カジカナしませんか?

カジカナという言葉を聞いたことがあるだろうか? 二十代から三十代の間で流行っている遊びだ。私は今、その遊びに夢中になっている。先月までは部長の息子に、半年ほどカジカナしていた。その前は街で見かけただけの見ず知らずのサラリーマンに、一年。今は好みのタイプのOLに三ヶ月ってところだ。
きっかけは電車の中。その日の私は会社帰りに同僚と酒を飲み、深酒になった末に終電を逃した。同僚はタクシーで帰ったが、私はファミレスで時間を潰した。酒は飲まず、コーヒーを飲み、酔いを覚ましながら本を読んでいた。そして朝になり、始発で家に帰る途中、男二人の会話を耳にした。
昨夜の二人最高だったよな! こんなにうまくいくなんて思わなかったよ。この後どうする? まだこのままでいるか? 若くて背の高い整った顔の男がそう言った。
そうだな… 後二・三回ヤッたら、違うのに代えるか? もう一人は私と同じくらいの背格好で、私と同じくらいのいい男だ。歳は私よりも若いが、同じような帽子をかぶっている。年の離れた兄弟のように感じるほど、若い頃の私によく似ていた。
二人の会話には、多くの疑問を感じた。短い会話の中、全てが疑問だったんだ。そんな思いで私が男二人を興味有り気に眺めていると、向こうから話し掛けてきた。
あんたもか? 俺たちまだ、初めて間もないんだよね。今のでやっと三人目だしさ。あんたはどのくらい続けてるんだ? 背の高い男がそう言った。
私はなにも答えない。というか、答えられなかった。二人の会話の内容が、まるで分からなかったんだ。
…違うのか? なんだよ! まぁいいや、話聞いてたんだろ? 興味ある? なんて帽子の男が言う。男の問いに答える気はしなかった。なにか嫌なことに関わりそうな予感がするからだ。目を反らし、聞こえなかったふりをする。
シカトすんなよ! 聞いたんだろ? 今更逃げようったって遅ぇよ! あんたもカジカナをするか、俺たちのどっちかにカジカナされるか、選ぶんだな! どうする? 帽子の男が怒鳴り声でそう続ける。
初めて聞く言葉に意味が分からず、聞こえないふりを続けた。私には、それしかできなかったんだ。
されるより、する方がいいと思うよ。結構楽しいんだよな、やりだすとさ。まぁ… リスクはあるけどね。背の高い男の口調は柔らかだ。
私は無視をしたまま電車を降りる。男二人はしつこく、話しかけながら後をつけてくる。
いい加減にしろよな! どっちがいいんだよ! シカトするんなら今すぐしちまうぞ! そんなことを言われても困る。そもそも、するって、なにを? カジカナカジカナって、なにを言ってるのかまるでわからない。
 走って逃げようかとも考えたが、カジカナという言葉、男二人の会話が気になり、足が止まってしまった。
たんなる遊びだよ! するの? しないの? 説明はその後だよ! 帽子の男は顔は私に似ていても、性格はまるで違うようだ。どちらかというと、背の高い男の方が性格はおっとりとしていて私似のようだ。
私は、考えた。なにを考えていたのか、結局私はする方を選んでしまったんだ。と言うより、考える前からもう、答えは決まっていたんだけどな。
…そういうことだよ。後はまぁ、適当に楽しみなよ。それじゃぁまた、どこかでな! 多分お互いに気づかないだろうけどさ。そう言った帽子の言葉の背後から、背の高い男が手を挙げ、振っていた。私は思わず笑顔を浮かべてしまった。
私は男二人とは別の方向に歩き出し、家へと帰っていった。

