太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(4)
四 疑似家族の誕生
「ふう。とんだ目に遭った。もう、街には行かないぞ」
あれほど、一人が寂しくて、街をうろうろした高橋だったが、あいつぐ訳のわからない勧誘に辟易した。
「俺はやっぱり田舎者だ。一人で静かな方が性に合っている」
自宅のドアのカギ穴にカギを差し込み回す。ドアを引く。ドアは開かない。
「あれ。カギがかかっているぞ」カギを回し過ぎて、開けたカギを再び閉めることがたまにある。今日はそれなのか。もう一度、カギを回す。開いた。
「お帰りなさい。遅いじゃないですか」誰かの声がした。見知らぬ人の声だ。いや、どこかで聞いたことがある。
「ほんとですよ。今まで待っていたんですよ」
「靴の調子はどうですか」
思い出した。さっき聞いた声だ。
「何やってんだ。人のうちに勝手に上がり込んで」
高橋はどうやってドアのカギを開けたことよりも、彼らが家の中にいることに怒りを覚えた。
「みんな、出ていってくれ。ここはうちの家だ」
自称高橋も、身長百七十センチの男も、リーボックの女も互いの顔を見合わせ、首をひねっている。自称高橋が口火を切る。
「人のうちねえ。ここは確かにあなたの家かもしてないけれど、私の家でもあるんです。だって、あなたと私は同じ高橋じゃないですか。友人ですよ。仲間ですよ。親戚ですよ。家族ですよ。血縁ですよ、ねえ、お兄さん」
「誰が、お兄さんだ。俺はあんたなんか知らん」高橋は顔を真っ赤にして怒鳴る。
「あなたが私を知らなくても、私があなたを知っていればいいんです。そんなもんなんですよ。世の中は」平然と答える自称高橋。
「何が、そんなもんなんだ。勝手な理屈を並べやがって」高橋の怒りは収まらない。
「いやあ、そんなもんだと思います」続いてしゃべったのが、百七十センチの男。
「身長が同じであれば、十分、じゃないですか。あなたは他に何を求めているんですか」
「何も求めていないよ。それに、身長が百七十センチならば、日本中で、何十万、何百万人もいるはずだ。身長が同じだけで、仲間だなんて、ふざけている」
「何もふざけてなんかいませんよ。事実を言っているだけですよ。あなたは身長百七十センチだし、わたしも身長百七十センチなんですよ。それに、何十万も、何百万人も仲間がいたっていいじゃないですか。仲間が一人だなんて、誰が決めたんです。仲間なんて、一人より二人、二人より三人と、多い方が楽しいじゃないですか。そんなに、自分の人生を閉じ込めないほうがいいですよ。ぱあっと、いきませんか。ぱあっと」
「何がぱあっとだ。花見じゃないんだぞ。宴会じゃないんだぞ」高橋の怒りは最高潮に達する。
「それ、いい提案ですね」リーボックの女が微笑んだ。
「ぱあっといきましょう。宴会しましょ。お酒を飲めば、いやなことも忘れるし、また、リーボックの靴の話で盛り上がりませんか。宴会しましょ」
「いいこと言うねえ。お姉さん。そうだ、そうだ。宴会だ」自称高橋が冷蔵庫のドア開く。
「おっ、ちょうど、ビールが四本あるじゃないですか。だけど、第三のビールか。ちょっとけちっているなあ」
「誰がケチだ。第三のビールの方が、味は変わらないし、値段は安いし、税金は少なくてすむし、三つの取り柄があるんだ。だから、第三のお得のビールと呼ぶんだ」勝手し放題の相手に高橋の怒りは最高潮のまま維持される。
「高橋さんは学があるんですね。詳しいのはリーボックの靴だけじゃないんですね」
リーボックの女が伏し目がちに高橋を見つめる。目が、姿が、色っぽい。色っぽいのはピンク色の靴だけじゃないんだ。
「いやあ。そうでもないんですけど」鼻の下を二十六・五センチの靴と同じくらいに伸ばす高橋。
「そうですよ。ここは、贅沢はせず、質素倹約で、あるもので我慢しませんか。とにかく、宴会ができればいいんです」百七十センチの男は既に、自称高橋から缶ビールを渡され、プルタブを引き上げた。何が質素倹約だ。人の物を、承諾もなしに勝手に飲もうとしやがってと思いながらも、「どうぞ」とリーボックの女に缶ビールを手渡されると、再び、目じりを二十六・五センチ下げる高橋。
