遺書

 普通、自殺をするときの遺書なんてものは、世の中に対する不満や恨み辛みを書き連ねるものだと思いますが、私にはそんなつもりはありません。
 ごく一般的な娘として生きて結構たちますが、私は愛されてきたと胸を張って言えます。両親も妹も友人も健在で、何不自由なく暮らしてきました。だから恨み辛みなんてものを感じていないし、むしろ皆さんに感謝をしたいとすら思っています。
 そもそも、昔から不満を言わないようにして生きることを心がけてきたので、こんなところで突然文句を垂れようと思っても言葉が出てきません。なんというか、不満を言うと、その言葉は自分に返ってくるようなきがするんです。あの子のここが嫌い、あの人のあの性格が嫌い——そんなふうに言うと、結局それは自分にも思い当たる節があって、自分の嫌いな一面を見つけてしまうことになって、余計に嫌な思いになるのです。私自身が損するような気がするのです。
 文句があるのは、他の誰でもありません。私自身になのです。
 自分自身に、いつも漠然とした不安を感じるのです。
 自分の感情や、正義を言葉にしようとしても、そこには必ず論理のほころびというか、矛盾や欺瞞が入り込んでいて、自分の考えや意見に自信が持てなくなって、自分がどういう行動をするべきなのかが分からなくなるんです。何をしても、何を言っても、自分が間違っているような気がしてたまらないんです。
 なんとかして納得しようとするんです。だけど納得しようと必死になって言葉を使えば使うほど、言葉の揚げ足を取られてしまって、さらに苦しむことになるんです。
 そんな感情に付き合うことが疲れたのです。逃げたくなったんです。
 誰かに不満があるとか、そんなのじゃ無いです。
 ただ、私自身の問題なのです。
 それを伝えるために、この遺書を書き始めました。私が死んで、私以外の誰かが悪者になってしまったり、責任を感じたりしては悪いですから。
 本当は、神隠しに遭うように、パッと私の存在が消えてしまえば良いなと思うんです。誰も気付かれず、まるで端からいなかったかのように。だけど、この世に生まれてしまった以上、この国に戸籍というものが残ってしまい、人として存在し続けなくてはいけないという重たい責任が確かにあって、その責任を放棄するときにはきちんとその理由を残しておかなくては皆が混乱してしまうのです。だからこうして遺書を書いているのです。
 やっぱり私には、この世で生きることが難しかったみたいです。
 人間って本当に難しいです。考えれば考えるほど、難しく感じます。
 こんな難しい問題をずっと抱えたまま、もんもんとした気持ちで生き続けることが、私には本当に、ベッドで何度も寝返りを打って、髪の毛をかきむしってブチブチと抜いてしまうほどになってもなお、耐えられない苦痛なのです。この先ずっと、平均寿命まで半世紀以上もの間、これが続くと思うと、途方も無い苦行にしか感じないのです。生まれてきたら、寿命が来るまで生きなくてはいけない、という常識そのものが、私には息苦しいのです。
 ごめんなさい。
