アザレア
その日はざぁざぁと雨が降っていた。こちらの国では珍しい土砂降りの雨だった。
土砂降りのせいなのか人通りも多くなく、男が1人、暗い裏路地で座り込んでいても誰も気付かなかった。
男は自分の死期を待っていた。
腹部を銃で撃たれたらしい。赤黒い血が雨によって薄められ、一緒に排水溝へと流れている。
よく見ると、まだ若く、やんちゃそうな顔つきをした青年だった。けれども、男の顔には生気が感じられず、まるで死んでいるようだった。
ああ、情けねぇな………
男はそう思って先ほどの事を思い出す。
娘がいた。自分が殺そうとした男に。その娘が自分の娘と似ていたために殺すのを一瞬だけ躊躇った。それがこのザマである。
冷たくなりつつある手でどうにかポケットから煙草を探し出し火をつけた。
「………いてぇなぁ、」
男は自嘲気味に笑う。
別に死んでもよかった。誰も困らないから。唯一の最愛の娘は、2年ほど前に殺されていない。
娘を殺されて、男は快楽殺人者と世間で騒がれるようになった。無差別に男も女も老人も子どもも関係なく殺した。
最初はただの憂さ晴らしで、娘が殺された怒りだった。誰が殺したか分からない。犯人は未だにつかまってない。だから、誰でも目に付いたモノは全て破壊しにいった。この世の全部を恨んで恨んで、それでも足りずに殺して殺して。
そして、殺すことが段々楽しくなってきた。笑いながら人を殺すから快楽殺人者と世間は言った。ただそれだけだった。
だから、今日も同じように破壊するつもりだった。それなのに、躊躇った。
男は、特にこの世に未練もなく、あの世に行けば娘に会えるからという理由で冷えていく体と朦朧とする意識に全てを預けようとした。
チリン………と音が鳴った。
澄んだ音だった。多分、猫か何かがよく首につけている鈴の音だ。
ノロノロと目をあける。なぜ、目をあけようと思ったか分からない。けれども、音がしたモノを見なければならない様な気がした。
視野に捉えたモノはやはり猫だった。真っ黒の猫。不吉を象徴する黒猫。
やっぱり死ぬんだろうなぁ、オレ………。
黒猫を視界の端に捉えたときに、ぼんやりと男は思った。
「おとうさん。」
猫が喋った。………それよりも知った声に驚いた。
「………あざれ、あ?………アザレアなのか、!??」
完全に目が冴え、体を起こそうとする。けれど、あまりの痛みに体を起こすことは無理だった。
「げんき………じゃないね。痛そう。」
感情が豊かではなく、少し無機質に聞こえる声が懐かしい。娘が変わっていなくて、何より一番聞きたかった声に嬉しさが込み上げる。
「ははっ、死にかけてるよ。」
「無茶するからだよ。」
どうやら、男がどうして死にかけているのか知っているらしい。
娘の声が、穏やかで儚いものへと変わる。
「バカだね、おとうさん。私のことより自分のこと大切にしてよ。」
男は、目尻を下げて困ったように言った。
「ごめんな。どうしても許せなくて、それで、殺人鬼になってしまった。」
娘は、知ってるよと返す。
「ずっと見てたから。」
寂しそうで、今でも消えてしまいそうな娘の声に男は泣きそうになった。
けれども、もう体も意識も限界だった。
もっと、アザレアと話していたいのに、
「アザレア、アザレア………まだ、おれ、はっ、」
言いたいことを言えてない。
そう伝える前に男の意識は落ちた。
娘は、小さく笑うと、言った。
「おとうさんは不器用なんだよ。」
不器用だから、見えなかった。不器用だから、人を殺す方を選んでしまった。でも、確かに娘を愛していた。
娘もそんな父を愛していた。だから、娘は黒猫の姿を借りて、父に会いに来た。
もうこれ以上、自分を愛してくれる父が苦しまなくていいように。そして、幸せになってほしいから。
「今日ね、金曜日なんだよ?」
意識のない男に娘は語る。
聞こえていないだろう。それでも良かった。
「知ってる?13日の金曜日に黒猫みたら、不幸になっちゃうんだよ。………でもね、黒猫は幸運の象徴でもあるんだよ。」
娘は静かな声で言う。
「だから、おとうさんに、幸運と不幸、両方あげる。」
それだけ言うと娘は、雨に解けるように消えた。
その数分後、男の体はぴくりと震えて、意識が戻る。
「あざ、れ、あ、?」
起き上がって娘を探すがどこにもいない。ついでに言えば、男の傷もなくなっていた。ふと、地面を見ると、文字が書いてあった。
「私のために、あなたは自分を大切にして」
それは、アザレアの花言葉だった。
娘の願い。最初で最後のわがまま。
ぽたっと、男の目から涙がこぼれ落ちた。娘を亡くしてから泣く暇などなかった。怒りと憎しみで支配された心は悲しむより先に破壊する方へと意識が向いた。
本当は信じたくなかったんだ。最愛の娘が亡くなることを認めなくなかった。
けれども、もう娘はいない。
私が父の隣にいない不幸と男がこれから生きていける幸運。
それを理解した男は、ふわりと優しく笑った。やんちゃそうな顔に似合う笑顔だった。
「がんばるよ、アザレア」
そう言って男は、裏路地の中へと消えていった。
いつの間にか上がった雨が太陽の光に反射していつまでもキラキラと輝いていた。
その輝きは金色の髪をした男と同じ色だった。
アザレア
雨と黒猫と、なんだかそんなテーマで書きたくなって、少しだけ切ないものにしたかった作品です。
珍しく親子ものです。