力だったらしい。
地元の局だから、盛んに地元で開催されるイベントの情報などを流している。
これ以降は、そういう情報につられるようにあちらこちらに出かけるようになった。
コスモス祭りもそんな中のひとつだ。〉

「ひたすらに南を目指し走り来て 岬の涯に野生馬を見る」

「ひたすらに南を目指し走り来て 岬の涯に野生馬を見る」

「南国の海よお前は解るまい 独り南を目指す心を」
「ひたすらに南を目指し走り来て 岬の涯に野生馬を見る」
20151103 日南海岸 都井岬


九州は、南北が300km、東西が250km程の島だ。
その島を、大きいと思うか、小さいと考えるかは人それぞれだろう。
その島の東岸に、国道10号線という道路が南北に延びている。
私はそれを走って、南の端まで行ってみた。

無意味だとか無駄だとか思う人も居るかもしれない。
でも、その距離を実感するには、自分自身で実際に走ってみるしか方法は無い。

この地で単身の生活をしていると、どこかに出かけるのも自由だから、
昔、学生時代のちょっとした放浪癖が蘇ったのかもしれない。
待つ人のいない部屋には、束縛も無い。


スタートは大分駅に近いホテルだった。
前夜にバンド仲間と一緒に呑んだので、大分に泊まったのだ。
南へ向かおうと思ったのは、中津よりも時間にして二時間程
先行出来るという理由も有った。

10号線は、大分市を出ると南へ向かう。
山梨県人の私にしてみれば、海は南に有り、河は北から南へ流れるというのが
生まれ持った感覚だ。海を背にして南下するというのは、どこか違和感がある。
また、常に方位が解る盆地に育った者としては、ちょっと移動すると
周囲の山の形が変わり、どちらを向いているのかも定かでは無くなるというのも、
不安定なものだ。

市街地を離れしばらくすると、竹中という地名が見えた。
私と同年代なら知る人も多いだろうが、昔、「かぐや姫」というフォークグループがあった。そのリーダーの南こうせつが、この竹中の出身で、「ひとりきり」という曲の中で「トンネル越えれば竹中だ」と唄っている。10号線をしばし離れて、そちらに寄り道。大野川の対岸にある竹中は、名前の通り竹が多く、唄われていたような田舎の地だった。竹中駅は豊肥本線の無人駅で、二両編成くらいの電車が似合いそうだ。


10号線は、大分市を出ると大きく左に曲がり、佐伯に向かう。そして今度は日豊本線と並行して、山間の地区を縫うように走り、やがて県境を越え、宮崎県の延岡へと入る。
国道と線路は時折交差するが、それは踏切などでは無く、国道の頭上を線路が越えたりする。自然の地形を生かした立体交差だ。
紅葉の始まった季節に、ある樹は見事に紅葉し、別の樹は緑を残しと、色とりどりの風景の中を、山中のワインディングロードを走る。
この道は、学生の頃によく走った19号線の松本から長野への区間を思わせる。
あの頃は友人に会う為にそこを走ったが、今は誰かに会うためでも、どこか目的地があるわけでもなく、ただこの道を走っている。


県境を越えて最初に見かけた人家は、普通の住宅だった。
山梨などでは、県境は峠の場合が多いから、大抵は峠の茶屋などのような
ドライヴインがそこに在るが、こちらでは峠らしい峠も無く、単に一つの集落と
隣の集落の境界線が県境となっているのだろう。

延岡に入ると、標高表示の看板が目に入る。
3mや4mの標高だと、「標高」というより「海抜」という言葉の方が似合う気もする。
そう言えば、こちらでは道路を走ると峠などに「標高180m」などと表示が出ている。山梨などでは、標高を示すほどの峠と言えば三桁ではなく四桁になるから、それと比べると、可愛いような面白いような気もする。

