五分間
長い線路を横切る長い歩道橋がある。その下を、十本ぐらいの線路が横に並んで流れている。私はその階段をゆっくりと上っていく。朝焼けの中、カラスや小鳥のハーモニーに耳を傾けながら…
歩道橋の上に、小さな駅の改札がある。私は自動販売機で切符を買い、自動改札を抜けていく。ホームへと降りる階段は、一つしかない。私はまた、一歩一歩をしっかりと踏みしめ、ゆっくりと降りていく。右側から、線路の上を走る電車の物音が響いてくる。階段が少し、震えている。電車は数本、前からも後ろからも通り過ぎていく。その姿は、私には見えない。その音だけが、聞こえている。
駅のホームには誰もいない。真っ直ぐ前に伸びたホームだけが見えている。地平線から溢れ出ている太陽の光を背に受け、歩いていく。
細長いホームの左右には、当然だけれど、電車が走る線路が伸びている。右側には少しの間隔を開け、何本もの線路が並んでいる。遠くの線路はまだ、僅かに震えているようだ。左側は、一本だけだ。
電車の姿が見えなくなり、今はもう、静けさを取り戻している。電車は一台も走っていない。突然の騒音は、あっという間に静寂に飲み込まれていった。
私はホームの先端に向かって歩いていく。アナウンスが、電車の到着を知らせている。少し遠くから、踏切の信号音も聞こえてくる。甲高くて耳障りなリズムだ。働きの鈍い朝の私の頭には、もう何日も酒を飲んでもいないのに、二日酔いのようにガンガンと響いてくる。
小さな線路が震え、微かな物音が聞こえてくる。それは徐々に大きくなっていき、今ではもう、線路の上を走る電車の物音が、はっきりと背後から聞こえている。
私の背中と左半身に、電車の風が当たる。私はかぶっているハンティング帽子が飛ばされないように、革の手袋をはめた手で押さえる。左側に、電車の先頭がゆっくりと顔をのぞかせる。私はそれを横目で捉える。黄緑の、古ぼけた電車だ。旧型の、私が子供の頃から走っている電車の生き残りだ。最近は全く見かけていなかったが、今日のために用意されたと思われる。
電車が動きを止めるまで、私はペースを崩さずに歩き進める。電車が止まり、空気の抜ける間抜けな音と共にドアが開く。私は一番先頭のドアから、中へと乗り込んでいく。
この車両には私の他に四人の先客がいるようだ。運転手を含めると、五人になる。始発だというのに、ご苦労な連中だ。
四人はそれぞれ武装をしている。八つある横長の座席のうち、それぞれが一つを占拠し、我が物顔で座っている。
この車両の中の、私から一番遠くの端には小窓のついた小さなアルミの引き戸があり、その奥にはきっと、もう一つの引き戸があり、隣の車両へと繋がっているはずだ。
引き戸の手前には、少し短めの座席が二つ、向かい合っている。私から見て左側に、黒いカウボーイハットの男が座っている。青い擦り切れたジーンズを履いていて、派手な刺繍の入った白いシャツを着ている。腰には茶色のベルトが巻かれ、二丁の拳銃がぶら下がっている。足元からは白の尖がりブーツがのぞけて見える。髭面のその男は、見るからに映画に出てくる西部劇のガンマンのようだ。
ガンマンは窓のないドア側の端に腰を降ろしている。ホームには背を向けている格好だ。向かいの座席には誰もいない。足を組んでいて、両手を頭の後ろで絡めている。一見無防備にも感じられるが、ガンマンからは異様な雰囲気が漂っている。ガンマンの姿勢には、一分の隙も見当たらないように、私には感じられる。
両開きのドアを挟んで、長めの座席が並んでいる。左側には誰もいない。右側に迷彩ズボンを履いている男が座席のど真ん中に座っている。黒の網上げブーツに、ズボンの裾が入り込んでいる。緑のランニングシャツを着ていて、浅黒くてテカテカの鍛えられた腕が突き出て見える。顔には真っ黒な煤のようなものを塗りつけている。刈り上げられた髪の毛、天辺の短めの髪の毛をジェルで固めて突き立てている。そしておでこには、白くて真ん中に赤い丸のあるハチマキをしている。古臭い、頑固そうな男だ。
彼は両手に黒光りした機関銃を手に持ち、ホーム側の窓に向けて構えている。機関銃からは物凄い数の銃弾が溢れ、その時を待っている。よく見るとズボンのベルトにいくつかの手榴弾がぶら下がっている。きっと、どこかにナイフも隠していることだろう。
彼の姿には落ち着きがない。この寒い季節だというのに、身体中から汗が溢れ出し、強張った目つきで辺りをウロウロと見回している。特に今は、私のことが気になるようだ。他の乗客に気を取られながらも、私を中心に視線を動かしている。嫌な感じの男だ。関わり合いたくないタイプの代表選手のようだ。
彼は映画の中のランボーを弱々しくしたような感じだ。映画の中と違い、そこにいるランボーからは少しも恐怖を感じられない。ついでにいうと、哀愁も漂っていない。ただ少し、危険な狂気を漂わせてはいる。それは、いい意味ではなく、最悪の狂気だ。なにをしでかすかわからない、天然の狂気ともいえる。
そしてまた両開きのドアがあり、長めの座席が並んでいる。左側にはまた誰もいない。右側に、革のベストを着ている女がいる。ベストの内側には、ナイフでも仕込んであるのだろう。ジッパーを止めずに拡げている。中には大きな胸を隠そうともしていない胸元の開いた丈の短いタンクトップを着ている。ヘソに光っているのは、ヘビをかたどったピアスのようだ。あちこちがボロボロに破けているジーンズ、太ももの位置に革のベルトがあり、そこにはナイフがぶら下がっている。靴は白いスニーカー。手には指の突き出る黒い革手袋が装着されている。
派手に化粧をされた顔が見える。真っ白な肌に、真っ赤な唇が恐ろしさを演出している。目の周りは青く塗られ、不自然にキラキラと輝いている。髪の毛は金色に染められ、テカテカとオールバックに固められている。その金色は、外国女性の金髪とはまるでものが違う。まるで絵の具のような金色だ。
ナイフ女は座席の手前側、私に近い方の端に足を拡げて座っている。そしてじっと私を睨んでいる。その表情は、とても冷たく突き刺さる。ときおり舌を出し、真っ赤な唇を舐めまわす。両手を足の付け根でクネクネと動かし、それに合わせて腰も動かす。私を挑発しているつもりらしいが、ちっとも伝わらないのが残念だ。
ナイフ女は、私の趣味ではない。左手にはいつの間にかナイフを握っている。身体中に隠しているどこかから取り出したようだ。そんな危険なナイフ女には近寄りたくもない。そんなもので大事なものをちょん切られるのは、ゴメンだ。
両開きのドアが今、閉まろうとしている。手前にもう一つ並んでいる長い座席がある。私には、そこから漂う雰囲気が一番気になる。そこには左側に一人、座席のど真ん中に座っている黒い袴姿の男がいる。長い髪の毛を馬の尻尾のように後ろで束ねている。腕を組み、少しだけ股を広げ、しっかりと足の指で床を掴むように膝を曲げて座っている。靴は履いていない。裸足の指は、実際に床に吸いついているようにも見える。私には、その足にタコの吸盤が現実のものして見えるかのようだ。
腰には一本の刀がさしてある。いつでも鞘から抜き出せるように、計算された位置にあるように感じられる。彼はずっと、目を瞑っている。真っ直ぐに窓の外に顔を向けながら。その顔は神妙で、少し神々しくもある。彼はまさに、サムライのようだ。
サムライはドアが閉まる音にも反応を示さない。まるで空気のような佇まい。サムライからは少しの殺気も感じられない。しかしそれは、隙があるという意味ではない。一歩でもサムライの領域に足を踏み入れれば、私はきっと真っ二つになることだろう。
そして私は入ったドアから右に足を進める。そこにはなにもない空間がある。座席のない、無とも言えるスペースだ。私はホーム側の壁に背をもたれている。窓のない、端っこに。
私のすぐ右側には大きな窓がある。そこからは真っ直ぐに伸びた線路と、終点へと向かう景色が拡がっている。私はその景色を、狭い運転席を透き通らせて見ている。
先頭には運転席があり、運転手が左の端に座っている。今日は普段の制服とは違うようだ。大袈裟な防御服、プロテクターで身体を固めている。ヘルメットまでかぶっている。ヘルメットには透明なシールドがついていて、顔面を守るようにしている。しかし手だけは、いつもの白い手袋。運転をするには、仕方のない妥協だったのかもしれない。ここからは見えないが、きっと分厚い靴を履いていると思われる。
運転手の目は、真っ赤に充血していて震えている。手も足も、身体全体が震えている。そこまでの恐怖を我慢してまで、どうして今日、この場に来たのだろう? それが仕事だから? それだけの理由で、運転手は命を投げ出しているようだ。
いくら防御を固めても、戦う意思がなければ意味がない。運転手の命はもう、終わっているも同然だ。戦うことから逃げていては、今日を生き延びることは出来ないだろう。
目の前に次の駅のホームが見えてくる。一分間半の旅が、もうすぐ終わる。終着駅までは五分間、これから二つの駅に止まるはずだ。三十秒間、駅で停車、その後また、一分間半、そしてまた次の駅で停車、最後は一分間の旅が待っている。
今はこんなにも静かだが、私は果たして終着駅まで辿り着くことが出来るのだろうか? 車内のこの雰囲気を考えれば、誰も死なずに辿り着くなんてことは、無理な話だろう。
終着駅に辿り着けばまた、他の電車からやってきた奴らが待っているはずだ。後ろに並んでいる線路は、全てが同じ名前の駅に繋がっている。他にも前から横から、地下でも線路が一つの名前の駅に向かっている。そこではきっと、生き残った猛者たちが待ち構えていることだろう。さっき聞こえた電車の騒音は、その中で繰り広げられていた殺戮の結果だろう。考えるまでもなく、恐ろしい話だ。
新しい法律にどんな意味があるのか? 私には関係のないことだ。私は反対するつもりもない。反対をしたからといって、なんの意味もないことなのは明らかなのだから。きっとその場で、どこかの誰かに殺されることだろう。
新しい法律はこうだ。国民一人につき、必ず一つ以上の武器の携帯を義務づける。一人につき、というのは、赤ん坊がいればその分を必ず一緒にいる父親なり母親なりが携帯しなければならないということだ。しかし、所持をしているだけではダメだ。いつでも取り出せるよう、しっかりと身につけていなければならない。もしも携帯していなければ、殺されても文句を言えない。