カジカナをするにあたっては、いくつかのルールがある。その一つでも破ってしまった時、死を迎えることになる、らしい…
その一、誰にもそれをしていることに気づかれてはいけない。もし気づかれてしまった時、仲間にするか、その人にカジカナをすること。カジカナを解いたその時、その人を殺さなくてはならない。もしくは記憶を奪い取る必要がある。
その二、家族にたいしては絶対にしてはいけない。血の繋がりは、その関係性が複雑で、迂闊にカジカナをかけると、相手と融合して離れられなくなってしまうか、それすらも出来ずにバラけてしまう。
その三、一人に一年。それ以上は元に戻れなくなる可能性がある。ただし、融合を覚悟すれば、それ以上楽しむことも可能ではある。三年後に元に戻ったいう実例もあるが、稀である。
その四、それをしている時、私情で動いてはいけない。あくまでもその人になりきること。自分の意思を表に出してしまうと、カジカナの効力が薄れてしまい、時には解かれてしまうこともある。
その五、同じ人に二度目はしない。二度目をすれば融合してしまい、二度と戻ってこられない。融合を求め、わざとした者もいるが、無理な融合は自分の意思を失われ、相手側に吸収されてしまうことが多い。
その六、あまり回数を重ねてはいけない。多くとも十回程度にしておくこと。それ以上は自分を見失う危険あり。カジカナ中毒になると、無意識にカジカナを行う恐れがる。次第に自分がわからなくなり、カジカナをしていなくても常に誰かの人格が現れるようになってしまう。多重人格者がいい例である。後発の多重人格者は、カジカナ経験者が多い。モノマネ芸人もまた、そうだ。しかし彼らは、カジカナ中毒に打ち勝った数少ない例外である。
私はまだ、三人にしかしていない。ルールを破るような危険も、今までのところはない。しかし今、ここには挙げていない七つ目のルールを、破ろうとしている。