延岡の市街を抜けると、やがて左手に海が観えるようになる。海を持たない街に育った私にとっては、非常に羨ましい環境なのだが、ここに住む人には当然の事なのだろう。私が、自宅の庭から富士山が見えると言うと、こちらの人達は驚き羨ましがるが、それと同じだろう。


距離感は、経験と感覚で人それぞれ異なる。
こちらに住んで先日山梨の友人に言われたのは、「阿蘇が噴火したけど、お前の処は大丈夫か?」という言葉だった。熊本の阿蘇から大分北部の中津までの距離感が無く、九州を一つの点としてとらえた感覚だろう。
「木曽御嶽が噴火したから山梨は・・」「浅間山が噴火したら東京は・・」などと言えば、「そんな事は無いよ」と笑うのだろうが。
そして同じ距離でも、経験の違いで感じ方は違う。
高速道路で「あと100km」というのを、「遠い」と思うか「あと一時間くらいだ(簡単な距離だ)」と考えるかはそれぞれだ。
また、自分の足での歩きでも、マラソンランナーの残り4kmと普通の人の4km先の目的地では、感じ方は大きく異なる。

延岡を過ぎた辺りに、土々呂という地名がある。漢字で書くと普通だが、ここの看板にはカタカナの地名表示が目につく。「トトロ病院」「トトロ幼稚園」等だ。
もちろん、ジブリのアニメを意識した表現なのだろう。誰もが一度は思いつくそれを、実際に表記しているのが微笑ましい。


宮崎まで行って、そこに何が有るのだろう。
宮崎という県は、なぜか親近感が持てる。どこか山梨に似ているように思える。
有名な知事が「どげんかせんといかん」と言って一時期ブームになったが、その言葉が逆に宮崎という県を表しているような気もする。
九州のメインと言えば福岡だろうし、観光などでは長崎や熊本の方が派手だろう。
東京という都会と長野というリゾート地の狭間の、山梨に似てはいないか。
「どげんかせんといかん」という事は「どげんもならん」とも取れる。
「長閑な田舎」のイメージを払拭は出来ないだろう。


宮崎市内に入って、日南という表示が出る。10号線はこのまま鹿児島まで延びているが、宮崎県での一番の名所はこちらの方だろう。県の南端の都井岬を目指してみる。
海岸線を走る道を、そこここのパーキングエリアに寄り道しながら南に向かう。
日向灘は、太平洋の大きさと大らかさを感じさせる。千葉の九十九里と同じ感覚がある。
日南海岸を過ぎると、国道220号は地元の生活道路となり、海岸線に沿ってワインディングロードが続く。ここには迂回する高速道路も無い。ひたすら道に従い次々と現れる漁村を通過しながら走る。


何の為に走っているのだろう、という疑問が、時折頭を過る。
目的があるわけでもなく、ただひたすら南を目指す。
高速道路にも乗らず、国道だけを走り南下する。
そこまで行く事が目的なのだ。その距離を走ることこそが狙いなのだと
自分の疑問に答え、ひたすらアクセルを踏み続ける。


都井岬に辿り着いた頃には、陽も傾きかけていた。
そこでは、思いがけないものが、私を迎えてくれた。
野生馬だ。

岬は野生馬の繁殖地になっているという話を昔聞いた気もするが、
すっかりそんな事は忘れていた。
馬止めのゲートで、繁殖協力金という名目の通行料を払い、岬に入る。
道路を馬が歩いている。山腹では一群れの馬達が草を食んでいる。

この馬達は、何の為になどと疑問も持たず、ただ生きるために生きている。
食べて、眠って、繁殖をして、その生涯を過ごす。
手綱など着けられなくても、生命は皆そういうものだ。

それが答えだったのだ。
夕暮れの海を眺めながら、今回の南下の意味が、胸に収まった。

宵闇の迫るなか、馬達に別れを告げ、帰路に向かう。
また明日からは、日々の暮らしが待っている。


〈この頃になると、一人暮らしの珍しさも無くなる反面、自分が何をしているんだろう、
何故こんなところで独りなんだろうという、焦燥感のようなものも覚え始める。
そんな感情に任せて、あちらこちらに出かけてみるようにもなった。
どうせなら、九州の全域を眺めてみようという開き直りなのかもしれない。〉