法律では武器による殺しを認めている。正当な自己防衛として、武器での殺しは罪にならない。人が人を殺すことは、目の前を飛び交う蚊を叩き潰すのと同じことらしい。
それにはたった一つの条件がある。携帯する武器の種類は自身で手に入れさえ出来ればなんでも構わないが、それらの武器を国に登録しなければならない。それが唯一の条件だ。つまりは、登録さえすれば後は自由ということ。どんな武器でも、どんな使用方法でも、どんな改造をしても構わない。
私の武器は洋服に仕込んである針だけだ。特注のもので、色々なサイズがある。ちょっとした仕掛けもしてある。後はそう、この身体を武器と呼ぶことも出来なくはない。私はこの日に合わせて身体の改造を試みた。見た目ではランボーにさえ程遠いが、中身は立派なものだ。私の筋肉は、飾りではない。使うことを前提に鍛えられている。私の身体は、戦いを求めている。誰かを殺すことを念頭に訓練をし、鍛え上げてきた。
登録は簡単で、役所やコンビニ、パソコン上で書類を受け取り、その書類に名前と住所、武器の名称と写真を貼って送ればいいだけだ。そうすれば、数日後には許可証が返送されてくる。
その許可証には武器の写真が載っていて、後は国が管理しているらしい通し番号が記されているだけだ。私の名前は、どこにも見当たらない。つまりは誰が持っていてもいいということだ。もしも私が殺されたなら、その相手はきっと私から武器と一緒に許可証を奪っていくことだろう。それで問題なく、使用が許可されるはずだから。
私は今、二つの許可証を持っている。一つは針。もう一つはこの身体。念のためにと、登録しておいた。しかし、例え私が死んだとしても、この武器だけは奪うことが出来ないだろう。写真に映るこの身体は、誰にも真似は出来ない。私の身体には、私だけの印がいくつも刻まれている。
実際に私のその姿を見られるのは、私に愛された女性と家族だけだ。それ以外はまず、見ることが出来ない。私は常に、このスーツに身を包んでいる。危険な世の中だ。家の外でこのスーツを脱ぐことは、あり得ない。
特注のこのスーツを、私は糸の開発から始め、全てを自分の手で作り上げた。銃弾をも弾き飛ばす素材を探し出し、それを糸に加工し、更に強化し、軽量化をし、生地へと加工をし、革の裏地に使用している。その裏地はナイフや刀を使っても、簡単には引き裂くことが出来ない。私が行った実験では、不可能といっても過言ではない。
裏地は二枚重ねになっている。間には銃弾などの衝撃から守るための吸収材が仕込まれている。吸収材がなければ、銃弾の衝撃で骨を折ることも考えられる。鉄の塊が高速で身体にぶつかれば、その衝撃は計り知れない。ただ銃弾を弾き返すだけでは、意味がない。真に身体を守るための工夫が必要なのだ。吸収材には細菌や汚染された空気を濾過する力も備えている。
表の革には柔らかい猫革を使用している。猫革には耐久性もあり、丈夫で軽く、汚れも付きにくいことを発見した。それに加え、裏地に使う糸を練り込ませてある。簡単には穴一つ開かないことだろう。スーツだけでなく、このハンティング帽子から手袋、靴に靴下、全てにこの素材を使っている。革の厚みは裏地を含めても一ミリにも満たない。ベルトにも四枚重ねの猫革を使用している。
私のスーツは首元までびっしりとチャックで閉められるようになっている。今はまだ、胸元で開けてはいるが、なにかが起こればすぐに襟を立て、チャックを閉めて首を守るように作られている。ポケットには猫革のマスクも用意しているが、それを使うことはまずないと思われる。しかし、念のためにと防塵防毒効果も検証済みだ。そしてこのサングラスの柄についている小さなボタンを押せば、こめかみや眉間を含めた顔中をガードすることが出来る。しかし今は、そこまでの危険は感じられない。やり過ぎた格好は、不細工なものだ。最悪の事態までは、スマートな姿を見せたいもの。そのためにも、スーツのデザインには工夫をしている。お洒落なブランド品をイメージした作りになっている。妻のデザインだ。この電車の運転手のような格好は、私には似合わない。
このサングラスも当然防弾だ。レンズだけでなく、柄の部分も含めた全てが防弾になっている。レンズには仕掛けがあり、あらゆる光から目を守る。周りの状況に応じ、自動に色を変えてもくれる。柄の部分はボタンを押せば幅が拡がり、こめかみを守り、耳を覆いかぶさるように保護してくれる。淵の部分も同時に拡がり、眉間を守る。完璧な武装だ。
チャックや飾りつけのボタン、ベルトなどの金具も当然特殊だ。ダイヤモンドよりも硬い素材を開発し、使用している。それはこの裏地以上の強度がある。しかし残念ながら、糸状に加工することは出来なかった。武器の針は、その素材を使用し、加工して造ったものだ。この武器だけが、私のスーツにとっての弱点にもなる。この武器を奪われ、攻撃をされれば、命の保証は出来ない。革をも貫き、衝撃もそのままに、突き刺さる。しかしそれは、私自身の身を守るための妥協点だ。この武器がなく、このスーツを盗まれてしまったなら、その相手に立ち向かう術がなくなってしまう。それを防ぐための手段として用意している。もしもこの武器を盗まれてしまったのなら、このスーツの意味は失われる。そんなことはわかっている。しかし、自身の身を守る術は、このスーツだけではない。私はそのためにも身体を鍛えてきた。この身体は、この武器にも、簡単には負けはしない。それに、この武器には、一つの弱点がある。それは、水分に物凄く弱いということ。少しの水に触れ、そのまま三分も経過すれば、ボロボロに解けてしまう。手に浮かぶ汗でも同じこと。注意を払って扱わなければ、進化を発揮しないで消えていく。儚い武器を作ってしまった。しかし、同じ素材を使ったサングラスは耐水仕様だよ。不思議な素材で、その強度を緩めれば雨だけでなく、水中でも解けることはない。それでも普通の銃弾なら簡単に弾き返してしまう強度は保っている。しかし、それでは武器として物足りなかった。突き詰めた結果の弱点なんだ。
私は上着もズボンも、ピッチリとしたものを好んでいる。ブカブカなものは動きにくくて困る。万が一の隙間も、今の時代には好ましくない。それになりより、ピッチリとしたスーツは、身体のラインを美しく見せてくれる。
このスーツも考え方によっては武器になる。身を守るための楯や鎧が、時には武器になるのと同じ理由だ。しかし私は、このスーツを登録はしなかった。奪われる危険を避けるためだ。武器と認識しなければ、わざわざこのスーツを奪おうと考える者は少ないはず。余計な危険は、避けるのが最善の策だと思う。
私はこの準備を半年も前から始めている。法律の執行が噂されたその日から、開発を始めた。政府が本気でいることを、私には感じられたからだ。周りの連中は冗談だと思っていたり、政府に反発したり、現実逃避をしたりしていた。
政府がこの法律を制定したのには納得のいくきっかけと、理由があった。
数年前からの流行り。大統領や総理大臣、世界中の政府の要人に対し、記者会見場での記者からの攻撃が相次いだ。
抗議の印として、自らが履いている靴を投げつける。それだけのことだ。
靴が誰かに命中することはなく、その記者も逮捕されず、冗談のようにテレビで放映されていた。私の目には、その行為が抗議というよりも、愛情のように感じられた。どの記者も、靴を投げつける時に本気を出していなかった。中には下手投げをしていた奴もいたくらいだ。
それは全て、外国での話だった。この国のニュースキャスターは、それを見て笑っていた。この国の政治家にインタビューをした際、その政治家もまるで他人事のように笑っていた。
この国の総理大臣は、実に許しがたい行為だなんて口ではいいながら、口元が緩んでいた。そして言葉を続ける。それにしても情けがない。やり方が中途半端だと言い、抗議をしたいのならもっと徹底的にやるべきだ! 国は国民の抗議を元に成長を遂げるんだからな。と、そんなことをニヤニヤしながら語っていた。
その数日後、事件が起きた。選挙のための無意味な街頭演説、大勢の野次馬の一人が行動を起こした。
厳しい警備の中、その男は演説のための選挙カーの真ん前に位置取る事に成功した。といってもかなりの距離が残っていた。その上総理大臣は選挙カーの屋根に登っている。下品な笑顔と話し方、集まった野次馬がただの冷やかしだとも気がつかず、大手を振っているその姿は、滑稽としかいいようがない。噂では漢字が苦手で、本を読むのはマンガだけらしい。私もマンガは好きだが、小説も好きだ。偏った趣味を公言するのは、どうかと思う。
その男は自らの靴を脱ぎ、準備をした。その靴は飛距離が出るように重心の工夫をしており、何度も実験を繰り返し、離れた車の上の、標的に届くよう工夫されていた。
その男は標的を狙うための訓練もしていたようだ。逮捕された後、自宅の庭にそのために組まれたセットが発見された。
車の上にマネキンがあり、総理大臣の周りにいる取り巻き連中や警備の者、野次馬などのマネキンも用意されていた。その男は何度も的にめがけて靴を投げつけていたようだ。総理大臣のものと思われる一つのマネキンだけが、傷だらけに汚れていたという。
庭には失敗作の靴がいくつも転がっていた。その全ての靴には、先端にナイフが仕込まれていた。
その男はかなりの資産家のようだ。都心のど真ん中、高級住宅街にその家はあった。その男はそこに一人で暮らしていたようだ。
その男がその日投げつけた靴にもナイフが仕込まれていた。総理大臣が機嫌よく愛想を振りまき、大手を振っているその瞬間、野次馬が意味もなく騒ぎ立てているその瞬間に、その男は行動にでた。
右足の靴を脱ぎ、それを総理大臣めがけて一気に投げつけた。その動作には、一瞬の迷いもなかった。偶然なのか、その瞬間がテレビカメラに映っていた。
その男はとても若く、私と同じくらいのようだった。三十代前後、私と同じで、なかなかの男前だ。
その男が投げつけた靴は真っ直ぐと総理大臣に向かっていった。その瞬間をしっかりと、カメラは捉えていた。
靴の先端から飛び出しているナイフが総理大臣の顔に向かって飛んでいく。その瞬間、野次馬の一人が大きな叫びを上げた。
危ない!
