お味噌汁の作り方

くらげみん

「先輩。」

「なに?」

「私が今、なにを作っているかわかりますか?」

とんとんとん、長ねぎを切りながら話しかける。先輩は野球部を引退してから、放課後たまにこの家庭科室に顔を出す。初めこそ驚いたが、訳を聞いてみると毎週水曜日、部活の最中に漂ってくるいい匂いの正体が、どうしても知りたくなったらしい。知りたいとは口だけで、本当は食べたいんだろうと思うのだが、そこは年長者を立てて敢えて言わない。

「それ、ねぎだろ?…ねぎ味噌!」

「ねぎ味噌…?違います。」

そもそもねぎ味噌ってなんですか?と聞くと、先輩は向かいの調理台に腰掛けてこちらの手元を見ながら説明してくれた。

「俺のじっちゃんの田舎に帰った時、よくねぎを畑から持ってきてくれんだけどさ、採れたてのねぎをそのまま焼いて、ばっちゃんが作った味噌ダレを塗って炭火で焼くんだよ。焦げ目がつくまで焼いたら出来上がりなんだけど、甘辛い味噌ダレが美味くてさ。」

「そうなんですか、それは美味しそう。」

新鮮なねぎとお祖母様手作りの甘辛味噌があるのなら、どんな料理だって美味しくなってしまうのではないかと思った。

「でも残念、これはその美味しそうなねぎ味噌ではありません。そもそもおそらく、切ってる大きさが違うでしょ。」

「じゃあ何作ってんの?」

「お味噌汁です。」

味噌汁かぁ、と先輩は少し残念そうに言葉をこぼした。私の横には先ほどくたくたになった鰹節と昆布、それに金色に輝く出汁が置いてある。これとネギをみて味噌汁が浮かんでこないなんて、先輩は余程料理をしないと見える。

「いつももっと、なんか、おかずになるもん作ってなかった?唐揚げとかさ。」

「作ってましたけど、今日はお味噌汁です。」

ざるからあげた豆腐を優しく切りながら答える。

「お味噌汁が美味しいと、ご飯が美味しく感じるでしょ?」

うーん、そうだっけかなぁ、と先輩はあまり納得のいかない様子である。

「この間の、あれ、肉じゃがも美味しかったし、あれなんだっけ?唐揚げみたいなのにタルタルソースがかかってて…」

「チキン南蛮ですかね。」

そう、それだ!と目をキラキラ輝かせて先輩は話す。相当私のチキン南蛮が気に入ったらしい。南蛮酢とタルタルソースも手作りの、私もお気に入りの一品だ。

「あれさぁ、本当に美味かったから、もっかい食いたい。」

先輩はいつも、それはそれは美味しそうに私の作るものを食べてくれる。こんなにリアクションが良いのなら、グルメ番組にも出れてしまうんじゃないかという反応をしてくれる。このクラブは殆どが幽霊部員であるから、毎週水曜日の放課後にただひとりで、ただ作って食べて、残ったら家に持ち帰るという味気ない活動を行なっていた。そんな私にとって先輩は、料理をするという事を純粋に楽しみ、そしてまた新鮮な気持ちにさせてくれる存在だった。

油抜きをした油揚げを小さく包丁で切った後、水で戻した乾燥わかめも軽く水切りをした。そして金色に輝く出汁を鍋に注ぐ。その泉の中に下準備を終えた具材達をゆっくり忍ばせていく。その様子を先輩はまるで子供のように輝いた瞳で見ていた。

「米は?米、もう炊けてんの?」

「いつもの通りですよ。大丈夫です。」

お米は先輩がよく来るようになってから炊くようになった。お腹が空いているのか、先輩はお味噌汁ができるのを今か今かと待っているようだった。メインのおかずが無いというのに何だか楽しそうである。自分のと、私のと、お茶碗とお椀と箸を準備してくれた。そうしてそれから暫くの間、窓の外の、自分の後輩達の練習風景を眺めていた。その横顔を見て、私はすぐ目をそらす。先輩は野球の事になると、さっきまでの子供のような目とは違う目をする。

くつくつと出汁が煮立ってきたので、火を止めてお味噌を溶き入れる。再び弱火にして、煮えばなになるのを待った。先輩はまだ、窓の外を眺めている。

火を止めて、ねぎを入れる。ゆっくりゆっくりとおたまでお味噌汁をかき混ぜて、その出汁の匂いを確かめる。と、同時に先輩が、出来た?とまた輝かしい笑顔でこちらを見てきた。いつの間にかご飯もよそっている。私は先輩が準備してくれたお椀にお味噌汁を注いで、家から持ってきた茄子の漬物を、冷蔵庫から取り出した。

「先輩、座ってください。」

「はい。」

私のご飯を食べるときの先輩はとても素直である。まるで子供、真っ黒い肌と可愛い笑顔が魅力的な、大きな子供。

「いただきます。」

一口飲んで、先輩は少し黙った。その様子を私はただ眺めている。先輩はもう一口飲んで、そうして小さい声で、美味いなぁ、と呟いた。

「お味噌汁、美味しいでしょ?」

「うん。」

「こんなお嫁さんが、いいでしょ?」

先輩はちょっと下を向いて、また小さな声でうん、と返事をした。下を向いているけれど、耳が丸出しだから、どんな顔色をしているのかすぐわかる。ご飯を見るときの無邪気な顔でも、野球を見るときの真剣な顔でもない、また新しい顔を見た気がした。

私も冷めないうちにとお味噌汁を啜りながら、我ながら上出来である、と思った。2人の男女が放課後の家庭科室で向かい合い、静かにご飯を食べる、ちょっと不思議な光景。ご飯とお味噌汁と茄子の漬物と、私たち。お互い少し顔が赤いのは、ちょっと熱めのお味噌汁と、この真夏の気温のせい。きっとそうに、違いない。

お味噌汁の作り方

お味噌汁の作り方

  • 小説
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更新日
登録日
2016-07-03

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