「縁がある者の同士の再会を祝して、カンパイ―」リーボック女が、リーボックの靴を履いたまま、背伸びしながら、乾杯の音頭をとる。
「カンパイ」「カンパイ」自称高橋と百七十センチの男も互いに缶と缶をぶつけ合う。
「土足、土足」高橋は慌てて、リーボック女に注意するが、横から自称高橋が「さあ、高橋さんも、ぐいといきませんか」と無理やり缶をぶつけてくる。ビールが飛び跳ね、高橋の鼻の穴に入る。
「くしゅん。何がぐいだ。俺のビールだぞ」
「そんな固いこと言わないで。ビールは液体ですよ。もっと柔らかく、柔らかく。そして、水に流しませんか。私たちは仲間なんですから」
「さっきから言っているように、俺はあんたたちを仲間だと思っていない」
「繰り返すようですが、あなたが思っていなくても、私たちがそう思っているんです。片思いだって、ありえるでしょう。あなた、片思いなら、したことがあるでしょう」
「なんだ。それはどういう意味だ。片思いしかないと断言しているのか。くそ。その通りだ。どうせ、俺は片思いばかりだ。ほっといてくれ」
高橋と自称高橋がやり取りしている間に、「何もないけど、これでも食べて」とリーボックの女がテーブルの上に野菜炒めと野菜サラダと食パンとゆで卵、チーズを置いた。
「何がなにもないんだ。それに、それは俺の今日の夕食と明日の朝食だ」
「まあまあまあ。何も食べずに、アルコールだけを飲むと体にさわるから、彼女なりに気を使ったんですよ。彼女は見ての通り、スポーツウーマンでしょう。そう言うあなたも、スポーツマンでしょう。スポーツ愛好者同士、そのあたりは、あ・うんの呼吸でいきませんか。うん、上手い」百七十センチの男はゆで卵を口に放り込んだ。
「俺への配慮はどうなるんだ」
その時、「盛りがってますね、私も参加させてください」と玄関ドアから別の女が入ってきた。さっき、眼鏡愛好会に入りませんかと声を掛けてきた女だ。先ほどは十分に顔を見なかったが、結構、歳を喰っている。
「まあ、上がってください。でも、もうビールがないんだけど」
「多分、キッチンの下に床下収納庫がありますから、そこに、隠しているんじゃないですか」
な、なんで知っているんだ。高橋は眼鏡女の顔を見る。
「ほんとだ。あったぞ。あんたはすごいな。伊達に眼鏡を掛けているんじゃないんだ。その眼鏡は透視能力があるんだ」台所で自称高橋が素っ頓狂な声を出している。
「いやあ。実は私も床下収納庫ビールを保管しているんです。眼鏡を掛けていると、考え方も同じになるんですね」
なりたくない。この眼鏡女と何じ考え方はしたくはない。だが、ビールの保管場所は同じだ。
「冷えてなくてもいいか?」
「この際、いいですよ」
何がこの際だ。人のビールを勝手に飲みやがって。もう、このサイを通り過ぎ、黒サイでも白サイでも、何でも来い。高橋は缶ビールの底を天井に向けた。口に、喉に、胃にビールが勢いよく流れ落ちた。
「こんにちは」「こんにちは」体重七十キロの男に、顔にほくろのある女も家の中にはいってきた。
もう驚かないぞ。こうなったら矢でも鉄砲でも持って来い。できれば、見知らぬ仲間だが、ビールぐらいは持参して欲しい。高橋は二本目の缶ビールを掴む。
そのうちに、部屋の中は、数十人の人でごったがえすようになった。高橋と血液型が同じA型の男、出身が同じで、うどん好きの香川県の女、同じの年齢の三十歳の男、会社に行く電車で同じ駅から乗車するサラリーマン、などなど。高橋を中心にして集まり、高橋を退けものにして、みんながそれぞれの話題で盛り上がっている。
高橋はやけくその気持ちで、玄関のあがりがまちに座って、缶ビールを飲んでいる。傍らには、握りつぶした空き缶がごろろごと五本転がった。
太郎の家で次郎が夢見て、次郎の家で三郎が夢見る。それなら、太郎はどこで夢見たらええんや?(4)