それは野太い叫びだった。するとその声を合図に、その他の野次馬が一斉に静まり返った。総理大臣は異変に気がついたのか、真剣な表情を浮かべる。
その瞬間、カメラは好都合にも総理大臣のアップを映し出していた。
総理大臣の瞳に、飛び込んでくるナイフの先端が写っているかのように、一瞬キラッとした輝きを見せる。
直後に総理大臣が首を傾げた。ナイフが頬をかすめて通り抜ける。その際、頬から血が飛び散り、数センチの傷が頬に刻まれる。靴の部分は、顔には当たらなかった。
総理大臣の苦々しい顔が画面に映し出される。その後はすぐに取り巻きに囲まれ、辺りはパニック状態に陥った。
その男はすぐに取り押さえられ、警察署に連れていかれた。その瞬間の映像は、なぜだかどのテレビ局でも放送されなかった。
その男にはいくつもの疑問があった。テレビなどでも事件当初には話題にしていたが、いつの間にかパッタリと話題に上がらなくなっていた。私の記憶では、この法律の噂が流れた直後だったと思う。
その男にはなぜだかまるで存在感がなかった。名前や顔が公表されたが、その男の家族や知人を探し出すことは、報道の力を持ってしても成しえなかった。
職場も不定、警察は無職だと公表した。しかしその大きな家、どう考えても不釣り合いだ。通っていた学校も公表されず、その男の過去はまるで謎だった。
疑問は膨れ上がり、政府の陰謀だとの噂も流れた。なんらかの目的があり、政府自らの演出ではないかと噂された。
その直後に新しい法律の噂が流れた。噂は噂を打ち消し、あっという間に広まる。
政府の関係者がモザイク越しにテレビで語ったのが始まりと言われている。私には不思議な事実だ。その前の噂がないのに、どうしてそいつはテレビに呼ばれたのか? 自ら噂を発進したのなら、その理由がわからない。噂としてではなく、堂々と話せばいい。その内容がどうであれ、これは立派な法律なのだから。
政府はすぐにはその噂を認めようとはしなかった。私から見て、その理由は二つだ。
一つは世間の反応を見るためだと思われる。しっかりとした理由があるとはいえ、その法律は人道的ではない。大きくいえば、世界の反応をも見ようとしたのかもしれない。
二つ目は噂を認めてしまえばそれはもう、噂ではなくなってしまうからだ。
政府が法律を作ろうとした理由は、総理大臣に靴を投げつけたその男の事件があったからだと、噂では言っている。それに対して政府はなんのコメントも出していない。滅茶苦茶な発想かも知れないが、身を守るための法律であり、そのきっかけとしては、これ以上ない理由だと感じたよ。
私はすぐにその噂が本物だと見抜いた。頬に傷をつけられた時の、総理大臣の表情がそれを物語っているように感じられたからだ。それに、噂の広まる速度が尋常ではなかった。それに対する政府の態度も曖昧で、いかにもの匂いを漂わせていた。
そして私は、すぐに準備に取り掛かった。生き残るための準備。私には家族がいる。家族を守るためには、それなりの武器を用意し、私自身も強くならなくてはならない。
しかしすぐには、家族に対してなにも口には出さなかった。私は個人的に準備を進めていただけだ。あえて家族を恐怖に包む必要は、どこにもない。
その事件から数日後、無差別に人を傷つける事件が相次いた。封筒にカッターの刃を忍ばせ、封を切ると指先に痛みを感じ、血が噴き出る。その封筒は全国に配られ、大勢の人が傷つた。使い古された嫌がらせだが、効果はてきめんだった。
学校の下駄箱の上履き、病院のスリッパなどに、カッターの刃が縦に差し込まれた。なにも気がつかずに足を入れ、多くの足から血が噴き出た。
その事件をきっかけに、この国のいたる所で血が流れた。多くの人が護身用としてナイフやカッターを携帯して歩くようになってしまった。
自分がいつ無差別に傷つけられるのかわからない。初めはただ、その恐怖を拭うために、お守りとしての携帯にすぎなかった。
しかし、それで済まされるはずがないのは明らかだ。私はテレビでこんな報道を見た。自分の身は自分で守りましょう。そんな言葉を政府の人間が使う。そして今、ナイフやカッターが大人気、出荷が間に合わないとメーカーが大喜びしている映像と、店頭から商品が消えた状態、それについての国民のインタビューが流れていた。
ないと困りますからね。やられる前にやっちまう。そういうことですよ。傷つけられるのは嫌ですから。
キャスターたちはスタジオに用意された人気のナイフを手にそんなコメントをしていた。これなら安全ですね。私もこれを持っているんです。自分の身を守るためには必要なものですからね。ニヤニヤ笑顔を浮かべ、そんな言葉を繰り返していた。
街では少しのトラブルや、ちょっとした口論でナイフを取り出す者が増えた。ナイフを見せれば誰もが怯える。みんながそう考えていた。
初めはそれでことが収まっていた。見慣れないナイフの輝き、突き立てられる恐怖、どうすればよいのかわからず、自らのナイフを取り出す余裕もない。突き立てる側も不慣れで怯えているdsけだった。
しかし人はすぐにその恐怖に打ち勝った。その方法は簡単だ。相手が出す前に出せばいい。誰もがちょっとしたもめごとでもすぐにナイフを取り出すようになってしまったんだ。
その結果、人は人と傷つけ合う。血が流れ、恐怖が街を支配した。
中にはその恐怖を楽しむ者もいた。溢れ出す血に、興奮するようだ。血を求め、自らの意志でもめごとを引き起こす、おかしな連中。
政府はなんの対策もしなかった。物騒な世の中になったと、まるで他人事のように語るだけだ。ニュースでも似たようなものだ。外を歩くときは気をつけましょう。ナイフの携帯を忘れずに、自らの身は自らの力で守りましょう。そんなことを言っているだけだった。
そしてついに、最悪の事態を引き起こした。今日からちょうど一ヶ月前のことだ。一人の子供が犠牲になった。
学校帰り、すれ違った若者に目つきが悪いと言われ、たったそれだけの理由で刺し殺された。殺されたその子供はまだ十歳だった。私の息子と変わらない。
若者はすぐに警察に捕まった。若者への非難が巻き起こると、私は願っていた。しかし、世間は違うことに注目をしていた。その子供がナイフを携帯していなかったことを非難したのだ。両親や学校に対しても、子供たちにナイフの携帯をきちんと指導するべきだと話していた。
政府はすぐに動いた。噂されていた法律の制定を急ぎ、公に発表をし、会議に通すこととなった。会議では万乗一致の可決。国民投票も異例の速さで実行し、九割を超える投票率、八割越えの賛成を得て、堂々と新しい法律が制定されることになった。ありえないほどの対応の速さだった。前もって準備をしていたとしか思えないが、誰もそんな疑問を持っていない。それどころか、政府の迅速な対応を評価した。
その間にも事件は相次いた。被害者のほとんどは、ナイフを携帯していない者たちだ。政府は被害者に対して表面上は追悼の意を表していたが、自分の身を守るためにはナイフなりなんなりの武器を携帯してもらわないと困る。なんて言葉を平気で漏らしてもいた。
テレビでもそうだ。被害者を庇護する者は一人もいない。街でのインタビューでもかわりはない。危険に対しての意識が足りないなんていう者さえいた。殺されて当然だとの悪態も、多く聞かれた。
私は決してその通りだとは思わない。私にも子供がいる。十歳の息子と、九歳の娘だ。その命を守るのは私の役目だと考えている。しかし子供たちに危険を意識して武器を手に取れとは言いたくない。自分の身を自分で守るには、まだまだ幼すぎる。
しかし政府はそんな子供に対しても厳しく当った。それが出来ないのなら、生きていく資格がないとも言い出す始末。生き抜く力のない者には、当然死が待っている。それが今の国としての考えらしい。
