愛しているのは、
あいしてると言ったら、ふざけんなって返された。
ぼくのあの人はまったく言葉遣いが乱暴で、ぼくのことを殴るし、蹴るし、唾を吐きかけるし、けれどもやさしいときはとてもやさしくて、頭を撫でてくれるし、まぶたにキスをしてくれるし、眠っているあいだ手を握っていてくれるので、ぼくはやっぱりあの人のことをあいしている。
あいしているといえば、ぼくはクジラのこともあいしている。
たとえばクジラに求愛されたとして、
「私と一生この海で暮らさないか、キミ」
などと口説かれようものなら、ぼくはまちがいなくクジラと海で暮らす方を選ぶだろう。
息ができないとか、からだの大きさが違いすぎるだとか、そもそも種族がどうとかこうとか、そういう根本的な問題は持ち出してこなくていいよ。息ができないのならばしなければいい話だ。からだの大きさも種族のちがいも、それって結局セックスして子孫を残す残さないってところに繋がるのかもしれないけれど、ぼくのクジラへの愛は性欲に直結していないので然して困ることはない。ひとつ注文をつけるとしたらクジラの種類であるが、ぼくはミンククジラが好きなので、口説かれるのならばミンククジラを所望する。名前が可愛いから。
あの人の部屋はいつもお線香の匂いがする。
白檀の香を焚いているのだと、あの人は教えてくれた。ぼくの首筋をかぷりと噛みながら。
あの人の部屋で、あの人の気まぐれでからだを傷めつけられ、ときに慰められ、白檀の香りに包まれて、ミンククジラのことを想っている時間がいちばん好きだ。
一生この海で暮らさないかとミンククジラに口説かれたぼくは、息が続かないので結局は死ぬわけだが、海洋生物の餌となり喰われ糞尿として再び海に舞い戻っても、腐り果てた末に皮膚は剥がれ肉は爛れ落ち臓器は塵と化して海中を漂うプランクトンに入り雑じっても、クジラと一生海で暮らすことに変わりはないのだから、いつぼくを捨て去るかもわからないあの人と一緒にいるよりも幸せなのではないだろうか。
愛しているのは、