「偉大なる公孫樹の元に立ち止まる 古からの時を受け止め」

「偉大なる公孫樹の元に立ち止まる 古からの時を受け止め」

「偉大なる公孫樹の元に立ち止まる 古からの時を受け止め」
20151117 西谷温泉


山間の鄙びた温泉に行く途中、
巨大な公孫樹の樹が見えたのでちょっと寄り道。
古色を帯びた神社の境内は、その公孫樹の為にあるかのように
黄色の葉が敷き詰められていた。



〈これも、ノースFMのおかげで出会った話だ。
ラジオを聴き始めたばかりの頃、開局十周年記念でリスナープレゼント企画があった。
たいした期待もせずに応募したのだが、なんと温泉の入湯券が当たった。
中津市の中とは言え、市街地から車で数十分かかる山の中の温泉だ。しかもペアでという事で二枚あった。なかなか腰が上がらずそのままにしていたのだが、雨模様の秋の日に
思い立って出かけてみた。
温泉の手前の集落を抜ける時、ふと見ると、大きな公孫樹の樹が目に入った。
火の見櫓よりも大きそうな立派な樹だ。
思わず車を停めそこまで行くと、地元のものだろう、古びた、でもきちんと手入れしてある神社があった。
境内は公孫樹の葉で黄色く染まり、まるで神社が樹に守られているようだった。
神社も古いが、樹齢とどちらが古いのだろう、と思わせる。
まるで、御神木を守るために神社を建てたような気にさえなってしまう。
「たがみよしひさ」の、そんなストーリーを、ふと思いだした。〉

「秋風に吹かれて浸かる露天風呂 時の動きを雲に託して」

「秋風に吹かれて浸かる露天風呂 時の動きを雲に託して」

「秋風に吹かれて浸かる露天風呂 時の動きを雲に託して」
20151013 さくら温泉


「 ゆ

五日間の仕事が終わり、明日は休み。
近所の銭湯でのんびりと夕方の時間を過ごす。

サウナは満員で、ご年配の方々の井戸端会議。
露天風呂は人影も無く、貸切状態。
秋も深まりつつある風に吹かれながら、
無為の時間を過ごす。

生垣の笹の葉が湯に落ち、
竹垣に陽が隠れて行き、
空の色の蒼が少しづつ濃くなって、
板塀に笹の影が映って風に揺れる。

風は乾き、澄んで、体の表面の湯滴を運んで行き
水と空気の界面での、温度と湿度の差の中で
体も心も洗い流される。

気付くと、一時間程の時が流れていた。

銭湯を出て見上げると、まだ夕暮れには早い空に
「ゆ」の大きな文字が有った。      」


大分は日本一の温泉県だそうだ。
確かに、あちらこちらに温泉が点在している。
また、高速道路で別府にさしかかると、どこからともなく
温泉の香り(硫黄臭)が漂ってきたりもする。

私はこちらに来るまでは、特に温泉が好きというわけでも無かった。
風呂に入るのは体を洗う為、湯に浸かるのは温まる為だった。
自宅の風呂には毎日入っていたが、どちらかといえば烏の行水だった。

ところが、最近では週に一度くらいはどこかに出かけて
入浴を楽しんでいる。
テルマエロマエのようだ。(笑)

これにはいくつか理由が有る。
まず、部屋の風呂が狭くリラックスして入浴できない事。
次に、仕事後に体を揉みほぐしたり筋肉を回復させたりするのが
必要なほどに、体力的に厳しい仕事だという事。
そして、独りで生活していると休日に時間を持て余してしまう事も、
理由のひとつだ。