法律は今日の朝、午前四時から執行されたばかりだ。なぜ四時なのか? 私にはわかる気がする。夜中の零時だと対応が困難になるからだ。仕事や遊びで遅くに帰る者も多いと予想される。準備が足らずにいる大勢の者が出ることは、容易に想像ができる。
昼や夕方に始めないのも似たような理由からだ。仕事中や帰宅途中、急に法律が代わっても混乱を招くだけでしかない。
四時という時間は、一般的にはちょうど一日が始まりの合図を告げる時間だと思われる。太陽が朝日をのぞかせる準備に入り、鳥たちが騒ぎ始め、電車も走り出す準備を始める。
私はこの法律によって実際になにが変わるのか、世間がどうなるのかを知りたくて、確認のためにわざわざ始発に乗り込んだ。車内を見る限り、私と同じ考えの者がいるようだ。ただ単に血が騒いでいるだけの者もいるようだが・・・・
そして私には自分が準備してきた二つの武器と、このスーツの力を試したいとの思いもある。これがもし通用しなければ、半年間の準備と努力は無意味なものになり、家族を守ることなんて到底出来ない。
私の家族は子供二人に妻が一人。今まで離れて暮らしていた妻の両親と、私の両親を呼び寄せてもいる。私にも妻にも兄弟がいる。妻には三人の姉と一人の兄がいて、私には弟が二人いる。みんな結婚をしていて、それぞれの家族を持っている。
私にその全員を守るだけの力はない。兄弟たちはそれぞれの家で自分たちの家族を守っているはずだ。私はみんなにこのスーツと同じ素材の猫革と裏地を送ってある。間の吸収材も一緒にだ。どんな服装が好みなのかわからないので、後は自分たちで作ってくれと言ってある。
私は当然、妻の分も子供の分も四人の両親の分も猫革と裏地を用意し、洋服を作らせた。裏地をそのまま色をつけたり、ガラを描いたりして使っているものもある。子供たちには大袈裟なスーツばかりでは窮屈になるからとの妻の考えだ。それは妻自身にも当てはまるようだ。妻はその裏地でワンピースを作っていた。
家をしっかりと守る準備も進めてきた。ガラス窓は全て防弾にしている。木造の家、柱や壁には裏地と同じ素材で作ったシールを張り付けてある。床にも同じようにシールを張り付けている。透明無色で、見た目にはわからないようになっている。
地下にはシェルターを作り、保存食を買いだめして保管してある。今、家族はシェルターの中で、震えながらこれから起こるであろう事態を待ち構えているはずだ。
私の予想は簡単だ。無意味な殺し合いが始まると考えている。武装した者たちが街に溢れ、お互いが己を守るためだと言い張り、手を出される前に行動に移す。そしてやられた者はやり返す。本人が死んだとしたら、家族が仕返しの行動をするはずだ。私なら間違いなくそうする。愛する家族を殺されたとして、なにがどうあっても許すことは出来ない。犯人を殺す以外に、心の平穏を保つことは不可能だろう。犯人を殺したとしても、平穏は取り戻せないのかもしれない。しかしそれでも、なにもしないよりはましだ。家族を殺した誰かが、例えどんな理由であったとしても、苦しみを抱えていたとしても、同じこの世界に生きていると考えるだけで我慢が出来なくなる。犯人を殺すことで、私はようやくその現実を受け止めることが出来ると考えている。
それは無益な繰り返しを生むことになる。止めることの出来ない死の連鎖が始まる。法律で守られているため、誰も文句を言えない。自らを守るためには、家族のためには立ち上がり戦うしか道がない。戦い続けなければ、なにも守ることは出来ない。前に進むことも出来ない。
それはもう、始まっているのかもしれない。駅へと向かう道は、とても静かだった。この車両もまた、静かなものだ。外からも、今はそれらしい物音は聞こえてこない。
私は不安になっている。そして少し、興奮もしている。今のこの静けさが、果たしていつまで保たれるのだろうか? 三つ目の終着駅まで私は無事でいられるのだろうか? そこでは一体どんな現実が待ち構えているというのか。震えが止まらない。足と手が、ブルブルしている。唇も震えている。頬もピクピクと痙攣している。サングラスの内側の、目玉もブルブル落ち着きがない。
これを武者震いと表現できなくもない。恐怖とも受け取れる。私は生まれて今まで、こんなにも複雑な感情を覚えたことはない。どんな感情にも例えることは出来ないが、初恋の葛藤に似ているとは言えないこともない。嬉しさと恥ずかしさ、不安と期待、切なさや愛しさ、恐怖も含め、様々な感情が胸に交錯するという意味ではだが…
緊迫した雰囲気の中、この沈黙はとても辛いものだ。私には何時間にも感じられた一分間半がようやく終わろうとしている。近づいてきた駅への停車のため、電車の速度が緩んでいる。
車内に緊張が走る。次の乗客がいるのかいないのか、いるとしたらどんな奴なのか、私は気になって仕方がない。
しかし私はホーム側に背を向け、まるで気にもしていない余裕を振り撒く。じっくりと車内を観察しているだけだというように、ゆっくりと四人の様子を眺めまわす。
ガンマンとサムライは首を横に、窓からホームの様子をうかがっている。サムライは私の方に顔を向けている格好だ。依然目は瞑ったままのように見受けられる。眉を少し吊り上げ、顔をしかめている。ガンマンは顔を逆に向けているため、その表情はうかがえない。しかし右手をベルトから吊り下がっている拳銃にかけている。そして左手は、カウボーイハットに乗せている。
ナイフ女は両手にナイフを持ち、右手のナイフを嫌らしく舐めまわしている。左手のナイフは太もものジーンズでなにかを拭っている仕草を見せている。目つきは真剣そのもので、私の視線には気がつかず、ホームの様子をうかがっている。
ランボーは足をガタガタと貧乏揺すり。目は泳いでいて、薄っすらと涙ぐんでもいるようだ。ランボーはじっと機関銃を構え続けている。
駅へと電車が止まり、音を立てて全てのドアが一斉に開く。私はなにもせず、耳を澄ませて成り行きを見守ろうと考えている。それが最善の策だと思われる。
この車両への乗客は一人のようだ。一番後ろの、ガンマンとランボーの間のドアから足が一歩踏み込んでいる。
そいつは大砲を肩に抱えている。私はあまり銃器には詳しくないが、ロケットランチャーという代物のようだ。黒い網上げブーツが見えた。その格好はランボーにそっくりだ。しかし今度のランボーは、本物にそっくりな髪形、身体付きをしている。ハチマキも、それらしいものをしている。
もう一人のランボーは迷いもせずに私の方に大砲を向けている。その視線は私にではなく、運転手に向けられているようにも感じられる。もしかしたら、その先の、真っ直ぐと続く終着駅へと向けられているのかもしれない。
私はそっちへと視線を送る。その先には次の駅が小さく見えている。が、人がいるかどうかまでは確認できない。
さらにその先には、大きな建物が見える。二本の線路はその中へと続いている。この辺りでは一番大きな駅ビルになっている。ホームはビルの中の、二階に吸い込まれている。
右側のその他の線路は駅ビルの脇を更に超えていく。そこにはなにやらごちゃごちゃとした物影が見えている。いくつものホームがあり、以前は国が経営していた駅が拡がっている。私の記憶では、右端には私鉄の駅があり、地下にも少しの距離を置いて二つの駅があるはずだ。その全ての駅が同じ名前になっている。
もう一人のランボーは少しの躊躇も前触れもなく、引き金を引いた。轟音が響き、煙を上げて巨大なロケット弾が飛び出してくる。私に対処の術はない。ドアから飛び出しても、今更手遅れだ。いくらこのスーツを着ているとはいえ、どっちにしても怪我を免れることは出来ないだろう。
もう一人のランボーは発射の衝撃で身体を後ろにのけ反らしている。
ズダダダダダーッ! ズダダダーッ!
