無剣の騎士 第2話 scene5. 悲運

主人公(アーシェ)には悪いのですが、今回の話を読んでシェリーのファンになりました。
原作者様と自分がファンクラブの会員1号・2号です。

 一年を通じて晴天の日が多いアストリアだが、ここ数日は曇りがちの天気が続いていた。雨が降るほど天気が崩れる訳でもなく、かといって太陽が顔を出すでもない。どうにもすっきりしない空模様だった。
 そんな天気ではあったが、アーシェルとキースはいつもの野原で剣の稽古に励んでいた。
「やあっ!」
「くっ!」
いつにも増して激しい剣戟の音が響く。そして――、
「隙あり!」
「あっ!」
渾身の力で剣を薙ぎ払うと、相手の剣は手から弾かれてくるくると宙を舞い、少し離れた地面に突き刺さった。剣を失った相手は、肩をすくめて降参を認めた。
「今日は僕の負けだよ、キース」
そう、珍しいことにこのとき負かされたのはアーシェルの方だった。
「どうしたんだい、アーシェ? 最近、全然集中力がないじゃないか。なんだか、心ここに在らずって感じだ」
そんなキースの言葉を背にしてアーシェルは剣の所へ行くと、それを地面から引き抜いて鞘に収めた。
「何かあったのかい?」
キースが問うと、アーシェルは指で頬を掻きながら顔だけ振り返った。引きつった笑みを浮かべながら。
「う~ん、ちょっとね……」
キースは知っている。アーシェルがこういう煮え切らない態度の時は、大抵何か悩み事を抱えている時だ。
「……僕でよければ、相談に乗るよ?」

 二人は小川の岸辺に並んで座り、じっと川の流れを見つめていた。話を切り出すのによほど勇気が要るのか、アーシェルは暫く黙ったままだったが、キースの方も急かすような真似はしなかった。
 やっとのことで、アーシェルは耳まで真っ赤にしながら、言葉を絞り出した。
「……僕の、友達の悩みなんだけどさ……。もし、もしも、だよ? 自分とは身分の違う女の子を好きになっちゃって、しかもそれがうまく行きっこない相手だったら……。でも、自分の気持ちを抑えられなくなったら……。キースなら、どうする?」
 まさか色恋沙汰の話だとは予想していなかったキースは一瞬驚いてアーシェルの顔を見つめたが、すぐにゆっくりと視線を川の方に戻した。
(“友達”の悩みね……。本当に、嘘をつくのが下手なんだから……)
どう見ても、悩んでいるのはアーシェル本人だった。勿論そんなことを追求するほどキースは野暮ではない。
「君のその“友達”が、気持ちを伝える前から『うまく行く訳がない』だなんて諦めているのはどうしてだい?」
「そ、それは……」
「僕なら――」
キースは手近に落ちていた小石を右手で拾い上げ、
「自分の思いを伝える前に諦めたりなんかしない」
力を込めて小川に投げ込んだ。
 キースは、アーシェルの告白を後押ししてやろうと思った。何せ、相手はあのレザリスだ。うまく行かない訳がない。
「僅かでも可能性があるのなら……、それに、自分の気持ちを抑えられなくて悩むくらいなら、成功する方に賭けてみるべきなんじゃないかな」
「そ、そうか……な……」
「その“友達”と相手の娘とは、仲は悪くないんだろう?」
「うん、仲は結構良い方だと思う」
「身分が違うのに仲が良いってことは、それだけ望みがあるってことさ」
「あ、なるほど。そういう見方もできるんだ」
アーシェルは軽く膝を打った。
(むしろ、あれだけ仲良くしていながら、好かれていないと考える方が不思議だよ……)

 片や、アストリアの近衛騎士として王家に仕える若き当主。片や、ウィンデスタールの市井に交わる鍛冶職人。確かに身分は違うが、二人が結ばれるのは絶望的だと断言できるほどの隔たりでもない。もしかするとヴァーティス家の親類縁者の中には反対する者も出てくるかもしれないが、当主であるアーシェルが強く押し切れば最終的には丸く収まるだろう。