部屋の風呂はユニットバスで、追い炊きも出来ないし蓋も無い。
自分一人が入るのに湯を溜めて、流してしまうのは無駄な気もする。
こちらに来てから、まだ一度しかお湯を溜めて浸かった事はない。
シャワーで体を洗うだけで済ませている。

五日間の仕事が終わると、風呂道具の入ったリュックを背負って
どこかに出掛けるのだ。


一番多く行ったのは、部屋から歩いて五分の処に有る「さくら温泉」
実は温泉と名前が付いているが、スーパー銭湯だ。
いくつもの浴槽が有り、ジェットバス、サウナ、塩サウナ、
寝湯、炭酸泉、露天風呂など、さまざまな種類の入浴が楽しめる。
寝湯に浸かったまま30分程ウトウトした事もあったし、
露天風呂で風に吹かれながら一時間程過ごした事もある。


中津の市街地から一番近いのは「金色温泉」だろうか。
八面山の麓の小さな集落を通り抜けると、周囲に何もない処に
温泉が現れる。
サウナ等もあるが、露天風呂が大きく、川の流れのように
上流から下流までいくつもの浴槽が連なっている。
家族風呂もあり、そちらも露天になっている。

大きな浴槽で、手足を伸ばして湯に浸かり、
体を揉みほぐし、気持ちをリフレッシュさせる。

特に露天風呂は、浴室内のように湿度が高くなく
肌の湯滴を風が運び去る感覚は快適で、
水と空気の界面での、温度と湿度の差の中で
体も心も洗い流される気がする。


なかなか良い環境に居るので、それを活用して
温泉を楽しみたいと思っている。

「雪知らぬ 子らが作りし 雪だるま 愉しき冬の 一刻(ひととき)の記憶」

「雪知らぬ 子らが作りし 雪だるま  愉しき冬の 一刻(ひととき)の記憶」

「雪知らぬ 子らが作りし 雪だるま
  愉しき冬の 一刻(ひととき)の記憶」
20160124 貴船神社


記録的な寒波が日本を襲い、
ここ、大分県の中津市でも、銀世界が拡がった。

私はちょうど夜勤で仕事だった。
出勤時にはまだ路面は雨で濡れている状況だったが、
朝6時の帰宅時には、路面も白く、車の上にも
数センチの雪が積もっていた。

帰路では、国道10号線でさえ白く、轍もアスファルトの色は
見えていなかった。
この程度の雪で、こんなに白くなってしまうのは疑問だが、
ふと、その理由に思い当たった。
道路を管理している役所などで、雪に対する備えが無いのだ。
山梨では少なくとも融雪剤を撒く。
ある程度の雪になれば除雪を行う。
(地元の消防団は塩カルも持っているし、召集がかかって雪掻きした事もあった)
行政も専用の機械は持っていなくても、土建業者などと契約をして
降雪時には出動してもらうようになっている。
冬場でも雪などは想定していないのだろう。
そういう準備が無かったのではないか。


私の車はノーマルタイヤのままのワゴンRだが、
ともかく走って部屋まで帰らなければならない。

さいわい、過去にはジープやハイラックスに乗っていたこともあり
四駆会でスノートレイルをしたこともあった。
走り方さえ解っていれば、必要以上に怖れる事もない。
直線路でブレーキを踏んで、この程度で停まれるという
感覚さえつかめば、走行できない事は無い。

日曜の朝だから、走っている車は少ない。
ましてこの状況だから、普段の日曜よりも極端に少ない。
いつものルートを走って部屋までたどり着いた。
きちんと途中でガソリンスタンドで給油もしたし
24時間のスーパーで食糧も買った。



一眠りして夕方。
出勤出来るだろうかと気になって、外の様子を見てみた。

近所の神社の境内では、子供がはしゃぎまわっていた。
この子供たちにしてみれば初めての経験なのだろう。
雪だるまも作ってある。

積雪は車のタイヤの黒い部分が見えている程度だが、
その割には、路面が白い。
幹線道路でも、轍部分はアイスバーンだ。
走っている車もほとんど無く、たまにチェーンを付けた車や
スタッドレスタイヤの車が走って行くだけだ。