ランボーが機関銃を連射する。もう一人のランボーは更に身体を後ろに、今では両足が宙に浮いている。
機関銃の一発目とほぼ同時に、乾いた響きがもう一つ聞こえていた。それは確実に的を捉えていた。もう一人のランボーの眉間に、一つの弾丸が埋め込まれ、そこから小さな血筋が垂れ流れている。
法銃撃の轟音の中、微かに別の物音も混じって聞こえる。
その弾丸を押し込むようにナイフが真上に突き刺さっている。そのナイフは正確に弾丸のお尻を突き刺している。
もう一人のランボーは宙に浮かんだまま後ろに吹き飛んでいる。ランボーは銃撃を止めないまま、もう一人ランボーの横側へと回る。その動きが滑らかで、ほんの少しだけ、ジャングルの中で戦う本物のランボーの姿に重なった。ランボーは、反対側のドアにもたれ、銃撃を続ける。
その勢いで、もう一人のランボーがホームの反対側にまで吹き飛ばされていった。
そしてその時、終着駅側から電車がホームに入り込んだ。停車のためにスピードを緩めているが、後ろに吹き飛んでいたもう一人のランボーを横に押し流すには十分の力があった。もう一人のランボーは線路の上に倒され、電車の下敷きになったことだろう。確認はしていないが、対向車線を走る電車は少しも無理なブレーキをかけず、何事もなかったかのように普通に停車している。
もう一人のランボーが放ったロケット弾は、カランコロンと虚しい音を立てて車両の中に転がっている。二つに分かれたロケット弾は、片方が私の足元に近づいている。もう一つの片割れは、サムライの足元で震えている。
私はその瞬間をしっかりと見届けていた。もう一人のランボーが放ったロケット弾をサムライは縦に真っ二つ、切り開いた。その様は、見事と称する他なく、スポーツの名場面のような、芸術作品を見ているような様だった。
サムライは大砲の発射よりも一瞬早く動き出していた。その動きは、他の三人よりも突出していた。鞘を左手に、刀を右手で掴み、舞い上がる。蛙のように軽やかなジャンプ。
私には抜き出した刀が見えなかった。ほんの一瞬、キラッとなにかが輝いた。音もなく、一瞬でロケットを切り裂いていた。
ランボーとナイフ女は驚きの表情をサムライに向けている。ランボーは身体全体を震わせていて、持ち構えている機関銃もガタガタと震えている。溢れ出ている弾丸が、音を更に耳障りにさせている。
ナイフ女は左手のナイフを右手に持ち替え、相変わらず舐めまわしている。しかしその目は挑発的ではなく、丸く見開いている。そして左手は力なく、椅子から下に垂れ下がっている。足は少し、震えている。というより、ムズムズとしているといった表現の方が正しいようだ。
ガンマンは自分の拳銃から立ち上がっている煙を吹き消している。それを腰のベルトに垂れ下げ、左手をまたカウボーイハットに乗せている。ちっともこっち側には顔を向けないように感じられる。ガンマンは目を瞑っているかのような細い目をしているため、もしかしたら視線だけを向けているのかも知れないが、私にはそんな風には感じられない。ガンマンの佇まいは、サムライとは違う種類ではあるが、特殊なものだ。
サムライはまた、腕を組んで座っている。今起こった出来事に、自分がしでかした凄技にはまるで興味がないようだ。自然体でそこに座っている。
ホームの向かい、反対車線に停車した電車のドアが音を立てて開いた。私は思わず振り返り、視線を向ける。この車両の現実よりも、正直そっちの方が気になる。終着駅からやって来たその電車の中には、この街の、今の現実がこの車両よりも濃く表わされているはずだから。
一番後ろの車両は、静けさに包まれている。物影は沢山あるが、生きている人の気配が感じられない。
私には車内のあちこちに吹き飛ばされている黒みがかった血の跡が見て取れる。なにかしらの戦いが行われていたようだ。銃撃戦なのか、肉弾戦なのかはわからない。ただ、その車両からは血の匂いだけでなく、死の匂いも漂っている。どす黒い雰囲気に包まれている。まるで死神がその場を占拠しているように感じられる。そんな暗くて冷たい雰囲気だ。
私の乗っている電車のドアが音を立てて閉まろうとしている。外からは銃弾の音が一つ、聞こえてくる。それは少し離れた車両から。向かいの電車からなのか、同じこの電車の別車両からなのかはわからない。
ここからは隣の車両との仕切りに引き戸が二つあるため、少しも隣の様子が伺えない。
時刻通りに電車は走り出し、次の駅へと向かう。また長い一分間半が始まる。
私の予想は少なからずとも当たっているようだ。今現在、すでに多くの犠牲の血が流されているということは確かだよ。
私は家族のことが心配で仕方がない。無事にいられるのか? 地下のシェルターのセキュリティーは万全だ。地下への扉はカモフラージュされていて、一見しただけではどこに扉があるのかもわからないはずだ。そしてもし見つけられたとしても、鍵を開けるのは困難極まりない。この時代に、面倒な時間を費やしてまで中を確かめようとする暇人がいるとは思えない。
それでも私は、万が一が心配でならない。今の世の中、誰がなにを考えているのかなんて、予想なんて出来るはずもない。狂った世の中、狂った奴らの心境なんて、考えるだけ無意味なものだ。
子供たちは今、私の作ったスーツを着てくれているのか? 子供には窮屈だが、今日だけは、せめてこの一番危険だと思われる日にだけは、無理にでも着させてほしいと妻に頼んである。
妻にも、四人の両親にも着てほしいと頼んでいる。どうだろうか? 妻と妻の両親はまだしも、私の両親は頑固なので、意地でも着ないなんて言い出しているかもしれない。そのために裏地を使用した普段着も作ってはいるが、それだけではやっぱり、今日だけは不安でならない。
それに、朝は地下のシェルターにいたが、今もそこにいるだろうか? 生活用品、テレビやゲーム、好みと思われる本などを用意してはあるが、閉鎖された空間は、退屈だ。退屈はいつしか、人を狂気に追い込む。
まずは今日一日、たった一日の我慢だ。それで家族の誰かが狂気に陥るとは思えない。シェルター内にはそのための工夫も施してある。
子供騙しではあるが、ないよりはましなもの。少なくても、気分転換にはなるはずだ。
私は壁に窓枠を作って取り付けた。カーテンもセットにしてある。本物らしさを演出すためだが、もちろんただの飾り付けだ。外から新鮮な風が流れ込むことはない。カーテンも揺らめかない。しかしその内側に、外の景色を描いている。本物以上に遠近感があり、写実的な絵だ。
初めは写真を貼ろうかとも考えた。しかしそれでは逆に、現実への虚しさを感じるだけだ。
私はそんな窓を四つ作った。少なかとも思ったが、あまり作りすぎるのも意味がなくなると考え、部屋の形とデザインを考慮した結果が四つだった。四つそれぞれ別の絵を用意してある。
私はそのシェルターが気に入っている。作っている途中も、何度かその部屋で寝泊りをしている。作業の短縮のためではなく、ただ単純に居心地がよかったからだ。
今朝までの私の予想では、家族みんなが楽しんでいてくれているはずだ。あの部屋ほどの安全は、一般の民家ではありえないはずなのだから。
政府なら、この日のために、いいや、それ以前からかもしれない。無意味な血を流す戦争のために作っていてもおかしくはない。
今日の現実は、戦争と同じなのだろうか? それともそれよりはいくらかまともなのか? それ以上のものなのか? 私には少しもわからない。
今の世代は、この国の人間は少しも戦争なんて知らない。私の両親もそうだ。私の家族の中で、生きている一番年上の父親でさえ、戦争の記憶は少しもない。ただ、この国が行なった最後の戦争の終わる年、父親は生きていた。四歳だったそうだ。
この国では総理大臣でさえ、戦争を知らない。だからこそ、こんな法律が作られ、反対もされずにこれたのだろう。痛みの意味を、命を奪い合うことの結果を誰も知らないからこそ、こんなことが起きたんだ。戦争がいいとは思わない。しかし、痛みを感じることは、生きて行くためには必要なことなのかもしれない。残念な現実だけれど、今の私たちは、多くの戦いの上に成り立っている。戦争を繰り返し、今の私たちが生きている。
外国ではこんな法律はあり得ない。きっと物凄い反発を受けていることでだろう。私は外国ではどんな状況になっているかが知りたいと思っている。しかし、今のところ不可能だ。テレビやラジオ、新聞もあるが、全てが規制を受けているようだ。なにをどうしたのかはわからない。ただ、外国からの情報が一切ストップしているのが現実だ。
国際電話も繋がらない。インターネットも、外国のサイトとは繋がらない。メールを送っても届かない。
この国は今、孤立している。
正直な話、私はこの状況がそれほど長く続くとは思っていない。この国の国民を法律に従わせることは出来たとしても、外国の人間が、全てが黙っているなんてあり得ないからだ。きっとすぐに、大きな反発がこの国を襲うことだろう。
その後がどうなるのかはまだ見当もつかない。戦うのか、逃げるのか、従うのか、誤魔化すのか。
まずはその日が来るまで、私は家族を守らなければならない。その後のことは、その後考えるしかない。
この国は不思議な国だ。こんな法律を考え出し、それがまともに受け入れられ、こうして現実のものとなっている。
しかしそれは、以前からそうだったのかもしれない。この国は、他とは少し違っている。戦争はしていないが、お金は出している。軍隊はないと言っているが、名前を変えているだけで、現実には存在している。そしてなにより、この国は血が好きだ。
外国の戦争に、慈善活動だといいながら参加をし、多くの命を奪う手助けをしている。太刀が悪いのは、直接的ではなく、間接的なところだ。
この国の犯罪率は、世界一。国民の三割が一度は刑務所に入っているという。そのうちの七割で血を流している。傷害や殺人、そんな事件ばかりが新聞を賑わしている。
こんな日が訪れることを、この国は望んでいたのかもしれない。私もまた、そんな一人なのかもしれない。哀しい現実だ。
しかし不思議なこともある。この国では、今日この日まで銃器の所持が禁止されていた。それなのに世界で一番の犯罪率だ。もしも銃器の所持が自由になれば、それはとても恐ろしいことだと、私は常に考えていた。アメリカ以上の犯罪大国になることは間違いない。
その日が遂にやってきたわけだが、その銃器をどこで手に入れたのか、私は知らない。手に入れるつもりもなく、調べようともしなかった。
私はあまりにも簡単に、誰が使ったとしても命を奪えるその武器が嫌いだ。覚悟がなくとも引き金を引きさえすれば弾が飛び、誰かに当たれば簡単に死んでしまう。
しかし奴等はその許可をいつ手に入れたというのか? 法律は今日から。許可の受付けは三週間前からだ。その時はまだ、銃器の所持が禁止されていたはず。
それならば私の針も違法だったのか? というよりも、以前はナイフの携帯も禁止されていたはずだ。刃渡りがいくつとか制限があったはずだが、テレビで紹介していたナイフは、明らかにそれに違反しているものだった。
私の知らない間に法律が変わっていたのだろうか? 私は生地の開発や、シェルターの建築、武器の作成などに忙しくてまともにニュースを見ていなかった。ほんの少し耳を傾ける程度だったのは確かだ。
銃器の所持もおそらく、今日の法律実施に向けて、多少の規制が緩んだのか、法律的に変化があったのだろう。
この車両の中には銃器を携帯している奴が二人もいる。さっきの奴はロケットランチャーだ。そんな連中が大勢いるとなると、街は予想以上に大変なのかもしれない。
窓の外、静けさを破る銃撃の音が聞こえている。そんな空耳が私を襲う。実際には電車の音以外にはなにも聞こえていない。私は近づくホームから視線を移す。ホームとは反対の、線路の外側に目を向ける。
そこには今まで気がつかなかったのが不思議なくらいの光景が、いつの間にかに拡がっていた。真っ赤に燃えている数々の家、崩れかかっているビルやマンションも見える。銃撃の音は本物だった。動く人影もいくつか確認できる。そして爆発の音も響いている。
私は慌てて振り返る。背中側の、たくさん並ぶ線路の向こうに目を向ける。そこはもっと酷いように感じられる。遠くてあまりよくは見えないが、真っ赤な炎と、黒い煙ばかりが目につく。
立ち上る炎と煙は、私にはまるで現実感がない。電車の外、窓の向こうが映画の世界になっているようだ。電車の窓がまるで、無限に拡がるスクリーンのように感じられる。
そこでは今もまた、新しい煙が立ち上っている。きっと、物凄い轟音と、それに負けないくらいの悲鳴が聞こえていると思われる。
私にはなにも出来ない。こんな状況で家族を残してきたことを、今更ながら後悔している。きっと今頃、あの家は崩されていることだろう。銃弾への対策はしてきたが、ロケットには敵わない。それでも地下への入り口だけは守られていることを信じている。
あの扉は、ロケットにも耐えられるはずだから。上で象がコサックダンスをしても傷一つつかない、凹みすら出来ないはずだと、宣伝されていた。
家が崩れれば、誰もその入り口を見つけることは出来ないだろう。私でさえ、難しいと思う。そしてきっと、内側から開けることはもっと難しいはずだ。建物の重みが圧し掛かってくるはずだから。そのための対策は当然考えてある。しかし私は、それを家族には伝えてこなかった。まさか今日、こんな事態になるとは予想もしていなかったからだ。少し考えが甘かったようだ。
しかし問題はない。私が無事に帰りさえすればいいだけのこと。そういう意味では、内側から出られないのは好都合だ。私の両親が無茶をしなくて済む。
ガタンッ!
