彼方の約束

日本犬が、大好きです。
四国犬のお話を書いてみました。

「四国犬の菊水(きくすい)号は、大事な使命を帯びて、金毘羅宮を目指していた。
三日前まで、人間の連れがいたのだが、はぐれてしまっていた。
だが、匂いは、まだ、たどれる。
郷の高松を発ったのは、六日前。
迷子になったときの用心に、飼い主が、彼女の首に、旅の路銀と、お札を頼みますという手紙が結わえつけられていた。

時は、江戸末期、四国では、八十八か所のお遍路さんとともに、盛んに、金毘羅詣でも行われていた。

当地では、金毘羅狗(いぬ)と、称し、なんらかの理由で、発願の当人の旅立ちが叶わぬときは、愛犬を代参に、仕立てることがあったという。

「おい、代参りかい?ご苦労なこったね」
雄犬が、声をかけてきたが、彼女は、取り合わなかった。
「おい、おいってばよ」
「見てわからない?大変なお役目を果たしているところなのよ」
「疲れていそうだな。少し休んでいけばいいのに」
「駄目。私の帰りを待っているのは、同じ名前を分けた、大事なご主人なの」
「オレみたいな、自由の身には、そんな大変なことを嬉々としてやるなんて、到底、信じらんないね」
犬には、やれやれのポーズが無理なので、代わりに、彼は、首をゆっくりと、振った。

この地に根づいて、3年。
はるか、遠方の「こんぴらさん」とやらへ、お参りをするたくさんの人々と、代参をする犬たちを見てきた。
路傍に倒れ、息絶えた犬も、何頭か、見たことがある。
凛々しい彼女と仲良くなりたかった下心も、あったが、
「無理すんなよ~」
と、遠吠えで、送った。

待っている人が、いる。
「菊や、頼んだわよ」
と、首ねをしっかり抱きしめてくれたあたたかさが、今も残る。
数えで、十(とお)の菊水(きくみ)には、それは、可愛がられたものだった。

少女が胸の病に倒れたのは、二年前。
やっと、胸の病が癒えたと思ったら、その細菌が足の関節に入り込んで、足萎えとなってしまった。
いっしょに、遊んだり、散歩したりできる日がきっと、来る。
私がつとめを果たせば、きっと、菊嬢ちゃんに、笑顔が戻ってくる。
飼い主たちの言葉のすべては、理解できなかったが、穏やかな口調で、私のことを信じているということは、伝わった。

「きく~」と、呼ばれ、同時に振り返って、周囲をどっと沸かせたあの楽しかった日々。

おや、いかにも、悪童という風体の子らが、こちらを見ている。
こんなのに、つかまったら、めんどうだ。
心持ち迂回をしながら、歩みを速めた。
何か、からかいたそうだ。
引きつけておいて、さっと、かわして全力で、逃げた。
「菊には、追いつけな~い」
と、何度も誉められた俊足は、だてじゃない。

「あ!わんわん」
おむつのちびさんだ。
傍らには、菊嬢ちゃんと同じ年かっこうの少女。
姉だろう。
「わんわん!」
童女が、うれしそうに、からみついてきた。
こういうのには、弱い。
されるがままから、なついたような、愛着で、応えた。
私自身が、まだ、仔犬の我が子を置いてきた身だ。
早く、仔らにも、逢いたい。

「おいで、おっかさんに、行って、お水とエサをもらったげる」
気は、急くが、今夜は、ついていくとしよう。

母親が、「えらいねぇ、犬の身で、大事なおつとめとはね」
と、半ば、我が子らに言い聞かせるように、言うと、エサと水を出してくれた。
今日は、ここの軒先を借りよう。
明日、またがんばろう。
のびをして、しつらえてもらった、ワラの上に、身を横たえた。

あと、いくつ夜を越せば、彼方の地に着くのだろう。
家の中から、子どもたちの明るい笑い声が響いた。
きっと、きっと、あんな笑い声が私の家にも、響くはずだ。
満天の星が、菊水号を照らしていた。

彼方の約束

金毘羅狗は、原則、人間のお連れさんが、同行して、お札をもらってくるようですが、中には、はぐれたなどの事情で、単独で、行って帰ってきた、スーパーわんちゃんも、いたとのことです。
信仰の深い土地ですから、道々の人達のあたたかい手助けがあったのかもしれませんね。

彼方の約束

「こんぴらさん」の名で、知られる四国の「金毘羅宮」には、事情があって、直に、お参りできない人が、愛犬に想いを託して、旅立たせるということが、あったようです。 四国犬の「菊水」(きくすい)号が、偶然、同じ名の幼い主人の病気平癒の発願のために、旅立ちます。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-06-10

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