 キースがアーシェルを説得しているうちに、気が付けば雲は去り、太陽が辺り一帯を明るく照らし出すようになっていた。
「……うん、そうだね。ありがとう、キース。友達には、ともかく自分の気持ちを伝えるだけ伝えるように言ってみる」
アーシェルはすっかりいつもの笑顔に戻っていた。それを見てキースも微笑む。
「どういたしまして。健闘を祈る、と“友達”にも伝えてくれ」
立ち上がって大きく背伸びするアーシェルを見上げて、キースは心の中で呟いた。
(頑張れ、アーシェ。身分が違うといったって、相手は王家のお姫様なんかじゃないんだから)

        *    *

 それから数日後の、ある朝のこと。
 アストリアの宮殿の廊下を行く一組の男女の姿があった。
「すまぬの、エド。お仕事の前じゃというのに、わらわの用事に付き合わせて」
「なに、気にするな。大切な妃の体に関わることなのだからな」
シェリアとエドワードだった。二人は今、王宮の医務室に向かっていた。
「それにしても、定期健診の結果を聞くだけじゃのに、エドも連れて来るよう言われるとは思わなかったのじゃ。もしかして、わらわは重い病気なのじゃろうか……?」
「……心配か?」
「もしこのまま絶対安静じゃなどと言われたら……。せっかく今日はアーシェが昼餉(ひるげ)に呼んでくれたのに、行けなくなってしまうのじゃ……」
「案ずるな。万一そのように危篤の状態ならば、昨日、医師の使いの者が来た時点でそなたは運ばれていたはず。そうなっていないのだから、大病などではないということだ」
「ならば、なにゆえエドまで呼ばれたのじゃろう?」
「恐らく、もっと別の意味で重大な知らせなのだろう」
そこでシェリアはふとエドワードを見上げたが、その表情を見るや大きな声を上げた。
「あーっ。その顔は、また自分一人だけ分かっておる時の顔じゃ! ずるいぞ、エド! わらわにも教えるのじゃ!」
エドワードは笑いながらひらりと身をかわして、すがり付こうとするシェリアの手から逃れた。
「いや、余の考えは、飽くまで仮説の一つに過ぎぬ。それに、医務室はもう目の前だ。医師から直接聞く方が良かろう」
エドワードはそう言うと、マントを翻して先を歩き始めた。
「あ~ん、エド! 待て! 待つのじゃ!」
シェリアは両手でスカートを摘み上げると、速足でエドワードの後を追いかけていった。

「えっ……。真かや!?」
 医師が診断結果を告げると、シェリアは驚いて両手で口元を覆った。
「はい。私共としましても、久しぶりの吉報にございます」
医師はにっこりと微笑んだ。エドワードは、椅子に座っているシェリアの後ろから、優しく肩に手を置いた。
「良かったな、シェリー」
「俄かには、信じられぬのじゃが……」
「直に慣れる」
エドワードは笑った。
「この後は、アーシェの屋敷に出掛けるのであったな? アーシェにも、教えてやれ。父上には、午後にでも共に報告に参ろう」
そして再び二人は顔を見合わせ、互いに顔をほころばせた。

        *    *

 日もかなり高くなった頃、四頭立ての立派な馬車が、ヴァーティス家の屋敷の前に到着した。付き添いの者達に続いて馬車から降りてきたのは、まだ興奮冷めやらぬ様子のシェリア。門には屋敷の召使い達が居並んでいたが、代表してシェリアを迎えたのは初老の執事だった。
「お待ちいたしておりました、シェリア妃殿下。わざわざご足労頂き、恐縮にございます」
「久しぶりのアーシェとの会食じゃからの。それを思えば、これしきのこと苦にもならぬ」
「それでは、若がお待ちかねですので、お部屋の方にご案内いたします」
執事に先導され、また多くの従者に囲まれて、シェリアは屋敷へと歩を進めた。