私は今、昼間はOLをしている。男として生まれ、容姿も男のままだが、特定の人にだけは女として映っている。一人暮らしをしている二十五才の村上静香。会社以外に友達があまりいない為、夜のこの時間、私は本来の男である自分に戻ることが出来る。この女にカジカナをしていても、少しも面白いことはない。ただ、普段男が女に対してどのような目でいるのかがよく分かる。会社での村上静香は、社内に女が少ないせいか、特別いい女でもないのに、男にチヤホヤされている。上司や同僚の見る目線は、女でなければ分からない感覚だ。私はそれを体験したかった。それに、あまりいい女ではないこの女の顔と雰囲気が、私は好きだった。
同じ部署にいる若い男に、先日告白された。相手が男とはいえ、好意を持たれるのは嫌な気分ではない。返事はまだしていない。私が勝手に決めるわけにはいかないから。かといって、試しに付き合ってみる気にもなれない。そろそろこの女はお終いにしようかと思っている。やっぱり私は、男でいるのが一番合っている。男としてこの女と付き合う方が楽しそうだ。
姿は男のままなのに、何故女でいられる? 疑問に思うのは当然のことだろう。全ての人に私が、村上静香に見えているわけではない。村上静香を知る人、知ろうとしている人にだけ、そう見えている。詳しい理屈は分からないが、事実そう見えているのは確かだ。人の思い込みとは、視覚にさえ影響をもたらすものなのかも知れない。
ところで、実際の村上静香は何処にいる? この世にいないのは確かだ。かといって、殺してしまったわけではない。私さえも知らない場所で、時間の流れを感じず、ただ生きている。私がカジカナを辞めた時、何もなかったかのように、日常に戻る村上静香。空いた時間の記憶はないが、時間の流れを気にすることもない。
静香さん、今度の土曜日、暇ですか? 野球のチケット貰ったんだけど、一緒に行きません?
私に告白してきたのは大石啓一という若いが仕事はできる男だ。返事をあやふやにしていたせいか、すっかりその気になっている。
巨人対横浜なんだけど、静香さん巨人ファンだったよね? 外野指定なんだけど、ドームのライト側だからさ。どう? なんてことを大石啓一は楽しそうに話していた。すでにデートが始まっているかのようなテンションだった。
余計なことをしてはいけない。用事があるからと、適当に断ろうともした。しかし、土曜の試合、当番予定は工藤公康。わたしの子供時代からの憧れの選手だった。断る理由を失ってしまった。
…いいよ。だけど、試合の後はまっすぐ帰るからね。次の日、朝から出掛けるんだ。
私にとって初めてのデートが決まった。女相手ではなく、男相手でのだ。なんだか不安を感じたが、楽しみでもあったのが不思議だよ。
待ち合わせの時間には、遅れることもなく、早過ぎることもなく駅に着いた。大石啓一はまだいない。女を待たすなんて、どういうこと? 私の思考は、村上静香のものへと変わっていた。わたしは普段、女の人と合う時、時間通りに行ったことがない。男の私は、女を待たすのを当たり前だと思っていた。あまりいい男ではないな。しかし、待つのが嫌いだから仕方がない。そう思っていたが、実際はそうでもなかった。待っている間に相手のことを考えている時間は、意外に楽しい。しかしそれにも、限度はあるのだけれど。
ごめんごめん、待った? 昨日遅くまで飲んでてさ、朝、辛くて…… 大石啓一はごめんのポーズこそとっていたが、笑顔を見せてそう言った。
デートの前の日に飲みすぎた? 私のことを好きなんじゃないの? 十一時半、約束より三十分遅れて来た大石啓一。試合開始は六時半だが、その前に食事や買い物をしたいからと言い出したのは、私じゃない。それなのに、どういうこと? 自然と湧く嫉妬心を抑えることができない。
ふぅん、そうなんだ… 食事にする? 私、お腹すいちゃった。あっ、大石君は二日酔いでそんな気分じゃないか。嫌味らしく口調を尖らせた。普段の私は、こんなことは言わないし、こんな言い方もしない。
そんな言い方しないでよ。ホントに辛いんだからさ。…ごめん。高校の時の友達と久し振りに会ってさ、つい、ね。分かるでしょ? 本当にごめん。もう一度ごめんのポーズをとってそう言う。今度は笑っていない。困ったような苦い表情を浮かべている。
いいわよ、別に。気にしてないよ。ただ本当にお腹がすいただけよ。私は、薄っすらとした笑顔を浮かべてそう言った。
本当? じゃあさ、何食べたい? おごるからさ、なんでもいいよ! だけどさ、あまり高いのは勘弁してね。大石啓一の表情がパッと明るくなる。コロコロと表情が変わる、わかりやすい男だ。
私たちは駅ビルの中にあるパスタのお店に入った。大石啓一はコーヒーを頼んだだけ。私一人茸のスパゲッティを食べた。本当にお腹が空いていた。本当ならお代わりしたいくらいだったよ。けれどそれは、村上静香の心が拒否をした。
美味しかった? お腹一杯になった? 大石啓一が心配の表情で伺ってくる。