二年前に、山梨で150センチの雪を経験しているし、
その時は夜中に50センチほどの雪の中を帰宅した。
スタッドレスさえ履いていれば、動く自信はあるのだが。

アパートの駐車場の車は動いた気配も無く、
私が帰って来た時の轍だけが残って、その上に雪が降り積もっている。

走って走れない事も無いだろうが、無謀だろう。
これは、今夜の夜勤はお休みしなきゃならないな。
会社に連絡をしなきゃ、と思っている処に電話が鳴った。
「今晩の夜勤は工場を停めて休業にするから、
出勤してこなくて良いよ。」
との連絡。

賢明な判断だろう。
どの程度のメンバーが出勤できるか判らないし、
半数が出たところで、半分の量の生産が出来るものでも無い。


想定以上の自然の猛威には、逆らう事は出来ない。
長靴を履いていたところで、膝まで水位が有れば役に立たない。
そんな時には、あえて踏み込むのではなく、留まることが必要なのだ。

会社の賢明な判断に感謝して、のんびりと雪を愛でる夜となった。
窓の外、降る雪を眺めながらの雪見酒。
九州でこんな夜を過ごす事が出来るとは、思っていなかった。
自然の気まぐれも、たまには良いものだ。

「白梅の香りも貴く咲き誇り ホワイトディの陽射し柔らか」

「白梅の香りも貴く咲き誇り ホワイトディの陽射し柔らか」

「白梅の香りも貴く咲き誇り ホワイトディの陽射し柔らか」
20160302 大宰府天満宮


季節も春めいてきて、虫や獣も冬眠から覚める頃。
私も陽気につられて、ちょっと出掛けてきた。

行き先も決めずにふらりと西の方に向かった。
一人でのドライヴも嫌いじゃない。
窓の外の景色に誘われ、
「僕を忘れた頃に~♪」
などと、思わず口ずさんでしまう。

ご存じの方は、私と同年代だろう。
よしだたくろうの「春だったね」という曲のフレーズだ。

日田では「天領日田おひなまつり」という祭りが
開催中だというので、寄り道してちょっと眺めてみる。

豆田という古めかしい街並みの中、あちこちで
歴史のある雛人形を公開している。
どうやらこの街は、九州のひな祭り発祥の地らしい。
江戸時代に幕府直轄地として栄え、豪商が財をなし
京や大阪で買い求めた豪華な人形が今も有るという。

我が家にも七段飾りの雛人形がある。
娘が生まれた時のものだ。
高校生くらいまでは、毎年出して飾ったが
大学進学で主が家に居なくなってからは仕舞ったままだ。
生後半年で、ようやくお座りをさせて撮った写真から
高校の制服姿まで、お雛様と一緒に写した写真も有るはずだが
様々な記憶だけが蘇ってくる。

あれこれと眺めてみたかったが、
各展示施設でそれぞれに入場料をとられるのが煩わしい。
入ってみて写真を撮りたいと思うと、撮影禁止になっていたり
撮影可だったり、それぞれ独自のルールで運営しているようだ。

二ヵ所程眺めて、街を散歩して、日田を後にした。



さらに西に進み、福岡県に入る。
口ずさむ曲は
「心字池に架かる三つの赤い橋は~♪」
に変わっている。
さだまさしの「飛梅」今の季節にぴったりの曲だ。

大宰府へと足を向ける。


大宰府天満宮は梅の盛りで、観光客も多かった。
何はともあれ、本殿に向かい、御祭神である
菅原道真公にお参りする。
京の都から、九州に流された道真公を
ちょっとだけ我が身と重ねてみたりもする。

病を得て五十九歳で生涯を終えられたそうだが、
私もあと数年でその歳になってしまう。
最近は体力の衰えも感じ、体調もすぐれない事が多いので
同じ運命を辿らないように気を付けたい。