「いらっしゃいませ、シェリア妃殿下」
 緊張でやや声が上擦ってしまったような気がしたが、それはともかくアーシェルは椅子から立ち上がると、精一杯の笑顔でシェリアを迎えた。
「アーシェ、呼び名は昔のように『シェリー』でよいぞ。敬語も要らぬ。今日は非公式の訪問なのじゃからな」
「はっ、分かりました」
「こら、アーシェ!」
脊髄反射のように頭を下げるアーシェルに、シェリアはやや語気を強めた。言われたアーシェルはみるみる顔を赤くしたが、耳まで赤くしてからやっと、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……分かったよ。……シェリー」
「うむ、それでよいのじゃ」
シェリアは満足げに頷くと、促されて上座に進み、執事の引いた椅子に腰を下ろした。
 純白の布で覆われた長い食卓の上には、慎ましいながらも多様な料理が並べられていた。
「こうしてアーシェの家で一緒に食事をするのも、久しぶりじゃな」
「そう、だね。本当はもっと頻繁に呼べたらいいんだけど、お二人ともお忙しそうだから……」
そう言いながらアーシェルはシェリアの向かい側の席に座り直した。
 以前のように親しい口調でシェリアと会話できるのは嬉しいのだが、かなり久しぶりなのでなんだかくすぐったいようなこそばゆいような、そんな気分だった。
「なんじゃ、そんなことを気にしておったのか。水くさいのう」
シェリアが溜息をつく。
「え?」
「エドが忙しいのは事実じゃが、アーシェの頼みとあらばエドもわらわもすぐに駆けつけるつもりじゃぞ? 遠慮は無用じゃ」
「ほ、本当!?」
アーシェルは思わず両手を卓上に叩きつけるようにして身を乗り出したが、勢い余って手近の杯を倒してしまった。
「あっ……」
傍に控えていた召使い達がすぐさま駆け寄り、零れた飲み物などを手際よく片付けてくれる。彼らの動きを黙って見つめることしかできないアーシェルは、シェリアの前で落ち着きのないところを見せてしまった恥ずかしさから再び顔が上気してくるのを感じた。思わず俯いて、膝の上の握りこぶしを見つめた。こんなことでは、今日の計画が思いやられる。
「アーシェよ……。そなた、まだ緊張しておるな?」
驚いて顔を上げると、彼女は全てを見透かすかのような瞳でこちらを見つめている。
「いや、『まだ』と言うより『今日は』と言うた方が正しいかや? とにかく、今日のアーシェは変じゃ。一体、何があったのじゃ?」
いくら幼馴染みとはいえ、主従関係故に長らく疎遠になっていたから見抜かれまい、と高をくくっていたのだが、彼女の鋭い観察力は全く衰えていないようだ。
「な、何にもないよ? ただ……、シェリーに、その、大事な話があるんだ」
「それは奇遇じゃの。実はわらわも、アーシェに報告したいことがあるのじゃ」
「えっ?」
もしかしてシェリアも自分と同じ気持ちなのかとの期待が一瞬胸をよぎったが、すぐに「そんな訳がない」と自分で自分の考えを打ち消した。
「して、大事な話とは何ぞや?」
シェリアは無邪気な顔で首を傾けた。その表情、仕草にさえ、アーシェルの胸は高鳴ってしまう。
「それは……、食事の後で話すよ」
「ならば、わらわもそうするのじゃ」
 こうして長い前置きを経てやっと、この日の昼食は始まった。

        *    *

 シェリアとアーシェルが食事を楽しんでいた頃、一方の王宮ではエドワードが精力的に政務をこなしていた。普段の仕事に手を抜いている訳では勿論ないが、この日は朝の良い知らせがいつも以上にエドワードを精力的に政務へと駆り立てていた。
(シェリーの帰りはまだか。早く父上に報告に行きたいものだ)
エドワードがそんなことを考えていた時だった。
 執務室の扉が強く叩かれ、エドワードが返事をする前に開かれたかと思うと、リチャードが転がり込むようにして駆け込んできた。
「エ、エドワード殿下!」
「騒々しいな、リチャード。何事だ?」
息を荒げたリチャードを見て、エドワードはただならぬ緊張感を感じた。
「へ、陛下が……!」
「なに、父上が……!?」

        *    *

「ご馳走様じゃ」
「お粗末様でした」
 アーシェルは緊張のあまりほとんど食事が喉を通らなかったが、シェリアの方は心ゆくまで食べてくれたようだった。
 召使い達が食器を片付ける中、アーシェルは遠慮がちに切り出した。
「ねぇ、シェリー。話のことなんだけど……、二人きりで話がしたいから、人払いをしてもいいかな?」
「構わぬぞ。ちょうど、わらわの話もまだ内密にしておいて欲しい内容じゃし」
「そうなんだ。それじゃ」
アーシェルが執事の方を振り向いて頷くと、彼と召使い達は皆 一礼をして、整然と部屋から出て行った。
 戸が閉じられ、部屋の中に二人きりになると、また緊張感が高まってくるのをアーシェルは感じた。
「さて、話を聞こうかの」
「あっ、えっと、その……、シェリーの方からお先にどうぞ」
アーシェルは慌ててシェリアを促した。この期に及んで、まだ心の準備ができていない。
「いいのかや? 実はじゃな、アーシェ。……なんと!」