ご馳走様でした。美味しかったよ。大石君は本当に食べなくていいの? 私は素直にそう言った。お腹が落ち着けば、気分も落ち着くものだ。
僕はまだいいよ。腹減ったらドームで何か食べるからさ。そう言いながら、大石啓一は満足そうに微笑んだ。
大石啓一は、食事中の私の顔をじっと見つめていた。しかし何故か、嫌な気分はしなかった。
これなんか似合うんじゃない? 着てみなよ。
私たちはデパートの洋服売り場に足を進めていた。。気に入った洋服を眺めている私に、大石啓一は試着を勧めてくる。
似合うじゃんよ! いいねぇ、これ買おう。すみません、これ下さい。このまま着て行くんで、袋だけ貰えます? 大石啓一はなんの迷いもなく店員に呼びかけた。
ちょっと! まだ買うなんて言ってないわよ。私は慌てて制する仕草をした。
いいからいいから、気に入ったんでしょ? 遅刻のお詫びもあるしさ。大石啓一はまるで私の顔を見ず、店員と向かい合い、お勘定を進める。
買う気なんてなかった。ただいいなぁと思っていただけだ。それも、私がではなく、村上静香の心がだ。それに気づいたのか、大石啓一は迷いなく買ってくれると言う。値段すら確認しなかった。嬉しい気持ちもあるが、少し困る。受け取ってしまえば、大石啓一の気持ちまで受け取ることになるような気がするから…
お金、私が払うよ。村上静香の心が、本心からそう言っていた。
いいって言ってるじゃない。なにも気にしなくていいよ。深い意味はないからさ。大石啓一の態度は、本当に自然だった。プレゼントすることを喜んではいたが、それを偉そうにはしていない。私の心が揺れるのを感じたよ。もちろん、私の中の村上静香の心がだ。
結局、断りきれなかった。無理にでも断ればよかったのかも知れないが、村上静香の心がそうはしなかった。欲しい物をなんの迷いもなく買ってくれるのを、無理に断る理由は見当たらない。
お似合いですよ。また寄って下さいね。そんな店員の言葉に、不安を覚えた。私に似合う? 嬉しい気持ちとは別に、なにかがおかしいと感じる。
次は何処に行く? まだ試合まで時間あるからさ、どうする? 映画でも観る? それとも喫茶店で休もうか? 大石啓一は、デート慣れしているのだろう。態度も会話も、全てが自然に流れていく。
私たちはいつの間にか手をつないで歩いていた。自然と差し出された大石啓一の手を、私も自然と握ったようだ。洋服を買って貰えたし、そのくらいはどうでもいいことだった。だけど… どうしても消えない違和感がある。
そこに入ろうか? 何だかさ、皆僕達のこと見てるよね? 静香さんが可愛いからかな? それとも、僕のファンかな? 大石啓一はわざとおどけてそういうが、なにか違和感を抱いているのも確かなようだ。少しばかり周りからの異常だと感じている。あまりに酷い視線に対しては、明らかな嫌悪の表情で、強く睨みつけていた。
喫茶店の中、周りの視線が気になった。私たちを見てる? 違う。私だけに視線が向けられていた。それはきっと、大石啓一にも感じられていたはずだ。
なんか気分悪いね? 出ようよ。その視線が私には痛かった。一刻も早く逃げ出したい。そん気持ちしかなかった。
大丈夫? 出るのはいいけど、何処に行く? 大石啓一は優しく語りかけてきた。その意図が、すぐにはわからなかった私は鈍い。
何処でもいいよ、人があまりいない所がいい… 大石啓一は、そんな私の言葉に勘違いをした。人目を気にしている私に顔を近づけ、優しい言葉をかけ続ける。初めはうざったく感じていたが、そのうちに大石啓一の優しさが心地良く感じられるようになっていた。
まだ気になる? 平気だよ、なに言われてたっていいじゃんよ! 大丈夫だって、皆羨ましがってるだけなんだからさ。そう言いながらも、大石啓一は周りの視線を睨みつけていた。もしかしたら、それは私へのポーズだったのかも知れない。俺が守ってあげるんだとの意思を見せようとしてのかも知れない。
それはないよ。私、可愛くなんかないし… 誰もいない所に行こうよ。村上静香の心が、無意識にそんな言葉を言わせた。
本当にそうする? 大石啓一の言葉に、村上静香の心が揺れるのを感じた。しかし私は、その言葉が不満だった。もっと他にも言う言葉があったはずだ。可愛いよの一言くらい言えないのか? 男の私は、そう感じた。けれど私の言葉は表には出ていかない。うん… そんな村上静香の気持ちが漏れただけだった。
大石啓一の行こうとしている場所は見当がつく。それでもいいと思った。私ではなく、村上静香の心がそう決めていた。そして予想通りの場所へ足が向かう。私はずっと俯き加減で歩いていた。部屋に入り、ようやく気がついた。ベッドの頭にも天井にも、壁のいたるところに鏡のある部屋だった。鏡の中に写る私は、笑われずとも、誰もが振り返る姿をしていた。
なにしてるの? シャワー浴びてくるけど、静香さんも一緒にどう? 大石啓一はすでに上着を脱いでいた。
…私はいいよ。恥ずかしそうに言ったのを、大石啓一は勘違いしたようだ。わかったよ、なんて笑顔で言い、一人で浴室に入って行った。