参拝後は、境内で梅の花を眺めながらぶらぶらと散策。

心字池の赤い橋を渡り、茶屋で梅が枝餅を食べる。
初めて食べたが、餅というよりは饅頭のようなもの。
梅が入っているわけでもなく、イメージしていたものとは
ちょっと違った。

裏庭を抜けると、お石茶屋というのがあった。
これも「飛梅」のなかで唄われていた茶屋だ。
今までそれを知らずに「美味しの茶屋」だと思っていたのだが(笑)

やはり、実際にその地に行くと、様々な新たな知識も増えるものだ。

ホワイトデーも近いので、プレゼントに迷っていたのだが、
ここで思いついて、お守りを買う。
バレンタインにプレゼントをくれた女友達に送る為だ。郵送するにも手軽だろう。
道真公は学問の神様だが、彼女ももう学業成就という立場でもないので、
あえて健康のお守りを選ぶ。


帰路は、飯塚から田川、香春と辿り、行橋に抜ける。
後で知人から聞いた話だが、この辺りは山崎ハコの
「織江の唄」の舞台だそうだ。

正確には、五木寛之さんの「青春の門」なのだろうが
残念ながらそちらは読んだことが無い。
曲として聞いただけだ。

そう言えば、遠賀川という河を渡ったような気もする。
「遠賀川 橋の向こうにボタ山の~♪」などという
フレーズが記憶に蘇る。


行き先も決めずにふらりと出かけた日帰りの旅だったが、
良いリフレッシュになった。

私のように日常生活に縛られていない人の方が
こんなお出かけには向いているのかもしれない。

車やバイクで100kmや200kmを走るのは、その気になれば簡単な事だ。
まだまだ、九州の中にも行ってみたい処はある。
それを楽しみに、日々の生活を乗り切ろうと思っている。

菜の花たち

菜の花たち

20160315 中津市内 総合運動場付近

 菜の花たち


菜の花が、談笑しながら、
それぞれに背伸びしているかのように、
群れて咲く。
その姿は、卒業式を待つ高校生を思わせる。

枝も葉も、花弁のひとつひとつさえ
個性を主張し、輝きながら、
それでも「菜の花」と
一括りに呼ばれてしまうように。

春は通り過ぎる季節だ。
昨年も、五年前も、三十年前もそうだった。
来年も、十年後も、百年後も、おそらくそうだろう。
花は咲き、人は過ぎて行く。

それでも、やはり、
花は花。
人は人。
今は春・・・


〈春、早い頃にまず目を引くようになるのが、あちらこちらに咲く菜の花の黄色だ。
その黄色と空の青のコントラストに魅かれ、通りすがりに道端に車を停めて、
おもわずカメラを向けてしまった。
毎年繰り返す風景でも、毎年何かを思わせてくれる。〉

夜明けの月

夜明けの月

20160405 出勤途上

誰かがパチンと切った爪が
空の上まで飛んで行ったような、
折れてしまいそうな細い月。
東の空に昇っても、月明かりにもなりゃしない。

午前5時。ほんのりと春の香り・・・

〈早番の出勤途中、まだ暗い空に浮かんだ月を見つけ、思わず撮った一枚。
交替勤務をしていると、こんな風景に巡り合う機会も多い。〉

「桜咲き 桜散り行く 風の中 無心に遊ぶ 子供らの声」

「桜咲き 桜散り行く 風の中 無心に遊ぶ 子供らの声」

「桜咲き 桜散り行く 風の中
   無心に遊ぶ 子供らの声」
20160330 貴船神社


もう三月も終わってしまいますね。
一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、と言いますが
季節が変わるのも速いものです。