電車の中から、物音が聞こえてくる。隣の車両からのようだ。私は顔を向ける。するとガンマンが立ち上がった。他の三人の視線がガンマンへと向かう。ガンマンは私たちに背を向け、隣の車両とをつなぐドアを睨んでいるようだ。両手をぶら下がっている拳銃に当てている。
ランボーの構えている機関銃がガンマンの背中を捕らえている。ナイフ女は今にもナイフをガンマンの背中に投げ飛ばそうと両手にナイフを握り構えている。サムライでさえ、刀に手を当て、ほんの数センチ、光る刃をのぞかせている。
私はただ、なにもせずに様子を眺めるだけだ。なにが起きたとしても、私の出番はないように思われる。
ズキューン! ズキューン!
ガンマンが拳銃を抜いた。両手の動きはとても軽やかだ。一発ずつの発砲、流れるような動作で、両手を同時に動かし、同時に元の位置に戻している。私が驚いたのは、二発の発砲に僅かなズレがあったことだ。そのズレは意図的だと思われる。私の予想ではあるが、二人の敵がそこにいたようだ。
ガンマンはゆっくりと元のイスに腰をかける。その際少しも後ろにいる私たちには視線を向けない。なにごともなかったかのように足を組み、両手を頭の後ろに絡めている。
私は隣の車両の様子を確かめたいと思い、足を動かそうと考えている。しかしその足が、なかなか前に進まない。
私は恐怖を感じている。ガンマンのように堂々と、この中を歩き進むことが出来ない。私にはただ、見ていることしか出来ないようだ。
しかしこのままではまずいとも感じている。私は覚悟を決める。今動くことが出来なければ、いざというときにも動き出せないはずだから。
私は動く電車の中を、落ち着いて車両の奥へと歩き出す。誰にも顔を向けず、真っ直ぐに隣の車両とを繋ぐドアを見つめる。今ではその小窓に二つの穴が開いているドアを見つめている。
サムライはじっと目を瞑っているようだ。その視線は全く感じられない。殺気すら放っていない。とても静かで、そこに人がいるというよりも、大きな石があるだけといった感じだ。
ナイフ女は私をジロジロ舐めまわすように上から下まで眺めているようだ。嫌らしい感情が、渦巻いている。私は完全に、狙われていると感じている。命の危険ではなく、身体の危険を感じている。男として嬉しいだなんて思えるようなものではない。その感情は、恐怖に他ならない。
ランボーはまだ、震えている。がたがたがたがたと、耳障りでならない。奴が私を睨みつけているのはよくわかる。奴の怯えた視線は、私の気分を悪くさせる。私までもが、心の奥にしまった恐怖を思い出してしまいそうだからだ。
ガンマンはまるで私のことを気にもとめていない。目を細めている様は、眠っているようにしか見えない。微かにだが、寝息が聞こえているように感じられるのは気のせいだろう。
私は窓の前に立ち、中の様子をうかがう。しかしここからではよく見えない。私の目には、誰もいない車両が見えるだけだ。
私はドアを開けて中に入っていく。もう一つのドアから中を覗き込む。中には誰もいないようだ。しかし血の跡が、両方の窓側にいくつか見えている。確かに誰かがいたようだ。そしてなにかが起こっていたようでもある。
私はまたドアを開ける。そして中を歩き進む。
ドカッ!
足元になにかがある。私はそれを強く蹴飛ばしたようだ。下に顔を向ける。そのなにかは、死体のようだ。身体中にはいくつもの傷があり、血が流れている。眉間には一つの穴が開いている。ガンマンが撃った銃弾の跡に違いない。
その死体は私の蹴りで少し後ろに飛ばされた。その死体の下にはもう一つの死体がある。それもまた同じように傷だらけで、血が流れていて、眉間に穴が開いている。
二つの死体はどちらも軍服のような姿をしている。映画でよく見る、半世紀以上前のこの国の軍服姿によく似ている。二つの顔は、映画の中のように、恐ろしく若々しい顔をしている。どう見ても、まだなんの意味も知らずに生きている少年のようにしか見えない。この現実は、彼らには重過ぎる。
私は二つの死体をまたいで奥へと進む。その車両の窓は全て開けられている。窓の付近には血が多くへばりついている。私の予想では、そこから死体を投げ出したのだと思われる。二つの死体の他に、ここにはなにもない。
電車はゆっとりと速度を落とし、駅へと停車しようとしている。ホーム側には数人の人影が見え、通り過ぎていく。
私は姿を見られるのはよくないと、その場にしゃがみ、身を隠す。転がる二つの死体に目が向いた。そのうちの一人、私が蹴飛ばした方の死体だ。左の胸ポケットに妙な膨らみがある。私は中をまさぐる。四つのガムボールが入っていた。全て色の違うカラフルなものだ。私はそれを二つずつ、両手の裾の中に隠し入れる。それがなんなのか、想像がついたからだ。
窓の外をチラチラと、ホームの様子をうかがう。この車両の前には誰もいないようだ。しかし一つ先、四人のいる車両には一人が待ち構えている。一番奥の、さっきまで私がいた先頭のドアだ。
私は先頭の車両に戻ろうと立ち上がり、死体をまたぎ、ドアを開ける。そしてちょうどのタイミング、電車は今、停車した。長い一分間半が終わり、危険な三十秒間が始まろうとしている。
私はドアとドアの間、連結部分から中の様子をうかがう。今不用意に中に入るのは、あまりにも危険すぎる。
先頭のドアで待っているのは、黒いシルクハットをかぶっていて、黒のタキシード、白くて縦にふわふわな皺の入っているシャツ、赤い蝶ネクタイ姿の、私にはどう見ても入学式の小学生かこの場には不似合いなマジシャンのようにしか見えない男だ。
マジシャンは中に入るとすぐ、両手を高くかざす。その手にはなにも持っていませんと、わざとらしく指を広げて手の平をクルクルと回して見せる。
するといつの間にかそこに、なにもなかったはずの両手に、指と指の間に数枚のトランプが挟まっている。私の目には遠すぎて、何枚あるのかまでは見てとれない。
マジシャンは両手を交差させ、私には滑稽にしか見えないポーズを取る。そしてその体勢からこっちに向かってカードを投げ飛ばす。
四枚のカードが、それぞれ四人に向かって飛んでいる。マジシャンは私の存在には気がついていないようだ。
サムライは刀を鞘に入れたまま、刃をのぞかせ、その部分で向かってくるカードを捕らえ、真っ二つに切り落とす。そしてすぐ、元に戻し、なにもなかったかのように腕を組み、じっとしている。
ナイフ女は向かってくるカードにナイフを投げつける。ナイフとカードはぶつかり合うとき、金属音を鳴らして床に落ちた。カードには刃が仕込んであったのか、カードそのものが金属製の刃になっていたのかどちらかだと想像が出来る。
ナイフ女は床に落ちて震えているナイフに視線を落とし、哀しそうに瞳を潤ませている。そしてもう一つのナイフを取り出し、マジシャンに向かってきつい視線を浴びせ、構えている。
ランボーはその構えていた機関銃を連射する暇がなく、向かってくるカードを避けることも出来ず、首筋を大きく切り裂かれている。動脈は綺麗に切断され、大きく血を噴き出している。ランボーは白目をむいて首を傾げていて、その首は、今にもちぎれて落ちてしまいそうなほどだ。
情けない話だが、私は胃から全てのものが逆流してくるのを感じている。激しい嗚咽、思わず口に手を当てる。
ガンマンが放った弾丸はカードのど真ん中に穴を開けている。勢いをなくしたカードは風に流され、開いているドアからホーム側に飛んでいく。ガンマンもまた、なにごともなかったかのように元の姿勢に戻っている。
ズダダダダーンッ!
