自分を変える

自サイトからの転載です。

おれはいわゆるサプリメントのセールスマンだ。
今までに、足を速くするサプリや、音痴を治すサプリなど、欲しい人にはのどから手が出るほど欲しいニッチな商品を売っている。
効き目は身長、体重、性別、年齢など、人によって変わる。そのため、我が社ではフルオーダーで作っている。
おれが客を見つけ、客の悩みを聞く。その悩みに合わせ、化学者の相棒が調合している。
相棒はおれの知る限り最高の腕前だ。半分薬として売っても良いほど効果は絶対にあるもので、副作用もないのだが、如何せん、客の要望によって作っているため、エビデンスが不足している。つまり医薬品や特保として売ってはいけないのだ。もし、そう銘打って売ったら捕まる。そうやって売らなくてすむほど、盛りに盛った言い値で売りつけてはいるのではあるが。業績はうなぎ登り……まではいかなくても、高額なガジェットを複数台持つことができるぐらいの財産はお互いに持っている。
今日のおれの仕事は新規の商品に薬を届け、代金をもらいに行くことである。
おれはデスクのデジタル時計を見る。十時AMと表示していた。
おろしたての背広を着たおれは事務所のデスクに座りながら、薬の資料を読み返す。最終確認だ。もし説明がつっかえたら、客を不安がらせ、買ってくれない可能性がある。それから、簡単な使用上の注意を書いた紙を、茶色の薬瓶と共に桐の箱に入っているか確かめる。ちゃんと入っていたのを確認すると、おれは箱を仕事鞄の中に入れる。
おれは灰色の扉を三回ノックして、開ける。隣のラボラトリーには白衣姿の相棒が目が描かれたアイマスクをして、溶けたように実験台に伏せていた。
「んじゃ、行ってくる」
「おうさーいってらー」
相棒はそう言うと、手だけをおれに向かって振った。

おれは郊外にある会社兼ラボラトリーを出ると、電車を乗り継いで、客のところへ赴く。この間の時間が一番緊張する。もちろんカウンセリングは誠心誠意したものの、この薬が本当に客の欲している商品だったのか、客はきちんと代金を支払ってくれるか等、色々な考えや悩み、不安がぐるぐる頭の中を駆けめぐる。
そうこう考えているうちに、最寄り駅につく。そして目の前にあるマンションのエレベーターに乗り込み、客の待つ最上階のボタンを押した。動き出してしばらくすると、スピードのためか耳が痛くなっていく。しかし、金のためだ。我慢するしかない。
そうこうしているうちに軽やかな電子音がなり、エレベーターは止まった。

「やあやあ。待っていた。待っていた。約束の、持ってきてくれたんだろ?」
目の前にいる死神のような風貌の男がソファーにふんぞり返りながら、おれに尋ねる。
客の家は黒を基調とした整理整頓された部屋だった。デスクも黒だったら、ソファーも黒。最初に入ったときは、おれは生活感が一切ない無機質で不気味な家だと思った。しかし、そういうのは人それぞれだし、仕方がない。金を支払ってくれる限り、客なのには変わりないからだ。
「はい、もって参りました」
「早速見せてくれ」
「はい、ただいま」
おれは鞄から桐の箱を仰々しく取り出すと、死神男に渡した。
客は箱から瓶を取り出し、のぞき込むと、
「これが……噂の『媚薬』か」
と気持ち悪い笑顔を作る。それから
「お金さえあれば、なんだって届けてくれる良い時代になった。飯、服、本、CD、DVD……女すら手に入る」
一度言葉を句切り、深くため息をついてから
「でもあの女(ひと)の心を手に入れることが出来なかった。どんな手を使っても、金をどんだけかけても来てくれなかった。オレは……」
客は目を押さえると、
「悲しかった。金を積んでも手に入らないものがあるということが信じられなかった。だが」
客がそう言葉を句切った途端、今から魂を狩りますと言わんばかりの満面の笑みを浮かばせ、
「これさえあれば、あの人の心が手に入る! やっぱり、金さえあればなんだってできるんだ! いやっほう!」
とガッツポーズを決めた。
おれはテンションのアップダウンが激しい客だなと醒めた目で見つつ、使い方を説明し始めた。
「では、お客様。通常の媚薬でございますと相手にのませるタイプになるのですが、お客様のご要望により、当社で開発させて頂きましたLCタイプは、自分が服用するタイプになります」
練習を何度もしたとは言え、おれの口から、なめらかに言葉が出てくることに心の奥で驚く。
「おお! 『相手にスキがない』とか言っていたのをちゃんと聞いてくれたんだな! そうだよな。相手が駄目なら、自分が飲めばいいんだもな。で、どんな作用するんだ?」
男はマシンガンのごとく言葉がでてくる。やれやれと思いながらも、おれは最後の言葉にだけ反応し、
「相手を変えようとする前に、まず自分を変えることが重要です。我々はここに着眼点を置きました。つまり、効能を簡単に言いますと、この薬は自分を変えるものなのです。女性に振られてきた今までの自分を変えることで、逆に相手に強い印象を付けさせるんです。あ、別に今のあなたが駄目と言っているわけじゃないですよ。雰囲気を変えることで、自分に自信をつけるいう寸法なワケです。自分に自信が付けば、女なんて、しっぽ振ってやってきますよ」
おれは相棒の言った効果の説明を話したが、おべっかで言葉を付け足さないと、相手はきっと怒るに違いない。そういう判断ぐらいはしてもいいだろう。
「なるほどねえ……ちょっとまどろっこしいな」
客はちゃんと聞いたか分からない生返事をしていたが、納得した様子で瓶に入っている液体を愛おしそうに見つめる。
「で、一つだけ注意点があります」
おれは今まで以上に真剣な顔でお客の顔を見る。死神の顔を見ると、噴き出しそうになるが、それを感じさせないよう、気を引き締めて口を開く。
「必ず相手の目の前で飲んでください」
おれは相棒から念を押されたことを、同じように客に念を押した。
「わかった」
客の男はあふれんばかりの笑みで返事をした。