(若は大丈夫でしょうか……)
 屋敷の前で、執事は落ち着きなく同じ場所を行ったり来たりしていた。部屋の傍に居ると心配のあまりつい聞き耳を立ててしまいそうだったので、敢えて屋敷の外に出てきたのだった。
(若がそつなくお伝えできたとしても、シェリア妃殿下は一体何とお答えになることやら……)
 そんなことを思い悩んでいると、門の前に数頭の馬が駆けて来たのが見えた。その騎手達は皆、騎士の出で立ちをしている。先頭に止まった馬の乗り手には見覚えがあった。
(おや? あの御方は……)

「えっ……!?」
 アーシェルはそこで絶句した。その顔を見て、シェリアは続ける。
「ふふふ、驚いたじゃろう? わらわも、今朝知らされたばかりなのじゃ。じゃから、このことを知っておる者はまだほんの少し。民に発表するまでは、内緒じゃぞ?」
シェリアは人差し指を立てて口元に当てた。
「う、うん……」
アーシェルはそう言って頷くのが精一杯だった。
「では、次はアーシェが話す番じゃ」
シェリアは微笑んだが、こんな話を聞かされて、自分の気持ちを告白することなどできる訳がない。
「あ……。えっと……」
アーシェルはこれまでの人生で最も追い詰められていた。
 今更、何でもなかったとは言えない。かといって他の話題を適当に見繕うにも、頭が真っ白で何も出て来はしなかった。
「……?」
微笑んだままのシェリアが軽く首を傾げた直後のことだった。
 部屋の外から慌しい足音が近付いてきたかと思うと、戸を激しく叩く音がして、勢いよく戸が開いた。
「ご歓談中にお邪魔いたしまして、誠に申し訳ございません」
頭を下げる執事に続いて入ってきたのは、メルキオだった。
「メルキオ殿!」
「団長!」
二人は驚いて声を上げたが、それに構わずメルキオは切羽詰った声音でシェリアに告げた。
「火急の事態です、シェリア様。すぐ城にお戻りください。陛下が……!」
「お義父様が……!?」

「すまぬアーシェ、そなたの話、また今度聞くからの!」
 そう言い残して馬車に乗り込んでいったシェリアを門の所で見送りながら、アーシェルはこれで良かったのだと自分に言い聞かせた。立ち尽くすアーシェルの隣に、執事がさりげなく立ち並んだ。
「……うまく行かなかったのでございますか」
「はは。戦う前に負けた感じ……」
アーシェルは力なく笑うと、踵を返して屋敷へと歩き出した。
「暫く独りにしておいて」
振り返りもせずそう告げたアーシェルの後ろ姿を、執事は心配そうな面持ちで見送っていた。