ホーム側から銃撃音が聞こえてくる。私の場所からは外の様子はほとんど見えない。振り返って隣の車両をのぞいてみる。誰もいない。しかしほんの少し見えるホーム側の窓に、飛び行く弾丸の軌道を示す煙がちらついている。
後方の車両からの銃撃だと思われる。ホームにいた誰かなのか、車両に乗っていた誰かなのかはわからない。
少なくとも生きている誰かがこの五人以外にもいるということだ。
マジシャンはじっと私の方を睨んでいる。ここに私がいることに、気がついたのかもしれない。マジシャンはまた両手を頭の上に、交差をさせてポーズを取る。その手には、一枚のカードが指の間に挟まれている。
私は覚悟を決める。右手の裾にいつでも取り出せるようにしている針を確認する。そしてそれを手の平に滑らせる。
私はドアを開けて車両の中に戻る。マジシャンはすぐにカードを投げつける。その動きはさっきよりも数段滑らかだ。一枚だけだとやはり、さすがはプロの手つきといったところだ。
私は向かってくるカードに集中する。神経を尖らせ、軌道を把握する。避けるのは容易だが、それだけではつまらないと思う。私にとっての記念すべき第一歩、汚点というべきかも知れないが、派手に決める必要がある。
そのカードの弱点はたった一つだ。平な部分、そこを掴むしか道はない。それも正確に真ん中を捉え、平行に掴まなければならない。カードの切れ味は本物だ。この手袋でさえ、少しの危険はある。私にとっては命ともいうべき指を失うわけにはいかない。例え掠り傷でもダメだ。針を武器にしている私は、僅かな痛みで狙いが狂ってしまう。
私は飛んでくるカードから目を逸らし、避けてしまいたい気持ちを我慢する。そして限界まで見極め、目の前数センチのところでカードを掴む。右手の人差し指と中指の間を使った。
私は手の平に隠していた針を偲ばせ、カードを投げ返す。真っ直ぐにマジシャンの眉間めがけて。
カードは私の思い通りに飛んでいく。途中で誰かに邪魔をされることもなく、真っ直ぐに。
マジシャンもまた、私と同じようにカードを掴もうと待ち構えているようだ。それこそが私の思うつぼ。マジシャンの目には見えないように細い針を忍ばせているからだ。
マジシャンは私の想像通りにカードを指の間で掴む。そして私はその想像通りに笑顔を浮かべる。マジシャンは私に対して勝ち誇った微笑を浮かべている。馬鹿な奴だと思うよ。
そして一瞬後、その微笑が凍りついた。全てが私の予想通りだ。カードに忍ばせていた針が眉間に突き刺さり、通り抜けている。後ろの窓にも小さな穴が開いているはずだ。私の針は傷跡を残さず脳を貫き通す。そしてマジシャンは身体を硬直させ、立ったまま死へと旅立った。
この事態に他の三人は驚きを隠せないでいるようだ。私はその視線を浴びるのが気持ちいい。足を進めて先頭へと向かう。
ガンマンは細い目を見開いて私の動きに視線を合わせて動かしている。私はそんなガンマンにそっとウィンクを飛ばして見せる。ガンマンはカウボーイハットを滑らせるほどに腰をずらして体勢を崩す。組んでいた足を解き、右手でカウボーイハットを掴み、左手をささえてかぶり直す。
ランボーの死体には目を向けない。恐怖の現実は、私にとっては迷惑なだけだ。
ナイフ女は私に対して愛しげな視線を送っている。ナイフを舐めまわす口元には、嫌らしさと共に愛情が見てとれる。ナイフ女は私を想像し、身体を濡らしているようだ。左手で股間をもろにまさぐっている。そして目つきをウトウトさせ始めた。私はナイフ女の目の前で舌をなめずって見せる。ナイフ女の瞳が、落ちた。
サムライでさえ、私をじっと見つめている。表情も体勢も崩してはいないが、閉ざされた瞼の隙間から、視線が私の姿を追っているのが感じられる。私はハンティング帽子に右手を乗せ、頭を下げる。なぜなのか、サムライには敬意を表したくなる。
先頭に辿り着いた私は、立ったままのマジシャンを目の前で見つめている。そして小さな穴の開いている眉間を軽く押す。
マジシャンは後ろに倒れていく。真っ直ぐに身体を伸ばしたまま、頭からガンッ!と大きな音をたてた。
私は倒れたマジシャンを蹴り転がし、ドアからホームへと落とす。マジシャンの表情は、驚きで固まったままだ。少しも表情を崩さないのは、さすがだ。
そしてすぐに音をたて、ドアが閉まる。私は先頭のホーム側、窓のない壁に背をもたれ、今までと同じように電車の口に飲み込まれてくる線路を見つめる。終着駅へと続く線路を…
いよいよ最後の一分間が始まった。私は緊張を隠せない。胸の鼓動が背中越しに車両全体を揺らしているような錯覚を感じる。
一分後に待ち受けているのは、この国の、今の現実だ。だいたいの想像は出来ている。予想通りだともいえる。しかしそれを受け入れるのは、恐ろしいことでもある。電車が終着駅に辿り着けば、もう逃げることは出来ない。ずっとこの中にいたい。ここは外よりも僅かに安全だ。
果たして本当にそうなのだろうか? 私の背中に突き刺さる視線はなにを意味しているのだろうか? 今まではおとなしかった三人が、私をじっと見つめている。私だけを見つめている。きっとなにかを企んでいるのだろう。私を危険な存在だと認識してしまったのだ。
この一分間はあっという間だ。ホームのある駅ビルがみるみる近づいてくる。真っ暗な穴の中に電車が吸い込まれていく。
私はそろそろ覚悟を決めなくてはならない。とっくに決めていたはずの覚悟を、今更もう一度決めなくてはならないようだ。
この現実は理解している。この四分間で人の死を目の当たりにし、実際に私も一人殺している。窓の外はまるで現実感のない戦争映画の世界。
こうなることはわかっていた。そのための準備もしてきた。しかしそれでも、恐ろしいことだ。後ろの三人の視線を感じると、ここから生きて出られないことを強く感じてならない。
どうすればいい? 私にはもう、考える時間もない。電車は駅の構内に頭をのぞかせ、スピードを緩めている。今動かなければ、私は生きて家族に会うことが出来ないだろう。
私はそっと両手の裾からガムボールを滑らせる。三人に悟られないように四つの色を確認する。私の目は二つある。二ヶ所を同時に見ることが出来る。左目で車内を見て、右目を手元に落とす。右手に紫と黄緑、左手にピンクと水色だ。その色にどんな意味があるのか、それぞれにどんな違いがあるのかはわからない。
しかしこれは間違いなくただのガムボールではない。死体の彼らの服装と、その若過ぎる顔からは想像できないが、これは間違いなく爆弾だ。いくら少年だからといって、ガムボールを四つポケットにしまって戦いを挑むとは思えない。きっと映画を真似て作ったのか、誰かに貰い受けたのだろう。
私はガムボールの一つをそっと左手で握り締める。紫のガムボールがグニャッと潰れた。他にはなんの変化もない。私は感触を確かめながらグニャグニャ握りまわす。中にはなにも入っていないようだ。
本当にこれが爆弾なのかと不安になった。しかしただのガムだと考えては不自然なほどに柔らかいようだ。何色かを混ぜ合わせるとか、そんな使い方があるのかもしれない。
それとも強い衝撃が必要なだけなのかもしれない。普通にぶつかっただけで爆発するような代物ならば、少年が持つには危険すぎる。混ぜ合わせるのも同じ理由でないと考えてもいいだろう。この異常事態、そんな面倒なことを一々覚えてなんていられるはずもない。
私は結論づける。そしてその結論を確かめようと考えている。
私は三つのガムボールを手の平に隠し、振り返って三人の様子を眺める。電車は今にも止まりそうなスピードにまで落ちている。
ガンマンは腰の拳銃に手を当てて、今にも立ち上がろうと待ち構えている。
ナイフ女はすでに立ち上がって、二つのナイフを私に向けている。足を一歩前に踏み出してもいる。
サムライもまた、立ち上がっている。私に顔を向けて仁王立ちだ。両手を刀に乗せている。いつでもいけるとの構えだ。殺気まで漂わせている。
私の両手は今、ぶら下がっている。右手に二つと左手に一つのガムボールを隠し持っている。潰されたガムは裾の奥に隠してある。
そのままの状態で針を三本取り出す。ガムを傷つけないように気をつける。もしも今爆発してしまっては困る。鋭利な刃が突き刺されば爆発、なんてことも考えられなくはない。
電車は今、完全に停車した。ドアが音をたてて開く準備をしている。この瞬間を逃す手はない。チャンスはこの瞬間一時。
私はガムボールと針を同時に投げつける。三人に向かって、それぞれ一つずつだ。手首の返しだけで目的へと命中させる。私はその術を繰り返しの練習で手に入れた。ボールを投げるのは初めてだが、投げるという行為に変わりはない。絶対の自信が、私にはある。
私の動作は三人には見えていないはずだ。視線を私に集中している三人に対して、私は表情一つ変えず、手首以外は少しも動きを見せていないはずだから。
しかし三人はさすがの反応を見せる。私の動きには気がつかなくても、飛んでくるボールと針には、すぐに反応を示す。
水色のガムボールがサムライめがけて飛んでいく。同時に針も飛んでいく。重みと形状の差の分、針の方がじゃっかん早くに届く。
サムライは素早く刀を抜き、針を弾く。その針は私に向かって飛んでくる。私は首を横に傾ける。針は頬を掠めて運転席との仕切りの窓ガラスを突き抜ける。そのまま勢いは消えず、先頭のガラスをも貫き電車の外に飛んでいく。私はその様子を横目で捉えた。
そして私の右頬には数センチの傷がつき、赤い血が滲み出している。
私の針には色々と特殊な仕掛けがしてあるものもある。大きく伸びたり、拡がったり、くの字に折れ曲がったりするものもある。翼が拡がり自由に角度を変えられるものや毒薬などの液状の薬を仕込めるものもある。水分が針には触れないように仕込み口の内側にコーティングがされてもいる。
しかし当然、そんな針を容易に使用したりはしない。跳ね返される危険はわかっている。危険な行為は命取りになる。さっきのも含めて四本の針は、ただ普通よりも細いだけの針だ。
サムライは水色のガムボールを横に真っ二つ、切り裂こうと考えたようだ。
ボンッ!
