催涙雨

翔原樹

七夕にちなんで

文月七日。七夕の日。
織姫と彦星が、天の河を渡って年に一度の逢瀬を果たす、そんな幸せな日。



「今年も雨……か」
雨の音を少しうるさく感じながら、麻結はベッドに体を沈めた。柔らかい温もりが彼女の体を包む。普段は大好きなこの温かさも、今日は切なく感じた。今、彼女が感じたい温もりはこれじゃない。

天空の織姫もこんな気持ちなんだろうか、なんて、ふと柄にもないことを考えた。今日は七夕。雨が降った今年は、1年に1回会えるはずの彦星との逢瀬もお預けになる。空の上で、彦星を想って泣いている織姫が頭に浮かんだ。好きな人を想って涙を流すほど乙女な麻結ではないが、今日は少し、織姫の気持ちがわかるような気がした。


ふと、麻結は自分のスマホが光っているのに気づいた。見ると悲しくなるからと放置していたスマホ。「新規メッセージがあります」の通知に、あるはずのない淡い期待を持ちつつアプリを開く。
…………ため息が出た。案の定、メッセージは彼からのものではなくて。

馬鹿みたいだ。

わかっていたとはいえ、スマホを投げつけたい衝動に駆られる。もう全てがうっとおしかった。この雨も、けだるい暑さも、忙しさを理由に連絡ひとつよこさない彼も、そんな彼にまだどこか期待している、自分も。



そんな時。



「……え。」
思わず、声が漏れた。
突如切り替わった着信画面に表示されている名前。
それは、もう見ることはないと思っていた、あの名前。
どんなに見なくても、きっと忘れられない、あの名前。

「っ、もしもしっ……?」

最初の声は、少し詰まった。

『もしもし、麻結?』

聴こえてきた声に、もっと言葉が詰まりそうになった。
少し低めの、落ち着いた、懐かしくて大好きな、彼の声。
彼と離れて住んでいる麻結にとって、唯一の拠り所ともいえる、包み込むような、優しい声。

『ずっと連絡できなくて……ごめんね。』
「……ううん。」
『いろいろ忙しくって……って、ごめん、これは言い訳だよね』
「……わかってるから。大丈夫。」


彼の声に、麻結の凝り固まった心が、ゆっくりと溶かされていくような気がした。しとしとと降りしきる雨の音と相俟って、まるで麻結自身が雨の中に溶け込んで、浄化されていくようにさえ感じた。

馬鹿みたいだ。

雨の音さえうるさく感じていた自分が。あんなに苛ついていた自分が。そして、連絡ひとつ来るだけで何もかもリセットできてしまう、そんな自分が。


『そういえば今日、七夕だね』
「そうだね、……でも雨だから、今年も会えないね。織姫様と彦星様。」
『……こんなこと言ったら、神話の意味がないけどさ、』
「うん?」
『雨が降るのって星の下だから、天界はいつも晴れてるんだよな』
「……あぁ、そっか」
『だから、今頃きっと会えてるんじゃないかな。空の上で。』
「……そうだね。」
『……俺たちも、空の下で会おっか』
「え?」



途端。

ドアのチャイムがなった。


まさか。


麻結はスマホを投げ捨て、玄関に駆け寄りドアを開けた。


そこには。


「……久しぶり、麻結。」




思わず、飛びついた。



嗚呼、この温もりだ。

大きくて、少し硬くて、それでもとびきり暖かい。
麻結が1番求めていた、大好きな彼の温もり。




文月七日。七夕の日。
織姫と彦星が、天の河を渡って年に一度の逢瀬を果たす、そんな幸せな日。
そして、
人々の願いが叶う、そんな幸せな日。

催涙雨

いきなり書くことになって、勢いで書いちゃった作品。
織姫と彦星は今年は会えたんでしょうかね。

催涙雨

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-06

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