桜を観て綺麗だとか、散る花がはかないとか思うのは
大人の心の動きでしょう。
子供たちは、そんな事を考えていません。
お母さんが「ほら、花が綺麗でしょう。」と言うので
子供も「こういうのが『キレイ』って言うんだ。」と
思うだけです。
花びらを舐めてみたり、花をむしったり、
そこに在るもので遊ぶことに夢中です。
そういう子供たちは、花の精と一緒に
遊んでいるのかもしれませんね。


〈ノースFMでは、週末の番組の中で「ノース文芸部」という企画がある。
その週のお題を決めて、リスナーから、俳句、短歌、川柳などを募る企画だ。
いつの頃からか、それに参加するようになり毎週投稿している。
山梨に居る友人も、時々それに参加するようにもなった。
(ネット等を利用してどこでも放送を聴ける時代だからの事だろう。)
季節毎に相応しいお題から、どうして今週はこんなお題が・・と思うようなものまで、
様々出題されるが、テーマを決めて作品を作るために頭をひねるのも、
面白いものだ。〉

とある夕暮れ

とある夕暮れ

20160625 自室


交替勤務で、早朝や深夜の風景を目にする事が多い事が、
季節の特徴に触れる機会を増やしている。

早番での出勤も、冬はまだ真っ暗な時間なので、
部屋から車まで、懐中電灯を手にして階段を降りる。
明け方の空に、細い月が浮かんでいるのを目にする事もある。

やがて季節が変わると、懐中電灯も要らなくなり、
朝焼けの美しい風景を見ながらの出勤となる。

夏至の頃には、すっかり明けた朝の風景となり、
最近はまた、日が少しづつ短くなり、赤く焼けた空を見る事もある。

夏は山が深緑に染まり、秋にはコスモスが咲き、樹々が色を変え、
冬に風花が舞い、春になれば菜の花や桜が目を楽しませてくれる。


そういう風景は、通勤路にも、会社の駐車場にも、
部屋を一歩出た庭先にも、普通に見かける事は出来る。
その気になって、目の端に飛び込んできた風景に
焦点を合わせるかどうかだけの事なのだ。

うつしえと ことのはと

一年間、様々な言葉をあちらこちらで発信してきた。
最近はSNS等で、言葉も画像も動画でさえも、世間に向けて発信できる。
ブログで自分の意見を公開する人も多い。

私もブログを書き、フェイスブックで様々な文章や画像を発信している。

でも、そういうものは、タイムラインの中で使い捨てにされ
流されて、やがてどこかに消えて行ってしまう。


この文章は、私が受け止めたシーンから生まれたものだ。
その原動力となる画像と共に、私にとって大切なものだから、
流れ去らせ、消えてしまうに任せるのは、残念な思いがする。

一年間のそんな想いを、今回まとめてみた。
そのシーン毎に書いた状況も違うので、
文体も長さバラバラな表現になっている。

読んでどう思うかは、それぞれの受け止め方だろうが、
言葉の一片、一枚の画像から、何かを思ってもらえれば幸いだ。

うつしえと ことのはと

独り暮らしの日々のなかで、ぽつりぽつりと浮かんできた言の葉と、その言葉の元になった風景の写し絵を、組み合わせてこんなふうにしてみました。

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 「蒼空と碧の山と続く道 暑気を切り裂くエキゾーストノート」
  2. 「コスモスの群れを吹きゆく風の音に 懐かしき人想う秋の陽」
  3. 「ひたすらに南を目指し走り来て 岬の涯に野生馬を見る」
  4. 「偉大なる公孫樹の元に立ち止まる 古からの時を受け止め」
  5. 「秋風に吹かれて浸かる露天風呂 時の動きを雲に託して」
  6. 「雪知らぬ 子らが作りし 雪だるま 愉しき冬の 一刻(ひととき)の記憶」
  7. 「白梅の香りも貴く咲き誇り ホワイトディの陽射し柔らか」
  8. 菜の花たち
  9. 夜明けの月
  10. 「桜咲き 桜散り行く 風の中 無心に遊ぶ 子供らの声」
  11. とある夕暮れ