裸の私を見た時、大石啓一はなにを見る? 現実を知った時、私への、村上静香への想いは消えてしまうのか? なにを考えているんだ? 私が男に抱かれる? 大石啓一に嫌われるのを怖がっている? 私の心は混乱していた。そもそも私は、自分がどうしたいのかがわからない。
どうしたの? 元気ないけど、まだ気にしてるの? シャワーを浴び終えて出てきた大石啓一は、火照った身体から湯気を立ち上げていた。
そんなことないよ。ただちょっと、ドキドキしてるだけ。村上静香の言葉が先行してしまう。
大石啓一はバスローブ姿だった。ベッドに腰をかけていた私の隣に座り、手をつかみ、顔を近づけてきた。唇がふれあい、一瞬その気になりかけてしまった。心も身体も熱くなるのを感じた。
だめだよ。これ以上はまだ… そう言いながら顔をそむけるのが精一杯だった。そんな態度の私に困惑する大石啓一の顔が浮かんだ。実際には見ていなくても、はっきりとそう感じられた。
どうして? いいじゃんよ! 大石啓一がほんの少し強気の表情を見せた。私はその気迫に押し倒され、もう一度キスされた。今度は舌が絡んでくる。さすがに身体が嫌悪を感じた。
ダメだって言ってるでしょ! 私は大きな声を出し、大石啓一を突き放した。そして溜息をついた。大石啓一は、不思議そうな顔を見せている。
…僕のこと、嫌いになった? 必死に絞り出した言葉のようで、目が泳いでいた。
そんなことないよ。なんていう私の言葉には、力がない。ただの流れで出てきた言葉に過ぎなかった。
私の目を見る大石啓一の瞳が、涙で濡れていた。そして、震える声でこう言った。
だったら… それが精一杯だったようだ。
私ね、大石君のこと、好きだよ。だけどね、今はまだ、こういう事する気になれないんだよ。もう少しお互いを知ってからじゃ遅いかな? こんな所について来て言う言葉じゃないよね… それはわかっているんだけど、本当にごめんなさい。
なんとかその場を誤魔化したかった。かと言って嫌われては困る。村上静香に迷惑がかかるから。私自身、嫌な気分を味わうことになるから。そんな思いで必死に言葉を続けた。大石君は私のこと好き?
当然でしょ、じゃなきゃこんなとこには誘わないよ。なんて言葉を、大石啓一は若干怒り気味放っていた。当然の感情だと思ったよ。
好きでもないのにこんなとこについて来た私は、なにも言えずに黙っていることしか出来ないでいた。そんな私の姿を見た大石啓一は、立ち上がり、着替えを始めた。
この後どうする? ちょっと早いけど、ドームに行く? 大石啓一は、必死に取り繕った言葉を発した。
私は黙って頷いた。一人考え事をし、大石啓一との距離を置いて付いていく。
その後の野球観戦は、どっちが勝ったのかさえ覚えていない。どうやってホテルを出たのかも、球場への道程も覚えていない。帰り道、大石啓一とはいつ別れた? 私の頭に残っているのは、大歓声の中の大石啓一の哀しい笑顔と、また来週ね…という寂しげな声だけだった。
私は明日、村上静香を辞めようと思っている。こんなにも複雑な気持ちのまま、会社に向かうことなんて出来ない。女として大石啓一を見ることは出来ても、愛することは出来ない。周りの目は誤魔化せても、気持ちだけは誤魔化せない。女物の服装をして街を歩く、不思議がる人、バカにして笑う人、自然に受け入れる人がいる。会社で会う人、お客さん、お店の店員、気持ちが少しでも向き合えば、私は村上静香として映る。だけど私の心は、変わらない。いつか大石啓一にも伝わってしまう。男としての本当の私の気持ちが。だから私は、明日村上静香を辞めるんだ。そう心に誓った。
次の日、会社へと向かう私は、前を歩く大石啓一を見とめた。心の中でカジカナを思い、村上静香を追い出す。後ろから聞こえる足跡。私を追い越し、大石啓一の傍へ。
おはよう!
大石啓一の気まずそうな顔が、一瞬だけ覗けた。私はカジカナを再び思い、大石啓一の心を捕まえる。
おはよう! 静香さん… 私言葉に、大石啓一の気持ちが混じる。
私の目に映る村上静香が目の前にいる。村上静香の目には、誰が映っている? 大石啓一なのか、私なのか、その答えは永遠に分からない。それでいいんだ。私はただ、村上静香との時間を、大石啓一として楽しみたいだけだから。

最後に七つ目のルールを。
カジカナを無闇に他人に教えてはならない。意図なく知られてしまった場合、その時点でカジカナの力を失ってしまう。そして知ってしまった人は、必ずカジカナをしなくてはならない。どんな理由があっても、次の日までには必ず。期日を越えた時、待っているのは…

カジカナしませんか?

カジカナしませんか?

ちょっと不思議な遊びにはまり込んだ男の物語

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-03

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