代金を受け取り、おれはほくほく顔で帰社すると、相棒が白衣にTシャツにジーパンという格好から、明らかに高価と思われるワンピースに着替えているところだった。
「ちょっと、帰ってくるの早くない?」
相棒はおれに向かって不満を漏らす。それよりもおれは相棒がそういう服を持っているのに驚いていた。
相棒は丸く小さなミラースタンドをおれのデスクに置くと、黒い箱のチャックを開け、中身をいくつか取り出すと、透明な液体と白い液体を顔にまんべんなく塗りたくった。白いチューブから肌色のクリームを絞り出すと、顔に塗り、それから、もう一つのチューブから同じような肌色のクリームをとると、同じように顔に塗った。この行動がどこがどう違うのだろうとおれは疑問に思ったが、商品を作るときのように真面目な顔でメイクをしているのを見て聞くのをやめた。
相棒は筆を箱から取り出すと、ふたつの二重のまぶたに細い線を描いていく。
「あーマスカラちょっと乾いている? まあ、使えるでしょ。使うしかないっしょ」
相棒の独り言が聞けるようになった。こうなると質問が出来るようになる。いつものことだ。
「なあ。どうしてメイクしているのだ」
おれは相棒に尋ねる。
「んー今からお出かけするの。昔なじみの金持ちの男にね、会いに行くのだ!」
気がついたら、相棒は茶色のパレットをしまっていた。元々はっきりしている目だったが、もっとはっきりした目元になっている。頬は桃色に色づいていた。奴はにゃはははと笑うと、口紅を塗る。
最後に、結んでいた長い髪をおろし、櫛でとくと、取っ手の付いた白いハンドバッグを持って、相棒は言った。
「いってきまーす。わたしの自信作、効果の程を確かめてくるよん」
奴はおれに手を振ってから、事務所の扉を閉めた。
そのまま流しそうになったが、相棒の効果の程という言葉が突っかかった。十秒程考えた後、ふとおれは、ある考えに到達した。まさか、昔なじみの金持ちって……今日の客?
おれは頭が真っ白になった。
別にあいつと恋愛関係とか、ましてや夫婦というわけではない。でももし、金持ちの男とくっついたとしたら、きっとおれと商売をしなくなるだろう。そうしたら、おれの食い扶持が……。

呆然としていたおれだったが、我に返ると、朝のルートを辿って、あの客の部屋の前に立っていた。
心臓の音が聞こえるほど震え上がっているおれは、インターホンを押すか押さないか悩んでいた。
すると、目の前の扉が開いた。おれは完全にビビってしまって、
「うわあああっ」
といつもよりキーの高い声を出してしまった。のどが痛い。思わず、咳き込む。
「あら、あなただったの。まあ、おどろいた」
扉から出てきたのは相棒だった。涙を流しているせいで、メイクがボロボロである。見たところ、笑いすぎが原因みたいだ。
「あーおかしい。流石、わたしは一流の化学者だわ」
ポケットからハンカチを取り出した相棒は、目元を押さえる。
「な……なにがあったんだ。一応これでも心配したんだぞ」
「ありがと。んじゃ、中、入って入って。わたしの研究の結果を見てみてよ」
相棒はおれを中へ手引きした。

「えっ」
おれは一瞬、目玉がどこかに吹っ飛んだ気がした。
なぜならソファーの上にいるのは、朝の客である死神みたいな男ではなく、カラスが一匹いるだけだからだ。
「え……カラ……ス? あの客は……」
おれはあわてふためく。
「こいつね、大学院時代にわたしの研究データを盗んだのよ。俗に言う泥棒まで雇っちゃってさ。それをだしにわたしを脅し、思い通りにさせたかったみたいなの。あっちは惚れた、好きだとか言っていたけど、ただ自分の思い通りにするお人形さんが欲しかっただけだと思う。多分ね。で、今日その研究データを返すから、来いって言われたけどさ」
相棒は背筋を伸ばし、深呼吸をすると、
「でも、あのとき盗まれた研究より、もっとすばらしい研究結果がでたから、もういいの。すばらしい。すばらしいや、わたし」
相棒はあははははと笑いながら、ソファーの隣にある冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
「え……」
おれは呆然とする。
「もしかして、お前、『自分が変わる』って言葉の綾じゃなくって……」
「そうそう。本当に自分を変えちゃうの。人間以外の生き物にね」
「んじゃあ、相手の目の前でっていうのは……」
「そう、あいつが客で、そういうものを求めたと言ったら、相手はきっとあたしだろうな、って。どうせやるんだったら、効果を目の前で見たかったんだもの」
そう言って相棒は缶ビールを開け、一気に飲み干す。
「金で解決しちゃだめよ! やっぱ、本当に欲しいものはこうやって自分の手でもぎ取らないと! ね!」
缶ビール一本で酔いが回りきった相棒はそう言うと、おれの肩に腕を回す。
その瞬間、おれはこいつを敵に回してはいけない……そう確信した。

自分を変える

自分を変える

おれはサプリメントのセールスマン。 化学者の相棒とコンビを組んで会社をやっている。 今回の客の注文はいわゆる媚薬であった。

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更新日
登録日
2016-07-09

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