ガムボールは白い煙を上げて爆発する。サムライの刀には傷一つついていないように見受けられる。しかし水色のガムボールの破片がへばりついている。
ボンッ!
その破片がまた爆発をした。それでも刀には傷がついていない。ただ、その破片はサムライの身体にもいくつかくっついていたようで、それも同時に爆発し、サムライの身体が膝から崩れ落ちる。あちこちから黒い煙が上がっている。袴にはいくつもの破れが見え、その中の素肌は黒くなっていて、ドス黒い血が流れている。
紫のガムボールはナイフ女に飛んでいった。ナイフ女は飛んでくるガムボールにナイフを二本とも投げつけた。その場で激しく爆発する。水色のガムボールとは数倍も差のある大きな爆発。
ナイフ女は身をよじって飛んでくる針を避けることは出来たものの、爆発によって跳ね飛ばされた自らのナイフを避けることが出来ず、両方の胸に一本ずつ突き刺さり、静かに血を流して前のめりに倒れている。その瞳はしっかりと私を見つめている。私に本気で恋でもしたのだろうか? 哀しげで愛しい視線が私の胸を熱くする。私もこの一瞬、ナイフ女に恋をした。
黄緑のガムボールはガンマンの元に飛んでいく。ガンマンは二つの拳銃で一発ずつ弾を放ち、まずは針を吹き飛ばす。その針は私の方に真っ直ぐと飛んできた。しかし私には届かない。膝から崩れ落ちているサムライの背中に突き刺さる。サムライはその勢いで前にバタリと倒れた。
黄緑のガムボールは私が投げた瞬間から少しずつ膨らんでいった。空気の抵抗により、そうなる仕掛けのようだ。ガンマンの弾丸はど真ん中に穴を開けただけ。通り抜けた弾丸もまた、私の方に飛んでくる。
私は避ける必要を感じなかった。ガンマンが初めから私を狙うつもりがなかったのか、その前の二つの爆発に動揺して狙いを外したのかはわからない。その軌道は私には向かっていない。真っ直ぐに運転席へと向かっていく。
そして運転手の、完璧と思われる防御の隙をつく。首もとに僅かな隙間がある。ヘルメットと防御服との間の予期せぬ隙間だ。運転手がしっかりと鏡を使うなり手探りをすれば確認出来、直すことの出来る服装の乱れによる隙間。運がいいのか悪いのか、その僅かな隙間めがけて弾丸は飛んでいく。
私にはそれを防ぐ余裕がある。素早く針を飛ばせばまだ、間に合うことだろう。飛んでいる弾丸を打ち落とすことは出来なくても、軌道を逸らすことは出来る。少しでも逸れれば命は助かるはず。ほんの一瞬かもしれないが、彼の寿命が延びるわけだ。私はギリギリまで間合いを取る。その間にどうするべきかの判断をする。
膨らんだ黄緑のガムボールは勢いをそのままにガンマンに向かって飛んでいく。ガンマンは驚きに顔を歪めている。そしてその顔面に、膨らんだガムボールが包むようにへばりつく。ガンマンは拳銃を腰に戻し、慌てて両手でガムを拭いている。その瞬間、
ボンッ!
ガンマンの顔が吹き飛んだ。真っ黒な首の付け根がここからでも確認できる。吹き飛ばされた首はどこにも見当たらない。ただ、その付近の窓や壁になんとも表現したくない不気味な色のなにかが付着している。顔を無くしたガンマンは、静かに椅子に座っている。両の手首も吹き飛ばされてなくなっている。しかしその佇まいは、今でも落ち着きを放ったままだ。
私は窓から外の様子をうかがう。大勢が集まっている。右にも左にも、この車両の前だけで数十人はいるように思われる。後ろにも人影は多く、隣のホームにも大勢がいる。
終着駅には四つのホームがある。両端に一つずつ、真ん中に二つ。一度に三本の電車が停まれるようになっている。この電車は右端に停まっている。他のホームには、今は電車が停まっていない。
外の大勢の中には、血を流している者も多く見受けられる。倒れて死んでいると思われる者もいる。みんなはそれぞれに、好みの格好をし、好みの武器を手にしているようだが、その瞳が一様に、ギラギラしている。壁や地面には血の跡や空の弾装などが散らばっている。柄の折れたナイフや弾切れの機関銃なんかも目につく。
これが現実だ。私はいよいよ、覚悟を決める。長い五分間が、ようやく終わろうとしている。
右側のドアが、音をたてて開いた。
私はホームに足をつけるとまず、電車の後方を確認する。電車の中の生きている誰かが降りてくるのを見たかったからだ。
しかし誰もいない。次いで左側のドアも音をたてて開く。するとすぐに、マシンガンの銃声が響く。
ズダダダダダダーンッ!
ズドーンッ!
乾いた一つの銃声も追って聞こえてくる。
私は裾からピンクのガムボールを手の平に滑らせる。グニャグニャに潰れているガムボールだ。それをちぎって電車の外側に貼り付ける。私はすぐにもう一度電車の中に入り、左側のドアから外に出る。そこでもまた、外側にガムを貼り付ける。
私は前方の改札へと足を進める。運転席側の窓が開き、ヘルメット姿の運転手が顔をのぞかせている。顔全体を隠している透明なシールドを僅かに開けて口を開く。
ありがとうございました。助かりました。
運転手はそう言いながら防御服の崩れた襟を直す。その素肌には少し、血が滲んでいる。私の針は弾丸の軌道を変えることは出来たが、その針が跳ね返り、傷をつけたようだ。僅かな掠り傷。
私は運転手に向かって軽く右手を上げる。
命が惜しいなら、すぐに電車を出ることだな。この電車はすぐに爆発する。
私の言葉を聞いて運転手は慌ててドアを開けて飛び出す。
ホームでは大勢が私を見つめている。私に対して強い視線と共に、武器を差し向けている。反対側のホームからも、奥の二つのホームからも。
私は後ろに視線を送る。そこにはまた新しい死体が倒れている。その死体は迷彩服を着ていて、腕には機関銃を抱えている。今日は何故だか、そんな格好を多く見受ける。個性のないつまらない連中が溢れている。
私は構わず前を向き、改札へと向かう。目の前に、慌てて走る運転手が見える。
ズドーンッ!
背後から聞こえる銃声、私の背中が少し痒い。私はポケットから黒い革製のマスクを取り出し、口に当てる。サングラスの柄のボタンを押し、顔全体を防御する。こんなに早くフル装備することになるとは思いもしなかった。
マスクはサングラスのボタンを押す前に耳に掛けなければならない。ボタンを押してしまえば、耳を覆うように柄が拡がるからだ。
ズダダダダダーンッ!
前後左右あちこちから聞こえる銃声、機関銃だったり拳銃以外に、ナイフも飛んでくる。私はなにも感じず、ただ真っ直ぐに歩き進む。
私の身体にぶつかる弾丸は、パラパラと音をたてて地面に落ちていく。その姿はまるで、命を落とした蚊のようだ。ときおり混ざるナイフのカラン!という音が、私には心地がよく感じられる。猫革には、傷一つついていない。
私には銃弾やナイフが効かないことを知り、諦めたらしく、ホーム全体が静けさに包まれている。前を走っていた運転手も足を止め、振り返って私の様子を眺めている。どうやら私を心配してくれているようだ。有難いことだと思うよ。
スーツに残った弾丸を、私は埃を落とすように振り払う。そして運転手に向け、なんの問題もないからとのサインを送り、早く走れとの手振りを見せる。
私はじっと我慢をしてゆっくりと歩き続ける。ここで焦っては意味がなくなる。周りの連中は私を睨みつけてはいるが、今ではもう武器を向けてはいない。
運転手は改札を抜けたところで私を待っている。安心をしたのか、ヘルメットを脱いでいる。私は改札を抜けて運転手の横に立つ。
かぶっていた方が身のためだ。
私の言葉を聞き、運転手はすぐにヘルメットをかぶり直す。私は一瞬振り返り、針を二本投げ飛ばす。
私は運転手と二人、駅ビルの中に消えていく。
カンッ! カンッ! カンッ!
乾いた音がいくつか響いている。その直後、
ドガンッ! ドンッ! バダバダーンッ!
物凄い爆音が背後に響く。それから少しの間が開き、銃声が鳴り響く。その音は消えることなく背後に鳴り響き続ける。私は運転手と並んで、階段を降り、ビルの外へと向かう。
さて、問題はこれからだ。無事に家に帰りつくには、どうすればいいものだろうか。私はサングラスを元に戻し、マスクを外してポケットにしまう。そして運転手に顔を向け、首を横に振り、大きなため息を一つこぼす。
これからが、真の戦いの始まりなのかもしれない。
五分間