        *    *

 シェリアが王の部屋に駆け込んだ時、そこには既に王族方や主立った大臣達が軒並み顔を揃えていた。王太子エドワード、王弟フェリックスら血族は王のすぐ傍に、大臣であるケネスやオークアシッドらはやや下がった位置にそれぞれ立っていた。
「遅かったではないか、シェリアよ」
振り向いたオークアシッドが娘に声をかけた。
「ごめんなさい、お父様。今日に限って、外出しておったのじゃ」
シェリアは詫びながら王の傍へと進み、エドワードの隣に並んで王の顔をうかがった。王は安らかな顔で静かに寝息を立てていた。
「今は眠っていらっしゃる」
そっとエドワードが囁いた。
「お義父様が危篤と聞いたのじゃが……」
シェリアが医師の方を向くと、医師は難しい表情をしたまま頷いた。
「本日、容態が急変なさいまして……。癒しの脈玉も、既に焼け石に水のようなものでございます。大変残念ですが、率直に申し上げますと、私共としましてはもはや手の施しようが……」
「そんな……。お義父様……」
シェリアが王の手を取って両手で握りしめると、ややあって、王がうっすらと目を開いた。
「おぉ、シェリア……。それに皆の者……」
王はゆっくりと周りを見回した。そして、王族の中に一人見当たらない者がいることに気が付いた。
「アンナは、どうした……?」
「叔母上にも急使を送ってありますが、まだこちらには到着なさってないようです」
エドワードは庇うような口調で答えたが、フェリックスは違った。
「どうせまた、研究室に篭もって下らぬ実験でもしているのだろう。王家の一員でありながら脈玉の細工にうつつを抜かしたりしておるから、このような時にまで遅れるのだ」
「あら、誰の実験が下らないですって?」
 戸口の方から透き通るような声がして、全員が一斉にそちらへ視線を向けた。そこに立っていたのは、長い髪を後ろで束ね、白衣を着た中年の女性。
「あ、姉上……」
「わたくしが何処で何をしていようと、貴方に文句を言われる筋合いはなくてよ、フェリックス? わたくしはとうの昔に政治からは身を引いたのですもの」
女性はつかつかと部屋の中へ入り、王の傍へと身を寄せた。
「遅くなって申し訳ございません、兄上。アンナはここに居りますわ」
アンナは、シェリアの手の上から王の手を包み込むようにした。
「アンナ……。それに皆の者……」
王はもう一度、周りに立つ者達を見回した。
「そなたらに別れを告げる時が来たようじゃ……」
その場に、声にならないざわめきが走る。
「父上、もしや、先程の話を聞いていらっしゃったのですか?」
さっき、医師が「もう手の施しようがない」と告げたのは、王がまだ眠っている間だったはずだ。
「……いや。自分の体のことは、自分が一番よく分かる……」
王はエドワードを見上げた。
「民は、平穏にしておるのじゃったな……?」
「はい、父上。徐々にですが、国は平和を取り戻しつつあります。あと少しです」
エドワードは力を込めて答えた。王を、父を、安心させるために。
「そうか……。ならば良い。儂にできることは、もう無さそうじゃしの……」
「…………」
誰も、何も言えなかった。
「唯一の気掛かりは、孫の顔が見られなんだことじゃ……」
王のその呟きを聞いて、エドワードとシェリアは大切なことを思い出し、シェリアは思わず手を離して立ち上がった。
「実は、父上。ちょうど今日、報告に参ろうと思っていたのですが……!」
「お義父様。実は、わらわは……」

        *    *

「実はじゃな、アーシェ。……なんと! わらわは!」
 シェリアはアーシェルの反応を楽しむかのようにもったいぶった。嬉しくてたまらない様子だ。
「意地悪しないで、早く言ってよ」
アーシェルが苦笑すると、シェリアは満面の笑みのまま万歳をした。
「なんとわらわは、エドの赤ちゃんを身ごもったのじゃー!」
「えっ……!?」

        *    *

 部屋中に、先程とはまた違うざわめきが走った。
「そうか。二人の間に子ができたか……」
王は目を細めた。力ない笑顔なのは先程と変わりないが、その声は先程よりも嬉しそうに聞こえた。
「顔を見られぬのは残念じゃが、これでもう思い残すことはない……」
王はゆっくりと大きく息を吐いた。そして、顔をゆっくりとエドワードの方に向けた。フェリックスにではなく、エドワードの方に。
「エドワードよ」
「はい」
「アストリアを、頼んだぞ……」

 その日、アストリア国王 マクシミリアン・セシル・プロ・アストリアは、駆けつけた王族及び大臣達に見守られて、静かに息を引き取った。享年五十三。
 善政を敷く王と称えられながら、自身の病気や、近隣諸国が引き起こした戦争に治世の大半を悩まされた不遇の王であった。
 とりわけ、最後の数年間は国内でも国王派と王弟派に分かれて激しい権力闘争が起きていたのだが、王の死が国王派にとって大きな痛手であったのはいうまでもない。
 派の中心人物であった王が欠けたことによって、これまでつばぜり合いを演じてきた両派の均衡が崩れ、この国は波乱の時を迎える――。政情を多少なりとも知る者は皆、そう予想して戦慄した。
 しかし、大方の予想を遥かに上回る大波乱――アストリア王国の滅亡は、もうすぐそこまで迫っていたのである。

無剣の騎士 第2話 scene5. 悲運

次回予告:アーシェル、キース、そしてレザリス。三人のすれ違いが、破滅への序曲だった――。
⇒ scene6. 戦雲 につづく

無剣の騎士 第2話 scene5. 悲運

ようやっと物語が折り返し地点を過ぎ、今回から本格的に風呂敷を畳む作業、伏線の回収が始まります。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-02

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