 本当にごめんなさい。私はこれから、お父さんとお母さんが悲しむことをします。本当に自分勝手なことをしてしまうと思っています。叱られても仕方ありません。世界で一番親不孝者だと分かっています。こんな娘になってしまって、ごめんなさい。——なんて、謝罪をするくらいなら自殺することをやめるべきなんですよね。こんな言葉だけの謝罪をしても、意味が無いですよね。ここまできたら、いっそ開き直ってダメな娘を貫くべきなんです。死んでくれて清々した、と思われるくらいに嫌われる方が、よっぽどお父さんとお母さんのためだって、頭では分かっています。
 だけど、
 だけど、私にはどうしても、お父さんとお母さんに嫌われる覚悟を、最後の最後までもつことができませんでした。お父さんとお母さんからだけは、好きでいて欲しかった。だって、私は、二人のことが大好きだから。今でもときどき、実家で暮らしていたときのことを思い出します。一人暮らしを始めて自炊をしているとき、知らず知らずのうちに料理の味がお母さんの作ったものと似てきて、それがすっごく嬉しかったです。
 ありがとうございました。私、お父さんとお母さんの娘で良かった。いつも私のことを想ってくれていたって、知ってます。愛されて生きてきたって胸を張って言えます。私は幸せでした。悩んで、悩みに悩みを重ねたとき、ふとお父さんとお母さんの顔を思い出して、そしてそんなときだけは、心に小さな灯がともるような温かい気持ちになりました。
 相談してくれたら良かったのにって、思うでしょう。
 だけど、悩み事を親に打ち明けられない子供の気持ちを、二人も分かってくれるんじゃないかなって思います。私が今の気持ちを伝えたら、きっと二人は優しいから、答えようとしてくれると思うんです。私は二人の優しさに甘えて、私の中にある答えの見つからない問いを、二人に投げつけると思います。だけど、私は結局、自分で答えを見つけなきゃ満足しないから、二人がどれだけ私に答えを返しても、私は悩むことをやめないんです。そんなことがずっと続けば、きっと二人は私のことを心配するでしょう。育て方を間違えたかも、なんてことを少しでも考えるかもしれません。そうやって、二人が私に疑問を持ってしまうのが、私は嫌だったんです。ごめんなさい。
 さようなら。
 私の自殺のせいで、ご迷惑をかけてしまう全ての方々、すみません。私が死ぬことで、どれだけの人が動くことになるのかな。ごめんなさい。私の勝手で皆様の仕事を増やしてしまって。
 でも、このさき何十年生きていく間にかける迷惑と、今日自殺することによってかける迷惑、どちらが大きいのかなって考えると、今日全部済ませてしまう方がマシなのかなって思ったんです。
 だから、ここで、私の生涯で一番大きな迷惑をかけさせてください。そうしたら、今後はもう、二度と迷惑はかけません。どうせ人間が一人死んだくらいの出来事なんて、時間の経過とともにあっという間に風化してしまいますから、今のうちに済ませてしまう方がよっぽど良いと思ったんです。いろいろ考えて考えた結果、そういう結論にたどり着きました。
 ごめんなさい。
 長々と書いてしまってごめんなさい。日本語がへたくそでごめんなさい。本当に、私は幸せな娘でした。思い返せば、私は本当にわがままで、皆さんにたくさん迷惑をかけてきました。私がこんなにわがままでいられたのも、そんな私を受け入れてくれた周りの皆の優しさがあってだと思います。そして私は今日、最上級なわがままをさせてもらいます。
 友達たち、私なんかと仲良くしてくれてありがとう。お父さん、お母さん。生んでくれてありがとう。美佳、私の妹でいてくれてありがとう。
 さようなら。
 
2016年6月  野原優子
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「おーわりっと」
 遺書に名前まで書ききって、私は小さくつぶやいた。印刷ボタンをクリックすると一瞬パソコンの画面が暗転して、私の今にも死にそうな顔がディスプレイに反射する。いよいよ私もこんな自己憐憫な文章を書ききるようになったのかと思うと悲しくなる。いつもなら途中で「だっさ」と我に返ってファイルごと削除してしまうのに、今日は書き終えてしまった。
 あーあ、と思う。
 こんな悲劇のヒロインぶって、ほら私って可哀想でしょと思って、涙ぐんでしまう自分が、心底嫌い。哀れな人間。惨めな人間。——そんなふうに自分を思ってしまう私が嫌い。これだって結局、周りの人間を見下して生きてきたツケなんだ。悲劇のヒロインぶってる女を見て、ダサいと思っていた自分がいて、そしてその嫌いだった女に自分もなってしまったことが許せないのだ。
 私はいつもそうだった。
 愚痴は言わないようにして生きてきた。けれど、その深層心理には愚痴を言うヤツに対して嫌悪感があって、結局私は、口に出さないだけでずっと周りの人間のことをバカにしていただけ。人の悪口を言う奴を見て、「こいつは人を貶さなきゃ自分を保てない愚かな奴だ」と思って、なんとかぎりぎりで自分の心を保っていただけ。そうやって他人を貶してでしか自分の自尊心を保てなかった。そんな性格の悪い自分が大嫌い。
 遺書にくらい、世の中に対しての不満を書いてしまえばいいのに。今の感情をぶちまけて、世の中ぜんぶ間違っていると書き殴って、私が正しいと叫んで死んでいけばいいのに。
 なのに、死ぬと決めてもなお「人を攻撃するような愚かな人間になりたくない」と思って、いいことを書いた気になっている自分が、本当に嫌い。ダサすぎて泣きそう。死んでしまえばいい。
「……ま。お望み通り死にますけどね」
 私は天井につるした縄を見上げた。
 本当は、事故で死にたかった。死ぬことを思いついてから、ずっといつか事故に遭わないかなと思いながら生きていた。交通事故でも天災でも何でも良い。人様に迷惑をかけず哀れられる死に方をしたかった。だけどどれだけ願っても、都合良く事故は起きなかった。世の中では私なんかよりもよっぽど必要とされている人が不幸な目に遭っているのに、私は今日までのうのうと生き続けてしまった。
 だから、いっそのこと迷惑をかけて死んでやろうと思う。——こんなふうに極端な考え方しかできないから、きっと世の中が難しく感じるのだろう、なんて思って、今更ながら苦笑してしまう。
 これから私は、首を吊って死ぬ。一人暮らしだからすぐには発見してもらえなくて、きっと二日、三日して、すごいにおいがマンション中に立ちこめるのだろう。異臭がすると騒ぎになって、大家さんやら隣の部屋の人やらに迷惑をかけるだろう。それで警察とかがきっと来るのだろう。テレビでよく見るように、ブルーシートとかがマンションの前にかけられて、黄色いテーピングがされるのかもしれない。――ああでも、別に殺人事件じゃ無いから、そんなに大げさじゃ無いのかな。でもまあ、訳あり物件ということで安く売らなくてはいけなくなるんだろうなあ。
 まあ、いいや。
 私が死んだ後、騒ぎになろうがなるまいが、知ったことじゃない。つらいから逃げるだけの話。
 だけどまあ、欲を言うのであれば。
 できれば、この遺書を読んだ人がどこかで悲しいなと思って欲しい。この感謝を連ねたこの遺書を読んで、この子は本当にかわいそうな子だと、こんなに「いい子」がどうして死ななきゃいけなかったのかと、そんなふうに思って欲しい。友人たちにもこの遺書を読んでもらって、「どうして自分は彼女のことを理解してあげられなかったんだろう」と悔し涙をながしてもらいたい。後悔もして欲しい。
 それが、私の最後のわがまま。
 どうだ、性格悪いだろう。そう、私は性格が悪くて、自分のことしか考えてない、ただのかまってちゃん。他人のことには興味が無い。私、私、私。いつもそんなふうに自分のことしか考えられない。私が死んで、親がどんな思いをするか。——それを分かっていても自分の感情を優先するほどの自己中。自分が可愛くて可愛くて仕方が無いだけ。ああ、嫌い。嫌い嫌い。
 そうやって私が自分の醜い性格を自覚しているつもりでいるところがさらに嫌い。
 嫌いな人がいたら、誰だって離れたいと思う。近づきたくないし、距離を置きたいと思う。だけど、私の嫌いな人は、私がどこまで逃げても、ずっとついてくる。病的にしつこいストーカーのように、ぴったりとくっついて離れてくれない。外出中はもちろん、帰宅しても、用を足している間すら、私のそばにいる。もう疲れた。逃げ切れないのであれば、殺すしかない。
 私は輪っかに首を通した。
 今日、ようやく私は、嫌いな人から解放される。
 自ずと笑みが浮かんだ。あっけない幕切れのほうが私らしいと思って、間髪入れずに脚立を蹴り飛ばした。
 
 さようなら。
 やっぱり私は、私のことが大嫌い。

遺書

遺書

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-08

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